仕方がない!
目を閉じていると、少し錯覚しそうになる。
ここは俺の部屋で、今は林が風呂に入っているだけ。俺はと言えば、夕飯をたらふく食いすぎて睡魔に襲われ、シャワー音を子守唄代わりにして眠ろうとしている。
そんな、日常のワンシーンと錯覚しそうになる。
まぶたが重い。
体も重い。
林は疲れているから、とここに俺を連れ込んだ。多分俺も、疲れていたから林の誘いを強引に断らなかったんだと気づいた。
今日は朝から、掃除をして。掃除をして。
そうして昼過ぎに家を出て、林と二人で楽しんだ。
レインボーブリッジ。
夕飯。
そうして舞台。
いつもの日常では味わえない経験をさせてもらった。
それでいて、こんなふかふかのベッドまで彼女は与えてくれようとしている。
さっき、林は俺に向けて言った。
俺が林の気持ちを全然わかっていない、と。
まあ、この際それはどうでも良い。
いや、どうでも良くないのかもしれない。
でも、今の俺にはどうでも良かった。
まぶたが重く、体も重く……そうして意識さえも、薄れていく。
直前まで、俺は借りてきた猫状態だった。
いつもと調子が違う林と、こんな部屋にやってきたのだから当然だ。
でも……結局この景色も、紙一重でしかなかった。目を閉じてしまえばもう、ここは俺にとっての日常と何ら変わらないのだ。
ああそうか。
俺にとってそれだけ林という存在は、日常の一部と化していたのか。
……ぐぅ。
「起きて」
優しい声の後、パチンと軽く頬を叩かれた。
一体、どれくらい俺は眠っていただろうか。
一体、どれくらい俺は林を待たせたのだろうか。
俺はぎょっとした。
まぶたを開けた先、見えた景色は……バスタオル姿の林だったのだ。
髪は乾かしきってないのか濡れていて、肌もほんのりと赤い。
そんな林に俺は、気付けば意識を奪われていた。
「……お前、なんて格好してんだ?」
「……興奮しないよね?」
「あ?」
「だってあたし達、家族なんだから」
当てつけのように、林が言う。
一体何が気に入らなかったのか。俺にはそれが見当もつかない。
ただ、何かしら俺が林の機嫌を損ねて、今、この状況に陥ったことだけはわかる。
一体、俺は彼女に何をした?
……一体。
一体、何を……?
思考がまとまらない。
顔が熱い。
目を離したい……!
なのに、離せない。
「……服、着ろよ」
林は何も言わない。
「寒いだろ?」
まだ何も言わない。
「お、俺が悪かったから……!」
林は黙ったまま、俺に近寄ってくる。
俺はベッドの上で後退りした。そんな俺を追い詰めるのは、目の前にいる扇情的な女性だった。
林の柔肌なんて……!
この暑い時期、Tシャツとショートパンツだなんて軽装で寝ている彼女のせいで見慣れているはずなのに。
……少し、俺は錯乱していた。
このまま。
このまま……身を任せても良いかもしれない。
多分、もしここで身を任せたら、一生ネタにされるのだろう。
目の前にいる林に、ずっと嘲笑され続けるのだろう。
だけど、それも少し悪くないかも、と俺は思い始めていたんだと思う。
俺に迫ることを止めない林に、俺もついに諦めた。
逃げることを止めて、むしろちょっとずつ。少しずつ……。
我に返ったのは、隣の部屋から声が聞こえたから。どんな声かは言えそうもない。
ただ、壁が薄くて助かった。
いや、これはある種、助かっていないのかもしれない。
わなわなと顔を真っ赤にさせて、林はたじろぐ。
どうやら彼女も我に返ったようだ。
「ご、ごめん……っ!」
林はくるりと器用に反転した。
柔肌を隠すように、身を屈めていた。
一難去って、俺は安堵して……寝起きの脳裏に焼き付いた光景が蘇り、頬を赤くした。
ポリポリと頬を掻いて、一先ず俺は彼女に俺のジャケットを着させた。
「ごめん。どうかしてた……っ!」
「ああ、本当だよ」
俺はため息を吐いた。
「……何があったかは、敢えて聞かない」
「そうして」
「でも……さすがにちょっと、驚いた」
「……うん」
「……す、すまんな」
少しだけ申し訳なくなって、俺は謝罪をしていた。
くそう。いつもクールキャラを演じているのに、声が震えてしまう。
「俺、寝る」
「あ……あたしも」
「ぎゃっ」
林は俺が寝ようとしたベッドに潜り込んできた。
布団の中で、林の柔肌が俺に触れ、俺は叫んだ。
「お、お前……なんでこのベッドで寝るんだよ」
「仕方ないじゃん! ベッドこれだけなんだし!」
ああ、そっか。
俺は黙った。
「そ、そうだよ……! これは仕方がない。仕方がないんだよ……!」
「俺、床で寝るよ」
「駄目!」
「ぐえっ」
「……あー。ごめん」
突然林が抱きついたせいで、脇腹が痛い。
背後にいて睨みつけられない林に、俺は恨みの視線を頑張って送っていた。
「……まったく。今日はお前に振り回されっぱなしだよ」
「……ごめん」
謝罪する林に、俺は少し考えた。
まったく。本当に……今日は、いいや、最近はずっと……俺は林に振り回されっぱなしだ。
レインボーブリッジに昇れば高所が苦手で半べそ掻くし。
突然、電車に早く乗り込むために走り出すし。
いきなり、こんな場所に連れ込まれるし。
もっと前には、大学の同じ科の男と話せだなんて、無理難題を言われたこともあったっけ。
まったく。
本当、かつて女王様と呼ばれたあいつに、最近の俺はなされるがままだ。
……だけど、不思議なもんだ。
「……まあ、楽しかったし、良いけどさ」
「……え?」
「……今日は、楽しかったよ。貴重な体験が出来た」
俺は林に礼を言った。
だって彼女は……。
俺なんかのために、恐怖心を堪えてレインボーブリッジに昇ってくれた。
俺が早く休めるように、終電を逃さないように取り計らってくれた。
俺を休ませるために、ここに連れてきてくれた。
そもそも、いつかの男と話せって無理難題も、全ては俺に友達が出来るように、こいつが取り計らってくれたからそうなっただけ。
そして、それら全てを体験して俺はなんだかんだ楽しんでいる。
……だったら、文句を言うことさえ烏滸がましい。
「いつもありがとうな、林」
「……もう一回」
「え?」
「もう一回。もう一回言って」
「……え、ヤダ」
「いいから!」
背後で叫ぶ林に気圧され、俺はしばらく黙った。
「いつもありがとう」
「もう一回」
「えぇ?」
「もう一回」
「……いつも、ありがとう」
「林って、ちゃんと付けて」
「いつもありがとう! 林!」
林の返事がなくなった。
寝たのだろうか。
いいや違う。
俺を抱きしめる手に力がこもり始めた。
一先ず、気が済んだのだろうか?
ついでに、気も紛れたのだろうか?
……本当、最近の俺は、こいつに振り回されっぱなしだな。
俺は、思わず苦笑した。
「山本」
「ん?」
「いつもありがとう」
「……うん」
少しだけ、背中がむず痒い。
これも全部、林のせいだ……。
七章終わり!
攻めすぎて、俺が臆した!
でも、どうせ皆思ってたんだろ? 一線は越えないって。
何度も言うけど、一線を超えたらこの話終わりますからね?
終わってもいいって覚悟がある人だけ、一線を超えろと言え!
一線を超えろや!!!!!
バカ作者が!!!!!!!
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!




