75 皇太子殿下の最愛
今回の選妃姫は、珍しく夜間に行われることとなっていた。
御花園に作られた天幕の張られた会場は、三方向からならどこからでも観覧できる。
普段は後宮内の秘匿された会場で行われるため、このような形で開催される選妃姫は非常に珍しく、周囲には皇太子殿下やその妃たちを一目見ようと、後宮中の女官や宦官たちが集まっていた。
「選妃姫が夜に行われるのは油桐花が降るからかしら? ああ、こんな素敵な夜に、淑姫様の凛とした姿が見れるだなんて」
「満点の星空と立夏雪が一番似合うのは徳姫様よ。見て、あの可憐な様子」
「賢姫様の天女のような声が夜の帳を揺らす瞬間は、きっと誰もが感嘆のため息をつかずにはいられないわ。皇太子殿下から『百花瓏玉』を下賜されるのは賢姫様ね」
「まあ、間違ってもあの幼な子や白蛇妃ではないわ」
「この間はちょっと、その、助けられたけれど。それとこれとは話が違うんだから!」
それぞれの推しを称えてクスクスと笑う女官たちの話し声が、彼女たちにほど近い末席に座す苺苺に聞こえていないはずがない。
だが、しかし。
(立夏雪の中の木蘭様の一挙手一投足、いいえ! 衣のはためきまでも見逃しはしません!)
と、燃える苺苺の耳には、女官たちの悪意のこもった話し声などまったく入っていなかった。
(それにしても木蘭様はいらっしゃいませんね……。お支度が遅れていらっしゃるのでしょうか? 春燕さんと鈴鹿さんの手をわたくしが借りてしまったからですわっ。心配です……!)
特別なおめかしをした苺苺の後ろには、なんと春燕と鈴鹿が控えている。
審査員席には皇后陛下、四夫人、そして司会進行役の東宮補佐官である宵世がいる。
会場の向こうには、特別な場合にしか後宮内に入ることのできない青衛禁軍に属する零理が率いる東宮侍衛たちが警護に当たっていた。
「――ただいまより、選妃姫を開始いたします」
宵世の声でわっと会場が華やぐ。
そして天幕の裏から、この国の次期皇帝である皇太子、紫淵が姿を現した。
まさか本当に皇太子が現れるとは思っていなかった会場の人々は、さらに悪鬼面をつけていないその美貌にどよめき、のちに静まり返る。
審査員席に座す人間以外は皆、紫淵にひれ伏した。
「面を上げよ」
夜の静けさに低く冷たい声音が響く。
(木蘭様……っ! ああ、立夏雪とかわゆい木蘭様の共演がぁぁぁ)
苺苺は木蘭の欠席を悟り、がくりとうなだれた。
そうこうしているうちに、『八華八姫』の姫君たちによる『端午節の香包』のお披露目が始まった。
一番手は最上級妃の木蘭だったが、病欠のため、筆頭女官となった怡君が代理人として作品を上座に座す紫淵へと披露する。それはちょっと糸がよれている、木蓮風の花があしらわれた香包だった。
それに続いて淑姫、徳姫、賢姫、と作品のお披露目と謂われの説明を行う。
紫淵は誰に声を掛けることもなく、そして誰の香包も受け取らなかった。
そうして……ようやく最後に、最下級妃の白蛇を冠する苺苺の番が巡ってくる。
苺苺は末席から立ち上がると、白蛇妃付きの侍女として控える春燕と鈴鹿とともに前へ出た。
「皇太子殿下に拝謁いたします。白蛇妃、苺苺でございます」
「ああ。君を待っていた」
紫淵は初めて、進行のためではない応えを返す。
苺苺は紅珊瑚の瞳をぱちくりとして、紫淵を見上げた。
「恐悦至極に存じます。わたくしが『端午節の香包』として、紫淵殿下にお贈りしたいとご用意いたしましたのは、こちらでございます」
「それは…………ぬいぐるみ?」
「はいっ! 紫淵殿下を模して製作したぬい様でございます!」
苺苺が元気よく伝える。
香包にしては大きく、そして奇をてらいすぎた形を見て、会場中がざわざわとどよめいた。
「衣裳には五色の糸を使用し、破魔の紋様と健康を願う意匠の刺繍を施させていただきました。中にはお忙しい毎日でもぐっすり眠れるよう、安眠用の生薬を詰めてあります。抱き枕としてお使いください」
「……ふっ。くくく、さすが苺苺。面白いものを作ってきたな」
そっと甘さを含んだ優しい声音でそう言うと、紫淵はふわりと微笑んだ。
彼は鷹揚に上座から立ち上がると、苺苺の目の前までやってくる。そして。
「君には、これからも俺のそばにいてほしい」
紫淵は懐から一本の簪を取り出すと、苺苺の綺麗に結い上げられた真珠色の髪に刺した。
「あ、ああ、あれって……希少な琅玕翡翠で作られてるっていう、『紫翡翠の牡丹瓏花』!?」
「さ、さ、最高位の『百花瓏玉』なのです――!」
白蛇妃付きとして後ろに控えていた春燕と鈴鹿が「わああ」っと喜び、ぎゅっと手を取り合う。
苺苺は驚きに見開いた目を丸めて、たった今下賜された最高位の『百花瓏玉』にそっと手を触れた。
「――白蛇妃、白苺苺の香包をもって選妃姫を終了とする!」
紫淵の冷たく玲瓏な声が、後宮に高らかに響いた。




