69 一大事です
部屋の中に散り散りになった白蛇ちゃんたちを一箇所に集め、飛び散った腹綿の回収を終えた苺苺は、「これでよしっ」と額を拭う。
(そろそろ鏡花泉へ向かいましょう。木蘭様は、そろそろ金緑宮を過ぎたあたりでしょうか?)
苺苺はたくさんのぬい様を入れた藤蔓の籠を手に持つ。
上級妃は御輿に乗り、それを宦官に担がせ、周囲に女官を侍らせてて移動することも多いが、小さな空間内ではいざという時に逃げ場を失う。そのため木蘭は、『今回は徒歩で向かう』と話していた。
紅玉宮は後宮の入り口のそばである、もっとも天藍宮に近い場所にある。鏡花泉はその真反対で、皇太子宮の最奥。水星宮の近くだ。
まっすぐ一本道の大通りを通っても、木蘭の幼い足ではかなりの時間がかかる。
(鏡花泉に到着なさる前に追いつけたらよいのですが。近くまでは走って、こそっと身を隠しましょう)
考えつつ、苺苺は書斎を出て、本殿の扉を開こうとする。だが、しかし。
「えっ、ええっ? ……――扉が開きませんッ!」
ガタガタと揺らしてみても、扉はびくともしない。
扉の内側の閂はかけられていない。となると。
「外から鍵を!? あわわわわ、まさか閉じ込められてしまうとは……!!」
苺苺は顔を蒼白にして打ちひしがれる。
「なぜ気がつかなかったのでしょうか……。きっと若麗様が出発を告げにきた後に、本殿からお人払いをなさったのですわ……!」
(木蘭様やわたくしに悟られぬよう、内密に女官の皆さんたちへ指示を出されていたのですね)
この時間ならば本殿で掃除をしている中級女官たちも、いつのまにかいなくなっている。
朝餉のこともある。彼女たちは若麗から『今日は掃除を早めに切り上げて休憩をとってほしいと、木蘭様からの伝言よ』と聞いて、掃除を中断して外から鍵をかけたのかもしれない。
白蛇妃はすでに外出したとか、別棟の自室で休んでいるとか、言い訳はどうにでもなる。
「……こ、こうなったら窓から出ましょう!」
苺苺はパタパタと走って自分が出られそうな大きな窓を探そうとする。
が、どの部屋の扉も錠前がかけてあり、鍵が閉まっていた。
「な、な、な。全部だめだなんて〜〜〜っ! さすがは紅玉宮の防犯意識です……!」
仕方ないので廊下の小窓の鍵を開けて、「どなたかいらっしゃいませんかーっ!」と力いっぱい叫んでみるも、外には人っ子ひとりいる様子がない。
「もしかして……皆さん、お出かけに……?」
(ありえます。昨日の今日ですし、若麗様が突然『お休み』を言い渡されて……お茶菓子を詰めて、後宮内のどこかに遊びに行かれたのやも……! どうしましょう、この調子では紅玉宮の門も外側から錠前がかかっているはずですっ)
残すは書斎しかない。
苺苺は急いで襦裙の裾をひるがえし、本殿の奥へと引きかえす。
「きっと壺庭からなら……!」
壺庭に面する床から天井までの大きな格子窓は、引き戸になっていて庭に出ることができる。
(高い塀に囲まれてはいるものの、その壺庭をぐるりと回れば、本殿の二階に続く階段があります。楼榭から屋根に降り立って、それで、そこから……どうにかなるでしょうかぁぁぁ!?)
屋根の上なんか歩いた経験もない。
「ううっ、いまさらですが、練習しておくべきでしたッ」
苺苺は急いで壺庭を出て、真っ白な髪をなびかせながら中庭を走る。真珠色のそれは陽の光を浴びてきらきらときらめいて美しいが、反対に表情は『あわわわわ』と聞こえてきそうな必死な形相をしていた、
大袖を翻しながら階段を登って、楼榭の上を走り、苺苺は二階の欄干に勢いよく両手で捕まる。
「ど、どなたか、いらっしゃいませんか〜〜〜っ」
最後の足掻きに叫んで、ぐっと唇を噛み締める。
(これはもう、屋根に降りて、どうにかして紅玉宮の塀に飛び移るしかありません)
「木蘭様の命をお助けするために、わたくしはここに来たのです。屋根くらい……塀くらい越えられなくてどうしますかっ! 女は度胸ですっ! いきますよっ」
苺苺は欄干の前から一度大きく下がってから、呼吸を整え、助走をつける。
「いっ、せー、のー、せいっ!」
そして勢いよく欄干を飛び越え、そのまま屋根の黄瑠璃瓦の上を全速力で駆けた。
まるで鳥になったような気分だ。今ならなんだってできる気がする。
(本殿の屋根から一番近い塀瓦の上に飛び移れたら、こちらのものです! あとは紅玉宮の外に降り立って、全速力で――)
「あっ!!」
つるっと、瓦の上で足が滑った。
今ならなんだってできる、だなんて強めの錯覚に過ぎなかったらしい。
ひやりと五臓六腑が浮かぶ感覚がする。
「おっ、落ち――っ! …………ない?」
「はぁぁぁ。あなたって本当に世話が焼けますね」
苺苺は、いつのまにか宵世の腕の中にいた。どうやら屋根の上から落ちそうになっていたところを、抱きとめられたらしい。
状況を理解して、苺苺は頭上に疑問符を浮かべる。
「へ? 宵世様? どうしてこちらに?」
「あなたが鏡花泉に現れないからですよ。仕方がないから様子を見に来たんです。そしたら屋根から滑り落ちそうなあなたを見つけたので」
宵世は苺苺を横抱きにして、軽々と跳躍し、紅玉宮の塀を越える。
そしてそのまま、人気のない屋根瓦の上を物凄い速さで走り出した。
「ひ、ひえぇ。早すぎです、宵世様っ」
「口、開けてたら舌を噛みます。閉じてください」
「は、はいっ」




