66 紅玉宮の朝餉
「おはようございます、木蘭様。お支度をお呼びいたしますね」
「ああ」
苺苺が扉の閂を外して、部屋の外にいる女官に声をかける。
その姿を木蘭は寝台に座ったまま眺めながら、小さな指先で、眉間にできた幼い顔に似合わぬシワを揉む。
「くそっ。不眠症が解消されたと思ったらすぐ眠く……っ」
――結局、一晩中ここで佩剣し犯人を待ち構えていた紫淵だったが、結局犯人は現れなかった。
あやかしを使役するのなら夜が一番霊力が強まる。
だが、それを押してでも、木蘭を〝異能の巫女〟から切り離したところを狙いたいのだろう。
自分の手を汚さぬために、ギリギリまで粘って仕組んだ美雀を使った策略が潰えというのに、決して勇み足になったりはしない。
時間が押し迫った分、彼女は木蘭を確実に仕留めたいのだ。
『……頃合いか』
紫淵は周囲の気配を探り、長い前髪を搔き上げる。
そろそろ女官たちが起き出す時間だ。今から数刻は安全だろう。
そうして朝陽が昇る前に天藍宮に戻り、紫淵の寝台でぐっすりと眠っていた苺苺を抱き上げて、この部屋へ連れて帰ってきていた。
しかし、朝陽が昇り木蘭の姿になった途端、壮絶な眠気が襲ってきて、ついつい一瞬で意識が飛んでしまっていた。
やはりこの身体は不便だと、こんな非常時にはことさらに実感する。
そんなことを木蘭が思考していると、部屋の扉の外から入室の許可を求める声がしたのちに、彼女がしずしずといつもと変わらぬ様子で綺麗な礼を取る。
「おはようございます、木蘭様。朝のお支度をお手伝いいたします」
「おはよう。頼む」
決して仮面を剥がすことなく貞淑に振る舞い、慎重に一歩一歩確実に詰めていく姿勢は実に見事。
――やはり紅玉宮の筆頭女官に相応しく、肝が座っていてぶれないな。
木蘭は朱家の娘らしい完璧な所作の礼を取る若麗を前にして、すっと冷たく目を細めた。
身支度を整えたあとは、紅玉宮の広間でいつもの朝餉だ。
しかし今回は給仕を行う女官の顔ぶれが違った。苺苺はぱちくりと瞬きをする。
「若麗様が朝餉の席にいらっしゃるのは珍しいですね」
大きな深皿から、海老や貝柱の出汁で作られた豆漿粥をお玉で掬った紅玉宮の筆頭女官に、配膳されるのを待っている苺苺はお行儀よく話しかける。
「昨日の事件の混乱であちらこちらの仕事が滞っておりますので、私がお手伝いに加わったんです」
「そうなのですか。お忙しい中、ご準備していただきありがとうございます」
「いいえ、滅相もございません。私どもは紅玉宮の女官ですから、木蘭様と苺苺様が健やかにお過ごしいただけるように尽くすのが使命ですので、どうかお気になさらずに」
若麗は頼りになるお姉さんらしい優しげな笑顔を作る。
そんな会話の最中も他の女官たちが次々に料理をよそい給仕をしてくれているが、どこか皆元気がない。
木蘭はそんな様子を見るに見かねて、「配膳を終えた料理から下げるように」と言う。
「今日の朝餉は苺苺と妾のふたりでとることにする。皆、早めに朝餉を食べて休み時間をとるように」
そう告げて、広間から早々に女官たちを退出させることにした。
侍女見習いの立場にある年若い中級女官たちは、料理の乗った皿を持って木蘭と苺苺に礼をすると急いで踵を返し、
「わあ、豪華な朝餉だわ」
「木蘭様が私たちの心を気遣ってくださったのですね」
「見て、紅棗と枸杞子がこんなにたくさんっ」
「豆漿粥の色合いってなんだか白蛇妃様みたいでお洒落よね? 美容に良さそう」
「私、この海老の小籠包が食べたいわ! それからこっちの〜」
などと口々に喋りながら嬉しそうに広間を出て、女官たちの私室がある棟に向かって行った。
「若麗も皆と一緒に朝餉を食べに行ってくれ」
「ですが」
「幾つだと思っているんだ。妾とて、朝餉くらい食べられる」
木蘭は栗鼠のごとく頬を膨らませる。
(はわわわっ! 朝からなんて貴重な! 栗鼠ちゃん姿の木蘭様、かわゆいです!!!! 次のぬい様は栗鼠ちゃん姿にしましょう……っ! ぬい様と栗鼠ちゃん様、それから寝衣のあやかしちゃん姿のねむねむ様、きっと並べたら壮観に違いありません……!)
苺苺は両頬を押さえて、めろめろになる。
そんな紅玉宮の妃二人の様子に、若麗は「ふふっ」と吹き出すように微笑んでから、「わかりました」と折れた様子で頷く。
「では先に、本日のご連絡をお伝えいたしますね」
「うむ」
「徳姫様が主催のお茶会は、未の刻までにお集まりをとのことでした。場所は金緑宮ではなく、鏡花泉の東の四阿だそうです。お手土産はどうなさいますか?」
「どうせ次の選妃姫の腹の探り合いをする茶会だ、徳姫が喜びそうな茶菓子でいいだろう。朱州の桃花月餅はどうだ?」
桃花月餅とは朱州の銘菓で、桃花の塩漬けを練りこんで作る、鮮やかな桃色をした月餅だ。
「良いご判断だと思います。それでは準備が整い次第、お支度のお手伝いに参ります」
若麗はそう言って礼を取ると、しずしずと広間を辞した。




