63 天藍宮の逢瀬
「ああ、あれのことか。今夜は君の安全を考慮してここにいてもらおうと思って用意した。枕がないと寝にくいだろう?」
「それは……ありがたいですが、その、なぜに安全を? 紅玉宮でわたくしが置いていただいてる部屋も、十分安全な気がするのですが……?」
「今日、後宮警備を担う宦官の詰所から、あやかし捕獲用の封籠が盗まれた」
紫淵の告げた言葉に、苺苺は驚きで目を見開く。
「美雀の起こした事件の混乱に乗じて、手薄になった詰所に何者かが侵入したらしい。目撃者はいないが、この手口は以前のあやかし……猫魈の時と同じだ」
「なんと!」
「実は『木蘭暗殺未遂事件』が起きた後、東宮侍衛たちに命じて皇太子宮内を徹底的に調べさせていた」
東宮侍衛とは皇太子である紫淵を護衛する武官だ。武官の中でも皇太子の直臣たる青衛禁軍所属になるため、より信頼できる精鋭部隊と言える。
内待省に属し皇太子宮を管轄する宦官に、皇太子宮内に関する報告は常々あげさせていたが、各妃たちの俸禄や食事、茶葉や反物などの下賜品も規定通りに行われていることになっていた。
紅玉宮の主人として目を光らせてはいた範囲では、皇太子宮に上がってくる報告通り。
だが実態はどうだろう。宦官や女官たちは私腹を肥やすために、白蛇妃が正当に受け取るべきものを着服していた。
閉鎖的な後宮内では、宦官による不正や横領もあり信用がおけない。私利私欲のために動く者も、他の皇子や貴族、妃嬪などと癒着して偽の報告をあげる者もいる。
そうなってくると、本来は後宮の門外を護衛する東宮侍衛を介入させることになる。
厄介な体質の紫淵は宵世に指揮権を預け、東宮侍衛長率いる武官たちに事件解明の証拠を集めてもらっていたのだ。
「とはいえ、主要部署は皇帝宮内。皇太子宮側に面する御花園までの捜索がせいぜいだったが、犯人も皇帝宮に罪をかぶせる度胸はなかったみたいだな。その捜査時、盗まれたものとみられる封籠が、鏡花泉付近にある竹林の中で見つかった」
(鏡花泉は水星宮の裏側に広がっています。竹林となると……)
「水星宮とは対角線上に位置する、御花園にほど近い場所でしょうか? 恐ろしい女官の方はそこに道術をかけた猫魈様を隠し、事件当日にあらかじめ籠の封を解いていたと」
「宵世が言うには、相当霊力のある道士になるとあやかしを式符に封じて従妖に下し、無言で命じるだけで自由自在に顕現ができるらしい。だが犯人はわざわざ封籠を用いている。しかも目くらましの呪文が書かれた呪符付きの、だ。これらの証拠から犯人が道術を使う際には呪文や儀式が必要となり、あらかじめ犯行現場を定めておく必要があると考えられる」
「ふむふむ。それで紫淵殿下は、恐ろしい女官の方が今回も同じ手を使われるはずだと……?」
「俺はそう考えている」
紫淵が険しい表情で頷く。
苺苺は寝台にあった枕のことなど忘れて、「それは一大事です」と眉根を寄せた。
昨晩、紫淵と一緒に呪妖を目撃した際、苺苺は女官宿舎のふたつの部屋で、蝋燭の灯りの中に揺れる呪妖の光を見た。
ひとつめは、春燕と美雀の部屋だ。
しかし、呪妖は宿主の周囲にとどまっている様子だった。ということは、あのどす黒い、強烈な殺意を抱いた末に生まれたような呪詛に近い呪妖とはどう見ても違う。
だが、もうひとつの部屋の光は、爛々としていて――。
事件を起こした美雀が捕まった今、疑いは確信に変わっている。
「美雀さんの起こした事件との関連性から鑑みても、そろそろ彼女が手を打つはずです」
「〝選妃姫に臨んだ妃が百日経たずに命を落とした場合、血族を代わりに妃とせよ。百日を皇太子宮で過ごした妃が命を落とした際はすべからく空位とする〟――選妃姫の『八華八姫』に関する規律だ。彼女の計画を遂行するためには、木蘭暗殺は百日以前に行われなくてはならない」
「つまり……明日、ですね?」
「ああ。だから君には今夜、ここで過ごしてもらう。美雀を操って、君の追放も暗殺も失敗した彼女が、君を紅玉宮から消し去るために今夜なにをしでかすかわからないからな」
「わかりました。では明日は何があってもすぐに対応できるよう、しっかり身体を休ませていただきます」
苺苺はその場を辞すために簡略の礼を取ってから、「ですが」と微笑みを浮かべる。
「わたくしは、枕があるのでしたら寝台ではなく長椅子でも大丈夫ですので」
「……は? 長椅子?」
「はい、今夜はこちらでぐっすり眠らせていただきます。長椅子が使用不可であれば、廊下でも、二階の楼榭も結構です!」
「ちょっと待ってくれ。俺の話を聞いていたか?」
「ええ、もちろんです。紫淵殿下は執務が終わり次第、ごゆるりと寝台でおやすみください。明日の木蘭様のためにもっ」
(わたくしが木蘭様と一緒ではないことを好機と捉えられてもいけませんし、今夜は夜警をおやすみして、ぐっすり就寝させていただきましょう。そして明日は全力で木蘭様をお守りするため、ぴったりくっついて過ごさせていただきますっ)
ふんすと気合を入れた苺苺は、紅珊瑚の瞳をごうごうと燃え上がらせる。
(とりあえず、先ほどの枕をいただいてこなくては)
その時。こんこんこん、と執務室の扉が入室の許可を求めて叩かれる。
「入れ」
紫淵が短く答えると、白磁の茶壺と蓋と茶托付きの湯呑である蓋碗を乗せたお盆を手に持った宵世が「失礼致します。お茶をお持ちしました」と慣れた足取りで入ってきた。




