50 宵世の正体
紫淵はそれを受け取って、くまなく目を通した。
(もともと紅玉宮に集められた女官は、なにも名も知らぬ下女や宮女ではない。出生から生い立ちに至るまですべて宵世が厳正な精査を行った、紅玉宮の女官たる素質のある者たちだ)
向上心があり、年齢にこだわらずに主である妃を尊ぶ。
言い換えれば、己の価値を知り、立場をわきまえている者たち。
年上の女官の中には皇后の侍女として仕えていた女官もいる。皇后直属の女官とはすなわち、皇太子宮のどの宮の上級女官だろうが頭を垂れる相手だ。
(ここまでして女官を募ったというのに、紅玉宮内で〝木蘭〟の命を狙う人間が出てくるとは思わなかった)
「……そうだな。相変わらず、怪しい者はいなさそうだ。後宮から出る外出許可もまだ誰も申請していない……となると、後宮内部でなにか取引があったのか?」
「かもしれません。若麗様と怡君様、それから元下級女官の美雀は、もともと皇帝宮の出身です。あちらの後宮に道術をかじった女官がいて、金品を対価にそれを広めていてもおかしくはない」
「つまり犯人の女官本人は、道士ではなく〝使役の術〟だけを行使できるだけの可能性が高いということか」
「ええ」
宵世は強く頷く。
あちらの後宮は魑魅魍魎の巣窟と揶揄されるほど、女の陰謀が渦巻いている。
そこには妃に忠実な女官として暗躍する道士、薬師、調香師、鍼灸師、按摩師、そしてあやかしがいるはずだ。
彼女たちは密かに身につけた技術を武器にして、必ず後宮でのし上がるってくる。
時には愛憎と復讐の末に主である妃を貶め、妃嬪の座を手にするのだ。
(そんな西八宮には、いくら宦官の姿をしている宵世でも入り込みにくい。……それに宵世の顔はの補佐官として認知されすぎている)
皇帝との不和を避けるためにも、西八宮には近づかないのが一番だ。
「女官に術を授けた道士本人を見つけるのは諦めてください。それにしても、あやかしを封じて従属させ、餓死寸前まで追い込んで使役するとは……おぞまし過ぎます。絶対に関わり合いたくない」
「なにせお前はあやかし〝饕餮〟だしな。しかも妖術も使えず、あやかしの気配がわからない、鈍感な」
筆を止めて、完全なる人間の肉体を持つ宵世を見上げた紫淵は、東宮補佐官として有能な宦官――いや、知己の悪友に向けてにやりと微笑む。
「うるさいですよ。僕はこの人間らしい成長する肉体を得るために、最高位の霊力を全振りしたんです。それにあやかしの気配はわからなくても、人間の気配はいくらでもわかります。狼よりも耳が良いですし、狼よりも鼻が利きます」
「それから?」
「暗器も習得しました。僕以外に紫淵様の補佐官を務めるに相応しい人材はいません」
「ははっ、違いないな」
いつもの応酬を繰り広げた悪友たちはくすりと微笑み合う。
(もしここに苺苺がいたら、宵世の正体に飛び上がるほど驚いただろうな。彼女は宵世のことを有能すぎる宦官としか考えていないだろうから)
紅玉宮に苺苺を住ませることになってからの三日間は、わざと豪華な茶会を催して侍女五人を忙しくさせ、朝餉や夕餉から徹底的に隔離した。
呪毒が宿らない安全な食事の時間を作り、苺苺に安心して料理を楽しんでもらうためだ。
(水星宮に対する尚食局の女官と宦官たちの嫌がらせは、すでに調査をした宵世から聞き及んでいる)
報告を聞いた時の紫淵は無表情だったが、「ふぅん?」と彼が相槌を打った瞬間には、怒りで筆が折れていたほどだ。もちろん全員処罰は下した。
(紅玉宮に来てからは苺苺も食事を楽しんでくれている様子なので、なによりだと思う)
そして、ふたりの妃のために給仕に励む女官たちも、自己肯定感や責任感が強くなっているようで、紅玉宮の女官としてさらに誇り高くあろうとしているのがわかる。
これにより、向けられる小さな悪意はかなり減少傾向にあるらしい。
(紅玉宮の女官が抱く悪意を一掃できる日も近いだろう。……問題は八つ刻だ)
たくさんの茶菓子や点心、各州から取り寄せたお茶で、卓子の上は毎日華やかな食器や茶器でいっぱいになる。
そのおかげで苺苺の持参した『龍血の銘々皿』を上手く隠してくれたので、呪毒が宿った食べ物は紫淵でも認知できた。
(呪毒は変わらず宿っているのに、呪靄や呪妖は見つからないというのは、よほどの精神力であると苺苺も唸っていたな)
紫淵も木蘭の姿で五人の侍女をそれとなく見張り、謀の痕跡や暗殺の証拠を得られないかと観察しているが――……彼女たちは、いっそ恐ろしいくらいに静かだった。




