49 天藍宮、紫淵と宵世
確かにこの三日間で、紅玉宮の雰囲気は変わってきていた。
女官たちは皆、苺苺が普通の善良な少女であると気がつき始めている。
「でも正直な気持ちを言わなくてどうするの? 貴姫である木蘭様に進言するのも、私たち侍女の務めだわ。私に後ろ暗いことなんかない。歴史書を見て、ただ堂々と意見を述べているの。侍女としてなにか間違っているかしら?」
「なぜそんな意地悪を言うの……? う、ぐすっ……ひどいわ、姐姐……っ」
美雀はとうとう泣き出してしまった。
年長組が顔を見合わせ、「落ち着いて美雀」となだめる。
春燕は唇をきゅっと噛み締めた。それを見て、鈴鹿が一歩前に出る。
「お、落ち着くのです美雀。白蛇娘娘は春燕の強気な性格、嫌いじゃなさそうなのです」
「そんなことない。うっ、ぐすっ、きっと迷惑してるはずよ。……姐姐。このままじゃ、姐姐の評判も下がってしまうわ。他の女官の皆も姐姐は意地悪ねって、そう言ってたもの」
少女は庇護欲をくすぐる表情で涙をこぼし、心配げに眉をひそめる。
厨房に満ちていた賑やかな空気は、いつのまにか凍っていた。
「――さあ、おしゃべりはここまで」
ぱんぱん、と侍女たちを取りまとめる若麗がその空気を霧散させるように手を叩く。
「そろそろ饅頭を蒸しにかからないと、お八つ刻に間に合わなくなってしまうわ! 餡はできあがった?」
「若麗様、奶皇包と芝麻包の餡はできました」
「芋泥包用もできたのです」
若麗の問いに、怡君と鈴鹿が答える。
「それにしても……木蘭娘娘は最近なぜ鈴鹿たちの手作りを所望されるのです?」
「馬鹿ね、鈴鹿。木蘭様がお気に入りの美味しいものを、お気に入りの妃に食べさせたいからよ」
生地に餡を包み込みながら、春燕が胸を張る。
「幼くして皇后様にも通づる矜持を、貴姫様として自覚されているの。それから、私たち侍女の丁寧な仕事ぶりをご紹介されたいんだわ。はあ……とても名誉なことよ。木蘭様のためなら一日百個だって包子を作るのに」
春燕は唇を尖らせると、「もう、なんで私が白蛇妃の部屋付きなんですかっ」と若麗に再びごねた。
◇◇◇
真夜中、丑の刻を過ぎた頃。
紫淵は自身の本当の住居である天藍宮で、執務机について溜まった仕事をさばいていた。
そばには宵世が控え、次々と書状を渡してくる。
(姚州の治水工事の件か。地質の観点から、山が崩壊し河川が氾濫するおそれがあると何度指摘しても、曖昧で消極的な返答ばかり返すな。国庫から出ている予算を一体なにに使っているんだ)
紫淵は姚州の官吏から送られた報告に苛立ちながら、筆を持ち、硯の中の墨につける。
病弱な皇太子という設定の紫淵の執務は、こうしてほとんど書状でのやり取りで行われている。
書状だと面倒な面会や挨拶はないし、執務時間もある程度自由がきく。
(後宮に入るまでは木蘭の姿になってもここで執務をしていたが、幼い身体での執務はすぐに疲れがたまるし、筋力のせいか手が小さいからか筆を走らせる速度も遅くなるしで、思うようにはいかなかった)
そして後宮に入ってからは、それはもう酷い有様だった。
なにせ女官がうろうろしている時間帯に紅玉宮へ執務を持ち込むわけにはいかない。
元の姿に戻れない日々が連日続く時は宵世に頼んで隠し通路を開いてもらい、真夜中にこっそり紅玉宮の寝室で執務を行う夜もあった。
不眠症も重なって、睡眠不足でふらふらになる日もざらにある。というか、そんな日ばかりだ。
(だが今はどうだろう)
苺苺が形代を作ってくれてからは、すこぶる体調がいい。
あの日から夜になると紫淵本来の姿に戻れるようになったし、維持できる時間も長くて助かっている。
「そういえば宵世はいつ眠っているんだ? 昼間もここの管理をして、空き時間には調査に出かけて、夜だってこうして俺の手伝いをしているだろう」
「僕たちに睡眠はあまり必要じゃないので。まあ紫淵様が来られる前に少し仮眠を取りましたが。ですが変な疲れが取れませんね。正直、道士には関わり合いたくないですよ」
はあ……っと宵世は特大のため息をつく。
そのまま紫淵が書き終えた書状を受け取り、墨を乾かすために他の机に移す。
「一応、道士の血筋や近しい関係者がいないか、紅玉宮の女官たちの経歴を洗ってみました。ですが、それらしい人物はいなかったです。若麗様なんて朱家の出身ですし、この血筋に関しては紫淵様の方がご存知の通りです」
「よければ今ご覧になります?」と、執務にひと段落ついた紫淵へ、宵世は調査資料を渡した。




