31 燐火
思わず静止の言葉が木蘭の口をついたが、鎮火活動を行う苺苺には聞こえていないみたいだ。
そうこうしているうちに、青紫の炎が苺苺の手のひらの上に移る。
底知れぬ不気味な美しさを持つ炎は、しかし踊るように揺らぎ、「ふっ……」という苺苺のひと息でたちまちに消えた。
まるで、命の灯火が消えるみたいに。
「……それは、なんだったんだ?」
「先ほどの青紫の炎は、いわゆる燐火ですわ。元気に燃え盛っておりましたが、ああ見えて見た目だけなので触れても熱くはありません」
「……あれが、燐火」
「その、木蘭様が手にされた時に、円扇に封じられる悪意の限界がきたようです。普段はその時期を見極めて焼却するので、このようなことは初めてで……!」
(もしかしたらご本人が触れたからでしょうか。今後は気をつけなくては……!)
骨組みだけになった円扇の残骸を手に、苺苺はおろおろとする。
「悪意が純度を増したものである燐火には、人間にとって有毒な瘴気が含まれております。他者から向けられた悪意自体は封じられて祓われたあとですが、あのように燐火になると、異能を行使して鎮火しなくてはいけません」
(書物には【出来る限りしてはいけない】と、先代のどなたかの走り書きがありましたが)
それでも今までの人生で二度、燐火を発生させてしまって鎮火した経験があった。今回で三度目だ。
一度目は修行中の身で、異能を操りきれずに。
二度目は七歳の時らしいが、派手に昏倒したせいか、その年は丸々記憶がない。
しかし今回は今のところ体調に大した影響が出ていないので、肉体が成長するとともに異能の力も成長しているのかもしれない。思わぬところで自分の成長を実感する苺苺である。
「なるほど。すごいものを見た。それが、苺苺の異能の一部なんだな」
「はい。こちらは一応、わたくしが回収させていただきますね。七つまでは何が起きてもおかしくはありませんから、木蘭様は触れられないようになさってください」
と苺苺は円扇の残骸を大袖の中へしまう。
それに異能の術を使った証拠が残っていては、木蘭以外にバレた時に面倒になる。
「すまない、せっかくの大作を」
「いいえっ。これでまた、木蘭様を想って新しい図案を考える楽しみができましたわ!」
(はぁぁぁっ、想像力が掻き立てられます……っ)
「次の作品では木蘭様の初夏の装いにぴったりの図案を考えますから、ぜひ贈り物にさせてくださいませっ。あああ、そうですわ! 先日、わたくしの実家から朱色の絹が送られてきましたの。良かったら破魔の衣裳も作らせてくださいまし……!」
王都の市井で行われている推し活では、推している演劇一座や演者本人に宛てて熱心に贈り物を送ったり、姿絵を購入して間接的に貢いだりすると聞く。
全力で推し活をしてきた苺苺だが、〝白蛇〟の冠をいただく最下級妃という立場上、最上級妃への贈り物だけは許されなかった。木蘭に媚びたい他の妃たちに牽制されていたためだ。
(こんなに全力で推しに貢げる絶好の機会……逃しません!)
「衣裳は……燃えるのか?」
「破魔の衣裳は、悪意を寄せ付けないために特別な技法を用いて縫う衣ですので、燃えませんわ。ご安心ください」
「そうか。では、いつか貰えたら嬉しい」
眉を優しく下げて、可愛らしい幼妃が目を細める。
(あっ、あっ。この限りない喜びを、木蘭様推しのみなさまと分かち合えたら、どんなにか……っ。そうですわ、あとから若麗様とお話できないでしょうか!? 若麗様は木蘭様の筆頭女官ですし、絶対に木蘭様推しですわよね!?)
後宮妃で推し活をしているのは奇特な苺苺くらいだが、女官には嗜みとして浸透している。
女官たちの推し活は妃を慕って尽くしたり、他の妃を推す女官と応援合戦や代理戦争をするもので、市井の推し活文化も取り入れた木蘭様過激派の苺苺とは若干推し活の方向性が違うのだが――それを知らぬ苺苺は、若麗との楽しいやりとりを想像しながら、『若麗様とお話するのが楽しみですわ』と微笑んだ。
「はっ! わたくしとしたことが、話が逸れてしまいました。……こほん。木蘭様が眠れなくなっている原因は、呪靄によるものでしょう。呪靄はわたくしが刺繍の手を止めてしまうと祓えませんので……おそらく、木蘭様は夜中にも悪意を向けられているということになります」
「夜中にも、悪意が……?」
「ええ。まさか木蘭様が不眠に悩まされているとも知らずに、わたくし、亥の刻から日の出まで、ぐっすりと就寝しておりました……。一生の不覚です……っ」
苺苺はきゅっと両目を瞑って、心の底から悔しがる。
悪意を勝手に収集し封じ込めて祓う形代――ぬい様は、昨日の昼に完成したばかりだ。
(それまでは破魔の術である刺繍しか、木蘭様に向かう悪意を祓うすべがありませんでした。だというのに白蛇ちゃん抱き枕を抱いて、すぴーっと穏やかに就寝していただなんて……っ!!!!)




