大男の忠誠心が厚すぎる
リゼットを引き剥がし、正気に戻ってもらったところで突然、ドアが内側から押し開かれた。
強風が吹き込んだようにカーテンが揺れ、ゴトリと机上のカップが震える。
入ってきたのは、まるで岩山が歩いているかのような巨体だった。
肩幅はドアの枠ギリギリ。天井に髪が触れそうなその男は、鎧のような筋肉を揺らしながら、ずしん、ずしんと地鳴りのような足音でこちらに向かってくる。
「失礼しますッ! ラグナル・ブラストハート、本日も! シン団長のご尊顔を拝するため参上いたしましたッ!」
その声だけで、窓がわずかに揺れる。
「お、おう……声でかいよ、ラグナル。耳が破裂しそうだ」
「申し訳ありません! シン団長の、あまりの凛々しさに、感極まってしまいましたァアアア!」
ラグナルはその場にがしんと膝をつき、右拳を胸に当てる。
それは騎士の敬礼というには荒々しすぎるが、本人は至って真剣。
ただの忠誠心などではない。もはや信仰があった。
「いずれ世界が、団長の真の偉大さにひれ伏す日が来るでしょう! 私はその礎となりましょう! この命、この筋肉、この魂――惜しみません!」
どこでスイッチが入ったのか、彼はひとり演説を始めていた。
「お疲れ様です、ラグナル。本日の掃除は終わりましたか?」
静かに割って入ったのは、すっかり落ち着きを取り戻したリゼットだった。
「もちろんですメイド長! このラグナル、一片の埃も残さず焼き尽くしました!」
「ありがとうございます。それでこそシン様の臣下です」
「ははっ!」
当たり前のように言葉を交わす二人だが、いつの間にリゼットがメイド長になっていて、ラグナルが俺の臣下になっていたのか。
そしてリゼットよ、ラグナルに仕事を押し付けないでくれ。
「ええと……ラグナル、掃除ありがとう」
お礼を言うと、彼は場合によっては賊と間違われそうな迫力のある顔を綻ばせる。
「団長にお褒めいただけるなんて……っ! 恐悦……至極の極みッ……!」
とりあえずめちゃくちゃ喜んでるのは分かった。
「今日はもうやる事もないし、適当に時間潰してくれていいからね」
できれば静かに、と内心で願う俺をよそに、彼はグッと胸を張る。
「そういうわけにはいきません! このラグナル、団長のためなら、どのような苦難をも乗り越えます! 灼熱の火山を泳ぎ、氷海を裸で渡り、天上の竜を素手で討ち取る所存ですッ!」
やめてくれ、近所迷惑だ。
リゼットは涼しげな顔をしているが、耳を塞ぎたいほど声がデカい。
今の俺にとっては君が苦難なんだよ、ラグナル。
ふと、俺はリゼットに視線を送った。
「なんとかしてくれ」の念を込めて。
リゼットは静かに頷くと、一歩前へ出て、ふわりと笑った。
「もうやることがないのでしたら――」
ラグナル的には、自分よりもリゼットの方が格が高いらしいし、きっと聞いてくれるはず。
今日のところは帰れと言ってやってくれ。
「――シン様との出会いなど、今一度語ってみてはいかがでしょうか」
なんでだよ。
「おおおおっ!! そうするとしましょうッ!!」
俺の叫びは、筋肉の歓喜にかき消された。
ラグナルの背後で、ヒーリングゴーレムが「にゃあ」と鳴いた。
「そう、あれは私の人生の中で最も感銘を受けた出来事――」
おい、さっそく回想が始まっちゃってるぞ。
しかも「人生で最も」は言いすぎだろ。
金を数える時くらい丁寧に考え直してみてくれ。絶対もっと感動したことがあるから。
だが、俺の願いも虚しくラグナルは――彼が一月前にギルドに加入してから幾度となく語ってくれた――昔話を始めた。
「かつて……私はある国で騎士団長を務めておりました。この街フェルナスから遠く離れた国で」
筋骨隆々のラグナルだが、かつてはさらにその上に黒鉄の鎧を纏い、槍を手にして戦場を駆けていたという。
想像するだけで、地響きがしそうな威圧感だ。
「私は、民を守るため、国に尽くすことを人生の矜持としておりました。血を流すことも厭わず……それが騎士の道だと信じていたのです」
だが、ラグナルはそこで言葉を区切った。
次の言葉が重く、喉に詰まるのをこらえているような、そんな間だった。
「……ですが、国は理想だけでは回りません。次期騎士団長の座を巡る政争の中、私は罪なき冤罪を着せられました。敵国に通じていたと――でっちあげられた罪状です。仲間と思っていた者に裏切られ、すべてを失い、奴隷として隣国に売り飛ばされたのです」
毎回、昔話の入りが可哀想すぎるんだよなぁ。
「……奴隷の身分となった私は、魔術の使用を封じる鉄枷を嵌められ、地下の戦闘闘技場に送られました。そこでは、命を賭けて戦わなければ、生きて明日を迎えることはできなかった」
そこまで語ったラグナルは、拳を強く握る。
そして、ふっと笑った。
「奴らは見世物がほしいだけでした。殺し合いが見たいのです。ですが、私にはもはや生などどうでもよかったのです。これまで尽くしてきた国に、全てに裏切られた今、生きている意味などないと。そうして、私は死ぬつもりで、あの日を迎えたのです」
ですが、とリゼットが言葉を続ける。
「――そこで運命の出会いがあったのですね?」
あったのですね? じゃないわ。




