一閃
どのくらい逃げ回っていたのだろう。
薄闇が大通りを包み始めた頃、俺はようやく足を止めた。
「……ほう? ついに逃げるのを諦めましたか」
すぐ背後、瓦礫の上からゆっくりと降り立ったのは、盗賊団の首領。
外套を翻しながら、品のない笑みを浮かべている。
顔に目立った疲労はないが、目の奥だけは苛立っていた。
「いったい、どれだけ逃げるつもりだったんです? あなたがこれほど足の速い男だとは……いや、狡猾と言うべきですか」
「……まぁ、それなりに鍛えてはいるからな」
馬車と並走させられたりな。
俺のいる大通りには、もはや人は残っていない。
しかし、遠くからはまだ断続的に悲鳴が聞こえる。
「この場に残るということは、少しくらいは戦うつもりになったと見ていいんですよね?」
首領が口元を吊り上げ、杖の先を地面に軽く打ちつける。
瞬間、空気がきしむような音を立て、地面から紫の線が走った。
(速い――!)
咄嗟に横跳びで距離を取る。
直後、さっきまで俺がいた場所に、何かが突き刺さるような衝撃音。
煙の中で視認はできないが、空間ごと削られるような感覚が肌をかすめた。
「……いきなりだな」
「ええ。私はもう、あなたの顔を見たくありませんので」
額にじわりと汗がにじむ。
今の一撃、ただの牽制じゃない。
俺のステータスが上がっていなければ、あれで終わっていた。
首領はゆっくりと歩み寄ってくる。
威圧ではなく、余裕を見せる歩調。追いかけるまでもないという態度。
(さっきの術……杖の先で魔術を起点にしてた。なら――)
今度は俺から動く。
首領の間合いの外側から、足場を跳ねて一気に踏み込む。
そして、相手に隠すように短剣を取り出す。途中で盗賊から奪い、隠し持っていたものだ。
その一撃を首領は――杖であっさり受け止めた。
「……ぬるいですね」
杖の反対側が槍のように押し出される。
「ぐっ……!」
腹に重たい衝撃。吹き飛ばされ、石畳の上を転がる。
短剣は手から離れ、転がった先でカランと鳴った。
――まだか?
「この程度? あなたが団長の座に就いている理由が分からない」
「……実は俺は、働く気はなくてね」
立ち上がり、距離をとる。
「俺は、お前たち盗賊は馬鹿だと思うんだよ」
「……なんですか?」
首領が疑問を露わにする。
「お前達は、何のために盗むんだ? 金のためか? 名声のためか?」
「もちろん金に決まっているでしょう。金で買えないものはない。金で動かない人間はいない。全て金なんですよ」
「なら、冒険者でもやれば良いじゃないか」
俺の言葉に、首領は僅かに眉をひそめた。
「金が欲しいなら、別に人殺しをする必要も、盗みに入る必要もない。今の時代、ギルドを設立すれば助成金が出るんだよ」
俺は首元の砂を払い、軽く息を吐く。
「初期費用は必要だが、ギルドを設立すれば一定期間毎に金がもらえる。役所っていうのは案外騙しやすくてな。俺みたいに働く気がない奴にも金をくれるんだよ」
よし、食いついてる。
「しかも、その辺の薬草採取の依頼を受けるだけで、キチンと活動しているとみなされる。当然、実績を積んでいけば名声も自然についてくる。自由と金が両立する、悪くない仕組みだと思うけど?」
首領の口元が、ぴくりと歪んだ。
「……馬鹿にしてるのか?」
「事実を言っただけだよ。要するに、お前らが盗賊なんてことやってるのは――そういう制度を知らない、もしくは活かせない、馬鹿だからだって話」
わざと「馬鹿」の部分に重みを乗せて言ってやると、首領の目が一瞬だけ険しくなる。
その反応を見て、俺は内心でほくそ笑んだ。
首領はわずかに顎を引き、吐き捨てるように言った。
「制度がどうとか、金の話とか……私に言って、何の意味がある?」
「あるさ。お前がここに居続けてくれれば、俺は助かる」
「助かる……? 誰かが助けが来るアテがあると?」
俺は緩く笑って、続ける。
「いや、アテはあるっていうか……」
逃げていたのは、ただ生き延びるためではない。
「……ちょっと、居酒屋に入り浸ってそうな、呑んだくれの爺さんを待っててな……待ってるんだけど……」
俺は言い淀みながら背後を見やる。
誰もいない。だめだこりゃ。
「……あーもういい。呼んでくるわ」
「…………は?」
「すぐそこだから! 待ってろ!」
「敵に背を向けて何を――!」
首領の声を背に、俺はさっさと踵を返して歩き出す。
攻撃してくる気配はない。
さすがに何か罠でもあると思ったのか。
俺の方も、目的地は目と鼻の先だ。
まだ火が灯っている、場違いにのどかな居酒屋が一軒だけ営業していた。
いや、中を覗いてみるとすでに店主や客は避難していて、カウンター席の一番奥。
酒瓶と盃がいくつも転がったテーブルで、男がただ一人、足を組んで座っていた。
鋭さを隠しきれていない目つき。傍に置かれた刀。
手には盃を持ち、くつろいだ様子でこちらを見てくる。
「…………」
「…………」
見つめ合う。数秒の沈黙。
俺は歩を進め、カウンターの端に手をついた。
「ローヴァンさん」
「おう坊主、飲むか?」
「飲まないです。いや、外の状況、分かってますか?」
ローヴァンさんは外を覗こうとするが、奥からでは何も見えない。
「まぁ、盗賊が暴れ出したってんで、坊主達が解決に当たってんだろ」
「そうなんですよ。どうして助けてくれないんですか」
「いやいや……人間じゃ相手にならないラグナル殿に、坊主よりも将来性のある兄妹に、暴走気味のお嬢様だ。俺がここで酒の飲み比べをしてたって、負ける要素はねぇだろ」
「俺には! あるんですよ!」
あと、俺より将来性があるは余計だ。身をもって知ってるからな。
「見てくださいよ、こんなに血塗れなんですよ?」
「そりゃあそうだが……お前さん、ほとんどわざと殴られてんだろ、これ」
これだから強者は困る。
何をどうしたら見抜けるんだよ。
ローヴァンさんはもう一杯、盃を満たそうとする。
俺はそれを奪い、カウンターの端に置いた。
「……はぁ」
「ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんです。終わったら、また飲み比べてください」
「まぁ、ここの代金は踏み倒せそうだし、その分の仕事はしてやるか」
無駄なやりとりを終えて、ローヴァンさんがようやく立ち上がる。
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