同調2
セレスの脳裏に、嫌な予感が走る。
「ちょっと試してみよっか」
唐突に、同調が視線を落とした。
その先にあるのは、倒れた店先から転がり出てきた一本の棍棒。先端が鉄で補強されている、路地裏のチンピラが好んで使いそうな武器だ。
彼女が足を動かすと、セレスも同じように進む。
そして、同調はしゃがみこみ、棍棒を掴むような素振りした。
実際には拾っていない。
なぜなら、棍棒が落ちていたのは同調の対面――セレスの足元だったからだ。
武器を手にしたのはセレスだった。
「あらお嬢さん、武器とか使うんですね?」
同調がケラケラと笑う。
(な……何を……?)
まるで操られるようにセレスの手が棍棒を掴んだ。
自分の意思ではない。だが、動きだけは完璧に自然だった。
感触は確かで、鉄と木が混ざった冷たい質感。重み。重心。握りの粗い形状。
手が引き戻され――振り上げられる。
「まさか……!」
棍棒が、自らの腹部に向かって振り下ろされる。
鈍い音が鳴る。布越しに腹筋へ衝撃が直撃し、肺が空気を吐き出すように縮こまる。
「ぐ……ふっ……!」
セレスはその場に膝をつき、棍棒を手から離す。
だが、衝撃は確かに残っていた。内側から吐き気がこみ上げ、視界が数瞬揺れる。
「ふふっ……ねぇ、分かった?」
ゆっくりと立ち上がった同調が、指を立てながら微笑む。
「これが私の能力。《同調》――私の動きを、相手に模倣させる。ねぇ、痛いでしょう?」
彼女は首を傾げて笑う。
同じように、セレスも首を傾げる。
「ちょっと理不尽だけど、すごく便利な能力だと思わない?」
セレスは俯こうとするが、身体が動かせない。
まだ息が整わない。
意識ははっきりしているが、芯が震えていた。
「確かに、便利な力ですわね……」
またしても同調が一歩足を踏み出した。
セレスの足も、無意識に前へと動く。
(……身体が……勝手に……!)
同調が大きく振りかぶるような素振りを見せる。
セレスの身体も、持っていた棍棒をもう一度振り上げて――自分の肩を殴りつけた。
「く……っ!」
鈍い衝撃。痛み。身体がぐらつく。
棍棒が滑り落ち、ガラガラと地面を転がった。
「ふふっ、自分で自分を殴ろうとしても、どうしても力を弱めちゃうじゃない? でも、これなら存分に味わえる。殴られる側の痛みがね」
追撃のように、同調は拳を握った。
セレスの身体も反応するように拳を作る。
だが、それは自分の頬へと――顔が横に跳ねる。ドレスの裾が揺れるほど強烈な張り手だった。
セレスは二、三歩よろめくが、すぐに行動を支配されてしまう。
「おやめ……なさい……っ!」
「えぇ、止めないよ? だって、もうすぐ終わるんだから」
セレスは胸元に手をやり、何かをつまむような素振りを見せる。
だが、彼女は何も持っていない。
今度の動きはセレスに何かさせるためではなく、同調がトドメを刺すための動きだった。
短剣。細身で鋭い、装飾のない簡素な凶器。
同調はそれを手の中で軽く回すと、口元に笑みを浮かべる。
「じゃあ――これで、とどめね」
ひゅっ、と風を切る音。
短剣が同調の手から離れる。
そして、セレスの胸元めがけて一直線に飛んでくる。
避けられる心配はしなくて良い。
ただ、同調がそのまま立っていればいいだけだ。
それだけで短剣は、セレスの心臓へと――。
「……え?」
鋭い金属音と共に、セレスの右手が短剣を受け止めていた。
血が滲んでいた。確かに刃は指を裂いていた。
けれども、止まっていた。
「え、ちょ、うそ……」
同調が驚愕の声を漏らす。
セレスはその手をゆっくりと持ち上げ、顔を上げる。
頬に赤い跡が残っていた。口元からうっすら血が流れていた。
しかし、高貴に笑っていた。
「自分で自分を攻撃する。とても貴重な経験でしたわ!」
「ど、どうして笑ってるの……? 私の能力を、どうやって……」
「どうやってと言われましても、そんなの――」
セレスが姿勢を正す。
先ほどとは違う。力任せではない、重心を制御した者の立ち方。
その動きは優雅で、凛としていた。
そして、その動きに――今度は同調が合わせていた。
「力ずくに決まってますわよね〜!」
右手に握られた短剣の血は、すでに止まりかけている。
その手をゆっくりと掲げ、セレスはゆるやかに一歩を踏み出した。
「……あれ?」
同調は眉をひそめた。
能力の解除ができない。相手の動きに合わせるしかない。
セレスは身体を反らす。優美なアーチを描くように、背筋を曲げ、腕を弧を描くように流す。
舞台の主役が観客の視線を惹きつけるような、優雅な踊りの型。
同調もまた、セレスの動きに合わせて姿勢を強制される。
だが、彼女の身体はその可動域に適していない。
「……な、なに、これ……。ちょっと、変な体勢なんだけど……!?」
「あなたの戦い方には熱が、優雅さが足りませんの! なので、わたくしが教えて差し上げますわっ!」
セレスは更に両腕を大きく旋回させ、もう一歩、踏み込む。
華やかで無駄のない動き。それに合わせ、同調の身体はまたしても引きずられるように真似をさせられる。
「安心してくださいな。わたくし、実は貴族というやつですのよ!」
「そ、そんなの最初から――いたたたたっ!?」
結果は明白だった。
彼女の身体は、その「優雅さ」に耐えられない。
セレスは地を蹴る。踏み出し、回り、足を流し、手を掲げ、首を傾け、踊るように前進する。
そのすべての動きに、同調の身体は否応なく従う。
「無理無理! 無理だって! 関節が、外れ……ッ!」
パキッという音がどこかで鳴る。
優雅な旋回が同調の背筋に悲鳴を強要する。
「も、もう……やめてっ……」
同調は半ば崩れ落ちるように膝をついた。
だが、セレスの動きは止まらない。
今度はしなやかに、くるりと身体を回転させ、ぴたりと正面で止まる。
「……もう満足ですの? お上手でしたわよ、ほんの少しだけ」
セレスはくるりとスカートの裾を翻すと、手を胸元に添えて言った。
「さて。それでは最後に――殴り合いを教えて差し上げますわね?」
「は……?」
呆けたような声が漏れるが、もう遅い。
セレスは次の瞬間、姿勢を低くして一気に間合いを詰めた。
それは先ほどの優雅さとは一線を画す、洗練された実戦の所作。
風を切る音。セレスの右ストレートが、同調の頬を真っ直ぐに打ち抜く。
「ぐっ――!?」
もんどり打つようにのけぞる同調。
だが、まだ能力は解除されていない。
セレスが拳を引けば、同調も構える。
「いきますわよ〜っ!」
互いの拳がほぼ同時にぶつかる。
どちらも同じ握り方、同じフォーム、同じ速度で拳を放っているにも関わらず、同調のそれだけが悲鳴をあげていた。
「そうそう、こうして向かい合って殴り合うのも、心の通い合いって感じで素敵ですわよねっ!」
「おま……なに言って……っ!」
同調の拳がセレスの頬を掠める。
だが、セレスの拳は頬へとめり込んでいた。
二人の距離はわずか数十センチ。
至近距離での反復横跳びのような殴り合い。
いや、実際には一方的だった。
同調の拳は徐々に弱くなり、セレスの拳だけが鋭さを増していくように見える。
「ねぇ……もう、やめ……っ」
「何を仰いますか! もうすぐ、わたくし達は分かりあうことができるのですよ!?」
貴族が発するとは思えぬ打撃音が大通りに響く。
「さぁ、メインディッシュですわ!」
「うぐっ……も、もう、勘弁してっ!」
同調の願いが一部分だけ天に届いたのか、彼女の身体の主導権が自分に戻ってくる。
ようやく、自らの足で地を踏み締めている感覚が蘇る。
だが――。
「――あっ」
セレスは止まらない。身体を捻り、拳を握り直し――。
「お喰らいあそばせっ!」
右のジャブが同調の頬を揺らす。
左のアッパーが顎を突き上げ、その勢いのまま右拳を腹部へ叩き込む。
セレスの連撃は終わらない。今度は肘打ち。休む暇を与えず顎を狙い、同調の頭がぐらつく。
続けてターンからの回し蹴り。
連撃。連撃。連撃。
拳が風を切る音が連続し、衝突音が交じって響く。
「フィナーレですわよ〜っ!」
右のフックからの左拳。真っ正面から鼻先を打ち抜く。
同調の脚が折れるように崩れ落ちる。
地面に手をつく間もなく、そのまま横倒しに倒れた。
セレスは一歩後ろに下がり、息を整えながらスカートの皺を叩いた。
「ふぅ……あなたの能力、良い負荷になりましたわ!」
返事はない。
同調は白目を剥いたまま、意識を完全に飛ばしていた。
と、その時。偵察に出ていた執事が戻ってきた。
彼はセレスの様子を見ても心配すらせず、自らの報告を始める。
「――お嬢様、シン様を発見しました」
「あらあら、それは良かったですわ! わたくしたちも向かいますわよ〜!」
晴れやかな笑みとともに、セレスはゆっくりとその場を後にした。
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