毒沼ブラザーズ5
矢継ぎ早の突き。
怒りに身を任せた動きだが、その速度と威力は侮れない。
「どきやがれッ……! 兄弟をやった奴を、生かしておけるわけねぇだろッ!」
レオンは一度後ろに跳び、束の間の休息を試みるが、ゼーレは躊躇なく追ってくる。
その目は血走っており、呼吸も荒い。
さっきまでの余裕はもうどこにもなかった。
「落ち着け。お前の兄弟は死んでない。シンさ――団長が誰も殺すなって――」
「黙れッ!」
再び短剣が振り下ろされる。
しかし、その軌道は単調で、怒りに飲まれている分だけ隙が大きい。
「お前ら片方……絶対に殺してやるッ!」
「こっちが片方倒したからって、そっちも真似する必要はないだろ」
「あるんだよッ! 片方が危ない時に助けるのが兄弟だって、お前が言ったんだろうがッ!」
レオンは、ゼーレの怒りを正面から受け止めようとはしなかった。
その代わり、冷静に全てを受け流していく。
今のゼーレは、自分の動きを支えていた地の利――毒沼の中からの奇襲という戦術を自ら捨てていた。
(正面からの戦いなら、こっちの方が有利だ)
ゼーレは距離を詰めると同時に、左右へと動きながら切りかかってくる。
だが、レオンはその全てに剣を合わせた。
一つ一つの動きに、迷いも焦りもない。
対するゼーレは、何度剣を弾かれても、食い下がるように斬りかかってきた。
「兄弟とは絆の深さだ! 血が繋がってることは関係ねぇ! 俺たちを煽ったことを後悔させてやる!」
「……そうやって、感情だけで突っ込んでくるなら――」
斬撃を避け、回して、受け流す。
そのリズムを何度も繰り返すうち、ゼーレの攻撃が微かに、鈍くなっていった。
(動きが崩れてきてる)
両者が気付いた。
このまま戦いを続けていれば、勝つのは年若き冒険者の方だと。
「クソクソクソッ!」
敗北への恐怖心が思い出させたのか、ゼーレは跳躍して高く飛び、毒沼へと戻ろうとしていた。
「――待てっ!」
一手遅れて剣を振るうレオンだったが、間に合わない。
「逃げられた……!」
毒沼は、ゼーレにとって第二のフィールドだ。
そこに戻られれば、また先ほどのように――いや、それ以上に危険な状況。
イーリスは自分の解毒で精一杯で、光の床を出している余裕はない。
だが、彼女と同じく、毒沼ももう完全な状態ではなかった。
広がっていた毒沼は、戦いの激化とともに徐々に縮小しはじめていた。ダリオが戦闘不能だからだ。
(……もう泳げる範囲が、ほとんど残っていない)
レオンも気が付いた。
毒沼の中心。そこはすでに、まともに人ひとりが姿を隠せるほどの広さすらなくなっていた。
つまり、あと一分も経てば、ゼーレは飛び出してこさざるをえない。
詰みも同然。レオンは、静かにその時を待っている。
ドロリとした液体の底。
視界は暗く、しかし流れははっきりと感じられる。
ゼーレは毒沼の中で、薄く目を開けていた。
(――駄目だ。狭すぎる)
泳げるはずだった毒沼は、すでにほとんど残っていない。
ダリオが倒されたことで供給される魔力も断たれ、毒沼はもはや死にかけている。
(だが……何も心配はいらねぇ)
ゼーレは笑みを浮かべ、その手を毒沼の外へと伸ばす。
(――毒沼以外でも、俺は泳げる)
これは、毒沼ブラザーズの二人だけが共有している秘密。
ゼーレの能力は「毒沼潜り」ではなく「地面潜り」。
その名の通り、あらゆる地面に潜り、泳ぐ事ができるのだ。
毒沼ブラザーズという呼び名に愛着はあれど、元々は、毒沼の中だけで動けるように見せかけて、油断させるための罠だった。
『はぁ? お前が俺の相棒? 誰がこんなダセェやつと……邪魔だけはすんじゃねぇぞ!』
『……助かったぜ。お前の毒沼、めちゃくちゃ頼りになるじゃねぇか』
『――そうだ。お前が広げた毒沼も、俺なら泳げる。二人の能力を組み合わせれば最強なんじゃねぇか?』
『あぁ、俺たちは今日から、毒沼ブラザーズだ!』
どちらが兄でも、どちらが弟でもない。俺たち兄弟には似合わない尺度だ。ゼーレは思い、地面に転がるダリオのことを考えて、胸が張り裂けそうになる。
(毒沼がダメでも、地下であれば潜れる。岩でも、硬い土でも、どんなものがあっても。水と違って時間はかかるが……)
今はそれで十分だ。
毒の粘液からわずかに離れた硬い石畳の下へ、ゼーレの身体が適応していく。
魔力をまとった粘液が、細かく土を分解していくように、身体を少しずつ地中へと滑り込ませていく。
(――背後を取る。今度こそ、確実に仕留める)
暗く、冷たい地中を、ゼーレは感覚だけを頼りに移動した。
地中を泳ぐ術は完璧に習得している。息苦しさもなければ、視界の悪さも問題ではない。
目的はただひとつ。
レオンの真後ろへと回り込むこと。
(兄弟は、助け合う。そう言ったのは、てめぇの方だ)
取り乱したかのように見えたのも、がむしゃらな攻撃も、全てゼーレの演技だった。
毒沼が無くなれば外に出るしかない、という錯覚。
正面からの戦いでは自分に勝つことができない、という油断。
次の一撃のために、ゼーレは幾重にも策を巡らせていた。
疲弊している妹の方はどうにでもなる。
ただ、兄の方は確実に始末しなければ。
石畳の真下から、ゼーレの手が伸びる。
目の前にあるのはレオンの足首。刃の届く距離だ。
(殺す……!)
土を突き破る勢いで、短剣が振り抜かれた。
――だが、手応えがない。
確かにそこにいたはずの標的が、存在していなかった。
「な――」
地面を割って顔を出したゼーレの目に映ったのは、光だった。
視界が焼き付くほどの白。
「……ふぅ。危ないところだった」
レオンの声。
ゼーレが気づいた時には、もう遅かった。
自分を見下ろす青年の掌には、緻密に構成された魔法陣が回転している。
「舐めたこと言ったら引き摺り込んでやるからな、毒沼『とかに』よ……そう言ってたんだ。もしかしたら、毒沼以外にも潜れるんじゃないかって」
失言。ゼーレの顔が青ざめる。
自らの能力のヒントを、怒りに触発されて零していたのか。
「もちろん、それだけじゃ命を賭けるには弱い。ただ……俺の団長が教えてくれた。勝ったと思った時こそ油断しちゃいけない」
眩い閃光が地面を這うように炸裂し、ゼーレの全身を貫いた。
熱と衝撃が脳を突き抜け、意識が遠のく。
(なるほど、三兄妹……いい兄貴が、いるじゃ、ねぇ、か……)
静寂の中、レオンはゆっくりと剣を下ろす。
辺りに毒の気配はほとんど残っていなかった。
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