二手
鎧を身に纏った大男。
明らかに一般人ではない彼は、破壊された屋台の下から、泣きじゃくる子どもを片腕で引き抜いた。
「もう大丈夫ですッ! さぁ、筋肉でしっかりと抱いてくださいッ!」
地面にしゃがみ込んだ母親へ、子を引き渡す。
女性は涙を浮かべながら、震える手でラグナルの前腕に触れた。
「す、すごい筋肉……!」
「いえ、それほどでもありません。これは日々の積み重ねッ! 私を導いてくださるシン団長のお陰ですッ!」
騒ぎの絶えない通りの中で、ラグナルは肩を回し、広場のほうへ目を向けた。
あちこちで盗賊たちが略奪を行っている。
レオンたちがどこかで動いている気配もあるが、広場周辺にはいない。
「さて……団長の言う試練とは、どのような筋肉的意味合いなのか――」
「筋肉では語れないものもありますよ」
ラグナルが振り返ると、通りの端、瓦礫の上に一人の男が立っていた。
やや細身。だが姿勢には緩みがなく、全身からただならぬ気配を放っている。
黒革のローブに金属製の小さな徽章。
その左胸には二つ名が刻まれていた。
「どうやら、私たちの邪魔をする者が何人かいるようだ。……私は《二手》、お見知りおきを」
「なら、私はさしずめ《筋肉》ですかな。筋肉のラグナルとお呼びいただきたいッ!」
「……なんだこいつは」
二手は薄く笑い、その周囲に数字のエンブレムが二つ浮かび上がった。
ラグナルの身体にも同じ印が現れる。
「これは……タトゥーですかな?」
呟いた瞬間、ラグナルの身体に刻まれていた青い印が一つ、赤く変色する。
「……私は数を司る者。私と対峙した者は、一定時間中――二つまでしか動作を同時に行うことができなくなる。……選べるのは常に三つだけ。あなたのような反射で喋る者は、きっとすぐに詰むでしょう」
「なんと……そのルールを破ったらどうなるのですか?」
ラグナルの問いに、二手は口の端を歪めるように笑った。
「シンプルです。あなたの身体機能が、一つずつ停止していく」
「……身体機能?」
「試してみますか? 今、あなたは発声と質問を行いました。これで二手。もし次に何かを――」
その瞬間、ラグナルが軽く肩を回した。
とたんに、残った一つの印が赤く染まり、ぴたりと空気が重くなる。
ラグナルの呼吸が、微かに乱れた。
「……肺が、締まるような……ッ」
拳を握りしめたまま、呼吸の浅さに眉をひそめた。
肺の奥が重く、酸素がうまく回らない。まるで、見えない手で締めつけられているような感覚。
「あなたは今、発声・質問・動作の三つを選びました。私のルールでは、三つ目を超えた行動をした瞬間、身体のどこかがロックされます。まずは呼吸。次は視覚。最後は心臓です」
「むぅ……」
二手は淡々と語る。
その口調が余裕に満ちている分、不気味さが際立つ。
「まさか……筋肉に制限をかけるとは……!」
ラグナルは、じわじわと胸を圧迫してくる不快感に対し、歯を食いしばって耐えた。
ここで息を荒くしたら、もう一つ制限に引っかかるかもしれない。
「その状態は、一定時間で解除されます。ですが――大抵の者は、一つ目で焦ります。苦しみに堪えられず、無意識に手を出し、声を上げ、動く。結果、視覚が潰され、最後は心臓が止まる。そういうものです。不自由というものは、人を簡単に壊す」
ラグナルの額に汗が滲んでいた。
しかし、その視線はどこか落ち着いていた。
数秒が経過し、ふっと胸が軽くなった。
「……抜けた」
「ほう……」
二手が片眉を上げる。
「……冷静ですね。あなたのような脳筋なら、もっと早く慌てると思ってましたが」
ラグナルは広げた腕で、胸板を思い切り叩いた。
「筋肉とは、ただ鍛えるだけのものではないッ!筋肉には、耐える力もあるのですッ!」
「……今ので、また二つの行動が消費されましたよ」
「なるほどッ!」
法則を理解しているのか、していないのか。
マイペースな相手を前に、二手は少しだけ動揺していた。
「ならば、もう一つ確かめてみましょう」
ラグナルは声を張り上げる。
「今の私は、動作と発声……そしてこれからする問いかけによって、一つ目の制約が課されるはず。しかし、本来ならもう一つ――カウントされる可能性のある行動をしています」
「それは――」
「――思考です」
二手の目が細められた。
ただの脳筋かと思えば、意外にも読みを入れてくる。
「……勘がいいですね。ええ、思考は含まれません。考えるだけなら、いくらでもどうぞ」
警戒ではない。分析だ。
いま、彼の中でラグナルという男の評価が、音もなく修正されていく。
「……なるほど。つまりあなたは、行動一つひとつの意味を試している。筋肉任せの暴力ではなく、きちんと順序を立てて」
「当たり前ですッ!」
ラグナルは、鼻を鳴らし、堂々と胸を張る。
時間経過によって落ち着きを取り戻した青いエンブレムが、再び淡く輝き、赤へと変わる。
「筋肉とは、理論ですッ! 積み重ねと順応と最適化の結晶ですッ! 一挙一動を言語化し、記録し、記憶し、再現可能にする。その果てに真の筋肉があるのですッ!」
二手の頬が微かに引きつる。
「……よくわかりませんが、あなたの腕の太さに騙されてはいけないようですね」
「良いですかッ!」
ラグナルが右足を大きく踏み出す。
「あなたは制限を設け、選択肢を奪い、私に不自由を与えたつもりでしょうッ! だがそれは――!」
時間経過で制約が解除され、拳を高く突き上げる。
「逆に言えば、使える三つを極限まで研ぎ澄ませれば、無駄のない筋肉になるということッ!」
「……は?」
「二手縛りだろうが、一手縛りだろうが関係ありませんッ!」
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