転移
「――やれやれ。これだから、雑魚は困りますねぇ」
石畳を踏み鳴らす靴音。
路地の奥、暗闇からひとつの影が浮かび上がる。
歩み出てきたのは長身の男だった。
肩幅は広く、だが過剰に膨れ上がった筋肉ではない。
しなやかに研ぎ澄まされ、無駄のない動きのためだけに鍛えられた肉体。
その上に羽織った革鎧は、実用一点張りなのに、妙に品のある裁縫。
腰には紫の宝石がはめ込まれた短杖を吊るしている。
盗賊と貴族の中間といった印象。
下っ端の二人とは明らかに格が違う。
「どうも、部下がご迷惑をかけたようで」
鋭く細められた双眸が俺を射抜いた瞬間、心臓が強く跳ねた。
路地の空気が一段と重くなる。
「お、お頭……!」
「す、すんません! こいつが邪魔して……!」
下っ端二人が縋るように声を上げ、その呼び名に、俺の中で答えが確信に変わった。
こいつが噂になっていた盗賊団の首領のようだ。
まさか、ボス自らが迎えにくるとは。
こんなことなら、剣を置いてくるんじゃなかった。
「……アンタがこいつらの教育係か?」
「えぇ、まぁそんなところです」
「だったら、早く連れて帰れよ。先に憲兵に連絡しておいたし、もうそろそろ着く頃合いじゃないかな」
「おや、用意が良いですね。こういったことに巻き込まれるのが日常茶飯事なのですか?」
会話は成立しているが、目の前の男は、俺に全く興味を抱いていない。
それもそのはず、相手にする必要がないのだから。
一目見ただけでも、首領は俺より強いと分かる。
さすがにリゼットやラグナルには及ばないが、前に戦った不気味な男くらいの実力はありそうだ。
そうなると、二人の下っ端も厄介。
迂闊に手を出せば、その隙を狙われてしまう。
さらに、こちらには観光客というハンデもある。
(ここでやり合うのは……さすがに分が悪いな)
上手いこと退かなければ。
そう思い、木剣を構えて警戒していたが――首領は俺に目もくれず、真っ直ぐ下っ端の元へ歩み寄った。
「……怪我はしていませんね。これから仕事だというのに、何をしているんですか」
呆れたように告げながら、首領は短杖の先端を地面に突き立てる。
淡く、不気味な光が宝石からにじみ出し、地面に魔法陣が広がっていく。
細密で滑らかな線が、石と石の隙間を這うように編まれていく様は、まるで生き物のようだった。
(これは……魔術転移か!)
それなりの規模を持った異空間転移魔術。
おそらく部下を逃がすためのものだが、発動に大掛かりな詠唱や動作が必要ないあたり、事前に組み込まれた自動式か、よほど手馴れているか。
どちらにしても厄介だ。俺は反射的に半歩、後ずさる。
巻き込まれるのはまずい。
情報が何もないまま異空間に飛ばされれば、地の利もわからず、向こうの手のひらで転がされるだけになる。
一目散に退くのが最善。頭ではわかっている。だが――。
「っ……!」
転移陣の輝きが一段と強くなる中、石畳の端で尻もちをついていた男――観光客が、術式の中心にずるりと引き込まれそうになっていた。
足がもつれ、逃げることもできない。
眼を見開いて、何が起きているのか理解できないまま、ただ光の奔流に呑まれようとしている。
迷う暇はなかった。
俺は駆け出し、男の襟を掴んで思い切り引き戻す。
その拍子に、俺の足が、魔法陣の縁を踏み越えた。
(――遅かった)
空気が捻じれ、重力が上下左右に裏返る感覚。
手遅れだ。俺は逃げることができない。
徐々に身体がいうことを効かなくなる中、最後の力を振り絞って木剣を投げ、観光客に聞こえるように声を上げる。
「これを、声がデカい筋肉に――」
視界の隅が紫に染まり、光の線が縦横無尽に走る。
全ての感覚が急速に遮断されていき、聴力が失われる。
自分が声を発しているのか、それすらも分からない。
最後に視界に映ったのは、首領がこちらを一瞥し、ほんの僅かに眉を寄せる表情だった。
まるで、「想定外だ」とでも言いたげに。
足元が抜け落ち、全身が虚空に放り出される感覚。
次の瞬間、俺の身体は音もなく異空間へと沈んだ。
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