道中がキツすぎる
数日後の朝――。
ヴェスティアへ向かう街道の手前、馬車の前で俺たちは準備を整えていた。
「団長ッ! 本日は私が御者を務めますッ!」
ラグナルが胸を張って手綱を掲げる。
既に馬より頼もしそうな顔つきだ。
……いや、実際に馬より速いんじゃないか。
「まぁ! この馬車、なかなか味がありますわねぇ〜!」
セレスは扇子を広げて、馬車を一瞥しただけで評価を下す。
そこそこ良い馬車を借りてきたんですが、お気に召しませんかセレスお嬢様?
爺もあまり甘やかすんじゃない。そこで無言で頷くんじゃなくて「これが彼の全力なのです……」くらい言ってやれ。
「灯籠祭の会場に着いたら、シン様と共に社交界デビューですわね!」
彼女はもう祭りの主役気分。
俺の肩を掴んでキラキラした瞳を向けてこないでほしい。
「シンさん! 見てください、お弁当を作ってきました!」
イーリスは布包みを両手で差し出してくる。
小さな籠の中には、彩りの良いサンドイッチや果物。
正直、一番楽しみだ。前世の俺は体験できなかったイベントだからな。
「俺も手伝いました!」
レオンが胸を張るが、イーリスが「味見係だけでしょ」と即座に突っ込んでいた。
その横、ローヴァンさんは無言で腰を下ろし、鞘に収めた剣を軽く叩きながら街道を眺めている。
「……道中も鍛錬だな」
短い一言に、俺の背中がひやりとした。
どんな訓練が待ってるんだよ。
「では――出発です!」
ラグナルの掛け声と共に、馬車がぎしりと揺れ、街道を進み始めた。
最初はのどかな草原。遠くに小さな村の屋根が見え、鳥の群れが空を舞う。
……なんて平和な光景も、そう長くは続かない。
「ふんぬぅぅぅッ!」
御者席で手綱を握るラグナルが、片腕でしっかり馬を操りながら、もう片方の腕で鉄球のような荷重石を持ち上げ始めた。
どっから持ってきたんだそれ。
「団長ッ! 馬上トレーニングは全身の連動を極める絶好の機会ですッ!」
その声があまりにもデカく、馬がビクビクしているのが分かる。
こっちの心臓もビクビクなんだが。
「シン様、右手をご覧くださいませ。この街道沿いには古代遺跡の石碑がございますの!」
お嬢様はバスガイドならぬ馬車ガイドを始める。
「見どころはまだまだございますわよ! この先には双翼門と呼ばれる壮大な石造建築が――」
「どう見ても、ただ石が二本ぶっ刺さってるだけじゃない……?」
「……そろそろか」
そんな俺のツッコミを無視して、ローヴァンさんがぼそりと呟いた。
俺の背筋に冷や汗が走る。
「坊主、走れ」
「は、なんでですか!?」
「馬車の横だ。体幹を鍛える。同じ速度で並走しろ」
ローヴァンさんを連れてきたことは間違いだったと、身体で理解させられそうだ。
「……シンさん、無理しないでくださいね!」
イーリスが弁当を抱えて心配そうに声をかけてくれる。
その一方で、レオンは「兄妹揃って応援してます!」と無邪気に拳を握っていた。
応援じゃなくて助けてくれ。
結局、ローヴァンさんに睨まれて観念した俺は、荷車から飛び降りて馬車の横を走る羽目になった。
カラカラと車輪が音を立て、ラグナルの雄々しい掛け声と、セレスの「まぁ素敵!」という嬌声が響く。
まだ出発して一時間も経っていないのに、俺の身体は既に限界を迎えていた。
「……つ、疲れた……」
二時間。どうにか走りきった俺は、もう足が棒のようになっていた。
それでも馬車は止まらない気配だったが、流石に止めさせてもらった。
このままじゃ、ヴェスティアに着く前に俺が死ぬ。
「――ここで昼にしよう」
俺が声を絞り出すと、すぐ近くに小川のせせらぎが聞こえてきた。
日陰になる木も多く、休憩にはもってこいの場所だ。
みんなで馬車から降りて、腰を下ろす。
「わぁ、気持ちいいですね!」
イーリスがぱっと顔を輝かせ、弁当を取り出す。
「食べましょう!」
色とりどりのサンドイッチと、薄焼き卵を巻いた野菜、甘く煮た果物まで。
これだけで旅の疲れが吹き飛びそうだ。
「おお、すごいな……」
思わず本音が漏れると、イーリスの頬が瞬く間に赤くなった。
「よ、良かった……! シンさんが喜んでくれるように、いっぱい練習したんです」
イーリス……彼女を連れてきて正解だった。
危うく脳筋に囲まれて、街に戻ってくる頃には俺もムキムキになっているところだった。
「じゃあ――シンさん、あーん」
サンドイッチを差し出され、心臓が跳ねる。
「そ、それは流石に……」
青春度数が強すぎて酔ってしまいそうだ。
俺が戸惑っている間に、イーリスは不安そうな顔つきに変わっていく。
「……嫌、でしたか……?」
「いやいやいやいや、そんなことはないんだけど」
潤んだ瞳で見上げられると断れん。
だが、小っ恥ずかしさが勝ってしまい、食べさせてもらうのも難しい。
「――嬢ちゃん、一つもらっていいか?」
横を見ると、ローヴァンさんが顎で弁当箱を指していた。
「もちろんです!」
「すまんね。酒しか持ってきてないことに、今気付いてな」
ローヴァンさんは、籠の中に入っていたサンドイッチを一つ、むんずと掴んで口へ放り込む。
モグモグと噛み、水の代わりに酒をあおり――「ふぅ」と息を吐く。
「……嬢ちゃんは料理人のスキルでも持ってんのか? 俺が若い頃、アイツがよく弁当を持たせてくれてな。思い出すぜ。特に美味かったのはそう――」
回想をシャットアウトするべく、俺はすかさずイーリスの方へ向き直った。
「……イーリス、食べさせてくれ」
嬉しそうに差し出されたサンドイッチをかじる。
うん、美味い。めちゃくちゃ美味い。
「……シンさんのその顔が、私にとって何よりの褒め言葉です!」
思わず咳払いでごまかしていると――。
「団長ッ! 私も一つ――」
「シンさん、俺も食べさせて――」
ラグナルとレオンが同時に身を乗り出してきた。
だがその瞬間、イーリスがにっこりと微笑みながら、二人の前にそっと手をかざす。
「――シンさんに食べさせるのは、私だけですから」
笑顔なのに、声色は氷のように冷たい。
一瞬で空気が張りつめ、二人は固まった……怖え。
「ふふっ、ではわたくしからはコレを……」
セレスがドリルを揺らしながら、懐から差し出してきたのはティーセット。
こんなもの、どうやって馬車に仕込んでいたんだ。
「淑女のたしなみですわ。シン様に至高のひとときを差し上げるためなら、多少の荷物など苦にもなりませんもの」
カップに注がれた紅茶が、薄い琥珀色をきらめかせる。
セレスは俺の耳元に顔を寄せ、囁くように誘った。
「さぁ、シン様……まずは一口、お飲みあそばせ?」
吐息混じりの声。
差し出されるカップからは、ほんのり甘い香りが立ち上る。
彼女の細い指先が揺れるたび、光沢のある爪がちらりと反射して目を逸らせない。
そして、俺は言葉のままに受け取ってしまった。
一口。紅茶の香りが舌を撫で、ほのかな渋みと甘みが喉を通る。ほんの少し、身体の疲れが和らぐ。
「……うまいな」
「そうでしょう?」
こちらの静寂とは対照的に、視線を横に向けると、イーリスがまだレオンやラグナルを牽制していた。
「隙を見計らうのも作戦のうちですわ。恋も戦も、同じことでしょう?」
扇子で頬を扇ぎながら、紅を差した唇が小さく緩み、爺が頷いた。
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