爺さんの圧が強すぎる2
十往復の地獄を終え、地面に突っ伏して荒い息を吐いている俺に、ローヴァンさんは容赦なかった。
「坊主、立て」
「……もう立ってます……心は……」
「口を動かす元気があるなら十分だ」
腕を引っ張られて無理やり起こされ、今度は広場のベンチへ座らされる。
「……次は剣術ですか?」
剣で名を馳せた人物に剣術の指導をしてもらえるなら、それは貴重な経験になる。
今更ランクが上がるほど強くなれるとは思っていないが、生存率が上がるならアリ……だと思っていたんだが。
「いや」
即答。
「座ってろ。そのまま、人を見ろ」
「人を見る……ですか」
剣でも筋トレでもなく、ただ「人を見ろ」と言われる。
広場のベンチから見える風景。
昼下がりの街は、思っている以上に賑わっている。
石畳の道を、荷車を引く商人がゴロゴロと通り抜けた。車輪が跳ねるたび、山盛りの果物や布地が揺れる。
向かいの露店では、焼き串を売る香ばしい匂いが風に乗って漂い、子どもたちが小銭を握りしめて並んでいる。
大人たちは買い物袋を抱えて行き交い、井戸端では主婦らしき人たちが世間話に花を咲かせていた。
犬を散歩させる者もいれば、冒険者らしき若者が武具を携えて仲間と笑い合っている。
笑い声、荷車の軋む音、行商人の呼び込み、遠くから響く楽師の笛。
俺がぼんやりと眺めている間にも、街は絶え間なく動き続けていた。
確かに「人を見る」と言われれば、題材には困らないほどだ。だが――。
「……これが修行なんですか?」
「お前さん、戦場じゃ剣を振るう前に『読む』ことができるかどうかで、生き残れるかが決まるんだ」
「読む……予想ですか」
「そうだ。人は必ず動く前に予兆を見せる。呼吸、目線、手足の角度。敵も味方もな」
ローヴァンさんが顎をしゃくる。
「ほら、あの商人を見ろ」
街角で果物を並べている中年の男。
「あ、良い色のリンゴですね。後で買って帰ろうかな」
「何を落とす?」
「……落とす?」
唐突な質問に混乱していると、男の手から――ボトリと真っ赤なリンゴが落ちた。
「……落ちた」
「わかりやすいだろ。焦っているのか、腕に力が入りすぎてんだ。ああいうのは必ず指先が緩む」
唖然とする俺を横目に、ローヴァンさんは続ける。
「次はあの子供。この後、どうなる?」
「……ただ走ってるだけじゃ――」
子供が石に足を引っかけて盛大に転んだ。
「……マジか」
「戦う手段は剣じゃなくてもいい。魔法でもいい。だが、人を見る目は誰にだって必要だ。お前さんは特に、な」
「特にって……どういう意味ですか?」
「お前さん、剣の腕はそこそこ止まり。魔力はからっきし。体格は……まぁ、華奢だな」
全部刺さってます。
「だが、頭が回る。だからこそ、『読む』力を磨けるはずだ。力や速さで勝てなくても――先に動きを読む奴は、勝ちを拾える」
そう言ってローヴァンさんは、酒で焼けたような声で笑った。
ただ豪快に見える笑いじゃない。何十年も死線をくぐってきた者が吐く重みがある。
「……読む力が、勝ちを拾う」
俺が繰り返すと、ローヴァンさんは満足げにうなずいた。
「そうだ。俺が初めて龍を斬った時もそうだった。正面から挑んだら死んでた。奴が吐く息、翼を広げる角度……全てを先に読んだから、首を落とせたんだ」
サラリと「龍殺し」エピソードを差し込んでくる。
っていうか、初めてってなんだよ。
普通の冒険者は、一回龍を倒しただけでも死ぬまで自慢するぞ。
「坊主、いいか。強い奴ほど隙は小さい。だが、隙がゼロの奴なんざいねぇ。読むんだ。人を、魔物を……仲間もな」
「仲間も……ですか?」
「当たり前だろ。お前さん、もっと考えないといつか……刺されることになるぜ?」
その言葉に、背中を冷たいものが這い上がる。
剣で、じゃない。暗にそう告げる彼の目は、戦場を見据える時の鋭さに似ているが――ほんの少しだけ、茶化すような色も混じっていた。
「……刺されるって、そういうことですよね」
恐る恐る問い返すと、ローヴァンさんは薄く笑った。
「決まってんだろ。魔物も敵だが……女はもっと恐ろしい」
胃がぎゅるっと縮む。
脳裏にセレスの豪奢な笑みと暴走劇がよぎり、イーリスの真っ直ぐな眼差しが蘇り、リゼットの静かな圧力が背中を押し、セラの甘え声が耳元をくすぐる。
「強ぇ剣も魔法も防げる。剣神の太刀だって、躱すことはできる。だが……感情の刃は避けにくい。受ける覚悟がねぇなら、せいぜい目を鍛えとけ」
ローヴァンさんは再びベンチに深く腰掛け、懐から酒を取り出した。
「……頑張ります」
「おう。それじゃあ――もう一人、当ててみろ」
彼が顎でしゃくったのは、道を歩いている若い女性だった。
買い物袋を両手に提げ、石畳を歩いている。
なるほど、足元が危なっかしい。
「……わかりました!」
俺は身を乗り出し、自信満々に答える。
「彼女は、この後――石に足を引っかけて、転びます!」
ローヴァンさんは何も言わず、酒を口に含んだまま俺を見ている。
よし、ここで格好よく助けに入れば及第点が貰えるだろう。
俺はダッシュで女性の方へ向かい――。
「危ないッ!」
声を張り上げ、両手を伸ばして飛び込む。
だが、女性は転ばなかった。
軽やかに、優雅に前へと進む。
……その結果、俺は女性に抱きつくような格好になってしまった。
「きゃっ!? な、なにするんですか、この変態っ!」
振り抜かれた買い物袋が顔面にクリーンヒット。
袋の中から飛び出した大根が、追撃と言わんばかりに額に直撃した。
「ぐふっ……!」
涙目になって転がる俺の上に、ローヴァンさんの低い声が落ちる。
「……坊主。読むのは大事だが、自分の後先も考えるんだな」
ベンチで肩を震わせながら笑う老人。
彼に認められる日は遠そうだ。
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