夜明け
セラは剣をゆっくりと鞘に収めると、肩で小さく息をついた。
血の匂い、魔力の残滓、焦げた土の臭い。
「――マスター!」
振り返った彼女の顔は、太陽が昇ったかのように明るかった。
「私……戦えたよっ!」
その声には、ただ純粋な歓びがあった。
喜びを全身で表現するように、セラは駆け寄ってくる。
「お、おい、セラ――」
言い終える前に、彼女の小さな身体が俺の胸に飛び込んできた。
「えへへ……すごいでしょ? 私、ちゃんとやれたんだよ……!」
ぎゅっとしがみつくセラの腕が震えていることに気づく。
「……あぁ、見てたよ。よくやったな」
その言葉に、セラは嬉しそうに顔を上げた。
少し目元が赤いように見える。
「マスターを怖がらせるやつは、みんな私が倒しちゃうからね」
「セラが一番……いや、頼りになるよ」
「えへへっ」
俺がそっと頭を撫でると、セラは嬉しそうに目を細めた。
「確かに、良い一撃でした」
リゼットが俺の隣に立ち、軽く頷いた。
「でしょ!? これでリゼットさんに近付けたかな?」
リゼットはくすりと笑ってから、厳しめの声で応える。
「どうでしょう。当たらなければ意味がありませんよ」
「うっ……ぐぅ……」
セラが肩を落とし、目尻を垂らす。
「さて、シン様」
「ん? どうし――」
振り返ろうとしたその瞬間、リゼットの顔がぐっと近付いてきた。
いつもの整った表情――けれど、どこか不機嫌さを帯びている。
声の調子は丁寧そのものだが、瞳の奥にほんの僅かな棘がある。
「……私には、ご褒美はないのですか?」
ぴたり、と空気が止まる。
俺が言葉を探している間にも、リゼットはぐいと一歩詰める。
ほんの少し首を傾け、正面からこちらを見据えている。
メイドとしての所作は崩れていない。
だが、その眼差しは、主従ではない。
「セラには、頭を撫でていらっしゃいましたよね?」
「そ、それは……」
セラがじりじりと距離を取っているのが見えた。
「えっ、えっと……その、ご褒美って、何かこう、言葉とかでも――」
「――言葉で済ませるおつもりですか?」
リゼットの微笑みは、柔らかい。
けれど、そこにこめられた威圧感は、Sランクの魔物を斬る剣よりも鋭い。
「し、仕方ないな……ほら」
俺はそっと、リゼットの頭に手を伸ばす。
彼女の銀色の髪が、さらりと指の間をすり抜けた。
「……リゼットも頑張ったな」
撫でながら、そう言うと――。
「ふふ……ありがとうございます、シン様」
リゼットは嬉しそうに目を細めた。
「団長――ッ!」
豪快な声と共に、広場の奥から駆け寄ってくる影があった。
村人の確認に行っていたラグナルだ。
その巨体に似合わぬほど速く、全身から汗を撒き散らしながら走ってくる。
「団長ッ! 多少の怪我人はあれど、村人達は無事でしたッ!」
「お、おう……あんまり揺するなって……!」
体当たりのように俺の肩を掴んできたラグナルの力強さに、まだ回復しきっていない腹の傷がずきりと疼く。
「ああっ! 申し訳ございませんッ! ですが……よかった、本当に……」
ラグナルは俺の前でふと膝をつき、深々と頭を下げた。
「このラグナルッ! 命に代えてもッ! 団長のお命を守り抜いてみせますッ!」
「あぁ……自分の命も……大切にね」
「承知いたしましたッ!」
逆にプレッシャーで逆に死にそうになるからやめてくれ。
そして、ラグナルの後ろから、別の足音。
「シンさんっ……!」
「兄さん、焦りすぎ!」
イーリスとレオンが、少し遅れて姿を現した。
レオンの身体はまだ完全に癒えたわけではないのだろう。
走るたびに顔をしかめていたが、それでも真っ先に俺のもとへ向かってきた。
「……助けてくれて、本当に、ありがとうございます」
言葉が震えていた。
呪いの苦しみや生き延びた安堵。複雑な感情が、レオンの目の奥に浮かんでいる。
その隣で、イーリスが深く頭を下げる。
「シンさんだけじゃない……リゼットさんも、セラさんも、ラグナルさんも……本当に、ありがとうございました」
「礼なんていらないよ。当たり前のことをしただけだから」
軽く手を振ると、兄妹の目に光が滲んだように見えた。
「本当に……なんて懐が深いお方なんだ」
「そうだね兄さん。私たちの……命の恩人だよ」
「あぁ、そうだな」
そう言って俺を見つめる二人の眼差しが、妙に生暖かいというか……背筋がゾワっとする。
「シンさん……私たち、シンさんの役に立ちたいな」
イーリスの目がだんだん蕩けてきている。
これはアレか、良くないフラグが立とうとしているのか?
ならば、へし折るしかない。
「ま、マジで気にしなくていいからね! 二人はこのままエンベル村を守り抜いて、開拓とかして頑張ってくれ! それじゃあ俺たちは――報告があるから!」
この場から逃げ出そうと走り出す。
「――あっ、シンさん!」
「――待ってくださいシンさーん!」
背後から呼び止める声がするが、止まってやることはできない。
なに、本当に感謝の気持ちなど持たなくて良いのだ。
俺はノランさんの依頼のために助けただけだし――まだ痛む腹部をさすりながら思い出す。
あの男にかけられた呪い――あれは良かった。
どれだけ痛みを与えられようとも決して死ぬことがない。
普通の死闘では感じることのできない部位の痛み。
ドM垂涎の最高の呪いだ。
剣を振るうことをやめたら、その快感を味わうことができなくなってしまう。
そんなの――幸せになれないだろう。
結局のところ、俺は俺のために戦ったんだ。
「さて……ノランさんに報告、だな」
空には、夜明け前の淡い光。
まだ黒いが、東の空はわずかに白み始めている。
それはまるで――磐石になった俺の助成金を祝福しているようだった。
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