メイドと剣神、豪傑
「先ほどの魔物と特徴は同じと見ていいでしょう」
リゼットは分析を口にしながら、身を捻って宙を滑るように跳ぶ。
ふわりとスカートが浮き上がった次の瞬間、彼女の両手には無数のナイフが挟まれていた。
細く、鋭く、まばゆい光のヴェールがナイフを包み込み、刃先のすべてに魔術的な殺意が現れた。
「展開」
端正な声と共に、ナイフが宙を踊った。
斜めに、円を描くように、螺旋のように。
獲物を狩る獣の爪のようでありながら、花弁が風に舞うような儚さも備えた軌道。
ソレは魔力を巡らせて防御を試みるも、光をまとった刃は、纏う魔力を斬り裂き、皮膚を穿ち、肉を裂いていく。
「――あああああっッ!」
異形が叫んだ。
いまだに成長しているということは、多少の再生能力もあるはず。
なのに、ソレは傷を負ったままだ。
「な、なんなんだこいつは!?」
魔物を取り込み、進化したはずのソレが、たった一人のメイドによって後退を強いられている。
ナイフが刺さるたびに、闇のような体躯から黒い瘴気が噴き出し、地面を焦がす。
その声には苦痛や怒りだけでなく、恐れも含まれていた。
「この程度……この程度で……!」
ソレは手を振り払うようにして、魔力の奔流を放出した。
黒い羽根のように形成されたそれは、凄まじい勢いでこちらに――。
「――ッ! まずい!」
ソレは状況が悪いと理解して、外的要因で優位に立とうとしているのだ。
弱っている俺や兄妹を標的にすることで、リゼットたちの行動を制限する。
完全な足手纏いだ。どうすればいい?
考えている間にも攻撃が迫ってきている。
「ラグナル!」
叫ぶ。
「俺のことはいいから二人を守ってくれ! レオンとイーリスを……!」
もちろん、ラグナルが全てを守るのは不可能だとわかっていた。
その身ひとつで、あの物量に対応するなど不可能。
それでも、レオンとイーリスだけでもと、俺は願った。
しかし、彼は俺を見て、静かに笑った。
「ご冗談を。団長が『よい』わけがないでしょう」
ラグナルは手にしていた槍と盾を地面に置く。
「……おい、何して――」
言葉が止まった。
ラグナルはひとつ、深く息を吸い込む。
身体を大きく捻ると、大地がわずかに軋み、空気が沈黙する。
「――――ふんッ!」
その声と同時に、彼の拳が――夜空に向けて突き上げられた。
あまりにも意味不明な行動に、俺の口が開く。
「「………………は?」」
呆けた声を出したのは、俺だけではなかった。
作戦の成功に自信があったであろう、ソレも同じく驚いている。
それも当然だ。ラグナルが放った拳のリーチは短く、彼の腕を見たまま。
拳の届く距離には何もない。ただの空、ただの闇、ただの虚無。
にもかかわらず――衝撃が夜を裂いた。
空を覆い尽くしていた無数の黒い羽根。
それらが、ラグナルの拳に触れる前に破裂した。
一つ一つが弾け飛び、燃えるように赤く、夜空に星屑のような光を撒き散らす。
「このラグナルの命ある限り、最強の盾として団長をお守りしますッ!」
盾とは一体なんだろう。
少なくとも、攻撃に対して攻撃で対処するのは盾ではない。
というか、ラグナルはこんなにデタラメじゃなかったはずだ。
俺は以前、彼の戦いを見ている。
確かに、恐ろしい魔物をぶっ飛ばしてはいた。
だが、いま目にしているこの現象は、その時とは比べ物にならな――。
「……あれで弱ってたのか」
かつてのラグナルは仲間に裏切られ、国を追われて最悪の精神状態。
さらに、劣悪な環境。食事も睡眠もろくに与えられず、身体も限界を超えていたに違いない。
極度の衰弱状態。
その上で、あそこまでの力を発揮していたのだ。
「ど、どいつもこいつもッ! あの男の下にいるには強すぎる!」
あぁ、それについては俺も疑問というか、怖い。
眼前での出来事に身震いしていると――。
「また、マスターを、傷つけようと……」
――ふと、誰に向けたわけでもないセラの呟きが、俺の耳に届いた。
・
「また、マスターを、傷つけようと……」
その言葉は、セラ自身のスイッチを入れることになった。
「――絶対に許さない」
セラが爆ぜるように地面を蹴り、まっすぐにソレへと走り出す。
疾風のように、雷のように、否応なく接近する死神の足音。
「次はお前かぁッ!」
ソレは即座に反応する。
先ほどと同じく、影の槍を四方から放ち、セラの進路を塞ぐように撃ち込む。
だが、セラは止まらない。
真正面から斬ることもしない。
「――ッ!」
一本目を横蹴りで弾き、その反動で空中に飛ぶ。
二本目の側面に足を叩きつけ、さらに上昇。
三本目、四本目――回避ではなく利用することで、逆に速度を上げていく。
空中を駆けるような軌道。
セラの瞳には一点しか映っていなかった。敵の命という一点しか。
「く、来るなァ!」
ソレが恐怖する。
さっきまで「殺してやる」と息巻いていた相手に、心の底から怯えている。
瘴気が夜空を揺らし、ソレの全身から夥しい量の魔力が溢れ出す。
だが、それは攻撃ではなかった。
死を感じたことで、本能に従って構築された、純粋な防御。
黒き羽根がそのまま変形し、複数の層を成す魔力の壁となる。
幾重にも重ねられた厚み。
物理的にも、魔法的にも突破は極めて困難。
「っは、はは……ッ! 来れるものなら、来てみろ……!」
ソレは自らに言い聞かせるように吠えた。
だが、セラは何も言わなかった。
ただ真っ向から挑むべく、剣を構える。刀身が光り輝く。
――剣神。
それが、セラに与えられたスキルの名。
あらゆる剣技を習得し、属性の力を纏う究極の一つ。
火を斬り、魔を斬り、時には運命さえ断ち切るとされる、伝説の称号。
だが――真に恐るべきは、その表層にある華やかさではない。
剣神の真の能力とは――「この世に存在する全てを斬れる」こと。
物理の常識、魔術の理論、因果の法則。
そういった概念すら通用しない絶対の斬撃。
セラが、無言のまま、その剣を振り抜いた。
「――!」
刹那、閃光が走る。
風がうねり、空が軋む。
剣から放たれた光の刃は、音を立てることもなく、ソレの前に立ちはだかる全ての壁を――一撃で切り裂いた。
一枚目の防壁が、紙のように裂ける。
二枚目、三枚目――幾重にも重ねられた守りが、抵抗すら見せずに消し飛ぶ。
まるで存在していなかったかのように。
「な、なんだ……!? 何が起こっているッ!?」
恐慌に陥ったソレが口走る。
剣神の斬撃は、斬るという現象すらも超えている。
存在という現実を書き換えるように、対象を否定する。
愛や尊敬、自分への、敵への怒り。
様々な思いが入り混じり、限定的に通常時を大きく上回る出力を発揮しているとはいえ、まさしく神の剣。
そして、光の刃がソレの身体に届く。
「……ああ、愚かなのは――」
その言葉を言い切る前に、ソレは音もなく、真っ二つに割れた。
黒い身体が、操り手を失った糸人形のように崩れ落ちる。
膨大な魔力が大地に漏れ出すと同時に霧散していき――そこにはもう、何も残っていなかった。
一人でもソレを楽々と撃破していたであろうメイド、拳一つで夜空を裂いた豪傑、一刀で全てを斬り伏せる剣神。
そんな一騎当千の猛者達を従える男は、この状況にポツリと呟いた。
「…………絶対に逆らわないでおこう」
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