夜の続き
穏やかな風が広場を撫で、リゼットがシンの容態を診ていたその時だった。
――ぴしゃり。
乾いた音が、どこかで響いた。
「……今、なにか……?」
セラが小さく呟いたその瞬間だった。
ぴちゃ、という音が、男の倒れていた場所から溢れはじめた。
血の水たまりの中、深く切り裂かれたはずの男の身体が――ゆっくりと、蠢きはじめていた。
「う、動いてる……?」
「なんでっ!? 心臓、止まったはず……」
レオンとイーリスが目を見開き、誰もが警戒態勢に入る。
「みなさん、お下がりをッ!」
ラグナルの怒号が響く。
シンはリゼットに治療をやめさせ、立ち上がり、広場の中央へ意識を集中させた。
そして――男が跳ね起きるように立ち上がった。
「ほ……んとう、に……愚か……だねぇ」
血の泥にまみれた顔がゆっくりとこちらを向く。
その口角だけが異様に吊り上がり、目元は引きつった笑みを刻んでいた。
「死んだと……思った?」
身体中から黒い蒸気が噴き出し、まるでその皮膚を裏から膨張させているかのように、ぶつぶつと音を立てている。
破れたローブの隙間からは、人間離れした筋肉が蠢いていた。
ただの筋繊維ではない。
生物の神経のように、ぴくり、ぴくりと意思を持ったように動くその肉体は、まるで何かが中から「這い上がってきている」ようだった。
「……特定の条件下で自動で蘇生魔術を……いや、違いますね」
「こいつ……元から人間じゃなかったのか?」
リゼットとシンが各々の思考を口にする。
セラが息を飲み、言葉を失う。
「まだやる気か? さすがに形勢が悪いってわかるよな」
「私はね……喰わせるだけなんだ」
シンに言葉を返さず、男はゆっくりと手を広げた。
まるで、司祭のような動きで。
「彼に人を喰わせて、喰わせて、喰わせて……それでようやく、彼の中身が育ってきた」
ずる、と音がして、男の足元に影が染み出す。
血に濡れた地面が魔物の姿に「変わって」いくのではない。
地面そのものが、魔物に「変質」していくかのように。
「さぁ、彼と私がひとつになる時が来た。私たちはようやく、目覚めに辿りつく」
影の中から――すでに倒されたはずの、赤い瞳の魔物の輪郭が浮かび上がった。
だが、それは以前のような獣の形ではない。
もっと歪だ。背骨の位置が明らかに人間に近く、腕が四本。
その全てが爪となって、ずるずると地を引っ掻いていた。
「……まさか……あれを、復活させるのか……?」
ラグナルが呟いた。
その声には怒りよりも、明確な恐れが混じっていた。
男がゆっくりと目を閉じる。
「いや、彼は影だった。もう充分に喰った。充分に暴れた。だから、今度は私になる」
そう言って、魔物は男に重なり――肉が裂けた。
男の背中が破れ、そこから巨大な翼が広げられる。
身体から触手のような魔力の束が溢れ出し、風景すら歪ませながら広がっていく。
「……融合」
シンは呟く。
ただ魔物を取り込むのではない。
男自身が魔物になる。
その形は獣でも、人でも、魔でもない。
おぞましさが形を持ったような、何かだった。
「ふ……ふふはははははははははははッ!」
男は――ソレは高らかに笑いながら、ゆっくりと宙に浮かんでいく。
「――さぁ、やろうか。愚かで賢い君!」
異形の指がシンを指す。
その指先からは黒い瘴気が漏れ出し、地面に触れただけで草が腐り、石が崩れ落ちた。
指名されたシンは、小さくリゼットに問いかける。
「……強さは?」
「今はSランクほどですが、どんどん力を増しています。いずれはSSランクにも到達するでしょう」
その間にも、空中に浮かぶソレは成長していた。
背中の翼が骨から肉へと変わり、無数の眼球が芽吹き、視線の届くあらゆる方向を監視している。
「……そうか」
それを聞いて、シンはふっと笑った。
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