ーー起動
エンベル村が近付いてきた時、灯が見えて安堵した。
だが、それが希望に変わらなかったのは――教会の、民家の扉が半端に開いていたからだ。
俺たちは同時に走り出す。何かが起きている。
全力で駆けた。風が頬を切り、地面が足の裏で音を立てる。
剣を抜きながら教会に入るが――誰もいない。
「……無人?」
広くはない礼拝堂の中、椅子がずれている。祭壇の蝋燭がいくつか倒れて、床に蝋のしずくが散らばっていた。
「争った形跡……いや、逃げたように見えますね」
リゼットが周囲を確認する。静けさが、不気味に感じられる。
「誰か!」
セラが声を張るが、返事はなかった。声の余韻だけが吸い込まれていく。
俺は無言で、祭壇の脇にある小さな窓へと歩み寄る。
外が見える。月明かりに照らされた広場。その中心――何かが倒れている。
「……っ!」
胸が跳ねた。
「いる……広場に、誰か倒れてる!」
言うが早いか、俺は教会の扉に駆け寄り、外へ飛び出した。
後ろから三人の足音が続く。
月光に照らされた広場の真ん中に、兄妹の姿があった。
そして、その上に黒い塊がのしかかろうとしている。
爪が突き刺さる石の床。ねじれた獣のような脚。その背には煙のように揺らぐ影のマント。血のような赤い双眸。
「離れろッ!!」
俺は短剣を構え、一直線に距離を詰めた。
魔物がゆっくりとこちらを向く。目が合う。
だが、魔物は動じない。僅かに首を傾ける。
反対に、その赤い瞳を正面から見たことで、俺は理解してしまった。
(――俺じゃあ、こいつには勝てない)
元々の実力か定かではないが、こいつの強さはAランク……下手したらSランクはある。それほどの圧を放っている。
俺が先陣を切ったばかりに。このまま突っ込んでも、次の瞬間には殺されているだろう。
かといって、ラグナルやリゼットに対処を任せる隙を作ってしまえば、兄妹が喰われてしまう。
(どうにかして、こいつの注意を引くしかない)
俺は咄嗟に、腰のベルトに触れた。短剣を投げようと思ったからだ。
しかし、その隣にもうひとつ――ある武器の存在を思いだした。
(――そうだ、これがあった……やるしかない!)
俺は短剣の横に収められている、もう一本の短剣を引き抜き、声高らかに叫んだ。
「――起動!」
指で柄のルーンを二度叩くと、金属の剣身が振動し、ギィンと共鳴するような音を立てる。
そして――刃の中央に奔った光が、一瞬にして増幅された。
白金に近い光が、瞬きも許さず空間を照らす。
それはまるで、月が落ちてきたかのような輝き。
魔物の赤い瞳が細まり、足が止まる。
そして、後ずさった。
「離れろ化け物……二人を喰おうとしたら、斬るぞ」
俺は剣を振り上げ、魔物の真正面に突きつける。
刃の根元から灯る光は、夜気の中で確かに存在感を放っていた。
手の内では剣が震えていた。……いや、震えているのは、俺自身だ。
本来、この短剣の光は魔物にダメージを与えられない……はずだ。
なぜなら、これは以前、俺がロマン武器屋で購入した「光ノ剣」という、ただ発光ギミックがあるだけの剣だからだ。
柄を一度タッチすることで刀身が光り、二度で周囲を照らす。要はおもちゃだ。
レオンやイーリスの使っていた魔術のような効果はない。
しかし、魔物にとっては、直近で受けた光の攻撃――レオンの魔術の記憶が、確実に引っかかっている。
俺は、ただのおもちゃを真剣のように握っている。
やつの赤い双眸が、じりじりと揺れる。
光の正体を見極めようとしている。突っ込むか、退くか。
一歩、ほんの数秒、俺は止めたのだ。
その背後から声が落ちてきた。
「……お客さんだ。それも、賢いお客さん」
どこか飄々とした声色。なのに、不気味さだけが骨に食い込んでくる。
「いや――餌が増えてちょうどいい」
魔物の影から男が姿を現す。
レオンの話の通り、目深にフードを被っている不気味な男。
存在そのものが揺れて見える。
(……さて、どうしたもんか)
俺は目の前から目を逸らさぬようにしながら、息を殺して状況を整理する。
ここはエンベル村。人々が避難できたのかは定かではなく、目の前には倒れた兄妹。
相手は不気味な魔物と……同じく不気味な男。
対してこちらはBランクの俺、Sランクのセラ、 SSランク相当のラグナル、SSランクのリゼット。数では圧倒的に有利だ。
とはいえ、セラはまともな戦力として数えられないし、村人の安全を確認する必要もある。実は人数的な有利はほとんどないのだ。
「……リゼット。それぞれ、どのくらい強いと思う?」
「魔物は Sランク相当、男はAランクほどかと」
瞬時の判断。これがSSランクの眼力か。
俺にできることは、状況を見極め、誰に何を任せるかを即座に判断することだけ。
どうするべきか。俺から離れた場所で戦うことができるなら、セラにどちらかを任せてもいい。
だが、戦闘が長引いて彼女の視界に俺が入ることがあれば一気に不利になる。
そう考えると……。
「――リゼットはあの魔物の相手を、できるか?」
「もちろんです。シン様のご命令とあれば」
よし、これでいい。ラグナルのような物理型は相性が悪そうだし、リゼットが魔物と戦えるのは間違いない。
あの魔物が放つ赤い殺意に対して、一歩も引かないあの姿は、俺よりも遥かに格上の戦力である証拠だ。
「――セラは二人を回収して下がっててくれ」
俺が視線を投げると、セラはわずかに顔をこわばらせながらも、すぐに頷いた。
「わ、わかった! 任せて!」
残るはラグナルと俺。
できることなら、あの男の相手はラグナルに任せたいところだった。
奴は不気味だが、力量でいえばAランク級。
ラグナルなら真正面から叩き潰してくれるだろう。
……が、それはあくまで安全地帯が確保されている前提の話だ。
この状況で、村人たちが無事とは限らない。
家の影や地下、あるいは教会の奥などに取り残されている人がいてもおかしくない。
そして、人々を守りながら戦えるのは――俺ではなく、ラグナルだ。
「――ラグナル。逃げ遅れた人がいないか確認しつつ、周囲の魔物の殲滅を頼む!」
「承知ッ! いたしましたッ!」
声が雷のように爆ぜる。
その気配に、魔物がわずかに身を引いた。
恐怖ではない。だが警戒という名の反応を見せたのは確かだ。
人助けは俺の得意分野だ。けれど――ワサラビの惨状を思い出す。
ただ辿り着くのが遅れただけで、あれほどの悲劇が起きていた。
だから今は、確実な力を守りに回す。
(俺がやるべきは、この数分……いや、数十秒でも)
リゼットが魔物を落とすまで。
ラグナルが村人の安全を確保するまで。
俺がこの場で、あの男を引きつけ、耐えきること――。
(……やれるか? やれる。やるしかない)
光ノ剣を鞘に納め、短剣を抜く。
俺は、その刃に決意を込めた。




