帰還
「……いた!」
セラが最初に声を上げた。
地面に倒れた二人。
一人は青年で、肩ほどまで伸びた黒髪は泥に汚れ、服は裂け、血が乾きかけている。
もう一人は少女。十代後半くらいで、青年よりも長い黒髪。長い髪はぐしゃぐしゃに乱れているが、顔立ちは整っていて、本来はどれほど綺麗だったのかがうかがえた。彼女は青年よりも軽傷に見えるが、呼吸が浅く顔色も悪い。
おそらく、彼らがれいの兄妹だろう。
「……おい、大丈夫か!」
俺が声をかけると、少女のまぶたがわずかに動いた。
「……っ……だれ、ですか……?」
か細い声。意識はある。よかった。
「フェルナスから来た冒険者だ。今、助ける」
「っ……あ、兄が……兄が、魔物に……」
「安心しろ。近くにいるのは俺たちだけだ。今は動かなくていい」
少女が弱々しく頷く。
リゼットがすでに兄の方に回り込んで、脈と瞳孔を確認している。
「生命活動は安定していますが、出血が多いですね。……このまま放置していたら危険だったでしょう」
セラが駆け寄り、少女の頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だから。ほら、もう怖くないよ」
「……村、に……帰れ……ますか?」
「ああ、帰れるさ。二人一緒にな」
俺は小さく微笑んで、リゼットと視線を交わす。
彼女は無言で頷き、包帯を取り出した。
「セラ、彼女を頼む。ラグナルは彼を運べるか?」
「お任せをッ! 我が身を担架と化しますッ!」
「ふ、普通に運んでね」
こうして俺たちは兄妹を保護し、再び村へと向かい始めた。
エンベル村に戻ってきたのは、日が傾きかけた頃だった。
教会の前まで来た瞬間、誰かがこちらに気づいたらしい。扉が勢いよく開き、中から数人の村人が飛び出してきた。
「イーリス、レオン!」
「神様……よく、よく無事で……!」
老婆が手を合わせ、膝をつく勢いで地面に崩れ落ちた。
「この子たちを……本当に、ありがとうございます……!」
目を潤ませた村人たちが、俺たちの背後に集まる。
ラグナルの腕に抱えられていた青年――レオンを丁寧に引き取ると、何人かで協力して教会の奥へと運んでいった。
イーリスも、セラの肩を借りながらゆっくりと歩き、教会のベンチに横たえられる。
俺たちのほうへ向き直った老婆が、深々と頭を下げた。
「どんなに感謝してもしきれません……。村の若者を……命を、救ってくださって……!」
「いえ、村に帰ってこれただけです。しばらく様子を見ないと」
俺はそう言って軽く頭をかく。
村人の視線が、俺たちを見る目に、ほんの少しだけ尊敬の色を帯びている気がして、むず痒い。
「怪我人を横にして話し込むのも野暮だな。リゼット、手当てを」
「すでに準備はできています。道中での応急処置を踏まえて、必要な処置を行います。セラさん、手伝っていただけますか?」
「うん!」
見知った顔に安心したのか、いつの間にかイーリスは眠っているようだ。その額に浮かぶ汗を、セラが丁寧に拭う。
リゼットは包帯と薬草を広げ、手際よく傷口の洗浄と包帯の交換を進めていく。
その間、俺はレオンのほうを見ていた。
彼はまだ目を覚まさないが、呼吸はさっきよりも穏やかだ。
顔色にもわずかに血の気が戻ってきている。
「団長。怪我の具合からして、彼は彼女を庇いながら戦ったのでしょう」
「……そうかもな。あんな森の奥で、二人だけで魔物相手に、よく無事だったもんだ」
二人はエンベル村に住んでいる。冒険者ではない。
周囲の治安に多少は役立っていたようだが、俺たちよりは遥かに弱いのだ。
きっと、森を探索しているうちに多くの魔物から襲撃を受け、これほどの傷を負ってしまった。
「それでも、命を繋げたのは……彼らの強さでしょう」
リゼットの言葉に、俺はそっとレオンに視線を戻した。
夜が近づき、俺たちは簡易な食事を終え、教会の片隅で静かに休んでいた。
祭壇の奥では、リゼットとセラが交代で兄妹の様子を見守っている。
「……ん……」
最初にまぶたを開いたのはイーリスだった。
彼女はぼんやりとした瞳で天井を見つめ、それからすぐに周囲に意識を戻したように身じろぎする。
「イーリスちゃん、起きた?」
セラが声をかけると、イーリスはゆっくりと頷いた。
「……はい。ここは、村ですよね」
「うん。もう安全だよ。レオンくんもすぐ近くにいるから」
その言葉に、イーリスの目に少しだけ涙が浮かぶ。
「……よかった……ほんとうに、よかった……」
細い腕が自分の胸元を抱くように丸まり、安堵が全身に滲み出ている。
俺は少し離れたところからそれを見ていたが、セラと視線が合うと、促されるように近づいた。
「イーリス……さん。俺はシン。ギルド《白灯》のマスターだ。フェルナスから来た」
「……助けて、くれて……ありがとうございます、シンさん。え、ええと、イーリスで大丈夫です」
まだまだ回復の余地はあるが、はっきりとした声だった。
「……森の中で何が起きたか……少しだけ話せる?」
イーリスは迷うように視線を揺らし、それでも頷いた。
「……私たちは、遠吠えの主を見つけようとして……森の奥まで入ったんです。そこで――」
そのとき、別のベンチの上で、呻くような声が上がった。
「……イーリス……っ……」
レオンだ。
俺たちが一斉に顔を向けると、彼は眉間に皺を寄せながら、ゆっくりと目を開いた。
「兄さん!」
イーリスが反応した。その顔には希望が浮かんでいる。
「無理に動かないで。君はまだ回復途中だ」
俺の声に、レオンの視線が定まった。
「あなたが……助けてくれたんですか……?」
「運んだのは俺じゃないけどね。もう村に戻ってる。妹さんも無事だよ」
「……そう、ですか……」
彼の顔に安堵が浮かんだ。
「いきなりで悪いんだけど、良かったら、昨晩の出来事を教えてほしい」
そう言うとレオンは小さく頷き、静かに目を閉じた。




