準備したくなさすぎる2
依頼の準備を終えた俺たちは解散し、夜を迎えた。
明日は依頼か……そんな憂鬱から目を背けて眠ろうとするも、どうにも気になって寝れない。
こういう時は、一度起きた方がかえって睡眠に近づけるものだ。
気分転換のために、ギルドのラウンジに足を運んだ。
ひんやりした空気の中、紅茶の香りが微かに漂ってくる。
「……リゼット?」
小さな丸テーブルの向こう、ロウソクの明かりに照らされた彼女が、俺の方へと静かに微笑んだ。
「シン様、今日もお疲れ様でした」
「……いまからティータイムか?」
深夜に一人で?
というか、なんで彼女はここにいるんだろう。
リゼットにも自分の家があるはずなのだが、どういうわけか、高確率でギルドにいる。
備え付けの寝室に泊まっているのかと思っていたが、いつ覗いてもシーツに皺ひとつない。
そもそも、ギルドメンバーには夜中の滞在を許していないんだが、怖いから触れられない。
「シン様が眠れていないのではと思い、紅茶を淹れて待機しておりました」
「……俺が来るのを?」
「はい。こちら、シン様のお好きなブレンドです。少し甘めにしてありますよ」
リゼットはカップを差し出してきた。
受け取ってイスに腰を下ろすと、ほんのりと香るバニラとハーブ。
なんで覚えてるんだよ
「大切な人のことを記憶するのは、当然のことでしょう?」
さらっと言われて、ドキッとした。
俺は口に出していないのに、全て見抜かれているようだ。
(大切な人、ね……)
この子にとって「大切」の定義って、一般基準で言う「まぁまぁ好き」じゃない気がする。
命に替えても守るレベルの全振りなのではないか。
「……少しだけ、お隣、よろしいでしょうか?」
リゼットはもう一つのカップを持ち、自分用の椅子を引いて隣に座るが――近い。
上司と部下ではなく、恋人の距離感だ。
「なにか、聞きたいことでもあるの?」
「いえ、なにも。シン様の考えることは分かりますから」
なら、それに対して俺がどう感じるかも分かるね。
「ただ……私も構ってほしくなりまして」
囁くような声だった。
リゼットの声音にはいつも落ち着きがあるけれど、今はそれが少しだけ柔らかく、熱を帯びているように思えた。
彼女は椅子の端ではなく、ほとんど腕が触れ合う距離に腰を下ろしている。
紅茶の香りに混じって、リゼット自身の匂いがかすかに届いた。清潔な石鹸の香り。かすかに花の香り。
リゼットは俺のカップに手を伸ばし、そっと持ち上げた。
口元に運ばれるかと思いきや――そのまま自分でひと口、味見するように飲む。
「ふふ……ちょうどいい温度」
「……俺用のじゃなかったのか、それ」
「はい。でも、同じものを飲めば、シン様をもっと近く感じられる気がしまして」
彼女はそう言って見つめてくる。
「前から思ってたけど、リゼットって随分と俺に甘いよな」
軍資金の件といい今といい、甘やかされまくってる気がする。
「ええ。甘いの、好きでしょう?」
彼女は肯定し、両腕を組む。
それによって大きな胸が強調され、思わず目を逸らした。
「たとえば……」
リゼットは小さな布包みをテーブルに置く。
中から出てきたのは、バターと砂糖で軽く焼かれた、丸くて素朴な焼き菓子だった。
「シン様のお口に合えば、嬉しいです」
「これも自分で?」
「もちろんです。構ってほしいときは、準備も万全でなければ」
恥ずかしがる素振りも見せない。
けれどその目は、ほんの少しだけ潤んでいた。
俺は焼き菓子に手を伸ばした。
「どうでしょうか?」
「……うん。うまいよ。ちゃんと甘い」
するとリゼットは、まるでご褒美でももらったかのように、小さく、静かに微笑んだ。
「よかった……シン様のお口に合って」
彼女が紅茶を口に運んだ。
俺の飲んでいたカップと、全く同じ香り。
それを置いたリゼットが、そっと身体を寄せてきた。
「……ほんの少しだけ、寄りかかってもいいですか?」
彼女は問いながらも、すでに身を預けているような体勢だった。
ためらいがちに見えるけれど、拒否されたときのための逃げ道は用意していない。
「……好きにしていいよ」
その言葉を聞いた瞬間、リゼットはふっと息を吐いて、俺の肩に頭をあずけてきた。
「シン様の肩、あたたかいです」
「実は俺、生きてるんだ」
俺の冗談に、リゼットは静かに笑った。
「私……たぶん、少し我儘なんです」
「どうして?」
「シン様に尽くすだけじゃなく、独り占めしたくなってしまうから。あなたの笑顔も、声も、言葉も……全部、私だけのものにしたいです」
胸の奥が微かにざわついた。
「ですが、ちゃんと分かっています。最優先なのはシン様です」
そのくせ、リゼットは俺の手をそっと包み込むように握ってきた。
優しくて、丁寧で、でも逃がさないと言わんばかりの静かな力強さで。
「私……ずっとこの手を取るために生きてきた気がするんです。シン様が望むのなら、私の全てをさしあげます。剣も、知識も、時間も――命も」
言葉ひとつひとつが、静かな夜に溶け切らないほど重い。
だが、今のリゼットの言葉からは、不思議と危険を感じない。
「これから時間をかけて、私を知ってくださいね?」
「あ、あぁ……」
ひとまず頷く。
「機会があれば、シン様の嗜好を満たすお手伝いもさせていただきますから」
その一言に、思わず喉が鳴った。
「……嗜好って、どういう意味で言ってる?」
俺の問いに、リゼットはほんの少しだけ、いたずらっぽく微笑んでみせる。
「どんな意味に聞こえましたか?」
まさか、バレてるのか?
いや、そんなはずはない。
リゼットはにっこりと、いつもの涼しげな微笑を浮かべている。
「こ、今夜は甘えさせてもらおうかなー」
動揺をごまかすように、俺はリゼットの腰に手を回す。
「はい。喜んで。お好きなだけどうぞ」
リゼットは穏やかに応じる。
心のどこかでひっかかる疑念を、紅茶とともに流し込んだ。
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