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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第9話 オンシンフツウ~彼女のゆくえ~
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9-3 エキシャサンユウ

九ヶ月近く間が空いてしまってすみません……たぶん今後は、新章の準備以外でここまで空くことはないと思います。

前回、恋人探しの旅を始めた美里と、付き添いの二人が、予想外の深い闇に片足を突っ込んでしまいましたが、今回も予想外の出来事に次々と見舞われます。犯人の目的は何なのか、恋人の瑞穂に何があったのか、女子高生たちが必死に推理を繰り広げます。

……あれ、この作品ってミステリだったっけ。


 地味に長い拘束から解放されて、わたし達がこの町の警察署を出られた頃には、もうとっぷりと日が暮れていた。警察署を出て少し歩いた所からも海が見えて、水平線の西の方に隠れていくお日様が、赤みがかったオレンジの光を柔らかく放っている。

 静かな波の音と、鮮やかな夕焼けのコントラスト。普通に観光で来たならば、その美しい光景に目を奪われ、しばらく立ち止まってぼうっと眺めていたいと思える。だけど、今のわたし達にとって、暮れなずむ海の情景は憂鬱そのものであった。

 朝の早い時間に、始発の電車を使ってこの町まで来て、失踪した恋人の手掛かりを幸運にも掴めたと思った矢先、わたしは二人組の男(かどうかは分からないが)にハンドバッグをひったくられた。片方がバイクを走らせ、もう片方がハンドバッグを奪った後にそのバイクの後部座席に飛び乗って、そのまま二人は遠くへ逃走していった。一緒に来ていた大和(やまと)が自分の足で走って追いかけようとしたけれど、当然ながら追いつけるはずもなく、あえなく見失って、その場に立ち尽くしていたわたしの元へ戻ってきた。

 そんな事もあって、わたし達は警察に通報し、最寄りの警察署で事情聴取を受けることとなった。強奪されたわたしのハンドバッグには、財布もスマホも入っていたので、実質的にわたし個人のライフラインが根こそぎ奪われたことになる。なかなか由々しき事態ということもあって、地元の警察は真剣に捜査をしてくれるらしく、そのために必要な書類を作成するために、わたし達はかなりの時間、警察署に足止めされる羽目になった。

 いやまあ、ありがたいけどね? 言うてわたし達は高校生だし、しかもこの町の住人でもないし、財布もスマホも無かったら途方にくれるしかないから、必ず取り戻すと言ってくれるのは心強いのよ。だけど、ここまで時間がかかってしまっては……。

「海で遊ぶ時間が無くなっちゃったじゃんかーッ!!」

「いや違うだろ」

 夕焼けの海に向かって、大声で不満をぶちまける大和に、八千代(やちよ)は冷静に裏拳を添えて突っ込んだ。この二人はわたしの恋人探しについてきただけのはずだけど、やっぱり海で遊ぶことも視野に入れていたみたいだ。まあ大和なら、ここで実施されている奇岩巡りツアーだけでも、充分に遊べそうではあるけど。……果たしてそれは海遊びと言えるのか。

 それはさておき、わたしは恋人である瑞穂(みずほ)を探すため、思いつく場所をひたすら巡るつもりでいた。しかし、警察署での書類作成に時間がかかり過ぎたせいで、夕方になってしまったので、もう今日は次の場所に行って手掛かりを探すことはできなくなった。一応、次にどこへ行くかは決めていたのだが、今から行けば夜になるのは確実で、高校生だけで人探しをするには不向きな時間帯に突入してしまう。

 ……そもそも、ハンドバッグごと財布とスマホを奪われた以上、電車に乗るのは不可能だし、警察からの連絡を待つ必要があるから、どうしてもこの町に留まるしかない。一応、別に持っていて無事だったキャリーバッグに、着替えなど宿泊に必要なものは入れているけど、すぐに別の場所へ行くつもりだったから、この町で宿泊予約はしていないし、無一文だから、今から宿を探して見つけても泊まる事はできない。

「……マジでどうしよ、この状況」

 冷静に自分の置かれた状況を整理したら、絶望のあまり、わたしはぼうっと海原を眺めながら虚ろに呟いた。さっきまで美しいオーケストラに思えていた波音も、今は耳障りな雑音に聞こえるみたいだ。

 わたしの絶望感を読み取った八千代が、眼鏡のブリッジをくいっと上げて言う。

「わたしは万が一に備えて、現金を多めに持ってきているけど、残念ながら日高(ひだか)さんの一泊分を肩代わりするだけの余裕はないんだよね」

「うん、さすがにそれは申し訳ないから……」

「わたしも多めに持ってきたよ。お土産いっぱい買いたかったからね!」

綾瀬(あやせ)さん」

 おどけて明るく振る舞う大和に、八千代は窘めるようにぴしゃりと言った。おちゃらけてもどうにもならないほど重い空気を察して、大和は広げた手をすごすごと引っ込めた。

「……すみません」

「いや、大和も気を遣ってくれているんでしょ、気にしないよ」

「というか、美里(みさと)っちがこれからどうするかってのも問題だけど、お財布やスマホを取られたのはかなりマズくない? 防犯とかプライバシー的な意味で」

「それはそうだね」八千代が頷く。「財布の中に現金があれば、まず無事では済まないだろうし、学生証とかが入っていたら、日高さんの個人情報も多く知られることになる。日高さん、ハンドバッグの中に学生証は……」

「入れてる……財布じゃなくてパスケースの中だけど、それもハンドバッグにある。映画とか、学生証があれば割引が利くから、普段から持ち歩いていたけど、まさかこんなことになるなんて……」

「スマホにロックはかけてる?」

「それは大丈夫。暗証番号と指紋認証を設定してあるから」

「簡単には中身を覗けないみたいだね。だけど今は、そういうセキュリティを破るソフトもあるから、安心はできないけど」

 聞いたことがある……本来は暗証番号を忘れたり、スマホ本体が異常をきたして解除できなくなったりした時の、救済のためのソフトだったはずだけど、それを悪用して他人のスマホのロックを解除する人がいるという。ひったくり犯が本気でわたしの個人情報を盗み出してお金に換えるつもりなら、そういうソフトを悪用する可能性もゼロじゃない。

 どちらにしても、警察が捜査してハンドバッグを取り返してくれない限り、わたし達ではどうすることもできない。わたしのプライバシーが脅かされる不安はあるけれど、とりあえず今考えるべきは、これからどう行動するかだ。

「これからどうしよう……」

「旅館とかに泊まろうにも、先立つものがないとどうしようもないよね。女子高生が観光地で野宿っていうのも危険すぎるし」

「ふうん、綾瀬さんはそういうの慣れてると思ってた」

「なぁに人のこと野生児扱いしてんだよコラ。星空観察に行く時だってちゃんと屋根のある所に泊まってるわ」

「犬小屋とか?」

「誰が犬だ。せめて山小屋とかにしろ」

「それより日高さん、ここは一度、さっきの民宿に戻った方がいいんじゃない?」

「無視すんなー!」

 大和がぷんすかと怒っていても、八千代はどこ吹く風。……なんか、大和ひとりが明るく振る舞うよりも、二人が通常どおりに漫才をするだけで、気持ちがほぐれる気がする。

「さっきの……わたしと瑞穂が以前に泊まった民宿?」

「そう。日高さんが新島さんを探すために動いていると知っているから、事情を話せば、タダで泊まることはできないと思うけど、宿泊費に関しては交渉できるかもしれないし、それが無理でも、どこか別の場所を紹介してくれるかもしれない」

「まあ、民宿だとその辺りは融通を利かせられそうだけど……」

「いずれにしても、今夜休める所を確保するには、事情を理解してくれそうな所と交渉するしかないと思うよ」

「うーん、ただの人探しのはずが、思いのほか大変なことになってきたなぁ」

 大和はそう言うが、人探しをしているのはわたしであって、大和と八千代は面白半分で付いてきただけだ。二人の財布は無事なのだから、二人だけ先に帰ることは可能だけど、一度来たことがあるだけの町で一人きりになるのは、さすがに心細いので、むしろ二人が興味本位でも同行してくれて、よかったのかもしれない。

「そうだね、まずはそこに望みを繋ぐしかないか……」

「というか、手持ちがないって分かっていたなら、警察署に泊まらせてもらってもよかったんじゃない? 警察の人もそれっぽいこと言ってたような」

「……大和、本気でそれがいいと思ってる?」

「いやー、わたしは御免被るね。マッチョの男のおまわりさんばかり寝泊まりしている部屋とか、絶対むさ苦しくて空気悪いもん」

 笑顔で手をパタパタと振りながら、大和は警察の色んな所を盛大にディスった。だいぶ偏見が混じっている気もするけど、わたしも大体似たことを考えて、警察署での寝泊まりを断ったので、あえてツッコミはしなかった。

 ちなみに八千代にも同じことを訊いたら、青ざめた顔で震えだした。

「男くさい空間で寝るとか絶対無理……最悪、窒息して死ぬ」

「逆にそんな空間で寝ても平気な警察官って、どんな肺機能してるのよ」

 というわけで、花の女子高生たるわたし達三人は、警察署に寝泊まりするという最も簡単な方法から目を背け、例の民宿へとんぼ返りすることにしたのだった。



 民宿に戻ってきたのはいいけれど、気が重い。玄関前に吊るされた提灯の柔らかい明かりが、薄闇と化していく空間で立ち尽くすわたし達を照らしているが、わたしの心はさらに深い闇に沈んでいる。

 ここの従業員は、事情を理解してはくれそうだけど、「財布やスマホをひったくられて帰りたくても帰れなくなったので、支払いがいつになるか分かりませんが、それまでここでご厄介になってもいいでしょうか」なんて言われて、果たして首を縦に振るだろうか。財布を盗まれて、中身がそのまま戻ってくる可能性は低く、ちゃんと支払いがされる保証もないのに。

 それに、わたしは決して交渉が得意なわけじゃない。悪いのはひったくり犯だけど、わたしにも落ち度はあるわけだし、そのことを棚に上げて厚かましいお願いをして、もしかしたら追い出されるかもしれないと思うと……ああ、胃が痛くなってきた。

 渋面を浮かべて鳩尾を押さえるわたしの背中を、大和は力強く引っぱたいた。

「わっ」

「ほら、行くよ、美里っち。別に取って食われるわけじゃないんだから」

「そうそう。働いて返せって言われたときには、わたし達も力を貸すからさ。もちろん、そうならないように上手く交渉するのが理想だけど」

「やっちー、それ全然励ましになってない」

 本当にそれ。八千代の言葉は、前半はそれなりに心強いけれど、後半で台無しになってしまっている。おかげでプレッシャーが増して、さらに胃痛がひどくなった。

 まあ、今夜をどう乗り切るか決めないと、どうにもならないことに変わりはないので、気が重くてもやるしかないのだが。地面に埋まりそうな足をどうにか動かして、わたしは大和と八千代と一緒に、キャリーバッグを引いて民宿のロビーに入っていく。

 受付カウンターの和服の女性たちは、どこか困惑気味に目を合わせている。昼前に訪ねてきて、失踪した恋人からの贈り物が見つかって、ちょっと感動した雰囲気のまま見送ったはずの女子三人組が、夕方になって戻ってきたら、対照的に沈んだ雰囲気を漂わせていたのだから、何があったのだと思っても不思議はないだろう。

「えっと……お客様、どうかされましたか?」

「あっ、それが、その……」

 どう説明すればいいか考えているうちに、向こうから話しかけられた。カウンターの前で何か言いたげに突っ立っていれば、声をかけられても当然なのだが、交渉のために言うべきことを整理しきれていないわたしは、言葉に詰まってしまった。

 すると、わたしの横から大和がひっついて、助け舟を出した。

「わたし達のことは覚えてますよね。美里っちの恋人を探しに来て、昼間、ここで恋人からの郵便物を受け取った……」

「ええ、覚えてますよ」

「実はここを出た後、美里っちのハンドバッグがひったくりに取られたんです。財布もスマホも取られてしまって、さっきまで警察で書類作成をしていました」

「えっ、ハンドバッグを……」

「それで、電車にも乗れなくて帰れなくなったんで、とりあえずこの町で泊まれる所を探していたんです。美里っちは無一文だし、わたしもやっちーも、そんなに手持ちがあるわけじゃなくて……」

 大和は意地でも、わたしと八千代をあだ名で呼ぶつもりみたいだ。それでも、あだ名の主を指差しながら呼ぶあたり、まだ親切なのかもしれない。

 大和が事情を説明して、後を引き継いだ八千代が交渉を始めた。

「ここって、宿泊費はどのタイミングで支払うことになっていますか」

「当宿では、チェックアウトの際にまとめてお支払いしてもらう決まりですが……」

「予約なしで、飛び込みの宿泊ってできますか」

「そうですね……ここでは予約が基本ですが、今はオフシーズンで空いているお部屋もありますから、予約なしでも泊まることは可能です。お食事は事前に用意できないので、素泊まりという事になりますが……」

「延泊はいつまでできますか?」

「基本的には、いつまでもお泊まりいただけます。ただ、一週間ごとに、その日までの分の宿泊料金をお支払いしてから、延泊の手続きをしますので……」

 宿泊費の支払いを引き延ばせるのは、一週間が限界ということだ。来週には文化祭があるから、そこまで引き延ばすつもりはないし、警察の捜索が進展しなければ、親に泣きついて宿泊費を立て替えてもらうしかないから、長居して無駄に宿泊費を増やすわけにはいかない。だけどせめて、今夜だけでも、屋根のある所で休みたいから、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。

「では今夜から一泊……いえ、二泊分だけ、ここに泊めてくれませんか。支払いができる見込みはないですけど、明後日までには何とかしますので」

 とりあえず警察の捜査が進展するのを待つけれど、チェックアウトの時刻までに、いい知らせが来るとは保証できないので、念を押して二泊分だけ手続きして、捜査に進展がなければ親に連絡して、明後日のチェックアウト時に立て替えてもらう。予約なしで泊まれて延泊も可能なら、この方針で行けるはずだ。

 それにしても、今この瞬間ほど、大和と八千代の二人を頼もしく思えたことはない。ハンドバッグをひったくられたショックから、完全に立ち直れていない上に、口下手で交渉もできそうにないわたしに代わって、事情説明と交渉をしてくれた。ひとりだったらきっと、こんなことはできなかった……。文化祭の準備では、わたしの仕事はほぼ終わっていたけど、二人を手伝えることがあれば、何でも手伝おう。

 さて、八千代からの申し出に、従業員の女性たちはなおも困惑する素振りを見せている。この民宿の決まり的には問題ないはずだが、やはり支払いに不安のある高校生を二晩も泊めることに、難色を示しているのだろうか……。

「あの、お客様……ハンドバッグを、ひったくりに取られたのですか?」

「え? そうですけど……」

 和服のお姉さんからの問いかけに、わたしは首をかしげた。まさかそこに関して訊かれるとは思わなかった。さすがにひったくりに遭ったことを疑う理由はないはずだけど。

 カウンターの向こうの従業員たちは何やらひそひそと話した後、一人が奥の部屋に引っ込んだ。あの部屋には確か、民宿に届いたお礼の手紙とかが保管されていて、瑞穂から届いた、わたし用の指輪を入れた封筒も、あの部屋に仕舞われていた。まあ、奥の部屋を実際に見たわけじゃないし、本来はたぶん、従業員用の裏道だと思うけど。

 そして、奥の部屋に入った従業員は、何かを手に持って戻ってきた。

「もしかして、お客様のハンドバッグって、こちらですか……?」

 呼吸が止まりそうになった。

 従業員の女性が手に持って、わたし達に見せたものは、奪われたはずのわたしのハンドバッグと、全く同じハンドバッグだった。色も形もデザインも、何もかも同じ。

 時が止まったように呆然とそのハンドバッグを見て、わたしと大和と八千代は、声を揃えて絶叫した。

「「「ええぇ―――っ!!!」」」



 信じがたい展開だ。この民宿を出てからの途上でひったくられたはずの、わたしのハンドバッグが、なぜか同じ民宿に戻ってきていた。それだけでも驚きだが、中身を(あらた)めてみると、さらに驚愕すべき事実が浮かび上がった。

 財布の入ったカバンを泥棒に奪われれば、財布の中身は無事で済まされず、財布自体もどこかに捨てられるのが普通だ。だが、ハンドバッグの中には財布もスマホも、他の持ち物も手付かずで残っていた。念のために財布の中身も確かめたが、現金もポイントカードもそのままだった。

「し、信じらんない……こんな事ってあるんだ……」

 あまりの感激に腰が抜けてしまい、膝をつきながらわたしは、無傷の財布とスマホを両手に持って素直な心境をこぼした。ああ、泣きそう。きっと今のわたしは、相当ゆるゆるになって情けない表情をしているのだろうな。

「あの……これ、一体どこに?」

「この宿の入り口の、提灯を飾っている所の地面に放置されていました。三時頃、他のお客様が気づいて届けてくださいまして、お昼に訪ねてこられたお客様が持っていたハンドバッグとよく似ていたので、ひとまずここで保管しておりました。しかし、ただの忘れ物かと思っていましたが、よもやひったくりに取られていて、しかも中身が全部無事だったとは……奇跡みたいな話ですね」

「本当にそうですよ……一生分の運を使い果たした気分です」

「美里っち、未来にももうちっと残しておこうぜー」

 わたしの隣で同じようにしゃがみ込んでいる大和が、わたしの背中に手を添えながら言った。一方で、立ったままの八千代は真顔のままだ。

「本当に奇跡とか幸運なのかな……」

「え?」

「日高さん、本当にハンドバッグの中身は一つも無くなってないの?」

「そうだと思うけど……ちょっと確かめてみるか」

 わたしはロビーの隅にある応接スペースに移動して、ハンドバッグをひっくり返して、木目調のテーブルの上に中身をぶちまけた。財布とスマホは無事だし、学生証の入ったパスケースもあるし、家の鍵も無事だ。あと、ハンカチとポケットティッシュに、汗拭きシートに、コンパクトミラーに、リップクリーム、それから……。

「…………あっ」

 八千代は千里眼なのだろうか。言われて確かめようとしなければ気づけない、小さな物が失われていることに、わたしは気づいた。

「あのSDカードだけ、ない……」

「マジでっ!?」

 わたしが言って初めて気づいた大和は、驚いてテーブルの上を見渡した。確かにどこを見ても、瑞穂から指輪と一緒にわたしへ贈られた、あのSDカードだけが見当たらない。

「ホントだ……じゃあまさか、あのひったくりの目的は、SDカードだけだったってこと?」

「そうとしか思えないけど、でもどうして……」

「日高さん、念のためにもうひとつ、確認してほしいんだけど」

「え?」

「そのスマホ、中身が確かに日高さんのものか、調べた方がいいと思う。こうなると可能性は低いけど、ケースだけそのままで、スマホの本体もしくはSIMカードをすり替えられているかもしれないし」

 すごいことを思いつくものだ。八千代の思慮深さはたいしたものだが、確かに可能性としてはなくもない。一時的とはいえ他人の手に渡っているし、スマホは個人情報の塊だから狙われやすく、中身がすり替わっている恐れは充分にある。

 試しにわたしは、画面の下にある一円玉サイズのエリアに、親指で触れた。ワンテンポおいて画面のロックは解除されて、スタート画面が表示された。スマホの設定も調べてみたが、電話番号もメアドもSNSのアカウントも、間違いなくわたしの物だった。

「よかった、本体もSIMカードもすり替えられていないみたい」

「そっか、杞憂だったならいい……ところで、なんで待ち受けが犬の写真なの。そこは恋人とのツーショットじゃないの」

「うちの犬にいちゃもんつけないでくれる?」わたしは画面を消した。「言ったでしょ、瑞穂が写っている写真のデータは残らず消されたって。待ち受けに設定していた写真の元データが消えて初期化されたから、仕方なく残っていた別の写真を使ったの」

「なるほど、やっぱり以前は恋人とのツーショットを待ち受けにしていたわけか」

「あっ……」

 語るに落ちるとはまさにこのこと。さっきまでひったくりに遭ったハンドバッグのことで真剣な話をしていたのに、いきなり瑞穂のことでからかわれると思わなかったから、すっかり気を抜いていた。まったく、油断も隙もない。

 だけど大和の方は別の方向に食いついてきた。ありがたいことに。

「というか、美里っちの家って、犬飼ってるの?」

「まあね。わたしが小さい時に買い始めたから、すっかりおばあちゃん犬で、大体いつも犬用のベッドで丸くなってるけど」

 今思えば、飼い犬の世話で手一杯だから、夏休みに瑞穂と一緒に手に入れた金魚は、どっちにしてもわたしの家で飼うのは難しかったのだ。記念だとか言って二匹とも瑞穂に押しつけてしまったけど、もっといい言い訳があったのだと、振り返ってみて分かる。

「ちなみにわたしのスマホの待ち受けは、Materienne(マテリエンヌ)のファンクラブ限定壁紙だよ。メンバーがウィンクして投げキッスしてるやつ」

「なかなかあざとくて刺激的だな……」

「やっちーは? スマホの待ち受け、何にしてる?」

「そんな事より、早く済ませるべきことが二つあるんじゃない?」

 鮮やかにはぐらかされた。

「えっと……何だろう」

「警察への連絡と、あとこれからどうするか決めること。お金もスマホも戻ったから、帰ろうと思えば帰れるけど、どうするの?」

 どうする、か……紛失したのは中身の分からないSDカードひとつで、実質わたしの被害はゼロに等しい。諸々報告したところで、警察はもうひったくり犯の捜査にリソースを費やさないだろうから、この町に留まる理由もない。つまり今夜をこの町で乗り切るために、この民宿と交渉した手間も、泊まる必要がなくなった以上、結局無駄に終わったという事だ。

 ただしそれは、ただの観光目的で来た場合の話だ。わたしが何のために今回の旅を始めたかといえば、ひとえに瑞穂を見つけ出すためだ。この町で得られた成果は、瑞穂がわたしを捨てていないと分かったことだけで、指輪と一緒に同封されていたSDカードの中身も分かっていないし、まして居場所の手掛かりも掴めていない。

 唯一の目的を果たせていない以上、このまま帰るわけにはいかない。というか、財布もスマホも戻ったなら、旅を再開する以外の選択肢なんてあるはずがなかった。

「ううん、まだ帰らない。瑞穂の手掛かりは、まだ充分に得られていないし」

「そっか」八千代は肩をすくめた。「まあ、元々そのために旅を始めたわけだしね。ちなみに次の目的地は決めているの?」

「一応ね。今年の冬に、瑞穂と一緒に出場した、ピアノコンクールの会場があるところ。結構遠くて、泊まりがけで行ったから、コンクールが終わってから時間が余って、町の色んな所を見て回った思い出があってね。ただ、この町からもかなり遠くて……本当は昼過ぎまでこの町で調べ回って、お昼ご飯を食べたら電車で移動して、その町で泊まる場所を探すつもりだったの」

「なるほど、今から行ったら確実に真っ暗になって、高校生が泊まる場所を探して回れる時間帯じゃなくなるわけね。そうなると……」

「まあ、どのみちどこかには泊まるつもりでいたし、予定とは違ったけど、この民宿に泊まって、朝になってから次の目的地に向かうのが無難だろうね」

「うん、決まりだね」

 交渉は完全に無意味だったけど、わたし達は改めて、この民宿に泊まることを決めた。もちろん予約なしの飛び入りだから、食事なしの素泊まりであることに変わりはないが、この町にもコンビニや飲食店はあるし、食事には困らないだろう。何しろ、わたしもお金が戻ってきたからね!

 ふと見ると、大和の目がキラキラと輝いていた。そういえば、ここの温泉目当てで、今夜はここに泊まりたいって言っていたなぁと、わたしは思いだした。



 支払いの見込みが立ったことで、わたし達の飛び入りチェックインは特に問題なく完了した。手続きが済んで、案内された客室に重い荷物を置いてから、歩いて十分ほどの距離にあるファミレスで夕食を済ませ、わたし達は客室に戻ってきた。

 和風の民宿という事もあって、全ての客室は畳の和室に海の見える広縁があって、サイズ別の浴衣が何着も取り揃えられている。せっかくだから、という事で、わたし達は全員浴衣に着替えて、静かな夜の波音を聞きながら、普段は味わえない畳の感触を存分に味わっていた。八千代は畳の上に直接腰を下ろし、壁にもたれて座っていて、大和はゴロゴロと寝転がっている。

 わたしはまだ、そんなふうにゴロゴロしている場合じゃないのだけど。

「いやあ~……畳はやっぱいいねぇ。使い込んだイグサの匂いが、なんとも心地いい。日本人のDNAに刻み込まれているね、これは」

「旅館の畳って、定期的に取り替えているんじゃなかったっけ」

「細かいことはいいんだよ、やっちー。こういうのが日本の民宿の醍醐味なんだからさ」

「……綾瀬さんって、たまに言動が年寄りみたいになるわよね」

「はっはっは。余生はこういうところで過ごしたいものだZE」

「余生どころか短い思春期すらまだ終わってないのに?」

「ある意味、思春期を終えてからが本当の余生と言える気がする。おっ、美里っち、お疲れ~。警察の人はなんて言ってた?」

 広縁で警察への報告を済ませて、和室に戻ってきたわたしに、大和は八千代との無為な会話を中断して問いかけてきた。警察との通話中も二人の会話が気になっていたけど、たぶんオチも何もない会話だから、強制終了が一番望ましいのかもしれない。

「ひったくりに遭う直前に立ち寄っていた民宿に、中身がほぼ手付かずで戻ってきていたって言ったら、めっちゃ驚いてた」

「あはは、だろうね。しかも取られたはずのスマホからかかってきたから、警察の人も一瞬混乱したんじゃない?」

 他人事みたいに笑っているが、大和の言ったとおりだ。盗まれたスマホが犯罪に利用される可能性もあったので、わたしのスマホの番号と機種は警察で記録してもらった。そして、実際に記録した警察官から名刺をもらっていたので、わたしはその名刺に書かれていた連絡先に電話をかけた。つい数時間前に記録したばかりの番号が、記憶にないはずはなく、相手の警察官は最初、明らかに混乱したような口調になっていた。

「正直、わたしもよく事情を呑み込めていないから、警察に説明するのは苦労したけどね。危うく、ひったくり事案そのものが、わたし達の自作自演のイタズラじゃないかと疑われるところだった」

「まあ、ひったくられた荷物がほぼ手付かずで戻ってくるなんて、普通はあり得ないし、バカな高校生のイタズラだったんじゃないかと疑われても、仕方ないかもね」

「やっちー、それはJK全般への偏見……」

「警察官のおっさんから見たら、わたし達は漏れなくガキンチョなんでしょ」

「そんでもって警察官への偏見……」

「でも何とか事情を分かってくれたから、明日、改めて書類を作成するために、また警察署に来てほしいって言われた。被害届の変更が必要だからね」

「確かに、SDカードだけが無くなっている以上、窃盗の被害届はそのまま、内容だけ変える必要があるね。とはいえ、わたし達はSDカードの中身を知らないし、外見も量産品のラベルだけだから、見つかったとしても、盗まれた物かどうかの証明はできないけどね」

「うん……だから、原則として被害届は受理するけど、実質的な被害がほとんどないから、捜査の優先順位は低くなると思うって、警察の人も言ってた」

「確かに日高さん自身の被害はほぼゼロだけど、別の大きな問題があるから、警察の方もあまり消極的にならないでほしいけどね……」

「そうなんだよね……」

 盗まれたハンドバッグが中身も含めて戻ってきたから、警察もどこか、終わった話で片付けたがっているこの案件……その裏側で起きていると思しき大きな問題に考えが及んで、わたしと八千代は神妙な顔で黙り込んだ。

 ……唯一分かっていない大和が、うつ伏せの姿勢のまま訊いてきた。

「ん? なに、別の大きな問題って」

「…………」

 八千代の左足が大和の頭上までピンと延びて、勢いよく振り落とされた。

「ぶぐっ!」

 頭頂部を足で叩きつけられた大和は、畳の床に思い切り顎をぶつけて、武具、という変な声を漏らした。大和が言い終わったタイミングを八千代が狙ったおかげで、舌を噛まずに済んだみたいだが、それでも大和は怒り心頭に発していた。

「何すんじゃコラア!」

「綾瀬さんこそ寝ぼけてないで話を聞きなさいよ。失踪した新島(にいじま)さんが、日高さんに指輪と一緒に贈ったSDカードを、大の大人が二人がかりで乱暴に盗んだのよ。あの二人が新島さんの失踪に関わっていないと考える方が無理じゃない?」

「まあ、それはそうだけど……」

 大和は顎をさすりながら不満げに言った。足の先で踏まれた頭より、畳に強かに打った顎の方が痛かったらしい。

「そしてあのひったくり犯の二人が、危ない奴だという可能性も充分にある」

「確かに、SDカードひとつを奪い取るのに、かなり乱暴なことをしてたし……これ、ヤバい匂いしかしないね」

「つまり新島さんの失踪に、何らかの犯罪……そうでなくても、犯罪に手を染めることを厭わないような連中が、関わっている可能性が高いってこと。となると、新島さんが置かれている立場は二つ考えられる。一つは、その犯罪の被害者、あるいは被害者と関わりを持っている」

「もう一つは?」

 大和に訊かれて、八千代は言いにくそうに目を背け、わたしの方を見た。その困惑するような表情から察するまでもなく、わたしも気づいていた。瑞穂が純粋な被害者であるならば、まだいい。だけどもう一つの可能性は……。

「日高さん。恋人のあなたから見て、新島さんは、何らかの犯罪に関わるような人だと思う? ……加害者側として」

「あっ……」

 大和は純粋なのか、わたしの恋人が犯罪の加害者である可能性を、全く考えていなかったようだ。かく言うわたしは、その可能性もちゃんと考えた。考えたうえで、恋人としてはっきりと答えた。

「思わない。被害者として狙われる可能性はあっても、犯罪に加担しているなんてことは、絶対にない。瑞穂はそんな子じゃない」

 他人から見たら、笑えるほど滅茶苦茶な答えに思えるだろう。いくら恋人でも、他人のことが百パーセント分かるわけがないから、絶対に犯罪に加担していないなんて、誰にも言い切れるはずがない。単に恋人を色眼鏡で見ているだけの、根拠のない馬鹿げた考えとしか思われないだろう。

 だけど……それでもわたしは、絶対ないと断言できる。

 瑞穂はピアノに秀でていた。才能に胡坐をかかず、ひたむきに腕を磨く努力家だ。瑞穂はかわいいものが好きだ。好きなものを手に取った時の、あどけない笑顔が可愛いのだ。瑞穂は負けず嫌いだ。思わしくない結果に打ちひしがれて、声を上げずに泣くこともあった。頭のいい子だ。それでいて他人に手を差し伸べられる、優しい子だ。そして、瑞穂には好きな子がいる。その子と一緒にいるのが好きで、二人だけの大切な物を贈ることもあった。恋をしている時の瑞穂は、とても温かいのだ。

 だから、絶対に違う。

「……そっか。じゃあ、この可能性は考えなくていいね」

「信じるんだ?」

「日高さんは他の誰よりも、新島さんのことを知っている……その日高さんが絶対にないって言うなら、信じるべきでしょ」

 へえ……理屈っぽくて融通が利かないタイプかと思ったけど、八千代は人の機微にもなかなか聡いみたいだ。わたしとしても、もうしばらく恋人探しに付き合うであろう八千代たちが、瑞穂を変に疑うことをしないのはありがたい。

 ……大和はまだ少し不服なのか、うつ伏せのまま両腕に顔をうずめて、不貞腐れたように肩をすくめた。

「とにかく、状況を整理してみよう。気になっている事もいくつかあるからね」

 そう言って八千代は立ち上がり、壁に立てかけられていた立派な四角形の卓袱台を、和室の真ん中に置いて、そのまま腰を下ろした。わたしは立ったまま、大和は寝転がっているので、この状態で真剣な話をするのは厳しいと思ったのだろう。わたしと大和も卓袱台の周りに改めて座った。なぜか二人揃って、八千代の反対側に。

「まず、例の二人組のひったくり犯が、SDカードだけを狙っていたことは間違いない。時間的に、ロックのかかっていた日高さんのスマホを、調べている余裕はなかっただろうしね」

「そうだね」

「ここでひとつ疑問がある。犯人たちはどうして、日高さんがSDカードを持っていることを知っていたのか」

 どうして知っていたか、ねぇ……どこかで見られていたとしか思えないが、よくよく考えると腑に落ちないこともある。

「瑞穂がこの民宿に届けたSDカードは、見た感じはごく普通の、どこにでもあるSDカードだった。たまたまどこかで、わたしがSDカードを手に入れた所を見たとして、それが目的の物かどうか、判断はつかないはずだよね」

「そうなのよ。ここから考えられる可能性は三つ。一つは、SDカードの一件とは関係なく、別の目的で日高さんのハンドバッグを奪ったら、たまたまそこに目的のSDカードがあったので、財布など他の荷物には目もくれず、カードだけ持ち去った」

「さすがにそれは無理があると思うよ、やっちー」

 確かに、二人がかりでバイクを使ってまで、無理やりわたしのハンドバッグを奪ったのなら、バッグの中身を狙っていたのは確実だけど、他に狙っていたものがあったのに、SDカードを見つけた途端に興味を失って、そのままバッグに残して捨て去るなんて、どう考えてもおかしい。犯行の粗暴さと、狙っていたものへの執着の低さが釣り合わない。

「そうだね。だからこの可能性は却下。二つ目は、犯人がSDカード全般にひどい執着心を持っていて、たまたま日高さんがSDカードを手にするところを目撃したから、なんとしてでもSDカードを手に入れたいと、衝動に駆られて犯行に及んだ」

「SDカードマニアの暴走ってこと? 逆にそんな可能性を思いつくやっちーがヤバいわ」

「あらゆる可能性を検討するのはロジカルシンキングの基本でしょ」

 完全に推理小説の主人公みたいな思考回路をしている……まあでも、ほとんどありえないとは思うが、検討くらいはしてみてもいいかな。

 犯人が特定の種類のSDカードに執着していたのか、それともSDカードなら何でも集めたがるコレクターなのか、そこまでは分からない。だが、どちらにしても、手に入れたいなら強奪なんてしなくても、普通に話しかけて交渉すればいいことだ。もちろん記録媒体だから、大事なデータが入っている場合もあるし、交渉しても断られる可能性の方が高いけど、いきなり乱暴な手段に打って出るのはリスクが高すぎる。

 あるいは、無理やり盗んで手に入れることに快楽を覚えるような、ヤバいタイプのコレクターなのか。だけど、女子高生が持っていたとはいえ、そのSDカードにとても価値のあるデータが入っている可能性だってあるし、そうなれば警察は本格的に犯人たちを追い回すことになる。それすら恐れないような、本格的にヤバいコレクターなら、警察が存在と被害を把握しているはずだし、他の荷物をそのまま放置した理由が、警察の動きを鈍らせるためだとしたら、犯人は普通に警察の捜査が自分に及ぶことを避けたがっているわけだから、警察を恐れないヤバめのコレクターという可能性もない。

「……と考えると、マニアの暴走という説も成り立たないと思う」

「美里っちもヤバいくらい慎重に考えてるなぁ」

「綾瀬さんも少しは頭を使いなさいよ」

 八千代が提示した二つ目の可能性について、わたしも吟味して二人に説明した。たぶん思いついた八千代自身、これは特例にしても特殊すぎるから、ない可能性の方が高いと踏んでいそうだけど。

 さて、残る三つ目の可能性だが、八千代は恐らくこれが本命だと思っている。わたしも考えている事があって、これが最も可能性大だと踏んでいる。

「最後の三つ目。犯人は初めから、探していたSDカードを新島さんが持っていると考えて、新島さんが過去に立ち寄ったことのある、この民宿に目をつけて、玄関やロビーを監視できる場所でずっと見張っていた」

「そこで、封筒に入っていたSDカードを、わたしが受け取った所を見て、それが目的のSDカードだと考えて奪い取った。中身はタブレット端末とかで簡単に調べられるし、その結果、間違いなく狙っていたSDカードだと分かって、他の荷物は放置してSDカードだけを持ち去った、ってことね」

 郵便物として民宿に届いたのなら、犯人たちはあらかじめ、SDカードが民宿で預けられていると知ることはできなかったはず。瑞穂が過去に来たことのある場所を徹底的に洗っていて、その最中にたまたま、瑞穂を探しに来たわたしが民宿に現れ、SDカードを受け取った所を目撃したと考えた方がいいだろう。犯人が、わたしと瑞穂の関係を知っていたかどうかは分からないが、瑞穂と同年代の女の子が、瑞穂がかつて来ていた民宿に現れ、SDカードを受け取っただけですぐに出て行けば、疑うには充分だっただろう。

「でもさ、犯人はどうして、瑞穂ちゃんが昔ここに来たことがあるって、知ってたんだろうね。ここには、美里っちとのデートのために来たんだから、家族以外で知っている人はいないと思うけど」

「だから来た時点では恋人じゃないからデートのつもりは……」

「はいはい、そこは広義のデートってことでいいでしょ、日高さん」

 大和へのツッコミを八千代に遮られた。うーん、友達とのお出かけとデートの、線引きって難しい。いわんや女の子同士だとなおさらだ。というか、大和はいつの間に瑞穂をちゃん付けで呼ぶようになったのだ。

「新島さんが家族以外の誰にも言っていないとすれば、知れる方法は一つしかない。恐らく、スマホの位置情報の履歴を調べたのよ」

「スマホの位置情報? やっちー、それって簡単に調べられるものなの?」

「正攻法で調べるなら、携帯電話会社で管理しているデータを入手することになるけど、これは裁判所の令状がない限り、警察でも入手するのは難しい。だけど、ネットを介して位置情報を常に取得できる状態にすれば、位置情報を不正に抜き取るのは可能だよ。迷子対策として、登録したスマホの位置情報を入手できるアプリがあって、それを密かにインストールしておけば、位置情報の送受信をオンにしている間は、スマホがどこにあるかほぼリアルタイムで確認できるし、設定すればアーカイブも残せる」

「うへぇ……」大和は卓袱台に顎を載せた。「子どもが迷子になっても見つけ出せるように考え出されたアプリなのに、それを悪用したってこと?」

「珍しい話じゃないよ。スマホで録音したデータをクラウドに蓄積するアプリが、盗聴に使う事が出来るように、どんな便利なソフトも、使い方次第でいくらでも犯罪に利用できるんだから」

 本当に八千代はコンピュータやネットに詳しい。というか、ネットを使った犯罪に詳しいと言うべきか。ネットやアプリを悪用した犯罪はニュースにもなるし、その手のニュースに対して耳聡いのかもしれない。

 とにかく、犯人が瑞穂のスマホの位置情報を盗んだことで、瑞穂の過去の行動歴を把握しているとすると、この民宿にだけ目をつけたとは思えない。もし、あの二人組のひったくり犯以外にも仲間がいるとしたら、他の目ぼしい場所にも、その仲間が送り込まれている可能性だってある。……あくまで仮定の話ではあるが。

 ただ、例のSDカードが瑞穂と関連していることは、わたしの手から奪い取った時点ではまだ、犯人たちにとっても確定事項ではなかったはず。それでも強硬な手段に出たのは、不確定でも可能性が高いと考えたからだ。だけど、これには少し違和感がある。

「犯人は、狙っていたSDカードが、まだ瑞穂の手元にあるとは考えなかったのかな」

「ん?」

「だって、瑞穂がSDカードをこの民宿に預けたことは、女将さんがわたしにSDカードを見せるまで、犯人には知ることができなかったはずでしょ。という事は、その時点までは、瑞穂がまだSDカードを持っているという可能性を、犯人は捨てきれなかったはず。瑞穂がまだ持っているとすれば、わたしが受け取ったSDカードが、狙っていたものだとは言えなくなってしまう」

「でも犯人は、強硬な手段に出てまで奪おうとするほど、あのSDカードが自分たちの探していたものである可能性が高いと考えていた。確かに妙だね……」

「えっと、一瞬ついていけなかったけど、要するにどういうこと? やっちーが考えた三つ目の可能性も違うってこと?」

 そうじゃない。大和は理解が追いつかなくて混乱しているが、決して三つ目の可能性が潰えたわけではない。この違和感から、犯人側の事情がおぼろげにも見えてくるのだ。

 八千代は指を二本立てて見せた。

「考えられる可能性は二つある」

「出た、色んな可能性を検証タイムだ」

 茶化してくる大和を八千代は無視した。

「一つは、すでに新島さんが犯人側の手に落ちていて、身体検査などによって、持ってないことを確認していて、引き続きSDカードを探しているという場合。もう一つは、新島さんがまだ失踪を続けていて、犯人たちも新島さんがSDカードを持っていると思っていたけど、予想外に別の場所で見つかったから回収しようとした場合」

 どっちもありそうではあるが、強いて言うなら、可能性がありそうなのは前者だ。後者の場合、瑞穂に関係する場所で見つかったSDカードだから、確証がなくてもなりふり構わず回収しようとしたことになる。ありえなくはないが、前者と比べると、可能性としていささか弱いと言わざるを得ない。

 だけど、前者が正しいとしたら、考えうる限り最悪の展開だ。

「今のところ、どっちが正解かは分からない。でもわたしは、できるなら後者であってほしいと願ってる。日高さんも、同じだよね?」

「……そうだね。そうであってほしいと、心底思うよ」

 自分の頭の冷静な部分が、前者の方がありそうだとすでに考えたせいで、わたしの声は重く沈んだものになっている。儚い望みなのだと、説き伏せられたように。

 瑞穂が、ひったくり犯の仲間に拉致されているとしたら、その目的は恐らく、瑞穂が持っていると思しきSDカードを回収するためだ。そのSDカードが犯人たちの手に渡った今、犯人たちは瑞穂を無傷で解放するだろうか。色んな犯罪行為の証人になり得るのだから、生かしておく理由は何もない。最悪、今日にでも瑞穂の身が危うくなるかもしれない。

 三人とも、この絶望的な可能性に行き着いてしまったのか、明るい和室にどんよりとした空気が漂っている。強い覚悟でわたしが始めて、軽い気持ちで二人がついてきた恋人探しは、思いもしない形で深い闇に繋がっていた。しかも、未だに実態の掴めない闇だ。ただの女子高生であるわたし達では、とても手に負えないかもしれない……。

「……待って。まだ瑞穂ちゃんが犯人たちに捕まったとは限らないんじゃない?」

 最初に顔を上げたのは大和だった。毎度のごとく気楽なことを言っているのかと思ったけど、大和の表情は真剣そのもので、はっきりとした考えがあるみたいだ。

「だって、瑞穂ちゃんはいなくなる直前に、美里っちのスマホから写真とかLINEの履歴を綺麗に消していて、しかもその後には、指輪とSDカードと手紙を、この民宿に郵便で届けているんだよ。こんなにしっかり準備を進めていたなら、ある日突然拉致されたってことはないし、いなくなった後に捕まえるのも難しいんじゃない?」

「なるほど、一理あるね」八千代も頷いた。「しかも、指輪とSDカードは、封筒に入れてここに郵送していたけど、おかげで犯人たちは、事前にここにSDカードがある事を知ることができなかった。中の便箋だけに名前があって、封筒に名前を書いていなかったって、女将さんが言っていたけど、それも、万が一民宿に犯人が忍び込んでも、簡単に見つけられないようにするためだと思う」

「そっか……瑞穂ちゃん、そんな細かいところまで考えていたんだ」

「犯人の動きをここまで予期して、周到に準備をしていたとなると、確かに犯人もそう簡単に新島さんを捕まえられないかもしれない……と思うけど、日高さんから見てどう? 新島さんはそのくらい細かい所にも頭が回るような子だった?」

 瑞穂に一度も会ったことがない二人では、瑞穂がどういう人間なのか、行動の切れ端から推測するしかないけれど、わたしは違う。わたしの方が瑞穂のことを理解していると信じて、八千代と大和は問いかけてきた。

 ……そんなこと、改めて訊かれるまでもない。自信を持って言える。

「うん、瑞穂ならありうる。あの子は、とても頭の回る子だよ。目から鼻へ抜ける、という慣用句を体現したような、賢い子だった」

「日高さんがそこまで言うなら、きっとそうなんだろうね」

「瑞穂がもし、危ない奴に狙われることを予期して姿を消したなら、その前に準備は入念にしたはず。たぶん、スマホの位置情報もオフにしているし、あるいは電源を切って、誰も瑞穂の足取りを追えないようにしていると思う」

「となると、さっき言った迷子対策アプリを使った位置情報の入手は、犯人側も使えないだろうね。すると犯人は、過去の行動履歴だけを手掛かりにして、新島さんを探そうとしていると考えられる」

「うん。瑞穂は決して旅慣れしているわけじゃないし、一度来たことのある場所に逃げ込むことは、可能性としてあると思う。まあ瑞穂なら、それも予測して、一度も行ったことのない場所を選ぶと思うけど」

「それじゃあ、失踪した瑞穂ちゃんを見つけ出すのって、完全に無理ゲーじゃん」

 残念ながらそうなる。これまで、瑞穂が失踪した理由が分からなかったから、とりあえずわたしも、瑞穂が行ったことのある場所を虱潰しに当たるつもりでいた。だが瑞穂が何者かに追われていて、それを避けるために姿を消したのなら、逆に瑞穂は、探そうと思っても簡単に見つけ出せない場所に逃げたとしか思えない。つまるところ、瑞穂の行き先に関する手掛かりは、これでほぼゼロになったことになる。瑞穂はわたしと一緒に色んな場所へ出かけたが、当然ながら、行ってない場所の方が圧倒的に多いのだ。

「犯人としても、新島さんを見つけ出す手掛かりが何もないから、とりあえずわずかでも、土地鑑のあると思われる場所を探そうとしている。この民宿も候補の一つだった。恐らく犯人たちの目算では、SDカードを持った新島さんが姿を見せたら、そこで捕まえるつもりだったんだろうね。だけど予想外なことに、民宿に来たのは、同じように新島さんを探していた日高さんで、怪しげなSDカードが日高さんの手に渡ってしまった。犯人としては、その状況を放置できず、準備不足の中で無理やりSDカードを奪い取るしかなかった」

「他の誰にも気づかれず首尾よく瑞穂を拉致して、SDカードを回収するのが理想だけど、そのための準備は使い物にならなくなった。だからなりふり構っていられなかった……」

「ということは、やっちーの考えた二番目の可能性の方が、信憑性高くなったってことだね! 瑞穂ちゃんは無事なんだ!」

「まだ希望的観測だけどね。綾瀬さんが気づいてくれなかったら、この可能性を吟味することはなかったと思うよ」

 えへへー、と照れくさそうに大和は笑う。本当にその通りで、彼女の気づきがなかったら、わたしも、瑞穂が犯人たちに捕まって命の危機に瀕していると思って、絶望に取り込まれるしかなかった。瑞穂がどういう人間なのか考えれば、むしろそっちの方が可能性として低いと分かりそうなのに……。

 色々とあり過ぎて、わたしも精神的に参っていたのかもしれない。そういう意味では、大和の楽天家気質に救われたと、言えなくもない。

「ただ、それでも引っかかる点はあるんだよね」

「なんやと?」

 珍しく褒められて気分が上向いていたのに、急ハンドルで違和感をぶつけられて、大和は笑顔を引きつらせた。なぜか関西弁になっている。

「新島さんが指輪とSDカードをこの民宿に預けたのは、いずれ日高さんが自分を探しにここへ来ると予測してのことだと思う。指輪は明らかに、日高さんに渡すものだったし」

「確かに……ということはもしかして、美里っちが探しに行きそうな他の場所にも、別の手掛かりを残しているかもしれないってこと!?」

「あるかもしれないけど、わたしが言いたいのはそれじゃない」

 また希望のある事に気づいて興奮し、卓袱台に両手を突いて身を乗り出そうとする大和を、八千代は冷静に呼びかけて静止した。

「指輪がこの民宿に預けられていたと聞いたときから、ずっと疑問に思っていたの。どうして新島さんは、日高さんの自宅に直接、指輪とSDカードを送らなかったのか」

「「!!」」

 確かにそうだ。指輪をわたしに届けて、SDカードを託すなら、わたしの自宅に送る方が確実だ。手掛かりなしで瑞穂を探そうとすれば、わたしならこの民宿に目をつける可能性はあるけれど、絶対にここへ来るという保証はないし、そもそもわたしが瑞穂を探そうとするかどうかも分からない。大事な指輪とSDカードを、わたしが来るかどうかも分からない所に預けるのはリスキーだ。

 ということは、瑞穂にはどうしても、指輪やSDカードをわたしの自宅に送れない理由があったことになる。これが普通の恋人なら、サプライズ目的で凝った渡し方をしただけだと思えるだろう。女将さんもそれらしいことを言っていた。でも、SDカードを狙っている危ない連中がいて、そいつらを警戒していたのなら、違う目的が見えてくる。

「……瑞穂は、わたしをこの件に巻き込みたくなかったってこと?」

「可能性は充分にあるよ。電車の中でも言ったと思うけど、新島さんは止むに止まれず姿を消すしかなくて、それでも日高さんと完全に繋がりを絶つのは嫌だったから、日高さんのスマホから自分の連絡先だけは消さなかった。日高さん、スマホには新島さん以外の連絡先はほとんど登録してない?」

「まさか。家族もあるし、ピアノ教室の先生と塾生と、もちろん大和と八千代の連絡先もあるよ。瑞穂が特別なだけで、他の人を疎かにしているわけじゃない」

「だろうね。たくさんある連絡先の中の一つが新島さんだとしても、それだけで新島さんと深い信頼関係があったかは読み取れない。だけど写真やLINEの履歴を見れば、日高さんと新島さんの関係は簡単に読み取れる。つまり……」

「もし犯人たちがわたしに目をつけて、何らかの手段でわたしのスマホを調べても、わたしと瑞穂の関係は知り合いという程度としか思われず、大事な物を託される可能性は低いと考えて、わたしへの追及はしないだろう……それが瑞穂の狙いってこと?」

「新島さんにとって、日高さんがそれほど大事な存在なら、それくらいは考えていてもおかしくないよ。個人宅への郵送となると、届いてすぐに相手の手に渡るとは限らない。留守にしていたり、家事に夢中で配達に気づかなかったり、色んな要因で、郵便受けに入れっぱなしになる時間ができたら、その間に犯人が郵便受けから盗む可能性がある。そうしてもしSDカードが犯人の手に渡ったら、犯人は日高さんのことをどう思うかな?」

「……瑞穂の単なる知り合いだとは、絶対に思わない」

「そうなると、SDカードを回収して追及が終わる保証がない以上、日高さんはずっと危険にさらされることになる。その可能性も考慮して、新島さんは指輪とSDカードを、関係者以外手が出せないこの民宿に預けたんだよ」

 なるほど……わたしのスマホから写真と履歴を消したことと、わたしの自宅に直接指輪とSDカードを送らなかったことは、どちらも瑞穂がわたしを危険から守るためだとすれば筋が通る。

 だけど、この推測のどこに違和感があるのだろう。わたしは気づかなかったが、先に大和が気づいて八千代に言った。

「でも待って、やっちー。瑞穂ちゃんが指輪とSDカードを入れた封筒に名前を書かなかったのは、犯人がもし民宿に忍び込んでも、簡単に見つけられないようにするためだって言ってたよね」

「そうね」

「ということは、瑞穂ちゃんは、犯人がいずれこの民宿に目をつけると予想していた、ってことになるよね?」

「ええ。恐らく新島さんは、犯人のやり口として、スマホの位置情報の履歴を調べるだろうと読んでいたのね」

「だったら、そんな場所に美里っちへ向けた手掛かりを残して、狙い通りに美里っちが手掛かりを掴んだら、民宿を見張っているかもしれない犯人に、美里っちが目をつけられるって考えなかったの? 実際そうなったわけだし」

 おお……この一時間足らずで、大和の知性がじわじわとレベルアップしているのではないか。わたしは思わず感心してしまった。

 大和の指摘は的を射ていたようで、八千代は反駁を一切することなく、眼鏡の向こうの目を細めて卓袱台に頬杖を突いた。

「そうなんだよね……新島さんは、日高さんを巻き込まないことを重視していたように見えるけど、明らかにそれと矛盾する行動をとっている。どういうことなんだろう」

「どういうことなの?」

「綾瀬さんももうちょっと頑張って考えてよ」

「うーん……」

 目を瞑って腕を組みながら、大和は真剣な素振りで唸り出した。なぜだろう……知性レベルが上がったと思った瞬間にしていなかった仕草だからか、ただの考えているポーズにしか見えない。

 瑞穂の行動の矛盾か……もちろん瑞穂だって人間だし、行動が一貫しないことだってあるかもしれないが、ことはわたしの身の安全に関係することだから、瑞穂がその点で一貫した行動をとらないとは思えない。というか、思いたくない。

 あるいは、この民宿に指輪とSDカードを預けたのは、わたしが犯人に目をつけられるリスクと天秤にかけてでも、果たしたい目的があったからなのか。

 わたしは、自分の左手の人差し指に嵌めた、愛しい恋人からの贈り物に目を遣る。瑞穂が、わたしの安全を確保することより優先するものが、あるとしたら……。

「……そうだよ、瑞穂だって本当は、わたしと一緒にいたかったはずなんだ。危ない奴に狙われたとしても、何も言わずに逃げてわたしに心配かけるより前に、わたしのそばにいるために何が出来るかを考えたはず」

「……美里っち、それは惚気かな?」

「まあ、否定はしない。指輪見てたらだんだん確信できてきた」

「ついに惚気だと認めやがった」

 大和は頬を引きつらせて、苛立ちを隠すように目を逸らした。人の彼女のことでからかってばかりのくせに、惚気たらつまらなそうにするのか。意外と他人の惚気話には興味がないのだろうか。

「それで?」八千代が尋ねてくる。「新島さんがそういう人だとしても、事実として新島さんは失踪しているわけだし、そのことはどう説明するの」

 問題はそこだ。瑞穂なら、この状況でわたしに何も言わず逃げるなんて選択肢は取らない。ということは、そもそも前提が間違っている。

「瑞穂は、逃げるために失踪したわけじゃないかもしれない」

「え?」

「わたし達はまだ、瑞穂がどんな状況に置かれているかを知らない。なんで狙われることになったのかも知らない。わたし達は……わたしは、知らなければならないことがいくつもある。そして瑞穂は、わたしが瑞穂を探し始めると予想して、あえてこの場所に手掛かりを残して、わたしに何かを気づかせようとしているんだ」

「……なんでそう思ったの?」

「恋人の勘」

 わたしがきっぱりと言い放つと、八千代と大和はぽかんとした。大層な根拠なんてありはしない。ただ、瑞穂ならどうするか、我が身に置き換えて空想しただけだ。それでも、この一年で濃密な付き合いを重ねた瑞穂のことは、誰よりも理解している。本当に理解しているか不安になりそうにもなったが、今はもう違う。

 だって、この指輪は、瑞穂が何も変わっていないことの、証だから。

「はー……」呆れてため息をつく八千代。「まあいいけど、じゃあ新島さんは、日高さんに何を気づかせようとしているの?」

「それは分からん」

「ちょっと」

「ただ、犯人たちが瑞穂の行動歴を把握していると、瑞穂が予想していて、わたしに大事な何かを気づかせるつもりなら、それはわたしだけが確実に辿り着ける場所に仕込んでいると思う。少なくとも、この民宿みたいに、瑞穂が過去に来たことがある場所に、大事な手掛かりは残さない」

「ふうん……」八千代は口元に手を添えて考える。「確かにそこは同意かな。日高さんに気づかせたい事というのが、例えば新島さんの失踪した本当の理由とかだったら、明らかに新島さんの失踪に絡んでいる犯人たちは、それをよその人に知られたくないだろうし、日高さんだけが辿り着ける場所に手掛かりを残すのはあり得るね」

「瑞穂ちゃんが失踪した本当の理由?」

「たぶん、日高さんだけが見つけられる手掛かりを見れば、それも分かるんだと思う。犯人が目をつけていたこの民宿に、指輪とSDカードを預けた理由も……」

 八千代のその言葉に、わたしは心拍が徐々に激しくなるのを感じた。確かな手応えを得られたような、そんな感覚がする。

 現状を整理して、色んな事が分かってきた。分かっていないことも、どうすれば判然とするのかも見えてきた。あと考えるべきことは一つ、瑞穂がわたしのために残した手掛かりを、どうやって見つけるかだ。

 明日は、瑞穂と一緒に出場したピアノコンクールの、会場がある町へ行くつもりだったけど、そこも犯人たちが見張っているだろうから、たぶん瑞穂は何も残していない。それどころか、わたしと一緒に行った他の思い出の場所も、全て候補から外れる。だけど、わたしが全く知らない場所でもないはず。一体どこだろう。

「日高さんの自宅に、何もない事は確認しているのよね」

「うん……朝にも話したけど、瑞穂は失踪する前に一度だけ、わたしの家に泊まりに来たことがあったから、その時に何か残してないかと思って家中を調べたけど、それらしい手掛かりはなかったよ」

「というか、瑞穂ちゃんが一度来たことがあるなら、美里っちの家も犯人たちに目をつけられているかもしれないんじゃない?」

「いや……」八千代が首を横に振る。「新島さんがその日、日高さんの家に泊まったのは、日高さんが寝ている間に、スマホから自分に繋がる写真や履歴を消すため。つまりその時点で失踪を計画していたなら、自分のスマホの位置情報はオフにしていたはず。犯人が新島さんのスマホの位置情報を調べても、日高さんの家には辿り着けない」

「ああ、なるほど」

「他にはない? 新島さんがまだ行ったことがなくて、日高さんなら確実に辿り着けると、新島さんが分かるような場所」

「改めて聞くと、意外と条件が厳しいな……瑞穂と知り合って以来、一緒に行動することの方が多かったし、ピアノ教室以外で瑞穂との接点がほとんどないから、瑞穂の方もどこまでわたしの行動範囲を把握していたか……」

「そっか、ずっと意識してなかったけど、美里っちと瑞穂ちゃんって、学校も違うんだよね。だったら、うちの学校には来たことがないんじゃない?」

「「!!」」

 またしても大和のひと言が天啓となった。

 なぜすぐに気づかなかったのだろう。瑞穂はまだ来たことがなくて、わたしなら確実に入ることができて、瑞穂もその場所を知っていて、部外者がそう簡単に入れない場所……そんなものは一ヶ所しかないじゃないか。しかも瑞穂は、その場所に手掛かりを託すことが可能であることも知っている。

「瑞穂は以前、うちの高校の文化祭に、一度行ってみたいって言ってたんだ。九月の終わり頃に開催するってことも、瑞穂に話したことがある」

「なるほどね……文化祭は準備期間中に、色んな設備や機材を搬入するために、多くの業者が出入りする。本番を迎えれば、もっと多くの外部の人間が出入りすることになる。さすがに新島さん本人が来ることはないと思うけど、新島さんに頼まれた誰かが、うちの高校に入り込んで、校内のどこかに手掛かりを隠す可能性は大いにある」

「確かに、それは充分ありうるね! 学校はこの民宿より物を隠せる場所が多いから、犯人が夜中に侵入したとしても、簡単には見つけられないし。美里っちだけが使っている場所に隠せば、間違いなく見つけてくれるよね!」

「その場合、日高さんだけが使うものをどうやって見分けるかが問題になるけど……まあ新島さんなら、上手くやってくれるでしょうけどね」

「うんうん、瑞穂ちゃんならきっと」

 会って話したこともないのに、二人はずいぶんと瑞穂の怜悧さに信を置いている。ここまで見聞きしたことだけでも、瑞穂がいかに賢く立ち回っているか分かるから、信頼するのも理解はできるけれど……あるいは、わたしの恋人だから、わたしを一番に考えて行動すると信じているのだろうか。

 どちらでもいい。この二人が、わたしの自慢の彼女を、ここまで知ってくれている事が、わたしにはたまらなく嬉しい。文化祭の準備をきっかけに知り合っただけで、そこまで長い付き合いはないけれど、今この瞬間まで一緒に過ごして、何度も救われて、わたしはこの二人と、この先も同じ時間を共有したいと、強く願うようになっている。

 八千代は冷静で物知りで、大和は明るくて正直者で、そしてどちらも、わたしが抱えている悩み事に、誠実に向き合ってくれる。だから、わたしは何度も救われた。だから、恋人の瑞穂と同じくらい、二人のことを大切にしたい。

 まあ、照れくさいから言わないけどね。

「それじゃあ美里っち、次に行くべき所は決まったね」

「うん……!」

 わたしは強く頷いた。

 次の目的地は、わたし達の高校。Xデーは、文化祭だ。


元々五話で終わらせる予定だったので、前回始まったばかりの旅は、次回で終わりです。しかも今回は半分以上が民宿の客室での会話なので、全く旅っぽさがありません。この第9章は、失踪した恋人を探すことを主軸に置くと決めているので、そういうものだと思って下さい。

次回、きっと何かが起きます。

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