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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第9話 オンシンフツウ~彼女のゆくえ~
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9-2 ゼントタナン

長らくお待たせいたしました。第2話です。

いよいよ少女の、失踪した恋人を探す旅が始まります。とはいえ5回で終わる予定なので、始まったそばから何かが起きます。

百合カップルが成立しているのに、一向にカップルの片方が出てこない、ゼンダイミモンの百合物語をご堪能ください。


 枕元でスマホのアラームが鳴る。緊張で眠りが浅かったおかげか、いつもより低い音量にしていても、すぐに目を覚ますことができた。

 着ていく服は昨夜のうちに決めていた。瑞穂(みずほ)とのお出かけ、のちデートの時は散々迷ったけれど、今回はほとんど迷わなかった。長距離移動を見越して動きやすく、汚れてもいいように、なるべく思い入れのないものを選んだ結果、衣装ケースの奥に詰め込まれていた古いパンツに決めた。……いいんだ、今日はおしゃれする必要もないし。

 時刻は四時半。普段の土曜日だったら、こんな時間に起きるなんて考えられない。しかし、高校生であるわたしが自由に使える時間は少ないから、なるべく動ける時間は多く確保しておきたいのだ。

 両親はまだ起きていない。仕事のない土曜日は大体いつも、お母さんが六時くらいに起きて朝食作りを始めて、少し遅れてお父さんが起きてくる。つまりこの時間は二人とも寝ているわけだ。

 わたしは、昨日のうちに用意した書き置きを、台所のテーブルに置いた。

『瑞穂を探してきます。落ち着いたら連絡します。明日の夕方までには帰ります。美里(みさと)

 ……なんというか、あれだな。書き置きだけ残して姿を消すって、事情を知らないと家出みたいだ。この内容だったら、家出と間違われることはないと思うけど。

 瑞穂がいなくなったことは両親も知っているし、探して会いに行きたいと、わたしは何度も両親の前で訴えている。まあ、小さい子どもみたいにごねるわけじゃなく、目を合わせず独り言みたいに、ただ願望を呟くだけだったが。朝にわたしがいなくなったら、心配はするだろうが、少なくとも書き置きの内容に違和感は覚えないだろう。

 とはいえ、両親に何の相談もせずに、一人で瑞穂を探しに行くというのは、どうも心苦しいものがある。我がままであることに違いはないし、同い年の女の子が行方をくらます前例がある以上、どうしたってわたしの不在を不安に思うだろう。

 後ろ髪を引かれる。それでも、引き返すことはできない。

「……お父さん、お母さん。行ってきます」

 誰にも聞こえないような小さい声で、誰にも届いていない挨拶を残し、わたしの髪を引く迷いを振り払った。

 外に出ると、空にはまだ朝日も現れていないが、東の地平の向こうにいる太陽が、早くも満天に薄く光を広げている。近所で起きている人は誰もおらず、遠くで雀の鳴き声がかすかに聞こえるだけで、静寂に包まれた朝の光景だった。

 キャリーケースを引きながら、わたしは早足で町の中を突っ切ってゆく。最寄りの駅の始発まで、まだ時間はあるけれど、なるべく余裕をもって動きたい。

 何しろ、今回は目的地も明確に定まっていない、行き当たりばったりも同然の旅だ。一応事前に目星はつけているが、空振りに終わる可能性は高いし、行った先で別の有力な候補地が見つかれば向かうしかない。自由に使えるのは土日の二日間だけだから、目ぼしい所は優先的に回っておきたいのだ。となると、事前にネットで切符を購入したりするのは、かえって厄介なことになる。切符は直接、券売機で買った方がいい。

 青春18きっぷでも使えれば、そんなややこしい事にはならないが、九月なのでもうとっくに販売が終わっている。

 途中でコンビニに立ち寄って、朝食用のおにぎりとサンドイッチと飲み物を買った。この時間だとコンビニ以外のお店はどこも開いていない。こういうタイトな旅だと、二十四時間営業しているお店は重宝する。

 寄り道をしつつも、始発の二十分前に駅に着いたが、やはり五時前ということもあって、窓口は閉まっている。最初の行き先は決めているから、券売機近くの路線図を見れば、切符を買うくらいは余裕でできる。瑞穂との旅行で、わたしも少しは慣れたものだ。

 それにしても……五時前だというのに駅構内にはちらほらと人影が見える。ほとんどがわたしと同様、始発の電車に乗ろうとしているのだろうか。

「こんな時間でも電車を使う人って、他にもいるんだなぁ……」

「そりゃ、電車を使うのは学生やサラリーマンだけじゃないからね」

「…………ん?」

 感慨にふけって思わず呟いた言葉に、なぜか応える声が聞こえた。それもわたしのすぐ近く、わたしの頭より少し低い所から。

「電車をこの時間から動かす人がいるように、この時間から勤務を始めることで、社会インフラを動かしている人間が多くいる。そういう人たちの需要があるから、始発がこの時間に設定されているんだよ、日高(ひだか)さん」

「…………なんで、八千代(やちよ)がここに」

 驚きすぎて大声も出せないわたし。クラスメイトにして、文化祭の準備では同じ演出班でもある館山(たてやま)八千代が、わたしのすぐ隣に立っていて、タブレット型PCを熱心に操作している。PCを持つ手にはビニール袋を提げている。

「話せば少し長くなるから、事情は電車の中でね」そう言って八千代は袋に右手を突っ込む。「シベリアあるけど、食べる? うちから持ってきた」

「いや、なんでシベリア」

「何デシベルか? 今は静かだよ」

「うるさくもないのにすげー空耳」

「おーい、切符買ってきたよー!」

 一気にデシベル値が上がったと思ったら、なんと同じく演出班の綾瀬(あやせ)大和(やまと)まで来ていた。わたしがさっき切符を購入した券売機の方から、手を振って駆け寄ってくる。薄めのパーカーを羽織っていても、立派な胸が元気に揺れているのが分かる……憎たらしい。

「はい、やっちーの分」

「うむ、ご苦労」

 大和から二枚ある切符の片方を受け取って、八千代は殿様みたいな返事をした。ちらっと見た感じだと、値段はわたしが買ったものと同じ。つまりこの二人は、わたしが切符を買ったところを見ていて、同じ値段の切符を買ったということだ。

「おっはよー、美里っち。朝も早よから精が出ますねぇ」

「……あんた達、まさか、わたしについてくる気?」

「「うん」」

 二人は揃って、微塵もためらったりはぐらかしたりすることなく、頷いた。

 この二人に言いたいことが急速に積み上がっていくけれど、どこから突っ込んだらいいのか迷っているうちに、始発の電車が来てしまった……。



 土日を使って瑞穂を探す、その計画は誰にも明かさず、わたし一人だけでやるつもりだった。それなのに、大和と八千代の知るところとなった、そのきっかけは二日前にさかのぼる。

 瑞穂が行きそうな場所の心当たりとして、二人で行った場所をリストアップし、具体的な探索ルートを計画しながら、わたしは文化祭で使うBGMの作曲も進めていた。厳密には、喫茶店のコンセプトである“宇宙”をイメージさせる既存の曲を見つけ、多少のアレンジを加えながらミックスする作業だが。あまり原曲をいじりすぎると著作権的に問題になるし、元の音源をそのまま使うのはもちろん論外だ。手元のキーボードで演奏して音を作っておき、後で編集する方が結果的には楽なのだ。

 どっちが合間を縫っていたのか分からないくらい、二つの作業は並行して進められた。そして、探索場所のリストアップがほぼ出来上がると同時に、BGMのプロトタイプもなんとか完成し、翌日には大和と八千代の二人にも聞かせることができた。

「おぉー、いいんじゃない? きらきらな星に未知との遭遇って感じ」

「ネタバレすんな」

 イヤホンで音源を聴いた二人の感想がこれだ。いや、片方は感想へのツッコミだが。大和の言うとおり、原曲には『きらきら星』や『未知との遭遇』の劇伴も含まれている。

「うん、これなら食事中の妨げにはならなそう。これで一度、総合班に提出してみる」

「よろしく。一緒に例の、手作りプラネタリウムの案も出すんでしょ?」

「イメージ図も書いてきたよ! やっちーに何度も修正入れられながら完成させた力作です!」

「イメージ図に力入れすぎんなって言ったのに……」

「じゃあ行ってくる!」

 八千代の苦言を遮るように、大和は八千代の腕を引いて走り去っていく。

「いや行くのはウチ一人でも、ってちょっとぉ~……」

 大和に引きずられて、教卓近くに陣取っている総合班の人たちの元へ連れられる八千代を、わたしはひらひらと手を振りながら見送った。

 二人がいない間に、少しでも準備を進めたいわたしは、今度は移動計画を練るために、スマホで電車の時間を調べることにした。土日の二日間をフルに使って、なるべく色んな場所を巡りたいから、まずは始発電車の時間を確認しよう。

 一口に始発電車といっても、行き先によって路線が変わるのだから、当然発車の時刻だって変わってくる。探索する予定の場所はいくつもあるから、電車で効率的に回れるルートを考えて、最初に行く場所への電車の時間を知っておきたい。

 第一ポイントはすでに決めている。わたしと瑞穂にとって、一番思い入れのある場所。その場所に向かう路線の、始発の時刻は……。

「朝の五時ちょっと……前日は早めに寝ておくか」

「何見てるの?」

 背後からいきなり声をかけられて、驚いてガタッと椅子を揺らしながら、わたしは反射的にスマホを机の中に隠した。声の主は大和だった。

「びっくりした……もう終わったの」

「うん。無事にクラス委員と総合班の認可が下りましたぁ。ぱちぱち~」

 自分で自分に拍手する大和。……クラス委員は総合班の一員なんだけど。

「で、美里っちは何を見てたの?」

「いや、別にたいしたものは……」

「……エッチなやつでも見てた?」

「そんなもの見てねーわ。わたしは男子高校生か」

 即座に突っ込む。たぶん大和も、本気でそんなものを見ていたとは思ってない。暇な時間にスマホをいじっていたわたしを、単にからかいたかっただけだ。

「分かってるってぇ。いやぁ、美里っちもそういうツッコミができるんだね。やっちーの専売特許かと思ってた」

「素でボケる奴の相手をしなきゃいけないこっちの身にもなれ」

 遅れて戻ってきた八千代が、さっそく専売特許のツッコミを大和にぶつけた。なんだか漫才コンビのような二人だが、大和が予想外のボケで八千代を振り回しているだけに見える。ご苦労さまだよ、八千代。

「お待たせ。プラネタリウムの許可は下りたし、BGMのデータも渡しておいた。まあ音楽に関しては、許可が下りるのが明日になりそうだけどね」

「中身が著作権を侵害してないか、実際に聞いて確認する必要があるもんね。時間がかかっても仕方ないよ」

「めんどくさいよねぇ。いちいち確認しなきゃいけないなんて」

 現時点で絵を描く以外の仕事をしていない大和が、億劫そうに言うが、そんな大和に八千代は呆れた顔で物申した。

「作曲家や演奏家がどんだけ苦労して作品を作ってると思ってるの。他人が苦労して作った音楽をかっさらって利益にしたら、作家たちが商売あがったりじゃない。そうならないために、著作権とかの知的財産権は大事にしないといけないのよ」

「……そうだよねぇ。作曲も演奏も、わたしできる気がしないや」

 八千代の説教はそれなりに効いたようで、大和は肩を落としながら反省する。わたしも八千代の言葉に同感だ。ピアノをやっていてつくづく思うが、音楽は楽譜にある以上に奥深いものだし、これだけの作品を生み出せる作家の力量には感服するばかりだ。

「それでね、二人とも。音楽の方は認可待ちだけど、プラネタリウム作りはすぐにでも始められるから、次の土日にでもどこかに集まって、制作を始めようかと思うんだけど」

「おお、いいね! じゃあわたしの家に来る? 必要な材料は揃ってるし」

「うむ。ここは天文部のキャリアがまあまあ長い綾瀬さんの家がベストだろうね」

「ふっふっふー、まかせといて! ……まあまあ?」

 余計な四文字が大和は引っかかったみたいだが、それはともかく。わたしは両手を合わせながら二人に謝った。

「ごめん、二人とも。土日はわたし、外せない用があって行けないんだ……」

「え、そうなの? 家の用事?」

「そうではないけど……ちょっと、個人的に大事な用事」

「……不純異性交遊?」

「ではない。そもそもそんな相手はいない。それなら大和たちの方を優先するし」

 本当にそうだから、わたしは少しも慌てることなく言い返した。

 ……まあ、不純な交遊をする()()は、確かにいない。嘘はついていないけれど、大和の嬉しそうな顔を見ていたら、かすかな罪悪感がある。本当に彼女とのデートの先約があったら、どっちを優先したか分からないし。

「用事があるっていうなら、無理強いはしないよ」と、八千代。「時間はまだあるし、日高さんにはすでに大きな仕事をしてもらっているし……手伝える時に手を貸してくれればいいから」

「ホントにごめんね……」

「気にしなくていいよ」大和も笑顔で腕を組む。「わたしとやっちーはひと仕事終えたばかりだし、少し忙しくなるくらいどうってことないよ!」

「おーい、そこの暇そうな演出班」

「これから忙しくなる予定なんですけど何か!?」

 声をかけてきた被服班の生徒にキレる大和。今のところ暇なのは事実だろうに……。

「いや、接客のことで相談したいことがあって……一応、演出班の範疇でしょ」

「そうだけど、接客は調理班以外の人たちで持ち回りだったよね」

「うん。それでね、接客の時の声掛けをどうするか、決めておきたいの。声掛けの内容にふさわしい服装にしておきたいし」

「声掛けの内容って?」

「ほら、メイド喫茶でいうところの、『おいしくな~れ、もえもえキュン♡』みたいな奴をやるなら、フリフリキュートなメイド服の方がいいでしょ?」

 ……女子だからまだいいけど、もはや伝統芸と呼ばれて久しいメイド喫茶の台詞を、リアルでやる奴は初めて見たなあ。もしそんな接客をすると決まったら、色んな理由をつけて接客担当から逃げることにしよう。

 唐突な『もえもえキュン♡』にドン引きしているのは、八千代も同じだった。

「……とりあえず、うちの喫茶店のコンセプトから離れないようにしようか」

「宇宙っぽい接客ってことだよね。とりあえず演出班で何か考えて、総合班を介してみんなと共有しておきたいんだけど、先に被服班に報告してくれたら助かるなーって」

「まあいいけど……宇宙っぽい接客ってどうもピンとこないな。そもそも宇宙ってコンセプトがピンときてないのに」

「それを言ったらおしまいだよ、八千代ちゃん?」

「あ、こんなのはどうかな!」

 何か思いついたらしい大和。両手を大きく振り回しながら、考案した決め台詞をビシッと言い放った。

『宇宙の味を、ご賞味あれっ、あぶだくしょーん♡』

 ……これをおまじないみたいに、オムライスとかにかけるわけね、なるほど。

「よし、それでいくか」「総合班に報告してくる」

「ちょっとぉ! もう少しくらい検討とかしてよぉ! わたしだって正直やっちまったなって思ったんだけどぉ!?」

 くるっと踵を返してその場を離れようとする八千代と被服班の子を、大和は必死の形相で止めようとする。もちろん完全にやっちまっているので、八千代たちがこの案を総合班に報告することはなかったが。

 大丈夫なのだろうか、このクラス。



「つまり、その時に大和がちらっとわたしのスマホを見ていて、土日を使って電車でどこかに出かけると察したわけね」

「そういうこと」

 動き始めた電車の中で、わたしと大和と八千代は並んで座っている。始発というだけあって()いていて、三人が並んで座るだけの余裕はどこにでもあった。わたし達が乗っているこの車両に、他の乗客は四人しかいない。だからほとんど人目を気にせず会話ができている。

 ちゃっかり真ん中を陣取った大和が、どこか自慢げに説明を続ける。

「検索していた行き先も県外だし、高校生が普通に生活していたら、始発の時刻なんてまず気にしないもんね。おまけに今週の土日に用事があるって言うんだから、きっと泊まりがけで遠くに行くつもりなんだと思ったわけだよ」

「それで、野次馬根性丸出しで、わたしの後をつけてみようと企んだのね。泊まりがけになることを見越して、着替えまで用意して……」

 大和も八千代も、足元に置いた荷物は、わたしのキャリーケースと同じくらいの大きさだった。たぶん着替えだけじゃなく、遊び道具とかも持ってきている。わたしの旅の目的まで知っているかは定かじゃないが、少なくとも二人は、行った先で遊ぶことも視野に入れている。

 わたしは恐らく、もとい絶対に、遊んでいる暇などないと思うが。

「二人とも、プラネタリウム作りはいいの? 大和の家に集まって作るんでしょ。まだ時間があるとはいえ、土日を有効活用しないのは……」

「まあ、どうにかなるんじゃない?」大和はお気楽そうだ。「天球の3Dデータはとっくに作っているし、後はガワだけ印刷して、穴をあけて、球状の骨組みの上に貼りつけるだけだから。土日が潰れてもどうにかなるって」

「そこはかとなく見積もりが甘い気がするんだけど……」

「いざとなったら他の班のメンツも巻き込むから、とりあえず日高さんは、恋人探しに集中した方がいいんじゃない。何かしら安心材料がないと、文化祭準備にも気を配れないだろうし」

「いやもちろん文化祭の準備だってちゃんと……今なんて?」

「今なんて?」

 八千代が何の気なしに放ったひと言に、わたしはもちろんだが、大和までもが耳を疑ったように聞き返した。

「ん? どうかした?」

「どうかした、じゃないよ。恋人探しって……なんでそこまで知ってるの?」

「そうだよ、わたしも聞いてないよ。てか美里っち、恋人いたの? やっちーの言ったこと当たってるの?」

 わたしと八千代の両方に問い質したいことがありすぎて、大和は何ともせわしない。

「まあ、当たってるっちゃ、当たってるけど……」

「不純異性交遊するような相手はいないって言ってたじゃん! あれは嘘だったのか? この裏切り者! ユダの権化! リア充! 羨ましい!」

「途中から怒りが妬みに変わってる……」

「落ち着け、綾瀬さん。人少ないけど大声は迷惑だし、車内で立つのは危ないから」

 弾みで立ち上がってわたしに文句を並べ立てる大和を、八千代がなだめる。実際、四人しかいない他の乗客はみんな、変なものを見る目で大和に注目していた。悪目立ちする行動は控えてほしいものだ。

「それと、厳密には日高さん、嘘は言ってない。付き合っている相手は女の子だから、異性ではない」

「えっ、そうなの? うーん、女の子かぁ……うーん……まあ、それならいっか」

 ちょっと考え込んだが、大和は割とあっさり呑みこんで、大人しく座席に座った。二人とも、女の子同士で恋人になったことを、特になじったり気味悪がったりする様子はない。それなりに理解のある人たちで助かった。

 何しろうちの学校ではつい先日、女の子同士での恋愛が取り沙汰されて、一人の女子生徒が不登校に追い込まれるという事件があったばかりだ。同じ学校の生徒なら、同性愛に厳しい目を向けてきても不思議はない。元より他の誰にも打ち明ける気はなかったけど、真白(ましろ)先輩からその話を聞いてから、より気をつけていたのは確かだ。

「ちなみに恋人探しのことは、三年の真白先輩から聞いた」

 ……うおぉ、心臓が止まるかと思った。

 八千代の口から、タイミングよく真白先輩の名前が出て、わたしは声も出せないほど驚いた。しかしまあ、なるほど。あの人に事情を聞いたのなら納得だ。考えてみれば、わたしの計画が漏れるとすれば、先輩からという他はなかっただろう。

「真白先輩って、わたしが美里っちに紹介した……」

「そう。最初は、ずっと連絡が取れていないっていう学外の友達を探すために、人物を描くのが得意な先輩に依頼したのだと踏んで、先輩に事情を聞くことにしたの。予想は大体当たっていたけれど、相手の女の子は友達じゃなく、恋人だって聞いてね……さすがにそれは予想外だった」

「うん、それは確かに予想できんわ……」

「日高さん、先輩のことは責めないであげてよ。絶対に口外しないって約束で、無理を言って事情を聞かせてもらったんだから」

「分かってる。八千代はわたしを心配して、事情を知りたがっていたんだろうし、そのことで二人や先輩を責めるつもりはないよ」

「心配はしたけど、同じくらい個人的な興味もある」

「左に同じ」

「あっそ」

 むかっ腹が立つ。下世話な興味を隠そうともしない二人に、わたしは怒りを通り越してもはや呆れていた。元より、友達でも何でもない二人が、純粋に心配だから色々聞いてついてきた、というのが無理のある話である。

「ところで、これも真白先輩から聞いていて、わたしも疑問に思ったんだけど……なんで似顔絵なの? 恋人なら写真とかあるものだと思ったけど」

 ……心に澱が混ざったように感じた。

 八千代が言う疑問は、わたしも真白先輩から聞いていた。先輩は詳しい事情を踏み込んで聞こうとしなかったし、わたしも先輩を巻き込むつもりはなかったから、聞かれなかったのは幸いだと思っていた。だが、これからわたしの捜索に付き合う気が満々の二人に、その疑問について答えないわけにはいかない。

「まあ、尤もな疑問だね……恋人になる前も普通に友達として、写真を撮ったことはもちろん何度もあるよ。でも……全部なくなってた」

「全部なくなった?」

「うん。写真は全て、わたしのスマホの中に入っていたんだけど、そのデータが残らず消えていたの。それも瑞穂……わたしの恋人が写っているものだけが、全部」

「クラウドに自動保存されたデータも?」

「うん。ご丁寧にアーカイブも全て削除されていた。まあ、もしかしたら本体のバックアップには残っているかもしれないけど、わたしができる範囲では、もうどのデータも復元できなかった」

「よく分かんないけど、その恋人が写っている写真は全部削除されていたってこと?」

 大和だけは話についていけてなかったが、まあ端的に言えばそういうことだ。瑞穂の写っている写真だけがごっそり、バックアップも含めて全て消えているとなると、わたしのミスということは考えにくい。というか、何かのミスで瑞穂の写真を消したなら、わたしが何が何でも復元しようとしたはずだ。

 つまり、何者かが意図的に写真のデータを削除したのだ。誰の仕業か。外部からハッキングを仕掛けてデータを消す……というのは不可能じゃないだろうが、それなら他の写真を残す必要なんてない。わたしのスマホの端末から直接アクセスして、手作業で写真を選んで削除したと考えるべきだろう。それができたのは……。

「……データがなくなっていることに気づいた日の少し前、瑞穂がわたしの家に泊まりに来たことが、一度だけあった。わたしのスマホは指紋認証で解除できるし、わたしが寝ている間に、瑞穂がわたしの指を使ってスマホを開いて、データを消した可能性は、ある」

「それって、彼女さんが自ら、美里っちとの関わりを絶ったってこと?」

 受け入れがたいが、そうとしか考えられない。だが一方で、完全に関わりを絶つつもりだったかは怪しい。

「写真だけじゃなく、メールやLINEのやり取りも、全て消されていたんだ」

「なんか、怖いくらい徹底してるね……」

「でもどちらも、連絡先は保存されたままだった」

「え?」

 大和は眉をひそめる。

 瑞穂の写っている写真のデータが、全てなくなっていることに気づいて、不安が荒波のように押し寄せた。何か、瑞穂の気に障るようなことをして、嫌われて、関わりを絶たれたのかと思った。しかし、慌てて自分のスマホを調べて、妙なことに気づいたのだ。メールやLINEも、過去のやり取りは同じように消去されていたが、連絡先は登録リストにちゃんと残されていたのだ。つまり、繋がりを完全に絶っていたわけではなかったのだ。

「どういうこと? なんか、彼女さんの行動がちぐはぐな気がする……」

「ひとつだけ言えることがあるよ」八千代が口を開く。「姿を消したことも、関わった痕跡を消したことも、その瑞穂さんの意思ではあっても、本意ではなかった」

「本意じゃない?」

「具体的なことは分からないけれど、離れたくないけど離れざるを得ない、消したくないけど消さざるを得ない、そういう事情があったんだと思う。その二律背反の結果、連絡先だけは残しておいた……ということじゃないかな」

 行動がちぐはぐに見えるのは、瑞穂の中でも心が定まっていないから。自分の本意と取るべき手段が食い違うから、どちらも中途半端になってしまう。八千代の言うことには説得力がある……人間なんて、気持ちと手段をそう簡単に割り切れるものじゃない。

「少なくとも、日高さんに原因があったとは思えないよ」

「……ありがと、八千代」

 可能性のひとつにすぎないが、八千代はわたしを元気づけるつもりで、この話をしてくれたのだろう。瑞穂のいた痕跡を本人の手で消されたことで、他人に打ち明けるのも憚られるような苦しみを、わたしが抱えていると察して……。

「さて、これからわたし達はどこに向かおうとしているのかな。わたしと綾瀬さんは、日高さんと同じ切符を買っただけだから、行き先までは知らないんだよね」

「窓の外の様子と運賃から察するに、海辺の町に向かっていると見た」

「綾瀬さん、そういうの分かるの」

「星空観測であちこちに行ったから旅慣れてるって、前に言ったでしょ? この近辺の路線は知り尽くしているのだよ」

「そういえばそうだったね。今度、一人旅をする時は綾瀬さんを携帯することにしよう」

「それ一人旅って言わねー」

 漫才よりも実のない会話を展開する二人。やっぱりいいコンビだな。

 小芝居の続きは後に回すとして、わたしはさっきの八千代の質問に答える。

「行き先は、わたしと瑞穂が、この間の夏休みに出かけた、海辺の町」

「ほら当たった」

 得意気になる大和はとりあえず無視。

「夏休みを利用して、二人で色んな所に出かけたの。今からわたしが探すのは、そういう場所。思い出の地を巡る旅でもあるの」

「そのうちのどこかに、瑞穂さんがいるかもしれないの?」

「一緒に何度も旅行したから分かるんだけど、瑞穂は大和と違って、旅に慣れていない。どこかに身を寄せるにしても、自力で行ける場所は限られている。だから、まずは瑞穂が行ったことのある場所を、思いつく限り片っ端から当たっていくつもり」

「途方もない旅になりそうだねぇ……」

「警察が捜索にてこずるくらいだからね、決して楽ではないよ。でもまあ、似顔絵も描いてもらったし、聞き込みくらいなら、わたしでもできると思うから……」

 そう言ってわたしは、ハンドバッグの中から瑞穂の似顔絵を取り出す。四つ折りにされた画用紙を開くと、真白先輩が見事に描き上げてくれた、愛する人の姿が露わになる。隣の大和が覗き込んでいた。

「へえ、この人が彼女さんかぁ。美人だなぁ……そして真白先輩、めっちゃ上手いな」

「あの人がいなかったら、何の手掛かりもなしに聞き込みをする羽目になっていたよ」

 真白先輩のためにも、彼女との約束のためにも、必ず瑞穂は見つけ出そう。時間がかかると分かっていても、今のわたしにはもう、立ち止まる理由なんてない。

 それに、遊び半分だとしても、わたしの旅に同行してくれる二人がいる。頼りになるかは分からないが、一人で当てもなく瑞穂を探し続けるよりは、だいぶ心が楽になる。不安や疲労で潰れそうになっても、二人はきっとわたしを支えてくれるだろう。

 走る電車に揺られながら、わたしは心の中で二人に告げる。少しは期待しているよ、と。



 この町に降り立つのはほんの数週間ぶりなのに、すでに懐かしい感覚がする。この数週間に色んなことがあった、というほどでもないが、わたしの中で考えたり思い悩んだりする回数が多すぎた、そのせいかもしれない。

 駅を出て、海沿いの道を三人でぶらぶらと歩く。空は薄く曇っているものの、九月の半ばはまだ暑さも残っている。だからこそ、潮風と波の音が心地よく、ほどよく肌に滲む汗が涼しく感じる。

 大和が腕時計を見ながら呟く。

「始発の電車に乗ったのに、もう九時過ぎだ……意外と遠かったね」

「瑞穂と一緒に来たときは、もう少し遅い時間に来ていたよ。どうせ泊まるつもりでいたし、海で遊ぶなら午後でも十分だしね」

「なるほど、泊まりで海水浴デートか」

「ここに来たときはまだ友達だったんですけど」

 真顔で茶化してくる八千代にはこう言ったけど、初詣での時から明確に瑞穂を好きになっていたわたしにとって、あれはデートだったと思う。たぶん瑞穂にとってもそうだったと、わたしは信じている。うーん、デートの定義って難しい。

「それで? まずはどこから聞き込みを開始する?」大和が尋ねる。

「闇雲にやっても成果は出ないだろうからね。まずは瑞穂が頼りそうな場所を当たってみるよ」

「この辺りに親戚でもいるの?」

「いや、完全に無関係な土地。ただ遊びに来ただけだからね。この辺りの人と特に仲良くなったわけでもないし。たぶんこの町の人たちも、観光客の一人に過ぎないわたしや瑞穂のことは、覚えてないでしょうね」

「望み薄じゃん。金箔より薄いじゃん」

 なぜ金箔。

「ただ、何らかの形で瑞穂が名前を残していれば、頼りにはしやすいと思う。宿泊に使った民宿には当然記録があるし、海で遊んだ時も、船でこの辺りの奇岩を巡るイベントに参加して、その時に名簿に名前を書いたはずだから」

「奇岩を船で巡るイベント? 何それ面白そう!」

「綾瀬さん、今はそこじゃない」

 天文部の大和は地学全般に興味があるのか、奇岩を巡るイベントと聞いて目を輝かせた。わたしと瑞穂はチェックインまでの時間を潰すために、寄り道気分で参加しただけだったが、大和ならそれなりに楽しめそうだ。もっとも八千代の言うとおり、今はそれを気にしている場合じゃない。

「というわけで、まずは宿泊に使った民宿に行ってみようと思う。瑞穂が来たか、そうでなくても連絡をしてきたかどうかを……そこが空振りだったら、今度は奇岩巡りツアーの事務局に聞いてみる。その後は駅周辺や商店街で地道な聞き込みかな」

「先は長いのぉ……」

「手掛かりがほとんどない状況だからね、長い戦いは覚悟の上だよ」

「わたし達はそこまでの覚悟でついてきたわけじゃないんだよなぁ」

 興味本位、遊び半分でついてきた大和と八千代に、わたしもそこまでは期待していない。どうせ今回は土日だけしか使えないから、成果が上がる保証なんて最初からないのだ。二人に期待することがあるとすれば、いける所までついて来て、精神的な支えになることくらいで、瑞穂が見つかるまで巻き添えにするのは悪いと思うし。

 さて、こんな話をしている間に、わたし達は目的地の民宿に辿り着いた。

 民宿とはいうものの、小さいながら温泉もあり、どの客室からも海が綺麗に見渡せるとして、なかなか評判の高い宿だ。当然ながら夏場は予約をするだけでも大変なので、わたしは瑞穂とここに来る際、夏休み前から予約を取り付けていた。まあ、近場のいい宿泊施設がどこも満室になっていて、たまたま一室だけ空いていたのがこの民宿だったのだが。

 九月になってハイシーズンが過ぎたからか、土日だけどお客さんは少ない。ロビーに二組ほど見えるだけだ。開け放たれた玄関をくぐって、わたし達はロビーに踏み入った。

「へえ、いい感じのお宿だねぇ」

「立地も眺望も優れているし、少し古風な外観が趣を感じさせますな」

「やっちー、お堅い観光案内のレビューみたいだよ」

 初めてここに来た大和と八千代は、建物の中に入ってから辺りを見回して、思い思いに感想を言っている。八千代の方は感想というより批評めいているが……。

「ここ、小さいけれど天然温泉もあるよ」

「マジでっ?」大和が目を輝かせた。「よし、やっちー! 今夜はここに泊まろう!」

「マジで何しに来たのよ、あんた」

 白い目で大和を見ている八千代。わたしの恋人捜索に付き合うつもりなら、ここに泊まる可能性はかなり低いはずなのだが、大和は分かっているのだろうか。

「えー? せっかく温泉宿に来たのに温泉に入らないのー?」

「どんだけ温泉好きなのよ」

「旅先で疲れた体を癒すのに、温泉ほどぴったりなものはないんじゃよ。わたしゃ星空観察に出かけるたびに、その土地の温泉に入っておるからの」

「でも今回の目的は温泉じゃないんだよ、おばあちゃん」

 何やら二人が寸劇っぽいものを始めたので、わたしは放っておくことにした。受付に歩み寄り、カウンターの向こうにいる和服の女性に声をかける。

「すみません……」

「いらっしゃいませ。ご宿泊の方ですか」

「いえ、そうではなくて、ちょっと尋ねたいことがあって……」

「はい、何でしょう」

新島(にいじま)瑞穂という女の子が、ここに来ていませんか。わたしと同じくらいの歳の子で……こんな顔の子なんですけど」

 ハンドバッグから瑞穂の似顔絵を取り出し、受付の女性に見せる。女性はカウンターから少し身を乗り出して、似顔絵をじっと見た。

「うーん……覚えはありませんが、うちの従業員とかですか」

「いえ、一度ここに、わたしと一緒にお客さんとして来たことがあって……今月に入ってから、ここを訪ねてきてはいませんか」

「さあ……どうだったかしら」

「どうなさったの」

 受付の奥から暖簾を手で払って入ってきた、別の和服の女性が話しかける。

「ああ、女将さん。こちらのお客様が、人を探していらっしゃるそうで……」

「新島瑞穂って子なんですけど、今月に入ってから来たことありませんか」

「新島……あら、もしかしてあなた、先月うちに二人で泊まっていかれたお客さん?」

「えっ? はい、そうです……」

「やっぱり。また来てくださって嬉しいですわ」

 朗らかに笑う女将さん。一度しか来ていないはずの客であるわたしや瑞穂のことを、未だに覚えている従業員がいたとは驚きだ。

「覚えていたんですか……? わたし達のこと」

「ええ。高校生の女の子が二人だけで泊まりにくるなんて、珍しかったですし。何よりチェックアウトの時、指を絡めて手を繋ぎながら帰っていかれたから、印象に残っていましたのよ。恋人繋ぎというものですね」

 見られてた……。

 お互いに募っていた恋が実って、その日の夜を境に関係が前に進んだことに浮かれていたのだろう。従業員や他の客もいるロビーで、わたし達は堂々と恋人繋ぎをしていて、しかもどちらもその自覚がなかった。一目があることも気にせず、意味ありげな手の繋ぎ方をしておきながら、わたしは今日言われるまで気づいていなかった……。

 ヤバい、これは普通に恥ずかしい。女の子同士ということを差し置いても、瑞穂との関係を赤の他人にまで、気づかぬうちに知られたうえに、微笑まし気に暴露された。穴があったら頭から突っ込みたい気分だが、今はそれどころじゃない。

「あ、あの時は、大変お世話になりました……」

 羞恥で頭が沸騰して、プシューと音が鳴りそうな気がした。

「いえいえ、こちらこそ。それより、あの時に一緒だった方を、探していらっしゃるのですか」

「ええ……あれからすぐ姿を消して、連絡もつかなくなって」

「あら、大変ですね……」

「それでこうして探しているんですけど、あれからここには来ていませんか」

「そうですね……お二人のことをこうして覚えていますし、訪ねてきたらさすがに分かると思うのですが……」

 そんな覚えはないのだから、瑞穂が来ている可能性は考えにくい……分かってはいたが、改めて現実を突きつけられると、心にずっしりとくるものがある。

 しかし、話はここで終わらなかった。

「ああでも、確か……少しお待ちくださいね」

 そう言って女将さんは、再び奥へ姿を消した。

 何だろう……お待ちくださいと言われたから待っていると、大和と八千代の二人が戻ってきて、わたしの背後から声をかけた。

「どうしたん? 何か成果あった?」

「よく分からないけど、わたしと瑞穂のことを女将さんが覚えてた」

「いたんかい、知ってる人」

「一度来ただけで従業員に覚えられるって、いったいどんな目立つことをしたのかしらねぇー」

 八千代がニヤニヤしながら訊いてくる。こいつがどんな想像をしたか知らないが、そんな顔をされるような事などしていない。……キスと、恋人繋ぎくらいで。

「で、その女将さんはどこ行ったの?」

「お待ちくださいって言って奥に引っ込んだ……あ、戻ってきた」

「お待たせしました」

 女将さんは一枚の茶封筒を持って、受付に戻ってきた。

「それは?」

「お客様からうちに届いた、お手紙のひとつです。お礼の手紙とか贈り物は、残せる限り奥の部屋に保管していまして、これは今月の頭に届いたものです。封筒に差出人の名前は書かれていなかったのですが、中の便箋に、新島瑞穂という名前があったのです」

 今月の初めに届いた、瑞穂からの手紙……つまり、瑞穂が失踪したそのタイミングで、出されたということだ。

「あの、その便箋には何と?」

「うちの民宿への感謝の言葉と、もし自分を探している高校生の女の子が来たら、同封している袋の中身を渡してほしい、と書かれていましたよ」

「美里っち、それってやっぱり……!」

 大和の想像したとおりだろう。瑞穂はここに来ていないが、いずれわたしがここに来る可能性を予期して、手掛かりあるいはメッセージを残しておいたのだ。それほど期待していなかったけど、ここに来たのは正解だったようだ。

 とにかく、瑞穂がわたしに何を残したのか、確かめなければ。

「その袋、わたしに見せていただけませんか?」

「ええ、もちろん。それにしてもあなたの恋人は、凝った仕掛けがお好きなのですね」

「……果たして好きで凝っているのか」

 八千代が何やらぼそっと呟いたみたいだが、上手く聞き取れなかったわたしは、気にせず女将さんから茶封筒を受け取った。民宿への伝言が書かれた便箋はすでに抜かれていて、封筒の中には小さな紙製の袋だけが入っていた。中身がかなり小さいのか、袋は手のひらに収まる大きさに折りたたまれている。

 袋を広げて中身を手のひらの上に落とすと、ころんと転がるものが二つあった。ひとつはSDカード。そしてもうひとつは……。

「指輪だ……」

「これ、あの時の……」

 わたしの手のひらに転がった指輪に、わたしは強烈に見覚えがあった。

 夏休みの中盤、この町の海に出かける前に、二人で買い物に出かけたときだ。それはつまり、わたしと瑞穂がまだ友達だった頃の、最後のデートだ。ショッピングモールを散策していた時に、わたし達はふと、ジュエリーショップのショーウィンドウに陳列されていた、ペアリングが目に留まった。宝石とかはないけれど、リングの細工が綺麗で、値段はまあ、高校生が入手するには覚悟がいるレベルだった。

 手持ちにも余裕はなかったし、その時は買うのを断念していたけど、そのペアリングを見て、二人でこんな会話をしたのを覚えている。

『……いつか、こういうのを、二人でつけてみたいね』

『えっ!? う、うん……』

 思えばあの時には、瑞穂のわたしへの気持ちを、察していてもよかったかもしれない。情けないことに、瑞穂の一言に混乱して、まるで考えが及んでいなかった。

 思い返せば恥ずかしい出来事だったけど、それだけにあのペアリングのことは、わたしもしっかりと覚えていた。そして今、瑞穂も同じだと分かった。決して安物じゃなかったあの指輪を、わたしの分まで手に入れて、片方だけをわたしに贈ってくれた。

 小さな指輪が収まる手のひらを、わたしは胸の前でぎゅっと握る。

「よかった……」

 油断すると吹きこぼれてしまいそうな何かを、わたしは必死に抑え込んでいた。周りには人がたくさんいるから、これ以上の醜態を見せたくなかったのだ。せめて、あの子にもう一度会うまでは。

 ずっと不安がつきまとっていた。何ひとつ原因が思い当たらないのに、結ばれたばかりの恋人が唐突に姿を消して、それから何度も、わたしは瑞穂に捨てられたのでは、という嫌な想像が頭をよぎっていた。その度に振り払いたかったけど、はっきりと否定できる根拠が手元にないせいで、不安は脳の片隅にこびりついたままだった。

 でも……この瞬間に、くすぶっていた不安は散って消えた。

「わたし、捨てられてなんか、いなかった……」

 時間は少しかかったけど、瑞穂からのプレゼントを受け取ったわたしは、溢れんばかりに膨らむ瑞穂への気持ちごと、噛み締めるように胸に抱きしめた。

 目を閉じているせいで分からないが、どこからかむせび泣くような声がする。どこまでわたしの事情を察したか知らないけど、愛の証たる指輪を受け取って感極まっているわたしを見て、もらい泣きしている人がいるらしい。ここの従業員なのか、ロビーにいる他のお客さんなのか、あるいは全員なのか……まあ、今のわたしにはどうでもいいことだ。

 ただ、両隣に立っているはずの大和と八千代は違っていた。二人がどちらも違うことを考え、それぞれわたしの知らない思いを抱きながら、わたしを見つめていたことに、この時は気づいてもいなかった。



 民宿を後にして、わたし達はここまでの来た道を逆に辿って歩いている。吹き抜ける潮風の涼しさは、行きの時と変わらないはずなのに、なぜか少し心地よさが増した気がしていた。波の音や海鳥の声すら、美しいクラシック音楽のように感じる。

 たぶんそれは、わたし自身が浮かれているからだろう。左手の人差し指、その付け根に嵌め込まれた、やけにきらめいて見えるリングに、わたしは顔が綻ぶのを抑えられない。まだ当初の目的を果たせたわけじゃないのに、お気楽なものだと、両隣の二人は呆れてしまっているだろうか。

 わたしから見て海側に並んでいる大和は、眩しそうに目を細めて笑っている。

「ご機嫌だねぇ、美里っち。ていうか、さっそく指輪つけてるんだ」

「まあね。もらった以上は、指輪として使いたいし。それに、こうしてつけていれば、次に会った時に、瑞穂が喜んでくれると思うから……」

「次に会える時、か……その時が来るって本気で信じているんだね」

「そりゃあ、瑞穂に会うためにこうして動いているわけだし、どこかで会えると信じていなきゃ、こんな大それたことはしないよ」

「まあ、そうだろうけどさ……」

 大和はわたしと目を合わせずに、けれども笑みを崩すことなく呟く。ただ、その目はなぜか冷めていて、言い方もどこか皮肉っぽくわたしには思えた。

 無理もないかもしれない。面白半分でついてきた先で、たいして親しくもない同級生の、惚気にも似た言動を見せられて、心底喜べるとも思えない。瑞穂が見つかるという保証も現時点ではないのだから、わたしの言っていることはずいぶんと能天気で、呆れられても仕方のない事だ。

「てか、それって人差し指に嵌めるやつなの? てっきり左手の薬指かと思った」

「嵌める場所が決まっている指輪ではないんだけど、人差し指につけるのはインデックスリング……目標に向かって突き進む意味があるらしいよ。左手は特に恋愛に関して、前向きになれるようにという願いが込められてるんだよ」

「へぇー、それは初めて知った」

「それに……薬指はいちばん大事な場所だから、瑞穂の手で嵌めてほしいし」

「けっ、惚気か」

「そんなんじゃないし! ……いや、そんなんでもあるのか」

 今度はあからさまに皮肉交じりで嘲笑った大和に、わたしは慌てて否定しようとしたけど、よく考えたら惚気と言えなくもない内容だった。うぅむ、この二人に色々と事情を知られていることもあって、ちょっと気を抜いているのかもしれない。

 二人……そういえば八千代はさっきから静かだな。横を見ると、彼女は何も聞こえていないかのように、眉ひとつ動かさず真顔で前を見ている。たぶん、前方に何かあるわけじゃなく、ずっと熟考を続けていたのだろう。

「八千代、どうしたの?」

「ん?」視線だけこちらに向け、すぐ戻す。「んー……収穫はあったな、と思って」

「いやいや、やっちー。結局瑞穂さんはいなかったわけだし、プレゼントの指輪が美里っちに届いただけじゃん」

「あなたの顔に節穴は七つあるのね」

「えーと、口と鼻と耳と目と、あと小さいけど毛穴があるから七つどころか無数……って何だとコラ」

 わざわざ自分の顔のパーツを一か所ずつ指差してから、笑った顔で怒る大和。こいつらは一日に何度も漫才をしないと死ぬ病気なのか……?

「指輪が入っていた袋には、もうひとつ入っていた物があるでしょ」

「ああ、これね」

 指輪が入っていた袋……が入っていた封筒と、同封されていた便箋は、民宿に宛てられたものだからそのまま預けているが、袋とその中身はわたしがもらっていた。わたしは袋の中から、もうひとつの贈り物、SDカードを取り出して指先につまんだ。

「何だろう、これ」

「さあ……美里っちのスマホから消された写真のデータだったりして」

「まさか。あんなに入念に消しておいて、今さらこんな形で返す意味なくない?」

「だったらあれだ、めっちゃ恥ずいプロポーズを撮影したビデオレター」

「……わたしの彼女を変なキャラにしないでくれる?」

 会ったこともない女の子の性格を妄想するのは勝手だけど、その女の子のことをよく知っているわたしの前で垂れ流さないでほしい。少なくとも、瑞穂は自分の気持ちをわたしに伝える時は、ストレートに言葉にするタイプだ。こんな遠回しな方法は使わない。……よほどの理由がない限りは。

「まあ、何が入っているかは、調べればすぐに分かるよ」と、八千代。「わたし、PC持ってきてるから、すぐに調べられるよ」

「そういえば駅で使ってたね」

「今ここで中身を見ることもできるけど、場合によってはネットに接続する必要があるかもしれないから、Wi-Fiがある所でやろうと思うんだけど」

「Wi-Fiがある所っていうと、コンビニとか、喫茶店とか?」

 直後、ぐぅぅ、という大型の爬虫類のうめき声みたいな音が鳴った。音がした方をわたしと八千代が振り向くと、顔を赤らめて明後日の方を向いている大和がいる。

「…………」

「……どこかにコモドオオトカゲでもいるのかなぁ?」

「日本にそんなものがいたら大ニュースだわ」

 すっとぼける大和に、八千代は冷静に突っ込む。確かコモドオオトカゲは、インドネシアの森の中にいるんじゃなかったかな。鳴き声なんて知らんけど。

「朝は早かったし、もうそろそろお昼どきだから、喫茶店にでも行かない?」

「そうだね。綾瀬さんもそれでいい?」

「……よきにはからえ」

「ぎょいー」

 まだ腹の虫のことで恥ずかしがっているのか、大和が目を逸らしたまま武士語で答えたので、八千代もくだけた感じで返答した。こんなにやるときのない御意、時代劇でもなかなかお目にかかれないな……普段見ないけどさ。

 SDカードを袋に入れて、ハンドバッグに仕舞うと、スマホを取り出そうと手探りながら、わたしは八千代に話しかける。

「近くの喫茶店を調べてみる?」

「駅の近くでそれっぽいお店を見かけたよ。Wi-Fiがあるかどうかは分からないけど」

「じゃあ、とりあえずそこに行くかぁ……」

 そんな会話をしているわたし達に、轟音が猛スピードで迫ってきた。そして、接近に気づいたときには、わたし達のすぐ横を走り抜けていった。耳に響くほどのエンジン音と、鼻の奥を突くような煤煙を、わたし達の周りに漂わせて。

 潮風のおかげで排気はすぐに拡散して薄くなったけど、あのバイク、わたし達の横をすれすれで通り抜けていったな……危ない走行をする奴もいたものだ。

「こらーっ、そこのバイク乱暴すぎるぞーっ!」

 大和なんか直接大声で怒鳴りつけるし。そのまま通り過ぎていくバイクの人には、たぶん届いていないと思うけど。

 そのバイクが視界から消える前に、事態は起こった。

 呆然として走り去るバイクを見つめていて、わたしは手元への注意を怠っていた。まだ喫茶店をスマホで探す必要はないと思い、ハンドバッグから手を抜いて、ジッパーを途中まで閉めたときだった。突然後ろから、走ってきた何者かがわたしの背中にぶつかった。

「ひゃっ!」

 ぶつかった衝撃で思わず声が出た。そしてその一瞬で、ぶつかった人物はわたしのハンドバッグを掠め取ったのだ。

「…………えっ?」

 何が起きたのか、すぐには理解が追いつかなかった。

 ハンドバッグを奪った男が、ひったくりだと気づいたときには、そいつはさっきのバイクが減速したところを狙って後部席に飛び乗り、一緒に逃走していた。

「ちょっ……こらっ、ドロボーッ!」

「待って、綾瀬さん!」

 わたしよりも先に反応して、大和は叫びながらバイクをダッシュで追いかけ始めた。そしてその大和を止めようと、八千代も続けて走り出す。わたしは……頭が真っ白になって、その場に立ち尽くすしかなかった。

 さっきは、あのひったくりを男と言ったが、フルフェイスメットのせいで顔も性別も分からない。直後にバイクに飛び乗って逃げるつもりだから、顔を隠す意味もあって被っていたのだろう。でも、体格でたぶん男性だろうと思われた。大和が全力で追いかけたところで、まず間違いなく追いつけないだろうし、奇跡的に追いついたとしても、体格差で返り討ちに遭うだろう。八千代が大和を止めようとした判断は正しい。

 呆然としていても、頭はぐるぐると攪拌されていた。額に滲んだ冷や汗が、潮風に晒されて冷たい。心臓がバクバクと揺さぶられ、両脚がプルプルと震えている。あまりに唐突な事態に、驚きを通り越して恐怖すら覚えていた。

 ……ただの、恋人を探すだけの旅の、はずだった。

 だがその旅路は、底知れない闇へ、容赦なくわたしを引きずり込んでいく。


ちょっと感動したかと思ったら、直後にいきなりサスペンス展開。果たしてこの旅路は、どうなってしまうのか。……まあ、百合に挟まる男は、最終的にはいなくなってもらうつもりですが。

気がついたらめちゃくちゃ文章が長くなっていて、自分の、文章化の下手さを思い知らされます。たぶん今回、削れる要素はいくつもあると思うのですが、大和と八千代によるコメディリリーフがないと、全体的に暗く陰鬱とした作風になりそうなので、二人には頑張って笑いを取ってもらいたいです。……二人に頑張っている意識は微塵もないと思いますが。

さておき、この件はただの失踪ではなく、その裏に深い闇が潜んでいることが、次回から徐々に明らかとなっていきます。否応なしに巻き込まれる美里たちは、全ての謎を解き、無事に瑞穂と再会できるのか。さらなる展開をお楽しみに。

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