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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第9話 オンシンフツウ~彼女のゆくえ~
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9-1 イチネンホッキ

ずいぶん長くお待たせいたしました。一年五か月ぶりの更新で、新章開幕です。

これまでにない“少女たちの関係”を模索した一篇、どうぞ最後までご覧ください。あまり時間をかけることなく、今回も五話で終わらせる予定ですので。

ただ、今回の少女たちが面倒くさいかどうかは……皆さんの評価にお任せします。


 放課後になって三十分は優に過ぎただろうか。美術室の窓は南向きだから、西からの夕陽はかなり角度をつけて差し込んでいる。おかげで窓の外は充分に明るいのに、部屋の中は対照的に薄暗くて、彫像も壁の絵も徐々に霞んで見えてくる。でも、美術室に残っている二人の女生徒は、どちらも立ち上がって照明をつけようとしなかった。

 窓側を背にしてイーゼルを置き、立てかけたカルトンに張りつけた画用紙に、その女生徒は鉛筆の腹をさらさらと滑らせている。カンバスを見つめる彼女の視線は真っすぐで、真剣で、それでいて涼しげに見えた。

 もう一人の女生徒、つまりわたしは、そんな彼女のことをただ無言で見つめていた。否、無言にならざるを得ない雰囲気だ。たまに向こうから質問されて、必死に思い出しながらそれに答えるくらいで、描いている最中はとても口を挟めない。

 それにしても、ダメ元で頼んだこととはいえ、ここまで真剣にお願いを聞いてくれるとは思わなかった。頼んだことは要するに、警察の似顔絵捜査官の仕事みたいなものだ。記憶だけを頼りに対象の顔の特徴を説明し、その人の似顔絵を描いてもらう……言ってみればそれだけなのだが、容易くできる人はそういない。まして高校生でそれができる人は非常にまれだろう。

 この女生徒、美術部の三年生の真白(ましろ)理恵(りえ)も、決して似顔絵捜査官の真似事の経験があるわけじゃない。ただ今の美術部の中で、人間の顔を一番うまく描ける人だと聞いたから、無理を承知で頼んだだけだ。もちろん彼女も最初は迷っていたが、事情を聞いたら力強く快諾してくれた。

 そして今に至る。部屋が暗くなっても気に留めることなく、真白先輩は真剣な表情で鉛筆を滑らせている。すぐ近くで椅子に腰かけているわたしには、今カンバスにどんな絵が描かれているか見えていない。完成途中の人物画を見ることで、対象に関する記憶に影響を与えることがあるとかで、真白先輩は見せようとしないのだ。

 ふと、滑らかに動かされていた鉛筆が、ぴたりと止まる。

「……ねえ、この子って、あなたの恋人なのよね?」

「はい」

「写真とかがあれば、似顔絵もスムーズに描けるんだけど……撮ってなかったの?」

 まあ、当然の疑問だ。今年の夏休みにできたばかりの相手とはいえ、恋人なら一緒に撮った写真の一枚でもあるのが普通だろう。実際わたしも、その恋人と一緒に、ツーショットの写真を何度も撮っていた。恋人になる前にも撮っている。でも……。

「……なくなってしまったんです」

「……あまり詳しくは、穿鑿(せんさく)しないでおくわ。私も今は、自分のことで手一杯だから、あなたの事情を何でも受け止められる余裕はないの」

「すみません、そんな状況なのに、無理を言ってしまって……」

 そもそもわたしは美術部員でもないし、しかも一年生で、今日まで真白先輩と全く接点がなかった。ありていに言えば赤の他人、そんなわたしの無茶な頼みに、放課後の時間を割いてまで付き合ってもらっている。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「気にしないで。私が個人的に、放っておけなかっただけだから。ねえ、他には何か、顔の特徴とか覚えてない?」

「他に……そうだなぁ、雰囲気みたいなものでもいいですか」

「いいわよ、仕上げの手掛かりになるから」

「なんというか、全体的に人を寄せ付けないオーラがあるんですけど、人を嫌っている感じではなくて……寂しがりなのに、そのことを上手く伝えられない感じがあります。わたしには、割と最初から、目を見て話してくれていましたけど」

「なるほどね。だとすると、普段はそれほど人と目を合わせないから、目線は少しずらした方が分かりやすいかも。目は細めだって言ってたけど、鋭さは抑えた方がいいか。そうすると……」

 真白先輩は色々と呟きながら、再び鉛筆を滑らせていく。わたしの曖昧な説明でも、こうして大事なポイントを掬い取って絵にしてくれる。不安はあったけど、やっぱりこの人に頼んで正解だった。

 鉛筆の動きを止めないまま、真白は独白のように話す。

「……後輩の、二年生にね、私に好意を抱いている女の子がいたのよ」

「え……?」

「明確に好意を告げたことはなかったけど、ある時、クラスでそのことをうっかり漏らしてしまったそうなの。カミングアウトの翌日には、クラスメイトのほとんどから、奇異の視線を向けられるようになって、あからさまに気味悪がられて、それからその子は、しばらく不登校になってしまったの」

 そういえば少し前に、二年生の所で何やら騒動があったと聞いた。あまり意識していなかったけど、その騒動が真白先輩の言うような、同性愛への嫌悪から生じたものだとしたら……わたしも実は危なかったのではないか。そう考えるとゾッとする。

「先輩は、どこでそのことを……?」

「人づてに噂を聞いて、その後に本人からも事情を聞いたわ。大事な後輩だし、味方になってあげたかったけど、その子の好意には応えられなかった……臆病だから、私」

「同じように奇異の視線を向けられるのが、怖かった……?」

「ええ、部内の雰囲気を悪くしてまで、あの子をかばう勇気はなかったから……結局あの子の方から、申し訳なさそうな顔をして、出ていったわ。今でも後悔しているの。もう少し彼女の気持ちに寄り添ってもよかったんじゃないかって……」

 部屋の中が暗いせいなのか、真白先輩の横顔に影が差したように見える。

 先輩のしたことは最善じゃなかったかもしれないし、他にもやりようはあったかもしれない。それでもわたしは、先輩を責める気にはとてもなれなかった。恋愛とまではいかなくても、大切に思っている後輩を自分から突き放すのはお互いがつらいし、すでに校内がその後輩の気持ちを否定する雰囲気に満ちていたら、ひっくり返す公算が低いのに抗うのは無茶というものだ。

 とはいえ、先輩を擁護する言葉は、わたしには思いつかないし、先輩だってそんな言葉は望んでいないだろう。

「だからね、私で力になれるなら、ぜひともそうしたいの。同じような後悔をする女の子は、いない方がいいんだから」

「真白先輩……」

「はい、とりあえず描けたよ。こんな感じでどうかな」

 ようやく仕上がった絵を、真白先輩はわたしに見せた。

 その鉛筆画を見た瞬間、脳裏に様々な光景がよぎった。初めて出会った日のぎこちなかった笑顔。新しいスコアブックを二人で一緒に読んだこと。二人で街に出かけて買い物をしたこと。初詣でに出かけたら着物姿のあの子に見惚れたこと。コンクールが悔しい結果に終わって抱き合って泣いたこと。夏休みに海へ出かけて遊んだこと。そして……。

 色んな思い出が克明に蘇って、一緒に思い出を作った最愛の人の姿が、薄れる前に手元に戻ってきたと思うと、わたしは……。

「…………っ」

「……お気に召した、と思っていいのかな。日高(ひだか)さん」

 必死に落涙を抑えているわたしを見て、不満のない出来栄えだと察したらしい。真白先輩は穏やかな笑みを浮かべて、わたしの名前を呼んだ。

 不満などあるはずがない。手元のカンバスに描かれている彼女の姿は、わたしの記憶から危うく消えかかっていた、大切な恋人の姿そのものだった。まるで、本人を目の前にスケッチしたみたいで、今にも動き出して、あのぎこちない笑顔を向けそうに思えた。

「助かります、先輩……全部終わったら、必ずお礼をさせてください」

「だったら、今度は二人のことを描いてみたいわ。見つかるといいわね、彼女」

「はい。必ず見つけて、二人で先輩の所へ行きます」

 こうしてまたひとつ、あの子と二人でやりたいことが増えた。あの子が姿を消してから、二人でやりたいことは今までに増して多くなっている。それだけわたしにとってあの子は、唯一無二で、何よりも大切な存在だったのだ。

 だから今でも分からない。なぜ彼女は、わたしから……日高美里(みさと)の前から姿を消したのか。



 わたしが新島(にいじま)瑞穂(みずほ)と出会ったのは去年、どちらも中学三年生の時だった。わたしが小学生の頃から(かよ)っているピアノ教室に、瑞穂は別の教室から移ってきたのだ。その頃からどこか、人を寄せ付けないオーラを放っていて、最低限の連絡事項以外で、彼女に話しかけようとする子はいなかった。……わたし以外は。

「ねえねえ、新島さん。前の教室ではどんな曲を演奏してたの?」

「……フランツ・リストのハンガリー狂詩曲(ラプソディ)、第2番」

「…………えぐっ」

「そういうあなたは、何か十八番(おはこ)があるの?」

「同じくリストの、超絶技巧練習曲(エチュード)の第4番、マゼッパ!」

「…………」

「……嘘です、そんなもの弾けません」

「くすっ、何それ」

 中学レベルの合唱曲がせいぜいだったわたしの冗談で、瑞穂はぎこちなくも、しかし自然な笑顔をわたしに見せてくれた。白状すると、この時からわたしは瑞穂に、恋心とまではいかなくても心惹かれていたと思う。

 ちなみに瑞穂の方は冗談じゃなかった。他の生徒がいない時にこっそり聴かせてくれた彼女のリストは、中学生離れした完成度で、おったまげたものだよ。

 でも瑞穂は、その実力を教室の他の生徒の前ではなかなか見せなかった。もっとも、ピアノという個人競技の教室では、他の生徒の演奏を見る機会がそもそも少ないのだが。それでも先生の人数やピアノの台数は限られているので、待ち時間に他の生徒の演奏を見ることはできなくもない。だがわたしと、瑞穂の担当の先生を除き、瑞穂のあの超絶技巧を目の当たりにした人はいなかった。

 わたしはそのことが気になって、瑞穂の担当に尋ねたことがある。

「ああ、それはね……瑞穂さんが前にかよっていた教室が、結構レベルの高いところだったらしくてね、あれだけの演奏でも頭角を現すのが難しいって話よ」

「教室によってもレベルの差ってあるんですね……」

「優秀な指導者は、演奏者としても優秀である必要があるからね。指導のグレードが下がった分、瑞穂さんの本気の演奏は突出しすぎてしまうから、教室で悪目立ちする恐れがあるのよ。だから他の生徒さんの前では、少し手を抜いて演奏しているみたい。まあ、私は一応、彼女を上達させる役目があるから、私の前では適当な演奏をしないそうだけど」

 わざと手を抜いた演奏を担当の先生の前でも続けていたら、先生の面目を潰してしまうと考えたわけか。なんというか、発想が天才のそれだよ。

 すると、先生が何かに気づいて、腑に落ちない様子で首をかしげた。

「あれ? そういえば美里さんは、なんで瑞穂さんが手を抜いているって知ってるの?」

「前にこっそり、演奏を聴かせてもらったことがあって……でも、あんなすごいハンガリー狂詩曲を、他の生徒の前で演奏したことはないよな、と思って」

「ハンガリー狂詩曲……? 私も聴いたことないんだけど、それ」

 先生は怪訝な顔でわたしを見返した。やべ、と思った時には遅かった。

 想像以上の実力があると知った先生による、瑞穂への指導は、その翌日からずいぶんと熱のこもったものになったとか、ならなかったとか。まあ、特に秘密にしていたわけでもないので、瑞穂がわたしに怒ることはなかったが。

 それは置いておくとして、瑞穂が本気の演奏を見せた相手は、実質的にわたし一人だということが分かった。もしかしたら、あんなにピアノの上手い瑞穂に、特別扱いされているのかと思って、わたしは自惚れて浮かれてしまっていた。

 それからわたしと瑞穂は、待ち時間が重なるたびに色んなお話をして、お互いの学校のことや好み、最近の出来事などを知るようになった。やがて教室からの帰り道を一緒に歩くようになり、教室以外でもスマホで連絡を取り合うようになり、休日には一緒に出かけるほどの仲になった。それはもう、友達と言って差し支えない。

 このままずっと、瑞穂と友達でいられたら……そんな淡い願いが変わり始めたのは、一緒に初詣でに行ったときだった。わたしは普通に私服だったけど、瑞穂は母親からの提案で、お下がりの着物を着て行くことになっていた。

「お友達と初詣でなんて初めてのことだから、お母様……お母さんが張りきっちゃって。着物なんて初めて着たけど……どうかな?」

「う、うん、いいと思う……」

「そう? 美里にそう言ってもらえるなら、着てよかったなぁ」

 相変わらずわたしの前だけだけど、だいぶぎこちなさの薄れた笑顔で、瑞穂は無邪気に小紋(こもん)の袖をひらりと揺らした。わたしにしか向けられないはにかみと、あどけなくも色っぽい仕草に、わたしは……何かが零れ落ちそうな口元を手で隠した。

 新年最初のお参りで、わたしはピアノの上達を誓い、家族の平穏を願い、そして……隣に立つ友達と、さらに距離が縮まることを望んだ。この時にはもう、瑞穂との関係が“友達”であることに、満足できなくなっていた。

 そしてその望みは、その年の夏休みに叶ってしまった。

 二人で一緒に過ごせる時間が、これまで以上に多く確保できるとあって、わたし達はたびたび会っては色んな所に出かけて、思う存分に交流を重ねた。八月の後半に入ると、瑞穂の提案で海へ行くことになった。彼女は海が好きだということを、わたしは濃密な付き合いの中で知っていた。

 ただ、瑞穂は旅行に行った経験があまりないらしく、電車を使った遠出は勝手が分からないと言っていた。だからわたしは、自分が瑞穂をリードするつもりで計画を立て、泊りがけで海へ遊びに行くことにした。もちろん付近の宿泊場所はわたしが予約した。

 一日目は水着を着て、海水浴を楽しんだ。終始瑞穂の水着姿に見惚れたりドキドキしたりしたけど……まあ楽しめたよ。ホントだよ。

 そしてその日の夜、民宿の一室で浴衣姿になっていたわたし達は、畳に敷かれた布団に並んで寝っ転がっていた。まだ眠くならない時間帯、相変わらずたわいもない会話に花を咲かせていた、そのさなかだった。

「わたしは、美里が好き」

 まるで予想していなかった、瑞穂からの告白だった。

 瑞穂は、仰向けのわたしに覆い被さった。何をするつもりなのか分かったわたしは、拒むどころか、むしろ自分から瑞穂を求めた。

 潰れるほど抱擁しながら、4分33秒の長いキスを交わした。

 その日からわたし達は、友達から、恋人になった。泣きそうなくらい、幸せだった。

 まさか、夏休みが終わった途端、あんな事態が待ち受けているなんて、露ほども思わずに。



 さてさて、時間は少し進みまして、夏休みが終わって数日が経った。九月の終わりに開催される文化祭に向けて、その準備で学校内はにわかに騒がしくなる。

 文化祭の活動の中心になるのは、各クラスと文化部だ。文化部はほとんどが先んじて準備を始めているが、クラスの方はほぼ全員が集まって話し合う場を簡単に作れないので、出し物を決めるのは文化部よりも遅れがちだ。わたしのいる1年2組も、この日の自習時間を利用して、文化祭の出し物を決める会議をしていた。まあ、ここのクラス担任が、この時間の本来の科目の担当なので、自習時間にすることができたのだが。

 会議は白熱しつつも、さくさく進んでいく。開始十五分ほどで喫茶店をやることが決まり、今はコンセプトを決める話し合いが行なわれている。窓側の後ろの席にいるわたしは、その様子をぼうっと眺めながら、愛しい恋人のことを考えていた。

 瑞穂は今ごろどこで、何をしているのか。元気にしているだろうか。わたしのことを、今でも好きでいてくれているだろうか……ということは、ちょっと恐くて考えたくない。

 ろくに発言せず、挙手による投票に参加するだけのわたしに関わりなく、喫茶店のコンセプトも決まった。

「というわけで、うちのクラスの出し物は『宇宙喫茶』に決まりました!」

 クラス委員が大声で結果を告げると、まばらな拍手が起こった。話し合いと多数決で決めた割には、結果がきちんと受け入れられているふうに見えない。

 というか、宇宙喫茶ってなんやねん。昭和のコンセプトカフェか。

 文化祭当日までの日数も限られているので、決まってしまったのなら、今さら別の案を出すのは厳しい。コンセプトだけが大々的に決定したところで、具体的な企画内容と用意するものを決めるために、ここからは班に分けて行動することになった。

 提供する飲食を決めて実際に調理する調理班。前線に出て接客する生徒の衣装をデザインして作る被服班。内装のデザインを考えて小物などを作る美術班。飲食以外で宇宙っぽい音響や仕掛けを作る演出班。そして全体のまとめ役となる総合班……は、クラス委員と暇そうな生徒がやっている。

 わたしは演出班に選ばれた。ピアノを習っていて音楽に強いから、宇宙っぽい音楽を作れそう、というのが理由だった。断る理由はないし、音楽でクラスの出し物に参加できるのは嬉しいけど……宇宙っぽい音楽って、漠然としすぎだ。あれか、ホルストの組曲『惑星』でも演奏して流せばいいのか。もしくは『E.T.』や『未知との遭遇』の劇伴とか。どっちもピアノアレンジは聞いたことないけど。

 まあ、もちろん与えられた仕事はきちんとやるけど、集中を欠いていることは否めない。文化祭の準備以上に、今のわたしにとって考えなきゃいけないことがあって、何をしていてもそっちに脳内を占領されてしまう。

 そんなわたしは、はたからはぼうっとしているように見えたらしい。

「どうしたの、美里っち? 心ここにあらずって感じだよ?」

 呼ばれてハッと我に返り、わたしは顔を上げる。目の前に声の主の姿があった。

 綾瀬(あやせ)大和(やまと)。下の名前だけだと分かりにくいが、れっきとした女子高生で、薄く焼けた肌と大きく丸い目が特徴の、どこか幼さも残る快活な少女だ。もっとも、幼さが残るのは顔立ちだけで、背は高いし、胸は立派なものを持っているが。

「ああ、ごめん。何か話してた?」

「うん。宇宙っぽい演出だけど、手作りのプラネタリウムとかあったら面白いかな、って話してた」

「手作りのプラネタリウムって……球体に小さな穴をあけて、ゆっくり回転させながら内側からライトで照らすやつ?」

「そうそう。本物はドーム状のスクリーンに映像を流すんだけど、教室にそんなドームを作ったらテーブルも置けんわ、ってやっちーに言われちゃって」

「当たり前でしょ。喫茶店のキャパシティを考えろ」

 調子良さそうに明るく振る舞う大和に、やっちーこと館山(たてやま)八千代(やちよ)は眼鏡のブリッジをくいっと上げながら苦言を呈した。丸いレンズの眼鏡とローポジションのツインテールが特徴の、全体的にミニマムな少女で、制服を着ていても中学生に間違われそうな体躯だが、外見に似合わず放つ言葉は大人びている。

 ちなみに大和と八千代は特に親しいわけじゃない。やっちーなどとくだけたあだ名で呼んではいるが、大和は基本的に誰にでもあだ名をつけるのだ。わたしを呼ぶときの美里っちも、特に許可してないのにいつの間にか使われている。……嫌ではないが。

「というわけで、譲歩して手作りプラネタリウムに落ち着いたわけ。あれなら部屋をドーム状にする必要もないからね」

「あっそう……でも、手作りにしたって、プラネタリウムは部屋を暗くする必要があるでしょ。喫茶店で、しかも昼間の時間帯にそれは厳しくない?」

 文化祭は当然ながら昼間に開催される。もちろん、窓をベニヤ板とかで塞いでカーテンを閉め、照明を消せばある程度暗くすることはできる。でも、お化け屋敷じゃあるまいし、喫茶店でそんなことをしたら、接客も食事もままならないのでは。

「大丈夫」八千代が親指を立てる。「プラネタリウムを使うのは一時間に一度、五分間だけのお楽しみタイム、ってことにすればいい。常に回しっぱなしだとお客さんは飽きるけど、時間を決めて時々やるようにすれば、特別感があってお客さんを呼び込みやすい」

「計算高いな……」

「まあぶっちゃけ、ぼやけた光の点がぐるぐる回ってるだけだから、だらだら続けたら飽きられるのは仕方ないよねぇ」

「おい天文部」

 身も蓋もない事を呆れ顔でいう大和に、八千代が短く突っ込む。日焼けした肌と快活な言動からは想像もつかないが、大和は天文部だ。だからこそ、宇宙喫茶の演出に加わることになったのだ。

 ちなみに八千代はわたしと同じく帰宅部だが、コンピュータゲームを自作できるくらい、パソコンに精通している。わたしが店内BGMを作曲したら、八千代が曲のデータを繋ぎ合わせて、実際に店内で流す音源を作る予定だ。

 以上が、演出班の三人である。まあまあ得意分野が活かされてはいるが、少数精鋭というには戦力が低すぎる。

 とはいえ、文化部の出し物がある生徒もいるので、1年2組の生徒全員が、何らかの班に加わっているわけじゃない。中には部活を優先して、喫茶店の準備に参加していない生徒もいるのだ。参加人数が限られている状況で、戦力の補強は望むべくもない。

「でも、せっかく作るなら、実際の星空に近いものにしたいよね。ここは天文部であるわたしが、力を入れなきゃいけないところだよ」

「その前に実行委員の許可をもらわないといけないけどね」

「やっちーの時間制限のアイデアも一緒に出せば問題ないっしょ。それで美里っち、曲を作る方はどうかな。やっぱ難しい?」

「難しいに決まってるじゃん……」わたしは目頭を押さえた。「そもそもわたし、ピアノの経験はそれなりにあるけど、作曲もアレンジもしたことないし」

「そうなの?」

「だからとりあえず、既存の曲の中から宇宙っぽいものを探して、DJみたいに上手く繋ぎ合わせようと思っているけど……リミックスも経験ないから、あんまり期待しないでよ」

「わかったわかった、あんまりプレッシャーはかけないよ。いやあ、楽しみだなぁ」

「だから期待すんなって言っただろうが」

 トリ頭なのか、あるいはその程度の言葉ならプレッシャーにならないと思っているのか、大和は期待に満ちた晴れやかな顔で、そんなことを抜かすのだった。まあ、見るからにいい加減っぽい大和が相手なら、適当なリミックスでも喜びそうではあるが。

「どのくらいでできそう?」八千代が尋ねる。

「曲を探すだけなら一日や二日で足りるけど、うちにあるのはキーボードだけだから、リミックス作業は本当に手探りになりそう。最低でも三日は必要かな」

「専用のソフトでもあればいいけど、一朝一夕で使いこなせるものじゃないよね」

「そもそもピアノの練習に、リミックス用のソフトなんて要らないからね」

「分かった、とりあえず猶予は五日間にしておこう。最初の曲集めだったら、ウチも協力できると思うし、たぶん一日でいけるんじゃない?」

「助かるよ。本番までまだ日数があるとはいえ、早めにできた方がいいだろうし」

「五日経ったら、未完成でもいいからウチに見せて。最終調整はウチの役目だし」

「分かった。ピアノの練習もあるし、時間を見つけながらの作業になると思うけど、できる限り進めてみるよ」

 八千代とは不思議とさくさく話がまとまる。技術面で理解し合えるのみならず、八千代が聞き上手なのもあるかもしれない。

 一方、わたしと彼女がスケジュールの相談をしている様子を、大和は固まった真顔で眺めていた。会話に参加したくても隙がないらしく、開けたい口を閉じて震わせている。

「……大和はどう? 宇宙っぽい曲って、何がいいと思う?」

 わたしから話を振られて嬉しいのか、ぱあっと目を輝かせて大和は答えた。わざわざ両手の親指で自分を指差しながら。

「宇宙戦艦、ヤ○ト!」

「……喫茶店でどこの星と戦うのよ。落ち着いてお茶も飲めんわ」

 大和が自分の名前にひっかけて出した案は、あえなく却下された。たぶん、ただ言いたかっただけだろうから、まともに受け取る必要もない。

 そういうわけで、今後数日間に各自がやることは決まった。わたしは曲作り、大和はプラネタリウム制作の下準備、八千代はその両方の手伝いで、終われば最終調整に踏み切る。得意分野が上手く噛み合ったのはいいが、人数が少ないから、これ以外の演出は思いついても用意できる気がしない。無難なところに落ち着いたといえるだろう。

 全ての班で大枠の方針が決まったところで、今日の話し合いはお開きとなった。最後のコマが自習時間だったので、後は部活に行くか帰るだけだ。

 さて、これから忙しくなる。九月の定期テストは間近に迫っているし、ピアノの練習も通常どおりにある。何より、個人的にやらなければいけないこともある。文化祭の準備よりも、勉学やピアノよりも、わたしの気持ちを深く沈めてしまうほどの、大事なこと。

「……美里っち、やっぱりちょっと元気ない?」

 ぼうっとしながら機械のように帰り支度をしているわたしの様子に、大和はどうも目ざとく気づいてくれる。アホっぽいのは振る舞いだけで、他者への観察眼はそれなりにいいものを持っているようだ。こういう相手に、隠し事は通用しない。

「うん、まあ、ちょっとね……」

「何なに、何か悩みでもあるの? わたしでよかったら相談に乗るよ。テスト絡みだと力になれないけど」

「おー、己の力量をよく弁えているようで」

「まあね!」

「誇らしげに胸を張ることじゃないぞー」

 立派な胸を見せつけるように得意気になる大和の後ろから、先に帰り支度をすませた八千代がつまらなそうに突っ込んだ。平べったいカバンをリュックのように背負う八千代の姿は、私立の小学生に見紛いそうだ。……言わないが。

「しかし、そんなに元気なさそうだったか? ウチは、いつもの日高さんと変わんないように見えたが」

「わたしは些細な変化も見逃さないのだよ。星空観察で鍛えられているからなっ」

「そういや、綾瀬さんって中学の時から天文部だっけ」

「うん。あちこちの星空スポットに出かけて、星の見え方の違いを探すのが楽しくてね。そんなことばかりやってたから、他の勉強はすっかり疎かだったな」

「自業自得で草ww」

「じゃかしーわ。おかげですっかり旅慣れたもんねー。で、話を戻すけど、美里っちは一体何に悩んでるのかな?」

 おっと、わたしのひと言から脱線に脱線を重ねた話が、一気に戻ってきた。とはいえ、現時点で友人でも何でもないこの二人に、詳しい事情を説明する義理はない。

「……別に。学外の友達と、しばらく連絡がつかなくて、落ち込んでいるだけだよ」

「いやいや、普通に心配じゃん。家とかに行ってみれば?」

「そのつもりだよ。何の手掛かりにもならないと思うけど」

 それだけ言って、わたしはカバンを片手にその場を後にした。かなり素っ気ない態度だったけど、二人はこれ以上、何も聞いてこなかった。

 それでいい。ここから先は、どうしたってわたし一人の問題だ。



 夕焼けに染められた住宅地の中を、わたしは淡々と歩き進んでいく。普段と変わらない足取りに比して、気分は暗い影に覆われている。

 学校から瑞穂の家まで行くには、途中までバスを使わないといけない。ピアノ教室は同じでも、瑞穂はいつも自転車を使って遠方から通い、わたしは同じ地区だから徒歩で通っていた。交友を深めてからも、お互いの家が少し遠いこともあって、遊びに行くことは少なかったから、わたしはこの辺りの地理に明るくない。今は、かすかに覚えている道順を頼りに、彼女の家に向かっている。

 どうやらわたしの記憶は確かだったようで、迷うことなくたどり着けた。周りの他の住宅と比べても、かなり年季の入った二階建ての一軒家が、瑞穂が母親と一緒に住んでいる家だ。以前に聞いた話だと、空き家になっていたこの家屋を二年前に買い取って、二人で住み始めたのだという。

 父親については、瑞穂の口から聞いたことは一度もない。ここに引っ越した時点で母親と二人きりだったということは、離婚したか別居状態のどちらかだろう。いずれにしても円満な別れ方をしていないから、瑞穂も話題を避けていたのかもしれない。

 まあどうでもいい。今は何よりも、瑞穂のことを聞いておきたい。

 わたしは玄関のガラス戸の前に立って、呼び鈴を鳴らした。……反応はない。母親も外出しているのだろうか。まだ夕方だし、仕事が終わっていない可能性もある。ひとり親の家庭なら、働いて娘を養う必要があるだろうし。

 出直すか、と思って踵を返して去ろうとすると、この家に向かってくる人影が見えた。向こうもわたしの存在に気づいた。

「あら……美里ちゃん?」

「……しばらくぶりです、おばさん」

「そうね。ここ最近は二人とも、外で会うことがほとんどだったものね」

 幸運なことに、瑞穂の母親がちょうど帰って来たところだった。スーツ姿で、片手に仕事用のバッグと買い物袋を提げている。仕事帰りに買い物をしてきたようだ。ちなみにわたしは立場的におばさんと呼んでいるが、年齢は四十代初めと聞いているから、同学年の生徒の母親の中では、まあまあ若い方だと思う。

「……瑞穂のこと、聞きに来たの?」

「ええ」

「そっか。たいして役に立てないかもしれないけど、どうぞ上がっていって。学校から? 遠かったでしょう」

「まあ、そうですね……お邪魔します」

 母親が玄関を開錠して、開けられたガラス戸を抜けて、わたしは母親に続いて家の中へ足を踏み入れた。久しぶりの瑞穂の家……瑞穂のいないこの家に、初めて入った。

 リビングに通されたわたしは、いつも瑞穂が使っている椅子に腰かけて、瑞穂の母親が淹れたお茶を一口いただいた。日没を迎えたので明かりがつけられたこの部屋は、入居前のリフォームでフローリングに変えられ、ものが少ないせいか広々としている。わたしの家と同じ……だからなのか、不思議と親戚の家のような安心感がある。

 そして、わたしの目の前の壁際には、三段のスチールラックが置かれている。黒い天板の上には、小物入れや写真立てが載っているが、中でも目に付くのは、一番上の段にある大きな金魚鉢だ。

 直径四十センチはありそうな金魚鉢の中で、二匹の金魚が悠々と泳いでいる。水と金魚の他には、エアーポンプと水草が入れられていて、メッシュの蓋がされている。よくある砂利は底に敷かれていない。

「まだあったんですね、あの金魚……」

「ええ。瑞穂がいつも丁寧にお世話しているわ。あなたと一緒にお祭りに行った記念だから、なるべく長く育てていたいって、言っていたわ」

 瑞穂の母親はそう言って、わたしの正面の席に腰かけた。食事の時とかの、母親の定位置がそこらしい。

 わたしと瑞穂が恋人になる前、夏休みの初めの辺りに、二人で近所の夏祭りに出かけたことがある。二人して浮かれて、浴衣なんて着て見せ合って……あれも楽しい思い出だ。その時に、一緒に金魚すくいをしたのだ。今どきのお祭りでは珍しく本物の金魚を使っていて、結果はわたしが二匹で瑞穂がゼロ。ピアノ以外は案外不器用なのだ、瑞穂って。

 わたしは自分が掬った金魚を、二匹とも瑞穂にあげた。一緒に夏祭りで遊んだ記念を、瑞穂にも分け与えたかったのだ。瑞穂は一匹ずつでいいと言っていたが、結局はわたしに押し負ける形で、二匹とも瑞穂の手に渡った。この時のわたしは、浴衣姿の瑞穂が眼福すぎてお腹いっぱいだったから、これ以上の記念品はいらなかったのだ。……まあ、口が裂けても言えないが。

 でも、あの時の金魚を、瑞穂がずっと大事にしていると分かって、わたしは胸の中がぽかぽかと温かくなった。

「お祭りっていえば、美里ちゃんとこの学校はもうすぐ文化祭だっけ。前に瑞穂が、行きたいって言ってたわ」

「ああ、はい。今月の末に……」

「美里ちゃんのクラスって何をやるの?」

「宇宙喫茶っていうコンセプトカフェをやることが、今日決まりました」

「……何それ?」

 母親はぽかんとして聞き返した。まあ、そういう反応になるわな。わたしでも説明に窮するくらいだし。

「えっと、それは、当日のお楽しみってことで……」

「そ、そう……楽しみにしておくわ」

 ああ、引き気味に苦笑している。もういっそ楽しみにしなくていいから、さっさと話題を変えてしまおう。というかそろそろ本題に入ろう。

「それよりも、あれからどうですか? 捜査に進展とかは……」

「いいえ……」かぶりを振る母親。「何度か警察に問い合わせたけど、捜索は続けてるけど手掛かりは掴めてないって。あれから何日も経つのにね……」

「そう、ですか……そんな気はしてましたけどね」

「ごめんなさいね、力になれなくて」

「いえ……警察にも聞かれたと思いますけど、瑞穂が行きそうな場所に、心当たりとかはないんですか」

「思いつかないわねぇ……そもそもあの子、学校以外で外に出ることがなかったし。むしろあの子が行きそうな場所は、美里ちゃんの方が分かりそうだけど」

 この母親の言うとおりなら、瑞穂が学校以外で外に出る用事のほとんどが、わたしに関係することのようだ。二年前にここへ引っ越してきて、学校にも親しい友人がいないらしい彼女が、もしどこかに隠れ潜むとしたら、わたしと一緒に出かけた場所に関係するかもしれない。

 ……とはいえ、そう簡単に見当をつけられたら、こんな思いはしていないのだが。

「わたしにも分かりません……そもそも、瑞穂が失踪しようとしていることすら、予感も気配もなかったのに」

 恋人だからといって、瑞穂のことを何もかも知っているわけじゃない。というか知らない事の方が圧倒的に多い。彼女の行方なんて見当もつかない。

「そう……やっぱり、心配よね」

「おばさんだって心配でしょう。一人娘が突然いなくなったんだから」

「ええ……でも今の私には、なす(すべ)がないから。今はとにかく、瑞穂が無事でいることを、一番に願っているわ」

 取り乱したり、追いつめられていたり、そういう素振りはこの母親にない。それでも、娘を案じる気持ちは強く持っていそうだ。きっと無事でいて、いつかきっと帰ってくる。そう信じて願うことが、今のこの人の支えになっているように思える。

「美里ちゃんもありがとうね。娘のことを心配して、わざわざこんな遠くまで」

「これくらいはいいんですよ。わたしにとっても瑞穂は、大切な存在なので……」

「そうね。未だに学校には馴染めていないみたいだから、美里ちゃんみたいな友達がピアノ教室でできて、本当によかったわ」

 友達、か……母親のその言葉に、胸がチクリと痛む。彼女の背後のラックに置かれた写真立ての中で、屈託のない微笑みを見せる母と幼い娘が、ふと見えた。これほど身を寄せ合える親子だというのに……。

 この人は何も知らない。何も聞かされていない。わたしと瑞穂の、本当の関係を。



 夏休みが終わってすぐ、急に瑞穂と連絡が取れなくなり、どこにいるのかさえ分からなくなって以来、わたしは危機感を強めていた。記憶の中の瑞穂の姿が、徐々に薄れていく気がしていたのだ。

 もちろん、人の顔を細部まで完璧に記憶し続けるのは難しいし、記憶というのは自然と薄れるものでもある。まして本人が近くにいなくて、顔を確認する手段がなければ、細かい特徴から徐々に忘れていくのは当然だろう。

 でもわたしは、それが死ぬほど嫌だった。大体の人相とか存在まで忘れるわけじゃなくても、大好きな人の大好きなところを、少しずつ思い出せなくなんて、わたしにはとても耐えられない。

 忘れる前に、何としても彼女の面影を残したい。本人がいないから、新たに写真を撮ることはできない。ならば……?

「ゑ? 絵の得意なひと?」

 わたしの問いかけに大和がおうむ返しに尋ねた。なんで“わ行”でリアクションしたのか知らないが。

 文化祭の出し物が決まった翌日、学校で作業することが特にない演出班のわたし達は、早々に帰宅しようとしていた。揃って教室を出ようとしたところで、わたしは大和に声をかけて、学内の知り合いに絵の得意なひとがいないか尋ねたのだ。

 見るからに陽キャっぽい彼女なら、教室の外にも知り合いが多そうだから、この手の当てを探すなら彼女に聞いた方がいいと思ったのだ。

「この学校で、そういう人が知り合いにいない?」

「んー」大和は眉間に指を当てて考える。「結構大雑把な質問だよ、それ。一口に絵が得意って言っても、絵のジャンルは様々だからね。人物画、静物画、風景画……印象派みたいな絵になると、上手いか下手かも分かりづらくなるし」

「そっか。できれば、人物を描くのが上手い人がいいかな。実物がなくても、特徴を聞いて描けるような」

「そこまで行くと高校生にはなかなか厳しいなぁ……あぁでも、あの人だったらもしかしたらできるかも」

「思い当たる人がいるの?」

 さすが大和、訊いてみて正解だった。正直、いるかどうかも不安だったし。

「美術部三年の、真白理恵先輩が、確か人物の絵が得意だって聞いたよ。わたしもその人の絵は見たことないんだけど、すごくよく特徴を捉えていて、そっくりに描けているって評判なんだって」

「へえ……ちなみにそれってどこ情報?」

「美術部の一年の知り合いの知り合いから」

 あっけらかんと答える大和。うぅむ、伝言ゲームみたいに誇張されて伝わっている可能性も否めないな。とりあえず会ってみたいけど、あまり期待はしないでおこう。

「というか、絵ならわたしも結構自信あるよ。友達から“画伯”と称されたこともある」

「……それ、たぶん皮肉」

 怖いもの見たさという意味で、大和の絵にはちょっと興味があるが、それはさておき。わたしは大和からの情報を頼りに、美術部三年生の真白理恵という人に会って、瑞穂の絵を描いてもらえるか、交渉してみることにした。

 結果から言うと、割と簡単にOKしてもらえた。真白先輩も、口頭で特徴を聞きながら実物を見ずに、人物の絵を描くのは初めてらしいが、事情を素直に打ち明けたら快く引き受けてくれた。そして先輩は、実に真剣に取り組んでくれて、わたしの覚束ない説明を聞いただけで、見事な似顔絵を仕上げてくれた。鉛筆と木炭だけで描かれた人物画なのに、まるで本物がカンバスの向こうにいるように思えるほど。

 これでもう、わたしの中の瑞穂が薄れることはない。温かな安堵と、心に去来する懐かしい想いを包むように、わたしは受け取った画用紙を胸に抱いた。

「そろそろ帰りましょうか。暗くなってきたわ」

 わたしが満足したのを見て取って、真白先輩は帰り支度を始めた。わたしも画用紙を綺麗に四つ折りにして、カバンに仕舞った。二人して夢中になっていたせいで、とうに日没を過ぎていたことにも気づいていなかったようだ。

 真白先輩は美術室の鍵を返しに職員室へ行くとのことで、わたし達は美術室の前で別れた。夕闇に包まれる廊下を、わたしはひとり歩いて行く。

 真白先輩は言った。見つかるといいわね、と。そしてわたしはこう答えた。必ず見つけます、と。わたしが秘めている考えを伝えたのは、先輩が初めてだった。

 そう、わたしはこれから、新島瑞穂を探しに行く。似顔絵を描いてもらったのは、自分が忘れないようにするためでもあるが、それ以上に、彼女を探すときの手掛かりにするためだ。彼女の写真が手元にないから、似顔絵を見せて聞き込みをするのだ。

 瑞穂の母親に会ったときから、ずっと考えていた。瑞穂は母親に、自分の全てを打ち明けていたわけじゃない。警察が瑞穂を捜索するにしても、手掛かりといえるものは母親の証言しかないが、それでも捜索は難航している。だが、家の外での瑞穂を、誰よりもよく知っているわたしだったら……。

 何か思い当たる場所があるわけじゃない。わたしだって、彼女の全てを知っているわけじゃない。だが、やりようがないわけでもない。

 普段から外出も旅行もしてこなかった瑞穂は、旅慣れていると言えない。一緒に海に出かけた時も、電車を使った遠出は勝手が分からなくて、わたしに頼る羽目になっていた。そんな彼女が独力で、土地勘のない遠方に行こうとするだろうか。わたしが知る限り、瑞穂は頭がよくて思慮深い少女だ。何を考えていたとしても、そんな無謀な手段は取らない。

 それに彼女の生活は、決して裕福というわけでもなく、バイトの経験もない彼女の手持ちは少ないと予想できる。長期に渡って身を隠すつもりなら、少しでも勝手の分かる場所に行って、誰かの元に身を寄せている可能性が高い。少なくとも、彼女が地元以外の場所に出向く時は、いつもわたしが隣にいたから、地元の外にいるのであれば、わたしも知っている場所の可能性が高い。

 単なる希望的観測だ。そもそも彼女が無事でいるかも分からない。それでもわたしは、恋人の帰りをただ悶々と待ち続けることなど、できない。何もせず後悔するくらいなら、行動に移して後悔する方がいい。

 カバンの持ち手を掴む手に、ぐっと力が入る。その中には、大好きな女の子の似顔絵が入っている。

 どうして彼女は、何も言わず姿を消したのか。その答えはもしかしたら、わたしを深く絶望させるかもしれない。どんな真実を知っても耐えられるとは、思えないけど、わたしは歩みを止めない。自分の中に芽生えた決意を枯らさないよう、声に出す。

「……待ってなさい、瑞穂。たとえあなたが望まなくても、わたしは必ず見つけ出す」

 あらゆる不安と恐怖を閉じ込めたまま、わたしの一念は発起した。

 消えた彼女を探す旅が、いま始まる。


『あなたが望まなくても、必ず見つけ出す』

これ、私の別作品にも登場した台詞に似ていますね……気に入ってるのでしょうね、こういう、かっこいい女の子に言わせたい言葉。

というわけで、掴みはいかがでしょうか。久しぶりに序盤から百合カップルを成立させておいて、直後に片方が行方不明に! 失踪した片方がどんなことを考えているのか、ほとんど描写も出てこない状況で、二人の少女の愛が試される……そんな形の“関係”を描いてゆきます。

以前に後書きで書いた通り、前回の第八章から、陽の雰囲気は薄れ、シリアス路線のストーリー展開をしています。今回は失踪した恋人を探しながら、失踪の真相に迫っていく、ミステリ風味のサスペンスになる予定です。コメディもいいですが、不可解な謎を追い求める展開も、書いていてやっぱり楽しいものです。果たして、恋人を探す旅路の、結末はいかに。

ちなみに、瑞穂が失踪した場所に手掛かりになるものは、すでに作中に書かれています。そのヒントが、今回の章のタイトルにあります。音信不通(オンシンフツウ)……もちろんそのままの意味もありますが、別の意味も含まれています。いずれどこかで、ヒントを読み解くためのヒントが現れる予定ですので、しばしお待ちください。

……それにしても、大和みたいな陽気なキャラは、動かすたびに面白いことをしてくれるから、コメディリリーフにはもってこいの存在ですね。今後も活躍させてあげようと思います。

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