7-5 つらい時も支え合える、仲間だもの
いよいよ第7章の最終話です。五人のアイドルたちの関係に、ひと区切りつきます。
しばらく重くシリアスな展開が続いていたので、最後くらい原点に帰ろうと、これまで没にしたものも含めて、コメディ要素をこれでもかと詰め込みました。
最後までマテリエンヌを温かく見守ってください。
きょうは12月24日、クリスマスイブ。サラちゃんの提案で、マテリエンヌのメンバーだけでクリスマスパーティーを開催する。
売れ始めたばかりのアイドルでは、あまり立派な会場を借りることはできないので、事務所にあるマテリエンヌ専用ルームが会場となった。陽が高いうちに部屋の飾りつけを済ませているので、あとは食べ物などを運び込むだけだ。パーティーは六時に始まる予定だ。
食べ物はメンバーが分担して調達することになっている。事務所は場所を貸してくれても、お金までは貸してくれないので、全部わたし達のポケットマネーで買うことになる。当然高いものは買えないので、お菓子とか、スーパーで売っているパーティーセットがせいぜいだ。わたしはそのパーティーセットの担当で、唐揚げとかエビフライの詰まった、カロリーのヤバそうな惣菜パックを三つ入れたレジ袋を携え、事務所に入った。
入ってすぐ、顔見知りの先輩と出くわした。
「あれ、野村ちゃん? どうしたの、その袋」
「久世橋先輩」
久世橋さんは、同じ事務所の先輩グループである、L Lady 7のメンバーだ。抜群のプロポーションとダンススキルを併せ持ち、ファンからのみならず、事務所の研究生からも憧れの的となっている。わたしも研究生時代にはよくお世話になっていたが、マテリエンヌを結成してからは、ゆっくり話す機会が減っていた。
「今日、マテリエンヌのみんなでクリスマスパーティーするんです」
「ああ、それで食べるもの調達してたんだ。いいなぁ……わたしらもやろうかな」
「もうクリスマス当日なんですけど」
「忘年会的なイベントだったら何でもいいのよ。行事の由来とか無視して何でもかんでもバカ騒ぎの口実にできるのが、日本人のいいところだからね!」
久世橋さんはにっこりと笑って、親指を立てて自慢げに言った。……日本人をディスっているようにしか聞こえないけど。
「今年は君たち大活躍だったし、存分にはっちゃけたらいいんじゃない」
「大活躍っていっても、今年デビューしたばかりですけど……」
「デビューしたばかりでライブ満員にしたりCMに出たり……弱小プロのアイドルとしては上等よ。そのうちテレビで共演する日を、楽しみにしてるわね」
顔を近づけて柔らかく微笑む久世橋さんに、ちょっとわたしはドキドキしている。彼女の面立ちは同性でもときめくほど綺麗なのだ。
「は、はい……」
「まあ、わたし達の今の人気も、どこまで続くか分からないし、わたし達がテレビに出ていられるうちに、マテリエンヌも成長してほしいかな」
「久世橋さんが弱気なことを言うって、珍しいですね」
「別に弱気になったわけじゃないけど、L Lady 7は、ここ最近の怪盗ブームに乗っかって人気を得ているようなものだから、その怪盗がいなくなったらブームも人気も下火になるんじゃないかって、メンバーの中にも不安に思っている子がいるのよ」
今年の初めあたりから、首都圏を中心に怪盗が出没している。マジックのごとき鮮やかな盗みの手口と、不正に蓄財されたお金や高価な宝飾品しか狙わない性格……小説や漫画から飛び出したような怪盗の出現で、ちょっとしたブームを呼び起こした。年齢や性別はおろか、容姿も声も身体的特徴も、とにかくパーソナルデータが全て不明という、謎に包まれた存在だ。
L Lady 7は三年前のデビュー時から、怪盗をコンセプトにして活動していたが、今年は空前の怪盗ブームに後押しされる形で、活躍の場が一気に増えた。それまでは目立つ活躍が少なかっただけに、いつか怪盗が捕まってブームが去った時、今の人気を維持できるか心配にもなるのだ。
でも久世橋さんとかは女優としても注目されているし、ブームが過ぎたからって即座に人気が落ちることはないと思うけど……。
「大丈夫ですよ、皆さんならきっと」
「後輩にそう言ってもらえるのは光栄だけど、芸能界は不安定だからね……何が起きても不思議じゃないよ。実際わたし、野村ちゃんがここまで人気になるって予想してなかったし」
「そ、そうなんですか……?」
「しっかり花開いてくれたらいいなー、とは思ってたよ。想像より早かったけど、こうして野村ちゃんがアイドルとして花開いてくれて、わたしは素直に嬉しいよ」
やっぱりそうなんだ……わたしは胸がじんと熱くなる。
こんなわたしでも、見守ってくれる人がいる。夢が叶って、喜んでくれる人がいる。こういう人たちに支えられているから、わたしはここまで来られたんだ。
「……そう言ってくれると、わたしも嬉しいです。ありがとうございます」
「うん、やっぱ野村ちゃんは、笑っている時が一番かわいい」
「はうっ」
「それじゃ、パーティー楽しんできてねぇ」
さらっとわたしを口説いてドギマギさせて、久世橋さんはそのまま事務所の建物を出ていった。さすが、心を盗むのはL Lady 7の専売特許である……。
さて、早く会場に行かないと。きっともうみんな揃っている。
専用ルームに向かうわたしの足取りは、心なしか軽かった。不安がないわけじゃない。今日のパーティーの目的は、楽しむことだけじゃないからだ。でもわたしはそれ以上に、ワクワクする気持ちでいっぱいなのだ。
ギリギリだったけど、ようやくプレゼントは完成した。……正確には、完成にはみんなの力がまだ必要なんだけど、そのための準備はもう整っている。鬼龍院さんからもお墨付きをもらっている。みんながどんな反応をするか分からないけど、みんなに見てもらえるというだけで、気持ちが昂るのを止められない。
息を弾ませながら、わたしはマテリエンヌ専用ルームのドアを開けた。
「お待たせ! パーティーセット持ってきたよ!」
「おつかれ、チカ。とりあえずテーブルに置いといて」
テーブルの上にお皿やコップを並べているサラちゃんが言った。
「わあ、こういうの久しぶりです」テルちゃんが袋の中を覗き込む。「今年は友達と、こういうパーティーとかできなかったので……」
「そっか、受験だもんね。テルちゃんも高校に行くんだよね?」
「はい……芸能界は何が起きるか分からないから、せめて高校くらいは行っておけって」
さっきも誰かが同じことを言っていたような……。
ところで、部屋の中を見渡してみると、メンバーが一人足りないことに気づく。
「あれ? ネムちゃんはまだ来てないの?」
「ああ、ネムなら……」
部屋の隅っこにいたフミちゃんが、小皿を手にして振り向いた。
「できたてを持ってくるから少し時間かかるって言ってたよ」
そう言ってフミちゃんは小皿を口につけ、何かをズズッと飲み込んだ。よく見ると、もう片方の手はお玉のようなものを握っていて、化粧台に置かれた鍋の中に突っ込まれていた。
「できたてって何でしょう……」
「というか、フミちゃんはさっきから何やってるの?」
「かぼちゃのポタージュを作ってた。ちょっとでもクリスマス感を出そうと思ってね。うちからIH調理器を持ってきた」
事務所内で火を使うわけにもいかないから、IH調理器は妥当なチョイスだと思うけど、かぼちゃのスープって、クリスマスとはあんまり結びつかないような……。
「フミ先輩、料理とかできるんですか? すごいです!」
「まあねー」
テルちゃんに褒められて得意顔になるフミちゃん。今にも鼻が天狗みたいになりそうだ。
「よくいう。どうせネムから教わったんだろ」
「ぎくっ」
サラちゃんに図星を突かれて、フミちゃんは固まった。二人が外でも頻繁に会っているのは知っていたけど、なるほど、料理を教わるほど親密な間柄なのか。
それにしても、歌が上手くて、器量もよくて、そのうえ料理も上手とは……ネムちゃんを見ていると、“天は二物を与えず”なんて誰が言ったのだ、と思えてくる。
その、天から何物も与えられた彼女が、ようやくやって来た。手には白い箱を提げている。
「ごめん、遅くなっちゃった」
「大丈夫、ギリギリ間に合ってるよ」サラちゃんが答える。「……ケーキ買って来たのか? いや、もしかして自作か?」
「うん、一からぜんぶ作ってみた。あんまりお金かけられないから、イチゴ以外のトッピングはないけど」
そう言ってネムちゃんは箱を開き、完成したばかりの手作りケーキを見せた。中身はごく普通のホールのショートケーキだけど、側面に塗られたホイップクリームにはムラがなく、上に載っているイチゴの配置も均等で、余計な飾りつけがないだけにシンプルな美しさが際立っていた。
そんなケーキを、キラキラした目で眺めている二人がいる。テルちゃんと、わたし。
「すごいです! お店のケーキみたい!」
「これが手作りなんだよね。こんな贅沢しちゃっていいのかな……」
「お、大げさよ、二人とも……それよりフミちゃん、ろうそく用意してくれた?」
ネムちゃんが尋ねると、フミちゃんは振り向きざまに六本のろうそくを見せた。色とりどりのケーキ用ろうそくを、左右の指の間に一本ずつ挟んで、手を交差させてこう、シャキーン!と。
「ぬかりなく」
「……忍者じゃないんだから」
キメ顔でポーズを決めるフミちゃんに、サラちゃんが呆れながらツッコミを入れた。なんか、マテリエンヌの日常が戻ったみたいで、ホッとするなぁ。
さて、準備が整ったところで、いよいよパーティーの始まりである。開始の音頭はサラちゃんの指名で、アドリブ師匠のフミちゃんが抜擢された。全員がテーブルを囲んで座り、めいめいに好きな飲み物をコップに入れたのを見て取ると、フミちゃんはひとり立ち上がった。
「えー、それでは。マテリエンヌの皆々さま、今年も色々ありましたが、どうにか一同無事にこの日を迎えられました。来年は初めてのCMがオンエアされますし、より一層頑張ってまいりましょう。この一年の奮闘をねぎらい、これからの活躍を祈りまして、乾杯!」
『カンパーイ!!』
全員で一斉にコップを掲げ、カランとぶつけて鳴らし合う。
さすがフミちゃん、用意してきたのかもしれないが、こんな長いセリフを噛まずにすらすらと言えるなんて……クリスマス要素はかけらもないけどね!
ケーキはデザート用に取っておいて、まずは各々が持ってきた食べ物をいただこう。パーティーセットに、ポテチやクラッカーなどのお菓子、フミちゃんお手製のかぼちゃのポタージュ。……こうして並べてみると、なかなかカロリーのきついラインナップである。
「ああ、どうしましょう……夕飯にこんなものを食べたら、絶対お腹の肉が増えますよぉ」
テルちゃんは悲鳴を上げているが、箸を動かす手は止まらない。なんだかんだ欲望に忠実な中学生である。
「大丈夫だって。食べた分だけ運動すればチャラになるから。むしろ体力がつく分お得だよ?」
ちゃっかりテルちゃんの隣に陣取っているフミちゃんが、自信たっぷりに言った。
「マテリエンヌの体力自慢の人が言うと、妙に説得力ありますね……」
「こいつの場合は小さい時から暴れまくっていそうだからな、そりゃあ体力もつくわ」
「野生児って意外とアイドル向きかもしれないわね」
「よぉしお前ら二人そこに直れ」
好き勝手言ってくるサラちゃんとネムちゃんに、フミちゃんは怒気をこめて指を差した。頼むからせっかくのパーティーで暴力沙汰はやめてくれ……。
「いやいや、実際体力は大事よ? 受験でも最終的には体力がものをいうって聞くし」
「そうねぇ、わたしも聞いたことがあるわ」と、ネムちゃん。
「テルちゃん、勉強は捗ってる? 来年からまた忙しくなるかもしれないけど」
「たぶん大丈夫だと思います。模試の結果を見ても、なんとか志望校には届きそうですし。先輩方に迷惑をかけないよう、しっかり勉強して合格しますね!」
キラキラした笑顔で、わたし達を気遣いながらしっかりとしたことを言うテルちゃんに、わたし達四人はまんまとノックアウトされた。揃って目を覆う。
あっ、眩しい。好き。
たぶんみんな同じことを考えただろうな。テルちゃんは分からないだろうけどさ。
「あの、みなさん……?」
「いい心がけだね! 応援してるよ!」
速攻で回復したフミちゃんが、真っ先にテルちゃんに声をかける。何なのかな、あの不自然なほどキラキラした眼差しは。
「困ったときはいつでもわたしを頼るといいよ! こう、どんっと、胸を借りるつもりで」
フミちゃんは自分の胸を、どんっと、拳で叩いて言った。気のせいかな……前にも同じセリフを聞いた気がする。
「あのなぁ」回復したサラちゃんが口を挟んだ。「高校行ってないやつの何を頼れっていうんだよ。大体、なんでフミだけ頼るって話になってんだ。わたし達を頼れ、って言いなさいよ」
「いやあ、この中じゃわたしが一番、胸を借りたときの安心感が強いじゃない? 物理的に」
「物理的にぶっ飛ばすぞ」
こういう感じでサラちゃんとフミちゃんは言い争いを始めた。なんか久しぶりだなぁ。こうやって遠慮なく憎まれ口を叩き合える関係って、実はとても貴重なんだと、離れている時間が長かったことで実感できる。
……ちなみにマテリエンヌの中に、サイズがCを上回るメンバーはいない。よってフミちゃんが言う安心感の差なんて微々たるものなのだ。
「それ以前に疑問なんだが、お前に勉強を教えられるのか? できるイメージ全然ないぞ」
「失敬な! こう見えても成績はそこそこ平均取ってんだぞ」
「それ、“中の下”って言ってるのと同じじゃないか……」
「この中で学校の勉強を続けているのって……チカちゃんだけかな」
ネムちゃんがわたしを見て言った。
「確かに予備校の短期講座を受けたりしてるけど、将来的に資格とか取るのに役立つと思ってるだけだから。受験勉強の面倒を見るのは無理だよ」
「いいですねー、チカ先輩。有資格者アイドルってなんかカッコいいです!」
「資格や学歴を武器にするタレントも多いもんね。付加価値を増やすのはありだと思うわよ」
「まあ持てる武器を増やしたいってのもあるけど、この先何が起きるか分からないから、できる備えはしておこうと思って……」
「みんな不安に思うのは一緒なのね」
ネムちゃんの言うとおり、将来が約束される人なんて芸能界にはいないから、みんな不安になるし、必死にもなる。生き残ろうとしても、自分一人でできることにも限りがある。だから色んな人たちの力を借りて、頑張っていくしかないんだ。
いつかちゃんと恩返ししたい……わたしを支えてくれたすべてに。年末のライブが、そのきっかけになればいいな。
「よし! 食べ物もだいぶ減ってきたし、お待ちかねのネムお手製クリスマスケーキをいただくとしますか!」
フミちゃんが立ち上がって言った。いつの間にかサラちゃんとの喧嘩は終わっていたようだ。
「おー、食べよう食べよう」
「終わったら何かして遊ぼうぜー。『アイドル人生ゲーム』っていうの持ってきた!」
「生々しいボードゲームを持ち込むな!」
そんな感じで、クリスマスの夜は更けていった。いつしかこのパーティーの本来の目的など忘れ、飲んで食べて遊んで喋って、思いのほか楽しい時間を過ごせている。ギクシャクすることがあっても、やっぱりこの五人で集まると楽しいのだ。
「どうしましょう……ひと切れ残っちゃいましたね」
テルちゃんが持っているお皿には、唯一残ったケーキが載っている。ナイフで綺麗に五等分できる自信がなかったので、ネムちゃんは仕方なくイチゴを六個使ったそうだ。五人でひと切れずつ食べた結果、一人分だけが残ってしまったのだ。
こういう時に、すぐさま戦闘モードに入るのはサラちゃんとフミちゃんだ。
「おいサラ之助! 残りひと切れを賭けて、恨みっこなしのじゃんけん勝負としゃれこむか!」
「上等だフミ左衛門! 負けても吠え面かくんじゃねーぞ!」
二人でバチバチと視線をぶつけ合い、揃って右手の拳を左手で覆って、じゃんけんの臨戦態勢は万全となった。正直、なんであの二人のどちらかが食べる前提なのか分からないが、結果は見えていたので、わたしはとりあえず傍観することにした。
サラちゃんとフミちゃんはタイミングを見計らうと、声を張り上げて拳を差し向け合った!
「「最初はグー! じゃーんけーんぽ」」
「言っておくけど、最後のひとつは鬼龍院さんの分だよ。いつもお世話になってるし、おすそ分けくらいしないと」
絶妙なタイミングでネムちゃんが口を挟むと、二人はぴたりと動きを止めた。右手が半端に開き、半端に浮いている。しばらくしてから、二人は苦笑いしてこっちを向いた。
「「……ですよねー」」
こうなると思った……いつもお世話になっている、というかいつも迷惑をかけているマネージャー兼プロデューサーの存在を忘れるなよ。
「鬼龍院さん、まだ事務所にいらっしゃるんですか?」と、テルちゃん。
「わたし達が事務所で好き勝手するわけにはいかないからね……色々許可をもらわないとだし、監督責任もあるから、わたし達を放置して帰れないのよ」
監督責任とかいう割に、なかなかここに来ないのだが……と思っていたら、その当人がドアを開けて入ってきた。
「おーい、楽しんでやってるかー?」
「あ、鬼龍院さん!」
テルちゃんはケーキを載せたお皿を持って、トコトコと鬼龍院さんのもとへ駆け寄っていく。
「どうぞ! メリークリスマスです!」
「ん? 私の分?」
「はい! ネム先輩の手作りですよ! すごくおいしいので、鬼龍院さんもぜひ」
「ありがと……」鬼龍院さんはお皿ごと受け取った。「後で食べるよ」
「「えー!! いま食べてくださいよ!!」」
テルちゃんとネムちゃんが鬼龍院さんに詰め寄って訴えた。ネムちゃんは分かるけど、なんでテルちゃんまであんなに必死なの?
さすがの鬼龍院さんも、ここまで迫られるとタジタジになるらしい。
「……わ、分かったよ。食べるから……じゃあ一口だけ」
ケーキに添えられているフォークを手に取ると、三角に切られたケーキの端をカットし、フォークを刺して口に運んだ。もぐもぐと咀嚼する鬼龍院さんが、次にどんな反応を示すか、ネムちゃんとテルちゃんは固唾を飲んで見守っている。
「……うん、美味いな」
少しほころんだ顔で鬼龍院さんが言うと、二人の表情がぱあっと明るくなる。いえーい、と言いながらハイタッチするネムちゃんとテルちゃん。
「やりましたね、ネム先輩!」
「ええ、これでもう自信がついたわ! あの堅物で能面みたいな鬼龍院さんを、ちょっとでも笑顔にさせたんですもの」
「お前、ホント調子に乗ると言葉が過ぎるな……」
呆れてツッコミを入れる気にもならない鬼龍院さんであった。ネムちゃんの毒舌が治る兆しは一向になく、もう鬼龍院さんもほぼ諦めているらしい。
「ああ、そうだ……サラ、屋上のカギ、借りてきたぞ」
鬼龍院さんはフォークをお皿の上に戻すと、一本のカギを取り出してサラちゃんに差し出した。
「ありがとうございます。お手数をかけました……」
「何すんの?」フミちゃんがサラちゃんに尋ねる。
「これから屋上に出て、みんなで星空でも見ようかと思ってね」
あっ……わたしは気づいた。たぶん、フミちゃんとネムちゃんも。
「星を見るんですか? 素敵です! 冬の空ってすごくキレイなんですよね」
「そうそう。これからの時間帯は街の明かりも少なくなるし、このビルの屋上なら十分高さがあるから、割とたくさん星が見えると思うよ。今日は雲もないし……もう少し早かったら、新月でもっと星が見やすかったんだけどね」
「サラ先輩、星が好きなんですか?」
「んー、割と好きな方かな」
サラちゃんは確かに星が嫌いじゃないけど、付き合いの長いわたし達には、どうも違和感のある提案だ。これは……いよいよその時が来たということだ。胸がきゅっと苦しくなる。
わたし達四人で、テルちゃんに告白する。すべてはこのために企画されていた。誰にも邪魔されず、少し重い話をしても雰囲気が壊れない、そんなロケーションをサラちゃんは用意していた。綺麗な夜空の下で告白する……普通なら魅力的な展開だけど、それは一対一で告白した場合の話だ。
何も知らないテルちゃんは、楽しみと言わんばかりにはしゃいでいる。かわいい。その一方でわたし達は、覚悟を決めなければならなかった。
もう逃げ場はない。わたし達四人は目を合わせ、腹をくくったことを確かめた。
「わあ……! ホントにキレイ……!」
五人で事務所のビルの屋上に出て、真上の空を見る。ビルの周りにはまだ明かりがぽつぽつとあるけれど、この時間は光が弱くて、宵闇の空には届かない。膨らんだ月の近くは見えにくいが、それでも満天に散りばめられたように、幾千もの星の粒が光り輝いている。
「たまにはいいものね、夜空を見上げるというのも……」
「普段あんまり星を見る機会もないからねー」
「あっ、オリオン座ですよ! オリオン座!」
空を指差しながら、テルちゃんは分かりやすいほどはしゃいでいる。星にも負けないくらい瞳が煌めくさまは、見ているだけで心が締めつけられるほど、純真そのものだった。
……気がついたけど、テルちゃん以外はみんな、星ではなくテルちゃんを見ていた。
じっと……一瞬も見逃さないように、時を惜しむように。このまま星空の下で、大好きなあの子の姿を見つめ続けられたら……それはどんなに幸せだろう。
でもここまでだ。屋上の使用許可が下りたといっても、三十分だけという制限がつけられている。せっかくの機会を無駄にするわけにはいかない。
やがてわたし達は目を合わせ、お互いに頷く。代表してサラちゃんが口火を切った。
「……テル、ちょっといいか?」
「はい?」
「わたし達からテルに、今から大事なことを伝える。落ち着いて聞いてほしい」
「な、なんですか、急に改まって……」
よほど困惑しているようで、テルちゃんは肩が縮こまっていた。何かよくないことを告げられそうだと思っただろうか。確かにいい話とは言い難いが。
「テルはそこまで身構えなくていいよ。まあ、最後はテルの気持ちを聞きたいけれど……」
「わたしの気持ち、ですか?」
「そう。さて、まずは……あれ?」
サラちゃんはわたし達の方を振り向いて、固まった。
「えっと……誰から言うんだ?」
「あれ? そういえば順番とか決めてなくない?」
「あらほんと……パーティーを楽しみ過ぎてすっかり忘れてたわ」
おいおい。わたし達の間で平等に告白の機会を作るはずなのに、肝心の順番を決めないでどうする……わたしも当事者だから人のこと言えないけどさ!
「ここはじゃんけんで決めるか?」
「三十分しかないのよ。四人でじゃんけんしていたら、時間が足りなくなるかも」
「でも、なるべく後で揉めないように決めないと……」
「あっ、じゃあこれ使う?」
フミちゃんはそう言って、ポケットから何かを取り出した。サイコロだった。
「四人で一回ずつこれを振って、出た目の大きい順に言うっていうのはどう?」
「なるほど、平等な決め方ではあるけど……誰かと同じ目が出たら?」
「その時は、別の目が出るまでやり直せばいいんじゃない」
「ふうむ……というかフミ、なんでサイコロなんて持ってるの」
「いやあ、ケーキ食べたら普通に人生ゲームやるつもりでいたから、これ持ってスタンバイしていたんだけど、結局こっちに来ちゃったから」
「で、そのまま持ってきたのか……」
呆れてものが言えないサラちゃんは、渋い表情を浮かべた。ファインプレーといえなくもないから、強いツッコミが思いつかないのだろう。
「でも、サイコロを振る順番はどうするの、フミちゃん」
「とりあえず歳の順でよくない? じゃあ最初はサラからどうぞ」
フミちゃんからサイコロを受け取ったサラちゃんは、お疲れ気味にため息をつく。
「はあ……仕方ない。じゃあ行くよ。それっ」
サイコロを握る手を高く振り上げ、止める寸前にふわりと手を開き、サイコロを離した。こういう時でもパフォーマンスを欠かさないのがサラちゃんである。
サイコロは屋上の床に落下し、カラカラと転がって……止まった。
一の目が出た。
「ちっくしょぉ~……」
サラちゃんは四つん這いになって項垂れた。なんか、ちーんっていう仏壇みたいなSEが流れそうな雰囲気がある。えっと……これ、どうフォローしたらいいのかな。
「はい、サラはラスト決定ね。んじゃ次はわたしが」
フォローする気がさらさらないフミちゃんは、特に気負わず「ほい」と言いながらサイコロを放り投げた。
四の目が出た。
「よしっ」フミちゃんはガッツポーズ。「じゃあ次はネムね」
「はーい。二人を見ている感じだと、あまり気負わない方がいい結果を出せそうね」
フォローするどころか傷口に塩を塗るネムちゃんの毒舌に、サラちゃんの精神的ダメージはさらに深くなった。ぐうぅ、と唸りながら額を床につけるサラちゃん。……頼むから、うちのリーダーをこれ以上苦しめないであげて。
フミちゃんから受け取ったサイコロを、ネムちゃんはさっと床に落とした。
四の目が出た。
「おっと、さっそく同じ目が出たか」
「やり直しね。それっ」
ネムちゃんはサイコロを拾い上げ、もう一度さっと床に落とした。
四の目が出た。
「…………もう一回」
ネムちゃんはサイコロを拾い上げ、もう一度さっと床に落とした。
四の目が出た。
「…………」
さすがに今度は無言で拾い上げ、もう一度さっと床に落とした。
四の目が出た。ここから、五回連続で。
「なんでやねん!」
しびれを切らしたフミちゃんが叫ぶ。思わず出たツッコミが関西風って……。
「いやおかしいでしょ、どうなってんの! 九回連続で同じ目が出るとか尋常じゃないよ!」
「わたしに言われたって困るよ! どうしてこうなるのかこっちが聞きたいよ!」
ついには言い争いに発展してしまった。まあ、この二人が息ぴったりだという証かな。
「もういい! こうなったらサラみたいにカッコつける感じで振ってやれ!」
「だからこれ以上サラちゃんの傷をえぐらないで!」
わたしも我慢できずに訴えた。サラちゃんはすでに再起困難に陥っていて、さすがに憐れだ。
ネムちゃんは仕方なく、「はっ」と言いながら、サイコロを頭上に放り投げた。サイコロは放物線を描きながら落下し、床の上を転がった。
三の目が出た。
「あー、残念! またフミちゃんに後れを取っちゃった!」
「何のこと?」
わたしはこの時、グループラインでの出来事をまだ知らなかった。
「こっちはもう色んな意味でホッとしてるよ……じゃあ、最後はチカね」
フミちゃんからサイコロを受け取る。
すでに三通りの目が出ているから、一発で決まる確率は半々ということだ。別に気負うほどの数字じゃないし、普通に振っても問題ないだろう。これでサラちゃんと同じ一の目ばかり連続したら、さすがにわたしも笑うしかないが。
わたしは手のひらの上にサイコロを載せ、転がしながら床に落とした。
なんと、六の目が出た。
「…………」唖然とするわたし。
「すげぇ、一発で六が出た。というわけで、一番手はチカね」
「あ、順番決まったんですか?」
サイコロ騒ぎのせいでずっと放置されていたテルちゃんが、ようやく話しかけてきた。
「ごめんね、ずっとほっといてて……」
「いえ、わたしは別に……それで、大事な話って何ですか?」
わたし達の漫才みたいなやり取りを見て緊張がほぐれたのか、テルちゃんはさっきより落ち着いているように見えた。むしろわたしの方が少し緊張しているかもしれない……。
いつの間にか回復していたサラちゃんの方を振り向く。目が合うと、サラちゃんはふっと微笑み、こくりと頷いた。わたしらしく好意を告げればいい、と言いたいように。
テルちゃんに視線を戻し、深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
大丈夫、言いたいことはもう決めている。自分の気持ちにも答えを出せている。あとはそれを、飾らずに言葉にすればいい。
顔を上げて、テルちゃんを真っすぐに見据える。
「テルちゃん、アイドルは楽しい?」
「え? はい、楽しいですよ」
「うん、わたしも楽しい……でもこの楽しさに気づくまで、結構時間がかかったんだ。わたしは、みんなより厳しい条件でスタートしたから、自力で夢を掴もうと必死になっていて……楽しいと思う余裕すらなかったんだ」
「はい……鬼龍院さんから聞いたことあります」
「あの頃は本当に、周りを見ることもできなかったからね……デビューが決まった後も、どこか現実感がなくて、自分がアイドルとしてどう振舞えばいいのか、模索する日々が続いていたの。だけど、やっと気づいたんだ。わたしが目指したいアイドルの姿が、何なのか」
長かったし、遠回りでもあった。答えはすぐそばにあった。自分にとっては当たり前すぎて、気づかなかったけれど……出会い、時間を重ね、思いを聞いて、ようやく気づいた。
晴れやかな気持ちで、テルちゃんに、みんなに告げる。
「わたし、感謝を形にするアイドルに、なりたいんだ」
その言葉が出た瞬間、テルちゃんは両目を見開いて、呆然としたようだった。
「……感謝を、形に?」
「うん……わたしがステージに立てるようになるには、自分の努力だけじゃ足りなかった。その努力を見ていて、支えたいと思ってくれる人が必要だったの。コンサートに来て応援してくれるファンや、素敵なステージを作ってくれるスタッフ、いい曲を生み出す作家やミュージシャン、そして……どんなにつらいときも支え合ってくれる、大切な仲間」
『…………!』
見えないから分からないけど、きっと後ろにいるサラちゃん達も気づいている。
「わたしは、そんな人たちに支えられているから、ステージに立てる。楽しい時間を作れる。その優しさが嬉しくて、一緒に過ごす時間が楽しくて、この時間を作っているすべてが愛おしいって……そう、思っていたんだ」
「チカ先輩……」
「まあ、自分では当たり前すぎて、なかなか気づけなかったけどね」苦笑いしながら打ち明ける。「でもその気持ちを知ったとき、どうしてもわたしは、その気持ちを伝えたくなった。いつも支えてくれるみんなに、心から感謝したくて……その気持ちを形にしたいって、強烈に思えたの」
「それが、チカ先輩の目指したい、アイドルの姿ですか」
「うん。わたしの気持ちを、どうしたら形にできるかな、って考えてた。それで、鬼龍院さんとも相談しながら、ようやく形にすることができたの」
「えっ、できたんですか。それって一体……」
戸惑っているテルちゃんを見てわたしは、ふふっ、と笑いたくなった。サプライズを仕掛けるのが、こんなに楽しいとは思わなかった。
「わたし……曲を作ったの。作詞だけだけどね」
…………。
無言の時間がしばし続いた。そして。
『えぇ―――っ!!』
わたしを除く全員が揃って驚きの声を上げた。
「ちょっと待ってチカ! どういうこと!? 曲作ったなんて聞いてないよ!」
「というか、作った? うそ……曲作りに加わるなんて、わたしですら経験ないのに!」
フミちゃんもネムちゃんも、信じられないと言わんばかりの反応だ。驚きすぎて顔がくしゃくしゃになっている。
「ごめんね、みんなにも内緒にしてて。きちんと完成するまでは見せないって決めてたんだ。もちろん作詞なんて初めてだから、鬼龍院さんに紹介してもらった作家さんに、コツを教わりながら書いたんだ。大変だったけど、クリスマスまでには絶対完成させようと思って……」
「ああ、ラインで言ってた“とっておきのプレゼント”って、このことだったのか……」
サラちゃんは腑に落ちたように言った。そう、わたしが用意したかったプレゼントは、自分の気持ちを詰め込んだ曲だった。そしてそれは、マテリエンヌのみんなに贈って、初めて意味がある。
「ねえ、テルちゃん」
「えっ、あ、はい!」
びっくりしすぎてまだ呆然としていたテルちゃんは、わたしに呼ばれて我に返った。
「覚えてる? 五人で初めてやったライブの時、ラストでわたしがテルちゃんに抱きついたこと」
「あぁ、はい……」
テルちゃんにとっても恥ずかしい事だったのか、やや赤面して視線を反らした。
「あの時……わたしはね、嬉しかったんだよ。テルちゃんが、わたしと同じものを好きになってくれたことが」
「……わたしが、チカ先輩と同じものを?」
「うん。アイドルの仕事とか、ライブの空気感とか、わたし達を包み込む世界のすべてを、テルちゃんも好きになってくれたと分かったから……すごく嬉しかったの」
ラストの曲を歌い終えた直後、わたしはテルちゃんの横顔を見た。それは、自分を包み込むすべてに愛されていると感じ、喜びに満たされている姿だった。ライブが始まる前まで見せていた不安は、すっかり吹き飛ばされて、アイドルとしての幸せを噛みしめていた。わたしがいつも感じていたものを、彼女も手に入れたのだと思うと、わたしも無性に嬉しくなったのだ。
「チカ先輩……そうですね」テルちゃんは照れくさそうに笑う。「あの時はわたし、みんなに受け入れられた気がして、なんかこう……心がポカポカしたんですよね」
「うん、分かるよ。わたしもずっとそうだったから。テルちゃんが同じ気持ちになってくれて、なんていうか、やっとテルちゃんが、わたし達の仲間になってくれたみたいで」
そう言ったら、宵闇の中でも分かるほどに、テルちゃんは心の底から嬉しそうに、キラキラと輝きを放ちながら笑みを浮かべた。ああ……かわいいなぁ。
「それにね……」
「はい」
「好きな人が、自分と同じものを好きになってくれると、すごく嬉しいと思うでしょ」
「そうですね…………え?」
一瞬、ポカンとしたテルちゃん。
割とすぐに、わたしの言いたいことに気づいて、ぼっと顔を赤くした。
「このタイミングで言うのかよ! さっきからいちいちニクいことしてくれるな!」
「フミちゃん、気持ちは分かるけどまだ出番来てないから黙っていようね?」
後ろが何やら騒がしいけど、とりあえず無視しよう。
「え、あ、その、えっ……す、好きって、あの、え、エル、オー、で始まるやつ、ですか」
だいぶ混乱しているようで、テルちゃんの言葉はおぼつかなかった。視線もグラグラと泳いでいるし、両手の動きもかなりカオスだ。
「うん。わたしだけじゃなくて、サラちゃんも、フミちゃんも、ネムちゃんも、みんなテルちゃんのことが好きなんだよ。一目ボレしちゃったんだ」
「はうっ!? あ、え、う……せ、先輩方が、わたしを……?」
「混乱するのは当然だよ。テルちゃんからすれば、唐突な話だろうし……だからね、テルちゃんが、今いる世界を好きになってくれたことを、わたしだけじゃなく、みんなが嬉しく思ってるんだよ」
そんなことは、たとえ口に出さなくても分かる。わたし達は、マテリエンヌになってからずっと、同じ景色を見てきたんだもの……。
「だからわたし、用意した曲はみんなに歌ってほしい。もちろん、テルちゃんにも」
「わたしも……?」
「そう。この五人で歌うから意味があるの。元はわたし一人の気持ちでも、同じ気持ちを知っているみんなで共有して、届けられたら……きっと、素敵なステージになると思う」
「…………!」
この曲は、わたしからみんなへのプレゼントだ。贈ることで、この曲はわたし一人のものから、わたし達のものになる。そうして初めて、この曲に意味が生まれるんだ。
これがわたしの、感謝の形。ありったけの気持ちを込めて、支えてくれるすべての存在に届ける。それがわたしにできることだった。
「どうかな、テルちゃん。わたしの作った曲、歌ってくれる?」
そう尋ねたら、テルちゃんは頬を染めながら、少し興奮したように大声で答えた。
「も、もちろんですよ! ぜひ歌いたいです! チカ先輩の作った曲を歌えるなんて光栄です!」
「光栄だなんて、大げさな……」
「だってわたし、ずっとチカ先輩に憧れていましたから!」
「へ?」
瞳をキラキラと輝かせるテルちゃんの言葉に、わたしは一瞬耳を疑った。
ちょ、ちょっとこれは……予想もしないサプライズ返しだ。テルちゃんが、実力ある他の三人を差し置いて、わたしに憧れていた……にわかには信じがたい。
「わたし、マテリエンヌの事はデビュー前から見ていたんですけど、中でもチカ先輩に、いちばん可能性を感じていたんです。歌もダンスもトークも、単に技術が高いんじゃなくて、見ているみんなにしっかり届けたいって気持ちが溢れていて……」
「そ、そうなの? そう見えたの? まあ思ってはいたけど……」
「チカ先輩ならきっと、誰よりも素敵なアイドルになれるって信じていました。だから、そんな先輩が作った曲に、わたしも参加させてもらえるのは、本当に嬉しいんです!」
ここにもいたんだ……わたしのことを信じて、見守ってくれる人が。
わたしって本当に、幸せなんだなぁ。ああ、油断していると泣きそうだ。
「ただ、その、一目ボレに関しては……ご期待に添えないというか……」
「あ、待って。一応全員、テルちゃんにきちんと告白する予定だから、断るにしてもその後でいいかな。もちろん無理にとは言わないけど」
「ええっ!? あ、はい、聞きます……」
やっぱり根がまじめなんだろうなぁ。わたしの告白だけ聞いて他は無視、というわけにいかないと思っている。わたしが全部代弁することもできないしね。
「じゃあ、わたしからの話はここまでね。じゃあ次はフミちゃ……え?」
後方を振り返って、わたしは絶句した。わたしの次に控える三人がみんな、口を真一文字にきゅっと結び、眉間にしわを寄せながらわなわなと震えていた。
「あの、どうかした?」
「どうかした、じゃないよもう!」
フミちゃんが悔しそうに怒っている。それは他の二人も同じだった。
「正直言ってね、チカが気を遣って、わたし達もテルっちが好きだって話すのは想定内だったよ。だけど……作詞はずるい。こんなの想定できないし、勝てるわけがない!」
「全くだ……こっちだってそれなりに立派な告白を用意してたのに、こんな告白の後じゃかすんでしまうよ。インパクトが違う」
「最初からこんなに飛ばすなんてずるいよもう! こんなんじゃ勝負にならないわ!」
いつの間に勝負することになっていたんだろう……それぞれが好意を自分の言葉で伝えるだけなのに、主旨が変わっている。それを指摘するのは面倒だけど。
「こいつぅ~! このこのぉ~!」
三人が一斉にわたしに襲いかかってきて、肘をぐりぐりと押しつけたり、首に腕を回して締め上げたりしてきた。おふざけ程度ではあるんだけど、三人同時にやられるとちょっと苦しい……。
「ちょっ、待って、待って、ギブ、ギブッ!」
「あのー……」
ふざけ合っているわたし達に、テルちゃんは恥じらいながら話しかけた。
「えっと、確かなんですか? さっきチカ先輩が言ってたことって……」
わたしの話は長かったけど、テルちゃんの態度を見れば、どのことを言いたいか明らかだ。
最初に口を開いたのはフミちゃんだった。
「……そうだよ。わたし、テルっちが好き。恋愛的な意味で、好きになっちまった。サラもネムもおんなじだ。みんな揃って、同じタイミングで惚れちゃったんだよ」
「そうそう、しかもこれが初恋。わたしでも恋をするのかと思ったら、まさか女の子なんて」
「まあ、我ながら恥ずかしい限りだけどね……」
決めた順番を忠実に守って発言する三人。なんだかんだマテリエンヌのメンバーって、真面目な子ばかりだよね。
「な、なんかすみません……先輩たちの気持ちも知らずに、わたし、無神経なことをしてしまって」
「ああ、テルっちに好きな人がいるってこと? しょうがないよ、こっちが言わなかったんだから」
「達観した物言いだけど、あれで一番悩みまくったのってフミちゃんだよね」
「しゃらっぷ、ネム」
余計なことをバラそうとしたネムちゃんを、フミちゃんはやんわりとたしなめた。
「で、どうかな、テル」サラちゃんが尋ねる。「ほぼ答えは出ているけど、わたし達の告白に対して、テルはどう応えるんだ?」
「えっと、わたしは……」
答えは出ているはず。だけど、テルちゃんも先輩であるわたし達に、並々ならぬ想いを抱いているのは確かで、どう答えるべきか迷っているかもしれない。
でも大丈夫。どんな答えが来ても、わたし達はとっくに受け止める覚悟ができている。その意味も込めて、わたし達は真っすぐにテルちゃんを見つめた。その視線に気づいたテルちゃんも……一度呼吸を整えてから、はっきりと、こう言った。
「ごめんなさい。わたし、先輩方は選べません!」
「だよなぁー」
間髪を容れずにサラちゃんが言った。とうに諦めはついていたのだ。もはやショックを受けることすらない。
「いや、いいんだ、それで。わたし達がはっきりさせておきたかった、というのが一番大きかったから。おかげでスッキリしたよ」
「すみません……気持ちは嬉しいんですけど、わたし、他に好きな人がいるので」
「憧れのチカ先輩を差し置いてか?」
「ふ、フミちゃん……それ、わたしが一番反応に困る」
「一体テルちゃんは誰を好きになったの? 無理には聞かないけど」
「そ、それは……」
口ごもらせるテルちゃん。まあ、自分の好きな人の名前を明かすって、結構心のエネルギーを使うからね、気持ちは分からなくもない。
すると、屋上の出入り口のドアが開かれた。
「おーい、終わったかぁ。もう三十分過ぎてるぞー……あー、さむっ」
出てきたのは鬼龍院さんだった。割と寒がりなのか、猫背になって両手で自分の体を抱いている。
というか、もう時間になったのか……わたしの告白だけで結構費やしてしまったし、夢中になって時間を忘れていた。
「鬼龍院さん――――……っ!」
ぼうっと立ち尽くしていたテルちゃんは、何を思ったか急に駆け出して、そのまま真っすぐ鬼龍院さんの元へ走っていき……。
その胸に飛び込んだ。
「…………!?」
今度はわたし達が、何が起きたのか分からず目を見開いた。鬼龍院さんは珍しく慌てている。
「お、おいっ、いきなり抱きついてくるなって。人目があるのに……」
「構いません。先輩方にはそろそろ、お話ししたいので……」
二人の会話と態度で、わたしはすべてを察した。いや、でも、まさか……。
「あの……もしかして、テルちゃんの好きな人って」
「すみません、黙ってて……わたし、鬼龍院さんと、その、つ、付き合うことに、なりまして……」
「「「「えぇ―――っ!!」」」」
星の降る夜空に、わたし達四人の驚愕する声が響いた。
鬼龍院さんの談によれば、テルちゃんは初めて鬼龍院さんと会った時に、ほぼ一目ボレのように好きになったらしい。しばらくはおとなしくしていたが、フミちゃんに打ち明けて心が軽くなったことをきっかけに、彼女に気持ちを告げることにしたという。そして鬼龍院さんは、仕事に忙殺される中で、心を癒すようなより所が欲しかったらしい。いいタイミングでテルちゃんが告白してきて、悪い気がしなかったという理由で受け入れてしまったという。
正直、相手が鬼龍院さんというのは予想の範疇にあった。しかし、年齢も十歳くらい離れているし、ガードも堅そうだから、まさか交際にまで発展しているとは思わなかった。テルちゃんに抱きつかれて、恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女を見て、それまでのクールなイメージが崩れていく。
「まあ……そういうことだ。念を押しておくが、ここだけの話だけにしてくれよ」
「あ、はい」
鬼龍院さんに釘を刺された。彼女が元いたグループの件もあって、同性のタレントとマネージャーの恋愛を、表沙汰にされたくないのだ。とはいえ、他言しようにもどう説明すればいいのやら。
「ほら、もう時間だから、早く中に戻れ。寒くて仕方がない」
「行きましょう、先輩方」
テルちゃんは鬼龍院さんの腕にしがみつき、彼女と一緒に建物の中に戻っていく。事情が知られた途端、あからさまにいちゃつき始めたな……寒がりな鬼龍院さんにはありがたいかもしれないが。
早く戻れ、と言われたものの、あまりの急展開に、わたし達はしばらく動けなかった。
「なんか……えっと、びっくりしたね」
「ああ……まさかフミが知らないうちにテルちゃんの背中を押していたとはね」
「知らんわ。こうなるなんて予想できなかったし」
サラちゃんからジト目を向けられて、フミちゃんは苦笑しながら言い返した。
「でもわたし達、最初に決めたわよね……」ネムちゃんが晴れやかな顔で言う。「テルちゃんが誰を選んでも、あの子の気持ちを尊重して、応援するって」
「確かに、鬼龍院さんが相手じゃ、わたしらは何も言えんわな」
フミちゃんの言うことも分かる。ただでさえあの人に逆らうのは怖いし、彼女に憧れる気持ちも理解できる。それに、鬼龍院さんがテルちゃんにだけ弱さを見せるくらい、二人はすでに親密な関係を築いている。そこに割って入るのはあまりに野暮だ。
そんなことを考えていると、サラちゃんの手がわたしの肩にポンと乗った。
「チカ、さっきの曲の話だけど……」
「あ、うん」
「ぜひ歌わせてほしい。チカがステージの上で感じていること、わたしも共有したいから」
「サラちゃん……!」
すると、フミちゃんとネムちゃんも負けじと手を挙げてきた。
「はいはーい! わたしも絶対歌いたい!」
「デモテープは用意できているんでしょう? 今からみんなで聞きこんで、次のライブまでに仕上げて披露しましょう」
こんなに喜んで、楽しみにしてくれている……わたしは、泣きたいほど嬉しい。
頑張って作ってよかった。気持ちを言葉にできてよかった。何より……こんな素敵な仲間たちに出会えて、本当によかった。
気を抜くと溢れそうな涙をぬぐって、わたしは笑顔で答えた。
「…………うん!」
それから年末ライブを迎えるまでは、過去に例を見ない、怒涛のスケジュールだった。
ライブ用のセットリストに、元々わたしの作った曲は入っていなかった。一日で複数のグループが出演するので、各グループの持ち時間は決まっている。ここでわたしの曲を入れるとなると、他の曲を削ったり短縮したりしなければならず、演出の変更も余儀なくされる。そんな無茶をする必要はなかったのだが、デモテープを聞いて手ごたえを感じたサラちゃんたちが、どうしてもこのライブで歌いたいと言い出したのだ。
結局、前日のリハーサルは夜遅くまで行なわれ、ギリギリまで照明や音響の調整が続いた。さすがに振り付けを仕込む余裕はなく、当日は指定の場所に立ったまま歌うことになったが、本格的にライブで披露するときには、ぜひ自分で振り付けを考えたいとサラちゃんは言っていた。
そしていよいよ当日を迎えた。マテリエンヌは最後から二番目の組である。
本番直前になって、わたし達五人は今まで以上に緊張している。テルちゃんはいつものことだけど、マテリエンヌにとっては初めての大きな舞台、しかもわたしにとっては、自分が作詞した曲を初めて披露する場である。
「チカ、やっぱり緊張してる?」
「まあね……」
「そりゃあチカにとっては、記念すべき作詞家デビューの日だからな」
「大丈夫よ、メンバー全員からお墨付きをもらえたんだもの、自信もって」
みんなが励ましてくれて、わたしは少し緊張がほぐれてきた。わたしは、こういう空気感が好きで、その気持ちを歌に込めた。たったそれだけのことが、大きな勇気になる。
「よし、行くか!」
いざ本番、サラちゃんの声を合図に、わたし達は一斉にステージへと駆け上がった。
……まばゆいばかりのスポットライトの光の向こうに、会場を埋め尽くすたくさんの観客と、散りばめられたペンライトの光たち、そして体中に響くほどの万雷の歓声。
今までとは違う。人数も、規模も、溢れんばかりの熱気も桁違いだ。わたし達のステージを見るために来た人ばかりとは限らないけど、それでもこれほどの数のファンに見てもらえるのは……。
圧倒的に、嬉しい!
「皆の者ぉー! 存分に楽しむ準備はできてるかぁ!」
サラちゃんの掛け声に、観客たちはペンライトを高く掲げて「おぉー!」と叫ぶ。
「最後までついて来てね! まずはこの曲から! 『Piece of Flare』!!」
やっぱり最初はデビュー曲のこれである。しかしこの曲が一番盛り上がると、常連のファンにはよく知られているので、トップバッターとしては妥当な選曲だろう。実際、曲名が出た瞬間に、会場の勢いは一気に加速した。
その後も『パレットを開いて』などの持ち歌や、先輩グループのカバー曲を続けざまに披露し、持ち時間が迫ってきたところでいよいよ、ラストの曲に差しかかった。メンバーの一人が作詞した新曲を披露することは、前日に公表されていた。それ以上の情報は公開されなかったので、ネット上でも色々と憶測が飛び交っていたが、ようやくその全貌が明らかになる。
「チカ」
サラちゃんがマイクを持つ手を下ろし、小さな声でわたしに呼びかけた。バクバクと鼓動が高鳴る。一度深呼吸して気持ちを落ち着かせて、わたしは一歩前に出た。
ざわめく観客たち。その一人ひとりに向けて、言葉を発する。
「皆さん、今日はお集まりいただき、本当にありがとうございます。マテリエンヌは今年デビューしたばかりですが、色々なことがありました。楽しいことも、つらいこともありました。それでもここまで来られたのは、ファンの皆さんに、スタッフさん、作曲家さん……そして、素敵な仲間たち。ここにいて、この空間を作ってくれる、すべての人たちのおかげです」
歓声は静まっている。ここにいる誰もが、わたしの言葉に耳を傾けている。
「その皆さんに感謝の気持ちを込めて、わたしはこの曲を作りました。どうかこの気持ちが、皆さん一人ひとりに伝わるように……精一杯、歌わせていただきます」
そしてわたしは、くるっと体の向きを変え、観客席に背を向けた。真後ろにカメラがセットされていて、その映像がステージ後ろのスクリーンに大きく映し出される。現れたのは、わたし。カメラの向こうと、目の前の仲間たちに向けて、気持ちのままに笑顔で告げた。
「みんな、大好きだよ!」
わたしの言葉を合図に、曲のイントロが流れ始めた。
「受け取ってください! 『アイ・コトバ』」
曲名を発表すると、わたしは再び観客席を向いて、四人の仲間たちと並んで立った。
最初はわたしとサラちゃんのパートだ。
『♪気がついたら、光の中、わたしは笑っていた……ふれ合う指先から、伝わる温もり』
『♪忘れられない』
ネムちゃんのソロを経て、次はフミちゃんとテルちゃんのユニゾン。
『♪生まれたとき、見つけた道、それぞれ違っていた……いつの間にか、重なっていたんだ、このステージで……』
次のBメロは、前半がわたしとネムちゃんのユニゾン、後半は他の三人が担当した。
『♪泣きたくて、つらくて、立ち上がれないときも、そばにいてくれた……』
『♪大好きなのに、素直になれなかった……それでもー……』
そしてサビは全員で!
『♪いつかこの日々、思い出したら、どんなにくじけそうな時でも』
『♪笑いながら支えてくれる、そんな言葉に出会えるでしょう……』
『♪わたしもきっと、この瞬間を、心から愛していけるんだよ』
『♪数え切れない優しさに包まれたこと、気づけたからー……』
二番のメロ部分はカットせざるを得なかった。それでも十分、思いは伝わると思っている。そう、ここに来ているであろう、あの人にも……。
あっ……。
次のCメロに入るまでの間奏が流れているとき、何気なく客席の隅っこに目をやったとき、一人の観客と目が合った。それは、わたしが小さいときから、わたしがステージで輝く姿を一目見たいと、何度も繰り返し話していた人だ。通路そばのやや広いスペースで、車椅子に座りながら、泣きそうなほど喜んだ顔を見せている。
Cメロに入った。前半はサラちゃんとテルちゃんのユニゾン、後半はフミちゃんとネムちゃんの二人が歌う。
『♪ずっと閉じ込めてたー、心をつなぐひとつの想い、伝えきれないから、今ここで……』
『♪ありふれた音にのせて届けたい……アイノコトバ……』
そうだ……あの人にも、伝えたい思いがたくさんある。わたしという命を育み、体を壊しても最後まで見守りたいと言った、あの人に。そのためにわたしは、このステージを目指して来たんだ。
ラストのサビは、わたしのソロパートから始まる。ありったけの想いを込めて……。
『♪いつかわたしも、この世界から、愛されることを知るでしょう』
『♪だから今ここに立っている、今のすべてを愛したいからー!』
高音のフレーズを合図に、全員で歌うパートが始まる。
『♪わたしの夢は、つながり合って、みんなの夢へと変わっていく』
『♪いつまでも、どこまでも、抱き続けたい、ずっと一緒に……』
『♪いつかこの日を、思い出したら、どんなに果てのない旅路でも』
『♪笑顔で駆け抜けていけるよ、君の言葉がそばにあるから……』
『♪わたしもきっと、この瞬間を、心から愛していけるんだよ』
『♪数え切れない優しさに包まれたこと、気づいたんだー……』
そして終盤、センターに立つわたしに、横にいたみんなが歩み寄ってくる。みんなの優しく見守る視線を感じながら、わたしは最後のソロパートに入った。
『♪いつかわたしも、誰かのために、優しさを分かち合えるなら……迷うことなく伝えられる気がしたんだ、アイノコトバ……』
『♪Uh~……』
最後は全員のハミングで、この曲を締めくくった。
曲が終わるとすぐ、地響きのごとき歓声と拍手が巻き起こった。
なんとか最後まで歌い上げて、達成感に浸っていると、横からサラちゃんが抱きついてきた。わたしですら見たことのない、晴れやかな笑顔で。フミちゃんも、ネムちゃんも、テルちゃんも、続けて抱きついてきて、もう押し潰されそうだ。
でも、わたしを包み込むこの温かな優しさは、とても心地よい。ずっとこうしていたいと、心から思えるほどに。
ああ……やっぱり、アイドルって最高だ。
万感を噛みしめながら、わたし達は一緒に笑っていた。
光の中、その瞬間を生きる、恋する偶像たちの、輝く笑顔がそこにあった。
<第7話 終わり>
ブクマ、感想など、お待ちしております。
ライブのシーンで描かれた、チカがどうしてもステージを見せたかった人が誰なのか、ここではあえて書きません。答えはあるのですが、皆さんのご想像にお任せします。
始まった当初は無謀な挑戦だと思っていましたし、実際そこまで上手く書けた気はしませんが、自作の歌詞も含め、とりあえず一つの世界観を作る事には成功したのかな……そこは読者一人ひとりの感性にお任せしますが。歌詞は一部しか見せられませんでしたが、もし要望があれば、そのうち全文を公開します。
都心部を中心に、また新型ウィルスの感染者が増加傾向にありますが、気持ちを強く持って生きたいですね。せめてフィクションの中では、こうしたアイドルたちの物語のように、明るく前向きで、感謝の気持ちにあふれたメッセージを送れたらと思います。
話は変わりますが、今回のエピソードで話題に上った、さる怪盗についてですが、これはもうしばらくしてから別のお話で取り扱う予定です。いつのことになるか分かりませんし、そもそも次の章がいつ始まるかも分かりません。とりあえず、陽の雰囲気のエピソードはしばらく見ないだろう、とだけ言っておきます。どうか気長にお待ちください。
では、また次のエピソードで。




