7-3 悩み事はいくつもある、大人だもの
メインの登場人物が今までで一番多いこともあってか、どんどん文量が多くなっていきます。
前回が不穏な終わり方をしてしまい、どうなるかと思われたかもしれませんが、それほど問題を大きくする予定はありません。……最後までくすぶり続けることはありますが。
今回は、フミと、マネージャーの鬼龍院さんにスポットを当ててみました。責任ある立場の大人というのは、何かと大変なのです。
新メンバーが加わって五人体制になったMaterienneの初ライブは、初日こそ来場者数は少なかったが、二日目以降は口コミで徐々に評判が広がり、十日後に行われた最終公演では、全席完売までこぎつけられた。書き下ろしの新曲『パレットを開いて』はCMソング起用が決まり、CDの発売とインターネット配信を前に、大掛かりな宣伝も打たれることになった。新メンバーのテルちゃん、中江輝美も、グループの一員として認知されるようになってきた。
……とまあ、わたしの発案はどうにか功を奏し、順調なスタートを切ったわけだが、何もかも解決となったわけではなかった。ここに来て新たな問題が浮上したのである。
その問題の最大の当事者は、他ならぬわたし、野村千花だ。
「チカ……自分がなんで呼び出されたのか、分かるよね?」
フミちゃん、空知芙美が不機嫌そうに尋ねる。
マテリエンヌ専用ルームに、テルちゃんを除くメンバー四人が集まっている。今日はオフの日なのに、なぜメンバー五人のうち四人も集まっているのか。それはもちろん、現在進行形で起きている例の問題が関わっている。
漂う空気は最悪なほど澱んでいる。気まずくて、わたしは三人と目を合わせられない。
「えっと……なんとなく、察してはいます」
「だったら、わたしらに何か言うことがあるよね?」
「あ、あの……軽はずみなことをしたと、思っています……」
「うーん、自己分析の結果はいらないのよねぇ。チカちゃん、そんなに悪い子だったかしら」
ネムちゃん、雲塚ねむの口調は相変わらずおっとりしているけど、妙に声が低くて、隠しきれない怒りがにじんでいる。
二人がなぜここまで怒っているのか、もちろんわたしは理解していた。
五人体制でのライブ初日、ラストの『パレットを開いて』のパフォーマンス直後のことだ。四人が同時にひとりの女の子に恋をしたと分かってから、わたし達の間ではいつしか、抜け駆けしてテルちゃんに接近しないよう、暗黙の了解ができていた。それなのに、わたしはあろうことか、ステージの上で、他のメンバーやファンが見ている中で、感極まってテルちゃんを抱擁してしまったのだ。
ファンの間では特に問題視されていないし、テルちゃんがファンに受け入れられて嬉しかったんだなぁ、くらいにしか思われていない。実際二日目以降は、メンバー全員でテルちゃんに軽く抱きつくことで上手くごまかし、仲良しグループという印象を植え付けることに利用した。これはリーダーのサラちゃん、萬田沙良が提案したことだ。
そういうわけで、対外的には何の問題もない。しかし、グループ内での暗黙の了解を破ったことに、フミちゃんとネムちゃんは特に厳しい目を向けている。
「あの……やっぱり、謝った方がいいんだよね……?」
「催促はしたくない」と、フミちゃん。「けど、わたし達も心中穏やかじゃないってことくらい、分かってほしいんだよ」
「わたし達だって、できるならテルちゃんとスキンシップのひとつくらいしたいけど、グループ内に不和を起こしたくないから我慢してるの。だからチカちゃんにも自制してほしいの」
「あ、はい……すみません……」
重苦しい空気がまとわりつく。気分はまるで被告人だ。フミちゃんとネムちゃんは検察とか弁護人みたいだ。どっちもわたしの味方になってくれそうにないけど。
さしずめサラちゃんは裁判官だろうか。さっきからずっと無言で目を閉じているけど、ちゃんと話を聞いているのかな……サラちゃんはまじめだし、たぶんこの二人以上に、わたしのしたことに怒っている。味方にはなってくれないだろうが、せめて何か言ってほしい……。
「それにしても、油断していたなぁ……チカはこういうことをする、最後の一人だと思ってたのに」
「そうねぇ、一番敵に回したくない人が本気出したら困るもの。積極的な性格じゃないから、まだ手出ししないだろうと思ってたわ」
わたしだって、自分がこんなことをするなんて思ってなかった。なんでステージ上でハグなんて、大胆な行動に出てしまったのか、自分でも分からない……。
ん? ちょっと待って。何か引っかかったような。
「ネムちゃん、一番敵に回したくないって、どういうこと?」
一番敵に回したくない、ということは、今回の件でネムちゃんはわたしを一番警戒しているということだ。サラちゃんやフミちゃんじゃなく、わたしを。
わたしが尋ねると、ネムちゃんは一瞬、真顔で固まった。
「…………あ」
「なんでこういう時にバラしちゃうかなぁ。ネム、あんた油断しすぎ」
しまった、と言わんばかりにポカンと口を開けるネムちゃんに、フミちゃんは呆れながらツッコミを入れる。フミちゃんは事情を知っているのだろうか。
「どういうこと、フミちゃん?」
「だからぁ、チカに本気出されたら、わたしらに勝ち目はないってこと。少なくともわたしとネムはそう思ってる」
「え? なんで? だってわたし、みんなほど自慢できる特技とかないし、頼れる先輩ってわけでもないし……」
「そうじゃないよ……チカ、そろそろ自覚しなよ」
頭を押さえながらフミちゃんは言うが、その意味するところが全く分からない。
「自覚するって、何を?」
「あんたはわたし達よりも、テルっちを惹きつける素地が備わってるんだよ。最初、チカが真っ先にテルっちのこと好きだって断言したとき、わたしもネムも本気で怖くなった。チカのことだから、言い出しにくい雰囲気を作っておけば、もし好きでも言わないだろうと思ってたのに……」
「完全にチカちゃんの気持ちを量り違えていたわね。思ったよりチカちゃんは本気だった……そのうち暴発するかもと思ってたけど、本当にその通りになったわね」
……まったく理解が追いつかない。二人の言い分を聞くと、自分たちよりわたしの方がテルちゃんに好かれると思っていて、わたしがテルちゃんに接近するのを躊躇するような状況に、わざと追い込みたかったようだが……ちょっと、わたしを買いかぶってないか。
「よく分からないんだけど……わたしにそんな、テルちゃんを惹きつけるような魅力なんてあるかなぁ? みんなほどアイドルらしいことはできてないのに……」
「だから、そうじゃないって言ってるでしょ!」
ガタッ、と音を立てて立ち上がり、フミちゃんは怒りをあらわにした。わたしの目の前まで迫り、わたしの胸倉を掴んで無理やり椅子から立たせた。鼻の頭が当たりそうなくらい顔を接近させて、フミちゃんは怒りをぶつけた。
「あんたが惹きつけてるのはテルっちだけじゃない! わたし達だって同じなんだよ! あんたはわたし達にとって、マテリエンヌに一番必要な奴なんだから!」
顔を思い切り歪めて声を張り上げるフミちゃんを、わたしは呆然と見返していた。
いつもは怒っても寸劇風にしかならないのに、今のフミちゃんは分かりやすく苛立っている。彼女がここまで感情をあらわにするのは珍しい。わたしを必要としていると言ってくれるのは嬉しいが、残念ながらすぐには受け入れられない。具体的にどこが、と訊きたいが、口が動かなかった。
やがて我に返ったフミちゃんは、すっとわたしの胸倉から手を離す。
「ごめん、取り乱しちゃって……」
「いや、いいけど……」
「というかサラ!」
今度はサラちゃんに怒りの矛先を向けたけど、サラちゃんはまだ無言で瞑目している。
「あんたからもチカに何か言ってやってよ! さっきからひと言も喋ってないけど、あんたまさか寝てないでしょうね!」
あ、それはわたしも疑ってた。
「寝てない。ちゃんと話は聞いてた」
目を閉じたままで、サラちゃんははっきりと答えた。どうやら居眠りはしてないらしい。
「わたしから言うことはあまりないけど……これだけは、チカにはっきり言っておく」
「…………何?」
サラちゃんはようやく、薄くても目を開けて告げる。
「みんなが怒っている一番の要因は、チカがわたし達を出し抜く素振りを、全く見せないことだよ」
「え?」
「ネムに『悪い子だ』と言われて謝ろうとしたり、テルちゃんに一番好かれると言われて否定したり……まるでわたし達の関係を壊さないよう、必死に気を遣っているみたい」
みたい、というかまさにその通りなのだが。わたしだって、みんながどれほどマテリエンヌを愛しているか知っているから、わたしの不手際で空中分解なんて事態は避けたいのだ。
「それって……いけないことなの?」
「いや、ちっとも悪くない。だけどチカの場合、気を遣いすぎるせいで、チカに及ばないと感じている人には辛辣に聞こえるんだよ。謙虚は行き過ぎれば傲慢や嫌味になる。しかも、チカが嫌味など言わないと知っているから、なおさら苛立ちに繋がるのよ」
……ショックだった。
わたしは精一杯、みんなが気分を害さないように気配りしているつもりだった。それが程度を過ぎれば、相手をさらに嫌な気分にさせるなんて、考えもしなかった。自分よりも上だと思っている相手が、必要以上に自身を卑下したら、まるで自分がさらに下等だと言っているように受け取られる。たとえ相手に、そのつもりがなかったとしても、だ。自分を低く見積もっているつもりなんてないのに、それがかえって相手を傷つけているなんて……。
だけどそのために『出し抜こうとしていました』なんて心にもないことを言って、フミちゃん達の気が晴れるかといえば、やっぱり違う気がする。
「まあでも、チカだけを責めるわけにもいかないでしょ。わたし達がどんなに気に入らなくても、チカの行動は結果的に、テルちゃんをグループになじませることに繋がった。ここで問題をこじらせたところで、誰のためにもならない。だったら話はこれで終わりにしましょう」
そう言ってサラちゃんは立ち上がり、先に退室しようと歩き出した。強制的に話を打ち止めにされて、納得できないのはフミちゃん達だ。
「待ってよ、サラ! こんなモヤモヤの状態を放っておくの?」
「そうよ、早いうちにスッキリさせておかないと、後々こじれることになるわよ」
「だからって、今ここでチカを責めたところで、問題は解決しない」
サラちゃんはドアの前で立ち止まり、振り返る。沈鬱な表情を浮かべ、いつもの熱意ある雰囲気はかすんでいた。
「わたしだって、チカを恋のライバルにはしたくない。敵わないとかより以前に、わたしの一番大切な、仲間だから」
そう言い残し、サラちゃんは部屋を出ていった。今日はオフの日だから、家に帰って振り付けの先生に教わったことを復習するのだろう。
三人になって、一気に部屋の中が静まり返る。
「……一番だって」
「あいつ、前からチカには甘いと思ってたけど、やっぱそうなのか」
別に甘いわけではない……頭ごなしに叱ったり責めたりしないだけで、厳しいことはいつも言っている。単に、わたしにどう言えば一番いいのか、弁えているだけだ。
ずっと立ったままだったフミちゃんが、どっと椅子に腰かける。
「まあいいけど。あいつがこれっきりって言うなら、この話は終わらせるしかない」
「なんか、ごめん……」
「いいのいいの。わたし達もイライラのはけ口を探してただけだから」
「そうね……ちょっと大人げなかったかも。テルちゃんのこともそうだけど、こういう時にいつも、チカちゃんの一言で物事がいい方向にいくから、心のどこかで嫉妬してたのかもね」
ネムちゃんでも嫉妬とかするんだ……と思ったけど、言わないでおいた。
結局この日はすぐに解散し、全員がいつもの休みに戻っていった。だけど、誰も心が晴れたわけじゃないことくらい、わたしにも分かっていた。
それから数日が経った頃のことだ。サラちゃんは振り付けの先生に直接会って指導を受けるため、関西方面に出張していて、ネムちゃんはボイトレ教室のテスト、テルちゃんは学校の定期考査が迫っているため、しばらく学業休みとなっている。……言い忘れたかもしれないが、テルちゃんはまだ中学三年生なので、義務教育がまだ終わっていないのだ。
というわけで、今日は珍しくわたしとフミちゃんだけが、プロデューサー兼マネージャーの鬼龍院さんから報告を受けることになった。
「CM出演ですか? わたし達が?」
フミちゃんが驚いて聞き返す。
「ええ……来年の一月からオンエアを予定しているから、あと二か月弱ってところだけど、チョコレート菓子のCMキャラクターに起用できそうなの。まだ出演が正式に決定したわけじゃないけど、今のところはマテリエンヌが筆頭候補になってるわ」
「マジですか……」
フミちゃんは口元を押さえて、興奮気味に言う。マテリエンヌはこれまで、雑誌のモデルやラジオのゲストの仕事はあったけど、テレビに顔を出すことはなかった。CMの仕事といえば、つい最近に新曲が起用されたくらいで、実際に出演するのはもちろん初めてだ。
CMキャラクターの起用は、この業界ではタレント人気のバロメーターと言われている。大多数のタレントはCMに呼ばれないことを考えれば、わたし達の起用は、知名度が上昇傾向にあることを示している。そりゃあ、興奮するしかないでしょ!
しかも今回のCMは、今後の活動にさらに弾みをつける可能性がある。
「鬼龍院さん、一月にチョコ関係のCMってことは、コンセプトは……」
「ええ、バレンタインよ。季節型イベントの商戦は、一か月以上前から始めるのが原則だからね」
「やりぃ! 全国にマテリエンヌの名を広めるチャンスだぜぇ!」
拳を高々と掲げ、フミちゃんは雄たけびを上げる。確かに、全国に浸透しているイベントに絡めたCMなら、オンエアの範囲も全国に及ぶ。グループの知名度を一気に拡大する、千載一遇の好機だ。鬼龍院さんの手前、抑えてはいるけれど、わたしだって本当はよっしゃあと叫びたいんだ。
苦節二年半、ついに全国規模のアイドルへの入り口に立ったのだ!
……あ、こう書くとなんだか、苦節って単語の重みが薄い。
「フミ、落ち着け。まだ決まってないと言っただろう」
「おっとそうでした」拳を引っ込めるフミちゃん。「にしても、ずいぶん急な話ですね」
「テルの加入騒動もあって、業界のあちこちであなた達の存在が知れ渡っているのよ。炎上商法といえば聞こえは悪いが、あれほどファンを二分する騒動になったにもかかわらず、たった一度のライブで一気に鎮静化させたものだから、ネット上ではさながら伝説扱いよ」
「なるほど、これもチカが最大の功労者ってわけか」
「そんなこと……確かに提案したのはわたしだけど、作家さんやスタッフの力がなきゃ実現できなかったわけで……」
「はいはい、みんなに感謝するのはいいけど、少しくらい褒め言葉として受け取りなって」
わたしの背中をポンポンと叩きながら、フミちゃんはなだめるように言う。その様子を、鬼龍院さんは真顔でじっと見つめている。
「……それで、この騒動で注目度が上がったタイミングで、とりあえずあちこちの会社の宣伝部署に声をかけたら、このメーカーから快い返事をもらったってわけ」
「あ、鬼龍院さまのご尽力の賜物でしたか。これは失敬」
「違和感丸出しの持ち上げ方だけど……まあいいわ。撮影は十二月の頭に行われる予定だから、そのつもりでスケジュールに余裕を持たせておいてほしいの。特にテルは学校があるから、調整は慎重にやらないといけない。そのことをちゃんと伝えておいて」
「了解! このわたしにどーんとお任せください!」
テルちゃん絡みで頼みごとをされたからか、フミちゃんはいつもよりやる気で上機嫌だ。そんなフミちゃんに対して、鬼龍院さんは冷ややかな反応を示した。
「お前がそう言うと、大失敗のフラグっぽくて不吉だな」
「ひどっ」
うーん、わたしも同じように感じたとは言えない……。
撮影スケジュールの詳細は追って知らせるということで、今日の定例報告は終了した。この後はどうするかといえば……やらなくちゃいけない仕事というものがない。事務所の外に用事を作ることも多いサラちゃん達と違い、わたしとフミちゃんは事務所から与えられた仕事が全てだ。
「よーしっ、今日はもうやる事ないし、市場調査の名目で遊んでくるか!」
「本音と建前が一緒に漏れてるよ、フミちゃん」
「チカはどうすんの?」
「わたしはレッスン室で振り付けの確認。この間のライブでやらかしたとこ、もういっぺんやり直してきてってサラちゃんに言われちゃって……」
振り付けの勉強を始めてから、サラちゃんはことさらダンスに厳しくなった。わたしに気遣いを見せてくれるのは変わらないけど、ダンスに要求するレベルが高くなって、正直ついていくのがやっとという状況だ。
「あいつ、チカには甘いと思ってたけど、案外そうでもないんだね」
「だから別に甘くはない……甘かった事なんてない」
「そーお? 研究生の頃から、他の奴には怒鳴って叱ることが多かったけど、チカには怒鳴っているところを見たことがないよ」
それは違うんだよなぁ……サラちゃんがわたしに大声で叱るのは、二人きりになった時だけなのだ。研究生全体の練習で悪目立ちしないよう、夜遅くまでサラちゃんと特訓して予習していた、その習慣がずっと続いている。どうも本人は、わたしの練習に付き合えば、ご褒美気分でわたしに膝枕をしてもらえると思っているようだが……こんなことは他人に言えない。
「あ、そういえば……」
サラちゃんと二人きりになった時、彼女が言っていたことを思い出した。
「フミちゃん。フミちゃんの中でわたしのポジションって決まってるの?」
「チカのポジション? わたしで言えばアドリブ担当みたいな?」
「うん……わたし自身は見つけられてないけど、サラちゃんの中ではもう決まってるらしくて」
「はてねぇ……」
フミちゃんは首をかしげた。考えたことがなかっただろうか……サラちゃんは、たぶんフミちゃんやネムちゃんも同様だと言っていたが、確実ではなさそうな口調だった。
「いやあ、チカがそれで悩んでたって知らなかったから、真剣に考えたことなかった……」
「まあ、そうだよね……」
「というか、チカのポジションなんて早いうちから分かりきってたから」
「え?」
「だから深く考えることもなかったっていうか」
えぇー……わたしは愕然とした。考えるまでもなかったってこと? そんなに分かりやすい役割があったのに、わたしは今まで気づいてなかったのか。なんか少しショックだ。
「教えてよ、フミちゃん。わたし、どういうポジションにいればいいの?」
「どういうって、もうチカは自分の役割を果たしているから、教える必要もないと思うよ。それにこういうのはさ、他人から教えられるより、自力で気づいた方がいいと思う」
「自力で……?」
「ああいや、チカは今までも自力で見つけようとしてたよね。でもさ……サラほどじゃないけど、チカもまじめだからさ、教えたらその役割にこだわろうとして、無理しそうな気がする」
「そんなこと……!」
「ないとは言い切れないよ」フミちゃんはわたしの言葉を遮った。「わたしもね、アドリブっていう武器を身に着けるまでは、そうだったから」
フミちゃんは弱々しい笑みを浮かべて言う。いつも明るく振舞っている彼女が、普段はわたしに見せない表情だった。……わたしは呆然とするしかない。
「小さい頃からアイドルが好きでさ、歌とかダンスとかいっぱい練習してきたけど、事務所の他の子に比べたらまだまだで……唯一自慢できたのが、オーディションの時に試験官から褒められた、アドリブを利かせたトークスキルだった。それで一時期、トークスキルを磨くことにかまけて、他のレッスンをおろそかにしていたんだ」
「それは……まずいよね」
「うん、ご想像どおり、レッスン担当の先生から危うく見限られそうになった。その時はまだ、おしゃべりキャラを強みにしてアイドルを目指す気でいたから、構うものかって思ってたんだけど……いつだったかな、ネムからこう言われたんだよね。『話すことしか能がないアイドルって、つまらなくない?』って」
うわぁ、さすがはネムちゃん。その頃から毒舌がキレッキレだ。
「ネムのその言葉がえらいショックでさ……もう一度原点に返ろうと、今まで撮りためていたアイドルのDVDとかを見直したんだよ。で、気づいたんだ。わたしが憧れて、目指していたのは、あんなふうにキラキラと輝いて、見る人に夢と希望を与えてくれる、そんなアイドルだって」
「…………」
「結局ね、アドリブっていう強力な武器があっても、使う人間がちゃんとしてないと、いわゆる宝の持ち腐れになるんだよ。だからまずは、胸を張ってステージに立てるよう、基本のレッスンをしっかりやろうと思ったわけ。まあ、今でも上手く使いこなせなくて、サラに叱られてるけど」
あはは、と笑ってフミちゃんは言う。そんなことがあったのか、と思い、気分が沈みかけていたわたしとは対照的に。
「だからさ、まずは自分にできる事をひとつひとつやっていこうよ。わたしだって、トーク以外にできる事が、まだあるかもしれないんだし。無理に自分のポジションにこだわるより、ただひたむきに目の前の仕事を頑張っている方が、案外キラキラして見えるもんだよ」
「そんなものなのかな……」
「そんなもん。少なくともわたしは、チカがそうやって悩んで迷いながら、がむしゃらに頑張っている姿は、まさにアイドルって感じがするよ」
そんなものなのか……正直、怖くて他人からの評価を耳に入れないようにしていたけど、今までやってきたことは無駄じゃないって、少しは信じてもいいのかな。
「じゃっ、わたしは遊んでくるから。また明日ねぇ!」
「悪い遊びはしちゃダメだよー?」
「だーいじょーぶ! オトナの遊びに興味はないから!」
フミちゃんはそう言って、手をゆらゆらと振りながら去っていった。まあ、精神年齢は小学生と変わらないし、フミちゃんにそんな心配はいらないだろう。むしろ心配なのは、CMの件をちゃんとみんなに伝えられるかどうかだ。……わたしからも知らせておこうかな。
* * *
顔が売れてきたからこそ、アイドルは気をつけなければならない。人通りの多い場所に出る時は、とりあえず帽子とサングラスで軽く変装し、騒ぎを起こさないように注意する。サラから口うるさく何度も言われているので、すっかり習慣として定着してしまった。
ネットショッピングの方が安全と言われるかもしれないが、わたしはやっぱり、ものは直に触って買いたい。実物を目の前にすると、予想もしない出会いが待っているものだ。
「あれ、フミ先輩?」
「!」
ジェラート店のショーケースの前で、色とりどりのジェラートに目移りしていると、後ろから声をかけられた。振り向いた先にいたのは、なんとテルっちだった。ホント、外に出て買い物すると、予想もしない出会いが待っている。
「あ、やっぱりフミ先輩だ」
「テルっち……後ろ姿だけでよく分かったね」
「いえ、ショーケースにお顔が映っていましたので。サングラスかけてても何となく分かりますよ」
何となく分かるのか……このサングラスは色が薄いから、完全に目元が隠せてはいないけど、ネム以外に気づかれたことってないんだよな。
「今日の試験勉強は終わり?」
「お昼になったので、休息がてら甘いものでも買っていこうかと……家に帰ったら勉強再開です」
「大変だねぇ。わたしは高校に通ってないから、その分は気楽だよ」
「そうなんですね……で、先輩は何を頼むんです?」
そうだった、早く注文を決めないと。しかし、食べてみたい味が多すぎて、どれにしたらいいのか……せめて二つに絞ってダブルで注文するか。
「うぅむ……よしっ、マンゴーと抹茶ココアクッキーのダブルで!」
「なんですか、その微妙な組み合わせ……」
テルっちがなんだか呆れているみたいだけど、せっかくだから珍奇な組み合わせに挑戦してみたいのだ。まあ、ネムがいると真似したがるから、普段はやらないけど。
テルっちは無難にイチゴとバナナのダブルを注文し、二人で並んで街中を歩きながら、ジェラートを味わう。……なんか、雰囲気がデートっぽいな。ちょっとドキドキしてきた。
「なんか不思議です。休みの日に、グループの先輩と一緒にアイス食べるなんて」
「そ、そーだねぇ……てか、テルっちは顔隠さないの?」
「わたしはまだ先輩方ほど有名じゃないですし、こういう時くらいは自由でいたいんですよ。どうせ家も近いですし」
「近くにあるならなおさら気をつけないと。どこでファンが見てるか分からないんだから。後をつけられて住所とか特定されたら、無用なトラブルを招くことになるよ」
「別にそんな、ストーカーまがいのことをされるほど、ファンは多くないですよ」
テルっちは苦笑して、またジェラートを口に含んだ。
やっぱり、どことなくチカに似ている……何かといえば遠慮がちで、他人から褒められたり高く評価されても、素直に受け止められない。自分にまだ自信がなくて、それでも懸命にやれることをやっていて、ひたむきな姿勢が心惹かれる。でも、決定的に違うところがある。
テルっちは、わたしがアイドルとしてほしいものを、すべて持っている。チカは、わたしが手に入れようとして諦めたものを、持っている。
「まあいいけど、せめてサングラスくらいかけなよ。すれ違っても気づかれないように」
わたしは自分のサングラスを外し、テルっちに差し向けた。
「あ、はい……」
テルっちは困惑しながらもサングラスを受け取り、すぐに自分の顔にかけた。うん、大丈夫。パッと見た限り、テルっちだとは分からない。
しばらく無言で歩く時間が続いた。二人とも自然と、気配を薄くしているのかもしれない。
「……テルっち、学校は楽しい?」
「はい、楽しいですよ。友達もわたしのこと、応援してくれますし。わたしのことでネットが荒れた時も、いつも励ましてくれました」
「そっか、いい友達だね。やっぱ、応援してくれる人が友達にいると、心強いよね」
「フミ先輩にも、そういう友達がいるんですか?」
「もちろんいるよ。デビューが決まった時も、小学校以来の友達にすぐ知らせたからね」
もっともその時は、別の用事もあったんだけど。
「でも最近は忙しくて、学校にもあまり行けてませんから、その友達と会うことも減っていて……少し寂しいです」
「テルっち……」
「あ、でも先輩方がいてくれるから、そんなに寂しいわけじゃないですよ」
「あはっ、そりゃ嬉しいや……でも友達との時間は、大事にした方がいいよ。気の置けない人と、くだらない話で盛り上がれるって、結構貴重な事なんだから」
「そうですね。話すことといえば、学校での出来事とか恋バナばっかりだけど、そういう話って事務所じゃなかなかできないですし」
あっ……予想もしないところに話題が移ってしまった。今のわたしは、恋の話を冷静に聞けない。
「そ、そうだね……うちの事務所、女の子ばかりだし。でもうちは、所属タレントに恋愛を禁止する決まりってないんだよね」
「えっ、そうなんですか!?」
やっぱりテルっちも知らなかったのか……タレント育成ポリシーとやら、全く浸透してない。こんなんでいいのか。
「誰かと付き合うにしても、責任あるお付き合いが求められるけど、基本的には自由だよ」
「そうなんだ……そうなんですね」
テルっちの口調はどこか嬉しそうだった。ふと彼女の横顔を見ると、口元にそっと両手を添えて、頬を微かに桃色に染めていて、やや細めた瞳は星のように煌めいている。
……これはきっと、聞いたら後戻りできないやつだ。これからマテリエンヌの仲間として、平穏無事に活動を続けていくには、ここから先に踏み込んではいけない。知りたいという欲求を、抑えなくちゃいけない。
でも、止められなかった。
「テルっち、あのさ……」
「はい?」
「……テルっちって、好きなひととか、いるの?」
聞いてしまった……自分の意志の弱さ、他のメンバーへの後ろめたさで、わたしはテルっちと目を合わせられない。本当は耳も塞ぎたいけど、さすがにそれは無理だった。
「好きなひと、ですか……ちょっと、答えるのが難しいですけど」
「あっ、答えたくないなら無理は言わないよ?」
「そうじゃなくて……答えたくないわけじゃないですけど、変に思われないか不安なので……好きかどうかっていえば、好きだとは思うんですけど」
なんとなく、その相手がどんな人か、察しがついた。
「……確証がなくてもいいよ。驚くかもしれないけど、絶対、変だなんて思わないから!」
心なしか言い訳めいていて、冷静さを欠いているのが自分でも分かった。無理は言わないって言っておいて、もはやこれは返答を強制している。気を悪くしていないといいのだけど。
「フミ先輩……ありがとうございます。きっと、驚いちゃいますね」
テルっちは気を悪くするどころか、救われたような安堵の微笑みを見せる。
ああ、怖いなぁ……きっとテルっちは、好きなひとのことをわたしに打ち明ける。その時は、わたしの方が、救いを求める側の人間になってしまう。テルっちの答えを聞いて、この弱い心が耐えられるか分からない。
「実は、わたし……今の事務所にいる女の人を、好きになっちゃったんです」
……ああ、やっぱり、と思った。
テルっちの自宅が目と鼻の先というところで、わたしは彼女と別れた。サングラスはそのままテルっちが持っていてもよかったけど、律儀なテルっちはすぐ返してきた。この後はネムと合流する予定だけど、なんだか気が重い……。
あれ? なんか大事なことを忘れてる気がする。
* * *
レッスン室には今、わたし一人しかいない。ようやく振り付けの質も修正できたので、休憩がてら制汗スプレーで火照った体を冷やしている。もう冬になろうとしているのに、換気扇だけの室内は、数時間ほど体を動かしただけで真夏のように暑くなる。
もう夕方だし、そろそろ帰ろうかと思っていると、誰かがドアを開けて入ってきた。
「あ、やっぱりチカだけ残ってた……」
「鬼龍院さん。どうしたんですか、ここに来るなんて珍しいですね」
「とりあえず今日の分の仕事は終わったからな、担当グループの様子見だ。ついさっき、L Lady 7のところにも行ってきた」
L Lady 7とは、我らマテリエンヌの三年前にデビューした、七人組のグループだ。名前のとおりメンバーは全員女の子で、グループのキャッチフレーズは『本日、あなたのハートを頂きに、参上します』……頭のLとは、Lupinを意味しているらしい。ちなみに、うちのフミちゃんは三年前に、まんまとハートを盗まれたと言っていた。
「そういえばL Lady 7って、今度ドラマの主題歌もやるんですよね。やっぱすごいなぁ」
「今のご時世、歌って踊るだけじゃなく、ドラマやバラエティで活躍することも、アイドルには必要になってくる。お前たちも、いずれそうなるといいな」
鬼龍院さんが単独でプロデュースした初めてのグループということもあって、彼女はマテリエンヌに強い愛着を持っている。それは他の担当グループとは比較にならないほどだ。
「というわけで、次のCMの仕事も頑張ってほしいところだが……フミの奴、ちゃんとテルたちに伝えているんだろうな。先に帰って遊びほうけているようだが」
「大丈夫ですよ。万が一に備えて、わたしがグループラインに流しておいたので」
「おっ、よくやったぞ」
「それとフミちゃん、市場調査とか言ってましたけど」
「あいつ、ぬけぬけと……」
あきれ果てたように、額に手を当てて項垂れる鬼龍院さん。キャラの濃いメンバーに手を焼いて、いつも苦労しているらしい。そんな鬼龍院さんに、マテリエンヌ内の恋愛問題のことは、とても打ち明けられそうにない。
「チカはえらいな。ちゃんと納得いくまで練習して」
「そんなことないですよ。わたしは、サラちゃん達みたいに自慢できる能力なんてないから、基本的なことをしっかり磨くことで、ステージに立ち続けることができるんです」
「私はそういう努力を評価しているんだが……まったく、相変わらず自分を認めるのが怖いんだな」
鬼龍院さんが何気なく言ったことが、わたしの心にチクリと刺さった。
自分を認めるのが怖い。わたしがいつも謙虚な姿勢と思っていたことを、鬼龍院さんはそう言い表した。サラちゃんは、行き過ぎた謙虚は傲慢や嫌味に直結するといい、フミちゃんは、悩んで迷いながらがむしゃらに突き進む姿がアイドルらしいといった。
価値観が揺らいでいる。わたし自身は何も変わってないのに、わたしを言い表す言葉が、わたしと周りの人であまりに違う。……なんだか、自分のことが分からなくなってきた。
「どうした?」
「鬼龍院さん……ひとつ、聞いてもいいですか」
「構わないけど」
「……どうしてわたしを、マテリエンヌのメンバーに選んだんですか」
そう尋ねたら、鬼龍院さんは目を丸くした。まさかそれを訊かれるとは思っていなかったか。
「どうして、か……まあ、私が期待したから、かな」
「いや、何に期待したか言わないと答えになりませんよ」
「そうだよな……すまん、上手く説明できる自信はないんだが……」
この人、メンバー選抜については一応、上層部の承認をもらったんだよね。上手く説明できないのに、よく承認を取りつけられたな。
鬼龍院さんはしばらく、うーん、と唸って悩んでいたようだが、ようやく答えがまとまったのか、「よし」と言って息を整えた。
「チカ、この後って時間ある?」
「大丈夫ですけど……」
「んじゃ、ちょっくら私に付き合ってよ。一杯くらいならおごってやるから」
お猪口かカクテルグラスを持つような手をくいっと上げて、鬼龍院さんは言う。……この人、わたしが未成年だってこと、忘れてないだろうな?
鬼龍院さんに誘われてやってきたのは、いつもマテリエンヌが反省会という名の打ち上げをやっているお店だった。陣取った席は、いつも使っている個室じゃなく、厨房のすぐ前のカウンターだけど。目の前には何本もお酒のボトルが並んでいて、未成年には場違いが過ぎる。
「鬼龍院さん……わたし、この席にいていいんですか」
「大丈夫。ノンアルコールも置いてるし、ここのマスターはうちのタレント全員を把握してるから」
わたしが初めてこの店に来たのは、バックダンサーとして出演した先輩方のライブの打ち上げの時で、先輩方に連れられる形で来ている。小規模で歴史も浅い事務所だけど、設立当初からこのお店の常連らしい。
カウンターの向こうに立つひげ面の男性が、わたしに声をかける。
「おや、マテリエンヌいちの愛されキャラのお出ましか。今日はオニPと一緒ってか」
「オニP……?」
「マスター、その呼称はやめてほしいって言いましたよね」
嫌そうに顔をしかめる鬼龍院さん。どうやら彼女のあだ名のひとつらしい。
「どうしてだい? 昔から仲間内でそう呼ばれていたじゃないか」
「だから嫌なんですよ。その頃から苗字にはコンプレックスがあったんですから。別の芸名使いたいって申し出ても、事務所は笑って却下してくるし……」
自分の名前を気にしていたとは知らなかったな……今でも鬼龍院さんの名前をネタにする人は周りにいるけど、どうやら昔からいたようだ。わたしの場合、鬼というより女帝というイメージが強かったから、一度も鬼龍院さんをあだ名で呼んだことがない。
それにしても……マスターの言う“愛されキャラ”もよく分からないが、仲間内とか芸名とか、色々と気になる単語が出ている。
「鬼龍院さん、昔タレントだったんですか? キレイなので不思議には思いませんが」
「ぶっ」グラスのお酒を噴き出す鬼龍院さん。「いきなり何を言い出すかと思えば……まあ、その通りだけどね。私も昔、お前たちくらいの歳でアイドルをしていたんだよ」
「そうだったんですか! やっぱりグループで?」
「ええ……」
「プリンシパル・アンサーっていうグループでね、オニPはその中でも異彩を放っていたんだよ。クールな外見とは裏腹にメンバーやファンにとにかく優しくて、そのギャップから女の子に絶大な人気を得ていてねぇ」
「マスター、ジン・トニックいただける?」
「あ、じゃあわたしはグレープフルーツジュースをお願いします」
注文を受けて、マスターは奥に引っ込んだ。これ以上マスターに余計なことを話してほしくなかったらしい。
『Principal Answer』といえば、十年くらい前に人気を博していた六人組の女性アイドルグループだ。わたしはよく知らないが、フミちゃんから少しだけ話を聞いたことがある。スタイリッシュなダンス・ヴォーカルを売りにしていて、女性ファンが多かったけど、何やらスキャンダルが発覚したことで人気が急落し、三年ほどで解散したという。鬼龍院さんがそのグループにいたということは、そのスキャンダルの内容も知っているはずだ。
「まったく、本当におしゃべりなんだから……」
「鬼龍院さん、詳しいことは知らないんですけど、プリンシパル・アンサーって確か、十年くらい前に電撃解散したっていう……」
「ああ、少しは知ってるのか……そうだな。さっきのチカの問いに答えるには、まずその話から始めた方がいいだろうな」
鬼龍院さんは、先に注文していたカクテルを一口含んでから、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……大手芸能事務所のバックアップを得て、私はアイドルとして順風満帆だった。仕事には事欠かなかったし、気の合う仲間たちと一緒にいるのは楽しかった。もっとも私自身は、ただのいちメンバーに過ぎなくて、マスターが言うほどの人気者ってわけじゃなかったよ」
「今は事務所内ですごい人気ですよ! わたしも憧れてますし!」
「ありがと……まあ、歌もダンスもたいしたことなかったし、人気のあるグループの一員として活動できるだけでも、私にとっては重畳だったよ。そう、今のチカと立場は似ていたんだな」
かつての鬼龍院さんが、わたしと似ていた……失礼かもしれないけど、少し嬉しかった。
「あの時は、グループ内で一、二を争う人気のメンバーが二人いてね、わたしは隅っこでそいつらをうらやんでいたんだよ。まさにグループの顔とでもいうべき美男美女……あ、間違えた。どっちも女の子なんだけど、片方がイケメンっぽくて、もう片方が貴族の女性っぽかった」
一瞬でも美男子と言い間違えてしまうほどの、イケメン女子だったのか……抜けている鬼龍院さんというのも珍しい。
「ちょっと会ってみたかったですね……」
「残念ながら二人とも、今は芸能界との縁を切っている。というのも……その二人が、プリンシパル・アンサー解散の引き金となった、スキャンダルの当事者だったから」
「何があったんですか?」
「……仲間内では、半ば公然の秘密だったんだけど、二人は隠れて付き合っていたんだよ」
なんだって? わたしは自分の耳を疑った。
アイドルとはいえ、今のわたし達みたいに仲間内の女の子同士で恋愛が発生するなど、前例はないと思っていた。ところが身近にあったのだ、前例が。しかも悪い前例だ。
「まあ、付き合っていたといっても、オフの日にこっそりデートする程度の、よそから見たら単なる友達付き合いと思われるような、軽めのお付き合いだよ。それでも、二人の間に恋愛感情があることは、メンバーの誰もが察していた」
「その二人に、何も言わなかったんですか?」
「あえて何か言うほど、問題のある関係だとは思ってなかったよ。元からお似合いだったし、はたから見ても幸せそうだったから、グループ内で彼女たちを悪く言う人はいなかった。……そのまま軽めのお付き合いを続けられていたら、何も問題はなかったんだ」
そう言いながら、鬼龍院さんはスマホを操作する。
「ところが、プリンシパル・アンサーのあるライブでの出来事が、二人の関係に変化をもたらした。チカ、この動画を見てみな」
鬼龍院さんはスマホとイヤホンを手渡してきた。動画サイトの画面が表示されていて、どうやらプリンシパル・アンサーのコンサートライブの映像のようだ。わたしはスマホのジャックにプラグを差し込み、イヤホンを耳につけて、動画を再生した。
噂に聞いていたプリンシパル・アンサーらしい、スタイリッシュでクールなダンスナンバーだ。
『♪揺らめく心はルビーのように、寂しく煌めいて』
『♪誰かに守られる時を待っている』
『♪貴方の指の中に、包まれるだけでいい』
『♪その声に、その笑顔に照らされて、私は輝きを放つ~』
「カッコいいですね……曲もそうですけど、ダンスもみんなビシッと決まってて。あっ、ここにいるの、もしかして鬼龍院さんですか?」
「そっちはどうでもいいから。見てほしいのはCメロのとこ」
数秒の間奏を挟んで、曲はCメロに入った。ステージの演出も妖しい雰囲気があって素敵だが、何より目を引いたのは、フレームの中央にいる二人だ。イケメンっぽい女の子と、貴族のような美しさをたたえた女の子が、見つめ合いながら歌っている。
『♪ああ……声も出せないまま、削られ磨かれる私たち』
『♪1%の澱みに値打ちを決められていく……』
二人の距離は徐々に縮まって、ついにはゼロ、ほぼ密着しながら、正面からしなだれかかっている。その仕草はあまりに官能的で、二人の息遣いまで聞こえてきそうだ。
『♪ガラスの奥に閉じ込められた私に向けた、その指先に全てを委ねたい、そう……今』
「な、なんか、見入ってしまいますね……」
二人の煽情的なパフォーマンスに、スマホを持つわたしの両手は震えている。
「こういうパフォーマンスを、ほぼ毎日のようにやっていたんだ。ただでさえステージの上で、緊張で感情が不安定になっている時に、好き合っている二人が、こんなふうに正面から密着して踊ったりしたら、どうなると思う?」
「まあ、平常心は保てませんね……見ているだけでもドキドキするのに」
『♪ああ……愛おしき人よ、どうかその指の中で、体中を満たす輝きを感じてください』
『♪このままずっと……』
二人の情熱的なパフォーマンスは、曲の終わりまで続けられた。
「一連の公演が終わってから、二人はもう、気持ちが抑えられなくなっていた……そしてある日、ついに一線を越えてしまったんだ」
「それって……」
「二人だけでホテルに泊まって、体を重ねたそうだ。そしてそのことが週刊誌にすっぱ抜かれ、二人は世間から奇異の視線を向けられるようになってしまった」
ああ……そうだったんだ。アイドルという立場を考えて、慎重な付き合いを続けてきた二人は、些細なきっかけで邪な欲求が募り、肉体的な関係にまで発展してしまった。だけどそれは、世間がプリンシパル・アンサーに求めていた理想とかけ離れていた。スキャンダルとして報じられたことで、二人は芸能界で居場所を失ってしまったのだ。
「結局、プリンシパル・アンサー全体で仕事が激減してしまい、事務所からも、二人のうちどちらかが脱退しないとかばいきれないと、言われてしまったんだ。二人はその方針に反発し、揃って事務所を出ていってしまった。もちろんそんな大事件を、マスコミが嗅ぎつけないはずもない」
「グループの人気ツートップが揃って退所したわけですからね。話題性は十分です」
「当然、事務所へのダメージも大きかった。そして、二人のことを慕っていたメンバーからも、次々に離反する人が現れて……これ以上活動を続けられなくなったプリンシパル・アンサーは、結局解散を決断したんだ」
「……鬼龍院さん、その二人を恨みましたか? 自分に落ち度はなかったのに、アイドルとしての居場所を奪われて……」
当然、恨んでいるだろうと思った。ところが当人はいたって清々しい表情だった。
「いや? 私は十分、いい夢を見させてもらったよ。それにあの後、二人はフランスに渡って結婚したらしいから」
「結婚!? た、確かに、ヨーロッパだと同性でも結婚できる国があるって、聞いたことありますけど……」
「フランスの場合、正確には“民事連帯契約”だけどね。それにヨーロッパに限らず、同性でも結婚に伴う権利を認める国はあちこちにあるよ。日本でも一応、パートナーシップ条例を制定した地域がいくつかあるけど、二人はあくまで結婚をしたかったみたいでね……さすがにそんなバイタリティーを見せられたら、素直に祝福してやるしかないでしょ」
……唖然とするしかない。てっきり悲劇的な話になるかと思えば、二人の情熱的な愛は、国境をも越えて実を結んだという。スケールが大きすぎるな、その二人。
「話は戻るけど……私はまだしばらく事務所に残って、事務仕事とかの手伝いをしていたんだ。ところが八年前だったかな……一部の役員が、事務所の方針に嫌気がさして、離反して新しい事務所を立ち上げようと画策していて、先輩スタッフから、私も加わらないかと誘われたんだ」
「もしかしてそれが、今のわたし達の事務所……?」
以前に鬼龍院さんは言っていた。この事務所の役員のほとんどは、大手事務所の、タレントに恋愛禁止を強制する方針に反発し、離脱した人たちだと……そのおかげでうちには、タレントに恋愛を禁止する決まりがないのだ。
「そうよ。当時は私もほぼ裏方のスタッフになっていたし、恋愛絡みのスキャンダルに振り回された元タレントだから、理解が得られると思ったのね……で、二つ返事で引き受けた」
「簡単に事務所を見限りましたね……」
「まあ、タレントなのかスタッフなのか分からない、中途半端な状態を続けたくなかったし、こうなったら心機一転、スタッフとしてタレントを支えることに徹しようと思ったのよ」
「そんなことがあったのに、よくサラちゃんの恋愛シミュレーション企画に反対しませんでしたね」
「さっきも言ったとおり、あの二人のスキャンダルに関しては、特に恨んでなんかないし、大事なタレントからあまり自由を奪いたくなかったのよ。とはいえ、同じ轍を踏みそうだから、積極的な賛成もできなかったけど」
ますます言えない……もう引き返せないところまで、企画が進んでいるなんて。
「でね、今の事務所に入ってからは、プロデューサーの仕事を手伝うようになったの。いつか、自分の手で、素敵なアイドルを世に出したくて……わたしが叶えられなかった夢を、次の世代の子たちに引き継ぎたかったの」
「鬼龍院さんの夢って……」
「そりゃあもちろん、世界に冠たるジャパニーズアイドルよ」
鬼龍院さんはドヤ顔で言った。この人もスケールがでかいな……。
「私は志半ばで諦めちゃったからね……で、その夢を託すためのチャンスが、二年前にようやく巡ってきた。私が単独でユニットをプロデュースする、その権限を与えられたの。そして、以前から目をつけていたあなた方四人でユニットを組ませて、マテリエンヌとして世に出そうと決めた」
やっとわたしの質問に繋がってきた……今ひとつ、答えが見えてこないけど。
「あの、それでどうしてわたしに目をつけたんですか? サラちゃん達だけでも、グループとして成立しそうですけど」
「それはない」鬼龍院さんはきっぱりと言った。「あの三人だけでは、私の理想のアイドルにはならない。恐らく、プリンシパル・アンサーより早く瓦解する」
あまりに強く断言されて、わたしは返す言葉がなかった。なぜここまで、確信をもって言えるのだろう。
「チカの言うとおり、確かにあの三人には才能がある。サラはダンサーとして、ネムはシンガーとして、フミはクラウンとして、何物にも代えがたい技能を持っている。あの子たちの技能は、私の理想のアイドルに不可欠だけど、ただ集めてグループを組ませるには、致命的な弱点があった。……三人は、同じ方向を向いて歩けないのよ」
「それって……」
「アイドルとはこうあるべきという考えにこだわり、ストイックな努力を是とするサラ。音楽的センスを磨くことにしか興味がなく、アイドルに情熱を注げないネム。元から持っているスキルを過信して、アイドルへの憧れだけで突っ走るフミ。目的も性格もバラバラの三人を集めても、方向性の違いからすぐに瓦解する……それを避けてきちんとチームを作るには、もう一人、三人を一か所に繋ぎとめられる人間が必要だったのよ」
「それが、わたしだったんですか?」
「ええ。準所属という、他の人より厳しい条件でスタートして、それでも必死に食らいつこうとする姿を見て、私は、最後の一人をあなたに決めた。誰よりも逆境と苦悩を経験し、ひたむきな努力を続けることの価値を理解している……あなたなら、あの三人の心を惹きつけて、同じ一つの方向を向かせることができると思った」
わたしの努力が、サラちゃんたちの心を惹きつける……前にフミちゃんが言っていた。わたしはテルちゃんだけでなく、他のメンバーも惹きつけている。わたしはマテリエンヌに、一番必要な存在なのだと。鬼龍院さんが目論んでいたことを、フミちゃんは確かに感じ取っていたんだ。
わたしがいなければ、三人はバラバラになり、マテリエンヌは瓦解する。マテリエンヌを息の長いグループにしたいと願っているフミちゃんにとって、わたしは本当に不可欠な存在だった。
「……そんなこと、考えたこともなかったです」
「確かに自覚は薄かったな。でも、私の読みは当たっていたよ。三人が暴走を始めた時や、意見の相違があった時、チカはいつも一歩離れたところから、なだめたり妙案を出したりしていた。自覚はなくても、チカはちゃんと役割を果たしていたんだ。だからあの三人も、チカのことを信頼している」
わたしが信頼されている……理由はともかく、そう思える節はあった。わたしがひとこと言えば、三人ともすぐ大人しくなるし、サラちゃんが妙案を欲しがるときは真っ先にわたしに尋ねる。先日のコンペの時も、鬼龍院さんはわたしの発案であると予想していた。わたしがこれまで、無我夢中でやってきたことが、いつの間にか周りの人たちからの信頼に繋がっていた。
フミちゃんの言ったとおり、もうわたしは、自分の役割を果たしていた。今になって、彼女がわたしのことを、わたしよりもよく理解していたと気づく。
「よかった……わたし、マテリエンヌの役に立っていたんですね」
「言っておくが、その役割にこだわる必要はないんだぞ。チカは自分にできる事を、ただひたむきにやっていればいい。それが結果に繋がるんだからな。もしかしたら他にもまだ、チカの中には未知の才能が眠っているかもしれない……それを掘り当てられるのは、自分だけだ」
わたしの中に眠っているかもしれない、未知の才能……本当にあるのかな。フミちゃんは自分にあると信じて探そうとしていた。わたしも、そうするべきだろうか……。
そんなことを考えていると、カウンターの奥からマスターが、グラス二本を持って現れた。
「ほい、ジン・トニックと、グレープフルーツジュース、おまちどお」
「マスター、ずいぶん遅かったですね」
「いやー、なんか真剣な顔して話し込んでいたから出にくくて」
カウンターに置かれたグレープフルーツジュースを、ストローで一口飲んでから、わたしは鬼龍院さんに言う。
「あの、それじゃあ鬼龍院さんは、わたしのアイドルとしての技能には注目してなかったと?」
「そうね。努力は認めるけど、まだまだ他の連中には及ばない」
「くっ……これっぽっちも気を遣わないんですか」
「でも足りないところは、他の三人に補ってもらえばいい。そうやって手を取って助け合い、ひとつの世界観を作り上げていく……それがマテリエンヌでしょ」
これを聞いてマスターは、まるで自分のことのように喜んでいる。
「いいじゃないか、四人でひとつのマテリエンヌ……おっと、今は五人か」
「正直、五人目の加入は想定外よ……これまで四人で上手く回していたことが、一人増えたことでどんな影響を及ぼすか。全員がすぐにテルを受け入れてくれたのが、せめてもの幸いね。色々と苦労させることになると思うけど、チカ、テルたちのこと、よろしく頼むね」
「あ、はい……」
マネージャーやプロデューサーの立場で、何かと調整とかに奔走しているのだろう。鬼龍院さんの苦労こそ察するに余りある。とりあえずマテリエンヌの内紛は、わたしが責任をもって治めないと。
……って、役割にこだわらないでと言われたばかりなのに。
「それよりチカ、時間は大丈夫? 遅くなりそうなら送っていくけど」
「いえ! これを飲んだらお先に失礼します」
なるべく鬼龍院さんの負担を減らしたい。わたしはジュースをストローで一気に吸い上げ、グラスには大量の氷だけが残った。
「……なにも慌てて出ていかなくてもいいのに」
「これから忙しくなりますからね、時間は一秒も無駄にしたくないんです。わたしがマテリエンヌのためにできること、なんとしても見つけたいですから」
サラちゃんたちはみんな、自分の幅を広げようとしている。わたしも、自分の中に眠っている力を引き出して、マテリエンヌに還元したいのだ。
「ふうん……あんまり無茶はするなよ」
「はい! それじゃあ鬼龍院さん、ごちそうさまでした!」
ジュースをおごってくれた鬼龍院さんにお礼を言って、わたしはカバンを携えてカウンターを離れようとした……が、言い忘れたことに気づいて、すぐに立ち止まった。
「鬼龍院さん!」
振り返って名前を呼ぶと、相手もすぐこっちを向いてくれた。
「理由が何であっても、わたしは鬼龍院さんが目をかけてくれたおかげで、今もアイドルとしてステージに立てています。厳しくてもいつも見守ってくれて、たくさん色んなことを教わりました。わたしは鬼龍院さんのこと、アイドルの先輩としても、ひとりの人間としても、本当に尊敬してます!」
「…………」
「いつか絶対、鬼龍院さんにも恩返ししますので、わたしにできることがあれば何でも言ってください。本当にいつも、ありがとうございます」
わたしは鬼龍院さんに向かって、深々と頭を下げる。
よほど気が急いていたんだろう、鬼龍院さんの反応を見ることなく、わたしは早々にお店を後にした。知りたいことが知れて、言いたいことが言えて、わたしの足取りはすごく軽かった。
* * *
……行ってしまった。駆け足で去っていくチカの背中を、私は呆然と見送る。
「いやあ、チカちゃんいい子じゃないか」
マスターが恵比須顔で言う。どうも複雑な気分だ。
「……そうね、確かにいい子だわ。だからこそ、ちょっと心配になる」
「ああ……芸能界じゃ、いい子はあまり生き残れないからなぁ。それに彼女、自分がグループのためにできることを、これから探すつもりでいるみたいだけど、もうとっくに見つけてるんだよなぁ……果たしていつ気づくのやら」
さすが、この店で何人ものアイドルの卵たちを見てきたマスターだ。チカの中で眠っている才能の片鱗に、もう気づいている。確かに歌やダンスなどの技能では、私はチカをさほど買っていない。だけど私は、彼女ほどアイドルにふさわしい人はいないと信じている。
まあ、あまり調子に乗られても困るから、言わないことに決めているが。
「それにしても、あんなふうに真っすぐ尊敬の眼差しを向けてくるとは、オニPも隅に置けないね。かわいくて仕方ないだろう」
「私は一部のタレントだけ贔屓するつもりはないわ」
「そりゃ特別扱いはしないだろうけど、ああやって慕われて悪い気はしないだろう?」
「……どうかしら。嫌だとは思わないけど、やましい気持ちがなくもないのよね」
グラスを口に運んで、舌が痺れるような感覚に身を委ねる。少し頭がくらくらしてきたけど、このくらいじゃないと気は晴れない。
「やましいって?」
「慢性的な人手不足もあって、私はマネージャーとプロデューサーを兼任していて、しかも他のグループの面倒も見ている。自分で作ったグループなのに、マテリエンヌの内部でトラブルが起きても、私はそこまで手が回らないのよ」
「ああ、オニPいつも忙しそうだもんな。うちに来るのもずいぶん久しぶりじゃないか?」
「そうね……結局私は、マテリエンヌ内部の問題を、チカに任せきりにしているのよ。本来こういうのは、マネージャーである私が対処しなければいけないのに、その役目を押しつけてしまっている。まだ十六歳の女の子なのに……」
現在、マテリエンヌ内部で、何やらよからぬ事態が発生していることは感じ取っていた。それでもグループの人気が上昇するにつれ、私の身は多忙を極め、内部で起きている問題に目を向ける暇はなくなっていた。チカならば何とか対処してくれる……最初に抱いた期待はいつしか、私自身の、チカへの甘えに変わっていた。
「なんだか難しいことになっているねぇ。アイドル時代の方が、まだ悩まなかったんじゃない?」
「何人ものタレントの将来に、責任を負う立場になってしまいましたからね……でも、タレントたちに何があっても、当事者の方がよほど深く悩んでいるんだって、いつも自分に言い聞かせています。私にできることは、あの子たちが前を向いて行けるよう、月並みな言葉をかけてやる事だけですよ」
「……鬼龍院ちゃん、ひょっとして酔ってる? ですます調になってるよ」
ちゃん付けとか懐かしいな。そんなふうに呼ばれていた頃は、悩みとは無縁に生きていた。今なら分かる……あの頃はこの世界のことを何も知らない、ただの子供だった。マテリエンヌの女の子たちが、もし何かで深く悩んでいるなら、それはもう子供じゃないことの証かもしれない。
いけないな、やましさに耐えきれなくて、無理に理由をつけようとしている……やっぱり酔っているのかもしれない。
「ん? 鬼龍院ちゃん、スマホ光ってるよ」
「おっと、誰からでしょう……」
テーブルの上に置いていたスマホのランプが点滅している。画面を開いてみると、ラインのメッセージが来ていた。グループじゃなく、個人のIDに送られている。
「…………」
まいったな。
きっと私、疲れているんだな。そして酔っているんだな。
思っていたより色んな悩みを抱えすぎて、心を委ねる相手が無性にほしいのかもしれない。チカにだけ甘えるサラみたいに。フミにだけ本性を見せるネムみたいに。
『いいよ。今度ゆっくり話そう』
瞼が重くなる。ぼやけていく視界の中に、空っぽになったグラスが見える。
薄れゆく意識の中で、妙に冷静に分析している自分がいる。お酒は人一倍気をつけないと、どんな過ちを犯すか分からない。私は弱いのだ。あの子が思っているより、ずっと。
……ごめん、チカ。
不穏な空気が続いています……コメディはどこへ行ってしまったんだ。なるべく明るい雰囲気を残そうと思い、コメディリリーフ担当のフミの出番を増やしました。やっぱり剽軽なキャラは書いていて楽しいです。
さて、ラストまでにチカが何を見つけるのか、どうか見守っていてください。
……何度も言いますが、筆者はアイドルの実情なんて知りません。ほとんど想像で補完しています。この小説はフィクションなので、実在の個人・団体とは一切関係ありません。




