7-2 恋に迷うこともある、女の子だもの
第6章、第2回目です。またしても長めですがどうかお付き合いのほどを。
新型コノヤロウウィルスの影響で、まだしばらく作中のような、大人数で盛り上がる音楽ライブは実現されないでしょう。だからせめてフィクションの世界では、こういう楽しい空間があってほしい、そう思いながら書いております。
ん? ずいぶんと感情的な誤字があるって? 気のせいじゃないですか。
Materienneに新たに加入した中江輝美、愛称テルちゃんの実力は、鬼龍院さんが言っていたとおりの折り紙つきだった。
唐突に加入を知らされたその日から、さっそく新曲の打ち合わせに参加するようになり、次いでマテリエンヌの過去の曲や先輩たちの曲をしっかり聞き込み、振り付けビデオを流しながらダンスの練習を始めた。元々この事務所にいなかったため、デモ音源も振り付けの詳細も知らないから、テルちゃんはまさにゼロからのスタートなのだが……。
振り付けの練習が始まって二日後には、ほぼ完璧に習得していた。体のキレはサラちゃんにも匹敵するほどで、でも激しさよりもしなやかさが際立つ、美しいパフォーマンスだった。ここまで物覚えの速い子だとは思わなかったな。
後れを取り戻すために必死なのか、汗だくになるまで体を動かしていたけど、そのキラキラした笑顔を絶やすことは一度もなかった。一時間以上ぶっ続けで踊っても、本当に楽しそうな表情をする。はじける汗すらも輝いて見えるほどだ。
元からいる四人のメンバー、つまりわたし達は、テルちゃんの練習風景を後ろから眺めているだけだ。問題点とかがあれば指摘する、という役割を与えられているけど、正直どこにも問題はない。むしろわたし達は全員、テルちゃんのパフォーマンスに関して、同じことを考えていたと思う。
(すごく上手い……でもってかわいい……好き……)
おい待てや。最後の、なに?
マテリエンヌ専用ルームで初対面を果たして以来、わたし達はどうもおかしい。テルちゃんの言動、一挙手一投足に心を揺さぶられ、頬を赤らめて瞳を輝かせ、気がつくと全員で彼女のことを目で追っている。なぜなのか、理由はなんとなく分かっていた。
……いや、たぶん現時点で分かってるの、わたしだけじゃないかな。
曲が終わって、ふう、と息を整えるテルちゃんに、真っ先に駆け寄ったのはサラちゃんだった。萬田沙良、頼れる我らがリーダーである。
「お疲れ! かなり様になってきたじゃない。たくさん練習したもんな」
「ありがとうございます、サラ先輩」
「せっ……先輩だなんて、よそよそしいなぁ。呼び捨てでも一向に構わないけど?」
……まんざらでもなさそうな顔をして何を言うか。というか、三歳年上でグループ最年長のサラちゃんを、新参のテルちゃんが呼び捨てするのは気が引けるだろう。
いや、普段は本当に頼りになるんだよ。本当だよ?
「はーい! こいつの妄言には耳を貸さないでねぇ」
どーんとサラちゃんを突き飛ばして、次に駆け寄ったのはフミちゃんだった。空知芙美、マテリエンヌのアドリブ師匠である。
「でもってテルっち? さっきの曲、通しで踊ってみて気になるとこあった?」
「えっと……メロからサビに移るところ、フォーメーションを一気に変えるところがありますよね。一応自分の動きは確認したんですけど、そこだけはまだ不安で……」
「まあ、ずっと単独で練習してたもんねぇ。けどこれから一緒にやる機会はいっぱいあるし、ちょっとずつ息を合わせていけばいいって。なんとかなるなる」
フミちゃんらしい、実にいい加減なアドバイスだけど、テルちゃんの目には好意的に映ったようで、優しくやわらかな笑みをフミちゃんに向けた。
「ふふっ……フミ先輩のそういうとこ、見てるとなんだかホッとしますね」
「……そっ、そうかのぉ?」
言われ慣れていないことを言われて、さすがのフミちゃんも動揺を隠せないらしい。普段ならまず使わない口調になっている。
「ま、まあ、そういうわけだから心配なさんな。どんっと、わたしの胸を借りるつもりで」
「くぉおぅるぁあ」
フミちゃんの肩ががっしりと掴まれる。何やら関節が外れたような鈍い音が聞こえたけど、気のせいかな。肩、大丈夫かな。フミちゃんは笑顔を引きつらせながら振り向く。
「……ちょいと、サラ之助さん? それ以上力が入ると、わたしの肩が外れますよ?」
「じゃかしいわ、フミ左衛門。人のこと片手で突き飛ばしておいて」
サラちゃんは思い切り顔をしかめながら、フミちゃんを至近距離で睨んでいる。まあ、この程度のケンカは今までもあったけど……普通に「こらぁ」と書けばよいところを、かのように書くしかないくらいには、サラちゃんは怒っているみたいだ。
「ごめんねぇ、この二人、いつもこんな感じだから」
サラちゃんとフミちゃんが取っ組み合いを始めると、見計らったようにネムちゃんがテルちゃんに歩み寄った。雲塚ねむ、マテリエンヌ不動のリードヴォーカルだ。
「ネム先輩……あのお二人は仲が悪いんですか?」
「いいえー。あれはケンカするほど仲がいいという類いよ」
それはわたしも否定しないが、見ている側は、いつ仲違いしやしないかと気が気でないのだ。ネムちゃんは面白がっている節があるけど。
「まああの二人は放っておいていいわ。それより……」
ネムちゃんは柔和な笑みを浮かべて、背後からテルちゃんの両肩に手を置いた。
「歌に関してはわたしに任せてね。手取り足取り教えてあげるから」
「そ、そうですか……? まあ、ネム先輩、業界でも歌がすごく上手って評判ですし、足手まといにはなりたくないので、教えてほしいかな……」
「足手まといだなんて。テルちゃんの歌声だって素敵よ」
……わたしは見逃さなかった。テルちゃんから教えてほしいと言われたとき、ネムちゃんがこっそり拳をぐっと握りしめていた。言質はとったわ、とでも思っただろうか。
とはいえ、これだけ堂々と距離を詰めれば、取っ組み合っている最中の人でも気づくわけで……。
「…………ふに?」
「おいネムてめぇ、勝手に新人を口説くな」
「ひとりだけ抜け駆けするつもりか」
「にゃんのころかにゃ」
ネムちゃんは両脇から頬をつまんで引っ張られても、柔和な笑みを崩さなかった。すっとぼけられたことが癪に障ったようで、サラちゃんとフミちゃんの、頬をつまむ手にさらに力が入る。
そのうち三人で口喧嘩を始めてしまったけど……サラちゃんとフミちゃんが言い争って、ネムちゃんがおっとりとしながら火に油を注ぐという、わたしには見慣れた光景だった。いつもは切りのいいところでわたしが介入して事を収めるけど、さてどうするかな……。
「あの、チカ先輩……」
ずっと壁際のベンチに腰かけて成り行きを見守っていたわたしの元に、テルちゃんが困り顔で近づいてくる。紹介が遅れたけど、わたしは野村千花、テルちゃんが入るまではグループ最年少だった十六歳。マテリエンヌでのポジションは……模索中。
「なんかよく分からないんですけど、先輩たちがケンカしてます……どうすれば?」
「あー、割といつものことだから気にしないで。折を見てわたしが止めるから」
「チカ先輩がいつも止めてるんですか?」
「もしくはうちのプロデューサー兼マネージャーさんが拳骨食らわせて止める」
「ああ、鬼龍院さんが……大事なタレントなのに容赦ないですね」
苦笑するテルちゃん。あの人はきっと、それくらいやっても問題ないと思っているのだろう。愛の鉄拳ってやつだ。
ここまでのやり取りを見ても明らかだけど、三人はテルちゃんに対して好意を抱いている。かわいい後輩への愛情、というレベルでなく、もはや恋愛感情の一環だと言っていい。言動も態度も距離の詰め方も、明らかにいつもと違っていて、テルちゃんのことを、ただの後輩という以上に好きなんだと分かる。
……なんて冷静に分析しているわたしも、人のことは言えないのだが。
「まあ、三人ともテルちゃんのことを気に入ってるみたいだし、色々教えてもらうといいよ」
「はい! チカ先輩にも色々教えていただきたいので、よろしくお願いします!」
そう言ってふわっと微笑むテルちゃんに、またもドキッとさせられる。先輩ながら情けない限りのわたしは、思わず目をそらしてしまう。
はあ……後輩の前だから抑えているけど、ため息のひとつでもつきたい気分だ。
今まで誰かを、恋愛的に好きになったことはなかったけど、まさか初めて恋をした相手が、一つ年下の女の子で、しかもグループの仲間たちも同じ人を好きになってしまうとは……ちょっと設定を盛りすぎじゃないか。
というわけで、マテリエンヌの恋愛シミュレーション企画は、波乱の幕開けとなった。
翌日、わたし達はサラちゃんからの招集を受けて、いつも反省会に使っているお店に集まった。リーダーであるサラちゃんが招集をかけるのは普通だけど、今回はどこか勝手が違っていた。
集まったのはわたしを含めたメンバー四名。テルちゃんだけがこの場にいない。少し前にテルちゃんの歓迎会は済ませたから、そういう用事でないのは分かっていたけど、すでにグループの一員であるはずの彼女を呼ばなかったということは……まあそういうことだろう。
「みんなに集まってもらったのは他でもない……」
とりあえず全員分のドリンクを注文してから、サラちゃんが口を開く。やや目を伏せて重い口調で言うから、みんな緊張気味に息をのんで、次の言葉を待った。
「最近わたし達……仕事に身が入っていないんじゃないか?」
「……どういう意味?」
フミちゃんがしかめ面で聞き返す。心外だと思っているんじゃなく、心当たりがなくもないけど認めたくないのだ。
「だから、その……」口ごもるサラちゃん。「あの子が加入してから、みんな浮き足立っているっていうか、やるべきことをなおざりにしてない? 鬼龍院さんからも、仕事に集中できてないんじゃないかって言われてるのよ」
「気のせい、と言いたいところだけど……」
ネムちゃんはどこかアンニュイな雰囲気を漂わせながら言った。店員さんが運んできたアイスティーに、ミルクを入れてマドラーでかき混ぜている。
「鬼龍院さんやサラちゃんが言うくらいだから、そういうところはあるかもね。本当、どうしたものかしら」
「他人事みたいに言うんじゃないよ。ネムも含めてここにいる全員に、言えることなんでしょ」
なんだろう……さっきから三人とも会話がギクシャクしている。たぶん、みんな心当たりがあるけれど、その核心に触れるのを無意識に避けているのだ。あの子というのが誰なのか、あの子が自分たちにどんな影響を与えたか、何となく気づいているけど認めたくないと思っている。
だがそれも限界だ。人一倍まじめなサラちゃんが、こんなぬるま湯状態を放っておけるはずがない。
「……ええい、埒が明かん。こうなったらストレートに聞くから、全員正直に答えてよ」
テーブルに両手を突いて、サラちゃんはわたし達をじっと見据えて問いかける。
「みんな、テルちゃんのことをどう思ってる!?」
ついに言った……核心に迫る質問だ。
「どうって……普通に、かわいい後輩だと思ってるけど?」
「そうね、それにとても見どころのある新人よ。それ以上に何があるの?」
フミちゃんもネムちゃんも、思った以上に装甲が硬い。すでに状況を察しつつあるサラちゃんが、これだけストレートに聞いているのに、まだはぐらかそうとするとは。
「……じゃあ、チカは?」
ずっと無言だったわたしにも、当然サラちゃんは尋ねてくる。わたしは二人と違って、すまし顔で感情をごまかせるほど器用じゃない。だから、正直に答えるしかない。
「わたしは……確信があるわけじゃないけど、たぶん、好きだと思う……恋愛的な意味で、一目ボレだったと思う」
「「…………!」」
わたしが正直に答えたことが、フミちゃんとネムちゃんにとっては意外だったようで、二人は揃って瞠目した。一方、サラちゃんは特に意外と思わなかったみたいだ。
「そっか……うん、わたしもたぶん、あの子に惚れていると思う。半ば衝動的に、あの子と近づきたいって思ったりして、いつも落ち着かなくなる。恋愛が発生しやすい状況を自ら作って、迷惑をかけない範囲で恋愛を体験しようと目論んでいた矢先に、このザマだ」
サラちゃんは目元を手で押さえ、自嘲するように呟く。
「フミもネムも……本当はそうなんだろう? まったく、四人そろって同じ人を好きになるとは、つくづく巡り合わせというか、これも一種の絆というのか」
「いや、わたしだってテルっちが好きかどうか、自分でもよく分かってないし……」
「そもそも、今まで誰かを好きになったことがないから、恋かどうか判断できないし……」
二人はそういうが、どちらも指の動きがもじもじしていて、恥じらっているのが丸わかりだ。恋をした女の子って、例外なく仕草が乙女っぽくなるよね。
サラちゃんは嘆息をつきながら言った。
「はあ……まあ今は深く突っ込まないわ。これ以上続けても水掛け論になるのは目に見えてるし、気持ちの問題は複雑だからね。ただし……」
サラちゃんはホットコーヒーのカップを持って立ち上がると、フミちゃんとネムちゃんの前にそれぞれ置かれていたグラスに、コーヒーを半量ずつ素早く注いだ。もちろんどちらも、まだ別のドリンクが残っている。未知のブレンドが出来上がってしまった。
「わっ!」
「だあぁーっ! 何しやがんだてめぇ!」
「わたしはさっきの質問に正直に答えてと言ったはずよ。それなのにごまかそうとしたからお仕置きです」
「だからってオレンジジュースにブラックコーヒー混ぜるやつがあるかっ!」
「責任もって飲んでね」
「無茶言うな! この色見てみろ、飲んだら余裕で死ねるわ!」
確かに、オレンジジュースにコーヒーを混ぜたものは、筆舌に尽くしがたい色合いをしている。味に関しても言わずもがなだろう。もう、想像するだに恐ろしい。
一方、すでにミルクを入れていたアイスティーにコーヒーを混入されたネムちゃんは、カタカタと震える手でグラスを持っている。心なしか顔も青ざめていた。
「……紅茶とコーヒーって、どっちもカフェイン含有飲料よね……意外と相性いいかも……」
「早まるな、ネム! 大事な声帯にどんな影響を及ぼすか分からないんだから、下手な冒険をするんじゃない!」
ネムちゃんの歌声に一番惚れ込んでいるフミちゃんが、必死で止めてくる。よもやサラちゃんの冗談を真に受けてはいないよな。
しかしよかった、正直に答えておいて……わたしはメロンソーダだから、コーヒーを混ぜられたらもっと悲惨なことになっていた。金の斧と銀の斧の寓話じゃないけど、とりあえず質問には正直に答えた方が身のためだということはよく分かった。
「さて、全員分の好意を確認したところで……」
確認できているかどうかは怪しいが、サラちゃんは話を続けた。
「忘れてはいないだろうが、わたし達は現在、グループ内での恋愛シミュレーション企画を進めようとしている。恋愛が発生しやすい状況を自ら作ることで、恋愛が何たるかを体得し、いずれ充てられるラブソングを歌いこなせるようにしたいと、そう考えていたのだが……」
「準備とかほとんど進まないうちに、恋愛が始まってしまったわね」
「どうすんの? 目的はほぼ達成したようなものじゃん」
「それは違うぞ、フミ。わたし達の最終目標は恋愛を知ることじゃない、知ったうえで恋愛ソングを歌いこなせるようになることだ。その意味では、企画はまだ途上にある」
「言っとくけど、めんどくさい話はお断りだからねー」
フミちゃんはそう言うが、四人全員が同じ人を、それも同性の子を好きになった時点で、相当めんどくさい話になっている気がする。
「最初に言ったとおり、全員がテルちゃんを好きになったことで、仕事にも差し障りが生じつつある。正直、恋愛ソングをマスターするどころじゃない」
「そうね。落ち着いて自分の恋愛感情を見つめられないと、ラブソングどころか、どんな曲でもまともに歌えないわ」
「このままでは次のライブに支障が出かねない。それゆえ、早急に対策を練る必要がある」
「政治家さんの物言いかな?」
「黙れフミ左衛門。次のライブにはテルちゃんも参加するんだから、平常心でパフォーマンスできないのは困るでしょ」
確かに、マテリエンヌのライブは、一糸乱れぬパフォーマンスが最大の売りだ。初参加のテルちゃんと、どこまで連携が取れるか分からないのに、他でもないわたし達が集中できなければ、せっかくのテルちゃんの晴れ舞台を台無しにしかねない。
「まあ、問題はそれだけじゃなさそうなんだけどね」
フミちゃんはスマホを取り出して、何やら操作を始めた。眉をひそめるサラちゃん。
「どういうこと?」
「テルっちの加入を快く思ってない人が、割といるってこと。マテリエンヌ結成当時からのファンの中には、四人でなければマテリエンヌじゃない、後から一人加えるなんてふざけている、って考える人が一定数いるんだよ。ほら」
フミちゃんはテーブルの真ん中にスマホを置く。ディスプレイには、テルちゃんの加入についてのツイートが並んでいた。賛否のせめぎ合いは激しく、受け入れられる人とそうでない人との間で、時に乱暴な言葉で非難の応酬が続いている。
「結構炎上しているわね……」と、ネムちゃん。
「大人数のグループならともかく、四人から五人への変化はどうしても目立つからね……この規模のユニットだとまず前例がないだろうし、後から入った人は良くも悪くも注目される。グループのバランスを崩すことになると思う人がいても、不思議じゃないね」
サラちゃんは冷静に分析しているが、その表情は険しかった。
「ねえフミちゃん。このこと、テルちゃんは知ってるの?」
「さあ……すでに知ってるかもしれないし、そうでなくても時間の問題だよ。ネット上に蔓延する心無い誹謗中傷を正面から受けて、マテリエンヌを抜けたいとか思ってしまったら、それこそライブに支障が出ちゃう」
「ふぅむ……問題が山積してるな」
「テルちゃんの今後のためにも、次のライブは絶対成功させたいものね」
唸りながら考え込む三人。
……その山積している問題の半分は、ここにいるわたし達の問題なのだが。どうもその辺りの自覚が薄いから、放っておくとさらに厄介な事態になる気がする。
「ネットの動きに関しては、いずれ鎮火するのを待つしかない。わたし達の努力次第ではあるけどね。テルちゃんが早くマテリエンヌになじんで、堂々とグループの一員としてステージに立てるように、わたし達があの子の心の支えにならないと」
「それが先輩としての務めだもんね。あの子にとっても頼れる存在にならないと」
「フミちゃん……なんだかその言葉に下心を感じるんだけど」
ネムちゃんが、不自然なほど完璧な笑みを浮かべながら言った。怒っているのだろうか。フミちゃんも、その笑顔を見てビクッと怯える。
「べっ、別に、そんな事はないと、思うけど……」
「まさか、テルちゃんに頼りにされたらもっと先まで進めるかも、なんて考えてないよね?」
「どうなんだ」サラちゃんも便乗して尋ねる。
「いや、先まで進めるって何さ! そんなやましいこと考えてないから! というか、そういうあんた達こそ、言ったようなことを企んでないだろうね!」
軽く図星だったのか、サラちゃんはぐっと言葉を詰まらせた。しかしネムちゃんはなぜか余裕の笑みを浮かべている。
「あら、わたしはやましいことを企まなくても、テルちゃんに頼られる自信はあるわよ。マテリエンヌでは一番歌が上手いし、ボイトレの先生ともコネがあるし、少なくとも音楽面ではわたしが一番頼りになると、彼女も思うんじゃないかしら?」
「だーかーらー、それが抜け駆けだって言ってんの!」
「そもそもそんなコネを気軽に頼れるほど、深い仲じゃないでしょ」
「そりゃあ付き合いは浅いけど、頼られたいと思っても空回りしてばかりのみんなよりは、深い仲になっていると言えない?」
「言わせておけばお前はぁ……!」
ほら始まった。三人とも、同じ人を本気で好きになっただけあって、譲る気配が微塵もない。ヒートアップするのは明らかだった。
ギャーギャーと騒げばお店にも迷惑だし、早く止める方法を考えなければ……いや、止める方法はもう分かっている。三人の会話を聞いていて、ずっと違和感があった。三人はもっと大事なことに気づいていない。
「……あのさ!」
言い争う三人よりも力強く、わたしは声を張り上げた。
わたしの大きな声に驚いたのか、あるいはわたしが大声を出すこと自体が珍しかったのか、三人は目を丸くして、すぐに言い争いをぴたりとやめた。一気に場がしんと静まる。三人の訝るような視線が向けられて居心地が悪いけど、わたしは振り絞るように告げる。
「確かにテルちゃんを孤立させたくはないし、ライブを成功させたいっていうのも、先輩として信頼されたいって気持ちも分かるよ。でも……」
これを言ったら、三人にどんな反応をされるか分からないし、怖い。でもこれは、絶対に言わなくちゃいけないことだ。わたしは三人を真っすぐに見据えて言い放つ。
「さっきから聞いていると、みんな、テルちゃん本人の気持ちを置き去りにしてない?」
「「「…………!」」」表情が強張る三人。
「本当にテルちゃんのことを考えるなら、まずは本人がどうしたいのか、わたし達に何をしてほしいのか、それをちゃんと聞いておかないと。テルちゃんの問題を、わたし達だけで片づけようとするのはよくないと思う!」
最初はわたし達の、テルちゃんへの好意を問題視していたために、この場にテルちゃんを呼ばないと決めていた。だけど、テルちゃんの身に降りかかった問題なら、彼女の気持ちを無視するわけにいかない。みんな、自分が我先にとテルちゃんの力になりたいばかりに、肝心なことを置き去りにしてしまっていた。
わたしの訴えはそれなりに効いたのか、さっきの騒がしさが嘘のように、三人ともおとなしくなった。みんな視線が泳いでいて、決まりの悪さを覚えているらしい。
「……チカの言うとおりだな。わたしとしたことが、ちょっと冷静でなくなってた」
「そうよね、大事なのはテルちゃんの気持ちだもの」
「だけど実際問題どうする? 次のライブまでに、テルっちがなんとかグループになじんでほしいけど、わたし達が無理やり仕事に関わらせるのはよくないだろうし」
「荒療治が効くかどうかも、人によるものね。気を遣わせていると思われたら本末転倒だもの」
「なるべく自然な形で、チーム・マテリエンヌの一員だという自覚を育てたいが……チカ、何かいい案はないか?」
サラちゃんは真っ先にわたしに尋ねてきた。どうして最初に聞くのがわたしなのだろう。わたしなら妙案を考えているだろうと思ったのか……サラちゃんに期待されるのは、悪い気がしないけど。
その期待に応えられているかどうか分からないが、サラちゃんの読みどおり、腹案はある。マテリエンヌの原点に立ち返って考えた案が。
「…………わたしは」
わたしは三人に、自分のアイデアを打ち明けた。
「もう一度コンペをしたい?」
サラちゃんからの提案に、鬼龍院さんはおうむ返しで答えた。正確にはわたしの提案を、グループを代表してサラちゃんが伝えたのだけど。
ここはマテリエンヌ専用ルーム。今朝のマネージャーへの定例報告は、鬼龍院さんの方からここにきて聞くことになっていた。わたしの発案を、昨日までにテルちゃんも交えてまとめて、グループの総意として鬼龍院さんに報告する、そのつもりでいた。今この部屋には、テルちゃんも含めてマテリエンヌのメンバー全員が揃っていて、提案の行方を見守っている。
「はい。テルが新加入して最初のシングルですが、その楽曲のコンペを、改めて行ないたいんです」
サラちゃんが力強く言う。鬼龍院さんの前だから、テルちゃんのことは呼び捨てにしている。
アイドルの楽曲の多くは、他のアーティストや職業作家が提供するもので、その際は音楽プロデューサーの下で選定が行われる。業界ではコンペティション、略してコンペと呼ばれる。
いわゆるコンクールと違い、コンペに参加する作家は、あらかじめプロデューサーが選んでいることが多い。弱小の事務所はお抱えの作家が少なく、外部のレコード会社、あるいは個人で活動する作家に呼びかけることで、多種多様な楽曲をかき集めている。そして弱小ゆえに、あまり多くの作家に声をかけると経費がかかるため、最初に決めたコンセプトに沿って作ってくれそうな作家を、あらかじめピックアップしてから声をかけている。目的や依頼内容がはっきりしている方が、作家も参加しやすいと思ってくれるのだ。作家の選定には、プロデューサーの知識と経験値が欠かせない。
とはいえ、所属タレントを大事に扱うこの事務所では、いくらプロデューサーといえども、タレントの意向を無視してコンペを進めることはできない。だからこうやって、楽曲の選定に関しても、アイドルが口を挟むことができる。大手だとほとんどできないらしいが。
「……まだこの間のコンペも結論がまとまっていないのに、それを全部白紙にして、再度募集をかけるのか? 作家たちの負担が増すことくらい分かるよな。相応の理由がなければ、いくらグループの総意だとしても認めるわけにいかない」
鬼龍院さんは冷静に反駁した。だがこれは裏を返せば、相応の理由があれば認めることもありうるということだ。ここからが勝負どころだ。
「理由は……テルのためです」
「ふうん?」
「テルはつい最近、しかも途中から加入したために、まだグループになじめずにいます。しかもネット上では、彼女が途中加入することに否定的な意見も目立っています。これが次のライブに、少なからず影響を及ぼすことは十分に考えられます。彼女の今後を考えると、マテリエンヌで逆風にさらされ続けるのを、放置するわけにはいきません」
サラちゃんの主張を、わたしも含めた他のメンバーは、椅子に座って見守っている。テルちゃんはわたしの隣に座っていて、緊張気味に、膝に乗せた手を震わせていた。握ってあげたいけど……後で何を言われるか分からないから我慢した。
「それについては私も危惧している。テルがマテリエンヌの中で受け入れてもらえないと感じたり、自信を無くしてしまったりすれば、今後の活動には大いに支障をきたす。私としては、今後のプロモーション戦略の中で、なんとか状況を改善したいと考えていたが……」
「それでも世間の否定的な流れを、封じ込めるには時間がかかります。ライブのチケット販売は先々週から始まっていますし、今から順延することはできない。ライブは待ってくれないし、ネット上が鎮火するまで、わたし達も指をくわえて待ってはいられません」
「ああ、お前たちの気持ちは分かった……で、それとコンペの再募集がどう繋がる?」
「楽曲のコンセプトを変更したいんです。テーマは、“今のマテリエンヌ”です」
「??」
初めて鬼龍院さんの表情が変わった。目を丸くするのはなかなか珍しい。
「これまでの、四人のマテリエンヌが作ってきた世界とは違う。この五人だから実現できる、新しいマテリエンヌの世界……それをイメージした楽曲を作ってほしいんです!」
そう、それこそがわたしのアイデア……テルちゃん込みで、五人でのマテリエンヌありきで、一から曲を作ってもらう。かつてのマテリエンヌが素晴らしい世界観を作ってきたように、今の、新生マテリエンヌが作れる世界を見せつけることで、一気に人々の心をひきつける。否定的な風潮をひっくり返し、同時にテルちゃんをグループの一員として定着させる。完全な解決とはいかなくても、状況を大きく好転させる効果はあるはずだ。
もっともそのためには、楽曲のクオリティも十分に高い必要がある。だからコンペを行ない、良質な楽曲を発掘することが重要となる。テーマが大きく変わるから、やり直しという形になってしまうが……。
「……今後の新曲には当然テルも参加するし、過去の楽曲に関しても、テルの加入に合わせてリアレンジする予定だ。結局テルが一緒に歌うことに変わりはない。それではダメなんだな?」
ダメなのか、ではなく、ダメなんだな、と訊いてきた。鬼龍院さんも、わたし達が何を目論んでいるか察したみたいだ。
「はい、不十分です。ただ歌で参加するだけでは、わざわざ加入させた意味があるのかと思われるのがオチです。彼女がいることを前提に、彼女がいてこそのマテリエンヌだと意識したうえで作らなければ、意味はありません」
「つまり、“五人組のマテリエンヌ”のための曲を作ってほしい、というわけね」
「そうです」
サラちゃんの口調にも、徐々に緊張が現れてきている。これが“相応の理由”といえるかどうか、自信はなかった。実のところ、わたし達が個人的にテルちゃんを助けたいだけなのだ。そんな理由で今後のスケジュールに影響を及ぼして、いい顔をされるとは限らなかった。
鬼龍院さんはわたし達の事情を理解してくれたと思うけど、コンペの再募集に踏み切ってくれるかどうかは賭けだ。どういう答えを出すだろう……。
「……今から募集をかけて、作家さんたちがデモ音源を作って、わたし達が選定して、アレンジとレコーディングと編集作業……たぶん、今月のライブの初日ギリギリで、ようやく音源が完成するかしら。そうなると、ろくなプロモーションも行わず、ライブでぶっつけ本番の新曲披露って形になる。音楽スタッフのみならず、あなた達の負担も大きくなるわ。それでもいいのね?」
サラちゃんは言葉を詰まらせている。鬼龍院さんの言い分は予想していた。スケジュールの遅延、ギリギリでの楽曲制作の調整は、必ずわたし達にもしわ寄せがくる。振り付けがあれば急ピッチで覚えなければならない。セットリストの組み方もギリギリまで相談しなければならない。今までのどのライブよりも、多忙を極めることは明らかだった。
それでも……。
「覚悟はできています!」
そう断言したのは、椅子から立ち上がった、フミちゃんだった。
「テルっちはきっと将来、マテリエンヌにとって欠かせない存在になります。マテリエンヌの将来のために、わたし達五人で力を合わせて、絶対に乗り切ってやります!」
「フミ……」
サラちゃんは呆然とフミちゃんを見つめた。彼女がここまで真剣になることが、サラちゃんにとっては新鮮に見えたのだろう。そのくらいフミちゃんの、マテリエンヌへの愛情は強いのだ。
ふと、わたしはネムちゃんと目が合った。ネムちゃんはにっこりと笑って頷く。わたし達も負けていられないね、と言いたげだったから、わたしも微笑みながら頷き返した。
「勇ましいこと……テル、あなたは?」
鬼龍院さんに尋ねられて、テルちゃんは肩をビクンと揺らした。まだ鬼龍院さんの纏う雰囲気に慣れていないのだろうか。大丈夫、怒ると怖いけどいい人だよ。
「……先輩方はみんな、わたしのことを真剣に考えてくれています。できるかどうかは分かりませんけど、でも……」
テルちゃんは意を決したように、鬼龍院さんをまっすぐに見て告げた。
「先輩方の努力を、無駄にする気はありません!」
「そうか……」
鬼龍院さんは腕組みをして、黙りこくった。わたし達の決意と覚悟を聞いて何を思い、そしてどんな答えを出すのか……息をのんで、次に放たれる言葉を待つ。
やがて鬼龍院さんは、ゆっくりと口を開いた。
「……なあ、これは誰の発案だ?」
その問いかけに、わたし以外の全員が、無言でわたしに視線を向ける。どうしようかとも思ったけど、面倒事にはしたくなかったので、わたしはおずおずと手を挙げる。
「わ、わたしです……」
「そうか、やっぱりな……」
どこか寂しげな笑みを浮かべる鬼龍院さん。軽く嘆息をついてから言った。
「元はといえば、こんな無茶な人事を決めた、取締役の連中にも責任はある。彼らの責任をエサにして、作家さんたちや音楽スタッフへの説得を押しつけてやる。スケジュールの調整は……まあ私ができる範囲で何とかするよ」
「それじゃあ……!」
「まあ、やれるだけのことはやってみたら? 何でもやり方次第で結果はついてくるものよ」
よかった……少し危なかったけど、鬼龍院さんも認めてくれた。マテリエンヌのプロデュースを一手に引き受けている彼女が認めてくれれば、この先はスムーズに進んでくれる。
なんか、嬉しさよりも安堵の方が強くて、叫びながら喜ぶというのができそうにない。とりあえず最初の関門を突破して、心の底からホッとしている。
「ありがとうございます、鬼龍院さん」
「構やしないさ。お前たちは事務所のおもちゃや人形じゃない、意思を持って行動する人間だ。自分の意思でこうと決めて実行に移す、その心意気は貴いものだよ」
「鬼龍院さん……」
「でも、お前たちは人間だから、やったことには必ず責任を持て。これでもし上手くいかなくても、絶対に文句は言うんじゃないぞ」
最後の最後で厳しい言葉が出てきた。でもそれは、この業界に飛び込んでから、毎日のように付きまとっている言葉だ。今さら怯えてなどいられない。
『はい!!』
わたし達五人は、声をそろえて応えた。その覚悟を見て取った鬼龍院さんは、ふっと笑う。
「よし、さっそく上に掛け合ってくる。お前たちも、できる準備は進めておきなよ」
そう言って鬼龍院さんは部屋を後にした。
……そしてすぐに、わたし達は全員、緊張の糸が切れて脱力した。
「ふえぇ~。わたしらにも口出しする権利があるとはいえ、やっぱり緊張したわ」
「普段は与えられた仕事をするだけだものね……朝から疲れちゃった」
「すみませ~ん……わたしのせいで先輩方にはご迷惑をおかけして……」
「いやいや、テルちゃんも頑張ってついて来てくれてるんだから、迷惑なんかじゃないよ」
むしろ現時点では、わたし達がテルちゃんに迷惑をかけそうなくらいだ。というか元をただせば、テルちゃんが以前に所属していた事務所が倒産したせいでもある。一番迷惑をかけたのはその事務所ではないのか(華麗なる責任転嫁)。
ところで、サラちゃんだけはずっと立ちっぱなしだ。
「ふう……とりあえずチカの提案は受け入れられたな。じゃあさっそく、どんな曲にしたいか、細かく要望をまとめておこう。作家さんたちに参考にしてもらいたいし」
「そうだな、やるか」
フミちゃんが両腕を上に伸ばしたのを皮切りに、わたし達は次に向けて動き出す。
だけど……みんなはたぶん気づいていない。一瞬わたし達に向けられた、サラちゃんの表情。必死に隠そうとしていたけど、鬼龍院さんへの難しい説得に神経をすり減らしたのだろう。わたしには、疲労の色が浮かんでいたように見えた。
新しいコンペに関する要望書をみんなで仕上げて提出し、午後のダンスレッスンを終えて、夕方になるとわたし達はようやく解放された。この後は各自の自由時間だ。
「では、お先に失礼します」
「また明日ねー」
テルちゃん、フミちゃん、ネムちゃんの三人は一足先に事務所を出た。明日は終日休みなので、テルちゃんは家族で一緒に過ごし、ネムちゃんはボイトレに明け暮れるという。ちなみにフミちゃんはネムちゃんに付き添うつもりらしい。本当にいつも一緒の二人だ。
「二人はまだ帰らないの?」
ネムちゃんがわたしとサラちゃんに尋ねる。サラちゃんは肩をすくめながら答えた。
「鬼尼に呼び出されちゃってね……振り付けの勉強をしてみたいって前に言ったら、心当たりを探してくれたんで、ちょっと話を聞きに行くつもり」
「そうなんだ。でも鬼尼はやめた方がいいわよ。失礼にあたるから」
「いつも平然と失礼を働くやつがどの口で」
「チカちゃんは?」
サラちゃんの突っ込みを軽く受け流し、ネムちゃんはわたしにも訊いてくる。
「わたしは……少しサラちゃんに付き添おうかと」
「あら、チカちゃんも振り付けに興味があるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
説明が難しい。何となく今日は、サラちゃんに付き添った方がいいような気がしたのだ。そういう予感だけがあって、わたしをここに繋ぎとめている。
ネムちゃんは何か察したのか、それ以上は尋ねてこなかった。先に出ていった二人を追ってネムちゃんもこの場を後にすると、レッスン室の前にはわたしとサラちゃんだけが残される。
「……鬼龍院さんのとこ、行くの?」
「スカイプで顔合わせをするくらいだから、すぐ終わるよ。振り付けを教わりたいって言っても、基礎はこれまでのレッスンで身につけているし、プロの振付師の考え方を知りたいだけだから」
「ステージ演出の参考にするの?」
「そのつもり。アイドルとしてわたしに何ができるか、とことん追い求めたいの」
自分の将来を見据えているサラちゃんの目は、星のようにキラキラと輝いている。やりたいこと、成し遂げたいことがいっぱいあって、楽しくて仕方がないみたいだ。
ああ、眩しいなぁ……いつだって、わたしにとって、サラちゃんはそういう存在だった。そして同じくらい、彼女が抱える重荷も知っている。だから、放っておけない。
「チカ……?」
気がつくとわたしは、サラちゃんの手を取っていた。あまりに眩しくて、サラちゃんの姿を直視できない。たぶんわたしの表情も、彼女には見られていない。
「……終わったら、後で休憩、付き合うから」
「…………」
「きょう、朝からすごく頑張ったから、疲れてるだろうから……あんまり無理しないで」
確証はないけれど、サラちゃんが甘えられるのはわたしだけだ。彼女が疲れを顔に出せないでいるのなら、その疲れを癒せるのは、わたししかいない。
……そうだ、だからわたしは残ったんだ。サラちゃんを、ひとりにしたくなかったから。
ふっと、かすかに笑う声が聞こえた、気がした。
「分かった……十分くらいで戻るから、今日もたっぷり、甘えさせてもらうよ」
サラちゃんのこの余裕はどこから来るのだろう。よくこんな恥ずかしいことを、臆面もなく言えるものだ。聞いているわたしの方が恥ずかしくなる。
「う、うん……待ってる」
「本当に、チカが仲間でいてくれて、よかった」
「え? なに、突然」
思わずわたしは顔をあげて、サラちゃんを真っすぐに見返した。いつもわたしだけに見せるような、穏やかで優しい微笑みを浮かべている。
「チカさぁ、ずいぶん前から、マテリエンヌでの自分のポジションが分からないって言ってたけど、わたしの中ではもう決まってるんだよ。たぶん他の二人もそう」
「そうなの?」
「まあみんな、恥ずかしくて言えずにいるんだけど……いつかチカが自力で気づいて、実感してくれるようになるのを、待ってるんだよ」
……何も言えなかった。サラちゃんの手を掴む力が、すっと抜ける。
マテリエンヌでの、わたしのポジション、わたしの役割。自分ではまだ見つけられていないけど、三人の中ではもう決まっていて……それはつまり、三人にとってわたしが、必要な存在だということなのか。
「じゃあ、そろそろ行くから。また十分後にね」
サラちゃんは軽く手を振ってから、駆け足でこの場を離れていった。ひとり残されたわたしは、レッスン室に戻って、サラちゃんを待つことにした。
ベンチに腰かけ、ぼうっと虚空を見つめながら、色んなことに思いを巡らせる。
いつ首にされるか分からない、不安ばかりの日々の中で、無我夢中で自分の居場所を見つけようとしていた。鬼龍院さんに目をかけられ、素敵な仲間と出会えて、たくさんのファンやスタッフに支えられていても、居場所を見つけられていないことに不安を覚えていた。
もしマテリエンヌのみんなが、わたしを必要としてくれて、わたしの居場所がここなんだと信じてくれたなら。支えてくれる誰もが、その場所にわたしがいることを喜んでくれるなら……それはどんなに、貴いことだろう。
サラちゃん達はわたしに、どんなことを期待しているのだろう。
「……早く戻ってこないかなぁ」
まだ一分も経ってないはずなのに、少し寂しい気持ちになっている。
* * *
「では、わたしこっちなので。明日もよろしくお願いします!」
テルっちは手を振りながら言うと、とことこと駆け出していく。降りる駅は一緒だけど、そこから先はわたし達と彼女で別方向になっていて、自然と駅前で別れることになる。
わたしとネムは、去っていくテルっちの背中に向け、軽く手を振りながら見送った。心配だから彼女の自宅までついていたかったけど、それは余計なお世話というものだ。他のメンバーに抜け駆けと思われて、後ろ指差されるのも癪だし。
「さてと……まだそんなに遅い時間じゃないね」
「じゃあ少しゆっくりしてこう? 電車の中で座れなかったから、ちょっと疲れちゃった」
そう言ってネムは、すぐそばのベンチに腰かけた。その何気ない動作さえもしなやかで、上品さを感じさせる。作っているだけのお嬢様キャラとは思えない所作だ。そんな彼女は、ダンスの練習よりも、満員の電車で立ちっぱなしでいる方が疲れるらしい。まあ、気持ちは分からなくもない。
ようやく足を休めることができて、ふう、と一息ついたネムに、わたしは尋ねた。
「今日はどっちにする?」
「うーん……フミちゃんがうちに来てほしい気分」
「へいへい、女神さまの仰せのままに」
「今日のフミちゃんはちょっとトゲがあるかも……まだこの間のこと、根に持ってるの?」
「そんなことないですよー。わたしはそんな安い女じゃありませーん。それに」
わたしはネムに、精一杯の皮肉を込めて告げる。
「ネムがそういう奴だってことは、ずっと前から知ってるもんね。だから今さら」
一瞬ポカンとするネムだったが、すぐにまたいつもの、やわらかな微笑みを見せてくる。これがただの仮面だということは、お互いがすでに承知している。
そうとも、今さら気にしてなどいない。他人に興味を示さないネムが、気軽に毒を吐けるのは、それだけ気を許しているという証なのだ。どれほど言動が挑発的でも、それが仲間内にしか見せない姿だと知っていれば、些細な怒りは優越感の前に薄れてしまう。
とはいえ、あのまま喧嘩がヒートアップしていたら、こうやって帰り道を一緒に歩き、お互いの住居に泊まったりすることも、もしかしたらなかったかもしれない。
「ホント……チカちゃんには敵わないわね」
ネムの一言に、わたしはドキッとした。一瞬、心の中を読まれたかと思った。わたしも同じことを考えようとしていたのだ。
「わたし達はみんな、テルちゃんのことを真剣に考えているつもりだったけど、一番ちゃんと考えていたのは、あの子だったみたいね」
「まあ……チカがああ言ってくれなかったら、わたし達だけで暴走していただろうしね」
「わたし、歌のことでは、テルちゃんに一番に頼られる自負があるけど、あの子が最初に心を開くとしたら、きっとそれはチカちゃんだと思う。今回のことで、つくづくそう思った」
それはわたしも同様だった。テルっちのことで暴走しかけていたわたし達と違い、チカだけはつとめて冷静で、テルっちの気持ちに寄り添う形で解決策を示した。達観しているというか、いつも一歩引いた位置にいて、それでいて他人の気持ちを尊重できる……チカにはそういう一面がある。
実を言えば、それはアイドルに求められる素質じゃない。常に誰より前に出て、自分を見せようとする気概がなければ、芸能界では生きていけない。アイドルとしてのチカの技術は、平均をやや上回るくらいで、長続きするだけの人材とは思えない。それでも……。
「そうだね……不思議だけど、チカはマテリエンヌに、絶対欠かせない存在だと思う。あの子がいなかったら、わたしはマテリエンヌを好きになってなかったかもしれない」
「フミちゃんにとっての、一番のアイドルにもなってなかった?」
「だと思う。大げさかもしれないけど」
「ううん。わたしも同感……チカちゃんには、わたし達にはない何かがある。わたし達が一生かかっても手にできないような魅力が、あの子にはあるような気がする。わたし達も、きっとテルちゃんも、その魅力に惹かれているんだろうなぁ」
遠くを見るような目のまま、ネムは力なさげに言う。
その言葉はまるで敗北宣言だった。自分の力量では、チカの魅力に到底及ばない。だから最後にテルっちの心をつかむのも、自分ではない。そう言っているようなものだ。他人に関心を持てないという弱点を自覚しているから、恋愛では勝ち目がないと思ってしまう……それがネムの、諦めに繋がっている。だから、なおさら彼女が不憫だ。
わたしもチカには敵わないと思うけど……でも、簡単に認めたくないじゃないか。
「……一緒のふとんで寝てあげようか?」
「ふふっ、フミちゃんだと間違いが起きそうにないから安心ね」
滅多なことを言ってくれる。わたしだって、ネムに対して思うところがなくもない。そうでなければ、こんな性悪女と、ここまで付き合えるわけがない。
まあ、ちょっかい出されるのも嫌だから、言わないけどね。
* * *
怒涛の日々は過ぎ、ついに今月最初のライブ、つまりテルちゃんの加入後初のライブを迎えた。なんとか新曲は完成し、セットリストではラストに配置し、振り付けも三日間だけの突貫工事で習得した。複雑なフォーメンションの変化はないが、サラちゃんの提案で、本番直前まで念入りに動きを確認しておき、いよいよ本番十分前。
「ふあああ……緊張じでぎだぁ……」
本日の主役ともいえるテルちゃんは、生まれたての小鹿みたいに足をガクガクと震わせている。顔も真っ青で泣き出しそうだし、呼吸も安定していない。
「テルっち、ちょっと緊張しすぎじゃない?」
「わ、わたし、本番に弱いタイプなんですっ……歌詞忘れたらどうしようとか、ステージで転んじゃったらどうしようとか、色々考えたら不安になって……」
「前にいた事務所でもそうだったの?」
「は、はいぃぃ……気分が乗ってくれば、割と平気になるんですけど……」
意外と舞台度胸の弱い子だった……まあ、わたしもユニット結成直後はこんな感じだったし、あまり偉そうなことは言えないが。
しかし、この状態だとひとつ心配がある。新曲の情報はすでにネット上でも公表しているが、その反応は好意的なものばかりではなかった。未だにファンの半数近くは、テルちゃんが加わることに否定的だし、その影響は今日のライブにも現れるだろう。極度の不安で緊張状態にあるテルちゃんが、そんな状況に置かれたらどうなるか……。
いやいや、わたしまで不安がってどうする。嫌な想像を振り払うように、わたしはかぶりを振る。こういう時に、わたし達がしっかりサポートしてやらないと。
なんて思っていたら、さっそくフミちゃんが調子よく声をかけてくる。
「大丈夫だって! いざとなればわたしがアドリブでカバーしてあげるから!」
「そうそう。フミちゃん、こういう時は頼りになるからね」
「こうでない時は頼りにならないみたいな言い草だけど、まあいいだろう」
テンションが上がっているのか、ネムちゃんのトゲのある言葉も軽く受け流した。気分が乗っているときのフミちゃんのアドリブは強力だけど、またやり過ぎてサラちゃんに怒られないといいのだが。
わたしも負けじと、不安げなテルちゃんに声をかける。
「テルちゃん。わたし達はとっくに、あなたを大事な仲間だと思ってる」
「…………!」
「周りがなんて言おうと、それだけは確かだから。自信もって」
テルちゃんは涙目でわたしを見つめ返すと、口元をきゅっと結びながら、しっかりと頷いた。
「よし、みんな!」
手を叩いて鳴らしながら、サラちゃんがわたし達に呼びかける。
「今日は五人になって初めてのライブだ。今まで通りにはならないかもしれない。だが、何が起きようと、五人全員で力を合わせて、必ず成功させるわよ!」
「おう!」
フミちゃんは拳をぎゅっと握りしめて応えた。わたしも、ネムちゃんも、テルちゃんも、力強く頷いた。そうだ、テルちゃんのために、これからのマテリエンヌのために、必ず成功させる!
同じ決意を胸に、わたし達は最初の立ち位置にスタンバイした。今回はカーテンで仕切られた空間に待機し、オープニングの音楽に合わせてカーテンが開かれて登場、というスタイルだ。
いよいよ幕が開く。煌々と照りつけるスポットライトの光に、一瞬目が眩んだ。
だんだんと光に慣れて、目の前に広がる観客席が見えるようになってくる。
刹那、心臓が縮んだ。
……空席が、至るところにある。ステージに上がるようになって以来、こんなに空席ができたのは初めてだ。チケットの売れ行きが芳しくなかったとは聞いていたが、ここまでとは……たぶん、いつもの六割くらいしか来てないのではないか。
ステージ上で並んで立っているから、他のメンバーの姿は横目でしか見られない。わたしの左隣、中央に立つリーダーのサラちゃんも、表情が強張るのを必死に隠そうとしている。さらにその隣に立っているテルちゃんは……明らかにショックを隠せていない。
まずい、不安的中だ。早くなんとかしないと!
わたしが右隣のフミちゃんに目配せをすると、フミちゃんもすぐ気づいて小さく頷く。頼んだよ、アドリブ師匠!
「待ちわびたか皆の衆ー! 進化したマテリエンヌの、お出ましじゃー!」
マイク片手にフミちゃんが声を張り上げると、ファンの人たちも呼応して「おー!」と声をあげるけど、まだまばらだ。
「まだまだ足んねぇぞ! 盛り上がりたいやつPut your hands up!」
『Yeah! Yeah! Wow!!』
いつの間に仕込んでいたのかと思うほど、完璧に揃ったC&Rだった。さすがはフミちゃん、今までのライブには及ばないが、会場の熱気が急激に上がってきた。
「ラストに新曲用意してるからな! 最後までついて来いよ! サラ!」
呆然としていたサラちゃんは、ハッと我に返った。進行役のサラちゃんにバトンタッチだ。
「よぉし! さっそく1曲目いくぞ! 『Piece of Flare』!」
またしてもセットリストの先頭はデビュー曲だった。持ち歌がまだ少ないマテリエンヌの場合、1曲目にふさわしい曲がこれしかないのだ。
とはいえ、明るく激しいこの曲を最初に持ってきたのは正解だった。来客は少ないが、この曲のパフォーマンスに触発されてか、いつもと変わらない盛り上がりになりつつある。時折フミちゃんが、煽るようなアドリブを挟んでいるのも奏功したのだろう。
「いいねー! 今日はお客さんの顔がしっかり見えるよぉ。あっ! テルっちの名前のうちわ発見! ありがとねー!」
「お前ら今日は運がいいぞー! 新しいメンバー入れてさらに進化したマテリエンヌ、その初ライブなんだぜ! 外野はガタガタうるさいが、今日のこのライブを見逃したこと、文句言ってる奴らに後悔させてやるからなぁ!」
フミちゃんが所々で挟んでくる強気のコメントは、テルちゃんにもいい影響を与えた。会場にはもしかしたらアンチもいるかもしれない。だがフミちゃんのアドリブで会場が盛り上がり、いたとしても批判的な行動に踏み切れないだろう。会場全体が受け入れてくれると思えば、テルちゃんにとってはどれほど心強いことか。
次第にテルちゃんはいつもの調子を取り戻し、わたし達との連携も取れてきた。わたし自身も気分が乗っているのか、フォーメーションチェンジでテルちゃんの手に触れても、全く動揺しない。サラちゃんもネムちゃんも、楽しそうに舞い踊り歌っている。
今回のライブは途中のMCが短くなり、代わりにラストの新曲をフルで披露する時間を作った。ようやくその時が来て、サラちゃんはマイク片手に呼びかけた。
「それでは、本日ラストの曲です。今回、プロデューサーや音楽スタッフの皆さんに無理を言って、急ピッチで新曲を書き下ろしてもらいました。中江輝美というメンバーを迎え、新しくなったマテリエンヌを象徴するような曲を、どこよりも早く、皆さんにお披露目したいと思います」
どこよりも早く、という言葉に、会場のファンたちは色めき立った。
「お聞きください。『パレットを開いて』」
サラちゃんのタイトルコールに合わせ、新曲のイントロが流れた。全員で片手を高く上げて、最初のユニゾンに入る。
『♪The Palette of the Rainbow...』
ここから先は、歌うメンバーと踊るメンバーに別れる。最初はフミちゃんとわたしのパートだ。
『♪Sky Blue...あの日見た景色は、いつまでも忘れずに』
『♪泣いたり笑ったりしたけど、ずっと残したいと決めた』
その次はサラちゃんとネムちゃんのパートで、次のBメロはテルちゃんのソロパートだ。
『♪Fire Red...色とりどりの世界に、僕たちは生きていて』
『♪鮮やかな思い出を、心の中に閉じこめた』
『♪流れるメロディー……その色が、変わっていく』
そして最初のサビは全員のユニゾン。一列に並んで、手だけを動かす振り付けを、全員でぴったり揃えて演じる。
『♪赤白黄色青の世界に、新しいページが混じっても、素敵な未来があるように、新しい物語を作ろう』
『♪黒と緑と橙色に、少し薄い紫色を添えて、次のページを染めていこう、心のパレットを、さあ、開いてー……』
間奏を挟んで今度は二番。メロディーはほぼ一番と同じだが、Aメロのパート分けは逆になっている。二番のBメロもテルちゃんがソロで歌い上げ、サビも五人のユニゾンとなった。
そして三番は、いきなりテルちゃんのソロパートで始まる。サビの前半と同じメロディーで、これまでで一番力強く歌い上げる。レコーディングの時も同様だったけど、テルちゃんはこのフレーズへの思い入れが強いようだ。
『♪あの日の僕は無色の世界、空白のページを見つめてた……あなたが受け止めてくれたから、自分の色を見つけたんだ』
そう……テルちゃんはようやく、自分の場所を見つけられたんだよ。だからもう、何も不安に思うことはないんだよ。
ちょっと感極まったわたしは、最後の全員のユニゾンで、やけに熱をこめて歌ってしまう。
『♪黒と緑と橙色に、まだ知らない色が混じったら、素敵な未来があるように、新しい夢を描いていこう』
『♪赤白黄色青の世界が、無数の色で満たされていく! 次のページを染める色は、心のパレットに、きっと、あるからー……』
『♪あなたのパレットを、さあ、開いてー……』
歌い終わりからアウトロまでの間に、フォーメーションを変えていく。最後は全員で一か所に集まってポーズを決めた。会場から歓声と、万雷の拍手が沸き上がる。いつもライブの最後は、達成感と疲れが同時に襲ってくるけど、今日は達成感の方が大きい。
ふと気になって、中心にいるテルちゃんを見た。
今にも泣きだしそうな顔をしている。でもそれは、本番直前の極度の緊張から来ていたものとは、明らかに違っていた。最後までやり遂げられたこと、ここにいるみんなが自分を受け入れてくれたこと……気がついたら最初の不安が消し飛んでいた。そのことが嬉しくてたまらない、という思いが全部表情に現れている。
……作詞家ってすごいな。感情なんて、ぐちゃぐちゃで、とても言葉にできそうもない代物を、歌詞という言葉に落とせるんだから。わたしにはできないよ。
様々な想いが去来する。ぶつかり合う。そして……。
全員のポーズが解かれてすぐだった。
何かに背中を押されたように、衝動的に、わたしはテルちゃんを抱擁していた。
あれと一緒だ、と思った。いつだったか、オレンジジュースにコーヒーを混ぜられた人がいた。あの名状しがたい色合いは忘れられない。あれと同じ気がする。
だから、つまり……飲み込むのが怖い、ってことだ。
劇中曲に関しては、読者の皆さんでお好きなように作曲をしてくだされば。
今回のエピソードは、“色”が裏テーマとなっています。メンバーカラーなどは特に設定していないのですが、たぶん彼女たちも自分のイメージカラーを持っていて、そのうえで新曲に生かしたのではないかと想像できます。輝美はどんな色がふさわしいでしょう?
さて、五人の少女たちの関係が、これからどう動いていくのか、刮目してご覧いただければ。
ブクマ・感想等、お待ちしております。




