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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第6話 石と花
32/48

6-5 はじまりの日

第6章、最終話です。時間空きすぎてすみません。

デート回と予告していましたが、実際はデートに出かける直前の話と、二人の出会いのエピソードをつなぎ合わせています。というわけで副題は「はじまりの日」です。いろんな意味で。

少し積極的になった石好き少女と、好きな人の前では高嶺の花でなくなる体育会系の、格差を気にしないイチャコラも見納めです。


 はじめはただ単純に、すごい同級生がいるとしか思わなかった。

 高校に入学して一ヶ月が経った頃、地学部からの帰りに、校庭のグラウンドを駆け抜けるその人を目撃した。誰とも交流を持とうとしないわたしと違い、入学当初からクラスの人気を集めていて、いつもちやほやされているような女の子が、鬼気迫る表情で走っている。その姿は、この世のものとは思えないほど綺麗だった。

 その女の子の名前は……高峰(たかみね)玲香(れいか)

 心惹かれるものはあった。でも、彼女と関わり合いになろうとは思わなかった。あの人とは住む世界が違う……わたしは隅っこで大人しくしている方が、そして彼女は外の世界に向かって羽ばたく方が、きっと性に合っている。そう思ったからだ。

 実際、同じクラスにいながら、あの人と接点が生じることはなかった。行事などで班が一緒になることもなく、会話を交わすことさえなかった。わたしにとってはなんとなく名前を知っている同級生で、たぶん向こうにとっては、わたしは名前すら知らない存在だっただろう。

 だから、彼女にとっての特別な人に、まさかわたしが選ばれるなんて、思ってもみなかった。彼女はわたしの手を取って、祈りを捧げるように好意を告げた。そして自分でも驚いたけど、私はその好意を、すんなりと受け止められた。

(ああ、そうか……)

 いつの間にかわたし、彼女のことが好きになっていたんだ。

 お互いがその事に気づいた時から、わたしと彼女の交流はスタートした。不安になることはいくつもあったけど、わたしにしか見せない優しい笑顔のおかげで、どんな事でも乗り越えられそうな気がしている。


  * * *


「うぅむ……勢いあまって早く来すぎた……」

 駅に到着したはいいが、わたしのかわいい恋人、石崎(いしざき)(はな)はまだ来ていない。待ち合わせの時間は十時だから、まだ二十分もある。

 なかなかスケジュールを合わせるのに難航したが、ようやく花との初めてのデートにこぎつけられた。交際を始めて八か月以上……ああ、長かった。

 陸上部の練習が休みで、他の友人から遊びに誘われない、そんな日を確保するのがまず至難だった。花と遊ぶためなら友人からの誘いも断るけど、そんなことをしたら友人たちに怪しまれかねない。今まで私用で誘いを断ったことなんてないからなぁ。

 デートの目的地は花の希望で、石集めの大先輩が生まれた所に行くらしい。まあ、メインの目的は石集めじゃなく、その大先輩が関わる観光スポットを一緒に巡ることなのだが。わたしは石集めに付き合ってもよかったけど、これは花がわたしに気を遣った結果だ。

 正直、行く場所なんて、他の友人と出くわす恐れがなければどこでもいい。花と一緒にお出かけする、これがいちばん大事。これを機に、恋人としてもう一段階ステップアップしたりとか……なんてことを目論んでいる。むふふ。

 口角が上がるのを自覚したとき、わたしのスマホがピコンという音を鳴らした。友人の遠山(とおやま)美雪(みゆき)からのメッセージだった。珍しくグループラインじゃなく、わたしだけに向けてメッセージを送っていた。

『そういえば今日だっけ? 初デート頑張ってきなよ~』

 …………。ぷしゅぅぅ。

 顔から火を噴きだしながら、わたしはへなへなと座り込む。

「なんで? なんで美雪にもバレたの? わたしってそんな分かりやすい?」

 姉と、花の部活の顧問に続いて、付き合いの長い友人にも、花との交際を気づかれていた。物分かりのいい美雪のことだし、彼女も花のことを気にかけているから、気づいても誰にも言わないだろうけど……けどなぁ。

 なんだろう、そのうち色んな人にバレそうな気がする……。

「玲香ちゃん?」

 花の声がして、わたしはハッと顔を上げる。

「どうしたの? うずくまって」

 少し前かがみになって、心配そうにわたしを見ている花は、ブラウンを基調とした長めのスカートに、ベージュのジャケットをまとっている。派手さはないものの、落ち着いた装いが大人しめな花に合っていて、まあ、一言でいうならば……。

「かわいい……」

「え?」

「ああいや、いつも制服姿ばかり見てるから、なんか新鮮だなって」

 くそぉ、こういうところじゃないのか、色んな人に交際がバレてしまう要因は。慌てて言い繕いながら、わたしは立ち上がる。

「この前、川に行った時も私服だったけど……うん、せっかくのデートだから、ちょっと頑張って選んでみた。気に入ってくれたなら嬉しい。へへ」

 花は恥じらいながら言う。ああ、もう。ずるいくらいかわいい。

「玲香ちゃんは、前と同じくパンツスタイルなんだね」

「小さい時からスカートなんて穿かなかったからね。やっぱこっちの方が落ち着くから」

「うん……」花はぼそっと呟く。「かっこいい……」

 しっかり聞こえました。あー、飛び上がって喜びたい。おっしゃあと叫びたい。せめてガッツポーズの一つでもさせてほしい。……抑えたけどね。

 さて、おしゃべりはこれくらいにして、早く駅のホームに向かおう。東北本線に合流する上り線の電車は十五分後に到着する。目的地は、岩手県の花巻だ!


  * * *


 東北以外の人には、岩手県といえばわんこそばや朝ドラの舞台という以外に、知られているものはあまりないかもしれない。花巻出身の有名な作家を訊かれて、真っ先に宮沢賢治を思い浮かべられる人も少ないだろう。それでもわたしにとって花巻は、一度は自力で行きたい場所の一つだった。

 宮沢賢治は、幼少期に“石コ(いしっこ)賢さん”と呼ばれていただけあって、石を集めて観察するのが好きだったという。そうした趣味が、自作の童話にも反映されているくらいだ。子どもの時に宮沢賢治の童話を読んで、鉱石にまつわる様々なエピソードに触れるうちに、わたしもいつか、賢治の見ていた世界を、この目で見たいと思うようになったのだ。

 小遣いを貯めながらずっと機会を窺っていたのだが……まさか、大好きな玲香ちゃんと一緒に、デートで行ける日が来るなんて。思わず笑みがこぼれてしまう。

「花、嬉しそうだね」

「うん、まあね!」

 構内を並んで歩く、わたしの足取りは軽かった。

 さて、この駅には自動改札機がないので、切符はホームの入り口にいる駅員さんに見せて、スタンプを押してもらわないといけない。外の町に出たい人にとっては必要な駅だけど、混雑するほど使われるわけでもないから、未だに機械が導入されていないのだ。

 午前十時台だと、ここから電車に乗る人はほとんどいない。わたしと玲香ちゃんがホームに出てみると、本当に閑散としているのだ。いるのは下り電車を降りたばかりらしい、大学生くらいの女の人が一人だけ。

「まだ電車が来るまで時間あるね」

「座って待ってようよ」

 線路と平行に設置されているベンチに、二人で並んで腰かける。肩の高さは揃ってないけど、お互いの肩に寄りかかってみる。……うん、こういうのも恋人っぽい。

 ちらっと、玲香ちゃんの横顔を覗き見る。

 ……やっぱり、綺麗だなぁ。同い年で、しかも誕生日ではわたしの方が上なのに、黙っているとものすごく大人びて見える。友達とおしゃべりしている姿は年相応なんだけどね。

 わたしの視線に、玲香ちゃんが気づいて振り向く。

「どうしたの?」

「あ、えっと……玲香ちゃんって、いつも外でたくさん走ってるのに、肌白いなって思って」

「あー、あんまり日焼けしない体質なんだよね。そういう花こそ、外で石拾いすることが多いのに、あんまり焼けてないね」

「わたしの場合は対策とかしてるから……綺麗に見せたいわけじゃないけど、日光は浴びすぎても体によくないからね」

「そういえば美雪もそんなこと言ってたな……一応洗顔はするけど、あんまり気にしたことないや。ああそうだ、白いで思い出したけどさ」

「ん?」

「ほら、こないだわたしが拾った白いやつ、アレが何だったのかまだ聞いてないんだけど」

 ありゃ、説明し損ねていたか……まさか玲香ちゃんの肌の話からそこに飛ぶとは。難しい話じゃないから、電車を待つ間でも大丈夫かな。

「ああ、あれはね……タマガイシの欠片だよ」

 ポカンとする玲香ちゃん。

「……タマガイシ? あれ、石じゃないって言ってなかった?」

「うん、石じゃないよ。ほら、電線の途中によく、白くて丸い塊があるでしょ。あれは碍子(がいし)って言って、異なる電線同士をつなぐものなんだ。絶縁性と強度が求められるから、昔から有田焼とかの白磁が使われているんだよ。碍子には色んな形があるけど、丸いものは特に玉碍子(タマガイシ)と呼ばれるね」

「ああ……玉の形をした碍子だから玉碍子か。そっか、あれって磁器だったんだ」

「そう。だからあの碍子の破片は、あの場所に電線が通っていた証拠ってわけ。たぶん、電線を撤去したときに、何かの拍子に碍子が外れて、そのまま行方不明になっていたんだと思う」

「そういえば、あの道には電柱も電線もなかったような……でも、結局石じゃないなら、花はどうしてアレを気に入ったの?」

「ふふっ……わたしが前に見つけた鉱石と、ちょっとした繋がりがあるからだよ」

「繋がり?」

 そう……川原であの黄鉄鉱を含んだ石を見つけた時から、わたしはずっと考えていた。あの川の上流でかつて、何が行われていたのかを。

 現在、上流にはダムがある。雨水をためて、川の水量を調節し、地域に安定して水を供給するのに使われるものだが……周辺の道路が全く整備されていないことから、恐らくまともに機能していない。考えてみれば、元から人口が少なく、自然の水は主に農業用水として使っているこの地域では、ダムの需要はほとんどないのだ。川の氾濫を防ぐための堤防は二十年ほど前からあるけど、それ以前に氾濫があった記録がないのに、昔からダムはある。だったら何のためにダムは作られたのか。

 そのヒントかもしれないのが、例の黄鉄鉱だ。黄鉄鉱は鉄よりも、むしろ硫酸の材料になる。昭和の中頃まで、工業用の硫酸を製造するために、あちこちの鉱山で黄鉄鉱を採掘していたらしいから、あの場所でも、硫酸の製造が行われていたとしても不思議じゃない。その製造の過程で使う電力を賄うために、川の高低差を利用した水力発電を使おうとした……そのためのダムではないかと、わたしは考えた。

 やがて石油から硫酸を作る方法が確立すると、黄鉄鉱の鉱山は次々と閉山に追い込まれた。使い道のなくなったダムによる水力発電は、財政的な余裕がなかったのだろう、地元の人たちに電気を供給するシステムも作られず、ただ漫然と水をためている。

 いずれにしても硫酸を作る工場も閉鎖されたから、ダムから工場へ通じる電線も撤去された。その時にどこかへ紛失してしまった玉碍子の破片を、何十年の後に玲香ちゃんが拾ったのだ。

 このことは地学が直接絡んではいないけれど、地質はその地域の歴史にも文化にも関わることが多い。地域の歴史に目を向けることもまた、地学の醍醐味のひとつなのだ。

「花、そんなこと考えてたんだ……そっか、花が見つけた黄鉄鉱と、わたしが見つけた玉碍子の破片は、この町で過去に行われていたことを知る、大事な手掛かりになるんだね」

「今ではもう終わった話だろうし、そんなものを暴いてどうなるわけでもないけど、わたしが知りたいことに、また一つ確信が持てたから、わたしは満足かな。玲香ちゃんのおかげでね」

「いやー……」玲香ちゃんは照れ臭そうに頬をポリポリと掻く。「わたしはそこまで深く考えてなかったし、おかげっていうのも変な感じだけど……でもやっぱり、どんな形でも花の役に立てたって思うと、なんか嬉しいな」

 気恥ずかしそうに、ちょっと困ったように、玲香ちゃんは相好を崩す。こんな表情、わたしの事でしか見せないのかな……だとしたら、不思議な優越感にひたれる。

「……ていうか、電車まだ来ないのかな」

 玲香ちゃんは下り方面を向いて言った。ホームの電光掲示板の脇にある時計を見ると、到着予定時刻まであと二分だった。意外とあまり時間を使ってなかったな……。

 ゆっくりと待とう、そう思いながら何気なく周りを見渡していると、さっきの大学生っぽい女の人が、まだホームにいることに気づいた。下りの電車が出て行って、もう十分以上経っているはずなのに、どうして改札を出ようとしないのだろう。

 腕組みをして唸っている。もしかして、何か困っていることがあるのか? わたしはほぼ反射的にベンチから立ち上がり、その女の人の元へ駆け出した。

「花?」

「ごめん、ちょっと待ってて」

 玲香ちゃんをベンチに残し、わたしは女の人に駆け寄ると、少し呼吸を整えてから声をかけた。まだ女の人はわたしに気づいていない。

「あの……どうかしましたか?」

 振り向いた女の人は、薄くめかしこんでいて、玲香ちゃんよりも大人びている。大学生くらいだろうか。

「あ、えっと……人を探しに来たんだけど、どこを探せばいいか悩んでて」

 女の人はよそよそしい態度で答えた。雰囲気的に都会の人っぽいし、こんな辺鄙な場所で地元民から声をかけられるのは、あまり慣れていないのかもしれない。

「人探しですか?」

「うん……ここ一か月以内に引っ越してきた、モリカワって人で、中学生くらいの娘さんがいるんだけど……なんて、知らないよね」

「ん?」

 わたしは口元に手を当てて、記憶を探った。その条件に当てはまりそうな人を、つい最近見た覚えがある。そう、桜の花とサクランボの描かれた、あの石を見つけた所で……いや、でも念のために確認しておくか。

「モリカワって……どういう字を書きます?」

「え? 木が三つの森と、三本線の川だけど」

 だったらほぼ間違いない。近所付き合いが多いわけじゃないから、本当にその家が女の人の探している所なのかは分からない。だけど、可能性は高い。少なくとも伝えておく必要はある。

「それ、もしかしたら、うちの近所に引っ越してきた家かもしれません」

「えっ、それ、本当に?」

 女の人は驚き、前のめりになって尋ねてきた。

「お姉さんが探している家かどうかは分かりませんけど……」

「ううん、とりあえず行って確かめてみる!」

 そう言って、女の人はわたしの両肩を掴んで迫り寄ってきた。よほど途方に暮れていたのか、手掛かりが得られた途端、興奮しだした。

「案内してくれる?」

「えっと、すみません、今日はこれから出かける所なので……」

「あ、ごめん、つい……」

 我に返ったのか、女の人はパッと手を離した。

「いえ、大丈夫です。簡単ですが地図を書きますから、ちょっと待っててください」

 地学部として地質図を読みこなしてきたこともあって、割と地図を書くのは得意なのだ。このままこの人を放っておくわけにもいかないし、できるだけのことはしないと。

 ハンドバッグから生徒手帳を取り出して、何もないメモ欄に、駅から住宅地までのルートを書き込む。道路が曲がる所や周辺の目印など、とにかく初見でも迷わないように工夫しながら、覚えている限りの情報を詰め込んでいく。

 よしっ……十分に書いたところでページを破り、女の人に手渡す。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます……」

 なぜ敬語? たぶんわたしの方が年下なのに……。

 まあいいや。玲香ちゃんを待たせるのも悪いし、そろそろ戻ろう。

「では、わたしはこれで」

 女の人にぺこりと頭を下げ、わたしはその場を離れて玲香ちゃんの待つベンチへ。ちょっと立ち去る歩みが速いのは、久しぶりに人助けをしたせいで、緊張していたからかもしれない。

「道を教えてあげたの?」玲香ちゃんが尋ねる。

「うん。正解かどうか分からないけど、たまたま知ってる所だったから」

「というか、休日のお出かけに生徒手帳持っていくかね……ま、花らしいけど」

 そんなに変だったかな。学生料金で入れる施設に行くなら、高校生だという証明のために必要だと思ったんだけど……もしかしてさっきの人も、わたしが生徒手帳を取り出したことを変に思って、困惑していたのかな。

 再びベンチに腰かけると、隣の玲香ちゃんが感慨深そうに言った。

「それにしても、出会った頃はあんなに、他人と話すのを怖がっていた花が、見ず知らずの人のために積極的になるなんて……成長するもんだね」

「あはは……確かにね。玲香ちゃんと付き合う前は、気軽に話せる人なんて、家族以外だと秋保(あきう)先生くらいしかいなかったけど……少しずつだけど、色んな人と打ち解けてる気がする」

「花はかわいいし性格もいいんだから、その気になれば何人でも友達作れるよ」

「そうなのかな……でも玲香ちゃんが言うと説得力あるね」

「まあねー! 友達百人目指してるから!」

 玲香ちゃんは胸を張って言った。前に遠山さんが言ってたとおりだ……玲香ちゃんはたくさんの人と仲良くしたいと思っている。それこそ、節操ないくらいに。

 だけど誰とも、深く付き合うつもりもない。一番大事なところには、ここという一線より先には、誰も近寄らせない。玲香ちゃんのことを全部知っているわけじゃないけど、そう心に決めるだけの何かがあって、わたしもそれを無理に探ろうとはしない。誰にでも、触れられたくない過去はある。

 そんな彼女が、どうしてわたしにだけは、誰にも見せない顔を見せてくれるんだろう。どうしてわたしだけを、その一線の先に入れてくれたんだろう。……そんな特別な相手に、どうしてわたしを選んだのだろう。

「ねえ……玲香ちゃん」

「なに?」

「今さらだけど……どうして玲香ちゃんは、わたしを選んだの?」

 その問いかけが予想外だったのか、玲香ちゃんはほんの少し口を開けたまま、動きを止めた。

 二人しかいない、駅のホーム。吹き抜ける風。

 心がざわざわとしながらも、わたしはじっと、玲香ちゃんの答えを待つ。

 まだ答えない。ただぼうっと、虚空を見つめている。

 やがて玲香ちゃんはふっと微笑んだ。

「…………ないしょ」

「えー! 何それ、気になるよぉ」

「ふふっ……そういう花こそ、いつからわたしが気になってたの?」

「まあ、最初に姿を見た時から、何かと気になる存在ではあったけど……」

「あ、答えるんだ」

 彼女と出会い、少しだけ言葉を交わして、そして彼女から告白されるまでの長い日々を、わたしは今でも思い出せる。

「……最初のうちはね、仲良くするどころか、話すことさえおこがましいと思ってた。わたしとあの人じゃ、住む世界が違うって……だから、わたしの意識の中に玲香ちゃんがいても、それはただ“知っている”だけで、それ以上の感情が湧くことはないって思ってたの」

「あー、考えてみりゃ、入学してからずっと同じクラスなのに、最初の半年くらいは会話した記憶が全然ないや」

「だけど、あの日……」


 それは去年の十二月の事だった。わたしは、秋保先生がくれた方解石の結晶を手にもって、廊下を歩いていた。以前から現物を見てみたいと思っていたが、頼んだわけでもないのに先生は、わざわざ旅行先でこれを入手してお土産にしたのだ。

 純度の高い方解石の結晶……実物がお目にかかれるなんてホントに感激だ。この時のわたしは、透き通る結晶の美しさに見とれて、ものすごく緩みきった顔をしていたかもしれない。

「あ、そうだ。結晶越しに空を見てみようっと」

 この時期だと外は寒くて、屋上に出る生徒もほとんどいない。何をしても目撃される恐れはなさそうだ。そう思ってわたしは、屋上に通じる階段を上っていった。

 その先……屋上の手前の踊り場を曲がったところで、わたしは人影を見つけた。階段の一番上に、うずくまるように座っている女子生徒がいる。微動だにしない。両腕に隠れているせいで顔は見えないけど、その様子は尋常じゃなかった。

 どうしよう……もし面倒事に巻き込まれたら嫌だし、かといって彼女をスルーして屋上に行くだけの度胸はない。今日は諦めて、何も見なかったことにして立ち去るか……そう思って方向転換をしたとき、靴底のゴムが床と擦れて、キュッと鳴ってしまった。

 その音に気づいたのか、女子生徒が顔を上げて、わたしの姿を見て声を漏らした。

「あっ……!」

 今度はわたしが気づいて振り向く。女子生徒は呆然とわたしを見ている。

 ああ、これはもうスルーできない……しかもその女子生徒をわたしは知っていた。同じクラスで、恐らく校内で彼女を知らない人はほぼいない。

「えっと……見てた?」

 バツが悪そうに、高峰玲香は視線をそらしてから訊いた。

「あ、はい……あの、高峰さん、ですよね。なんでこんな所に?」

「いや、ちょっと、一人になりたくて……部活でちょっと嫌なことがあったから」

「嫌なこと、ですか?」

「まあ、出る杭は打たれるってやつだよ。無駄にいい記録を残すと、気に食わないって人も出てくるから。それで少し疲れちゃって……悪いけど、ここにいることは、しばらく誰にも言わないでね」

「あ、はい……」

 この頃の彼女が、陸上部でどんな境遇にあったのか、わたしは知らない。だけど、いつも周りに笑顔を見せている彼女が、こうやって一人になりたいと言い出すなら、よほど精神的につらい目に遭っていると想像できた。

 無関係を決め込むこともできた。でも、つらいことを一人で抱え込んで、こうしてうずくまっている姿は、まるで少し前のわたしみたいで……この人には、そうあってほしくない。

 わたしは階段を上り始めた。ペースを緩めることなく進み、玲香ちゃんのすぐ横を通り抜けると、そのまま屋上に通じるドアを開けた。

 冷たい外気が全身を包み込む。澄んだ空気をゆっくり吸い込むと、わたしは手元の方解石を空にかざした。冬の空に浮かぶ雲は、スジ状のものがわずかに見えるくらいだ。しかし方解石の結晶を通して覗くと、雲は薄まって広がり、空は淡く七色を帯び始める……。

「それなに?」

 玲香ちゃんが声をかけてきた。わたしが何をしているのか気になったみたいだ。

「方解石の結晶だよ」

「ほうかいせき?」

「主に炭酸カルシウムでできている鉱物で、これは大きめの結晶だけど、ごく小さい結晶が集まると大理石になるんだよ」

「へー、これと大理石って同じものなんだ」

「方解石には面白い性質があってね……」

 わたしは手で自分の髪を()いて髪の毛を一本取ると、結晶の裏側に髪の毛をあてがった。

「見てごらん」

 玲香ちゃんは少し前かがみになって、結晶越しに髪の毛を覗き込む。

「……あ、髪の毛が二本になってる」

「複屈折っていって、結晶を通したときに物が二重に見える現象だよ。水晶なんかでも見られるけど、方解石が一番はっきりと二重に見えるんだ。羅針盤が発明される前、航海中に太陽の位置を探るために、方解石のこの性質を利用したという説があるんだよ」

「へぇ、不思議……これってどっかで売ってるの?」

 玲香ちゃんの目が輝き始めた。少し不安だったけど、興味を持ってくれたなら好都合だ。

「売ってるかどうかは分からないけど、これは地学部の顧問の先生が、北欧アイスランドへ旅行に行ったときに手に入れたものなんだって」

「アイスランド! そんな所で?」

「純度の高い結晶がたくさん採れるから、別名アイスランドスパーと呼ばれるんだ。わたしはずっと前から存在を知ってたけど、まさか実物を見られるなんて思わなかったな……」

「そっか……綺麗だなぁ」

 やっぱり本当に美しい鉱物は、知識があるかどうかを問わず人を魅了する。結晶を見つめる玲香ちゃんは、心なしか頬が紅潮しているみたいだ。

「高峰さん……一人で抱え込む必要はないよ」

「え?」

「わたしは石集めが趣味だけど、誰にも知られたくなくて、ずっと他人との関わりを避けてきた……でも、自分一人で見つけられるものは限られてる。こんなに綺麗なものも、他人と関わりを持たなかったら、きっと手にすることはできなかった……」

「…………」

「一人になりたい気持ちは分かるよ。でもね、どうしようもなくなったら、閉じこもらずに誰かを巻き込んだ方がいいよ。一人じゃ見えてこないことでも、誰かと一緒なら見つけられるから……」

 呆然としてわたしの言葉を聞いていた玲香ちゃんは、ようやく肩の荷が下りたみたいに、ふわっと優しく微笑んだ。その笑顔を見て、余計なことを言ったかな、というわたしの不安は、いとも簡単に吹き飛んだのだった。


「あったねぇ、そんなこと」

 玲香ちゃんは笑って言った。つらかった日々は、彼女にとってはもう、笑って語れる思い出話みたいだ。

「みんなから高嶺の花といわれるような人でも、ああやって落ち込んで、一人で抱え込んでしまうことがあるんだなって……そうしたら、一気に親近感が湧いちゃって」

「そりゃあわたしだって人間ですから。悩むことも落ち込むこともあるよ」

「あれから少しずつ玲香ちゃんのことを知っていって、一緒にいて温かい気持ちになることが増えていった……で、玲香ちゃんから告白されて初めて、わたしも同じ気持ちだって気づいたの」

「くあぁ……」玲香ちゃんは額を押さえた。「よくそんなこと、平然と言えるね」

 照れているな……彼女は恋愛が絡むと、途端に恥ずかしがり屋になる。これもたぶん、わたししか知らない玲香ちゃんの一面だ。

「わたし、幸せだよ。好きな人と両想いで、こうして一緒にいられて」

「あーっと! 電車来たよぉ。そろそろ準備しなきゃねぇ!」

 タイミングよくやってきた電車を利用して、耐えきれない玲香ちゃんは話をはぐらかした。最近は玲香ちゃんの反応が面白くて、わたしが彼女をいじることが多くなっている。わたしの前でだけ高嶺の花でなくなるのが、なんだか嬉しい。

 玲香ちゃんに続いて、わたしもベンチから立ち上がる。それを狙っていたように、玲香ちゃんの手がわたしに差し伸べられる。

「それじゃあ、行こっか」

「……うん!」

 玲香ちゃんにエスコートされながら、開け放たれたドアの向こうのステップへと、最初の一歩を踏み出した。


  * * *


 ……あの日のことは、わたしにとっても特別だったんだよ。

 高校に入学したての頃、わたしは陸上部で、学校記録を次々と塗り替える活躍をして、誰からも一目置かれる存在になっていた。とはいえ、わたしはそれを鼻にかけるつもりもなく、ただ夢中で走ることができれば、それを見てみんなが楽しんでくれたら満足だった。

 だけど、そんなわたしを妬む人も当然のようにいた。特に上級生の中には、大会などで活躍の機会を奪われていると感じて、快く思っていない人もいたらしい。露骨な嫌がらせはなかったけど、本当にたまに、陰口らしき会話を耳にすることはあった。もちろん部内にもわたしに味方してくれる人はいたが、ピリピリした空気は徐々に広がっていき、陸上部の居心地は悪くなる一方だった。

 張り詰めた空気に耐え切れず、わたしは時々練習を抜け出して、人気のない所で一人になるようになった。

 誰にも相談できなかった。わたしを気に入らない人たちの気持ちも、分からなくはないからだ。あの人たちだって陸上が好きなんだし、下手に誰かに相談したら、あの人たちが一方的に悪者にされる恐れがある。それはわたしの望むことじゃない。わたしは敵を作りたくない。

 なんでこんなことになったんだろう、わたしはただ好きで走っているだけなのに……どうしていいか分からなくて、悶々と悩むだけの日々が続いた。

 そんな時に、花と出会った。

 彼女のことは、少し前から気になっていた。他の女子たちみたいに、わたしに近寄ってはこないけれど、それでも興味があるような素振りがあった。たぶん他人と話すのが苦手なんだろうと思い、無理に声をかけたりはしなかったけど。

 彼女は方解石に絡めて、一人で抱え込まないでほしいと言ってきた。閉じこもらずに誰かを巻き込むことで、見えてくるものがあると……それを聞いてわたしは、少しだけ目が覚めた。わたしはずっと、誰も自分の望み通りにしないだろうと、決めつけていただけじゃないか?

 花はわたしの事情を、深く尋ねてこなかった。やっぱりどこか遠慮がちなところがあったのだ。でも、それだけで十分だった。友人の美雪にも相談したりして、完全に解決はしなかったけど、少しだけ心が軽くなったような気がしていた。

 それ以来、わたしは花と、ちょっとずつ話をするようになった。彼女の石の話は面白くて、練習や人間関係で疲れていたわたしにとって、いい気分転換になっていた。何より、楽しそうに石の話をする花の笑顔に、わたしはいつも癒されていた。この温かな感情を、わたしはずっと、友情のひとつの形だと思っていた。

 それが決定的に変わったのは、二月のある日のことだった。

 一年生最後の大会を間近に控えていたその日、わたしは練習中に転倒した。どんな無茶をしたのか、足首の腱を痛めてしまったようだ。あの、針で骨まで突き刺されたような痛みは、今でもたまに夢で思い出すほどだ。立って歩くことさえままならず、わたしは部員たちに支えられ、必死に痛みに耐えながら保健室に行った。

 校医の先生からは、病院で診察を受けて、場合によっては手術する必要があると告げられた。少なくとも次の大会への出場は、絶望的だろうとも……部員たちの反応はそれぞれだった。かわいそうに、頑張ってきたのに、と本気で心配したり悲しんだりする人もいれば、上級生の中にはあからさまに安堵している人もいた。

 わたしは……確かに悲しかった。つらかった。でもそれは、大会に出られないことじゃない。部員、顧問、友人からも、心配する声、残念がる声、励まそうとする声が寄せられたけど、どれひとつとして、わたしの心には響かなかった。

「そうじゃない、そうじゃないよ……わたしは……」

 誰かがわたしを、高嶺の花だと言っていた。誰も隣に並ぶことを許されない、ただ言葉を交わすだけがせいぜい、特別で親密な関係になることはできない……そういっていた。もしかしたらわたしの思いは、誰にも分かってもらえないのかもしれない……。

 病院の人が来るのを待って、わたしは保健室のベッドにいた。気持ちのやり場が見つからなくて、涙も流さずに悲しんでいた所に、彼女は息を切らして駆けつけた。

「はっ、はっ……高峰さん!」

「花……どうしてここに?」

「さっき、練習中にケガしたって、通りすがりの人が話してて……」

 噂が広まるのは思いのほか早かった。それほど交流があるわけでもない彼女の耳にも入るほど、あちこちで話題になっているらしい。

「いや、まあ、たいしたケガじゃないよ。次の大会に出るのは厳しそうだけど……」

 なんとなく、花には心配させたくないと思ってごまかしたけど、冷静に考えたら、花がどこまで噂を耳にしているか分からないから、あまり意味はなかった。

 花はくしゃりと表情を歪める。そして、つかつかとベッドに歩み寄り、包帯を巻かれてシーツからはみ出ていたわたしの右足を、そっと両手で包み込んだ。

「ち、ちょっと、花?」

 さすがに足を触られるのは、羞恥心が足りないと言われがちなわたしでも恥ずかしい。たぶん赤くなっていたわたしの顔には目もくれず、花はわたしの右足におでこを添えて……。

「…………お願い」

 祈るように呟いた。

「早く……一秒でも早く、元通りになって……高峰さんの大好きなものを、これ以上奪わないでください……お願いします……!」

 涙ながらに、花は祈りを捧げた。

 とくん……

 その、必死の祈りが届いたように、わたしの胸が強く打たれた。

 わたしを心配する声はたくさん寄せられて、何ひとつ心に響かなかったのに、その祈りだけは違っていた。だって……花はちゃんと、分かっていたから。わたしが悲しんでいた、その一番の理由を。

 小さい時から、走ることが大好きだった。わたしにとっては、大会も記録もどうでもいい。ただ思い切り、何も考えずに、気持ちよく走ることができたら、それだけでよかったのだ。そしてその姿を、みんなにも見てほしかった……ただそれだけのことを、わたしはしたかった。

 それができなくなったから、わたしは悲しかったんだ。

 花だけは、気づいてくれた。

 気持ちのやり場が見つかって、悲しくて、それ以上に嬉しくて、想いがあふれ出す。

「……高峰さん? 大丈夫……?」

 視界がにじんでよく見えないけど、花がわたしを心配して、手を差し伸べようとしている。その優しさに触れたくて、その温もりがほしくて、わたしはその手を取った。

 あたたかい……いつもそうだ。花の存在が、傷ついた心も癒してくれる。わたしの気持ちにどこまでも寄り添って、優しく包んでくれる。

 ずっと、ずっとそばにいてほしい。こんな気持ちになるのは初めてだ。わたしにそう思わせるほどの女の子は、どんな子なのか……息を整え、しっかりと目を開き、その姿を捉える。

 ああ…………。

 かわいい。世界中の誰よりも。

 まっすぐに彼女を見つめて、ようやく気づいた。この温かな感情の正体に。

 祈りを込めて、花に告げる。

「ありがとう……花……」

 どうか、届いてほしい。この想いが、余すところなく、彼女の元へ。

「わたし……花が好き。大好き。花にとっての特別な時間を、わたしにください」

「…………!」

 かすかな息遣い。刹那、祈りは繋がった。

「…………はい」

 これが、わたしと花の、はじまりの日。

 きらめきを秘めた石、その傍に小さな花が芽生えた、瞬間だった。


 <第6話 終わり>

感想、ブクマ、レビュー等、お待ちしています~。

さて、無事に6章も終わったところで、後書きという名の言い訳をさせてください。

シリーズの第1話からご覧の方は、何となくお気づきかと思いますが、この作品、回を追うごとに文章量がどんどん多くなっています。キャラへの愛着ゆえか、新しい設定やフレーズがぽんぽん出てきて、最近は収拾がつかなくなっています。今回も1万3千字を超えてしまいましたが、実際はこれでもかなり削った方です。花が服を選ぶシーンもありましたが、丸ごと削りましたし、玉碍子に関する説明も、会話ではなく大部分が地の文になりました。あと、花の名前の由来についても、当初は4話目で入れるつもりでしたが、泣く泣く削ってこの5話目に移そうとして、また結局こっちでも削ってしまいました。……まあ、あまり大事な話じゃないから、削れたのですが。

ちなみに花の名前の由来は、石材屋を営んでいた祖父が、花の産着の模様が花崗岩に似ていると思って、意見のまとまらない両親に代わって名付けた、という設定です。だから4話で玲香が花崗岩を探したいと言い出した時、密かに動揺していた……なんて裏設定がありました。

初回ですでに二人が付き合っていたので、逆に最終話は二人のなれそめにしようと思い、二人の間の問題は4話までに片づけるつもりでした。そしてそのための布石も打っておきました。何とか綺麗にまとめられたと思いますが、玲香のキャラがぶれ過ぎなのは少々気になるところ……まあ、後は皆さんの感性にお任せします。

次章はもっと面倒くさい話になる予定です。しばらく先になりますが、ゆっくり気長にお待ちいただければ。

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