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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第6話 石と花
31/48

6-4 石の傍にも花は咲く

再び玲香のターンです。徐々に最終話に向けてストーリーが動きます。


 針が骨の髄を貫いたような痛みで、目を覚ます。

 呼吸が乱れ、心臓の拍動も激しくなっている。が、痛みは嘘のように消えている。

「はあ、はあっ……夢か……」

 夢には違いない。だけどどんな夢だったか、起きた途端にぜんぶ忘れてしまった。唯一覚えているのは、右の足首に感じた、あの突き刺すような痛み……もうないはずなのに、後遺症のようにしこりが残っている気がする。

 やけに体が冷えると思ったら、全身が汗だくになっていた。普段からそんなに寝汗なんてかかないのに……もしかして、怖い夢を見て冷や汗をかいたのか。子どもじゃあるまいし。

「はあ……シャワー浴びるか」

 ベッドから起き上がり、着替えを持ってお風呂に向かう。面倒なので寝巻のまま。

 水がお湯になるのを待ってから、頭からシャワーの湯を浴びる。べっとりと肌にまとわりつく汗を、丁寧に洗い流すと、少しずつ眠気も覚めていく。

 ……あの痛みを伴ったということは恐らく、時々忘れた頃に見ているあの夢だろう。結構久しぶりな気がする。かわいい恋人ができて、毎日が幸せでいるはずなのに、なんで夢というやつは、現実とは無関係に残酷になれるんだろう。もう、あんな思いはしたくなかったのに。

「でもまあ、忘れる気にはなれないんだよな……」

 シャワーを止めて、目の前の鏡に手を突いてひとりごつ。ぴちゃん、ぴちゃんと、髪の毛先や顎から滴る水が、濡れた床に落ちていく。湯気で視界がぼやける。

 右の足首に触れる。……大丈夫、痛みもしこりもない。あの子が祈ってくれたんだから。

 少しだけ安心感を取り戻し、わたしはお風呂場を出た。体と髪をタオルで拭き、着替えの服を身につけてから、ドライヤーで髪を乾かす。うん、髪が短いと乾かしやすくてやっぱいいや。

 香ばしいトーストのにおいが漂っている。もうほとんど朝ご飯の準備はできているみたいだ。においに誘われるように台所に向かうと、ママが目玉焼きをお皿に載せているところだった。

「いっただっきまーす」

「こらこら玲香(れいか)、その前におはようでしょ」

「はよ」

 わたし自身は「おはよう」と言ったつもりだけど、適当に済ませたせいでア行の音が小さくなってしまった。すでに目玉焼きをトーストにのっけて、かぶりつく寸前だったし。最近はトーストをこうやって食べるのがマイブーム。

「あんたねぇ……というか珍しいじゃない。休日にこんな早く起きるなんて」

「うん……んくっ」口の中のものを飲み込んでから言う。「ちょっと嫌な夢見て起きちゃった」

「嫌な夢?」

「起きた瞬間に忘れちゃったんだけど、痛みを感じた夢」

「ああ、それは確かに嫌な夢だわ」

 深く尋ねることなくママは頷く。次はお味噌汁をいただこう。知り合いのお店で買った味噌を使っているらしく、味噌の香りが絶妙なのだ。

「そういえばパパは?」

「まだ寝てる」ママは呆れがちに言った。「二日酔いだって」

 またか……金曜の夜は調子に乗って飲みすぎて、翌朝までつぶれている、わたしのパパにはよくあることだ。まあ、味噌汁でも飲めばいずれ復活するだろう。というわけで、あったかい味噌汁をまずはひと口。うーん、ほどよい温もりが喉を通って、お腹の中に広がっていく……。

「ぷはぁ〜……あ、そっか。お姉ちゃん、今日帰ってくるんだっけ」

 なぜか味噌汁を飲んだら思い出した。

「お昼くらいにうちに着くって言ってたかしら」

「なんだかんだ一年くらい会ってないなぁ……というかお姉ちゃんはどうして、こういう何でもない日に帰ってきて、お盆とか年末は帰ってこないのかな」

「彼氏と同居しているから、長期の休みには二人でダラダラ過ごしたいとか言ってたわよ。それでも年に一回くらいは、親や妹の顔を見たいんじゃない」

「気まぐれで見に来られてもな……」

 仙台で就職した姉が実家に帰ってくるのは、特に何かあるわけでもない土日と決まっている。いったいどんな計画をもって動いているのか、未だにわたしは分からない。あの姉のことだ、たぶん深く考えてなどいないだろう。

 朝ご飯を終えると、一休みして胃を落ちつけてからジョギングに出かける。陸上部の練習がない休日は、こうやって走る時間を作っている。いつも休日の朝はぐっすり寝ているから、お昼ご飯の時間まで走るとしてもせいぜい二時間くらいだけど、今日は早く起きたから、もう一時間ほど増やすことにした。

 町内をぐるっと回って家に戻り、お昼ご飯にママ特製の塩ラーメン(インスタント麺に野菜やら何やら入れただけ)を食べていると、玄関のドアが開く音がした。姉のご帰還のようだ。

「ただいま〜」

「おかえり、お姉ちゃん」

 真っ先にわたしが玄関に出て姉を出迎える。

「おー、玲ちゃん久しぶり……うおっ!?」

 姉の高峰(たかみね)蓮実(はすみ)、妹の顔を見ていきなり吃驚(きっきょう)の声。

「びっくりしたぁ……玲ちゃんずいぶんバッサリいったね」

「ああ、髪? 色々あって思い切っちゃった。頭軽くなって快適なくらい」

「あんたの頭の重さなんて高が知れてるでしょうに」

 ほっといてくれ。どうせ学校の成績は微妙だよ。

「つか、色々って何よ。あんたまさか失恋でもしたの?」

「なんでみんな同じこと訊いてくるかな……残念ながら失恋ではありませーん。そしてそんな予定もありませーん」

「え、なに? あんた彼氏でもできたの?」

 しまった……調子に乗って余計なことを言ってしまった。事はまだ両親も知らないし、できるなら姉にも知られたくない。

「いや、別にぃ? 彼氏なんてできてないよ?」

「あんたって昔から嘘つけないくせに、何かごまかす時は目をそらすのよね」

 なんで分かるのぉ……たちどころに見抜かれて、泣きたい気分になる。姉の(対妹の)観察眼、恐るべし。

 もうごまかせないと踏んで、わたしは姉に耳打ちする。

「あのね、これはまだパパにもママにも言ってないから、二人には内緒にしといてね」

「あら、姉妹だけの秘密? 面白そうじゃない」

「いや面白がらないでよ……」

 そういうわけで、パパとママへの挨拶もそこそこに、姉を自分の部屋に引っ張り込んだ。

 わたしの自室に入ると、懐かしいと言って、姉はわたしの勉強机の椅子に腰かける。元は姉が使っていたものを、高校卒業を機にわたしに譲ったのだ。だとしても、本人の許可なしに勝手に座らないでほしい……。

「ほう……そう来ましたか」

 わたしの話をひと通り聞いた後、姉は表情を変えることなく言った。彼氏はできていないが恋人はできたこと、それが同じクラスの女の子であること、それゆえに誰にもこの関係を明かせていないことも明かした。

「うぅむ、玲ちゃん昔から、男女問わず好かれていたからね……あんたなら男なんて選び放題だと思ってたけど、よもや数多の男を差し置いて女の子を好きになるとはね」

「変だと思わないの? 女の子同士なのに」

「いいんじゃないの。誰に迷惑かけるわけでなし、恋愛なんて自由でいいと思うよ。むしろお姉ちゃんとしては、妹にもそろそろ春が訪れてくれないかと、待ちわびていたところよ。まあ、父さんと母さんに話すのは後でもいいし、焦る必要はないんじゃない?」

 よかった、姉が寛容で……ここで気持ち悪がられたら、さすがに立ち直れなかった。特に反対はされないだろうと踏んではいたが。

「んで?」姉がぐいっと顔を寄せてくる。「あんたが付き合ってる彼女って、どんな子? かわいい?」

「え、ま、まあ……かわいいよ」

「どのくらい?」

「なんでお姉ちゃん、そんな詮索したがるの……」

「だって気になるじゃん。妹が初めて好きになった人がどんな子か、姉なら知っておく義務があると思うけど?」

 そんな義務はないし、ついでに権利もない。実際わたしは、そこまであの子のことを話すつもりがなかった。他でもないあの子が、自分たちの関係が他人に知られるのを嫌がるだろうから。

 わたしは床に座ってベッドに背中を預けている。そのわたしの隣を取るように、姉はベッドに腰かけた。

「まあいいや。(はな)ちゃん、だっけ。どんなきっかけで付き合うことになったの?」

 ……わたしがどの時点で、彼女を好きになったのか、自分でもはっきりとは分からない。付き合う前から彼女のことは、個人的にどことなく気になる存在だった。でも決定的だったのは、あの日の出来事……つらかったけど、あの子の祈りがあったから、わたしは立ち直れた。あの子は他の誰とも違っていた。その瞬間に、わたしの心はあの子にぜんぶ引き込まれた。

 ……まあ、たやすく他人に話せる出来事でもないんだけど。

「お姉ちゃん、また詮索始めてる……」

「あー、はいはい。言いたくないなら無理に言わせないよ」

「逆にお姉ちゃんは、今の彼氏とどうやって知り合ったの?」

「わたし? 大学のサークルで、忘年会か何かでたまたま席が隣になったとき、びっくりするくらい楽しくおしゃべりできてね……それ以来ちょくちょく二人で会うようになって、一年くらいで、もういっそ既成事実作っちゃうかって感じで」

「すさまじく適当だな……」

「まあ、きっかけが何であれ、大事なのは今が幸せかどうかだよ。初めて会ったときは、付き合うなんてちっとも考えてなかったけど、今はあいつと一緒にいるだけで、すごく幸せって思えるから……わたしもちゃんと、あいつのことが好きなんだって分かるんだよ」

 今が幸せかどうかが大事……それなら迷う余地なく、わたしはあの子と一緒にいる時間を、何より幸せに感じている。間違いなくわたしは、あの子が好きだ。

 でも、このまま変わらずにいられるという保証なんて、どこにもない。

「…………花は」

「ん?」

「たぶんだけど、自分とわたしがつり合ってないんじゃないかって、いつも不安に感じていると思う。あの子は今までずっとひとりぼっちで、誰とも好きなものを共有できなくて、寂しい思いをしてきたから、余計にそう感じるんだと思う」

「ふぅむ……確かに、昔から友達が多かった玲ちゃんとは、対照的だねぇ」

「わたしはあの子が好きだし、一緒にいたいし、あの子のことをもっと知りたいって思ってる。でも、あの子までもが、同じことを考えているとは限らないから……」

「花ちゃんが玲ちゃんと付き合うことに不安を感じる、その事で玲ちゃんも不安に感じてる、そういうことかな?」

 さすが姉、要領を得ない言い方でもしっかり察してくれた。

「まあ、一緒にいればそりゃあ不安を抱えることもあるよ。わたしだってあるし」

「そうなの?」

「だって、今はまだ同居しているだけだけど、いずれ結婚しなきゃならないのかなーとか、お互い仕事が忙しくなったらすれ違ったりするのかなーとか、色々考える事はあるよ。そんなときはちゃんと互いに悩みを打ち明けて、不安も丸ごと共有しちゃうんだ。二人のことで、相手も同じように悩んでくれると分かったら、結構気が楽になったりするもんだよ」

 姉はそう言ってニコリと笑う。恋愛の先輩からのアドバイス、と言わんばかりに。

 きっと姉も、今のわたしみたいにぐるぐると迷っていた時間があったんだろう。そんな時に、彼氏に悩みを打ち明けることで、実際に重荷から解放された気分になった……その答えにたどり着くまでに、どれほどの時間がかかっただろう。打ち明けるのに、どれほど勇気が必要だっただろう。もしかしたら、意外とたいしたことじゃないのかもしれないが。

 この不安を、あの子に打ち明けたら、どんな反応をされるだろうか。かえってあの子の不安を大きくして、関係の悪化に繋がらないだろうか。……やっぱり、怖い。

 ぽん、と頭に手が触れる感触。姉の手はいつもあたたかい。

「中学の時だっけ? 仲のよかった男の子に告白されて、友達でいられなくなるのが怖くて断ったってことがあったよね。そんな玲ちゃんが、自分からたぐり寄せた関係が壊れてしまうのを、怖がるのは当たり前だろうね」

「お姉ちゃん……」

「いいんだよ、怖くても。それはあんたが、その子と一緒にいる時間を大切にしている、何よりの証なんだから。花ちゃんにも伝わるといいね、その想い」

 そうだ……失くしたくない。花と過ごす時間は、まだ続いてほしい。そして、花も同じことを望んでいると、信じたい。

「ま、大丈夫でしょ。花は咲く場所を選べないけど、どこだって咲くことはできるもの」

「何の話?」

「石の傍でも花は咲けるってこと。いつか機会を見て、花ちゃんにも言ってみな」

 姉が何を言っているのか、この時のわたしには分からなかった。でも、石という言葉が出たとき、わたしと花にとって大事なことだとは分かった。その言葉が花の心に響くことを、わたしは願ってやまなかった。


 それから一週間後、わたしは花と一緒に川原へ出かけた。いつもは下校途中の寄り道だけど、今回は休日を利用してのお出かけ、つまり見ようによってはデートと言えなくもない。まあ、花は校外部活動の一環のつもりかもしれないが。

 数日前に花から誘われた時は、そりゃあ飛び上がるくらい喜んだものだ(もちろん飛び上がりはしなかったが)。おおっぴらに付き合うことができないため、これまでデートらしいデートをしてこなかったし、何より花の方から誘ってくれたのがとびきり嬉しい。休日に会うというのも実は初めてだったりする。

 とはいえ、形式的にはもちろんデートではない。花の地学部としての活動に、友情出演よろしく特別に参加しているだけだ。それでも二人きりで外出すれば、とりあえずデートの気分は味わえるかもしれないと思っていたのだ。

 ……二人きりじゃないんだな、これが。

「どうだい、花ちゃん。よさげなもの見つかりそう?」

「やっぱり川の近くまで行かないと難しいですね」

「だよなぁ……次は別の川に行ってみるか」

 部活動、それも部員が花ひとりなので、顧問の秋保(あきう)先生も当然帯同している。花を最初に孤独から救った恩人で、石や地質に詳しいから話も合って、恋人であるわたしにとっては警戒すべき存在だ。

「わたしはもう少しここで探してみますよ」

「おっけー。で? 高峰くんはどんな石をご所望かな?」

 秋保先生がニヤニヤと笑いながら訊いてくる。わたしが地質に関して不勉強なのを知っていて尋ねるとか、意地の悪い人だ。

「そーですねー」わたしは適当に答える。「花崗岩でも見つけようかなー?」

「この辺りの川原にはあまり転がってないよ。ほしければ白っぽい墓石でも探せば?」

「なんでそんな投げやりな対応しますかね、先生」

「鉱石のことも地質のことも知らない人を相手に、やる気なんて出ないわよ」

「生徒が知らないんだから教えなさいよ、先生」

 先生、を強調して言ってるんだけど、この女教師にはまるで響いていない。地学絡みの話のはずだけど、先生の仕事もお休みしているつもりなのか、素人の相手はしたくないらしい。

「まあまあ」花が秋保先生をなだめる。「玲香ちゃんも石に興味持ち始めたみたいですし、邪険にはしないでください。それに花崗岩なら、前にこの川原でも見つけましたよ」

「ちょっと先生」秋保先生を睨む。

「私は見つけたことなかったからねぇ。そこはやっぱり花ちゃんの持ってる力じゃない?」

「持ってますかね……」

 花は遠慮がちに言うけど、この間の黄鉄鉱といい、花にはいい石を探り当てる力があるのではないかと、わたしも思う。

「んじゃあ、この辺りから物珍しい石を見つけるのは、何かと持っていそうな花ちゃんに任せようかと思うんだけど、どうかな」

「期待に応えられるかは分かりませんけどね……先生は?」

「もうちょっと上流に行ってみる。高峰くん、ついて来てくれるかい」

 なぜか白羽の矢が立ったのはわたしだった。

「なんでわたしが!?」

「ほら、こないだも言ったでしょ。今度会ったときにゆっくり話でもしようって。それに花ちゃんに、面倒見るよう頼まれちゃったからねぇ」

 さっきまでやる気出ないとか言ってたくせに……。

 こうして花と別行動をとることが(半ば強制的に)決まってしまった。なんか、さらにデート感が薄れた気がする……。

 上流に向かって堤防の上の道を進んでいくと、下の道と交差するところで舗装は途切れる。ここから先に進もうとしても深い茂みにぶつかってしまうので、一度下の道に入って、上流のある山に続く道路を進んでいく。こっちは一応舗装されているものの、長らく放置されているせいかひび割れや陥没が多い。管理体制はどうなっているのだろう。

「この先って何があるんですか?」

「道路地図を見る限りだと、山の中腹で途切れてるんだよね。近くにダムがあるから、その管理事務所とかに繋がっているんじゃない?」

「そんなに重要な所なら、道路状況を改善するべきですよね」

「まあ、普段ここを通っていない私らが、声を上げる義理はないんだけど。よし、この辺で川に近づくよ」

 そう言って秋保先生は道路から外れ、森の中の獣道みたいなルートに足を踏み入れる。この道(?)を作ったのが獣だろうが人だろうが、どちらにしても知らない人の敷地に踏み込むみたいで気が引ける。……とりあえず、この先生が許可をもらっていると信じよう。

 ふと、視界の端に白いものが見えた気がした。地面に目を向けると、草むらに隠れるように、白くつやつやしたものが転がっていた。少し土にめり込んでいたそれを手に取ると、五センチくらいの大きさで、卵を少し平らに潰したような、名状しがたい形をしていた。指先で叩くとコツコツと固い音がする。石という感じではなさそうな……。

「高峰くん、どうしたの」

 秋保先生に呼ばれてハッと振り向く。先生はすでにかなり奥まで進んでいた。

「あ、すみません。いま行きます!」

「そんな大声で言わなくていいよ……さすが体育会系」

 獣道を慎重に進んでいくと、川の流れる音が聞こえてくる。森を抜けると、ごつごつした岩場の隙間を縫うように、透明な水がさらさらと流れているのが見えた。

「ここが上流……でも、拾えそうな小さな石は見当たりませんね」

「そりゃあ、上流にある大きな岩が川の流れで削られるから、下流で小さな石が見つかるんだもの。ここでは拾わないよ」

「えっ、じゃあ何をするんですか」

 秋保先生はすぐには答えず、マスクとゴーグルを装着して、ハンマーと杭みたいな細長い工具(チスというタガネの一種らしい)を手に取ると、目の前の岩に杭を突き立てて尻尾をハンマーで叩き始めた。あ、これ見たことある……化石の発掘とかで岩を掘るやつだ。

 数回叩いて、やがて岩の端っこが割れて落ちた。先生はその欠片を拾い上げる。さっきから自由奔放だけど、許可は取っているんだよね……?

「うむ、これで十分」

「……その岩の欠片は珍しいものなんですか」

「別に? どこにでもある流紋岩、それも火山灰や火山礫が積もって熱で固まっただけの、ありふれたタイプ。でも割って中を見てみれば、石英や長石の綺麗な結晶が眠ってたりするんだよ。ふふふ……」

 恍惚の表情で岩の欠片を見つめる秋保先生。……鉱物の図鑑を見ている時の花も、よく楽しそうに微笑んだりするけど、ここまで気持ち悪くはないな。

「さてと」先生は身をひるがえし、森の中へ。「ここなら誰もこないだろうし、ゆっくり君の話も聞いてやれるね」

「ん?」

「君と花ちゃん……付き合ってるんでしょ」

 …………。

「おやおや、とっさに誤魔化すこともできないか」

 その通りだった。言われた瞬間、頭の中が急に雲の中みたいに真っ白になり、何ひとつ言葉が出てこなかった。我ながら情けない。

「……いつから気づいていました」

「初めて君と部室で会ったときに。まったく、私の目の前で堂々と花ちゃんをデートに誘っておいて、気づかれてないとでも思ったのかい」

 あー……わたしは恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆う。あの時はちょっと気が急いていたというか、花をわたしの所に繋ぎ止めようと焦るあまり、人の目を気にする余裕もなかった。そうだよ、あんなことしたら、見る人が見れば気づくだろうに。

「しかしまさか、学校中の人気者である君が、こともあろうに同性の子を選ぶとはね。周りから色々言われるだろ」

「いえ、周囲には隠しているので、特に何か言われたことは……」

「よく今までばれなかったわね」

 そう言われるとぐうの音も出ない……わたしの迂闊な行動のせいで、秋保先生にもバッチリ知られてしまったし、ついこの間も姉に打ち明ける羽目になったし。花と付き合い始めてからどうも、落ち着きが足りない気がする。

「やっぱりあれかい、女同士で付き合っていると知られるのは怖いか?」

「それもありますけど、花に何か起きることの方が怖いので……」

「まあ、君と花ちゃんだと、つり合ってないって言う人が現れても不思議はないね。別に当人同士が決めたことなら、そんなのは些細な問題なのに」

「わたしもそう思いますけど、他ならぬ花が、そう思っている節があって……正直、わたしもちゃんと花と付き合えるのか、自信がないんです」

「ほう」

「わたしは石のことに詳しくないし、まともに話すようになったのも二年生になってからで、あの子のことをどこまでも知っているわけじゃないんです。実際わたしよりも、先生の方が話が合うみたいですし……」

「ぷっ」

 秋保先生は突然噴き出した。その表情がバカにしているみたいでムカつく。

「……なんですか」

「ははは……なるほど、だから私のことずっと警戒してたわけね。花ちゃんを取られるかもと思って」

「ぐっ……」

「心配しなくても、私は女子高生なんか興味ないよ。あの子は同じ鉱物好きとして、かわいがっているだけさ。だから私のことなど気にせず、存分にイチャコラすればいい」

「イチャコラって……」

「とはいえ、私が手を出さないと言い切っても、君の不安は拭えないか」

 色々と悔しいが、秋保先生の言うとおりだ。今さら花が他の人になびくとは思わないし、他の人が花を狙わない限りは心配していない。それでも、花がわたしと付き合うことに不安を感じていないか、そういう懸念は残るのだ。

「わたしは……花のために何ができるんでしょうか」

「あの子のことを思うなら、本人の意思をないがしろにするのが一番よくない。結局、二人がちゃんと話し合う以外に、道をひらく方法はないよ」

 秋保先生は何やら木の根元を探りながら言った。確か姉も似たようなことを言っていたような……。

「分かってますけど、やっぱり怖いですよ……下手をしたら、やっぱり不釣り合いなんじゃないかと、思わせてしまいそうですし」

「確かに花ちゃんなら、そう思ってもおかしくないかもね。まさに『石に花咲く』ようなもの、なのかな、二人の関係は」

「え?」

「決して起こりえないことの例えよ。花ちゃんにとって自分は石ころみたいなもので、高峰くんはいわば大輪の花……諺どおりの関係だと思っているかもね」

 わたしは自分のことを花にたとえたことはないけれど、もし花にそう見えているなら、この関係そのものが、ありえないことのように思われるかもしれないのか……いけない、わたしの方が落ち込みそうだ。

 ―――石の傍でも花は咲ける。花ちゃんにも言ってみな。

 不意に、姉の言葉が脳裏をよぎる。もしかして、姉が言いたかったのは、こういうことだったのだろうか。ならば、わたしが花に告げるべきことは……。

 その時、不気味な高音が耳の奥に響いた。

「おっと、もうこんな時間か。高峰くん、早く戻ろう」

 秋保先生がそう言うってことは、この音はたぶんアレなんだろう。

 なんか……胸がざわざわする。心が警鐘を鳴らしている。よく分からないけど、とんでもない危険が切迫しているような……そんな気がする。

「花……」

 そうだ、あの子が危ない。

 飛び跳ねるように、わたしはその場を駆けだした。森の中を掻き分けて、さっきの道路へと急ぐ。一刻も早く、あの子の元へ行かなければ……その一心で。

「ちょっとちょっと、そんなに急がなくても」

 秋保先生は悠長にしているが、構っている場合じゃない。わたしはひたすら走る、走る。

 穴ぼこだらけの下り坂を、脇目もふらず駆ける。

 いつもならこの程度の距離を走っても平気なのに、やけに息が乱れる。頭の中がぐちゃぐちゃになっている。きっとわたしは冷静さを失っている。

 堤防の上の道に出る。まだ下は茂みになっていて、川の様子は分からない。

 一心不乱に駆ける。もつれそうな両足を、無理やり前へ振り切っていく。

 やがて茂みがなくなり、視界が開けると、すでに増水が始まっている川が見えた。

「はなぁ―――っ!」

 最愛の恋人の名前を、大声で呼ぶ。

 立ち止まる。息も絶え絶えで、疲労のあまり俯きそうになるが、ぐっとこらえて顔を上げる。徐々に水かさが増していく川……その周辺に、花の姿はない。

「は、花……」

「どうしたの? 玲香ちゃん」

 慣れ親しんだ声がして、わたしは振り向く。

 わたしの立っている堤防の上、すぐ目の前に花はいた。

「すごい汗だよ? 息も乱れてるし……走ってきたの?」

「花……放水のサイレン、ちゃんと聞こえてたんだね……」

「え? いつも川に行く時は、水位情報とか確認してから行くから……ダムの放水が始まる前に堤防に上がるのは、川で行動するときの基本だし」

 ああ、そうだ……花は何度もここに来ているんだ。サイレンを聞かなくても、放水の始まるタイミングは知っているし、増水に備える対策くらいしている。わたしが心配することなんて、何もなかったのに……。

 安心したら、糸が切れたように全身の力が抜けて、わたしは地面にへたり込んだ。

「ちょっ、玲香ちゃん、大丈夫?」

「よかった……」

「え?」

「花に何かあったら、わたし、もう……」

 言葉にならない声が溢れ、涙も出ないのに泣いている。なんか色んな思いがごちゃごちゃに混ざり合って、何を言えばいいか分からない。

 そんな情けないわたしを、呆然として見ていた花は……わたしの前で膝をついて、そっと背中に手を回した。花の体温を、吐息を、感じる。

「玲香ちゃんの泣いてるとこ、久しぶりにみたかも……あの時以来?」

「そうだね……ごめん、狼狽(うろた)えちゃって。花がいつか、わたしから離れるのかもしれないと思ったら、急に不安になってきて……」

「わたしが、玲香ちゃんから?」

「うん……わたしは花と一緒にいたいけど、もし花が自分のことを、わたしとつり合わない存在だと思っていたら、いつか離れるんじゃないかって……」

 耳元にかすかに聞こえていた、花の息遣いが止まる。もしかして、気を悪くしたかな……流れるままに言ってしまったけど、やっぱりそう思われるのは心外だったかな。なんだろう、心臓の動きが気持ち悪い。

「……気づかれないように、してたつもりだったんだけどなぁ」

「花……?」

「ごめんね、玲香ちゃん。今まで言えなかったけど、付き合い始めたときからずっと思ってた。わたしみたいな、陰気で地味な女の子が、玲香ちゃんみたいな高嶺の花と付き合っていいのかって……玲香ちゃんにはもっと、いい相手がいるんじゃないかって思ってた。そんなの、わたしを選んでくれた玲香ちゃんに失礼だって、分かってるのに……」

 花はわたしの右肩に顔をうずめて、むせび始める。花の震えが伝わってくる。

 同じだ……花には秋保先生みたいな人が似合うのではないかと思っていた、わたしと。わたしが花を選び、花がそれに応えてくれたのに、お互いの心の底にはずっと、他に似合う人がいるのではないかという不安があった。

 でも、不思議だけど、同じ不安を抱えていると分かったら、一気にその不安は薄れていった。姉の言ったとおりだ……不安を共有したことで、気が軽くなった。うん、今なら、言える。

「石の傍でも、花は咲けるよ」

「……え?」

「石の上に花は咲けないし、花は咲く場所を選べない。でもね」

 わたしは花の両肩を掴んで引き離し、花のかわいらしい顔を真正面に捉えた。

「わたしは、あなたの傍で咲くって決めたの!」

「…………!」

「周りがなんて言おうと、不釣り合いだって思われようと……わたしは花が好きだから、何があっても絶対、花と一緒にいたい!」

 唐突な決意表明に、花は呆然として見つめ返している。冷静に考えたらわたし、ものすごく恥ずかしいことをしているけど……もう恥なんて知ったことか。

 こつんと、お互いの額をくっつける。

「だから、お願い……わたしから離れないで」

「…………」

 もう花の顔を見返す度胸はなかったけど、一体どんな表情をしているかなぁ。緊張と恥ずかしさに加えて、彼女との距離を詰めすぎているせいで、胸のドキドキが止まらない。

 すると花は、額同士をくっつけたまま、肩にのっていたわたしの両手を取って、指を絡めながら握った。

「玲香ちゃん、ありがと……わたしを選んでくれて」

 額がそっと離れ、花の、潤んだ瞳と、柔らかな微笑みが見えた。

「これからもずっと……一緒にいようね」

 ああ……もう、何を思えばいいのだろう。今はただ、舞い上がりたいほどの嬉しさを、目の前の少女への愛おしさを、みんないっぺんに抱きしめてしまいたい。

 言葉を交わさなくても、わたしと花は自然と、もう一度額をくっつけ合う。笑い合う。今度こそちゃんと、二人の気持ちが通い合ったみたいに。

「なーんだ……」

 そんなわたし達を、後から駆けつけた秋保先生は羨ましそうに見ていた。

「お似合いじゃないか……二人とも」


 川が増水したことで近づけなくなったので、この日の石拾いは終了となった。さすがの“持ってる人”花は、すでにいくつか気に入ったものを見つけて拾っていた。

 帰り道の途中、わたしは山の中で拾った白いものを花に見せた。

「なんだと思う? これ……」

「どう見ても人工物の破片じゃないか。地学部の守備範囲外の代物だよ」

 聞いてもいないのに秋保先生が口を挟んでくる。とりあえず無視するか。

 花は白い塊を、舐めるように見回したり、爪で叩いたりして、真剣に調べている。

「金属っぽい音、なめらかな白、それにこのカーブを描いた形……うん、面白い」

 満足そうに頷く花。どうやらお気に召したみたいだけど、説明がないから何のことやら。

「面白いの? 花ちゃん」眉をひそめる先生。

「はい。この間わたしが見つけた、黄鉄鉱の隣に置いておきます」

「何がそんなに気に入ったんだか……まあ、花ちゃんの好きにしていいけど」

「それってそんなに珍しい石なの?」

「石じゃないんだけど……そのうち、二人きりの時に話したいかな」

 少し恥ずかしそうに花は言った。……いや、いやいや、そんな表情で誘ってくるなんて、どんな暴力だ。わたしの理性が壊れかけているぞ。

 まともに顔を合わせられないのが情けないけど、花からの提案だし、彼女がどんな理由でわたしの拾い物を気に入ったのか知りたいし、断るつもりなんてさらさらなかった。花の手をきゅっと握って答える。

「う、うん……聞きたいな、花の話」

「今度は二人でお出かけしようね。うふふっ」

「別にいいけどさ……人前で堂々とイチャコラするのも考えものだな」

 わたしと花の仲を見せつけられている先生は、ちょっと機嫌悪そうでもあった。でも、すでに二人だけの世界が出来上がっていたわたし達に、その不満げな態度は見えなかった。

 そして約束どおり、わたしと花は次の休みに、正真正銘ふたりだけのお出かけ……恋人になってから初めてのデートに行くことになるのだ。

石と花、この章のタイトルに込めた意味を、ようやく回収できました。二人の幸せな関係が、末永く続きますように……。

2020年一発目に、この章の最終話として、花と玲香がデートに行くエピソードを投稿する予定です。と言いつつ、物語のメインはデートではありません。そして第3話の伏線を回収するため、あの人も登場します。どんな構成になるかは、来年の更新をお待ちいただければ。

この第4話で、玲香が見つけた白い物についても触れる予定でしたが、これ以上文量を多くするのは厳しいので、次の最終話に回すことにします。謎解きとしてはそんなに大層なものではないので、気楽に構えていてください。

それでは、幾人か閲読されていることを期待して、よいお年を!

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