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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第6話 石と花
30/48

6-3 開花

再び花の視点に戻ります、第3話です。

地学部顧問の先生も登場し、少しずつ花を取り巻く世界が広がります。


 わたしはずっと、狭い部屋の中に、ひとりきりでいた。

 他には誰もいないから、思考は生まれない。

 思想は生まれない。

 感情も生まれない。

 それゆえの争いも生まれない。

 触れられるものは、人間とは無関係に存在してきたもの……その中でも、わたしにクオリアを与えたものだけが、目の前にある。それ以外のあらゆるものをシャットアウトし、自分だけの世界を作ってきた。

 心はいつも凪いでいた。波も流れもなければ、削られるものもない。腐るものもない。

 このまま安らかな時間を、ずっと過ごせたら……そう思っていた。

 だけど、きっかけはどこに転がっているか分からない。

 あるとき、何の前触れもなく現れた小さな光に、わたしは心を動かされた。その光に触れたとき、わたしは初めて知ったのだ。

 わたしの世界を優しく、柔らかく包んでいた光が、忌み嫌っていたはずの部屋の外にあったということを……。


 小石に絵を描いてあちこちに置いて、拾ったり交換したりする遊び、WA ROCKがささやかなブームになって、二週間が経った。さすがに学校の生徒みんなが熱中するほどではないけど、この地域でちょっとした話題を呼び、小さな子どもたちの間にも広まったと聞く。

 ツイッターでこの地域のことを検索すると、様々にユニークな絵が描かれた石の写真が見つかる。川原、土塀の上、家の軒先など、色んな所に置いているみたいだ。「上手くできたかな?」とか「探してみてね」などのツイートも目立つ。本来のWA ROCKは、こうやって作品や置いた場所を公開するものじゃないけれど……まあ、遊びはもっと自由であるべきだよね。

 朝からわたしは、WA ROCKが着実に広まっている現状に、心ホクホクとしながら学校に向かっていた。最初に始めたのは実はわたし、石崎(いしざき)(はな)なのだが、それは誰にも言わないと決めている。謎のままにしておいた方が面白い……わたしの大切な人がそう言ったからだ。そしてその人だけが、この秘密を知っている。

 二人だけの秘密……なんて甘美で素敵な響きなんだろう。

「ふふっ……次はどんなのを用意しようかなぁ」

 歩みを弾ませながら、わたしは手持ちの石たちからイメージを膨らませていた。細長い石だと動物の体をぜんぶ描けるから、色んな種類が描ける。サル、クマ、シマウマ……変わり種で雪ダルマなんてのも。他の人が描いたものを見ると、たまに「そうきたか」と思わせるほど変わったものがあって、わたしが作るときの参考にもなる。

 あぁ、楽しいなぁ。一人でやっている時は気楽だったけど、たくさんの人たちの、石に込めた感性に触れることで、自分の世界がぐんと広がったみたいだ。

「あっ、ここにも……!」

 通学路の途中でも見かけることがある。一戸建ての住宅が集まっているエリアと、田んぼが広がるエリアの、ちょうど境目に当たる所は、人通りがあって隠し場所にも困らないから、絶好の探索スポットなのだ。この日の朝に見つけたのは、桜の花とさくらんぼが描かれた石だった。

「へえ、色合いが淡くてキレイ……ふふっ、これも拾っていこうかな。あれ?」

 すぐそばの一軒家を見て、わたしは違和感に気づいた。

 生まれたときからここにいたから知っているけど、この家はしばらく買い手がつかなくて、無人状態だったはず。その家の郵便受けに、『森川』という見知らぬ名前が書かれているのだ。

「新しく引っ越してきたのかな……あっ」

 じっと見ていると、その家の玄関ドアが開いて、中学生くらいの女の子が出てきた。この地区の中学校の制服を着ている。

「行ってきまーす……」

「はい、行ってらっしゃい」

 家の奥から母親らしき人の声が聞こえてきた。女の子は小顔で可愛らしい容姿だけど、朝からなんだか元気がない。転校して来たばかりで、まだ馴染めていないのかな……。

 あ、いやいや。じっと見るのはよくないな。不審者と思われるのも嫌だし、よく知らない人と関わるのもできるなら避けたい。

 少し気になることはあるが、わたしは駆け足でその場を離れた。

 この時、慌てて走りだしたせいか、せっかく見つけた桜の絵の石を置いてきてしまった。学校に着いてから、その事をちょっと悔やむことになる。


 四時限目の授業が終わると、みんなこぞってお弁当タイムに突入する。ほとんどの人は同じメンツでグループを作って、一ヶ所に固まって昼食とおしゃべりに花を咲かせる。

 そしてわたしはというと……いつもぼっちで食べている。

「さてと、部室行くかぁ……」

 誰とも一緒に食べない代わりに、教室を含めてあちこちに出向いている。……さすがにトイレは衛生環境が悪いから行かないけど。今日は地学部の拠点である地学準備室に行くつもり。

 椅子から立ち上がって、お弁当袋を手に提げて教室を出ようと、出入り口に視線を向けたとき……バチッと、あの人と目が合った。

 高峰(たかみね)玲香(れいか)。クラスメイトにして、学校で一番の人気者にして、わたしの……うわ、改めて言葉にするとすごく恥ずかしい。

 ど、どうしよう……目が合った瞬間にお互い固まってしまったけど、わたしから何か言い出すべきなのかな。でも普段から人の目がある所では、そんな親しくしているわけでもないのに、いきなり声をかけるのは不自然な気も……。

 わたしがぐるぐる迷っていると、玲香ちゃんはすぐそばにいた友人の遠山(とおやま)美雪(みゆき)に何やら話しかけてから、わたしの所につかつかと歩み寄ってきた。

「え? え?」

 戸惑うわたしの肩に手を回し、顔を思いきり近づけて玲香ちゃんは言った。

「ねえ、花。お昼一緒にどう?」

「ち、近っ……えっ、お、お昼?」

「そっ。美雪も一緒になるけど、いいかな」

「で、でも……わたし、遠山さんと話したことなんて……」

「いいじゃない。花がそういうの苦手なのは知ってるけど、たまには誰かと一緒のランチもいいと思うよ。ねー、行こうよー」

 そう言って自分の体ごとわたしを揺すってくる玲香ちゃん。なるほど、誰とでも仲良くしたい彼女なら、強引に誘っている風を装って、わたしを自然に関わらせることができるわけだ。……ちょっと距離感がおかしくて、胸のドキドキが治まらないけど。

「た、高峰さんが、そこまで言うなら……」

「よし決まり! というわけで美雪、花も連れてくからよろしく〜」

 玲香ちゃんはわたしの手を引いて遠山さんの元へ。遠山さんは、仕方ないと言わんばかりに、肩をすくめながらわたしを見た。

「よ、よろしくお願いします」

「石崎さん。同級生なんだから、かしこまらなくてよくない? むしろ誕生日的には石崎さんの方が年上だと思うけど。わたし1月生まれだし」

「花は?」玲香ちゃんが尋ねる。

「ろ、6月生まれ……」

「ほら、やっぱり石崎さんの方が年上じゃん。もうちっとリラックスしていいんだよ?」

 遠山さんはわたしの肩をポンポンと優しく叩きながら言った。よかった……少しは気を許してもいいみたい。

 今日は屋上に出て食べるというので、三人でまず階段に向かう。途中の廊下で、玲香ちゃんが先頭を歩き始めたので、わたしと遠山さんが自然と隣同士に。

「なんか巻き込んじゃってごめんね。あいつ、友達百人作りたいとか言い出すのよ。高校生にもなって言うかね、そんなこと」

「あはは……高峰さんらしいね」

「でもあいつ、特定の誰かと深く付き合うってことはしないんだよね。誰とでも仲良くしたいけど、誰とも親友になる気はない……みたいな」

 そうなのか……確かに玲香ちゃんはたくさんの人と仲がいいけど、いつも一緒にいるような友人というのは見かけない。遠山さんは比較的仲がよさそうだけど、部活も違うし、教室でおしゃべりするくらいしか、一緒にいるところは見ない。

「だから高嶺の花なんて言われるんだね。まあ、そのくらいの方が気楽だけど」

 サバサバしてるなぁ……遠山さんは淡白な付き合いでも気にしないだろうけど、わたしにとってはあまり穏やかでない話だ。そんな事はないと思っていても、この関係にもいずれ終わりが来るのでは……という不安は常にある。

「石崎さんって、結構高峰から話しかけられること多いけど、付き合いはある方なの?」

「つきっ……! え、ええっと、どうかな……他の人と比べたことがないから、そういうの聞かれてもよく分からない、かな」

「ふうん……そういえば石崎さんって、何部に入ってたっけ」

「部活? 地学部だよ」

「地学部……うちにそんな部あったっけ」

「あったよ、結構前から。まあ、今年わたしが入らなかったら廃部になってたけど」

「あらま。石崎さんって地学好きなんだ」

「ま、まあ、それなりに……」

 嘘です。小学生の頃からめっちゃ好きです。

「地学部の顧問って誰?」

「地学担当の秋保(あきう)先生だよ」

「あー、あの豪快な女の先生か。あれ、あの人って女バスの顧問じゃなかった? 掛け持ち?」

「そうそう。本人は地学部の方にもっと顔出したいってぼやいてるけど」

「女バスの方が大所帯だろうに……それじゃあ、部活のときは先生と二人きりなんだ」

「活動時間の半分くらいは一人だけどね……」

 この間は玲香ちゃんがきてくれたおかげで、ひとりじゃなかったけど。

 ところで、さっきから全く会話に参加していない玲香ちゃんが、なぜか不満そうに口を尖らせている。仲間外れにされているのが気に入らないのかな。

「……ねえ、さっきから二人でなに話してるの?」

「別にー? 高峰のワガママに付き合わされてさぞ気の毒な、って話をしてたの」

「さらっと人をディスるんじゃねぇ」

 もちろんこれは冗談だけど、わたしは特に、気の毒に思われるような扱いを受けてはいない。

「だ、大丈夫だよ。迷惑とは思ってないし、誘ってくれてうれしいし……」

「ほらぁ、花もそう言ってるじゃん。ったく、美雪はもうちょっとわたしに対して信頼というのを持ったらどうなの」

 玲香ちゃんは前髪の端を指でクルクルといじりながら、ぶつぶつと文句を言う。その様子を見て、わたしはふと気づいた。

「そういえば高峰さん、髪伸びた?」

「ん? あー、そうかもね。ここ最近、床屋に行く時間がなくてね。そのうち行こうとは思ってるんだけど」

「高峰、女子ならそこは美容室って言うところじゃないの」

「え、だって店員さんが床屋って言うから」

「なるほど、あんたに美容は縁がないのね……」

 がっくりと肩を落とす遠山さん。玲香ちゃんは顔立ちこそ綺麗だけど、髪にはまるでこだわりがないらしい。

「にしても石崎さん、よく髪のこと気づいたね。こいつ普段から肩まで伸ばしてるから、一緒にいたわたしも分からなかったのに」

「高峰さん、普段は髪をいじったりしないから、もしかしたら気になり始めてるのかなって」

 素直に答えたら、玲香ちゃんと遠山さんは揃って、わたしを無言でじーっと見てきた。あれ、わたし、何か変なこと言ったかな……。

「…………。石崎さん、高峰のことよく見てんね」

「へ?」

 遠山さんは突然ニヤリと笑うと、わたしの肩に手を回して、急に距離を縮めてきた。

「なんだなんだ、キミもしかして、高峰の隠れファンってやつなのかー?」

「い、いや、そういうわけじゃ……!」

「ねー、それより早く屋上行こうよ」玲香ちゃんがお腹を押さえながら訴える。「もうお腹ペコペコなんだけど」

「へいへーい。さ、高峰がうるさいから早く行こう」

「う、うん……」

 遠山さんに促されるまま、わたしも二人に続いて、屋上へ続く階段を上り出した。

 気のせいかな……玲香ちゃん、わたしと遠山さんが話しているのを、たびたび遮っているというか、あんまり快く思っていないような……まさかね、そんな狭量な人ではないはず、たぶん。

 ちなみにお昼の弁当だが、玲香ちゃんが持ってきた弁当を見て、わたしは唖然となった。

「……ひとり分、だよね?」

「毎回普通サイズ二個分を用意してくんのよ。さすが体育会系」

 見慣れているらしい遠山さんは、涼しげな顔をしていた。そして玲香ちゃんも、涼しい顔で二個分の弁当を(ついでにわたしからもらった卵焼きも)ぺろっと平らげた……。


 その日の放課後、地学部に玲香ちゃんがやって来た。前回訪ねてきたときよりも、かなり時間が早いのだが……陸上部はどうしたのだろう。

「サボった」

 わたしが訊くと、玲香ちゃんは悪びれなく言った。

「えっ……いいの、それ?」

「一日くらい休んでも体はなまらないし、ここ数日は通常よりハードな練習をして、一回休みを挟む口実を作ってきたからね」

「努力の方向性がおかしいような……」

 玲香ちゃんが走るの好きなのは知っているけど、今はわたしの方が優先順位高いみたいだ。喜ぶべきか怒るべきか、複雑な気分になる。

 そんな話をしている所にもう一人、白衣を着た女性が引き戸を開けて入ってきた。

「ほいーっす。あれ、お友達?」

「え?」

「あ、先生」

 顧問の秋保先生である。ボサボサの短髪に化粧っ気のないすっぴんの肌、ヨレヨレの白衣のポケットに片手を突っ込んで歩くという、ルーズな性格のお手本のような人だが、これでも三十代半ばのレディである。と、本人は言っている。

「えっと……この人が顧問の先生?」

 玲香ちゃんは戸惑いがちにわたしに尋ねた。

「うん。そういえば玲香ちゃんは初めて会うよね」

「玲香ちゃん?」秋保先生がその名前に反応する。「ああ、君もしかして、高峰玲香?」

「そうですけど……ご存じなんですか?」

 なぜか玲香ちゃんは先生に対して警戒心を露わにしている。初対面の人を警戒するなんて、人見知りと無縁な彼女からは考えにくいけど。

「学校中の生徒から話題にされているからね、受け持っている授業に出ていなくても分かるさ。けどまさか、花ちゃんと親しいとは知らなかったね」

「花……ちゃん?」

 頬が引きつっている玲香ちゃん。言い忘れていたが、秋保先生は気に入った生徒のことは“ちゃん”付けで呼ぶのだ。そうでないと名字に“くん”をつけて呼ぶのだが。

 秋保先生は自分が使っている席に、ドスンと勢いつけて腰かけると、机に置いていた四角い缶の箱からポッキーを取り出して食べ始めた。部室に来るときは大体、真っ先にやっている。

「えっと、親しいってほどでもないんですが……」

「そうかい? 陸部の練習サボってまで、こんな僻地に足を運んで語らってれば、親しいようにしか見えないけどね。ま、陸部の岡村(おかむら)先生には黙っとくから、ゆっくりしてきな」

「すさまじく自由な人ですね……来客の前でお菓子食べたり、サボりを黙認したり」

「まあ、地学以外のことだといい加減だからね、秋保先生……」

 わたしはもう慣れたけど、やっぱり初めて見ると呆然とするよね。

「そういえば先生、京都の学会に行ってきたんですよね。どうでしたか?」

「どうと言われても、目をみはるほどの面白い話はなかったな。先行研究の焼き増しみたいなもんばかりだった。まあ、画期的な発見や手法なんて、そうそう出てくるもんでもないけど。それよりも、せっかく京都まで行ったってことで、花ちゃんが喜ぶおみやげを持ってきたんだ」

「何ですか? おみやげって」

 いい加減な性格だけど、わたしへのおみやげはなかなか外さないのが秋保先生なのだ。先生はスマホを白衣から取り出して操作すると、わたしに向かってポイと放り投げた。

「わわっ……」

 慌てながらキャッチして、スマホの画面を見る。隣にいた玲香ちゃんも覗き込んできた。

「ああっ! これってもしかして、桜石(さくらいし)ですか!?」

「ご名答。さすがだね、花ちゃん」

 スマホの画面に映っていたのは、六枚の花びらをつけた花が描かれたような、小さな石の数々だった。真鍮のような光沢を放ち、たまに本当に桜みたいな薄紅色になっているものもある。図鑑で見たときから、一度実物を拝んでみたいと思っていた美しい石が、ここにある。

 ああ、やばい、やばい。興奮が止まらない。

「へぇ〜、本当に花の形をしてるんだ」玲香ちゃんも目を見開いている。「これって植物の化石か何かですか?」

「……キミ、鉱石のこと何も知らないな」

 秋保先生が心底呆れたような視線を玲香ちゃんに向ける。むくれる玲香ちゃん。

「仕方ないじゃないですか、地学の勉強なんて高校じゃほとんどしてませんし」

「あはは……玲香ちゃん、これは菫青石(きんせいせき)っていう立派な鉱石だよ。元々は(すみれ)みたいな青色の鉱石という意味の、アイオライトを和訳した名前なんだけど」

「青色……? これが……?」

「菫青石のほとんどは風化して白雲母や緑泥石になるんだけど、まれにこんなふうに、元の六角柱の構造を保ったまま変質して、周りの石が風化で削れた後に、変質した石だけが分離して残ることがあるんだよ」

「六角柱……だからこんな花びらみたいな形ができるんだ」

「菫青石そのものは宝石としても知られていて、割と世界のあちこちで採れるんだけど、結晶構造を保ったまま変質して、こういう花びらの形になる事例は、今のところ日本でしか発見されてないんだって。中でも京都の亀岡市で採れる桜石は、特にキレイな花の形をしているってことで有名なんだよ」

「それじゃあ、これって本当に貴重な石なんだ……ん? これさ、花びらが六枚あるよね」

「まあ、六角柱の結晶の断面だから、当然そうなるよね」

「……桜の花びらって、普通五枚じゃない?」

 あれ? 言われてみれば、よく見る桜の花って、いつも花びらが五枚だった気がする。確かに物によっては、酸化鉄が交じることで薄い桃色になることもあるから、桜みたいに見えないこともないけれど……。

「野暮なこと言わさんな」

 秋保先生がわたしの手からスマホを取り上げて言った。そういえば先生のスマホだった。

「確かに日本で一番メジャーなソメイヨシノは五枚だが、中には六枚以上の花びらを持つヤエザクラってのもあるんだよ。それに、日本人が花といえば真っ先に浮かぶのは桜だし、桜石には桜にまつわる言い伝えもあるくらいだから、その名前がついても不自然じゃない」

「言い伝え?」

「この石が採掘できるのは、亀岡市の桜天満宮を含む一帯だ。ご存じ菅原道真がかつて過ごしていた場所でもある。大宰府に左遷されるとき、別れを惜しんだ部下に道真が送った桜が、枯れ落ちた後に石に変わったっていう伝説があるんだよ」

「へぇ……」

 玲香ちゃんは興味深そうに頷いた。この伝説は、わたしの好きな話のひとつでもある。桜の花が石になって、季節を経ても咲き続けるというのは、ロマンチックで素敵なエピソードだ。

「世の中、不思議なものがあるんだなぁ。ていうか、そんなすごいものなら、実物を持ってきた方が花も喜んだんじゃないですか?」

「あー、うん……」

 途端に微妙な空気になって、玲香ちゃんは困惑しだした。

「え? なに?」

「まあな……私も実物を持ってきたかったけど」

「玲香ちゃん。桜石は勝手に採集して持ち帰っちゃいけないんだよ。国の天然記念物だから」

「あ、そうなんだ……」

「だから亀岡市の文化資料館に展示しているやつを、特別に許可もらって撮影したのさ。天然記念物に指定されていないエリアなら採取できるけど、鉱石マニアによる持ち出しが頻発して数が激減しているから、あまりいい顔をされないんだ。要するに、法には触れなくてもお役所の逆鱗には触れるってことだ。そっちの方がごめんだね」

「なんかこの人うまいこと言ってる……」

「わたしは写真だけでも結構満足してるよ。でもいつかは、自分の目で実物を見てみたいな」

 いろんな場所に出かけては様々な石を見つけているけれど、それでもやはり種類に限界はある。奥羽山脈が近いおかげで火成岩の類いは割と見つかるけど、堆積岩は町を出ないとなかなか見つからない。色んな鉱物に触れるには、外の世界に出ることも必要なのだ。

「……あのさ、花」

 玲香ちゃんが、どこかそわそわしながら話しかける。

「そのうち、京都に実物を見にいこうよ。……二人で」

「えっ……」

 一瞬、頭の中が真っ白になる。二人だけのお出かけの誘い。それは、つまり……。

「いや何言ってんの」と、秋保先生。「あんたら、11月の修学旅行で京都行くんでしょ。その時にでも見に行ってくればいいじゃない」

「あっ……」

 恥ずかしかったのか、玲香ちゃんは頬を少し赤らめた。

「でも、例年だと旅行先って京都市内ですよね。亀岡市には立ち寄らないんじゃ……」

「京都駅から嵯峨野線一本で行けるよ。なにせお隣の市だからな。自由行動の時にでも行けばいい。私も修学旅行の引率で行くから、こっちで便宜を図ってもいい」

「先生……」

 まったく、普段はいい加減なくせに、地学部の顧問としては頼りになるのだ。地学部であの人に教えてもらったことだって数知れない。

 ……なぜか、玲香ちゃんがふくれ面でわたしを睨んでいる。

「え、どうしたの?」

「いや、別に……」

 そう言いながら、なんだか機嫌が悪そうだ。何か気に障ることを言ったかなぁ。そしてそんな玲香ちゃんを、秋保先生が口元を緩めながら見ている。

「ふーん……ん?」

 秋保先生は手元のスマホの振動に気づいた。電話の着信みたいだ。

「はい秋保ですけど。……え? ありゃ、もうそんな時間か。……はいはい、行きますよ。はあ……めんどくせぇなぁ」

 通話を終えてから、秋保先生は盛大にため息をついた。

「女子バスケ部ですか?」

「そうだよ。行ったところでやるのは事務処理ばかりだろうに」

「いや一応顧問なんですから、顔を出すくらいした方がいいですよ」と、玲香ちゃん。

「へいへい、分かってますよ」

 億劫そうに椅子から立ち上がると、先生は首をひねってコキコキと鳴らしながら廊下に向かった。引き戸を開けてから顔だけこっちに向けて、ニヤリと笑いながら告げる。

「じゃあ、また部室に来たときにでも、ゆっくり話をしようじゃないか。高峰くん」

「…………!」

 玲香ちゃんの反応を見ることなく、先生は廊下に出て引き戸を閉めた。

 部室に二人、取り残される。

「……掴みどころのない人だね」

「わたしも最初の頃は、どうやって接したらいいか分からなかったよ」

「今は上手くやっていそうだね。花のこと、ちゃん付けで呼んでいたし、写真とはいえわざわざ花が好きそうなおみやげを持ってくるし」

「わたしも先生も、鉱物を観賞するのが好きだし、その点では話がよく合ったんだよね。ここに入るまでは、石の話をできる人なんて周りにいなかったから……」

 他の誰とも、分かりあえるなんて思わなかったから、わたしはずっと自分だけの世界に閉じこもっていた。波風を立てて自分が傷つくことを恐れ、心安らかに過ごす時間を望んできた。そんな自分の世界に、知らない光を当てて、外に連れ出してくれたのが秋保先生だった。

 先生がいなければ、わたしはずっと独りだった。玲香ちゃんと出会うこともなかった。感謝してもしきれないくらいだ。

「ふうん、なんか羨ましいなぁ……花と話が合うなんて」

「そ、そう?」

「改めて実感するけど、石のこと何も知らないから、花のいい話し相手になれてないな……」

「玲香ちゃんは今のままでいいよぉ。それで言うなら、石に絡んだ話題がなくても、話し相手になってくれる玲香ちゃんは大切な存在だよ。わたしは未だに、大好きな石の話がないと、誰とも自然に会話できないし……」

「あれ、でも今日は美雪と普通に喋れてたじゃん」

 言われてハッと気づく。そういえば、遠山さんとはこれまでろくに話したことがなかったのに、今日はそれほど身構えることなく会話ができた。遠山さんが聞き上手だったこともあるけど、なんでわたし、緊張することも戸惑うこともなかったんだろう……。

 遠山さんとの、ほぼ初めての会話がどんなものだったか、思い出してみる。いったい何が話題に上っていたか……。

 ああ……そうか。わたしは玲香ちゃんを見つめ返す。

 大好きな石の話ができないから、わたしはずっと心を閉ざしてきた。共通の話題が何もないなら、ろくな会話もできるはずがない。遠山さんともそれは同じだと、そう思い込んでいた。だけど、わたしと遠山さんには、ちゃんと共通の話題があったのだ。

 玲香ちゃんという、共通点が……。

「玲香ちゃん……ありがと」

 わたしの世界を、もっと広げてくれて……溢れんばかりの気持ちを込めて告げた。

「えぇっ? な、なに突然……」

「ふふ、なんとなく」

「えー……よく分かんないけど、どういたしまして?」

「うんうん」

 玲香ちゃんは照れくさそうに頬をぽりぽりと掻く。わたしと目を合わせずに、喉の奥から絞り出すように告げた。

「……あのさ」

「ん?」

「いつでもいいし、修学旅行のときでもいいけど……いつか絶対、一緒に桜石を見に行こう。二人だけで」

 ああ、これ……秋保先生にいい雰囲気を壊されたから、改めて約束を取りつけようとしているんだな。そのくらい、玲香ちゃんは桜石を見に行きたいのだろう。わたしと……わたしだけと。

「うん、行こう。約束」

 イェスで応えたら、玲香ちゃんは柔らかく微笑んでみせた。いつものキラキラした感じじゃなく、優しく包み込むような、とても目に優しい笑みだった。

「さてと……」玲香ちゃんが椅子から立ち上がる。「ねえ、花。この辺にある鉱石標本、手に取って見てもいい?」

「素手で触ると秋保先生が怒るから、手袋をはめた状態ならいいよ。そこの机の引き出しに入ってるから、自由に使って」

「おっけー」

 そして玲香ちゃんは、引き出しから取り出した手袋をはめて、スチールラックに陳列されている鉱石を、一つひとつ手に取って眺め始めた。わたしの話を聞いているうちに、玲香ちゃんも鉱石に興味を持ち始めたみたいだ。わたしに話を合わせる必要はないって言ったけど、それでも興味を持ってくれるのは嬉しい。

「桜石、か……」

 その名前を聞いて、ふと朝に見かけたあの石を、その近くの家に住んでいた女の子のことを思い出す。引っ越してきたばかりでまだ馴染めていないあの子も、自分だけがいる、閉ざされた世界の中にいるのかもしれない。それにもし、あの桜の花とさくらんぼの描かれた石が、あの女の子の作った物だとしたら……わたしは、絶好の機会を逃したのではないか?

 あの子に教えてあげたい。どんなに怖くても、自分だけの世界を抜け出してみれば、その先には、見たこともないくらい素敵な何かが待っているってことを。そしてその何かに巡り合うことで、自分の中に眠っている素敵なものが、花開くこともあるのだと……。

 いつかあの子との間にも、新しい世界が広がるといいな。


 数日後、秋保先生からメールで送られてきた桜石の写真を眺めながら、わたしは学校にやって来た。形も色合いも光沢も、本当にとても綺麗で、ずっと見ていても飽きない。もちろん、歩く時はちゃんと周りに気をつけているよ。

 廊下を歩いていると、その先の教室の前に人だかりができていた。主に女子たちが、キャーキャー言って騒いでいる。誰が人だかりの中心にいるのか、見ないでも分かるな……。

 人混みの隙間からその人が見えそうだったので、挨拶は難しくても、顔を合わせてアイコンタクトくらいはしておこうかな。そう思って、ちょっとかかとを上げて覗き込むと、思ったとおりにその人はいた。

「あ、おはよう」

 バッサリとショートヘアにした玲香ちゃんが、わたしに気づいて声をかけた。

 …………。

 えぇ―――――っ!!!

「おっ、石崎さん、おはよー……って、どうした?」

 後ろから遠山さんに声をかけられても反応できないくらい、わたしはびっくりして、開いた口が塞がらなかった。

 その日の昼休み、玲香ちゃんと遠山さんの三人で話す時間ができたので、髪バッサリ事件の顛末を聞くことにした。

「ずいぶん思い切ったね……」

「陸上の練習で走るときは縛ることもあるんだけど、どうせ切るなら、いっそできる限り短くしちゃえーってことで、バッサリと」

「びっくりしたなぁ……」

「まったくだよ」遠山さんが言う。「失恋でもしたのかと勘繰っちゃったじゃん」

「まさか。わたしは単に、こっちの髪型の方が好みだって人もいるかもしれないから、こういうのもチャレンジしてみようと思っただけだよ」

「そんなにモテたいのか、あんたは」

 あはは、と笑ってごまかす玲香ちゃん。そういえばこの髪型、どことなく秋保先生に似ているような……偶然かな。

「ねえ、花はどう? やっぱ変かな?」

 玲香ちゃんは、切ったばかりの髪をくりくりといじりながら尋ねた。どうやらまだ、この短さに慣れていないみたいだ。だけど、元から顔立ちが中性的っていうのもあるし、とても似合っていると思う。以前の肩まで伸びたセミロングもよかったけど……。

 無言でじーっと見ていたら、玲香ちゃんが首をかしげながら言った。

「花?」

「あ、ごめん!」やっと我に返るわたし。「その、なんていうか……」

「?」

 説明するのが難しい。わたしが感じた新しい魅力を、どう言葉にしたらいいものか……思いきり恥ずかしがりながら、わたしは目を合わせずに答えた。

「いつもと違う感じがして見慣れないけど……いつにも増して綺麗だなって……」

 すると玲香ちゃんはわたしの両肩をガシッと掴んで、わたしの胸元に顔面を突っ込んだ。

「れ、た、高峰さん!?」

「…………」

「ちょ、ちょっと! せめて何かコメントを!」

「意外と仲いいんだね、君ら」

 遠山さんは他人事のように傍観して言う。玲香ちゃんは無言でわたしにくっついている。そして周りの人たちも、困惑気味にわたし達を見ている。一番困っているのはわたしの方なんだけど。

 ねえ、誰か助けてよ……なんかもう、心臓がもたない。

前回、これが年内最後の投稿になるといいましたが、意外と早く書き上がったので、次の第4話も同日に投稿することにいたしました。引き続きよろしくお願いします。それにしても、玲香は全く高嶺の花っぽくないですね。好きな子の前だと普通の女の子になってしまうみたいです。

ちなみに、京都府亀岡市の文化資料館は実在の施設ですが、2019年12月現在、休館中です。来年の1月下旬には再開するらしいので、一度行ってみたいなぁとは思っています。そんな暇があるかどうか分かりませんが……。

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