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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第6話 石と花
28/48

6-1 小さな宝物

お待たせしました、新章開幕です。

格差があっても気にしない、女子高生カップルの物語をお楽しみください。


 福沢諭吉は著書『学問のすゝめ』の中で、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と語っている。人間の優劣を決めるのは、いかに学問を修めたかであり、生まれながらに優劣をつけることはできない、という意味だ。……確かに至言かもしれない。

 でも、頭では分かっていても、自分では手が届かないほどの高みにいる人を見ると、生まれながらの差があるのでは……そう思えてしまう。人間にはそれぞれの身の丈や分際があって、それ以上を目指すのは愚かなことだと指弾されるし、大抵の場合は望んでも叶わない。他人は他人、自分は自分。そうやって割り切って努力をしなければ、無駄になった時の痛みが大きい。

 わたしはずっと、そうした考えの下で殻に閉じこもり、他人との協調なんて求めなかった。ただ自分の好きなこと、自分に似合うものを極められたら、それで満足だった。

「よそから見れば、わたしは石ころみたいなもの……」

 ぼそっと呟く。

 目立たない、陰気、いなくても変わらない。物心ついた頃から、枕詞のようにわたしにつきまとっていた評価。そんなわたしが、道端に転がっている石ころに心惹かれるようになったのは、必然だったのかもしれない。

 ここは、窓から差し込む明かりだけがすべての、薄暗い図書室。立ち読みしていた地質関係の本をパタンと閉じて、本棚に戻す。ふと、すぐそばの窓越しに外を見た。

 薄く汚れたガラスの向こうに、陸上用グラウンドが広がっている。五年ほど前に建て替えられたばかりの、遮音性に優れた校舎の中にいると、窓を閉めてしまえば外の音はほとんど聞こえない。それでも、黄色い歓声が上がっていることは容易に想像できた。

 窓ガラスに顔を当て、グラウンド全体を見渡すと、鮮やかなランニングフォームでトラックを駆けぬける、一人の女の子の姿を見つけた。グラウンドの周囲に集まっている女の子たちは、そこら辺にいる男子たちには目もくれず、誰もがその少女に自然と関心を奪われている。

 キラキラとした輝きを、まるで当然のように放つ、平凡な人間ではその隣に並ぶことを許されないほどの存在……まさに、高嶺の花。

「あの人は絶対、生まれながらにして、わたしとは違うんだろうな……」

 だからわたしは、決してあの人とはつり合わない。石ころ同然のわたしと、高嶺に咲く大輪の花である彼女では、とても……そう思っていた。

 でも今は、さらに彼女との差を意識してしまうことが多い。

 はあ……。

 わたしは窓に額を押しつけて、自分の情けなさに思わずため息をこぼした。


 東北地方のとある田舎町に、その学校はある。よそから田舎町と言われる割には、約五百人の生徒でいつもにぎわっている、この町で唯一の高校……それがわたし、石崎(いしざき)(はな)が在籍している学校である。

 田舎町などと呼ばれるのは、周辺と比べて産業などがあまり発達していないせいだろう。確かに、基幹産業は知名度のない穀物くらいだし、伝統的な文化が息づいているわけでもないし、娯楽といえるものも少ない。人を引き付ける要素といえば、首都圏に本社をおく事業所が多く集まる町に囲まれていて、道路や鉄道の駅のおかげで交通の便がいいことだろう。東北のあちこちで若者離れが叫ばれる昨今だが、この町は小さいくせに、住人の数は大きく変動していない。

 ……まあ、そんなことは役場の人間が関知するべきことであって、ごく普通の高校生にすぎないわたしには、心底どうでもいい話だ。

 今日もわたしはにぎやかな教室の片隅で、一人ぽつんと自分の席に腰かけ、外の図書館で借りた本を読んでいる。たくさんの綺麗な石を図解で紹介している本だ。学校の図書室にも似たような本はあるが、入学して一年以上も経った今では、ほぼ読破してしまっている。

「やっぱキレイだな、カンラン石……いいもの見つけたら自分で研磨してみようかな」

 ただの石ころと思われがちな物の中には、見方次第でとても綺麗になるものがたくさんある。地味な外見の中に潜む美しさと煌めき……まるで、世界で一番小さな宝探しを、している気分になれるのだ。

 まあ、同感だと言ってくれる人はなかなかいないけどね……。

「あっ、高峰(たかみね)さん! おはよう!」

 その名前が呼ばれた途端、教室には黄色い声が上がり、わたしはドキッとした。

 教室の入り口を見ると、はしゃいでいる数人の女の子に囲まれている、頭半分ほどつき抜けた背の高い少女の姿があった。この時期の彼女はいつも、陸上部の朝練があって、教室に来るのが一番遅くなる。

 高峰玲香(れいか)。このクラスで、あるいはこの学校で一番人気を争う女子生徒。すらりと伸びた長身と、しっかりと鍛えられたらしい、筋肉質なのに引き締まった手足。中性的で整った顔立ちと、肩まで伸ばした綺麗な髪。異性はもちろん、同性からも人気を集めている。ごらんのように。

 そんな彼女が、ごく自然に、少しも気取ることなく、集まった女子たちに言う。

「うん、おはよう」

 ただ普通に微笑んで挨拶しただけなのに、宝石のようにキラキラと輝きを放つ。いつも周りの人たちは、このキラキラに心を奪われて、ぽーっとしてしまう。これを無自覚にやっているんだからたちが悪い。

「おーっす、高峰。朝から女の子はべらせてんじゃねーぞー」

 クラスの女子のひとりが、高峰さんを肘でグイグイと突きながら言ってきた。

「人聞き悪いぞー。おはようって言われたからおはようって返したんじゃーん」

「あんたの場合、袱紗(ふくさ)つけて返してるようなもんなのよ」

「持ってないよ、そんなのー」

 笑ってはしゃぎながら、楽しそうにふざけ合う二人。高嶺の花とも言われる彼女には、ああやって距離感を気にせず接してくる子が、一番似合うのかもしれない。

 ……分かっている。わたしには、勢いや興奮に任せて接近を試みるような度胸も、距離感を気にせず軽口をたたき合うような親しみやすさもない。自分が、高峰玲香の隣にふさわしくない事は、自分が一番わかっていた。

 無理に関わる必要はない。わたしは再び、手元の本に目を落とした。

 一見するとどこにでもありそうな、黒や灰色のつぶつぶがあるだけの石ころも、砕いて表面を顕微鏡で見れば、様々な鉱物結晶が集まっていると分かる。鉱物のバリエーションは途方もなく多いが、それぞれが個性的な輝きを持っている。多種多様な輝きが集まって作られる石の世界、それはまるで……。

「ふうん、万華鏡みたいだね」

「うわあっ!?」

 急に後ろから高峰さんに話しかけられ、わたしはびっくりして振り向いた。ガタッと椅子が音を立てる。いつの間にか、彼女はすぐ目の前まで来ていた。

「あ、ごめんごめん。驚かせちゃった?」

「いや、なんていうか……こっちに来ると思わなくて」

「なんで?」

 高峰さんは首をかしげる。どうも彼女には、自分が誰とつり合うのかという感覚が、決定的に欠けている。

「だって……地味で陰気な女が、石ころの絵が描かれた本を読んでいる所なんて、高峰さんが好き好んで近寄るものじゃないよ。高峰さんには、もっとキラキラした所が似合うって」

「…………」

 なんとなく恥ずかしくて、そして彼女の輝きを正面で受けるのが怖くて、わたしは視線を逸らしていた。高峰さんが、わたしのような女子と話をするだけでも、彼女はきっと変な目で見られることになる。わたしはもう慣れたけど、彼女まで好奇の視線に晒させるわけにはいかない。

「ほら、他の人たちだって、高峰さんのこと待ってるだろうし……」

「決めつけてくれるねぇ」

 はっきりと通る声で、高峰さんは言った。お、怒らせたかな……わたしはビクビクしながら振り向く。なんとなく、この口調では無視できない気がした。

 高峰さんは特に怒る素振りも呆れる様子もなく、仕方がないと言わんばかりに肩をすくめる。

「別に、わたしが何を好きになったっていいじゃん。綺麗だと思ったから見たくなった、それだけだよ」

「…………」

「んじゃ、美雪(みゆき)たちが待ってるみたいだから、向こう行くね」

 高峰さんはニコニコと笑って手を振りながら、別の女子のところへ駆けていく。わたしは呆然としながら、彼女の背中を見送る。

「お待たせー」

「石崎さんと何の話してたの? つか共通の話題とかある?」

「そんなんじゃないよ。挨拶だよ、朝の挨拶」

「今度は熨斗(のし)袋にでも入れたかぁ?」

「だからわたしそんなの持ってないって」

 話の合う同級生との、たわいのないおしゃべりが始まる。ああいう楽しげな輪の中に、わたしは進んで混ざれない。

 高峰さんは基本いつも笑顔だ。みんなにその笑顔を向けるときは、自然と宝石のような眩しい輝きを放つ。本人はそんな事を意識してやっていないし、そのつもりもないのだが、彼女のそうした無意識で無自覚、そして無邪気な笑顔は、あらゆる人を惹きつける。

 ただ……さっきは違った。

(あんまり、笑顔が輝いてなかった……?)

 わたしに対してだけは、その輝きが抑え気味になっている気がする。わたしといても楽しくないからだろうか。そうは思いたくないが……まあ、いつもあの輝きに当てられて心が乱されそうになるから、抑えてくれるのは逆にありがたいのだけど。

 わたしは未だに、彼女との距離感を測りあぐねている。彼女はわたしと接することに何も躊躇わないが、客観的に見ればかなり不釣り合い……月とすっぽんってやつだ。こうして会話をするだけでも違和感がある。

 それでも、高峰さんがわたしに声をかけてくれることを、心のどこかで嬉しく感じてもいる。

「万華鏡みたい、か……」

 この本に描かれている小さな鉱石たちを、彼女はそう形容した。それは、わたしが同じものを見た時に思い浮かんだ言葉、そのものだった。

 どうやったって手の届かない存在だけど、少しだけ通じるものがあるような気がして、心がポカポカと温かくなる。緩んだ口元を見られないよう手で隠しながら、わたしは嬉しさを噛みしめていた。


 うちの高校では、部員一名からでも部活動を作ることができる。ただし、申請がすぐに通るのは五人以上集まっている場合で、四人以下のときは、先に顧問と活動拠点を押さえてからでなければ、申請しても通らない。先生の人数にも限りがあるから、顧問を掛け持ちするにしても、体力的、時間的に無理だと言われたらどうしようもないのだ。

 地学部もまた、設立当初は三人だけだったそうだ。そしてわたしが入部したときは、昨年度まで唯一の部員だった三年生が卒業していて、もし今年度中に誰かが入らなければ廃部になるところだったらしい。顧問である地学担当の秋保(あきう)先生は、わたしの入部を、高笑いしながら歓迎してくれた。

「いやー、女バス(女子バスケ部)と掛け持ちしてるとはいえ、地学に興味ある生徒がいなくなるのは惜しいと思ってたんだよ。とりあえずこれで三年間は安泰だな。……本音言うと、廃部も覚悟してたんだよね」

 ……最後は少し陰をまとっていたけど。秋保先生は三十代くらいの女性教師で、豪放磊落を絵に描いたような人である。わたしが途中で退部したら安泰じゃなくなるけど……とは思ったが、この先生の前では言いづらかった。それが、去年のこと。

 蓋を開けてみれば、石や地質に興味のあったわたしは、ひとりだけの地学部が心安らぐ場所になっていて、たぶん卒業まで退部することはないと思っている。まあ、今年の春に部員勧誘をまったくやらなかったので、二年目も相変わらず独り部活動になっているが(秋保先生からは「やっても結果は同じだったよ」と言われた)。

 さて、地学部がどんな活動をするかといえば、地質に関する勉強をしたり、近所や出先で採集した石や岩の欠片を、顕微鏡などで分析したり……は、たまにやるが、ほとんどの時間はただの暇つぶしである。部室の地学準備室にはたくさんの鉱石標本があるから、わたしにとっては暇つぶしも貴重な時間だ。まさに渡りに船。

 ただ、この日は運が悪かった。

「あれ、鍵かかってる……」

 放課後になって、校舎の三階にある地学準備室に入ろうとしたら、引き戸が開かなかった。いつもなら放課後の最初の十分くらいまで、この教室に籠って標本の整理とかをして、それから女子バスケ部の方に行くから、この時間ならギリギリまだいるはずなのに。

 職員室に行って、居残っている先生に聞いてみた。

「ああ、秋保先生なら東京に出張してるよ」

「え?」

「全国地質学研究ネットワークってところの会合があるんだと」

「聞いてませんが……」

「こっちも聞いたのはつい昨日だよ。連絡するのを忘れてたってさ。まったく、つくづくいい加減な人だよ」

 確かにあの人、地学以外のことだと結構テキトーなところあるからな……本人も、女子バスケ部より地学部の方に長く居たいとか言ってたし、部員数的に優先するべきはずのバスケ部からも、お飾り扱いされているらしいし。

 一応、部室の鍵を借りることはできるが、今日は帰ることにした。いつも先生は、女子バスケ部で事務的な仕事をさらさらとやった後、隙を見て地学部に顔を出しては、わたしと地質に関する話をしてくれる。その先生がいないのなら、部室にいてもあまり意味はない。それよりは、外に出て石の採集をしている方が、地学部としては有意義だろう。

 昇降口を出ると、グラウンドの方からにぎやかな声援が聞こえてきた。

「いけいけー!」

「男子なんか追い越せー!」

 ……誰に向けた声援なのか、見ないでも分かる。

 陸上のトラックは、普通どこでも反時計回りに走る。由来は知らないけど。校舎から正門に向かうには、このトラックの左側を通り抜けなければならない。つまり必然的に、奥のカーブを抜けた走者が、こっちに向かって走ってくる。

 はっきりと目に捉えた。陸上のユニフォームに身を包んだ高峰さんが、男子たちに交じってトラックを駆けている。いい勝負どころか、明らかに男子たちより速い。声援には気づいていると思うが、走っている最中なので、振り向いたり手を振って応えたりはしない。

 だが……視線の先にいるわたしと目が合うと、一瞬、ほんの一瞬だったと思うけど、ホッとしたような笑みを見せた。

「…………!」

 反射的に、わたしの手がぴくりと上がる。手を振って応える……なんてことはできないと分かっていた。あっという間に高峰さんはわたしの目の前を横切って、そのまま遠ざかっていく。その先でゴールしたので、またしばらくこっちには来ない。

 ゴール近くで待っていたファンの子たちに囲まれて、高峰さんは少し困ったように、でもいつも通りにキラキラの笑顔を向けている。わたしに構っている余裕はなさそうだ。

 わたしはグラウンドを振り返ることなく正門に向かい、そのまま学校を後にした。


 学校の周りは比較的住宅が多いが、少し外れれば、田んぼや畑の方が多くなる。人の住んでいる家はまばらにある程度で、大抵はどこでも隣に防風林がある。そして、田畑だらけの区域を突っ切るように、昔から各所に水を供給してきた川がある。二十年ほど前に、台風や豪雨による氾濫の被害を防ぐために、川沿いに大きな堤防が造られ、たまにその堤防の上を通って登下校する生徒がいる。

 かくいうわたしも、堤防を通って登下校する生徒のひとりだが、自宅が川沿いにあるというわけじゃなく、この川に寄り道しているのだ。ほら、川辺にはたくさんの石が運ばれてくるから。

「さて、今日も探すか」

 土手の上に立って川を眺め、両手に愛用の軍手をはめながら、わたしはひとりごちた。ちなみにこの地域では、土を積んで固めたこの堤防を、土手と呼ぶ人が多い。

 堤防のあちこちに、川辺に降りるための階段が造られている。わたしはその階段を使ってふもとに降り立ち、大小さまざまな丸い石で埋め尽くされた川辺を歩く。当然足元は安定しないから、慎重に進まなければならない。

 ここ最近は雨があまり降っていないので、歩ける範囲が広くなっている。でもその場合、川の勢いが弱いので、上流から新しく流されてくる石も少ない。ここ数日で、この川辺はあらかた調べているので、ほとんどの石は見覚えがある。

 ひと通り探し歩いてみたけど、収穫といえるものはない。

「やっぱ、目ぼしいものはほとんど拾っちゃってるなぁ……もうちょっと川に近づくか」

 先日まで川の底だった場所なら調べていないから、まだ見つけていない、面白い石があるかもしれない。水で地面が柔らかくなっているだろうから、転ばないようさらに慎重に……。

 と、その時。

「ん? いま、何か光った……」

 光沢のある鉱物が、太陽の光を反射したのだろう。だったら……わたしはLEDライトを取り出して、地面を照らす。しばらく光を地面に這わせると、案の定、キラリと光を反射する一点が見つかった。

「あった……何だろ」

 わたしはその、光る一点に手を伸ばす。直径二センチほどの塊を拾い上げ、空にかざしてルーペ越しに観察する。

 拾い上げられた塊は、表面に細かい凹凸があっても、ほぼ球形といっていいほど丸く、つまむ指先に確かな重さを感じる。全体的に灰色だが、その中に紛れている角ばった粒は、やや鈍い黄金色。

「これって、もしかして……」

「あれ、花? そんな所で何してるの?」

 不意に自分を下の名前で呼ばれて、わたしはドキッとした。家族以外で、わたしを下の名前で呼ぶのは一人しかいない。

 声がした方……堤防の上に顔を向ける。

 そこには、さっきまでグラウンドで女子たちに囲まれていたはずの、高峰さんが立っていた。制服姿に戻っている。

「やっほー」

 高峰さんはニカッと笑いながら、わたしに向かって手を振っている。

 まさかこっちまで来るなんて……戸惑いをどう隠したらいいか分からず、わたしは遠慮がちに手を挙げる。ああ、頬が引きつってるのが分かるよぉ。

「や、やっほぉ……」

「よしよし」高峰さんは満足そうに頷く。「で、何してるの? 石集め?」

「そ、そうだけど……」

「そっかそっか。なんか面白いモノ見つけた?」

「まあ、一応……」

「ふうん。……よっと」

 高峰さんは土手の側面に足をかけると、スキーみたいに斜面を滑り降りてきた。一番下に到達する前に、つま先で草地を蹴ってぴょんと跳ね、石ころだらけの地面に着地。さすが運動部、無駄のない動きで土手を降りてきた……安全を期して階段を使うという発想はないようだ。

 高峰さんがこっちに歩いてきたので、わたしも彼女の元へ歩み寄る。

「で、どんなもの見つけたのかな、っと……わっ、キレイ」

 わたしの手の中の、丸くデコボコした石を見て、高峰さんは目を輝かせた。

「この色って、もしかして金?」

「ううん、たぶん黄鉄鉱だよ。金はキレイな山吹色だけど、黄鉄鉱は真鍮と似たような、少し白っぽくて鈍い黄色が特徴。それに……」

 わたしはカバンから、素焼きの陶器でできた白い板を取り出した。条痕板(じょうこんばん)という、石や鉱物の特徴を調べる道具のひとつだ。拾った石の、真鍮色の出っ張った部分を、線を描くように条痕板にこすりつけると、黒い痕がついた。

「こうやってこすりつけて粉にすると、金ならそのまま黄色だけど、黄鉄鉱は黒になるんだよ」

「なんだ、金じゃないんだ……」

 高峰さんは少しがっかりしているけど、わたしは結構満足している。

「金じゃないけど、黄鉄鉱は鉱物好きの間では重宝されているんだよ。ここにある粒は小さいけど、結晶の形がキレイな多面体になってるんだ。基本的に立方体、正八面体、正十二面体に近い形になって、それらが絶妙なバランスで混ざった形もあるんだよ。あと、アンモナイトとかが黄鉄鉱を含んだ化石になると、色も形もキレイになるんだ。黄鉄鉱は削れにくい鉱物だからね。あれを間近で見たときは本当に感動したものだよ……」

 その感動を思い出して、想像の向こうのアンモナイト・パイライトを崇めるように両手を組んだ。あの美しさ……ぜひ高峰さんにも見せたい。

「すごいしゃべる……でもそこまで言われると、金じゃなくても悪くないかも」

「まあ、見た感じだとこの石には、黄鉄鉱もあんまり含まれてなさそうだけどね。でもこれはこれで貴重だから……」

 今度はカバンから透明プラスチックケースと綿を取り出し、この石を綿で包みながらケースに仕舞った。傷つけず、かつあまり空気や湿気に触れないように保管するのだ。

「よしっ」

「これってそんなに貴重なの?」

「学術的な価値があるわけじゃないけど、黄鉄鉱がこの形の石の中に、黄色い部分を見せていて、しかも川原で見つかるのはすごく珍しいよ」

「どうして?」

「石が丸くなるのは、上流から運ばれる最中に他の石とぶつかったりして削れるからだけど、黄鉄鉱は硬いから残りやすいんだ。加えて、黄鉄鉱は水に弱くて、すぐに黒や茶色の褐鉄鉱になってしまうんだ。だから、川原にこの状態で残っているのは本当にまれなんだよ」

「そうなんだ……」

「褐鉄鉱は削れやすいし、たぶんこれは、表面が削れてまだ間もない状態だね。もう少し見つけるのが遅かったら、こんなキレイな色には……あっ」

 今さらだけど、高峰さんを放置して話に夢中になっている事に気づいた。慌てるわたし。

「ご、ごめん! 話が長くて……」

「いいよいいよ、なかなか面白い話だったし。それに、石の話をしているときの花、その黄鉄鉱よりキラキラしてたよ」

 うっ……そんな、キラッキラのイケメンスマイルで言わないでくれよ。恥ずかしいし、照れくさいし、何よりちょっと惨めになる。

「た、高峰さんが言っても説得力ない……」

 視線を逸らしてぼそぼそと言ったから、たぶん彼女には聞こえていない。

「ねえ、それより早く帰った方がいいんじゃない? もう日が沈んじゃったよ」

「あ、ホントだ……じゃあ今日はここまでかな」

「途中まで一緒に歩こうよ」

 高峰さんはニコニコ笑って提案してきた。……この人、わたしが断らないって分かってて言ってるな。

「……いいけど」

 というわけで、わたしと高峰さんは土手の上の道を、連れ立って帰ることになった。制服こそ同じだけど、身長差もあって雰囲気も異なる二人が並ぶと……同級生じゃなく姉妹、いや、姉妹にすら見えないかもしれない。

 割と帰り道が重なっているし、無言でいるのもあまりよくない。こっちは石以外の話題なんてないけど、とりあえず話題を振ってみた。

「そ、そういえば高峰さん、今日も女の子たちに囲まれてたね」

「あはは、そうだね。特に何かしたわけでもないんだけど」

「高峰さん、そろそろ自覚した方がいいよ。普通にやってるだけでもカッコよくてキラキラしてるから、みんな惹きつけられるんだよ」

「うーん……自覚したら、それはそれで嫌味になりそうだし、わたしはなるべく、飾らない自分でいたいからなぁ。みんなもそっちの方がとっつきやすいだろうし、花だって、自然体なわたしの方が好きでしょ?」

「まあ、そうだね……って、言わせないでよもうたわけ!」

 途端に恥ずかしくなって、思わず心にもない事を口走ってしまった。たわけって何だよ、たわけって。

「おー……」高峰さんは苦笑している。

「なに?」

「いや、なんでも。まあとにかく、ありのままでみんなが好きでいてくれるなら、自覚してもしなくても変わらないんじゃないかな。わたしの場合はたぶん、笑ってればみんなが喜んでくれるから、自然とそうなっちゃうだけだよ」

 それはあるかもしれない。彼女は、彼女を慕っている人たちと話しているとき、本当に楽しそうに笑うのだ。裏も何もない、ただ純粋な笑み……だからキラキラと輝き、人を惹きつける。

 ただ、それゆえに少し不安に感じることもある。

「でも……わたしの前では、そうでもないよね」

「え? そんなことないと思うけど」

「ううん、他の人たちが相手になるときと比べて、わたしの時はなんていうか……キラキラが少ない」

「あははっ、気のせいじゃない?」

「わたし……」隣にいる彼女に視線を向ける。「高峰さんが思ってるより、高峰さんのこと、よく見てるんだよ」

 真剣な口調で告げたから、言外に伝えたいことを彼女もくみ取れただろう。気のせいなんかじゃない、ってことを。

「あー、えっと……」

 ごまかすのが難しいと思ったのか、高峰さんは口ごもりながら、言いにくそうに答えた。

「うまく言えないんだけど、花ともうちょっと、面と向かって話したいから、かな……」

「面と向かって?」

「初めて会ったときからそうだったけど、花って、わたしが普通に接しようとすると、遠慮がちに目を背けることが多いんだよね。確信があるわけじゃないけど、たぶんこの子は、他人と目を合わせて話すのが苦手なんだろうな、って思ったの」

 的外れではない……わたしは昔からそうだった。相手の反応が怖くて、いつもビクビクしながら、正面から受け止めないよう目を背けていた。だけど、高峰さんと目を合わせられないのは、それだけが理由じゃないんだよね……。

「まあ、だから何か工夫したってわけじゃないけど、意識しないでも、なんか接し方が変わった気はするかな。他の人にやってるみたいに、笑って距離を詰めるんじゃなくて、ちょっとずつ相手を理解していって、警戒心を解いていくっていうか……徐々に慣らしてく感じ」

「…………」

「そういう接し方の違いが、きっと笑い方にも表れてるんだろうね。あんまりキラキラしているように見えないなら、たぶんそれが理由だよ」

 つまり、わたしを思いやった結果、無意識に笑顔を抑え気味にしていたから、輝きが薄れたように見えたということか……うーん、これは、いけない。

「どうしたの? ほっぺ押さえて」

「……高峰さんはずるい」

「さっきから酷い物言いだなぁ。……わたしはただ、花に嫌われたくなかっただけだし」

「え?」

「陸上部にいると、コーチや部員とかから、いろいろ期待を寄せられたりするけど、正直、その期待に応えられなくてガッカリさせても、別に気にならないんだよね。わたしはわたしで、好きなように走って、好きなように体を動かしてるだけだから。でも……」

 ほんのりと頬が色づいた、高峰さんの横顔をわたしは見た。

「花にガッカリされたり嫌われたりするのは、すごく嫌だ……」

「高峰さん……」

 そんな事を言われたら……ほらまた、自分の顔も熱くなってくる。キラッキラの笑顔といい発言といい、この人は本当に、無自覚に他人をたらしこむのだ。

「ねえ、それより気になってたんだけど」

 高峰さんは急に立ち止まった。

「なんでわたしのこと、名字にさん付けで呼ぶの? よそよそしくない?」

「え、いや、なんとなく……」

「別に強制はしないけど、わたしは下の名前で呼んでほしいな。だって、わたし達はもう……」

 視線をスッとそらして、その先は言おうとしない。さすがの高峰さんも、改めて口にするのは恥ずかしいみたいだ。

 うん……高峰さんは懸命に、わたしと距離を詰めようとしているんだから、わたしも()()のために、頑張って一歩を踏み出さないと。

「えっと……じゃあ、これから二人のときは、名前で呼ぶね。……れ、玲香ちゃん」

 その名前がわたしの口から出た途端、高峰さん……玲香ちゃんは、大きく開いた瞳をキラキラと輝かせ、口元をきゅうっと固く結んだ。これは……喜びを噛みしめている、ってことでいいのかな。

 すると、玲香ちゃんは急にわたしに向かって駆け出し、素早くわたしを抱きしめた。

「ひゃあっ!? た、たか……玲香、ちゃん?」

「もー……かわいいなぁ。花の方こそずるい」

「な、何が? 名前呼んだだけで……」

「いやもう、花もいい加減、自分のかわいさを自覚しなよ。このたわけ」

 なんか、さっきわたしが玲香ちゃんに向けて言ったことが、みんなわたしに跳ね返ってない?

 玲香ちゃんはわたしをぎゅっと抱きしめたまま、わたしの耳元に語りかける。

「……さっきの黄鉄鉱もそうだけど、その辺の石に入っているキレイな鉱物って、みんなすごくちっちゃいよね」

「まあ確かに、ごろごろと塊で出てくることはまれだね……」

「でも、ちっちゃくたって、自分で見つけたものはキラキラして見えるよね。わたしが見つけたのは、きっと小さい輝きしかないけど、他の誰も知らない、わたしだけが知ってる、とびっきりの宝物なんだよ」

 ……何だろう、いま心にゆっくりと染み込んでくる、温かいものは。

 石を採集して、キレイな鉱石を見つけることを、わたしはいつも、世界一小さな宝探しと呼んでいる。そんなことは、誰からも共感されないと思っていた。でも、本当はこんな近くに、こんなちっぽけな宝物を、見つけてくれる人がいたんだ……。

 なんか、うれしい。

「わたしも……素敵な宝物、見つけられたよ」

 手放したくなくて、もっと近くに感じたくて、わたしは玲香ちゃんの背中に手を添えた。

 その直後。

「うわあぁーっ!」

 玲香ちゃんは突然叫び出して、わたしからパッと離れた。ぐいーっと首を曲げて顔を上に向けているけど、真っ赤になった耳までは隠せてない。

「ど、どうしたの?」

「なんか、勢いにまかせてすげぇ寒いこと言っちゃった……めっちゃはずい」

 今のが勢いまかせだったのか。本当にこの人、天然で歯の浮くようなことを言うんだな……でも、彼女のまた違う一面が見られて、ちょっと満足している自分もいる。

 まだ「うー……」と唸っている玲香ちゃんに、わたしは告げた。

「ふふっ、玲香ちゃん。手、繋いでこっか」

 すると玲香ちゃんは、きょとんとした表情をわたしに向けた。が、それはすぐに綻んだ。

「……うん」

 わたしの肩に乗っていた彼女の手は、すっと、わたしの手に移った。

 とうに太陽が沈んで、暗くなりかけた空の下、わたし達は手を取り合って歩く。時々お互いの顔を見合わせては、気持ちのままに微笑み合う。

 この時がずっと続けばいい……初めて、そんなふうに思えた。

早いもので、この作品の連載を開始して一年、物語も六章目に突入しました。ご一読くださった皆さん、ありがとうございます。

今回は少しだけ趣向を変えて、物語が始まる前から付き合いを始めている、というパターンで書いています。今までは主人公が色々ぐるぐる悩みながら、落とし所を見つけていくのが基本的な流れでしたが、今回はそうじゃないので、表題にあるような面倒くささはあまりないかもしれません。

……いや、そんなことは無いか?

この章のもう一つのテーマは『石』ですが、来期のアニメには地学・天文学をテーマにしたものや、宝石をテーマにしたものがあるそうで、ひょっとしたら石ブームがじわじわ来ているのかもしれません(まさか)。まあ、私は石に関しては素人なので、色々調べながら書いています。東北を舞台にした百合と日常の物語なので、高度で専門的な話や、やたら高価な石などは出てこない予定です。気軽にお付き合いいただければ。

なお、作中にある『全国地質学研究ネットワーク』は架空の団体です。実在する学会・団体・組織等とは一切関係ありません。

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