5-1 そんなこと言われたって
百合のいちジャンルとしてすでにおなじみの、年の差百合、つまりおねロリ。
中学生と女子大生なので、おねロリとするにはかなり微妙なライン。それでも、年の差ならではの展開になればと思います。
それでは第5章、はじまりです。
仕事とは、理不尽との戦いだ。
世の中にはいろんな人がいる。価値観も様々である。だから自分の常識が通用しないような人間と、嫌でも顔を合わせなくてはならない。優しくて誠実なひともいる一方で、それを体面だけ演じている人もいる。さらに、当たり前のように他人を貶めるようなひともいる。
そういう性質の人間を避けて通れる仕事だってあるかもしれないが、例えば接客業なら避けて通ることはできない。必ず誰に対しても平等に接しなければならない。特にチェーン店のように広く名前が知られている所は、なおさら理不尽な客への対応が多くなるだろう。
一応、そうした客の暴走に備えてマニュアルが用意されている所もあるが、マニュアルから逸脱したタイプの客もたまにやってくる。いま、カウンターを挟んでわたしの目の前に、まさにそんな客が来ていた。
詳しい素性は知らない。恐らく中学生で、すでに三回ほどうちの店に来ている。きょうを含めた四回とも、なぜかわたしのシフトと重なっている時間帯に来ていることは、この際考えないでおく。見た目はまあ、小顔で黒髪ツインテールの可愛らしい女の子だ。
「えっと、チーズレタスチキンと、ポテトのMと、ストロベリーシェイク……」
「はい。チーズレタスチキン、ポテトMサイズ、ストロベリーシェイクですね」
「それと……」
はい来た。大体いつもこのタイミングで、彼女は頬を桃色に染めながら、上目づかいで言うのだ。
「おっ……お姉さんをください!」
「はい、三点で五百二十円になりまーす」
そして大体いつも、最後のオーダーは無視して支払いに入る。もちろんこれはマニュアルじゃなく、わたしがこの女の子専用に考えた接客である。
わたしは中瀬実桜、大学二年生。今年の春に誕生日を迎えたから、今は二十歳だ。親元を離れて一人暮らしをしていて、いくつかのバイトを掛け持ちして生計を立てている。おかげでサークルとかに入るタイミングを逃したけど、大学でおしゃべりするくらいの友達は何人かいるし、後悔はない。
自分のことを社交的だと思ったことはないけれど、小・中・高と友人関係には事欠かなかった。とりとめのないことでおしゃべりして、揃って笑い合ったりする、その時間がとにかく楽しくて……大学に入って知り合いが減っても、そういう関係になる人を探したいと思ったものだ。
ただまあ悲しいかな、いわゆる恋人には恵まれたことがない。誰かに恋愛感情を抱いたことはなく、誰かから抱かれたこともない。ガールズのぐだぐだトークで満足しちゃってるから、それ以外の関係を望むことがなかったんだろうなぁ。
だからもうこれは、漢文の言葉を拝借すれば、豈図らんやといったところだろう。
「漢文の言葉っていっても、もう日本語としてなじんでるよね、それ」
そんなわたしの友人のひとり、都築優奈が肩をすくめながら笑う。
大講義室の後ろの列で、わたしと優奈は教授の到着を待っている。否、たぶん待っているという人はここにいない。講義が始まるまでのわずかな時間を、惜しむことなく使っておしゃべりしている。
「まあ漢文はどうでもいいんだけどさ、ホントどうしたものか」
横長の机に力なくあごをのせて、わたしはため息をつく。
「そりゃ悩みもするよね、人生で初めて告白してきた相手が、中学生の女の子だなんて」
「わたしってさ……実は年下受けするタイプなのかな。男受けしないのはなんとなく分かってたけど」
「うーん、同級生の間で実桜が話題に上ることは、確かにないかな。だって、交友関係もわたしを含めて数人だし、コンパ的な集まりにも参加しないでしょ」
「だってぇ、バイト結構入れてるから時間とれないんだもん」
「わたしの知り合いにもバイトしてる子いるけど、実桜みたいに合計で週五回もシフト組んでる人なんていないよ。なんでそこまでお金が入り用なわけ?」
それを訊かれると、ちょっと困る……。
別にどうしてもお金が必要なわけじゃない。色々あって、両親が仕送りしてくれるのは大学の学費と最低限の食糧だけで、生活費を稼ぐ必要に迫られているのは確かだけど、一年生の頃から貯め続けた甲斐もあって(ついでに交際費がかなり抑えられていることもあって)、今はそれほど家計が逼迫していない。大事なのは“色々あって”という部分だ。
色々あって……わたしは、早く自立した人間になりたいのだ。上手い説明ができないけど。
「なんていうか、大人になるための、訓練? みたいな……」
「みたいな、って……学生のうちくらい、無理して背伸びしなくていいんじゃない?」
うん、これで正しく伝わらないのは分かってた。
「それよりだね、実桜くん」
「んん?」
「手っとり早く大人になりたいならね、恋人を作って関係をもつ方がいいと思うよ」
まじめな顔して何を言ってるんだろう、このひと……。
「優奈くん」似た口調で言い返す。「それはバイトに明け暮れて男つかまえる余裕がないわたしに対する皮肉かな」
「よくそんな長いツッコミがさらっと出てくるね……皮肉っていうんじゃないけどさ、ほら、実桜をモノにしたがっている例の女子中学生。その子と付き合ってみればいいのに」
「あのねぇ、わたしは女子中学生と付き合うつもりはないから。つか、毎回カウンターで『お姉さんをください』なんて大声で言うもんだから、こっちは恥ずかしくて仕方ない」
そう、表面上こそなんとか取り繕ってはいるものの、内心では恥ずかしくて文句の一つも言いたいのだ。そんなことがあった日には、バイト終わりに同僚から毎度のようにからかわれるし。平静を装うだけでも精一杯のわたしの苦労を、少しは察してほしいものだ。
「幼気だねぇ。でもその女の子のこと、全力で嫌っているわけじゃないんでしょ?」
「あんだけ真っすぐに好意を向けてくるのに、嫌いになれるわけないじゃない。でも、なんというか、その……」
「面倒くさいor鬱陶しい?」
「やめて! ネガティブワードを全力で避けようとしてんのに!」
わたしは頭を抱えて突っ伏した。ああ畜生、早く講義始まんねぇかな!
「まあアレだね」わたしの反応に、早々に飽きる優奈。「冷静に考えたら女の子と付き合うのは、いろいろと覚悟もしなくちゃだし、まして中学生が相手だとやりづらいこともあるよね。関係を持とうとした時点で条例等に引っかかりそうだし」
「そこまで分かってるなら冗談でも言うのやめて……」
「そもそも実桜って、女の子に興味あったりするの?」
ずいぶん根本的なことなのに、よく今まで疑問にすらならなかったな。
うーん……友達として交友が深まれば、女の子相手でも興味がわくことはある。逆に、そうならない限り、女だろうが男だろうが興味を持つことはない。だから答えはひとつだ。
「……それ以前に、人間に興味がない」
「ネコは?」
「興味ある」即答した。
「じゃあもうネコと付き合え」
付き合ってられないと言わんばかりに、優奈は突き放すように突っ込んだ。
やっと教授が講義室に入ってきたので、おしゃべりはここまで。一応これは相談も兼ねていたんだけど……まあ、生産性に乏しいのがガールズトークの醍醐味ってことで。
午後の講義が終わったその足で、わたしはハンバーガー店のバイトに向かう。一応調理の練習もしているけど、基本は接客がメインとなる。若くて見た目悪くない女の子は、まず接客で信頼を得たほうがいいというのだ。なんだか腑に落ちないけど、そういうことにしておこう。
従業員専用ルームに入り、お店の制服に着替える。すぐ近くには、先輩のパート従業員の梶原さんがいる。肩まで伸びている長い茶髪を後ろで束ね、両耳にちょっと派手なピアスをつけている、一昔前のヤンキーみたいななりをしているが、実は子持ちの人妻だったりする。そのためか、見た目の割に物腰が柔らかく、接客もそつなくこなしている。
人は見かけによらないって、嫌でも思い知らせるような人だ。梶原さんのことを見るたびに、いつもそう思う。
「ん? どうかした?」
じっと見ていると、梶原さんが気づいて尋ねてきた。
「いえ……梶原さん、その見た目でよく面接に受かりましたね」
「店長の知り合いが紹介してくれてね、面接はしたけどすぐにOKもらったよ。もともと、結婚する前からあちこちで接客の仕事をしていたから、なんだかんだ信頼はあったのよね」
いつからその恰好で接客をするようになったのかは知らないが、とりあえず世渡りのとても上手い人だということはよく分かった。
「わたしも何というか、仕事とか……うまい生き方ができたらいいんですけどね。それで言うと、梶原さんが少し羨ましいです」
「中瀬さん、二十歳だっけ。まだうまい生き方なんて身につけられる歳じゃないでしょ。だいたい、私みたいなバカを絵に描いたような人間なんて、目標にしない方が自分のためになるって」
「梶原さんいつもそう言いますけど、バカを絵に描いたようなんて思ったことないですよ」
「そうかい?」
梶原さんは長い髪を後ろで丸めた。この部分は制服のキャップで隠される。
「あんた確か、ここでのバイトの他に、塾の仕事と新聞配達の仕事やってるんだって? そんなにたくさん一度にやりこなせるなら、十分うまく生きられてるんじゃないの」
「わたしは……自分を追い込んでるだけです」
脱いだ服を入れたロッカーの扉を閉めて、わたしはタイムカードの置いてある机に向かう。自分でもそうだと分かるほど、その足取りは重かった。
「……その辺の事情ってさ、深く突っ込まない方がいいやつ?」
「できるなら、そうしてくれるとありがたいですね……」
少なくともわたしより何倍も大人な梶原さんの気遣いに、わたしは苦笑いで返すしかない。こればかりは、誰かに相談してどうにかなることじゃないのだ。
だけど……少し空気を悪くしたかな。これからカウンターに立たないといけないのに。
「そういえば、さっき店の前にあの子が来てたぞ」
「あの子?」
「ほら、あんたのストーカーやってる女の子」
一昔前の漫画だったら、ドンガラガシャンなんて擬音がつくようなこけ方をするわたし。あれだ、動揺して足元が狂って、テーブルの脚に引っかかってしまったのだ。はずみでテーブルの上の筆立てまで倒してしまうから、まあ恥ずかしい。
「大丈夫?」
「え、ええ、なんとか……」
「ホント気に入られてるよねぇ、あの子に。最近は中瀬さんのシフトの時間帯を必ず狙ってくるよね」
「あのっ、ここのセキュリティの管理は大丈夫なんですよね!?」
「それは店長に聞いて。ま、たぶんあの子は、足しげく通っているうちに自然と、中瀬さんがレジに立つ時間帯を把握するようになったんだろうけど」
「正真正銘のストーカーじゃないですか!」わたしは頭を抱えてうずくまる。「怖い怖い怖い……もしかして帰り道とか他のバイト先にも現れてんじゃないでしょうね」
「怖いかぁ? 年上のおねーさんに憧れて、つい付け回しちゃう女の子。お姉さんをください、なんてなかなか健気でかわいらしいじゃないか」
憧れなのだろうか、あれは……。年頃の女の子の心を無闇に覗くべきじゃないのは、まさに年頃の女の子を経験しているから分かる。でもたぶん、あの子のわたしに向けている感情は、憧れなんて生易しいものじゃない。真っすぐに向けられるあの瞳や表情を、何度も見ていれば気づかされる。
「一度くらい、ちゃんと向き合って話してみてもいいんじゃない? きっといい子だよ」
ロッカーの扉をパタンと閉めて、梶原さんは言った。彼女の子どもは二歳半くらいだと聞いている。そのくらいかわいい盛りの子どもを持っていれば、健気にアプローチを試みる小さな女の子は、みんないい子に見えるのかもしれない。
ただそれでも、わたしの気持ちは変わらない。立ち上がってホールに向かいながら、梶原さんに告げる。
「わたしに幼女の趣味はありません」
「……幼女って歳でもないでしょ。愛があれば歳の差なんて」
そんなこと言われたって、人間に興味のないわたしには、どちらにしろ無意味な話だ。
カウンターの前まで来ると、すでに来客が短い列をなしていた。この時間帯は、仕事帰りや学校帰りの寄り道で来る人の方が多い。おやつ感覚で食べに来るので、お昼時と比べると、来客数の割に売り上げはそんなに伸びないという。それでも、たくさん来てくれた方がいいんだけどね。
さて、列に並んでいる来客たちの中に、やっぱりあの女の子も来ていた。ひとりで来ることもあるけど、今日は同い年くらいの友達らしき子を三人連れている。さっきまでその友達と仲睦まじげに語らっていたのに、わたしがカウンターに立つのを見て取るや、またあの、恋する乙女のような表情を向けてきた。
きょうもあの恥ずかしいオーダーが来るのかと思うと、ちょっとだけ憂鬱レベルが上がるけど、そんなことはおくびにも出さずに接客を始める。
「ご注文はいかがいたしますか?」
この時間帯にハンバーガーを注文するひとは少ない。たいていは、少しずつ食べられるポテトやナゲット、あるいはシェイクなどの飲み物が多い。わたしのシフトは大体いつもこの時間帯なので、実をいえばバーガー系の注文を受ける機会があまりない。経験に偏りができてしまうのは、どうなのかなぁ。
「この番号でお呼びしますので、あちらでお待ちください」
お客さんが注文と支払いを終えて、レジから離れたところを見届けて、次の来客に応対しようと視線を戻した。途端、背筋が凍りついた。
受け渡しカウンターに、常駐の従業員はいない。調理の作業をしている人たちの中で、その時に手の空いた人が、注文票を元に番号で呼び出すシステムだ。常にカウンターに立っているのは、わたしと梶原さんだけということになる。その梶原さんの担当しているカウンターに、例の女の子の友達は集まっている。
でも、その中に例の女の子の姿はない。というか、カウンターを挟んでわたしの目の前にいる。
「……ポテトのMと、ストロベリーシェイク」
なんで? どうして?
わたしはとてもスマイルを維持できなかった。
どうしてこの子は、一緒に来ていたはずの友達と、違うカウンターの前にいるのだろう。いや、その答えは分かりきっているんだけど、なんだろう、この腑に落ちない感じは。
「は、はい。ポテトMサイズと、ストロベリーシェイクですね。以上でよろしいですか?」
「あと、お姉さんをください」
ほらやっぱり言ってきた! 頬を桃色に染めて、それでも視線は真っすぐと外さない。
これだけ何度も言われ続けたら、どんなに鈍い人でも、彼女の気持ちは分かるだろう。分かるけど、そろそろわたしも限界だった。これ以上放っておいて、変な話題になってしまうのは避けたい。
「お客さま、申し訳ありませんが、わたしは当店のメニューには載っていないので、そのご注文はお受けできないということで……」
とりあえず冷静に対処して、これ以上の冗談をやめさせようと思った。
でも、それがよくなかった。言った途端、女の子の表情から、すっと明るさが消えた。
しまった、言葉のチョイスを間違えた! これじゃあ女の子のアプローチを、無関心を盾に切り捨てたようなものじゃないか。大人の対応は大人相手だから通用する。子どもにはむしろ逆効果だ。
隣にいる梶原さんの、責めるような視線を感じる。「そーじゃねーだろ、いつものように軽くあしらえばよかったんだよ」とでも言いたそうだ。分かってる、分かってますから、そんな目で見ないで。いろんな方向からもう心が痛いから。
信頼を得るための接客業で、これはやらかしたかもしれない……そう思っていると、女の子は暗くなった表情のまま、ポテトとシェイクの代金を受け皿に置いた。金額はちょうど。小銭の音に気づいたわたしは、受け皿の小銭を手にとった。
「えっと、二百二十円ちょうどお預かりします……ん?」
このとき、小銭を持つ手元に違和感を覚えた。二百二十円なら紙幣はないはずなのに、なぜか紙に触れた感覚がある。手を開くと、四枚の小銭に交じって、二つ折りのメモ用紙が一枚あった。
なんだろう……女の子に尋ねたかったが、次のお客さんもいるので、ここは先にレジ処理を済ませることにした。呼び出し番号入りのレシートを手渡すと、女の子はスッとその場を離れた。その後は次のお客さんを呼んでしまったので、しばらくメモ用紙の中身は見られなかった。
およそ二時間後、わたしは梶原さんと一緒に休憩に入った。更衣室に戻ってすぐ、梶原さんが口を開く。
「さっきの女の子、まだ店内にいるみたいだったな。友達は先に帰ったけど」
「え、ええ……」
「何か紙を受け取っていたけど、ちゃんと中身は確認したの?」
「これから見るところです……」
梶原さんに促されて、わたしは胸ポケットに入れていた紙を開いた。そこにはラインのIDらしき番号と、丸みを帯びた可愛らしい字でメッセージが書かれていた。
『お姉さんと、お話がしたいです』
……これだけだった。これだけなのに、心臓を直接殴られたような感覚になった。
横から覗き込む梶原さんは、平坦な口調でわたしに言った。
「……お話してやらないのか」
迷っている。迷う余地なんかないのに、わたしは迷っている。わたしはさっき、あの子を傷つけた。それでもこれを渡してきたのなら、まだ釈明することは許されている。あの子に嫌われても平気かもしれないけど、それでもあの子が傷ついたままなのは……なぜか分からないけど、心の底から嫌だった。
もう一度メモ用紙を畳み、制服の胸ポケットにしまう。
「……ラインは後回しです。直接話してきます」
「いいんじゃない。今の時間帯ならお客さんも少ないし、ちょっとうるさくしても平気でしょ」
「うるさくしないよう善処しますから」
それだけ言って、わたしは従業員用出入り口から更衣室を出た。そして、四人掛けのテーブル席にひとりで座ってポテトをつまんでいる、あの女の子のもとへ近づいていく。
わたしの接近に、あの子も気づいた。
「あ、お姉さん……」
「えっと、お客さん……じゃなくて、さっきはごめんね。あなたの気持ちをよく考えずに、あんなこと言ってしまって……」
「いえ、わたしは大丈夫ですけど……」
「迷惑に思ってるわけじゃないのよ。カウンターでわたしをくださいと言い出す以外は、店の中でも普通にしているみたいだし、どんな形であれ、真っすぐに好意を向けられるのは悪い気がしない。けど……今のわたしにはまだ、あなたの気持ちを受け止める余裕がなくて」
「分かってますよ」
なんだと? すました顔で答える女の子を、わたしは呆然と見返す。
「お姉さん、このお店以外にも、塾の仕事とか新聞配達とか、色んなバイトをしていて忙しいんですよね。大学の勉強もあるでしょうし」
ぞっとした。背すじに悪寒が走る。
どうしてわたしが学生だということも、他のバイトのことも知っているんだろう……やっぱりこの子、こっそりわたしをストーキングしているのでは。怖くてこれ以上突っ込めなかったけど。
「いや、まあ、忙しくて時間的余裕がないっていうのもあるけど……あのね、あなたの気持ちは嬉しいんだけど、わたしはここのアルバイトで、あなたはお客さん、そのことに変わりはないから……」
「お店の人とお客さんが仲良くしちゃダメなんですか?」
「ダメってわけじゃないけど……わたしはまだ、その関係から先には進めないの。それだけの心の余裕が、まだわたしにはないから……」
そう、結局今のわたしは、自分のことだけで手一杯なのだ。他の誰かのことを考える余裕なんてないし、そんな状態で深い関係を持つのは、きっと相手に対して不誠実だ。これは、お客様である以前の、年下の子どもである以前の問題……真っすぐに好意を向けてくる女の子だからこそ、不誠実な姿勢は許されない。
だけど、それがこの子に分かるだろうか。少しでも理解してくれるなら、もしかしたら……この子と、何かしら決まった関係に落ち着ける可能性も、なくはないのかな。わたしが望んでいるかどうかは別として。
女の子はじっとわたしを見つめ続けている。そして、澄ました顔でこんなことを言い出した。
「じゃあ……店員とお客さんってだけじゃなく、他の関係にもなってみれば、少し余裕ができますか?」
「え?」
「そっか、その手もあるか。お姉さんが勤めている塾に通うとか、お姉さんが配達している新聞を毎日読んだりとか、そうやっていろんな関係になればいいんだ。そっかそっか」
名案といわんばかりに、女の子はしきりに頷く。
やべぇ……この子、思ったより肉食系だ! 一度気に入った相手は、何があっても絶対にものにしようと思っている。理を尽くして抑えようとしても、かえって彼女の恋心を加速させるみたいだ。なんか厄介な少女を相手にしてしまったよ、わたし……。
目の前の中学生の、想像以上に積極的な攻めの姿勢に、ひとり戦いているわたしに、女の子はまた仕掛けてくる。
「そうだ、考えてみればお姉さん、わたしのことはあんまり知りませんよね。これからいろんな所でお世話になると思うので、まずは名前から……」
「ちょーっと待ったぁー!!」
わたしは大慌てで少女を止めた。このまま放っておいたら、本当にわたしのバイト先に現れて、その度に猛攻アプローチを受けることになりかねない。
「わ、分かったから。そこまでしなくていい。い、今はあまり余裕がないけど、その、話し相手になるくらいだったら大丈夫だから。仕事中は無理だけど、休憩中にお話に付き合うくらいはできるから……」
という、しどろもどろなわたしの受け答えを、カウンター越しに梶原さんが見ている。わたしの目はそっちを向いてないけど、梶原さんの冷たい視線は体中に感じていた。「勝手なこと言ってんじゃねぇ、バイト学生がそこまで気ままにできるか、バーカ」とでも言いたそうだ。
「……ホントですか?」
幸い、女の子にはこれでも効果があったみたいだ。瞳に輝きが戻ってきている。
うーん……やっぱりわたし、本心ではこの子に悲しい顔をしてほしくはないんだろうなぁ。彼女の表情を見て、どこかホッとしている自分がいる。
「うん、ホントホント。だからさ、無理してわたしのバイト先に関わる必要はないよ。ここに来て商品を買ってくれたら、店員としても嬉しいからね、それだけで十分。まだ踏み込んだ関係にはなれないけど、あなたのことは拒絶しない、絶対に」
頬を桃色に染めて、呆けたようにわたしを見つめる女の子。
「だから、まあ……よろしくね」
「…………っ」
女の子は感極まって、今にも泣き出しそうだ。だけど必死にこらえて、言葉を絞り出す。
「よろしくお願いします、お姉さん!」
「うん……じゃあ、せっかくだから、あなたの名前を教えてくれる? 名前だけでいいよ」
最後の一言がないと、延々と個人情報を漏らしそうだから、念を押しておいた。
「はい。森川桜子っていいます。えっと、気軽に、桜子って呼んでください」
下の名前を気軽に呼べるかどうかは保留したいところだけど、それより……わたしは大変なことに気づいてしまった。彼女の積極性に拍車をかけるブースターが、思わぬところに隠れていた。
そう、お気づきの人もいるだろう。わたしの名前は……。
「それで、お姉さんの名前は何ですか。中瀬さんというのは知っていますけど」
名字は知っていても不思議じゃない。制服のネームプレートにばっちり書いてある。ただ、下の名前までは書いていない。……この流れは、絶対に教えないといけないな。拒絶しないって言ったばかりだし。
「み……みお」
「みお。どんな字を書くんですか?」
「……み、実のなる、桜で、実桜」
ああ……神よ、これは何のイタズラですか。
「桜……」桜子はぼそっと呟き、そして、さらに瞳を輝かせる。「お姉さんも、桜……これっ、運命ですね! そうですよね!」
こうなると思ったよ。同じ花を名前に持った二人がめぐり合い、片方がもう片方に恋をする。あんまりにベタすぎるシチュエーションに、わたしは頭に手を当てて、天を仰いだ。この出会いが運命であると、強力に信じてしまった桜子に、とりあえずわたしは、こう答えるしかない。
「……そんなこと言われたって」
実桜「ちなみに森川さんって、何歳なの?」
桜子「十三歳ですよ、中学二年生。お姉さんは二十歳ですよね」
実桜「(なんで知ってるんだろう……)」
とりあえず、この先いろんなことが起きそうな予感。




