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面倒くさい少女たち  作者: 深井陽介
第4話 Cheering Girl's Love
22/48

4-5 明日のわたしにエールを


「よしっ、終わったぁ〜」

 わたしは机にシャーペンを放り出して、ぐいーっと両腕を上に伸ばした。

 なんとなくこうなると予想していたけど、夏休みの宿題は、最終日のギリギリでようやく終わらせることができた。海水浴に行く前にある程度進めていたから、終盤でヒーヒー言うことはなかったけど、あるだけの時間を使って進めないと、精神的余裕がなくなりそうだった。計画的に進めるべきだとよく言われるけど、今なら実感できる気がする。

 夏休みは残すところ、きょうを含めてあと三日。空き時間が増えたこともあって、なんだか無駄遣いしたくなくて宿題に費やしてきた。おかげでここ何日かは、有益に使ったはずなのに、なんだか空虚な感じがしている。というのも……。

 椅子の背もたれに寄りかかり、無心のまま天井を眺める。両腕はぶらんと下がって揺れる。

「上手くやってるかなぁ、あの二人……」

 力なく呟くわたし、矢澤(やざわ)波花(なみか)。あれから心にぽっかり穴が開いたみたいだ。

 わたしには二人の友達がいる。どちらも女の子だけど、二人は恋仲になって付き合っている。わたしは二人の恋を全力で応援した。二人の魅力を見つけてはお互いに吹き込んだり、とにかく二人がお互いを意識させるために動き回った。その結果……いつの間にかわたし自身が、二人の存在に惹きつけられていた。二人の恋路の邪魔にならないように、わたしは二人から離れることを選んだ。それが先週のこと。

 それ以来わたしは、二人に会っていない。大好きな二人に会えないことも、そんな二人から一方的に離れてしまったことも、つらい感情として重くのしかかっている。夏休みが始まってから、ずっと二人のために割いてきた時間が、離れたことで空白になり、気を紛らわす意味でも、わたしは宿題にのめり込むしかなかった。

 スマホはずっと、触れてもいない。二人からメッセージは何度か来ているようだが、未読のままスルーしている。メッセージの着信は二日ほどで止まり、電話などは一切こなかった。愛想を尽かしたか、あるいはただならぬ雰囲気を感じ取って接触をためらっているか……本当をいえば、前者の方が気は楽だ。

 そう、いっそ嫌ってくれたら、すっぱりと諦めもつくというものだ。だがそれを期待できないのは、二人の優しさをよく知っているが故である。

「はあ、もうやることがないよ……」

 手持ち無沙汰になったわたしは机に突っ伏す。二人のために時間を使いすぎて、それ以前にどうやって時間をつぶしていたか、全く思い出せない。

 これこそ時間の無駄遣いだな、と思い始めたとき、ベッドの枕元に放置していたスマホに、電話の着信が入った。あの二人のどちらかだったら、出るかどうか迷うところだけど、今回は別の人だった。メッセージアプリに登録していない人からの着信で、普通に端末自体にかかってきた電話だ。画面に表示されている携帯電話の番号に覚えはないけれど、とりあえず出た。

「はい、矢澤ですけど」

「あ、なみちゃん? 久しぶり〜」

 なみちゃん。わたしのことをそう呼ぶ人は、ひとりしか思い当たらない。声にも聞き覚えがあった。

「あっ、もしかして、フミちゃん?」

「せいかーい」

「うーわぁ、超久しぶりぃ! あれ、小学校を卒業して以来だよね?」

 電話の相手は空知(そらち)フミ、小学生の時によく一緒に遊んでいた友達だ。中学校に上がったところで別の町に引っ越して以来、ほとんど連絡も取らず疎遠だった。というのも、わたしがスマホを買ってもらったのが中学生になった時だったので、連絡をとる手段がなかったのだが。だから疑問がひとつ浮上する。

「うん、なんかなみちゃんの声聞いたら、急速にあの頃に戻った気分だよぉ」

「というかフミちゃん、どこでわたしの電話番号を?」

「え? あー、ちょっと前に友達に会って、その……ンンッ、まあそれはいいじゃない、なんだって」

 ごまかし方下手ですか、って(かなで)なら言いそうだ。そんな説明に窮するほど、特殊な経緯で電話番号を入手したのだろうか……。

「それよりわたし、なみちゃんにぜひ報告したいことがあってね。ついに空知フミは、アイドルとして正式にデビューすることが決まりました!」

「うぉおっ! まじか!」

 小学校の時から、フミはアイドルになりたいとたびたび言っていた。中学校に上がってから何をしていたのかは知らなかったが、まさか本気でアイドルを志していたとは。

「すごいじゃん……えっ、いつから活動初めてたの?」

「中二の時に養成所に入って、一年くらいたったところで、研究生同士でユニット組んで活動を始めたよ。表に名前は出てこないけど、先輩方のバックについたりしてね。今年に入ってから、そのユニットが正式にデビューするって話が持ち上がって、先月ついに決まったんだ」

「うへー、たった三年で芽が出たのか。すごいな……」

「まだまだここからだよ。今後はぜんぶ自分たちの責任でやることになるからね。なるべく息の長いグループにしたいなー、とは思ってるけど」

 声色が小学生の頃とあまり変わっていないせいか、絶妙に緊張感が欠けている気が……。

「じゃあ、今後はそのユニットの一員として活動するんだね。なんていう名前?」

「それはデビューの日を待ってほしいなぁ。そもそもこうやって電話してるけど、公開前のアイドルの情報だから、拡散はダメゼッタイだよ」

 いじめや覚せい剤と同レベルの禁忌だと言いたいのだろうが、やはり緊張感がない。

「分かってるって……誰にも言わないよ。ていうか、広めたくないならわざわざ電話で知らせるかね」

「だって、せっかく番号を知る機会があったから、昔の友達にこの喜びを伝えたかったんだもん。ちなみに発表は三日後だよ」

「始業式の日かぁ……ところで、ユニットってどんな子がいるの?」

「同い年くらいの子が他に三人いるよ。二年間の下積みがあるから絆は固いよぉ?」

「そ、そっか……息の長いグループになりそうだね」

「ところで、その……鞠亜(まりあ)ちゃんは元気かな。なみちゃんと仲良かったよね、確か」

 あっ……。その名前が出たことで、わたしは大まかながら察してしまった。あの二人、外堀を埋めることでわたしを探ろうとしたようだ。

「フミちゃん……わたしの番号、鞠亜から聞いたんだね? で、わたしの様子を探るよう言われた」

「う……あはは、ばれちゃったか。なみちゃん、変わってないね。人の痛いところを簡単に見抜いちゃうところとか」

 何だろう、奏にも同じことを言われた気がする。わたしってやっぱり、そういうところがあるのかな。

「昨日、たまたま鞠亜ちゃんとバッタリ会ったんだ。なんか、お姉さまって感じの綺麗な女の人と、一緒に歩いてた」

 昨日もデートしていたのか、あの二人……よかった、ギクシャクした仲になってなくて。

「その時に鞠亜ちゃんと番号を交換して、その時になみちゃんの番号も聞いたんだ。ついでになみちゃんの様子をそれとなく窺ってほしいって言われたんだけど……何かあったの?」

「何か、かぁ……まあ、喧嘩みたいなことかな」

 たぶんフミも、具体的なことは鞠亜から何も聞いていないだろう。だったらこっちも、踏み込んだ説明はしない方がいい。とても共感を得られる話じゃないし。

「喧嘩したの? あんなに仲良かったのに」

「まあ色々あってね……というか、たぶんわたしが全面的に悪いんだろうけど」

「えぇー? 自分が悪いと分かってるなら素直に謝ればいいのに。鞠亜ちゃん、謝っても許してくれないような子じゃないでしょ」

 知っている。どんな目に遭ったとしても、ちゃんと反省して謝ってくる人のことは、どこまでも許してくれる、それが鞠亜という子だ。これまでの付き合いで、何度となくそういうことがあるから分かっていた。だけど今回ばかりは、どう謝ればいいのか全くわからない。

 そういえば……謝れば許すといえば、鞠亜に関して気になることがある。小学校時代を共に過ごしたフミなら、何か分かることがあるかもしれない。

「なみちゃん? どうしたの?」

 沈黙の時間が長すぎて、心配するフミの声が聞こえてくる。

「ああ、いや……ねえフミちゃん、小学校の時のわたしと鞠亜って、どんなふうに見えた?」

「なに、突然」

「たいしたことじゃないんだけど、小学生のある時期を境に、鞠亜のわたしに対する接し方がガラッと変わった気がするんだよね。本人に訊いても教えてくれないし、何があったんだろうって」

「接し方が変わった、鞠亜ちゃんが……それって、一度なみちゃんと一緒に遊んでいた時に、鞠亜ちゃんが転んで怪我しちゃった時のこと?」

「分かるの!? その時のこと……!」

 具体的なタイミングを打ち明ける前に、心当たりに気づいたということは、少なくともフミにとっても印象深い出来事だったはずだ。期待できるかもしれない。

「確かあれでしょ、以前はなみちゃんに連れ回されるばかりだったけど、その時から、自分からなみちゃんと関わるようになったって……わたしも、ずいぶん積極的になったと思って、何があったか訊いたことがあるんだよ」

「そ、それで? 鞠亜、なんて言ってた?」

「うーん、なみちゃんには内緒にしてって言われたけど……もうあれから何年も経ってるし、二人がまた仲良くなれるきっかけになるなら、話しちゃおうかな」

 その手の話に時効を設けていいのだろうか……でも聞きたいから何も突っ込まない。

「鞠亜ちゃんが怪我して、三日くらい経ったころかな。やけに積極的になったね、って軽い気持ちで聞いてみたの。そうしたら鞠亜ちゃんは……」


 ―――この間ケガしたとき、お母さんから「こんなケガするくらい元気に遊んだのね」って言われたんだ。わたし、今までおうちの中でひとりで遊んでばかりだったから、すごく珍しかったんだと思う。連れ回されてばかりだから気づかなかったけど……わたし、初めてだれかと一緒に、思いきり遊んでいたんだなって。

 ―――なみかちゃんに会うまでは、わたしに声をかけてくれる子なんていなかったし、わたしもそれでいいって思ってた。でも、なみかちゃんは、いつもわたしに声をかけて、わたしと一緒に遊ぼうとしてくれた……二人になって初めて、ケガをした。これは、わたしがひとりじゃなくなったことの、シルシなんだと思ったんだ。

 ―――なみかちゃんがいてくれたから、わたしはひとりじゃなくなった。それがすごく、うれしかったの。だからわたし、なみかちゃんと、きちんと友達になりたくて……なみかちゃんがわたしの手を握るみたいに、わたしもなみかちゃんの手を握れたら、って……。

 ―――あんまりうまく言えないけど、ただ連れ回されるんじゃなくて、一緒に手をつないで走りたいんだ。そうしたら、もっと友達っぽくなれるかなって。


 …………そんなことを?

 わたしはスマホを耳にあてたまま、ただ茫然としていた。いや、愕然としていた、と言った方がいいかもしれない。それくらい、今のわたしにはショックが大きかった。

「あの時は難しい言葉を知らなくて、うまく言えなかったんだろうけど、要は、なみちゃんと対等な関係になりたかった、ってことじゃないかな。孤独から解放してくれた、そのお礼の気持ちもあると思う」

「…………」

「……返事がないけど、聞いてるってことで言わせてもらうね。鞠亜ちゃんは、なみちゃんに声をかけてもらえたことが、本当に嬉しかったんだよ。だから、ずっと一緒にいたくて、引っ込みがちな所を直そうと懸命になっていた……そういうことじゃない?」

 そういうこととしか、考えられない。鞠亜は、わたしと出会ったことをきっかけに、変わりたいと思うようになった。誰かと本気で仲良くなりたいと、思うようになった。わたしと鞠亜の友人関係は、その思いと努力によって、今日まで続いてきたんだ。

 それをわたしは、一時的な感情で、ぷっつりと途切れさせようとした。

 わたしは何も分かっていなかった。あの二人を恋人にするために、二人を応援するために、二人の色んなことを知ったつもりでいただけだった。二人の恋路の邪魔をしたくないと思いながら、鞠亜がわたしに抱いていた思いを、少しも考えていなかったんだ。

 もしかしたら、もうひとり……明菜(あきな)に関しても、そうなのかもしれない。

「おーい、もうそろそろ返事してくれませんかぁー」

「あっ、ごめん。……そんなことがあったなんて、知らなかったよ」

「恥ずかしいから本人には内緒に、って言われてたからね。でも、友達としては、こういうことが知れてよかったんじゃない? どう、仲直りできそう?」

「……わたし次第かな」

 フミが心の底からわたし達を案じていることは、よく分かっていた。それでもまだ、わたしは胸を張って、二人ともう一度友達に戻れると、断言することはできない。今のわたしは、自分を許せないと思う要素が一気に増えて、心の整理がつけられない。

「なみちゃん?」

「……ファーストライブ、必ず見に行くね」

「え? お、おー……そう言ってもらえると頑張れそうな気がする。わたしも、グループのみんなと力を合わせて、必ず立派なアイドルになるから、なみちゃんも頑張ってね!」

「……うん、ありがと」

 昔の友人から激励をもらったところで、通話は終了。

 歩む道は分かれてしまったけど、フミは大切な仲間たちと一緒に、目指した場所へ向かおうとしている。わたしだって、大切な存在がいる。この先、何があっても手放してはいけない、本当に大切な存在が……。

 スマホを強く握り締める。もう一度考えよう。わたしが二人のために、できることを。


 八月三十一日。いよいよ明日から二学期が始まる。つまり明日になれば、嫌でもあの二人と顔を合わせるということだ。関係を修復するためには、なんとしても二人に会って、正面から向き合って話をしなければならない。それは明日でもいいはずだった。

 もちろん、会えば気まずい雰囲気になるのは分かりきっていた。裏切りと受け止められても仕方のないことをしたわけだし、どう転んでも関係にヒビを入れることになりかねない。今さらどんな顔をして会えばいいのか、二日かけて考えても答えは出せなかった。

 だけどこの二日間で、どちらにしてもわたしがやるべきことはひとつだと気づいた。事情を話すにしても、そうでないにしても、二人に迷惑をかけたことを謝るのだ。それで二人がわたしを許そうと許すまいと、最低でもわたしはそうしなければならない。そして、どんな結果になろうと、それを受け止めなければならない。許しなら許しを、罰なら罰を。

 恐怖や不安が消えることはなかった。関係を修復しようと決意してから三日間で、どこまで気持ちを落ちつけられるだろう。どちらにしても、わたしには覚悟を決める時間が必要だったのだ。

 それなのに……どうなってるんだ、これは。

「やあ、波花。しばらくぶりだな。見たところ健康に問題はなさそうで」

「待ってたよ、波花ちゃん。そろそろお話がしたいって思ってたよ」

 もう一度言う。きょうは八月三十一日。まだ、ギリ夏休みの間にいる。そして今、わたしの目の前には、楢崎(ならさき)鞠亜と倉知(くらち)明菜の二人がいる。

 ……どんな顔をすればいいか分からない。二日かけて考えて、どんな顔をして会えばいいか答えを出せなかったんだから、当たり前だった。

 えーと、待てよ。どうしてこうなった。今一度、経緯を振り返ってみよう。

 宿題をぜんぶ終わらせたせいで、ゲーム以外に気分転換の道具を持っていないわたしは、二人のことで悩み続けて疲れた頭を休めるために、午前中からゲームにいそしんでいた。そこに母親がやってきて、またしてもおつかいを頼まれたのだ。大学の仕事で使う本を予約したが、あいにく事務仕事で手が離せないから、代わりにとってきてほしいとのこと。受け取り場所の書店は、この町の中心部にある。

 断る理由もないから引き受けて、少し曇っている天気の下、わたしは出かけた。そして書店にたどり着く前に、この噴水広場に差しかかって、そこで二人とバッタリ会った。まるで待ち構えていたかのように、二人並んでベンチに腰かけ、わたしの姿を見つけた途端に揃って駆け寄ってきた。

 ……いや、待ち構えたように、じゃない。本当に待ち構えていたとしたら。

「もしかして……わたしのお母さんと共謀して、わたしを嵌めたの?」

「こうでもしないと顔を見せてくれないと思ってね」

「ごめんね、波花ちゃん。どうしても話がしたかったから……」

「いや、別に二人のことは責めないよ。全体的にわたしに非があるのは自覚してるから」

 とはいえ、母に対しては後で苦言のひとつでも呈することにしよう。

「波花、まずわたし達に、何か言いたいことはあるか?」

 明菜が真っすぐわたしを見る。この場で促されているのが、下手な言い訳じゃなく、誠意をこめた言葉だということはすぐ分かった。

 覚悟を決める時だ。そう思い、わたしは一回呼吸して、二人に向けて頭を下げた。

「ごめんなさい!!」

 二人の顔は見えない。どんな顔をしているか、今は考えたくない。

「話せば長くなるし、すごく勝手な事情だから、この場で上手く説明できないけど、二人を不安にさせたり、嫌な気持ちにさせたのは、本当に悪いことをしたって思ってる! 今さら許してくれとは言わないけど、本当に、ごめんなさい!」

 冷静になんてなれない。だからとにかく、二人に対して抱いてきた申し訳なさ、後ろめたさを、隠すことなく謝罪の言葉で示した。まず最低でも、これだけはやらなくちゃいけない。

 しばらく頭を下げたまま、二人の反応を待った。

 すると、わたしの両肩に誰かの手が触れた。その手に押されるようにして顔を上げると、すぐ目の前に鞠亜の、混じりけのない優しさに満ちた顔があった。

「波花ちゃん。話、長くなるなら、とりあえず座ろうよ」

 ……これが他の人だったら、尋問開始の合図だと思ってしまうけど、鞠亜だとそれはないと分かってしまう。困ったことに。

「はあ、まったく……」ため息をつく明菜。「本気で怒らせてくれないのが、お前の悪い所だよ。許すかどうかは事情次第だけど、今のわたし達に、“絶対に許さない”という選択肢はない」

「明菜……」

「それに、わたし達にも、波花に言わないといけないことがある。お互い様だ」

「え……?」

 どうもしばらく会わないうちに、二人にも何かあったみたいだが、その前にわたしは興奮した気持ちを鎮めたいと思った。ここは鞠亜の親切に甘え、さっきまで二人が座っていたベンチに腰かけることにしよう。

 鞠亜が自販機で買ってきたミネラルウォーターで、やっと落ち着いてきたところで、わたしは明菜に尋ねた。

「それで? 二人がわたしに言わないといけない事って……?」

「えっと……」

 明菜は頬をぽりぽりと掻きながら、すっと視線を逸らす。言わないといけないけど言いにくいこと、なのだろうか……。

「波花がわたし達と距離を置いた理由って、その……友達以上の好意を抱いたからなのか?」

「ふいっ!?」

 ふい、じゃなかった、不意に核心を突かれて、わたしは変な声を出してしまった。てっきりこの二人、わたしの事情は少しも予想していないと思っていたのに。

「な、なぜそれを……」

「あちゃー、本当にそうだったのか」明菜は顔を手で押さえて天を仰ぐ。

「ごめんね、波花ちゃん。実は二週間くらい前に、奏ちゃんに電話で訊いたんだ。波花ちゃんが何かで迷って相談するとしたら、奏ちゃんがいちばんありうると思って……」

 わたしの行動パターンを完全に読んだうえで、奏に相談するだろうと踏んだのか。なんてことだ、二人の方がわたしのことをよく分かっている。

「奏に聞いたら案の定、少し前に波花から心理相談をされて、不慣れながらアドバイスしたって言われたよ。波花がわたし達に対して、いつの間にか友達以上の感情を抱くようになってたって」

 うーわー……展開が早すぎるよ。その辺りに関しても、わたしの口から詳しく説明することになると思って、多少は覚悟を決めようとしていたのに。

「なあ、どっちなんだ?」

「……へ?」

「だから、お前が好きになったのって、わたしと、鞠亜の、どっちなんだよ?」

 二人きりの時ほどではないが、明菜も鞠亜も、少し照れているみたいだった。当然ながら戸惑ってはいるだろうが、女の子同士で付き合っていれば、同性の親友から好意を向けられることに関して、違和感より照れくささが勝るのだろうか。

「まあ、わたしはともかく、鞠亜だったら少し困るけどな……」

「ともかくって、明菜ちゃんだったらわたしが困るよぉ。でも、明菜ちゃんが困るならそれもちょっと……」

「うぅむ、それを言われると、どちらでも同じくらい困りそうな……」

 ……やっぱり、そうなるんだね。

 わたしが離れている間も、二人がお互いのことを想いあう関係は、決して途切れなかった。わたしが今まで、二人の恋を応援し続けた甲斐はあった。わたしは今、二人の恋愛において、必要ないどころか邪魔な存在にしかなりえない。

 あとはこの二人が、わたしの思いをどう受け止めるかだが……。

「二人とも、本当にわたしのこと、心配してくれたんだね……わざわざ遠くにいる奏ちゃんに電話したり、フミちゃんを通じてわたしの様子を探ってきたり」

「そりゃ心配だよ! 波花ちゃんに何かあったら、わたし……っ」

「お前が突然いなくなってから、鞠亜はことあるごとにこんな顔をするようになったんだ。説明次第ではゲンコツくらい覚悟してもらうからな」

 怖いなぁ……そして、本当に明菜は、鞠亜のことを大切に思っている。

 うん、ここで下手に隠すのは、二人のために不誠実だよね。もう気持ちを整理する猶予はない。

「心配させてごめん……わたし、最初はただ純粋に、二人にお互いのことを、もっと好きになってもらいたかっただけなんだ。いつも二人のことを考えて、順調に関係を深める二人を、いちばんそばで見ているうちに、わたしも二人みたいな恋をしたいって、そんな思いが強くなっていった……そんなわたしにとって、二人は本当に眩しい存在だったの」

「眩しい、か……分からなくはないな」

「正直、いつから二人を好きになったのか、わたしもはっきりとは分からない。たぶん、そういう恋をしたい憧れの気持ちが強いときに、現在進行形で恋をしている二人を間近で見ているうちに、徐々に気持ちが乗り移ったんだろうね。情けない話だけど……」

 本当に情けない。事情を知る第三者でいるつもりが、調子に乗っている間に感情移入しすぎ、最も厄介な形で思慕の念を抱いてしまったのだから。

 しばらく沈黙の時間が続いた。明菜が何かに気づいて、静寂を破るまで。

「……あれ? いま、いつから二人を好きになったのか、って言ったか」

「言ったよ」

「つまり、波花が好きになったのって、わたし達のどちらかじゃなくて、わたし達両方ってこと?」

 さすがに二人同時に好きになるとは想定していなかったのか、呆然として目を合わせる明菜と鞠亜。

「わたしが手助けしたこともあって、二人はお互いを、同じくらい好きになれたでしょ? そんな二人をずっと見ていれば、どっちかだけに影響されるなんてことはないよ。わたしは二人とも……同じくらい好きだからさ」

 ついに言ってしまった……かなり心臓へのダメージが大きい。性質は違うだろうが、鞠亜が明菜に告ったときも、このくらい胸の苦しい思いをしたのかな。

「まあ、仮にどっちかだけ好きになったとしても、わたしはきっと、二人から離れる決断をしたと思う。わたしは二人が好きだから、どんな形であれ幸せになってほしい。二人が恋をはぐくむことで幸せになれるなら、そうなってほしい。でも、二人を友達以上に想ってしまってるわたしがそばにいたら、二人の恋の邪魔にしかならない」

「「…………!」」

 ようやくわたしの言いたいことに気づいたのか、明菜と鞠亜は揃ってわたしを見る。

「ずっと気持ちを閉じ込めて、秘密にし続ける自信があれば、今までどおり、ただの親友同士でいられた。でも二人は優しいから……二人を好きになる気持ちは膨らむ一方だった。ちょっとしたことで、わたしの気持ちが暴走しかねない状況にあって、いつ二人の恋路の妨げになってもおかしくなかった。二人とは友達としてもいたかったけど、大好きな二人の幸せを壊したくなかった。気持ちが鎮まるか、薄れてしまうまで、二人のそばにいない方がいいって思ったんだ……」

 水を打ったように場が静まり返る。周りには通りすがる人が大勢いるけど、その気配もかすれてしまうほど、わたし達の間に、静かな時間が流れている。

 わたしから言えることはもうなかった。あとは二人から、審判が下されるのを待つのみだ。大丈夫、二人はわたしのことをよく分かっている。そんな二人の判断なら、わたしは何だって受け入れられる。だから、意味もなく激しく脈打っている心臓よ、少し鎮まってくれ。

「……つまりお前は」明菜が先に口を開く。「他ならぬわたし達のために、友達でいることを捨ててでも、時間をかけて恋心を忘れようとしているのか。暴走する恐れがなくなるまで、わたし達と距離を置くのか」

「まあ、明日から学校があるし、難しいとは思ってるけどね……」

「むしろわたし達は、明日になって半ば強制的に顔を合わせて気まずくさせるより、その前に話をつけた方がいいと思って、お前を呼び出したんだ。結果的には、それで正解だったよ。波花の言いたいことはよく分かった」

「…………」

「わたしの答えはひとつ。お前の、わたしに対する恋心については、きっぱりとふらせてもらう。そのうえで、今までどおりにわたし達と友達づきあいをしてほしい」

「…………えっ?」

 予想していなかった回答に、わたしは驚きつつ顔を上げて、明菜を見た。わたしの想いに応えはしないと思っていたが、こんな、すべてを許すかのような温情判決がくるなんて、まったく思ってもみなかった。

 明菜は、わたしが座っているベンチの、右隣のスペースに腰かける。ちょっと空隙を開けようかと思ったけど、明菜の醸し出す雰囲気がそれをさせなかった。

「……波花が、わたし達に対する感情が暴発するのを恐れて、距離をとるくらいなら、この際、その感情を未練も含めてすべて断ち切って、元通りの関係になってほしい。いくらわたし達のためだからって、そんな大事なことを、お前ひとりで抱え込ませてたまるか。わたしは……波花と一緒にいるためなら、何度だってお前をふってやる!」

 明菜はわたしの目を見て、一切の迷いのない素振りで、そう告げた。

 わたしがどんなことを考え、どうして距離をとろうとしたのか、明菜はたぶんちゃんと理解している。わたしの抱える感情の価値を、認めてもいる。理解したうえで、認めたうえで、それでもわたしがそばにいて欲しいと願った。

「なんで……そこまで……」

「波花のおかげで築けた関係を、今さら壊したくないだけだよ」遠い目になる明菜。「去年の夏休みだったかな……お盆を利用して家族と親戚の家に行った時に、波花と鞠亜の話をよくしたんだ。波花がひっきりなしに絡んできた事もあって、話題には事欠かなかったよ。あの時は、内心ちょっと迷惑に思っていたところもあったが」

 あったのか……いや、わたしも少しは察していたけど、だいぶ調子に乗っていたから。

「だけど、遠縁のおばさんからこんな事を言われたんだ。そうやっていつも一緒にいてくれる友達なら、ちゃんと大事にしないとね、って……」

「…………」

「それまでひとりでいることが多かったけど、波花に目をつけられて絡まれるうちに、誰かと一緒にいることが、いつの間にか当たり前になっていたんだ。おばさんに言われるまで、自覚もしなかったけど……ひとりだったら得られなかったものが、ちゃんと自分の中にもあったって気づいて、それは波花がいてくれたおかげなんだと分かった。わたしにとって、波花との関係は、いつまでも大事にしたい宝物だから、そう易々と手放したくないんだよ」

 そういうことか……やっぱり明菜にも、鞠亜と同じように、変わるきっかけがあったんだ。わたしと出逢ったことで、大切なものをたくさん得られて、そうした関係を大事にしたいと願った。孤独から解放されて、今度は友達として対等な関係になりたいと思った。二人にとってわたしは、それほど大切な存在だったのに……。

「明菜ちゃん、すごいなぁ……」

「鞠亜?」

 ずっと無言で様子を見ていた鞠亜が、ぼそっと呟く。

「波花ちゃんと一緒にいるために、波花ちゃんをふるなんて、すごく勇気がいるよ。わたしにはできない……波花ちゃんがわたしを好きだって気持ちを跳ね除けるなんて、無理だよ。わたしは、まだ臆病だから……」

 鞠亜、それは違う。臆病だからって、そのせいで無理なんてことはない。わたしをふれないのは、純粋に鞠亜が優しいからだよ。……それだけのことが、わたしは口に出せない。出していいのかという迷いが、まだある。

 すると鞠亜も、ベンチの左隣のスペースに腰かけてきた。三人分がギリギリ収まるベンチは、ぎゅうぎゅう詰めである。

「本当いうとね、わたし……今すごく嬉しいんだ。波花ちゃんに、好きだって言ってもらえて」

「え?」

「受け入れられるかどうかとなると、まだ分かんないけど……明菜ちゃんが、自分の口で好きだって言ってくれた時と同じくらい、ここがポカポカしてる」鞠亜は胸元に手を当てる。「明菜ちゃんのことは大好きだけど、波花ちゃんだって、同じくらい大切……好きだって言われたら嬉しいよ」

「はあぁ〜……っ」

 明菜がまた顔に手を当てて天を仰ぎながら、大仰にため息をついた。

「鞠亜は優しすぎるよ。らしいといえばらしいけど、それじゃわたしが困る……波花が相手だと勝ち目が薄いじゃないか」

「え、なんで?」

 わたしは割と本気で尋ね返す。客観的に見たら、明菜の方が勝ち目あると思うけど。それともわたしが明菜のことを、色眼鏡で好意的に見ているだけなのか。

「だって、鞠亜が真っ先に相談するくらい信頼を得てるし、わたしより付き合い長いし……」

「そんなに不安でも、明菜ちゃんは波花ちゃんにそばにいて欲しいんだね」

「当たり前でしょ。鞠亜と二人きりの時間が増えてほしいとは思ってるけど、波花を入れて三人でいる時間を削ってまで増やそうとは思わないから」

「わたしも……二人きりの時間は嬉しいけど、楽しさで言うなら、波花ちゃんも一緒じゃなきゃイヤだなぁ。というか、わたし達のために、波花ちゃんがひとりぼっちになるのがイヤだよ」

 本当に、この二人は揃いも揃って……いっそ嫌ってくれた方が気楽だと思ったのに、そんな気配を微塵も見せない。というかそんなこと、これっぽっちも思ってないのだろう。そんなだから、わたしは二人のそばにいることが、不安でしょうがないのに。

「二人とも、本当に優しいよね……わたしの気持ち、放っておいたらどうなるか分からないのに」

「だからって、何もお前ひとりで抱え込む必要なんてないだろ」と、明菜。「波花がわたし達を好きになって、それで悩んでいるんだったら、わたしも鞠亜も無視できるわけがない」

「そうだよ! そんな大事な気持ち、放っておけないよ」

「鞠亜……」

「まあ、あれだ。認めるのは癪だが、わたしと鞠亜のことで、波花には散々助けられたからな。だから……お前がわたし達の恋を応援してくれたように、今度はわたし達が、波花を応援する」

「お、応援……?」

 また突拍子もないことを言い出したな。明菜ってこういうキャラだったかな。

「波花が自分の気持ちで苦しまないように、そしてこれからも、わたし達三人が一緒にいられるために、どうするのが一番いいのか、今の時点では何も答えは出せない。だけどこれは、波花がひとりで抱え込むより、わたし達で一緒に考えた方がいいと思う」

「波花ちゃんのおかげで、わたし達は素敵な人に巡り合えたんだもん。今度はわたし達が波花ちゃんのために、精一杯、心の支えになってあげるから!」

「鞠亜……明菜……」

 わたしは二人を交互に見つめる。展開が早いけど、着実に理解し始めてもいる。

 どんなふうに言い繕っても、二人がわたしの友達である事に変わりはない。二人はただ、わたしと過ごす時間を失いたくなくて、でもわたしの気持ちも否定したくないんだ。受け入れるとか、そうでないとか、そんな単純な二者択一じゃない。わたし達三人、みんなが幸せになれる方法を、必死に考えようとしている。

 二人の優しさは、よく分かっているつもりだった。だけどその優しさは、わたしの想像を遥かに上回っていた。結果としてわたしの感情を暴走させて関係をぶち壊しにする、そんな生易しいものじゃなかった。その程度の不安や恐怖を、軽々と乗り越えるほどの、大きなものだったのだ。

 ああ……やっぱりわたし、そんな二人が好きだよ。二人に出会えて、二人と友達になれて、本当によかった。

 泣きたいけれど、もう泣きそうだけど、わたしはぐっとこらえた。これ以上二人に甘えたら、それはそれで後悔しそうだ。わたしらしく、二人の優しさに応えたい。

 わたしは一呼吸して、勢いよくベンチから立ち上がった。

「よしっ!」

 少し距離をとってから振り返り、まだ座っている二人を視界に捉える。わたしは、矢澤波花は、他人を振り回す方が性に合っている。だからもう情けない姿は見せない。

「ありがとう、二人とも。ここまでわたしのことを考えてくれて、本当に嬉しい。だから改めて、二人にちゃんと、今のわたしの気持ちを伝えるよ」

「「…………?」」

「鞠亜。明菜。わたし、矢澤波花は……二人のことが大好きです。だからこれからも、いちばんの友達として、付き合ってください!」

 深々と頭を下げて、声高に二人に告げた。

 すぐに上げた。思ったとおり、二人とも何が起きたか分からず、ポカンとしている。だけど次第に表情が崩れていき、二人は大笑いを始めた。

「ぷっはっはっはっは……お前ってやつは、本当にたちが悪いなぁ。きっぱりふるって決めていたのに、これじゃ断るに断れないじゃないか。まったく大迷惑なやつだよ、ホントに……くふっ」

「ふふふっ……やっぱり、波花ちゃんはこうでなくっちゃね」

 ようやく雰囲気が和らいだ。これこそわたしの役目なのだろう。鞠亜に至ってはあまりに可笑しすぎて、思わず出た涙を拭っている。

 二人もベンチから立ち上がって、わたしの元に歩み寄ってくる。

「わたし、波花ちゃんが笑顔でいてくれるだけで、いつも心が軽くなってる気がする。感謝してもしきれないくらい」

「そうだな、恩を返すにはちょうどいい……波花、いいよ。いちばんの友達として、付き合ってあげる」

 ……気のせいじゃない。さっきまで少し曇っていた空に、晴れ間が見えた。心が温かくなって、何もしなくても笑顔がこぼれる。わたし達は自然と、手をつないでいた。きょうを迎えるまで、きっとこれだけでも緊張していたのに、今はただただ歓喜で満ちている。

 たったそれだけの時間が、こんなにも嬉しくて愛おしい。いつの間にか見失いかけた大切なものは、いま確かにわたしの手にある。二人が、わたしに寄り添ってくれたおかげで。

 そっか……わたしと出会った時の二人も、こんな気持ちだったのかもしれない。

「よぉし! せっかくだ、お昼も近いし、三人で何か食べに行くか!」

「やっぱりそういう提案は波花がするんだな」

「ていうか、お母さんが注文した本は受け取りに行かなくていいの?」

「えっ!? あれってわたしを呼び出すための理由づけじゃなかったの?」

「出かける前に受取り用の控えを渡されただろ。あれだけは本物」

「マジかー……じゃあ先に本屋さん行くか。ついでに二人のために、婚姻マニュアル本でもチェックしようじゃないか」

「「だから気が早いって」」

 そうしてわたし達は、いつもと何も変わることなく、日々を送っていく。

 いつかはみんな変わっていく。だけど、どんなに月日が経っても、変わらず大事にしたいものがここにはある。わたしはそれをずっと大切にするために、二人を想う気持ちをいつまでも抱えながら、二人の、いや……わたし達の幸せを、この先も願い続けよう。

 そして、幸せになるための方法を、みんなで一緒に考えていこう。簡単なことではないはず。だからわたしは、わたし達の未来のために、激励を送りたい。

 未来のわたし達に、精一杯のエールを!


 <第4話 終わり>

予定通りに着地させることに成功しましたが、果たして読者諸賢は満足されるでしょうか……。

第3章も第4章も、サブタイに共通のワードを仕込み、しかも話自体もほぼ同時進行の前提でリンクさせるということで、かなり構成に苦労しました。そして第4章では、ある特定のやり取りを必ず入れるという束縛(ノルマ)まで用意して、破綻しやしないかとハラハラしたものです。その成果は皆様の目と感性によって確かめつつ判定してください。

少し期間は空きますが、作品自体はまだ続きます。そして、今回登場したアイドル少女は、のちにどこかのエピソードで主役級の活躍をさせるつもりです。というわけで、しばしお待ちくだされば。

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