4-3 掴めない憧れにエールを
「やっぱり遊園地は欠かせないよねぇ。水族館もいいカンジだけど、ここからだとちょっと遠いんだよね。あっ、美術館っていうのも穴場っぽくて素敵かも!」
ここはわたし、矢澤波花の部屋のなか。わたしは床に寝そべって、ここら一帯の観光マップをめくって、デートに最適なスポットを探している。
今日はこの部屋に、明菜と鞠亜の二人も招いて、一緒に宿題を進めることになっている。明日には三人で海に行くことが決まったので、その前にある程度進めておこうと、明菜が提案してきたのだ。まあわたしも、夏休みの宿題に苦しめられて、二人のアバンチュールを見守れなくなるのは嫌だったので、その提案に乗ることにしたわけだが。
今この時間は休憩して、わたしはデートスポット探しに熱中している。
「ああっ、もう! デートコース考えるだけでチョー楽しい!」
熱中しているわたしを、逆に冷ややかな目で見ているのが、まだ休憩に入っていない明菜と鞠亜の二人だ。いや、鞠亜はそんな目を向けないね。
「あいつ……わたしと鞠亜のデートコースを探してるんだよな」
「なんでわたし達より楽しそうなんだろうね……」
聞こえてるぞぉ。そりゃあもちろん、二人がどこまで進むのか、楽しみで仕方ないからだ。海に行くだけで満足するようなわたしじゃないもんね!
「おい波花、そろそろ宿題を再開させた方がいいんじゃないのか。十分たったぞ」
「えー、もう? しょうがない、名残惜しいがここまでとするか」
「名残惜しいって……」
十分だけの休憩と先に宣言したとおり、わたしは観光マップを床に放り出して、再び宿題に取りかかった。そんなわたしに明菜が言う。
「以前から何度も言ってるけど、波花はわたし達の関係に干渉しすぎじゃないか?」
「失礼だなぁ、わたしは一度も二人の邪魔をしたことなんてないよ。わたしはただ、二人が順調に関係を深められるようにサポートしてるだけで」
「わたしはそれを干渉だと言っているのだがな」
「……わたしが」
途端に嘆かわしくなって、わたしはテーブルに顔を伏せた。
「わたしが二人に付き合いたいんだよぉ! 頼むからわたしを蚊帳の外におかないでぇ!」
「だ、大丈夫だよ……明日の海はみんなで楽しもうよ」
さすがの優しい鞠亜は、わたしをなぐさめてくれた。
「まったく……」呆れている明菜。「海水浴だって元々、わたしと鞠亜がデートで出かけるために企画したものなのに、波花ががっつり絡んだら意味がないじゃないか」
「ふうん」
ちょっと明菜の本音が見えた気がして、わたしはニヤリと笑う。
「明菜ってば、そんなに鞠亜と二人っきりで海を楽しみたかったの?」
「い、いいだろ、別に……恋人だけと過ごすのを楽しみにしたって」
あからさまに視線を逸らしながら、明菜は頬を赤らめて言った。この間の一件以来、少しは素直に気持ちを口に出せるようになったらしい。明菜がうれしいことを言ってくれて、鞠亜はますます明菜へのラブ度を上げたみたいで、好意のこもった視線を向けている。
「明菜ちゃん……」
「やめろぉ、鞠亜までそんな目を向けてくるなぁ」
最初は明菜がリードするような雰囲気だったのに、本音を打ち明け合ってからは、たびたび攻守が入れ替わるようになってしまった。これはこれで、見ていておもしろいけど。
海に行って、みんなで買った水着を着たら、さぞかしもっとおもしろいことになるだろうなぁ。わたしも色んな意味で楽しみになってきた。
いよいよ明日かぁ……待ち遠しさで上の空になり、きょうの宿題は進みませんでした。
翌日。わたしは駅で二人と合流し、沿線にある海水浴場に向かった。きょうから八月ということもあって、電車の中は海水浴場へ向かうお客さんでごった返している。朝の通勤ラッシュ並みに混雑している車内で、わたしと鞠亜は、明菜の腕に守られていた。
「あ、明菜ちゃん、これって……」
案の定、鞠亜はドキドキが止まらないようだ。
「有象無象の輩が鞠亜に触るのを阻止するためよ」
「他の乗客みんな有象無象扱いかよ。というか、鞠亜はともかく、なんでわたしまでかばう?」
「何いってんの。波花だって大事な友達だ、一緒に守って当然でしょ」
そう、ですか……普段の扱いが割と粗雑なだけに、こういう時に妙に紳士的なことをされると、戸惑ってしまうというか反応に困る。わたしはわたしで、クーラーボックスとかの大きな荷物を守るのに必死だけど。
ようやく海水浴場のある駅に到着し、わたし達は満員電車から解放された。そこから十分くらい歩けば、海水浴場が見えてくる。
更衣室にシャワー室、海の家の屋台まで、色んな施設が揃った広いビーチ。平日はそんなに人が来ないかと思っていたけど、電車の混雑からなんとなく分かるとおり、結構な数の海水浴客が来ていた。目立たずに逢瀬を、というわけにはいかなそうだ。
しかし! それでも海に来たらテンションが上がるのは必定!
「よっしゃー!! きょう一日、浜辺を遊びつくすぜー!!」
拳を高々と突き上げ、わたしは高らかに雄叫びを上げた。女の子なのに、雄叫び。
「またずいぶん盛り上がってるなぁ、ひとりで」
そう言って更衣室から出てきた明菜と、その後ろに隠れがちな鞠亜。二人とも、先日買ったビキニを着ている。鞠亜の方はまだ恥ずかしがっているようだ。もちろん、わたしもすでに、パレオとフリルのついた水着を着用済みだ。
「なーに言ってんの! 海だよ、海! この抜群の開放感の中で、テンション上がらずにいられますかい!」
「いちいちしゃべり方に女子高生っぽさが足りないよな、お前」
「明菜にだけは言われたくない」
「うぅ……」
鞠亜は泣きそうな顔で、明菜の腕にしがみついている。ショップで試着した時と違って、ここはどこに行っても人の目がある。わたし達はともかく、知らない人に見られるのはまだ抵抗があるみたいだ。やっぱり人間、そう簡単に変わらないね。
「やっぱり恥ずかしいよぉ、この恰好……」
「それをいうならわたしだって同じさ。ビキニなんて、生まれてこのかた着たことがないから、どうも落ちつかん」
「お二人さん」
わたしはスマホのレンズを向けながら、二人に言った。
「水着はあからさまに恥ずかしがるのに、恋人のスキンシップは平然とやるんだね」
で、シャッターを切る。カシャ。
「ん……?……わあっ!」
鞠亜はようやく、自分が水着で明菜に抱きついている事に気づいて、慌てて飛んで離れた。くっくっく、あーおもしろい。
「波花……やっぱりお前、わたし達をからかうためについてきただろ」
「もー、それはついでだってば。二人の邪魔はしないって言ったでしょ」
「ついででもやっぱりからかうのかよ」
「ほら早く行こう! 輝く海が待ってるぞー!」
気分ノリノリで、わたしは波打ち際に向かって走り出した。
「あぁ、待ってよ波花ちゃーん!」
慌てて追いかけてくる鞠亜。明菜は最後に、嘆息をつきながらついてくる。
さて、まずはビーチボールバレーだ。なるべく人が少ない所を見つけて、三人でビーチボールをトスで渡しあう。砂浜の上よりも、海に入ってやった方が、波に押されて思う通りに足が動かないから、さらにやりがいが増すのだ。
「よっしゃ行くぞー!!」
バシッ! と音を立てながら、わたしの右手が華麗なアタックを決める。ビーチボールだからそんなに勢いは出ないけど。
「とっ。鞠亜!」
明菜は冷静に、飛んできたボールを片手で受け止めて、ほぼ真上にポンと飛ばした。
「わわわ……は、はいっ」
しっかり波に足をとられている鞠亜は、慣れない手つきでボールをトスした。
レシーブ、ワンハンド、トス、で再びわたしの元へ戻ってきたボールを、今度はわざと鞠亜と明菜の間を狙って、ワンハンドトスで飛ばした。
「おっと」「わ、わっ」
狙いどおり、明菜と鞠亜は同時にボールをとろうとして接近するが、どちらもとれずにボールは海面に落ちた。そして、近づきすぎた二人は目の前に互いの姿を見て、
「「あっ……」」
ボールを拾おうと少し屈んだ体勢で、二人はお互いを見つめ合う。視線がまるで、顔と、それより少し下を交互に見るように、上下に揺れている。
そんな初々しい女子カップルを、わたしはニンマリと笑いながら眺めた。
「いやあ、これが本当の“お見合い”だね」
「やかましい」
バシッ。明菜は突っ込みながら、海面に浮かぶボールを片手で、わたしに向かってはじき飛ばした。飛んできたボールを真上にトスして、わたしは次の攻撃態勢に構えた。
「そろそろ行くよぉ。くらえ! 波花スペシャルサ―――ブ!!」
渾身の力を込めて、わたしは強烈なジャンプサーブ! ビーチボールは猛スピードで、明菜に向かって襲いかかる!
「とっ」
ところが豈はからんや、明菜はやすやすとボールを片手で受け止め、真上にポンと飛ばしたのだ。ば、馬鹿な……わたしのスペシャルサーブが、こんな簡単に?
「お返し」
ぼそっと言ったかと思うと、明菜は特に構える素振りもないまま、落下してきたボールをカウンターのごとく強烈なサービスで返してきた。その速さはわたしのスペシャルサーブの比じゃなく、呆然としていたわたしの顔面を容赦なくはじき飛ばした!
擬音にするなら、ビュッ、バンッ! という感じだ。
いろんな意味で鼻っ柱を折られたわたしは、あえなく海の底に撃沈した。
ドッパーン!
「ふぅ……やっぱり少し腕が落ちたな」
「あ、明菜ちゃん……なんとなくだけど、さっきの仕返しみたいに見えたよ?」
「それもなくはないな。そんなことより……」
明菜はさっと身をかがめると、鞠亜に向かって両手で水をかけた。
「ひゃっ! もう、冷たいよ明菜ちゃん」
「鞠亜」
明菜は、水に濡れた鞠亜の肩を、両手でしっかりと掴んだ。戸惑っている鞠亜の視線を、じっと見つめ返す。
「邪魔者はいなくなったわけだし、しばらく二人きりで楽しまないか?」
「えっ……あの、波花ちゃんは助けた方がいいんじゃない? というか、周りに人が大勢いるんだけど……」
「構いやしないよ。わたしは鞠亜と……わっ!」
突然、明菜は姿勢を崩して、ドッボーンと音を立てて倒れた。何が起きたか分からず呆然としている鞠亜の前で、わたしは海面から現れた。
「ぷはっ。はっはっは! 油断したわね明菜!」
言うまでもなく、明菜が転んだのは、わたしが水中で明菜の足を引っかけたからだ。
「波花ちゃん、水中を移動してきたの……?」
「わたしは転んでもただでは起きないのよ」
「ぷはっ。波花てめぇ!!」
明菜はすぐに海面から出てきて、わたしに怒った。
「はっはっは。わたし抜きでイチャコラできると思うなよ」
「キサマやっぱりわたし達の邪魔しにきたのか!」
友達ケンカを始めたわたし達を、鞠亜はしばらく呆然として見ていたが、ふと視線が逸れて、さっきわたしがいた辺りを見た。ビーチボールが波に流され遠ざかっていた。
「…………! 大変! ボール、流されてる!」
「なんだと!?」
言われてやっと気づいた。わたしをはじき飛ばしたボールは、そのまま放置されていた。
「うわっ、やっば!」
わたしは慌ててボールを追いかけた。しかし、波に足をとられて思うように進めない。
「ちょっ、まっ、待ってぇ~……うわっ」
何か硬いものを踏んでしまい、わたしは転んでドッパーンと前のめりに倒れた。ボールが当たった顔面は、今度は海面に打ちつけられ、痛めた肌に海水がしみた。
「うあぁ~、しみるぅ~……待ってくれぇ~」
散々な目に遭いながらボールを追いかけるわたしを、明菜と鞠亜はポカンとしながら見ていたが、思いがけず笑いが込み上げてきたのか、二人は揃って大笑いを始めた。
「「ぷっ、あっはっはっは!」」
どうやらいい雰囲気になれたようだ。よかったなコンチクショー。
とまあ、そんなほっこりする(わたしにとっては散々な)やり取りを経て、ビーチボール遊びをひとしきり楽しんだわたし達は、お昼を前に浜に戻った。
「いやー、楽しかった楽しかった」
「わたしはちょっと疲れちゃった……」苦笑する鞠亜。
「海水浴ってただでさえ地味に体力使うからね」と、明菜。「それに、波花のテンションに付き合っていたら、体力がいくらあっても足りないよ」
滅多なことを言いやがって。まあ、現状を鑑みれば、わたしのテンションに二人が付き合っているだけというのは、間違ってない気もするが。
「ごめんね、二人とも」わたしは手を合わせて謝る。「本当なら二人が満喫するはずなのに、わたしばっか楽しんじゃって」
「いいよ、どうせ分かりきってたし」と、明菜。「それにしても、波花はホントに海が好きなんだな。この間も聖木さんに海の写真をせがんでいたし」
「そうだねぇ、好きといえば好きかな。というか……」
腰に手を当てて、わたしはうーんと考えた。自分を見つめる機会なんてあんまりない。
「潮のにおいが、好きなんだよね」
「潮のにおい?」
「うん……わたし、おじいちゃんの実家が昔ながらの製法で塩を作っている所でね、小さい頃によく遊びに行ってたんだ。当然海が近くて、いつも潮のにおいを感じながら過ごしていたから、自然と海が好きになっていったのかも」
いま思い出すと懐かしいなぁ……最近はちっとも行けてないから。
「へぇ……親戚に海辺の家があるって、なんかステキかも」
鞠亜が興味ありげに言った。ふむ、今度は二人をわたしの実家に連れていくのもアリだな。
「塩を作る家、か……なるほど、納得した」
明菜はなにやら腑に落ちたように頷く。
「ん? 何に納得したのかな?」
「お前の名前だよ。“波の花”って書くだろ。それ……塩を意味する隠語だよ」
…………。
一瞬、脳の処理が遅れたけど。
「そうだったのか!!」
「お前は生まれたときから海を好きになる宿命だったのかもな」
詳しく聞くと、波の花というのは元々、塩を意味する女房詞で、現在では塩が“死を”に繋がるものとして、忌み言葉で使うことがあるという。どうやらわたしの名前は、塩づくりの家に生まれた子どもということで、おじいちゃんあたりが名付けたようだ。
「なんてこった……」
思いがけず知ってしまった驚愕の事実に、わたしはショックを隠しきれない。
「別に自分の名前に特別な思い入れがあるわけじゃないけど、そんな、ほとんどおじいちゃんの好みや都合で決められた名前だったなんて……」
「まあまあ、そう言ってやんな。戸籍に登録された以上はどうしようもないんだから」
「もちろん今さらそんな理由で改名したいとは言わないけどさ……」
「それよりどっかで休まないか? お昼に入ったら、座れる所が埋まってしまう」
「わたしも汗かいてのど乾いちゃった」と、鞠亜。
「ああ、じゃあわたし、二人の分も何か飲み物買ってくるよ」
予定外に二人をわたしのテンションに付き合わせてしまった、そのお詫びも兼ねている。もちろんそれだけじゃないが。
「買ってくる……?」明菜が妙に思って尋ねた。「波花、お前確か、クーラーボックスを持ってきていたよな。あれに飲み物が入っているんじゃないのか」
「え? ああ、違うちがう。あれに入ってるのは、スイカ割り用のスイカだよ」
「「スイカ……」」
鞠亜と明菜は声を揃えておうむ返し。電車のICカードじゃないのは分かってるね。
「なるべく新鮮な状態でやりたいから、保冷剤と一緒にクーラーボックスに入れたの。もちろんスイカを割るための棍棒と、目かくし用の鉢巻と、下に敷いて砂がつかないようにするためのレジャーシートも持ってきているよ」
「浜辺でそんな本気のスイカ割りをする奴、初めて見たな……」
「あらゆる海のイベントが、二人の距離をぐっと近づけるきっかけを作るんだよ」
「だから、お前がドヤ顔でセッティングするものでもないだろうに……」
「でもスイカ割り、楽しそう!」
今年の夏は殻を破ると決意した鞠亜、とりあえず未経験のものに何でも興味を示している。そして鞠亜がやりたいと言い出せば、恐らく明菜は断れない。
「まったく……じゃあ、お昼が終わったらやるか、スイカ割り」
「わーい!」
「だったら、飲み物買ってくるついでに、スイカ割りの道具も持ってくるよ」
踵を返して、荷物を置いている更衣室横のロッカールームへ……向かう前に、わたしは一度、二人を振り返って告げた。
「というわけで、しばし二人きりにさせてあげるから、時間を有効に使って仲良く乳繰り合ってなよ、お二人さん」
「ちっ、ちちくりって……」顔が真っ赤の鞠亜。
「お前その恰好で品のないことをさらっと言うな」
明菜たちの苦言は華麗にスルーして、わたしはロッカールームへ直行する。飲み物は後でクーラーボックスに入れて運ぶことにしよう。
手首にずっと嵌めていたリストバンドに、ロッカーの鍵がついている。ロッカーの前にくると、わたしはリストバンドを外して、鍵を挿し込んで扉を開けた。中はほとんど、わたしの荷物でぎゅうぎゅうだった。
クーラーボックスと、わたしのカバンから棍棒と鉢巻とレジャーシートを取り出す。その間、わたしは二人のことを考えていた。
もしあの二人が、本当に乳繰り合ったら、どんな感じになるだろう……想像してみた。
あられもない姿の二人が体を寄せあい、とろんとした表情で頬を染め、見つめ合いながら互いの名前を艶めかしい声で呼び合う……これ以上具体的に書いたらR18の烙印を押されそうだから控えるけど、とりあえず乏しい知識の範囲内で、そんな様子を想像してみる。
想像してみて、気づいた。
(……あんまり、おもしろくないな)
わたしはクーラーボックスのベルトを肩にかけ、他の荷物を脇に抱えてロッカールームを出る。次は近くの自販機で飲み物を買う。歩きながら少し考えた。
友達が幸せそうでいるのはいいことだし、わたしも心からそれを望んでいる。すでに思いが通じ合っている二人が、恋人として関係を深めていくことで幸せになれるなら、わたしは全力で二人の関係を応援するつもりでいる。
だけど……二人の関係が深みにはまっていくことが、うまく想像できないわたしもいる。わたしが今の二人に抱けるイメージは、初々しいカップルのように、ぎこちなくても互いを意識し合ってイチャイチャするところだけだ。それ以上の、成熟した関係まではイメージできない。
いや……それとも、無意識のうちに、想像することにストッパーをかけているのか。
(そうは思いたくないな……)
自販機の前に来て、二人が好きそうな飲み物をチョイスしてボタンを押す。わたしの分は最後に回した。取り出し口に落ちてきたペットボトルを、拾い上げる。
わたしは、今や二人の好みもほとんど把握している。二人が内心では、今よりもっと関係を深めたいと思っていることも、知っている。わたしが望んだとおりにするなら、そんな二人の想いを叶えるべく手を尽くす、そのためにあれこれと考えを巡らせる必要がある。
なのに……なんで想像できないのだろう。
やっぱり、これ以上二人の関係が深くなって、わたしが蚊帳の外におかれてしまうのが、不安なのかな……。
ここ最近、鞠亜と明菜のことばかり考え過ぎて、自分の気持ちを見つめることがなかった。おかげではっきり分かることが少ないし、わたし自身が二人をどう思っているのか断言できないけど、これだけは間違いなく言える。
わたしは……恋路を歩む二人のそばに、この先もいるということ。
少なくともわたしは、それしか想像できない。
「はあ……貧困なイメージしかできない自分が恨めしい」
ため息をつきながら、クーラーボックスにペットボトル飲料を三本、放り込んだ。
あの二人みたいに、純粋に恋をしてみたいという気持ちが、あるといえばある。でもわたしは、純粋な恋と友情を天秤にかけたくない。今の時点で恋愛感情を向ける相手がいないなら、友情を優先させるのは当たり前のことだ。もしわたしに好きな人でもできたら、今みたいに悩まずに済むのだろうか……。
ふぅむ、これもまた悩ましい。
ところであの二人はどこにいるだろう。別れた場所にまだいればいいが、先に休憩用のテーブル席を確保しに行ったなら、ちょっと手間をかけて探すしかない。さっきまで海で遊んでいたわたし達が、スマホなんて持っているはずもなく、連絡手段が手元にないのだ。
「だから、まだひとり友達がいるんだってば!」
ん? 喧騒と波の音に混じって、明菜らしき声が聞こえてきた。
よく見ると、海の家のテーブル席に向かう途中で、二人組の男性たちに言い寄られていた。鞠亜はびくびくと怯えながら、明菜の後ろに隠れている。
あっちゃぁ……たぶん目を離したらこうなると思っていたけど、このタイミングでナンパに遭遇したか。わたしは比較的地味な方向で水着を選んだけど、この二人は、互いを意識させるためにちょっと派手目なやつにしていた。当然、そんな水着は軽薄な男の目も引く。よりによってわたしが少し離れていた間に、二人が狙われることになろうとは……。
まあ、明菜は鞠亜のことしか眼中にないだろうし、鞠亜が狙われたら明菜は絶対に黙っていないだろう。共通の脅威もまた、二人の仲を着実に強めていくはず。不安はあるけど、少し二人を見守ろう。
「友達って、女の子?」
「そ、そうだけど……」
「だったらその子も一緒でいいじゃん。大勢の方が楽しいよ~?」
「三人で十分だから! というか、鞠亜が怯えているんで、話しかけないでくれる?」
「なーんで怯えるのよ、俺たち別に怖くねーし」
「ただ一緒に遊ぼうぜ~って言ってるだけじゃんか~」
「そういう軽佻浮薄なくせにやたら押しの強い態度のせいだから。それと、わたしはともかく、鞠亜に手ェ出したら絶対許さないから」
「あ、明菜ちゃんだって渡さないよ!」
鞠亜……怯えながらも、言うべきことはしっかり言ってくるのか。本当に殻を破るつもりでいるよ。
しかし、明らかに友情とは雰囲気が違う、互いを本気で守ろうとする二人の姿は、ナンパ組にある疑念を抱かせるのに十分だった。男二人は顔色を変える。
「えっ……なに、君ら、付き合ってんの?」
「そうだよ」と言って、鞠亜を抱き寄せる明菜。「この子がわたしのカノジョ」
よくまあ、人前でそんな大胆なことができるなぁ。明菜の、割と大きな胸に顔を当てられている鞠亜は、今にも沸騰しそうなくらい真っ赤になっている。
「はっ? マジ? 君らレズなの?」
「うわぁ~、そういうやつホントにいるんだ。イミ分かんねぇ~」
男たちの、嘲るような、蔑むような態度と物言いに、明菜と鞠亜の二人は表情を固まらせた。
いや、わたしも同じだ。同性同士の恋愛が、まだ世間に十分に認知されているわけじゃないのは分かっていたけど、ここまであからさまな中傷に及ぶひとを、間近で見たことはなかった。
「女好きの女とか、頭おかしいんじゃねーの? 君ら、揃いも揃ってキチガイじゃね?」
「おいおい、ソッチの奴なら声かけんじゃなかったぜ。気色悪ぃったらありゃしねぇ」
「……気色悪いだと?」
「君らさ~、もーちょっとマシな恋愛しろよな。レズとか気持ち悪がられるだけだろ~。あ、そーだ。いっそ俺らが矯正してあげよっか~?」
矯正……まるで、女同士の恋を精神病みたいに扱うような、連中の物言いに、わたしは自分の中に、どす黒い何かが芽生えていくのを感じていた。
「ひ、必要ないから!」
「いやいや必要でしょ~」
「真っ当に生きていくのに、男の味を知っておくのはアリだと思うけどな~」
「近づくな!」
明菜がどれほど強く言っても、偏見に満ちた男たちの手は引かない。
二人で脅威を乗り越えて絆を強める、そんな展開を期待して遠巻きに眺めるだけと決めていたけど……ここは思いきり、土足で介入してやる。わたしはクーラーボックスの蓋を開けた。
「おいおい~、せっかく人が親切に言ってんのにぐぉっ!?」
セリフの途中、言い寄る男の側頭部に、頭と同じくらいの大きさの、緑色の硬いものが砲弾のように猛スピードで衝突した。その硬いものと一緒に、男の顔もぐちゃぐちゃに歪んだ。そして男は、あっけなく砂浜に倒れ込んだ。
何が起きたか分からず、呆然としている明菜たちと、片割れの男。地面には男の遺体(←死んでません)と、ぐちゃぐちゃに割れた一個のスイカが転がっている。
「スイカ……? まさか!」
すべてを察した明菜が、スイカの飛んできた方向を振り向くと同時に、片割れの男に向かって、今度は棍棒が、放たれた矢のように猛スピードで飛んできて、先端が男の眉間を直撃した。
ゴォォォンッ! という感じで。
もちろん、スイカも棍棒も、わたしが渾身の力で投擲したものだ。
手近にあった凶器(?)によって、頭に大ダメージを受けて斃れた(←死んでません)ナンパ組と、怒りを顔に出したままゆらゆらと歩み寄ってくるわたしを、明菜と鞠亜は、あっけにとられながら交互に見た。
頭を押さえ、表情をしかめながら起き上がる男たち。ちっ、死に損なったか。
「あっってぇ~……何しやがんだてめヒッ!?」
睨みつけようとした男の目の前に……目の、前に、拾い上げた棍棒を素早く向けると、男は寄り目になって冷や汗をダラダラと流し始めた。
「あんたらこそ、わたしの大事な友達に何してくれんのよ。鼻の下伸ばして、下衆い文句でたかってきた挙句、二人にずいぶん酷いこと言ってくれるじゃないの。何? レズだから? 気色悪い? あんたら何様のつもり?」
「な……なんだよ、お前っ、レズのことかばうのかよっ」
ガタガタ震えるくせに、口先だけは達者か。わたしはもうこの二人を、ゴミ虫とか見ていない。
「ええそうよ、それが何? わたしから言わせれば、その汚い言葉を平気で吐きつける男につきまとわれるくらいなら、女同士の方が何万倍もマシだと思うけど?」
「なっ……!」
「この二人はあんたらと違って、女同士でも真剣に付き合ってるんだよ。そんなことも知らない赤の他人が、偉そうな口を叩くんじゃない!」
積もり積もった怒りを言葉にしてぶつけるごとに、少しずつ冷静になっていく。たぶんこの連中には、何を言ったってのれんに腕押しだろう。だったら、二度と近寄らせないようにするしかない。
「わたしの大事な友達を泣かせたら、わたしも容赦しないよ? そうねぇ、手始めに、そこに転がっているスイカのヘルメットかぶって、スイカ割りの的にしようかしら?」
「「ひぃっ!?」」すくみ上がる男たち。
「もっとも? あんたらの頭をかち割ったところで、たいして脳漿は出てこないでしょうけどね……スッカスカだから」
すっかり青ざめた顔で、もはやわたしから目を逸らすこともできないらしい。憐れな男たちを前にしても、わたしの冷たい感情は収まらない。こいつらを視界から消すまでは。
「じゃ、試しに割ってみようかしら……」
わたしは棍棒を握って、振り上げた。
「「ひいいぃぃぃいいぃぃいいいやあああぁぁぁぁ……!!!!」」
阿鼻叫喚の悲鳴を上げながら、男たちは這う這うの体で逃げていく。
ようやく姿を消したので、わたしは棍棒を下ろして砂地に立てた。
「まったく……脅しと本気の区別もつかないなんてね」
「いや、どう見ても今のは脅しの域を超えてるから。というか漢字の当て方が怖すぎ」
「それにしても明菜、あんな手合いは簡単にあしらえたんじゃない? どうせすぐに追い払うと思って様子を見ていたけど、言われっぱなしだったじゃん」
「それは……すまん。頭が真っ白になってしまって……」
無理もないか。精神病者も同然の扱いをされて、公然と誹謗中傷を向けられたのだ、ショックを受けたに違いない。普段から芯の強い明菜でさえこうなのだから、鞠亜などはトラウマになってもおかしくない。
鞠亜は明菜の腕にしがみついて、まだ少し震えていた。怯えている相手は、もしかしたらあのナンパたちだけじゃないかもしれない。
「ごめん、鞠亜。怖がらせることして……わたしも、鞠亜たちがあんなこと言われて、頭に血が上っちゃって」
「あ、ううん! 全然いいよ!」鞠亜は慌てて首を振る。「まあ、さっきの波花ちゃんもちょっと怖かったけど、でも……」
わたしと明菜は、揃ってハッとする。鞠亜の目には涙が浮かんでいた。
「波花ちゃんが来てくれなかったら、わたし……もうダメだったかもしれない」
「鞠亜……」
「ありがと……二人と友達になれて、よかった」
泣きそうな顔なのに、必死に強がって、精一杯の笑顔を見せようとする鞠亜。その、今にも崩れそうな笑顔を見ているうちに、わたしは……ああ!
「鞠亜!」
その名前を叫んで、彼女を思いきり抱きしめた。
……明菜が。わたしにはできなかった。
「ごめん……鞠亜のこと、守りきってやれなくて。わたしが……守るべきだったのに」
「……明菜ちゃんはちゃんと守ってくれたよ。ありがと」
ビキニ姿も、そして衆目も気にすることなく、二人は抱きしめあう。共通の脅威を乗り越えて、また一段と絆を強めた。少し計算違いはあっても、わたしの狙い通りになったといえる。
なのに……なんだろう、この感じは。
疎外感でも、妬みでも、苛立ちでも、寂しさでも、ない。
心に重くのしかかるその感情に、ふさわしい名前が思いつかない。
「波花」明菜が声をかける。「本当にありがとう……波花がいてくれてよかった」
「そ、そう……?」
ああ、いけない。これはいけない。これ以上、仲睦まじい二人を、見ていてはいけない。なんだかそんな気がじわじわとしてきた。
「というか、スイカがダメになっちゃったね。まあ、海の家に頼んだら、食べられるところだけ取り分けてもらえるかも。ちょっと訊いてみるから、二人は先にテーブルを確保しといて。クーラーボックスにジュース入れといたから」
わたしは、半分ほど潰れてしまったスイカを拾い上げて、まるで二人の元から逃げるように、海の家に向かって走り出した。自分でも不自然な動きだと分かるくらいだ。わたしをよく知っている明菜と鞠亜が、察せないはずはなかった。
「波花!」
明菜の声に、わたしは立ち止まる。
「……おいて行くなよ、わたし達を」
その言葉が、一緒に連れていけよ、という意味でないことははっきりと分かった。今の二人の表情を見るのが怖いので、笑顔のふりして目を細めながら振り向いた。
「おいてくわけないじゃん。心配性だなぁ」
そうだよ。わたしが二人をおいていくなんてことはない。……あんた達じゃないんだし。
お昼の休憩を済ませてから、わたし達はもう一度海に出た。さっきの嫌な出来事を吹っ飛ばして忘れるくらい、無我夢中ではしゃぎまくった。わたしだけじゃなく、色々言われてショックを受けていた二人も。
だけど、一度根づいてしまったしがらみは、海で遊んだ程度じゃ消えてくれない。水しぶきを上げて走り回り、肌が触れるのも気にせずはしゃいでいる間も、わたしの中の名も無き感情はくすぶり続けていた。
鞠亜と明菜が今よりもっと深い関係になるのを想像できないのは、経験が乏しくて、その手の想像力が欠如しているから、なのだろうか?
二人がひどいことを言われて、あれほど殺意に近い感情を抱いたのは、純粋に友達がバカにされたから、なのだろうか?
あの時……無理をしていた鞠亜を、明菜がすぐに抱きしめられて、わたしは動けなかった。無意識に、明菜にさせるべきだと思ったから、なのだろうか?
そうだ、と言い切ることができたら、何も悩む事なんてない。
なぜ言い切れないのだろう。
なぜ?
経験したことのない感情に振り回されても、手足だけは普通に動いてくれる。なんで脳みそと体が連動してくれないかな。
そろそろ帰る時間が迫ってきて、わたし達は記念に、海をバックに写真を撮ることにした。
前に水着姿を撮ったときみたいに、わたしが自撮りモードのスマホを掲げて、後ろに二人が映るという構図にするつもりだったのだが……撮影する寸前で、二人揃ってわたしの両隣りにいきなり並んできて、結局そのまま撮ってしまった。おかげで海がほとんど見切れたよ。
「ははは……これを見たときの奏ちゃんの、呆れる顔が目に浮かぶわ」
「ホントにな」
「次に海に来るときは、ちゃんとスイカ割りしたいね」
「あのスイカ結構高かったんだけどなぁ……」
「マジか」
ちなみにスイカは半分ほど無事だったので、海の家の人にカットしてもらい、スタッフではなくわたし達がおいしくいただきました。
そしてわたし達は普通の服に着替えて、海水浴場を後にした。
海水浴場が閉じる結構ギリギリまで残っていたせいか、帰りの電車はあまり混雑していなかった。おかげで、シートに腰かける余裕もあった。午後にはしゃぎ過ぎてくたくたのわたし達には、ありがたい状況である。鞠亜を間に挟んで、並んで座った。
そのうちに鞠亜がウトウトし始め、ことん、とわたしの肩に寄りかかって来た。……なんか、鞠亜の寝顔を、わたしが独占するのは悪い気がする。
「明菜、選手交代」
わたしは鞠亜の体をそっと、明菜の方へ傾ける。
「別にそこまで気を遣わなくていいんだぞ? ……嬉しいけど」
「嬉しいならいいじゃない。寝顔にも慣れておかないとね。将来的には二人の子どもと一緒に川の字になって寝るかもしれないし」
「だから気が早いって……」
町の最寄駅に到着し、わたし達は鞠亜を起こして電車を降りた。
駅から歩いてしばらくすると、分かれ道に差しかかる。ここでわたしは二人と別れる。
「んじゃ、また明日ね!」
「明日も会うつもりかよ……勉強しろ」
「わたしもさすがに他人事じゃなくなってきたぁ」
いつもと変わらない、他愛もない会話。永遠に続くわけじゃないって、頭では理解しているつもりだけど、もっと長く続いてほしいと……思わずにいられない。
夕暮れの中、遠ざかっていく二人の背中を、ぐちゃぐちゃな想いを抱きながら見送る。
わたしは二人の恋を、心から応援している。わたしにも今の二人みたいな恋をしたいという、憧れのようなものがあるから、二人の恋が成就すればいいと強く思う。わたしが憧れる恋を現在進行形で育んでいる二人には、精一杯のエールを送りたい。
だけど……憧れている恋が、わたしの手にはまだない。鞠亜と明菜は手にしている。今までは気にしなかったその差が、とても大きなものだという事に、次第に気づき始めている。その差を埋めたいという欲求が湧き上がっている事も……。
このままでいいのかな。
このまま……わたしの欲求から目を逸らしていていいのか。何かのきっかけであふれたら、二人を巻き込むかもしれないのに。
わたしはくるっと踵を返し、家までの道をダッシュで駆け出した。
はあっ、はあっ……!
息を切らしながらも、わたしは考えていた。
二人のために、そしてわたしのために、何ができるのかを。
波花さん、その名前のICカードは西日本の方々にはなじみが薄いかと…。
※一応登録商標なので表記を避けています。




