4-2 きらめく想いにエールを
「ねぇねぇ、こんなのはどう?」
わたしは両手でハンガーを掴んで、掲げてみせた。そのハンガーには、ピンクと黄色を基調にした華やかなデザインのビキニがかかっている。
「むっ、無理無理! 無理だって!」
鞠亜は顔を真っ赤に染めながら、両手を顔の前で左右に振った。目にも留まらぬほど激しい速さで。
「わたしみたいなチンチクリンには似合わないって! 水着に失礼だよ!」
「それはちょっと意味が分からないかな……」
鞠亜はときどき、慌てたり興奮したりすると日本語が不自由になる。
一方、鞠亜のすぐそばで、わたしが選んだビキニをじっと眺めて何やら考えていた明菜は、実に真剣な面持ちで言った。
「露出ちょい多めの鞠亜……一見の価値があるな」
「明菜ちゃん!?」
「よしっ」わたしは鞠亜の肩を押す。「彼女さんの要望だ。さっそく試着室へLet's Go!」
「レッツゴー」
わたしと明菜に背中を押されながら、ずるずると試着室に連行される鞠亜。
「わあああん! なんでわたしばっかりこんな辱めをぉ!」
そういう反応が面白がられるからだよ。とは言わないでおいた。
夏休みの二日目。わたし、矢澤波花は、二日前にめでたくカップルとなった二人の親友とともに、海用の水着を買いに街へ出ていた。本当は夏休み初日である昨日に行きたかったけど、その日は鞠亜と明菜が初デートに出かけたので、きょうに延びたのだ。二人の関係は順調に進展しているようで何よりである。うんうん。
わたし達は三人とも、持っている水着は学校指定のスクール水着と、子どものときによく着ていたサイズの合わない古い水着だけなので、次に海に行くときに着ていけるものがなかった。そのことはもうずいぶん前から分かっていたので、海に行く計画が持ち上がれば、自然と新しい水着を買いに行く流れになる。海水浴だけでなく、水着選びでも二人の仲はぐんと縮まる。なにしろ水着選びなんて女の子同士でなけりゃ同伴できないからな。
わたしの思惑は的中したようで、明菜は早くも鞠亜の水着姿が楽しみでならないらしい。ここで明菜の心をわしづかみにできるブツを探せば、もっと二人は接近できるはず。……まあ、明菜のツボがわたしにも分からんから、試行錯誤はいるけど。
さて、半ば強引に、華やかなビキニと一緒に試着室へ押しやられた鞠亜だが……案の定、出てくるまでの時間が長い。
「おーい、鞠亜」明菜がカーテンの向こうに話しかける。「早くおへそを見せてくれ」
「恥ずかしいこと言わないでよっ!」
怒っても声質が可愛らしいから、あんまり迫力がないな……というか、明菜ってへそフェチなのか? あ、“へそフェチ”って口に出すとちょっと言いづらい。
「鞠亜、どうせもう着替え終わってるんでしょ。五秒以内に出てこないと、強制的にカーテンを開けるからねー」
「ま、待ってよ波花ちゃん!」
「ごー、よん、さん」
わたしがカウントを始めてすぐに、鞠亜はカーテンをさっと開いた。水着姿の鞠亜がお披露目された。まあ、これはなんとも。
サイズはもちろんぴったりだが、全体的にこぢんまりとした体型と、あどけなさの残るおかっぱ頭に、派手さのないやわらかな色彩の水着が、まるで牡丹の花が添えられたみたいで……。
「ど、どうかな……」
「いい! 可憐なオトメって感じで実にキュート!」
わたしは親指を立てながら褒めちぎった。鞠亜はまだ恥ずかしそうだけど。
「う、うーん……鏡見ても自分じゃよく分からなくて」
「いやいや、似合ってるよ。ほら、彼女さんからもなんか言ってやって」
わたしがけしかけると、明菜は固まっていた表情を少し緩めた。
「そうだな……」
そして言い放った。イケメンっぽいキラキラした顔で。
「写真に撮ってスマホの待ち受けと壁紙にしたいくらいだ!」
「顔面とセリフのギャップが激しすぎだろ!」
思わず突っ込んでしまった。まさかその顔で、予想の斜め上を行く変態的発言が飛び出すとは。当の本人はその自覚がないみたいだけど。
「率直な感想を言っただけなんだが」
「欲望に率直なだけだろ! つか、恋人の女子高生の水着写真を待ち受けにするってどうなの」
「インスタに載せるよりマシじゃないか?」
「待ち受けにしたって人目に触れるし! 公序良俗ってもんを考えろ!」
あ、“公序良俗”も口に出すとちょっと言いづらい。
「やっぱり恥ずかしいよぉ……」鞠亜は恥じらい、あちこちを手で隠して言った。「こんな格好で本当に海に行くの、波花ちゃん?」
「なんだよー、海に行くこと自体は二人とも反対しなかったくせに」
「そうだけど、もうちょっと地味目なやつでもいいんじゃない……?」
「いま着ているやつより地味な水着なんて、少なくともこのショップにはないと思う」
「そんなぁ……」
どうもネガティブ思考に陥りやすいな、この子は。わたしは鞠亜の肩をポンと叩く。
「まあまあ、恋人と友人から好評をいただいたなら、素直にそれを受け入れなさいな。初めて恋人と過ごす夏なんだし、殻を破るにはもってこいだよ」
「殻を……そ、そうだよね。頑張らないと」
鞠亜は拳を握りしめ、自分に言い聞かせるように決心を口にした。こういうまじめで真っすぐな所が鞠亜の美点だね。
「経験豊富な先輩みたいな事を言ってるが……」呆れた様子の明菜。「言い出しっぺのお前も当然水着を着て参加するんだろ? 偉そうなことが言えるほどのモノを選べたのか?」
ふふふ……なめてもらっては困る。わたしはニタニタ笑いながら、別の水着を掲げる。
「そこはもう抜かりないわよ。この日のために二ヶ月もの間、ずっと努力を重ねてきたのよ」
「水着を選ぶのに二ヶ月も何を努力するんだ」
「そりゃあもちろんプロポーションの調整よ。二人を夏休みまでに首尾よくくっつけたら、必ず海に連れていくって決めていたんだから。その時にはわたしも参加するつもりでいたけど、あんまり目立つと二人のアバンチュールに水を差すことになるから、その辺のバランスを整えた体型にするのにかなり苦労したって話」
「努力のベクトルが常にあらぬ方向を向いているな、お前」
おいおい明菜よ、わたしが常におかしな努力をしているかのような言い方をすんなや。太すぎも痩せすぎもしない体型を維持するって、言うほど簡単じゃないんだぞ。
「それじゃあ波花ちゃん、ずっとダイエットしてたの?」
「余分な肉があっても悪い意味で目立つからね……まあとにかく、わたしの二か月間の努力の成果を見たまえ」
そう言ってわたしは、セレクト済みの水着を持って、鞠亜と入れ違いに試着室へ入った。
三十秒で着替え終えて、わたしは「いくよー」と声をかけてから、カーテンを開いた。
「どうだ!」
わたしが選んだのは、トロピカルな色彩のフリルとパレオがついた、肌の露出が少なめながら可愛らしさを追求した、女の子っぽさ全開のビキニである。海に着ていく以上は可愛らしいモノがいいが、あまり目立って二人の邪魔にならないよう、控えめな感じを狙ってみた。
「おぉ〜、すごいよ波花ちゃん。思った以上に似合ってる。かわいい〜」
鞠亜は手を叩きながら褒めてくれた。やっぱりこういう時に素直に、人が喜ぶことを言ってくれる彼女は、聖母みたいな存在だよねぇ。
「ふむ……」明菜はなにやら、わたしを観察し始めた。「やや控えめな胸にフリルを合わせて、大きさを過度に主張しない。パレオが絶妙に太ももを隠し、腰回りはまるで無駄な肉だけを落としたように、くびれはないがでっぱりもない。この絶妙なまでにバランスのいい、起伏を抑えたプロポーション……侮れんな」
「なに冷静に人の外見を分析してるのよ」
しかも分析すれば当然、わたしの体をじろじろと見ることになる。明菜が女でなかったらセクハラで訴えるところだ。
「いや、わたしはこのプロポーションをひとことで言い表せる単語を知っている。ズバリ……」
明菜はわたしをビシッと指差して、言い放った。
「寸胴!」
「こらっ」
失礼極まりない単語が返ってくる事は予想できたので、わたしはすぐに突っ込めた。
「人の体型をつかまえて大型の鍋にたとえるのはやめろ」
「お気に召さなかったか」
当たり前だ。そんなたとえ方をされて喜ぶ女子など、この地上にはいない。
「では、旧式の郵便ポストならどうだ」
「だからなんで円筒形の物体でたとえるのよ!」
「まあまあ」鞠亜がなだめにかかった。「波花ちゃんがわたし達のことも考えて、スタイルを整えたり控えめな水着を選んだりしたんだから、あんまり嫌なこと言わないであげて」
「同級生を相手に母親みたいなことを言うんだな……」と、明菜。
「そういえば、明菜ちゃんはどんな水着にするの?」
「わたしは……スポーティーなやつでいいよ。ビキニなんて絶対似合わないし」
「そんなことはないぞ」わたしは断言した。「明菜って意外とムネ大きいし、たぶんわたしよりお腹の筋肉あるでしょ。脚も細いし、ビキニでかなり映える体つきだと思うんだよねぇ」
「波花、お前はいつから友達の体型を冷静に分析するような変態になった」
「わたしの体型を観察して寸胴呼ばわりする奴が言う……? まあとにかく、明菜に似合いそうなビキニを二、三ほどチョイスしておいたから、試着して選びな」
わたしが両手に持った三枚のビキニを見て、明菜はあからさまに顔をしかめた。
「それを、着るのか……?」
「バストサイズ知らないけど、パッと見た感じは合うと思うよ」
「そういう問題じゃなくてだな……それ! 鞠亜に薦めたやつより布が小さいじゃないか! わたしはそんなものを好んで着るようなビッチじゃないぞ!」
「ビッチって、今どきの女子高生ならこのくらい普通でしょ」
「だったら波花は着るのか?」
「着ないよ? だって似合わないもん」
「おい」
「でも明菜だったら絶対似合うって。ほらぁ、鞠亜のこの顔を見ても嫌だなんて言えるか?」
言われて明菜はようやく、鞠亜が向けてくる期待のこもった眼差しに気づいた。どうやらビキニ姿の明菜を想像して、直に見たいと思えるほど気に入ったらしい。さすがに、付き合っている彼女にこんな顔をされたら、明菜も無下にはできないようだった。
「わ、分かったよ……じゃあ、せめて色があんまり派手じゃないやつを」
「だったらアクアブルー系だね。確かに明菜はそっちの方が似合いそう」
「あー、もうどうでもいいわ」
そして紆余曲折あって、試着を終えた明菜がカーテンを開けて現れた。
「寒いな、この恰好……」
開口一番に明菜は言った。確かに肌が覆われている部分は一番少ないけど、真っ先に口にする感想が“寒い”というのはどうだろう。
しかしわたしの読み通り、セレクトしたアクアブルーのビキニは明菜にピッタリだった。ほどよく引き締まったウエストと脚、豊満なバストとヒップ、それらが十分に映える形のビキニ、涼しげな色調のデザインは明菜のクールな雰囲気をさらに高めている。
「わあ……明菜ちゃん、キレイ!」
手を叩き喜ぶ鞠亜。首尾よく恋人の心を掴めたようだ。
「うむ、素晴らしくエロいな」
「波花」明菜が怒気をこめて言う。「お前は選ばせる気があるのかないのか」
もちろんあるとも。見たままの感想を言っただけで、そこまでムキにならなくてもよいではないかぁ……って、ムキになるよね、分かってますとも。
「さて、ひと通り着てみたけど、どんなもんじゃい?」
一応訊いてみたけど、感触としては悪くなかったと思っている。
「殻を破るって決めたばかりだし、今年の夏はこれで勝負する!」
簡単にわたしの言葉に乗せられているけど、鞠亜は何と勝負するというのだろう……。
「鞠亜がいいと言ってくれるなら、ためらう理由はないけど……なんだか結果的に、ぜんぶ波花が選んだものになってしまって、うまいこと波花の手のひらの上で踊らされた気分だ」
それはためらう理由になっているのではないか?
「そりゃあ、ねぇ。今年の夏休みは二人にとって、恋人と過ごす初めての一大イベントだもの。お互いがいいと思えるものをしっかり身に着けて、解放感たっぷりの砂浜で心も体も触れあえば、二人の愛は一層深まるはずでしょう?」
「波花」明菜が冷めた目を向けてくる。「応援してくれるのはいいが、介入のし過ぎはかえってぎこちなくさせるだけだぞ」
「だーいじょーぶ! 何かのきっかけで二人がいい雰囲気になったら、空気読んでその場を離れて二人きりにさせるから。で、二人がよく見える所からきちんと見守るから」
「お前の場合、見守るという言葉にすさまじく下心を感じるのだが」
「ねえ、それより……」鞠亜が口を開く。「そろそろ着替えない? 試着室の前で固まっていたら他のお客さんに迷惑がかかるし。それに……いい加減恥ずかしくなってきたし」
「そうだな。寒いし」明菜は二の腕をさすりながら言う。
「あ、待って。その前にみんなで写真撮ろう、写真」
わたしはバッグからスマホを取りだした。実はすべて、この写真のためにやったことだ。この場に誘ったのも、二人が互いに意識せざるを得ない水着を選んだのも。
「えっ、この恰好で写真撮るのっ? ちょっと、恥ずかしいよぉ」
「すぐ終わるって。というわけで明菜、なんでもいいから鞠亜と絡んで。恋人っぽくとか意識しなくていいから、明菜のやりたいように」
「ふうん、好きなようにしていいのか」
自由にしていいと言われて明菜は抵抗を示さなかったが、恥ずかしがり屋の鞠亜が相手なら、水着による直接的なスキンシップは、どんな形であれ鞠亜を慌てさせるだろう。そうなれば、はたから見たら二人の関係はすぐに分かる。
わたしはカメラを自撮りモードにして、後ろの二人がフレーム内に映るように位置を調整し、ピースサインをしてシャッターを切った。その寸前。
「こんな感じか」
「ひゃっ!?」
明菜が後ろから片腕を鞠亜の肩に回してきて、鞠亜がびっくりして明菜を見た。わたしのスマホカメラは、その瞬間をバッチリ捉えた。
ふふっ、いいものが撮れた。後でこの写真を、聖木奏に送ってあげよう。そうすればあの子も、二人が無事に結ばれた事を察してくれるだろう。すべて計画通りになって、わたしは実に満足だ。
結局、鞠亜も明菜も、わたしが選んだ水着を買うことに決めた。わたしの目論見どおりになったことは、特に明菜がまだ不満げだったが、鞠亜が気に入ったので文句は言わなかった。この調子で二人とも、互いに相手に求めあえばいい。そうやって恋は育まれていくのだ。……なんて、恋愛経験皆無のわたしが、偉そうに言えることじゃないけど。
ショップを出て、わたし達はあてどなく街中を歩いていた。
「さーて、と。次はどこに行こうかなぁ」
「水着を買う以外にやること決めてなかったのか」振り向く明菜。
「うん。こっちがメインだったし」
「ショップに行く前にお昼も済ませたからなぁ。というかわたし、犬の散歩があるから早めに帰りたいんだけど」
「そうなの? 何時までに帰る?」
「五時までに散歩を終わらせるよう言われているし、四時半には家にいるようにしたいかな」
それを聞いて、わたしはスマホで時刻を確認。今は三時半を少し回っている。
「あと一時間もないか……ゲーセンとか映画館だとあっという間に時間忘れそうだよね」
「ゲーセンはともかく、映画館は上映時間がきっちり決まっているから、時間を忘れるとか以前の問題だと思うけど」
「あ、あのっ、波花ちゃん……!」
歩いているうちにいつの間にか、わたしと明菜より後ろの方に下がっていた鞠亜が、うつむき視線を泳がせながらわたしを呼び止めた。なんかこのしぐさ、二ヶ月くらい前にも見たな。鞠亜が初めて、明菜への好意を相談してきた時と……これは何かあるな。
「ちょっと、波花ちゃんに、相談したい事があって……」
「明菜との関係のことで、か?」
「なっ、なんで分かったの!? この間もそうだったけど!」
「鞠亜の反応は分かりやすいからね。ま、そーゆーわけだから」わたしは明菜を見て言った。「きょうのお出かけはここまで。明菜はさっさと家に帰りな。わたしはこの後、鞠亜の相談に乗ってあげないといけないから」
「なんでお前の義務みたいになってんだ」眉根を寄せる明菜。「というか鞠亜、付き合い始めたばっかりで、いきなり恋人をのけ者にして他の女と密会するとかよくやるな」
いや、あんたの目の前で話を進めているんだから、密会ではなかろうがよ。つか、仮にも友人を掴まえて“他の女”なんてNTRみたいな扱いをするんじゃない。
浮気を疑われた鞠亜は、案の定あわて始めた。
「ま、待って明菜ちゃん! 別にそういうわけじゃ……」
「置いてきぼりにされて寂しいんだろうけど、少しは空気を読んでやりなよ。付き合い始めたばっかりで不慣れなことも多いんだから。それに、恋人になったからこそ、言いにくくなることだってあるんじゃないの」
「……波花って、恋とかしたこともないくせに、こういう時は的確な事を言うよね」
「てめー、誰のおかげで鞠亜と付き合えていると思って」
明菜がわたしに対して言葉を選ばないのはいつもの事なので、むかっ腹が立つことはあっても基本は気にしない。どうせ、鞠亜がわたしに取られるのではと不安なのだろう。なかなか本心を言葉に出さないのが倉知明菜という人間なのだ。
結局明菜は引き下がり、先に家に帰ることにした。二人になったわたしと鞠亜は、落ちついて話ができる場所として、すぐ近くのドーナツショップに入った。水着を買う前にお昼は済ませてあるけど、三時半はおやつの時間、やっぱり小腹がすくというもので……。
「まあ、空腹を満たしてからゆっくり話を聞くというのもアリだとは思うけど、でも……」
わたしは、自分の手元にあるオールドファッションと、鞠亜の前に置かれている、トレイの上に山積みにされたドーナツを見比べて、ため息をつく。どう見ても、小腹がすいたからちょっとつまもう、という量ではない。いったい何十個頼んだんだ。
「鞠亜ってホントに、見た目と食べる量のギャップがハンパないよね」
「もぐもぐ……そうかな」
両手に一個ずつドーナツを持って、次々たいらげていく。鞠亜の小さな体のどこに、これだけの量が入るのだろう。というか、ほどよい体型を維持するために食事制限をしてきたわたしの目の前で、これだけバクバク食べるとか、どんな拷問だ。
こんな調子で相談を始められるのか、いささか不安になってきた。
「で? わたしに相談したいことって何だい」
「んくっ」ドーナツを飲み込んでから鞠亜は言った。「実は……ちょっと、不安になってて」
「不安に?」
「わたしは明菜ちゃんが好きだし、そのことはちゃんと伝えたから明菜ちゃんも分かっていると思う。だけどわたしは……明菜ちゃんから一度も、好きだって言われてないの。告白したときも、昨日のデートのときも」
……一瞬、理解が追いつかなかったけど、要するに、そういうことか。
「つまりあれか。明菜が鞠亜のことをちゃんと好きなのか確信が持てなくて、不安だと」
「う、うん……」
全身の力が抜けた。
かあ。この贅沢バカップルが。はたから見ている第三者からすれば、確信を持たずにはいられないというのに。頬筋が引きつっているのを自覚しながら、わたしは言った。
「すでにデートを済ませていて、しかも今日、わたしが『好きなように絡んで』と言われて後ろからハグしてきたのに、それでも明菜が自分を好きかどうか自信がないと?」
「だ、だって明菜ちゃん優しいから、わたしのために気を遣っていただけかもしれないし……」
優しい……? 気を遣う……?
わたしだったら自信満々にその可能性を否定するけど、ことは鞠亜と明菜の問題だ、わたしの感覚を押しつけるようではいけない。鞠亜の心配性は今に始まったことじゃないし。
「波花ちゃんはどう思う? 明菜ちゃん、ホントにわたしのこと好きなのかなぁ」
面倒くさ……わたしは投げやりに答える。
「知らん。直接本人に訊け」
「ちょっ、冷たいよ波花ちゃん! 応援してくれるんじゃなかったの?」
「するけど……それは応援のカテゴリーに入らないと思う。というかぶっちゃけ、こういうのは本人に直接訊いた方が早く解決するから。わたしに何を求めたってどうにもならない」
「うぅ……答えを聞くのが怖い」
ついに鞠亜は、両手で頭を抱えてテーブルに顔を伏せた。
世話が焼けるなぁ。鞠亜も、明菜も。明菜が鞠亜に対して好意を口にしない理由に、わたしはとうに見当がついていた。そのうえであえてしょっぱい対応をしているのだが。
「望まない答えが出てきたらショックだって思うくらい、鞠亜は明菜が好きなんだね」
「…………うん」
「だったら何も問題ないね。今の話をちゃんと明菜に伝えて、本当のところどう思っているか素直に訊きな。たぶん、鞠亜が思っているようなネガティブな答えは返ってこないし、明菜もちゃんと鞠亜が好きだってことは嫌でも分かるから」
「そうかなぁ……」
「そうだよ。わたしが保証する!」
鞠亜は顔だけ上げてこちらを見た。今にも泣きそうな潤んだ目、赤らんだ頬。
うっ……やっぱりかわいいな。こういう表情を明菜の前でも見せれば、案外簡単に胸の内を曝してしまいそうだけど。
「……波花ちゃんって、なんでそんなに明菜ちゃんのことが分かるの? 付き合いの長さはわたしとほとんど変わらないのに」
「うーん……付き合いの長さは確かに変わらないけど、わたしの場合、明菜の心に土足でずかずか踏み込むことが多かったからね」
「そ、その表現はどうなの……」
「要するに違いはそこだけだよ。踏み込めるかそうでないか。鞠亜が不安になるのは、明菜の心に踏み込む勇気が足りてないだけじゃないかな」
「うぅ〜ん……」
「ほら、今年の夏は殻を破るんじゃなかったの?」
「そ、そうだった」ようやく起き上がる鞠亜。「怖がってもいられない。気持ちが分からないなら踏み込まないと。彼女なんだから」
えっと、その“彼女”ってどっちのことを指しているのかな。わたしがたきつけた結果生まれたカップルとはいえ、ややこしいなぁ。せめて主語をつけてくれ。
『(波花)明日も三人で出かけるよー。今度は隣町のネコ公園だ』
『(明菜)宿題をやれ』
そんなメッセージのやり取りを経て、翌日もわたし達三人は一緒に遊びに出かけた。隣町には、なぜか野良ネコがたくさん集まる公園があって、近隣からはネコ公園と呼ばれている。よくあるネコカフェと同じようにネコたちと触れ合えるけど、エサを与えることだけは禁止されている。もっとも、最近になって誰かがネコ用のトイレを公園の隅っこに設置し、いつの間にか集まるネコたちにトイレの仕方をしつけたらしく、今ではエサやりも黙認されているとか。
まあ、そんな事情などわたし達にはどうでもよくて、とりあえず三人で集まれる場を作れたらどこでもよかったんだけどね。
いきさつは省くけど、現在、鞠亜と明菜はネコたちに囲まれながら、差し向かいで立って見つめ合っている。正確にいうと、鞠亜が頬を赤らめながら明菜をじっと見つめ、その様子に明菜が困惑しているのだけど。
一方、二人を誘ったわたしは、その二人を無視してネコたちと戯れていた。
「おー、かわいいかわいい。お前らみんな人懐っこいなぁ〜」
近所の人たちからよほどかわいがられているんだろう、ここのネコは本当に人を警戒しない。集まってきては、にーにーと鳴いて何かをねだってくる。ああもう、こんなかわいい生き物たちを放置するなんてできっこない。放っとく奴の気がしれない。
「えっと……何かな、鞠亜」
「…………」
気がしれないから無視していたけど、あれから五分、ちっとも話は進まない。鞠亜に何か言いたいことがあるのは見て取れても、何か言ってくれなければ始まらない。
あー、なんかじれったくなってきた。
ネコたちを驚かせないよう、わたしはゆらりと立ち上がった。
「おいコラそこの青臭ぇバカップルぅ」
「誰がバカだ」明菜が怒気をこめて言った。
「いつまで黙って突っ立って見つめ合ってんだよ。お互い、ちゃんと口に出して言うべきことがあるんじゃないの」
「…………えっ、お互いって、わたしも?」
明菜は自分を指差して言った。そうだよ、お前もだよ。
「ねえ、鞠亜」
呼びかけると、鞠亜は肩をビクンと揺らした。
「わたしが保証するっていうだけじゃ、やっぱり不安なの?」
鞠亜は少し表情を歪めた。何も言い出せないこの状況が、背中を押したわたしに対して失礼なんだという事に気づいたらしい。
一回深呼吸をして、小声で「よしっ」と呟くと、鞠亜は意を決して明菜に告げた。
「明菜ちゃん!」
「な、なに?」
「明菜ちゃんはわたしのこと、好きなんだよね!?」
口元をきゅっと結んで、返事を待つ鞠亜。突然の質問に戸惑って、ポカンと口を開けている明菜。わたしはそんな二人をただ見守っている。
「えっと……な、何を今さら」
「ちゃんと言葉にして言って。好きなら好き、そうじゃないならそうじゃないって、わたしの前ではっきりと言って。わたし、まだ一度も、明菜ちゃんの口から聞いてない!」
「そ、そうだったか? タイミングがなくて……」
「あったよ! おとといのデートのとき、わたし、『明菜ちゃんも同じ気持ちだったら嬉しいな』って言ったのに、明菜ちゃんは『そっか』としか言わなかったじゃない!」
ちょっと待て。昨日相談を受けたとき、そんな話は聞かなかったぞ。ひとこと文句を言ってやりたかったけど、ここは我慢、我慢。
「わたし、ずっと不安だったんだよ? もしかしたら、明菜ちゃんはわたしに気を遣って付き合っているだけで、わたしに恋心を抱いているわけじゃないんじゃないかって……」
鞠亜のその言葉を聞いて、明菜の顔色は明らかに変わった。
「ま、待って! 違う! 気を遣ったっていうのがないわけじゃないけど、わたしは、ホントに本気で、鞠亜と付き合いたいって思ったし、ちゃんと鞠亜のことは好っ」
唐突に、明菜のセリフが途切れた。鞠亜が顔を上げて明菜を見ると、あっけにとられたように目をみはった。
明菜は、顔がぜんぶ真っ赤になっていた。
「す……すっ……すぅ……」
まるでかすれた息が漏れているみたいだった。予想はしていたけど、やはりこうなったか。これを見れば鞠亜も、昨日わたしが言いたかったことが分かったはずだ。
わたしは明菜のもとに歩み寄り、肩にポンと手を置くと、精一杯の苛立ちと憤りをこめて明菜に告げた。
「明菜……言え」
わたしと目を合わせたくないのか、明菜は口元を押さえて顔を背けた。埒が明かないので、わたしから事情を説明することにした。
「鞠亜、もう分かったでしょう。こいつはちゃんと、鞠亜のことが好きなんだよ。でも、あまりに恥ずかしすぎて言葉に出せなかっただけ」
「ええっ……?」鞠亜は絶句した。
「昨日の水着選びのときもそうだったけど、明菜って何かを褒める時は、必ず遠まわしで、あたかも客観的に分析したかのような言い方をするのよ。つまり、素直に自分の気持ちを言葉にするのが苦手ってわけ」
これは普段からそうだった。明菜は周囲からクールな少女と称されるが、それは自分の気持ちを率直な言葉で表せないからに他ならない。いつも冷静に、一歩引いた位置から見るような物言いをするから、クールだと思われているだけで、実際はただの恥ずかしがり屋だ。だからこそ、鞠亜とは絶対に気が合うと、わたしは前から考えていた。
「あ、明菜ちゃん……」
「まあ、恥ずかしがり屋はお互い様だから、明菜を責めるのは酷だけど……大好きな恋人を不安にさせてしまった落とし前は、ちゃんとつけなよ」
「す、すまん……」
明菜は口元を押さえながら言った。たぶんもう大丈夫だと思い、わたしは明菜から離れた。ここから距離を詰めるのは鞠亜の役目だ。
鞠亜はふっと微笑んで、明菜のすぐ目の前に歩み寄る。当の明菜はまるで目を合わせない。
「明菜ちゃん」
「えっと、あの……わ、わたしは……」
いまだ気持ちを言葉に出せずにいる明菜を、鞠亜は包み込むように抱きしめた。身長差があるから、どうしても鞠亜が背伸びして明菜がかがむことになるけど。
鞠亜は明菜の耳元でささやいた。
「大丈夫。どんな言葉でも、明菜ちゃんの素直な気持ちなら、ちゃんと受け止めるよ」
「ま、鞠亜……」
「だから、聞かせて。明菜ちゃんがわたしのこと、どう思ってるか」
……聞こえてない。わたしには何も聞こえていない。何も聞いていない、ことにする。
「そ、そんなの……っ」
明菜は、鞠亜の小さな体を、ぎゅっと強く抱き返した。
「めっちゃ大好きに決まってるだろっ!」
公園中に響くほどの声で、明菜は自分の想いを叫んだ。
ああ……やっと言えたか。恋人として付き合い始めて三日目、結構長かったな。
満面に喜色を浮かべて、鞠亜はそっと告げる。
「……わたしも、明菜ちゃんが大好きだよ」
勇気を出して踏み込んだ結果、相手の知らなかった一面を見ることができた。ちゃんと言葉でお互いの気持ちを確かめあい、心が繋がりあえたと分かったなら、これから二人の愛は、もっと深く育まれていくのだろう。
ああ……やっぱりいいな、こういうの。鞠亜と明菜は、わたしにとっても大切な友達だ。その友達が幸せをいっぱいに噛みしめているのを見るのは、本当に心地よくて、なんだか胸のあたりがポカポカしてくる。
二人の周りに集まっていた野良ネコたちが、まるで二人を祝福するかのように、にーにーと鳴いたり足元にすり寄ったりしている。二人もネコたちに気づいて、ようやくネコとの触れあいを始めた。ネコ公園に来たんだから、これはちゃんとやらないとね。
キラキラと輝く、二人の少女の恋模様。
ずっと、こんな光景を見ていたいな……二人の、いちばん近くで。
「よしっ、もうこれからは、わたしに相談できるのはひとつだけだね!」
「え、なにそれ」
「決まってるじゃん。結納の品定め」
「「だから気が早いって!!」」
わたしからの祝福の言葉は、さらっと跳ね返されてしまった。うぅむ、なぜだ。
自宅に戻ってスマホを確認すると、聖木奏からのメッセージが来ていた。昨日わたしが送った『海の写真があったら見せて』に応えてくれたらしい。この子も何だかんだ言って素直だなぁ。
『よく分かんないからこれ送るよ』
同時に送られてきていた写真には、海と砂浜と、びしょ濡れで笑顔を向ける背の高い女の子。裾を縛ったシャツとハーフパンツで、日に焼けた脚とかお腹が見えている。なかなかかわいい子だけど。
「誰? この子……」
奏とは数ヶ月しか一緒にいなかったから、よく分からないことも多い。ちなみに昨日送ったわたし達の水着写真に対しては、『おめでとー』と返してきた。狙っていたとはいえ、本当に二人のことを察してくれたのは驚いた。そしてたった一日で、わたしの冗談半分の要望に応えたわけだ。怜悧で誠実、でも一緒にいた間にそんな印象はついに持たなかった。
どうもわたしの周りには、気持ちの示し方が不器用な人が多すぎる。基本的に欲望に忠実なわたしの周りに、どうしてそんな人たちばかり集まるのか……あっ、わたしがそういう人のことを気にかけて、自分から積極的に絡むからだ。
奏がわざわざこんな写真を送ってきたということは、もしかしたら何か言いたいことがあるのかもしれない。今までも、わたし達の高校にいたときも、あの子は自分から友人を作らなかった。でもこの写真の女性は……ただの知り合いに、こんな笑顔は向けない。離島に引っ越して、ようやく心を許せる友人ができたのだろうか。
「……まあ、わたしの無茶な頼みに応えるくらいだもん、何か動きがあれば、そのうち話してくれるでしょ。こっちはそれどころじゃないし」
わたしはベッドの上でごろんと転がって、仰向けになる。
あの後……せっかくだから二人きりで帰りたいと言い出した明菜に気を遣って、わたしだけ先に二人と別れたのだが、その直前に明菜はわたしに言ったのだ。
「波花、きょうはありがとう。……昨日の水着、すごく似合ってた」
ふわりと微笑んだ明菜に、わたしは何も言えなかった。
あのタイミングであんな事を言われて、気の利いた返事なんかできるかい。ちょっと気分が軽くなってガードが緩んだからって、今さら素直な言葉で褒められても……。
なんか、困る。
「くっそぉ〜……鞠亜の気持ち、少しだけ分かっちまったじゃねーか」
枕に顔をうずめながら、わたしは乱れだした心を抑えようと必死になっていた。
どうやらわたしは、あの二人の応援にのめり込むあまり、二人の恋心に感情移入しすぎてしまったらしい。応援するのはあくまで、事情を知る第三者だからできることだ。気持ちが同化してしまったら、まともな応援なんてできやしない。
わたしは二人の友達として、二人の恋をどこまでも見守りたい。
だから、それ以上にはならない。絶対に。




