3-5 思い出の明日から
すべての謎が解き明かされる、最終回です。
この島の夏はとにかく暑い。本州より南にあるせいか、夏の暑さと湿気をもたらす小笠原気団に覆われる確率が高いそうなのだ。雨もあまり降らないし、海に囲まれていることもあって、常に高い湿気と隣り合わせだ。雨は昔からこの島で、神様の恵みとされてきたものだ。
ちなみにわたしの名前も恵だけど、そんなたいそうな自然への畏敬とは特に関係ない。きょうもわたしはリビングで、扇風機の風を顔に浴びながら暑さをしのいでいる。
一応自分の部屋にクーラーはあるけれど、小さい頃から外で走り回るのが普通だったわたしにとって、クーラーの風はどうも体に合わない。太陽の下で育った子どもは、扇風機くらいの風で十分なのである。そうすると、あの子はたぶん扇風機じゃ乗り切れないか……。
「…………うーん」
また何かにつけてあの子のことを考えている。出会ったときから気になる存在だったけど、気がついたら、あの子と一緒にいる時間が増えていた。今じゃ時折、夢にも出てきて、不器用ながらわたしに微笑みかけてくる。
―――恵さんをひとりにしたくありません。絶対に。
あの子は確かにそう言った。わたしの胸の中で、わたしの奥底に語りかけるように。
わたしの周りには、見守ってくれる大人がたくさんいる。学校にも、話し相手になってくれる人はいっぱいいる。だけど……好きなものを分かち合える人は誰もいなかった。あの子はそれを的確に見抜いて、そしてあのように言ったのだ。
あの子にはあの子の事情があって、わたしが口出しできる事じゃない。なのに、あんなことを言われてしまったら、とても自分を抑えきれない……ずるい子だよ、本当に。
じわりと、目に涙が浮かんだ。
あれ、わたし、どうして泣いているんだ……?
「あっ……目に風が当たったからだ」
その日の夜、聖木の家の二階には、まだ明かりが灯っていた。
「じゃあ、やっぱりあの白いものは……」
わたし、聖木奏は、自室のパソコンの画面に向かって告げた。わたしの声は付属のマイク、姿はパソコン内蔵のカメラによって、ある場所に送られている。そしてパソコンの画面には、髭をたくわえた白衣姿の中年男性が映っている。その白衣もずいぶん砂や埃で汚れていた。
「ああ。写真で見ただけじゃ確信は持てないが、恐らくは」
「とんでもないもの拾っちゃったなぁ……」わたしは顔に手を当てる。「それにしても、しばらく見ないうちにずいぶん見た目変わったね。髭ぼうぼうだよ」
「こっちに来てから剃る時間もなくてな……奏の方は元気そうで何よりだよ。予定どおり、夏休みが終わるまでに、こっちでの仕事が一段落しそうだ。とりあえず、いま抱えている案件を片づけたら、一度そっちに戻るよ」
「直接戻ってくるの?」
「ああ、本部への報告もテレビ電話で済ませられるし。それに、奏が島でどんな体験をしたのか、じっくり聞きたいからな。あれをどこで見つけたのかも気になるし……」
まあ、そうだろうな。時差があるとはいえ、夜中のテレビ電話では要領を得ないし、そもそもこの話には恵も大きく関わっている。面と向かって話をした方が面倒くさくならないだろう。
だけどその前に、やっておきたいことがある。後々ややこしいことにならないように。
「父さん……ちょっと、相談があるんだけど」
結局、この相談には三十分もかけてしまった。それでも最後は納得してもらい、わたしの希望が通ることになった。まったく……まんまとやられた、という感じだよ。
テレビ通信を終えて、わたしはベッドに腰かける。さて、この事をあの子にはどう伝えようか。そんな事を考えていると、スマホに電話の着信が来た。メッセージアプリを使った、よく知っている人からの電話だった。
「もしもし、楢崎さん? しばらくぶりですね。……え?」
前の高校での知り合いから、予想もしないことが尋ねられた。
島に移り住んでおよそ一か月が経とうとしている。島の夏休みは都会と比べて短く、お盆のすぐ後に終わりがくる。島にある小・中・高の学校は、三日後に一斉に二学期が始まる。この辺りになってくると、島の外に出ていた子どもたちも戻ってきて、少しずつ島がにぎわっていく。
きょうも空は晴れているけれど、ほどよく雲も出ていて、日差しの強さは感じない。聖木の家から岸崎の家までは、海沿いの道路を辿って島の反対側まで行かないといけないので、あまり暑いと歩くのが面倒になる。だから今の天候は幸いだ。
展望台に行った日に、一度だけすぐ近くまで来たことのある、恵の自宅。あの時は、恵が電波塔の鍵を入手するために立ち寄っただけだから、家の中までは入っていない。
今は午前十時を回っている。あの野生児のことだから、すでに外に遊びに出ていて、もうここにはいないかもしれない。出会って一か月も経つのに、未だに連絡先を交換していないから、自発的に彼女に会おうと思ったら、自宅か、彼女が立ち寄りそうな場所に出向くしかないのだ。恵の母親もわたしのことを知っているはずだから、話がしたいと言えば呼び戻してくれるかもしれない。
うぅむ……緊張してきた。
この島に来てから、誰かの家を訪ねるのは初めてなのだ。しかも相手は、わたしにとって特別な存在になりつつある女の子で、ついこの間、初めて自分から距離を縮めた相手でもある。わたしは心の準備ができているけど、彼女はどうだろうか……。
ええい、どうにでもなれ! 意を決し、わたしはインターホンを押した。
防音がしっかりしているのか、音は聞こえなかった。そして、島民ゆえに警戒心が薄いのか、来客の素性を訊くことなくドアを開けてきた。
「はぁい。あら、どちら様?」
四十代くらいの綺麗な女性が現れた。そしてこの声には聴き覚えがある。一度だけ電話で話したことがあるから分かった。恵の母親だ。
「あの、聖木奏と言います。恵さんはいらっしゃいますか?」
「ああ、あなたが奏ちゃんね。直接会うのは初めてかしら」
「そうですね……」
「恵ぃー?」母親は二階に向かって声を上げる。「奏ちゃんが来たわよー!」
直後、ガタガタガタという激しい物音が、階上で盛大に鳴り響いた。どうやら、運よくまだ家にいたみたいだが、わたしが来たくらいでそこまで慌てなくても。
そして、ドカドカと足音を立てながら、恵は階段を降りてきて、姿を現した。さっきまで寝転がっていたのか髪は乱れていて、さらに、家の中でもやっぱりシャツ一枚にハーフパンツ姿だ。裾は縛ってないけど。
「か、奏ちゃん……なんでここに?」
「あら、てっきり遊ぶ約束でもしてたのかと思ったけど」
母親はそう言ったが、もちろんそんな約束はしていない。
「恵さん、色々話したいことがあるんです。ちょっと一緒に外に出ませんか」
「……珍しいね」恵は目を逸らす。「奏ちゃんからそんな事を言い出すなんて……でもわたし、きょうはちょっとやることがあって」
自分の眉間にしわが寄るのを感じた。
やっぱり恵の方は、気持ちの整理がついていないか。でも、こじれる前に、どうしても恵には話しておきたい。他の人には聞かれたくないし、なんとしても外に連れ出さないと。
「猫山神社の名前の由来、知りたくありませんか?」
「え?」
「あれから色々調べて、わたしなりに答えを出してみました。まず真っ先に、恵さんに聞いてほしいんです。猫山神社に行って説明したいんですけど」
「ほ、ホントに……? あっ、で、でも……」
心惹かれたようだが、それでもまだ恵はためらっている。なんとなく気づいていたが、恵はわたしと、楽しいことを共有したかったのだろう。謎が解かれる事で、その楽しみが失われることを怖れている。その根底にあるのは、やっぱり……。
これ以外に、恵を連れ出す方法は思いつかない。だけど恵は腹を決めたようで、拳をぎゅっと握りしめて、顔を上げて真っすぐにわたしを見返した。
「分かった。聞かせて、奏ちゃんの答えを」
……もちろん、思う存分、聞かせてあげようじゃない。
島の中央にそびえる山の、西側の中腹にひっそりと建つ小さな神社。それが猫山神社だ。わたしと恵が初めて一緒に訪れた場所であり、わたしの心をこの島につなぎとめるきっかけを作った場所でもある。
ふもとの鳥居をくぐって、長い階段を上って、わたし達はお社の前にやってきた。この一か月、ずっと恵に振り回されたおかげか、前回はあっという間にくたびれたのに、今回は少し息が切れるくらいで平気だった。
振り返って、海を見る。……気のせいかもしれないけど、以前よりもっとキレイに見えた。
「やっぱいいなぁ、ここ。潮風が気持ちいいし」
同じように海を眺めながら、恵は腕を上げて伸ばす。
「あれから色んなことがありましたね。こんなに密度の濃い夏休みは初めてです」
「思い出に残りそう?」
「ええ、間違いなく……わたしの、夏休みの思い出は、ここで始まりました。だから今年の夏休みの、最後の思い出もここで作ります」
「最後の思い出かぁ、なんかさびしくなるなぁ……それで、奏ちゃんはどんな答えを出したの?」
恵は、恐らくいちばん気になることを尋ねてきた。あまりいい話じゃないけれど、前座としては申し分ないだろう。
「猫山神社……これはたぶん、音でしか伝わっていなかった名前に、後世の人たちが漢字を当てたものだと思います。いつ頃のことかは分かりませんが」
「じゃあ、本当は何だったの?」
「恐らく……子どもの“子”を二つ続けて書いたものだと思います」
「“子”を二つ……?」首をかしげる恵。
「ほら、十二支だと“子”は“ね”と読むでしょ。最初の字だけ“ね”と読めば……」
「そっか、“子子”山神社になるね。ということはこの名前って、子宝祈願のためにつけられたのかな。すごくいい由来じゃない」
そう、ただの思いつきと言ってもいい、こんな考えが正しいというだけなら、いい由来だと言うことはできる。だけどわたしは、その名前の裏に、決していいものとはいえない事情が見えていた。
「ただそれだけの理由だった……その可能性もゼロじゃありません。島の人たちはみんな子どもが好きだし、地域を見守る神社にそんな名前を付けることが、ありえないとは言いません。だから……本当にそれだけだったら、どれほどよかっただろうと」
「……え? どういうこと?」
「不思議に思いませんか? 子宝祈願なんてめでたい意味を込めているなら、どうして祀られているのがワタツミなんでしょう。同じ水難除けの神様でも、タマヨリビメなら子宝祈願の御利益があると言われていますが、ワタツミにはそのような御利益がありません。神社の名前だけでは、子宝の御利益にあずかるなんて難しいと思いませんか」
「そういわれてみれば……よく調べたね」
「誰かさんが遊んでいる間に、こっちは時間をかけて様々に調査しましたよ。この神社がどういういきさつで建てられたものなのか、ということもね」
「えっ? それってわたしも知らないけど、どうやって調べたの?」
「うちの蔵にあった古い文献ですよ。割と丁寧に書かれていましたけど、変体仮名とかもあちこちにあったんで苦労しました」
おかげでここ数日は全く勉強に手をつけられなかった。
「えぇー! あれ先に調べちゃったのー? ずるいよー!」
「今まで一度も言い出さなかったんですから、恵さん、どうせ忘れていたんでしょう? それに、わたしが解読できたのは、神社に関係ありそうな記述だけです。とてもじゃないですが、あれは一冊読み込むだけでも肩が凝ります。恵さんでは絶対、無理です」
「ちょっ、ひどくない……?」
「そんなことより、恵さんは覚えていますよね。わたしの祖母が言っていた、間引きの話」
「ああ、うん……口減らしのために幼い子どもを殺したってやつでしょ」
「資料によると、間引かれた子どもの遺体は当初、海に捨てられていたそうです。かつて、この島は無人でしたが、平安時代あたりに発見されてから、本土の人間が何人か、開拓のために島に入りました。その当時は人数自体が少ないから、まだ間引きの習慣はなかったそうですが、時がたって人数が増えると、やがて間引きが行われるようになりました。その時点では、証拠を残さないように、子どもの遺体は海に捨てるのが当たり前だったみたいです」
「今の時代からすれば考えられないよね、そんなの……」
「この辺は大きな海流もあるから、そう簡単に見つからないと踏んだのでしょう。でも、鎌倉時代の中頃から、この島で暴風雨が頻発するようになりました。それによって漁船が流されたり、行方不明になる人が出たり、海沿いの民家が高波の被害を受けることもたびたび起きたそうです。当時の人たちは、子どもを殺して捨てたことで、海の神様が怒ったのだと考えたんです」
「そっか、それで海の神様を祀ったんだ……」
厳密には、資料にはそこまではっきりと書かれてはいなかった。ただ、猫山神社が建てられた室町時代より以前に、海難事故が多発していた事は分かった。それが海の神様の怒りを買ったせいだとも。神社に関する記述はほとんどなかったが、恵の言ったことが正しいと考えていいだろう。
「もちろんその時点で、子どもを海に捨てる習慣は無くなったとみていいでしょう。でも間引き自体は、祖母が言っていたとおり、江戸時代前まで続いていました。では、子どもの遺体はどこに行ったんだと思いますか?」
「えっ……ちょ、奏ちゃん、まさか」
恵もわたしと同じ、恐ろしい結論にたどり着きつつあるようだ。ここから先は蔵の資料にも書かれていなかったから、推測するしかない。だがわたしは、その恐ろしい結論を裏付けるものを、すでに手に入れていた。わたしは、ハンカチに包まれたそれをポケットから取り出した。
「奏ちゃん、それは?」
「ここの裏手から滑落した時、わたしの服に引っかかっていたものです。たぶん、もともと地中に埋まっていたものが、雨で表面の土砂が流されたことで出てきたんですね」
片手の上でハンカチを開き、その薄茶色で蹄鉄形の物体を恵に見せる。
「これって……」
「先日、わたしの父に調べてもらいました。写真を撮って送っただけなので、確定はできませんでしたが、恐らく……乳幼児の下顎骨だろうと言われました」
「かがくこつ?」
「要するに、下あごの骨ということです」
「えっ!? じゃあ、やっぱり、この山に……?」
そう、海に捨てられなくなった子どもの遺体は、神社があるこの山に埋められたのだ。それも恐らく、ある特定の場所に集中して。
「恵さん、この神社の裏手の崖下に、何があったか覚えていますか」
「崖の下……ああ、あの気持ち悪い岩? 墓石みたいなやつで、裏に“玉”の字がびっしり書かれていた」
「そうです。現在の日本では、モノや人数をひとつずつ数える時の記録法として、5ずつ区切って、正しいの“正”の字を書いていきますよね。でも江戸時代以前は、“玉”の字を使うのが一般的だったそうです」
「へえ、そうなんだ……って、ちょっと待って! じゃあ、あの大量の“玉”の字は……」
「恐らく、間引かれた後にこの山に埋められた後、埋めた人が刻んだものだと思います。海難事故が相次いで、間引きをすることに罪悪感を覚えながら、それでも日々の食べ物のために殺さざるを得なかった……自戒の念を込めて、習慣として、あの墓標に一画ずつ刻んでいったのかもしれません」
「じゃあ、この山には、あれだけの数の子どもの遺体が、今も埋まっているってこと……」
恵の顔から、次第に血の気が引いていく。こんなこと、想像するだけでも気が狂いそうだ。もちろん墓標に刻まれた数が正確とは限らない。実際には、後から掘り返されたものもあるかもしれない。だが、それでも相当な数が残っていることは、容易に想像でき……いや、できない。
「ん? というか、写真だけでそんなことが分かる奏ちゃんのお父さんって、何者? 確か海外で仕事してるって聞いたけど」
「ああ、そういえば言ってませんでしたね。お父さんは医師なんですよ。大学の医局に勤めていて、日本各地の病院に派遣されて仕事をするんです。今は海外の、医療が発達していない地域で、アドバイザーとして治療の指導をしているそうですよ」
「すごいね……想像の斜め上をいく職業だよ」唖然とする恵。
「まあ、お父さんの話はそれくらいにするとして……最初、この神社にはワタツミにふさわしい名前があったと思います。しかし、時が経つにつれて、この山に子どもの遺体が多く埋められるようになってきて、鎮魂の念を込めることが増えてくると、やがてここは子どもが多く埋まっている山、つまり“子子山”と呼ばれるようになり、その山にある神社にも付けられるようになった……外の人から見て、分かりにくいものにしたんですね」
「間引きの慣習を知られないようにするため?」
「江戸時代になって、本土との交易が盛んになってくると、つい最近まで間引きが行なわれていたという恐ろしい事実が、広く知られる恐れが出てきたのでしょう。いや、いずれそういう時が来ると考えていた。だから墓石は人が通りにくい場所にあったし、お社も小さくひっそりと建っていた。鳥居が山のふもとに置かれたのは、海から見て目立たないようにという意図もあるでしょうが、この山のいたる所にある子どもたちの鎮魂のために、山全体を神域とするためかもしれません」
猫山神社の謎を探りに来た歴史研究家も、恐らくこの可能性にたどり着いた。だが、この仮説が正しいことを示すには、この山に大量に埋まっているはずの、小さな子どもの骨を掘り出さなければならない。いくら研究のためとはいえ、あれだけの数の、生まれて間もない子どもの遺体を掘り出すのは気が引けるし、想像するだに恐ろしい光景だ。それに、これ以上突き詰めれば、この島に悪いイメージを持たせ、経済的に大きな損失を与える可能性もあった。その研究者は、詮無く調査から手を引くしかなかったのだろう。
今のわたし達は、たぶんその研究者と同じ、あるいはそれ以上に後悔している。こんな真実、知らなければよかった、掘り返さなければよかった、と……だけど、埋められた子どもの骨という物証が手元にある以上、真実から目を背けることは不可能だった。
しばらく、わたしと恵の間に、沈黙の空気が流れた。
「……なんか、ごめんね」先に口を開いたのは恵だった。「わたしが言い出して、謎を解こうなんて事になって、それがまさか、こんな真相だったなんて……」
恵は、がっかりしたような、申し訳なさそうな表情を見せて俯く。
「……恵さん、ひとつ聞いてもいいですか」
「……いいよ」
「恵さんが、この謎の解明にわたしを巻き込んだり、穴場のような所ばかり案内したのって、わたしをこの島に引き留めるためですか」
直後、恵が両目を見開いて表情を固まらせた。顔は正直だね、本当に。
「そ、そんなことは…………うん、思ってたかも。自分でもよく分かんないけど」
「恵さんって、特に何か考えて行動することがほとんどないじゃないですか。自分が何をやっているのか、自覚できていないだけなのでは?」
「うぅむ……そう言われたらぐうの音も出ないや」
「わたしをこの島に留めたかったから、自分でも無意識のうちに、わたしを引っぱり回して、この島の魅力とか楽しいことに、次々とわたしを巻き込んだ……というか、自分だけの楽しいことを、わたしにも味わってほしかったんですね。この島に引き留めて、この先も、わたしが恵さんと一緒にいてくれたらいいと思って……」
「うぅー……」
恵は両耳を手で押さえて、その場にうずくまった。どうやら今ごろになって、自分のしてきた事の意味に気づき、一気に恥ずかしくなったらしい。
「いや、ダメだとは思ってたんだよぉ。奏ちゃんには奏ちゃんの事情があるし、わたしの勝手で引き留めちゃいけないって。でも、外で奏ちゃんとバッタリ会うたびに、わたしの知ってるこの島の素敵なものを、もっといっぱい知ってほしいって思いが強くなって……」
「…………」
「最初は純粋に知ってほしいだけだと思ってたけど、展望台で奏ちゃんに、自分にとっても特別だからひとりぼっちじゃない、って言われて気づいちゃった。ホントに……なんで奏ちゃんって、こんなに何でも分かるの?」
分かるも何も……恵の場合、思っていることがぜんぶ表情や行動に出るから、よほど鈍い人でない限り誰でも分かると思うけど。
「何でも、ってことはないですよ。どうして恵さんがそこまでわたしにこだわるのか、そこまでは分かりませんから」
「奏ちゃんにこだわる理由か……わたしにもよく分からないんだよね。初めて会ったときから、奏ちゃんのことがずっと、頭から離れなかったから」
「初めて会ったとき?」
それはつまり、わたしがたちの悪いナンパに絡まれていたところを、助けたときか。あの時は突然話しかけられて、何事かと思ったけれど。
「たまたま海辺を散歩してて……その途中で、二人組の男にしつこくナンパされている女の子を見かけたんだけど、その子を見たら、すごく心がざわざわした。この子と仲良くなりたい、この子と近づきたい、できるならずっと一緒にいたい、って……何の前触れもなく、そう思えたの」
風が吹き抜ける。ここの木々と一緒に、髪がなびいて揺れ動く。
ざわざわ、ざわざわ。その時の恵さんは、こんな気持ちだったのだろうか……。
「どうして、奏ちゃんの姿を見ただけで、こんなふうに思ったのか、自分でも分からなくて……」
恵は沈んだ声でそう言った。本当に、自分のことだと鈍いんだな。
わたしには、分かってしまった。何もかも……この一か月間の、恵の、わたしに対する行動は、すべてひとつの感情に集約できる。その事に気づいたとき、わたしは思わず口角を上げていた。
「そっか……よかった……」
「え?」恵がこちらを見る。
「恵さん。この神社の秘密を探った結果、あまりよくないことが分かってしまって、そのせいでわたしがこの島を好きでなくなるんじゃないか、そう心配したのではないですか」
「ホントによく分かるね……うん、それは自分でも理解してた」
「恵さんはどうですか。この島のことが、嫌になりましたか」
「そんな事ないよ!」
唐突に立ち上がって声を上げる恵。ちょっとびっくりした……。
「そりゃあ、ここで起きていたことは残念に思うけど、だからって、生まれたときからずっと一緒にいて、大切なものがたくさんあるこの島を、嫌いになんてなれないよ! 誰が何と言おうと、わたしにとってここが特別なことに変わりはないから!」
「そうでしょうね……わたしも同じです」
「え? 同じ?」
「恵さんみたいに、生まれたときからいるわけじゃないけれど、一緒に色んなものを見て、聞いて、知っていくうちに……あなたと過ごした時間のすべてが、特別なものになりました。だから今、恵さんとわたしは、揺らぐことのない特別を、ちゃんと心に持っているんですよ」
まだ理解が追いついていないのか、恵はポカンとしてわたしを見つめている。
「実はもうひとつ、恵さんにお伝えしたいことがあります」
「え? なに?」
「わたし、この島に住むことに決めました。夏休みが終わって、お父さんが日本に戻ってきても、ついていかずに島に残ることにしたんです」
「……え、え?」
「まんまと、恵さんの思いどおりになってしまいました」
わたしはおどけて言ってみた。
例の乳幼児の骨について、テレビ通信で教えてもらった際に、この事を父に相談したのだ。父の勤務先が決まっても父には同行せず、この島の祖父母の家でお世話になりながら、この島の学校に通いたいと。反対はされなかったが心配はされた。だが結局、祖父母がすでに了承していると知って、定期的に連絡することを条件に許可してくれた。わたしが自発的に望みを口にしたのが久しぶりということもあり、なるべく尊重してあげたいと判断したのだ。
「えっと……それじゃあ、奏ちゃんはずっとこの島にいるの?」
「少なくとも高校卒業まではここにいます」
「で、でも、なんでいきなり……」
展開が速すぎて、からだ全体で“戸惑ってます”と言っている。普段はわたしが恵に振り回されて戸惑う事が多いから、攻守が逆転したみたいでなんだか小気味よい、というか新鮮だ。
「言ったでしょう。恵さんの思いどおりになったって。一緒に色んなものを見聞きして、この場所が特別な存在になった……いや、それ以上に」
今この瞬間、恵の姿を見ただけで、何もせずとも自然に笑顔がこぼれる。
「あなたのことが特別で、ずっと一緒にいたいと思ったからですよ」
ざわざわ、ざわざわ。吹き抜ける風の音が、静けさを引き立てる。
「とく、べつ……?」
「たぶんあなたも、わたしと同じではないですか? わたしのことが特別で、だからこの島に留まって、一緒にいて欲しいと願った……しかも初見でそんなふうに思ったんですよね。まるで一目惚れですね」
「ひと……めぼれ……」ぼそっと呟いて、少しずつ恵の顔に、色味がにじみ出る。「そっか……わたし、奏ちゃんに一目惚れしてたんだ」
「わたしのどこに魅力を感じたのか、まあそこは個人の好みの問題ですから、あえて何も突っ込みませんけど。でも、わたしも恵さんと、ずっと一緒にいられたらと思っていて、だけどそう簡単に決心はつかなかった……恵さんも同じ気持ちなんだと気づいたから、わたしはここに残ろうと決められたんです」
そうしてわたしは、恵に手を差し伸べた。初めて会ったとき、恵がわたしにそうしたように。
「これから先も、一緒に思い出を作りましょう」
思い出は夏休みだけじゃ終わらない。このひとがそばにいれば、楽しい思い出は無限に作りだせる。きっと数十年後、積み重ねた思い出を振り返るとき、わたしは思うだろう。あの島で過ごした夏は、これから作られていく思い出の、始まりだったのだと。
恵の双眸が、潤みで満ちていく。初めてわたしに見せてくれた、涙だった。悲しみでも悔しさでもない、それはただ純粋な、願いが叶ったという嬉しさに違いなかった。
「ああ、もう……こんな……敵わないなぁ、奏ちゃんには」
必死に涙を拭おうとするけれど、慣れていないからか、うまく拭えていなかった。
……うーん。握手を求めて差し延べた右手が、手持ち無沙汰すぎてつらい。そろそろ握り返してくれないかなぁ……と思っていると、恵が予想の斜め上の行動に出た。
「もうっ!」
いきなりわたしに向かって飛びかかり、抱きつきながら、わたしと一緒に地面に倒れ込んだ。幸い、足元は石畳でも、倒れた場所は草地なので、倒れてもダメージは少なかった。それより、いきなり恵に抱きつかれたのが衝撃的で、多少の痛みなんて気にする余裕がない。
「ちょっ、恵さん……」
「ずっと一緒だからね! 奏ちゃん、大好き!」
腕の力が緩む気配はない。仮にも神社の境内で、地面に転がりながらハグし合う女子高生二人。何をしてるんだろう、本当に……。
だけど、心地いい温かさがそこにはあった。ずっと身を委ねていたい、そう思えるような。わたしがその存在を知るのは、遠い先の話だと思っていたけれど、今ここにあるのは、確かにわたしがずっと追い求めていたものだ。
わたしも素直な気持ちを、恵の耳元で言いたかった。だけど、愛おしいこの時間を、心地よい感触を手放したくなくて、言わないことに決めた。
それから数日後、正式に転校の手続きを行ない、わたしは晴れて島の高校の生徒になった。恵が言っていたとおり、一学年に一クラスしかない学校で、同い年のわたしと恵は同じクラスに配属となった。転入初日の挨拶で、他の生徒にばれないように、恵に向かってこっそり手を振ると、恵も気づいて軽く手を振ってくれた。
ちなみに、出会ったときからほとんど、シャツ一枚とハーフパンツの恰好しか見ていないので、制服姿の恵が、どうしても似合っているように見えなかったのは内緒だ。
始業式と、転校の挨拶などを終えて、わたしは恵と一緒に帰路についたが、恵の家が学校からほど近い所だったので、割とすぐに別れた。そうしてひとりで自宅に向かって歩いていると、以前におつかいを頼まれて訪れた、小さな商店に差しかかった。店の前で、あの時の若いママさん店員が煙草をふかしている。相変わらず外見としぐさが子持ちの人妻に見えない。
「お?」店員がわたしの接近に気づいた。「お嬢ちゃん、あの時のお客さんじゃないか」
「その節はどうも……」わたしは軽く会釈。「店員さん、まだ島にいたんですね」
「もうそろそろ旦那の出張が終わるから、近く島を出ることになるけどね。それよりお嬢ちゃん、その恰好は……」
学校帰りなので、もちろんわたしは制服姿だ。
「元々、夏休みの間だけここにいるはずでしたが、色々あって残ることにしました。晴れてわたしも、この島の住人です」
「ふうん……」妙に嬉しそうに、店員は微笑んだ。「たちの悪い後悔を、しないで済んだみたいだね」
後悔せずに済んだのは、目の前にいるこの人のおかげでもあるんだよね……わたしはお礼も込めて、彼女に微笑みで応えた。
「ええ、なんとか……」
転校初日に買ってもらった高校指定のカバンには、母親の写真を入れている。わたしが自分の手で掴んだ時間を、知ってほしかった。手にとって眺めるたびに思う。わたしはすでに一度、恵のおかげで、大切なものを失くさずに済んだのだ。そして今、わたしの手には、たくさんの大切なものがある。
明日からもずっと、この場所での思い出は続いていく。大好きなあの人と紡ぐ、大切な思い出が……。
<第3話 終わり>
第4章の最終話も同日に更新しました。合わせてご覧ください。
前回のエピソードで初めて出てきた店員さんが、なぜかヒロインを差し置いて出てきました。構想段階では登場さえしていなかったのに、4話で大事な役目を任せてしまったばかりに、最後の締めとして使わざるを得なくなってしまいました。……まあいっか。
では、ここまでテレビの1クール分くらいかけて同時進行で投稿してきた、この次の第4章も、引き続きお楽しみいただければ。




