2-5 二親等より近くなる日
今年もこの日がやって来たか……朝からわたしはその思いでいっぱいだ。
この日がやって来ることは前々から分かっていたから、きょうに間に合うように、入念に準備をしてきた。すべては我が愛妹、礼菜に喜んでもらうためだ。
だが、どういうわけか、わたしの与り知らぬところで、入念に立てたスケジュールに歪みが生じてきている。どうやってもわたしに出来ないことは、餅は餅屋、ツテのある外部の人間に任せるしかない。しかし、わたしがどれほど計画的に事を進めても、その外部の人間が遅れてしまったら、何の意味もないというわけで……。
HRが終わった後も、わたしはその人からの連絡を、スマホをじっと眺めながら待っていた。本来なら二日前の時点で間に合っているはずなのに、きょうになっても連絡が来ない。
早く来いよぉ〜……と、念を送ったって、届くわけもない。
「どうしたの、香菜。眉間にシワが寄ってるよ」
友人の弓美が声をかけてきた。
「ああ、ちょっと電話を待ってて……」
「電話? 誰からの?」
「近所にある印刷所。ここの文芸部がよく使ってるっていうんで、紹介してもらったの」
「なに、香菜ったら本でも出すの?」
「本じゃないよ。全くの無関係でもないけど……二日前にはできあがるように頼んだはずなんだけど、未だに連絡がなくてね。忙しくしているなら、こっちからかけるのも迷惑だろうし」
「ふうん……よく分かんないけど大変ね。そんな香菜に、はいこれ」
ユミがわたしに差し出したのは、かわいい模様のミサンガだった。見覚えがある。確か、この間ユミと鈴の三人で街へ出かけた時に……。
「これ、わたしがほしくて買えなかったやつ?」
「金欠状態でショッピングに行くなんてアホなことをしたせいでね。昨日、家族で街に出かける用事があってね、その時に買ったの。香菜にプレゼント」
「うわあっ、めっちゃ嬉しい! てか、きょうが誕生日って覚えてたんだ!」
「そりゃあ忘れるわけないよ。スマホのスケジュールにちゃんとあるもん」
自分のスマホを掲げて、ドヤ顔で笑うユミ。その、このくらいは当然、とでも言いたいような態度は嫌いじゃない。いや、そうでなくてもこの友人は大好きだ。
「あーりーがーとー! ユーミン愛してるぅ〜」
「かっ、感謝してくれるのはありがたいけど、いちいち抱きつくのはご遠慮願いたい」
「えー」
「あとわたしをユーミン呼ぶなと何度言ったら」
「おっす〜」
ユミのセリフを遮るように、今度はスズが、わたしの肩に腕を載せてきて言った。彼女の手には、何やら白い花のついた草の輪っかがあった。
「このやろー、わたしより先に十七歳になりやがってー」
「棒読みになるくらいなら普通に祝ってくれませんかね」
「よし祝ってやる。これはわたしからのささやかなプレゼントだ」
そう言ってスズは、わたしの首元に、白い花のついた輪っかを通した。
「シロツメクサのネックレス。昨日帰り道でつんで作った」
「いや、シロツメクサってその辺に生えてる雑草でしょ。もらって素直に喜べないんですけど」
「何を言う。シロツメクサはクローバーの花だぞ。幸運を呼ぶ花だぞ。香菜の誕生日をハッピーにしてくれるんだぞ」
なんかずいぶん力説してくるな、きょうのスズは。
「鈴……」ユミが頭を押さえながら言う。「香菜の誕生日を祝えるのが嬉しいのは分かるけど、気持ちが空回りしてキャラが崩壊してるから」
「くっ」
表情が歪むスズ。おお、嬉しいことが続くなぁ。ぎゅっと抱きしめてあげよう。
「なんだよ〜、嬉しいなら素直にそう言ってくれたらいいのに〜」
「こうなると思ったから素直に祝いたくなかったんだよ」
なんだなんだ、全然嬉しそうじゃないじゃないか。こっちは目いっぱい感謝しているのに。
すると、机の上に置いていたスマホが、突然ブーブーと振動音を立てた。電話着信の画面が出ている。音に一瞬驚いたけど、わたしはすぐにスマホをさっと手にとり、教室の隅に移動しながら電話に出た。
「もしもし、はい、東雲香菜です!」
電話の向こうの人と会話しているわたしには、ユミとスズの会話が聞こえてきません。
「香菜、誰と電話してんの?」
「たぶん近所の印刷所のひと……なんか頼んでいたものがあるらしい」
「へえ」
「そうですか! 出来ましたか!」
待ちに待った報告が聞けて、わたしは思わず声が大きくなった。
「いやあ、お待たせして本当に申し訳ない」印刷所の人が言った。「ちょうど同じタイミングで大口の依頼が来てしまって……昨日が期日だったんですが、なにぶん量が多くて」
「いえ、いいんですよ。それより、きょうの夕方に取りに行ってもいいですか?」
「ええ、もちろん。頼まれたとおりラッピングもしっかりしておきましたから、いつでも取りに来てください」
「ありがとうございます」
そうして通話終了。とりあえず最大の懸念事項は解決した。レナの所へ行く前に立ち寄らないといけないから、レナには少し待ってもらうしかない。
ホッとしつつ自分の席に戻ると、さっそくスズたちから色々訊かれた。
「なに、印刷所の人からだって? 何を頼んだのさ」
「本じゃないとは聞いたけど」
「ああ、ブックカバーだよ。わたしがデザイン案を出して、それを元に作ってもらった」
レナは読書好きだから、あげたら喜ぶだろうなぁ。耐久性のある材料を使って、たいていの厚さには対応できて、しかもスピン(本についている栞代わりの紐)もついている。オプションが多いから結構高くついたけど。
「香菜がデザインしたのか……もしかしてそれ、妹さんにあげるの?」
「……なぜ分かった」
「マジ顔で驚いてるけどさ、香菜がそんな真剣になるなんて、妹さん絡みしかないでしょ」
そうかなぁ、そんな事はないと思うけど……わたしをよく知る友人が自信たっぷりに言うのなら、そうなのかもしれない。
「結構自信作なんだよね。なんと、文庫・新書・四六判の三種類を用意しました!」
「いくらしたのよ、それ……」
「それは内緒。でもコツコツとお小遣いを貯めてきて、ここぞってところで大放出したから、このぐらいいい物が作れるんだもんねぇ」
「なるほど、その代償がこの間の、金欠状態でショッピングに出かけるというアホな行動ね」
「ユーミンは〜ん……二度も同じことでアホ言わんといてくれます?」
「なぜに関西弁? つーかユーミン言うなと何度言ったら」
「それにしても元気だねぇ」
スズもスズで、なぜかユミのツッコミを遮るように口を挟んでくる。
「ついこの間まで妹ちゃんのことで意気消沈していた香菜はどこに行った」
「なに、妹さんへの恋は諦めたの?」
「あはは……」苦笑するしかない。「そもそもレナへの気持ちを自覚するのが遅かったから、諦めるって段階にも来てないんだけど……わたしとしてはやっぱ、レナと一緒にいられるだけで重畳だから、もう、いま以上の関係にはならなくても平気だし」
「殊勝なのかヘタレなのか……まあ、ある意味で吹っ切れたならいいけどね」
もちろん完全に吹っ切れたとはいえない。わたしの中ではまだ、自覚して間もないレナへの気持ちと、その気持ちが膨らむ事への恐れが、澱のようにくすぶっている。関係が変わる事を、わたし自身はそんなに望んでいない。だけど、もし変わる時が来たら……覚悟を決めてレナと向き合うくらいは、しなければならないだろう。できるかは分からないけど。
「そういや……」スズが思い出したように言った。「妹ちゃんの誕生日って、いつなの?」
やっぱり気になるか。実は二人には、まだレナの誕生日を教えていない。
そしてまだ教える気はない。ヒントなら何度も言ってるし。わたしはニヤリと笑みを返しながら、ここでも無言を貫いた。
放課後のHRを終えると、わたしは早くも帰り支度に取りかかった。レナをあまり待たせたくないから、なるべく早く印刷所に出向くのだ。
「香菜、もう帰るの?」ユミが尋ねた。
「うん……印刷所に寄らないとだし、家に帰ってからもやることがあるんだよ」
「年末並みの大忙しだね。引き留めるのも悪いし、また明日」
「ほいっ、また明日!」
挨拶がおざなりになったけど仕方ないだろう。本当にわたしは急ぐのだ。
わたしが教室を出ていった後、ユミとスズも廊下に出てきて、こんな話をしたそうだ。
「……行っちゃったね。すげぇワクワク顔だ」
「きょうがどういう日か、なんとなく想像はつくけど……あれで煙に巻いたつもりなんだから、おめでたいよね、香菜って」
「まあ、そこが香菜のいいところでもあるんだけど」
「……ところで鈴、香菜はシロツメクサのネックレスをかけながら帰っていったけど、何か感想等は?」
「…………別に」
「シロツメクサの花言葉って、結構いろいろあるんだよね。“幸運”とか“復讐”とか“約束”とか、あとは……“わたしを想って”とか」
「…………」
「香菜ほどじゃないけど、お互い、厄介な気持ちを抱えちゃったもんだね」
「……そうですか」
わたしは知らなかった。この二人がわたしに、愛想を尽かすはずもなかったのだ。
何も知らないわたしは、頼んでいたものを印刷所で受け取ると、そのまま駆け足でレナの中学校に向かった。なんだかもう、早くレナに会いたくて気が逸ってしまう。
中学校の校門前まで来ると、やっぱりレナは先に来て待っていた。
「はあっ、レナ、お待たせ……っ」
「そんなに待ってないけど……お姉ちゃん、ずいぶん息切らしてるね」
「ちょっと、寄り道していたから……」
「寄り道って、どこ行ってたの?」
「それはまだ言えないんだけど……でも、きょうに関することだよ」
「ああ、なるほど……じゃあ後で聞くよ。さ、帰ろう」
そう言ってレナは、綺麗にケアされている左手を差し出した。
「ん? レナ、この手はいったい……」
「ん」
何も言わず差し出される左手を見たら、思いつくこと、やることはひとつしかない。
わたしはレナの左手を、右手で握り返す。
こ、これでいいのかな……レナと握手するのは初めてじゃないけど、妙に心臓がうるさい。そもそもレナの方から握手を求められること自体、かなり久しぶりな気がする。
ふたりで手をつないで歩きながら、わたしはレナに真意を問うた。
「め、珍しいね……レナから、こんなの言い出すなんて」
「……今日くらいいいでしょ」
レナはいつもと変わらない、平坦な口調で言ってのけた。
「わたしにとっても、お姉ちゃんにとっても、特別な日なんだし」
かっ……かわいすぎかぁー!
妹の意外な一面が知れて、そして妹も同じように今日を特別だと思っていると分かって、お姉ちゃんは嬉しさのあまり天に召されそうですよ。ああでも、レナを置いて鬼籍に入るのはしのびない。
とりあえずなんとか現世に踏みとどまり、無事にレナと一緒に帰宅すると、さっそく今日の夕飯の準備に取りかかる。ああいや、違った。正確にはメインディッシュの準備だ。夕飯そのものは普通に母親が用意するので。
我が家では近年、誕生日を祝うケーキはわたしが作っている。お店で買うより安上がりだし、わたしも作りたいし。ちなみにわたし以外にケーキを作れる人はいないのだが……。
「お姉ちゃん、わたしも手伝いたい」
台所でわたしがケーキ作りに勤しんでいる所を、母と一緒に見ていたレナが、突然こんな事を言い出した。
「えっ……いや、わたし一人でも手は足りてるけど」
「わたしも何かやりたい」
「ええっ……?」
手つなぎを求めてきたり、きょうのレナはずいぶんと押しが強い。積極的なレナに慣れていないわたしは、戸惑うしかないんだけど。
「あらあら、レナがわがままを言うなんて久しぶりね」喜ぶ母親。「せっかくだし、レナにも何かさせてあげたら、香菜」
「うーん……」
何かないだろうか、わたしは考えた。スポンジケーキの生地はできていて、すでにキッチンペーパーを貼った型に入れている。残る作業は生クリーム作りと、それから……。
「じゃあ、イチゴと白桃をスライスしてくれる? スポンジの中に入れるやつ」
「それなら任せて」袖をまくってやる気満々のレナ。「ナイフの扱いには慣れているから」
「表現が物騒!」
なんでレナがナイフの扱いに慣れているのか知らないけど、そこまで自信があるなら任せてもいいだろう。レナが果物の用意をしている間、わたしは生地を焼きつつ、生クリームを作ることにした。
「お姉ちゃん」イチゴをカットしながらレナが訊く。「さっきオーブンに入れた型……」
「ん?」
「前から思っていたけど、かなり大きくない?」
生クリームを作り終えると、今度はマジパンの作業に取りかかる。
「確か7号くらいだったと思うけど」
「なんで四人家族なのに7号ケーキの型があるの……」
「さあ?」
どこかの時点で、ノリで買ってしまったんだろうなぁ。だからいつも大量に余って、翌日の夕飯でようやく食べきるほどだ。
「できたよ、お姉ちゃん」
「お、速いねぇ。そろそろ焼き上がるだろうから、粗熱を取ったら縦半分に切って、下のスポンジにクリームとフルーツを載せようか」
「お姉ちゃんはどうする?」
「チョコレートに文字を書かないといけないから」
「じゃあ細かい作業はお姉ちゃんだね。クリームを塗るのは任せておいて」
「ナイフの扱いに慣れているならね……」
そんなわたし達姉妹のやり取りを、母親が微笑ましそうに眺めていた。
「……いいわねぇ、こういうの。初めての共同作業って感じ」
「きょっ」
思わず手が止まるわたし。共同作業って……それは、まるで。
「お母さん、結婚式のケーキ入刀じゃないんだから。そんなこと言ったら、お姉ちゃんと結婚しちゃうよ?」
レナさんも平気な顔して何をおっしゃいますか!
どうも今日のレナは様子が変だ……いつもは冷静に、わたしとは適度な距離を保とうとするのに、妙に積極的だし、らしくない冗談を言ってのけるし。いくら今日が特別な日だからって、わたしに対する距離の縮め方がなんか尋常じゃない。
……なんて、わたしが気にしすぎなだけかもしれないが。
ケーキ作りが終わると、今度は母親がキッチンに入って夕食の準備を始めた。ちなみに、わたしが任されているのはお菓子作りだけで、夕食は母親が作るといって聞かない。どうもそこは主婦の意地があるらしい。
父親も帰ってきて、七時を少し回ったところで、ささやかながらパーティー開始だ!
「それでは……」母親が音頭を取った。「香菜は十七歳、レナは十四歳のお誕生日、おめでとうございます! カンパイ!」
「カンパーイ!」
家族四人、一斉にコップを掲げて、声を揃えて乾杯です。
もう気づいていると思うけど、きょうはわたしとレナの誕生日。わたし達は生まれた年こそ違え、生まれた日付は同じなのだ。双子だったら誕生日が重なるのは当たり前だけど、年の違うきょうだいが同じ日に生まれるというのは、間違いなく珍しいはずだ。だって、周りでそんなきょうだいを聞いたことがあるかい?
両親は、もう祝ってもらうほどの歳じゃないと言ってくるので、わたしが生まれてからは、こうした誕生会は年に一回しかやらない。レナが生まれてからは、二人分のお祝いをするということで、よそよりもボリュームを上げるのが恒例となっている。
「いやあ、また仲良く一緒に歳を重ねたんだな。感慨深いよ、父さんは」
「泣くほどのことかな……」
「娘の成長を喜ぶ父親ってこんな感じだって聞いたことある」
わたしは苦笑し、レナは相変わらずクールである。
「よぉし! 今年も写真撮るぞ。二人とも、ニコッと笑ってくれ」
早くもカメラを構える父親。誕生日に娘二人の写真を撮ってアルバムに入れるのが、父親の役目なんだという。これ、いつまで続けるのだろうか……。
すると、レナが椅子ごとわたしに近寄ってくると、肩をピトッと寄せてきた。うわあ、という声が出そうになって、わたしはなんとかこらえたけど、結構心臓にくる。
息がかかりそうなほどそばにいる妹は、例年より少し無表情が薄れて、どこか嬉しそうな笑顔をかすかに浮かべていた。
やっぱり、ちょっと変わったのかな……。
でも、レナが楽しそうなら、何もいう事はない。わたしは、隠れてレナの手を握る。
少し驚いたようにこっちを見るレナ。すぐに相好を崩して、カメラに向き直る。
パシャッ
今年もまた、いい思い出が形になって残った。
いつもこの日は特別。だけど、きょうはもっと特別になった気がした。
さて、この日はわたしとレナの誕生日がかぶっているということもあって、誕生日プレゼントなどはいつも互いにあげ合っている。プレゼント交換ってなんだかクリスマスみたいだが、わたし達にとっては今日の方が特別という意識が強くて、クリスマスにプレゼント交換はやっていない。クリスマスに味わえることは、みんな今日やってしまうのだ。
「……じゃあ、後でお姉ちゃんの部屋に行くね」
レナからのプレゼントは自分の部屋に置いているらしい。わたしは、帰宅して早々にケーキ作りを始めてしまったから、プレゼントの入ったかばんは、今もわたしの手に握られている。
わたしも自分の部屋に戻り、ベッドにダイブする。
「……やば、すっごいドキドキしてきた」
毎年、その時のわたしの好みやほしいものをドンピシャで当てて、プレゼントにくれるレナだけど、今年はどうなるのか……楽しみなことに違いはない。だけど、どうも、それだけじゃないような気がする。
例年よりも、レナのことを意識してしまう誕生日。ここ最近の、レナの感情の行方が気になってしまう出来事、そして今日の、いやに積極的なレナの行動……そう簡単にわたし達の関係が変わるとは思っていないけど、一寸先が闇の中にあると、期待と不安がごちゃ混ぜになって襲ってくる。
わたしは……いつも通りに振る舞えるだろうか?
「お待たせ」
ノックのあとに、レナはそう言って入ってきた。左手は背中に隠れている。
「ああ、うん……なんか、緊張するね」
「そう?」
レナは何とも思っていないみたいだ。やっぱりわたしが気にしすぎなだけか……。
レナは床のクッションに正座した。実の姉に対しても礼儀正しいですね、だからわたしも思わず正座した。差し向かいに座るわたしとレナ。
「じゃあ、お姉ちゃんから見せてくれる?」
「あ、ああうん、そうだね……わたしからは、これ」
わたしは、ピンク色のラッピングが施された、厚さ五ミリほどの板状のものを見せた。
「なんか薄いね……」
そう言いながら受け取って、レナはラッピングを丁寧にほどく。取り出されたのは、大きさの異なる三種類のブックカバー。みんなデザインも違っている。
「これ……ブックカバー?」
「そう。文庫、新書、四六判の三種類あるよ。レナ、本が好きだから気に入ってくれると思ったんだけど」
「すごい……これ、市販のものじゃないよね。すごく凝ったデザイン……」
「一応デザインはわたしが考えました」軽く手を挙げる。「レナが気に入りそうなデザインを考えるの、結構難しかったけど……」
「ちょっと待ってて!」
いきなり立ち上がると、レナは駆け足で部屋を出ていった。おいおい、何事だ?
一分ほどでレナは戻ってきた。その手には、さっきもらったばかりのブックカバーがかけられた、四六判の本があった。そっか、早く使いたくてしょうがなかったのね。
よほど嬉しいのか、少し頬を赤らめて、本を胸元にしっかと抱きしめている。
「よかった、気に入ってくれたみたいで」
「うん……大事に使うね」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……それで、レナからは何をくれるの?」
何か迷いがあるのか、レナはすぐにはプレゼントを出さなかった。
やがて腹を決めたように「よし」と呟くと、抱きかかえていた本を開いた。なんと一ページ目に横長の封筒が入っていた。両手が本で塞がるから、そこに挟んでいたのか……。
レナは、その封筒をわたしに差し出した。下を向いたまま。
「えっと……手紙、かな?」
「うん。これの中身が、わたしからのプレゼント。読んでくれる?」
「それはいいけど……」
少し顔を上げたレナの表情は、思いつめたような、不安がにじんだものだった。
「戸惑うと思うし、ひょっとしたら、受け入れられないかもしれない。でも、ここ数日間、自分の気持ちと向き合って、なんとかお姉ちゃんに伝えたくて書いたから、とにかく読んでほしい。どんな結果になっても……わたしは、平気だから」
全然平気そうじゃないけどな……でも読んでほしいというなら、ちゃんと読もう。わたしは封筒を開き、一枚だけの、三つ折りにされた便箋を広げた。
お姉ちゃんへ。
誕生日プレゼントが手紙というだけで、結構戸惑っているかもしれません。わたしはどうも言葉が足りないみたいなので、今から大事なことを手紙にしたためます。
わたしが生まれた時から、お姉ちゃんはわたしにたくさん愛情を注いでくれました。もしかしたら、実の両親以上かもしれません。わたしはそれを、当たり前のように受け取ってきて、しかしいつからか、無尽蔵に与えられる愛情を受け続けることが怖くなって、素直に受け取れなくなっていました。お姉ちゃんはそれでも、わたしを好きでいてくれました。
当たり前のようにお姉ちゃんがそばにいて、わたしに、姉として与えられる愛情のすべてを与えてくれたことは、間違いなく今のわたしに繋がっています。もはや疑問を持つ余裕さえないくらいに、わたしの生き方はお姉ちゃんが中心になりました。
わたしに、大切なものはたくさんあります。だけど、そうであってほしいですが、お姉ちゃんにとってわたしがそうであるように、わたしにとって一番大切なものはお姉ちゃんです。そのことは長らく当然のように受け止めてきて、何も不思議に思いませんでした。
ですが、色々あって自分のことを見つめ直したら、その気持ちにはちゃんと名前をつけられるのだと悟りました。悟ったとき、意外なほど腑に落ちました。
わたしは、お姉ちゃんが大好きなんです。
姉妹として、だけでなく、ひとりの人間として愛していると。
姉妹でありながらそんな感情を抱いてしまったのは、きっとお姉ちゃんのせいです。お姉ちゃんが節操なく愛情を注いだせいで、いつの間にかわたしまで、お姉ちゃんが好きになったんです。それに、わたしはお姉ちゃんの素敵な所を、たくさん知りすぎました。もうとっくに、気持ちはお姉ちゃん一筋だったんです。
とりあえず気持ちは伝えました。付き合ってほしいとは言いません。でも、こんな気持ちを自覚してしまったら、もう隠しきれないと思って、こうして手紙で伝えることにしました。
ああ、また溢れてきました。もう一度言います。
世界中の誰より、お姉ちゃんのことを愛しています。
最後は英語の“Love”で締めくくられていた。これって、日本語で言うところの『かしこ』なんだろうけど、全文を読んだ後だと別の意味に見えてくる。
「えっ…………本当に?」
わたしの問いかけに、こくんと頷くレナ。
「おかしいってことは分かってる。女同士で、まして姉妹でこんな事……でも、好きになっちゃったものは、どうしたって止めようがなくて……」
心臓のあたりをぎゅっと握りしめながら、レナは胸の内を話す。
「びっくりしただろうし、お姉ちゃんだって困るだろうけど……どうしても、気持ちを伝えずにはいられなかった。普段の、なんてことない日だったら我慢できたけど、きょうは無理。わたし達にとって特別な日に、気持ちを押さえ込める自信が全然なかったの」
「レナ……」
「手紙にも書いたけど、付き合ってほしいなんて言わないから。お姉ちゃんがわたしに向けている愛情が、わたしのそれと違っているなら、受け入れられないのは当たり前だもん。嫌われるかもしれない、軽蔑されるかもしれない、でも……!」
意を決して、目の前にいるわたしを真正面から見るために、顔を上げたレナ。その表情が、真剣みを帯びたものから、徐々に、驚いて両目を見開いていく。
……という変化が起きたと思う。ちょっと今、視界がぼやけてよく見えない。
「おっ、お姉ちゃん!?」
「あ、あれっ、あれれ……?」
わたしは泣いていた。必死に思いを打ち明けるレナを前に、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「ちょ、どうしたのお姉ちゃん……急に泣き出して」
「いや、もう……」わたしは左右の袖口で涙をぬぐう。「なんで泣くかなぁ、わけ分かんない」
「わたしもわけが分からないんだけど……」
「うん……実はね、わたしもここ数日、自分がレナのことをどう思っているか、見つめ直す機会があったんだよね。今とはちょっと違うけど、レナがわたしのことを好きだって告白したら、わたしがどう思うか……想像しただけじゃ分からなかった。だけど……」
わたしは今、体いっぱいに解放感を覚えている。
すごい、こんな気持ちは初めてだ。たくさん、たくさんこみあげてきて、あふれてくる。
「ホントにそうなったら、こんなに嬉しい……!」
レナはどう思ったのかな。唇をきゅっと結んで、気持ちを押し留めているみたいだ。
「わたし、レナが生まれた時のこと、今でもはっきり覚えてる」
「三歳のとき……だよね?」
「そう、普通ならほとんど覚えてないでしょ? でもあの日は、すべての始まりだったからね。三歳の誕生日に、母さんが入院していた産婦人科から連絡があって、もうすぐ産まれるかもしれないって言われたの。それで父さんと一緒に病院へ行った。エコー検査で、女の子だって事は分かっていたから、わたしにも妹ができる……悪くない誕生日プレゼントだと思ってた。でも、実際に見たら……」
そう、あの時……生まれたての赤ん坊を衛生的に厳しく管理するため、分娩室の隣の部屋に移されたレナは、無機質なベッドの中ですやすやと眠っていた。実をいえば、出産に立ち会ったのは父親だけで、わたしはずっと別室にいた。壁越しに聞こえてきた産声も、よく覚えている。ようやくわたしがレナと初対面を果たしたのは、レナが寝ている部屋のさらに隣から、ガラス越しにその様子を見た時だった。まだ三歳のわたしが見られるように、椅子の上に乗って。その時に見た光景を、わたしは今でも鮮明に思い出せる。
「悪くないなんてものじゃない。最高だった。……後にも先にも、こんなに素敵な誕生日プレゼントはなかったよ」
「お姉ちゃん……」
「あの時からね、わたしはレナのことを一番に考えるようになった。レナが幸せになるためなら、レナが望んだ幸せがあるなら、わたしはそれを叶えるために何でもするつもりでいた。でも、わたし自身がレナに幸せを与えられるのか……本当いうと、全然自信ない」
ああ、いけない。嬉しいはずなのに、また気持ちが沈み始めている。
「ずっとそばで、レナのことを見てきたけど、未だに分からないことが多くて……なのに、拒絶されることが怖くて何も聞けなかった。そんな情けない体たらくで、レナを幸せにできるのかなって、考えたら、もう……」
せっかくレナが気持ちを打ち明けてくれたのに、わたしばかり、さっきから情けない姿を見せている。かっこ悪いなぁ、わたし。
「そうだったんだ、お姉ちゃん……」
「ねぇレナ、本当に……わたしでいいの?」
嫌な印象を与えると分かっていても、念を押さずにはいられない。
「わたしじゃ、レナが望む幸せを、あげられないかもしれないよ……?」
「お姉ちゃん」レナの口調が強くなる。「わたしがほしいのは、お姉ちゃんがくれる幸せだよ」
「…………え?」
「お姉ちゃんがわたしのために何かして、嬉しくなかった事なんて一度もない。わたしは、お姉ちゃんがくれるから、幸せでいられるんだよ。他の誰かじゃなくて!」
レナが望む幸せは、わたしが与えるもの以外にない、ということか……。
「それに……」ちょっと伏し目になるレナ。「分からないことが多くたって、今はそれでいいじゃない。これから、その……こ、恋人として一緒にいるなら、嫌でもお互いのことは知っていくものだし」
恋人、という言い方が結構恥ずかしいらしく、顔を赤らめるかわいいレナ。
そばにいるだけなら、姉妹のままでも、恋人でなくてもいいと思っていた。でも、そうじゃなかった……幸せにしたいと願う気持ちが強くなれば、相手を知りたい気持ちは、恐れさえも超えて大きくなる。姉妹では越えられなかった距離が縮まって、色んな姿を見ることになる。
変わることが怖かった。そんな時が来なければいいと思っていた。でも、変わったその先に、レナの幸せがあると分かっているなら……もうためらう理由はない。
「うん……そうだね」
わたしは、大好きな妹のために、精一杯の笑顔で応えた。
「今この瞬間も、新しいレナのことが知れた」
かしこいレナは理解できたよね。わたしの気持ちを押さえ込んできたものが、この言葉で完全に吹き飛んで……レナの告白を受け取ったことを。
嬉しさのあまり、レナまで泣き出しそうな顔をしている。
しかし……恋愛の経験などろくすっぽないわたし達が、いきなり恋人関係になって、次に何をするべきなのか分からない。緊張や恥ずかしさのせいか、二の句が継げないでいると、レナが正座のままわたしとの距離を詰めてきた。
戸惑っているわたしの肩を、レナは両手で掴んだ。
「レナ……?」
「きょうだいは二親等だけど、結婚したら実質ゼロ親等になるんだよね」
「え、えっと……?」
「わたし、ちゃんと証がほしい。二親等より近づけたって、確かな証が」
そ、それはつまり……そういうことだよね、どう考えても。
わたしの考えを証明するように、レナは両目を閉じて、ふくよかな唇を差し向けてきた。ああ、なんて、なんてかわいいんだ我が妹よ。
わたしはレナの腰に手を添えて、そっとレナの体躯を引き寄せる。
レナの顔が拝めないのは名残惜しいけど、自然とわたしも両目を閉じる。そうしないと、恥ずかしすぎて死にそうだ。
レナの吐息を、間近に感じる。
もう少し……あと少しで、わたし達は、姉妹を超える。
そして……。
「香菜ぁ、礼菜ぁ。そろそろお風呂入りなさぁい」
母親の声が結構近くに聞こえてきて、わたしとレナは慌てて身を退いた。
うわー、なんてタイミングの悪い……いや、実をいえばファーストキスなんてものの相手にレナを選んだら、わたしなど心臓が止まるかもしれないと思ったところだ。
「うーん、残念」レナはあくまでクールだ。「お母さんがうるさくするから、先にお風呂入ってくるね、お姉ちゃん」
「あ、うん……」
がっかりした顔を浮かべたつもりはないけど、レナはわたしに告げた。
「そんなに残念がらないでよ。わたし、まだ諦めてないよ」
「え?」
「誕生日はまだ終わってないもん。特別になるなら、きょうしかないしね」
そう言い放ち、レナはわたしの部屋を出ていった。ひとり残される、わたし。
バタッ、と、横向きに倒れる。
ファーストキスは先延ばしになっただけで、きょうが終わるまでに、遠からずやってくる。レナはそのつもりでいる。もう本気だ。わたしの唇は、きょう奪われる。
お互いの気持ちに気づき、姉妹を超えた関係を手に入れたこの夜、わたしはレナと一緒に年齢を重ね、一緒に初めてのキスを互いに捧げる。……その代わり、一年分くらいの寿命を犠牲にすると思うけど。
ああ、まったく……。
「わたし、もうダメかもしれない」
身悶えながら、涙声で呟く。
これより先は醜態をさらすだけなので、お話はこれっきりとします。ごめんよ。
<第2話 終わり>
姉妹編はここまで、次回からはまた別のエピソードが始まります。
第4話を読んだ方はお気づきかと思いますが、このエピソードは、前作の『君が笑顔になれるまで』と世界観を共有しています。この作品は、すべてのエピソードが同じ世界の物語である、という前提で書いています。ですから、1章と2章の登場人物、というか百合カップルたちが、また別のエピソードに現れる可能性も、無きにしも非ずです。どうぞお楽しみに。




