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20.とびっきりの愛


「復讐させろ!!」


「復讐させろ!!」


「復讐させろ!! アハハッッ!!」

「よ……お……」


 朱に染まった涙を流して高笑いする陽――

 雪希は呆然として声にならない声を漏らした。



 陽には二面性がある――陽との添い寝の一件で、雪希はそのことを知った。


 雪希達に愛情深き『俺』と皆に優しい博愛の『僕』――同じ身体に同居する二人の陽の境い目は、元来とても曖昧だった。

 しかし、今回『僕』が狂い、それまで上手くやれていた二人は相反するものとなってしまった。


(そして、陽を狂わせたのは私――)


 停学明け後、強い陽は素早く立ち直ったかの様に見えた。

 しかし、こんなにも――


(こんなにもどす黒く、こんなにも歪に……)


 かつて、堂島が言った。「陽にとって雪希が最後の心の支えだ」と。


 (まさ)にその通りだった。

 雪希までもが裏切ったことで、陽の心は絶望で完全に打ち砕かれてしまったのだ。


 絶望から立ち上がった時、憎悪に染まった『僕』が復讐の鬼として台頭した。


 そして、『俺』もまた――


(『俺』の陽も復讐を認め、『僕』に委ねてしまったんだ)


 雪希は強い胸の痛みに襲われる。


――雪希の知る陽は死んでしまったのだろうか?


(そんなことない! 陽は――陽は生きている! 私の知る陽はそんなに(やわ)じゃない! 私の知る陽は強い!)


 無責任なことを言っていることは自覚済みだ。それでも、陽が復讐だけに囚われている訳では無いと雪希は信じていた。


(だから、私の気持ちを『俺』にも伝えるため、無茶をして陽の彼女に成り上がったんだ)


 雪希は強張らせた身体を奮い立たせて陽を抱きしめ揺さぶった。


「陽っ! 陽っ!!」


 巻いていたバスタオルが落ちて下半身が露わになるが、雪希はお構い無しに陽に呼びかけ続けた。 


「陽っ! 陽っ!! 戻ってきて!」


「お願い、陽っ! 思い出して!!」


「お願い! 陽っ!!」


――私の、貴方の、その想いを!!


 雪希は陽を強く抱きしめ、涙を零して何度も何度も彼の名前を叫んだ。


「……ゆ……き……」


 やがて雪希の呼びかけに応じる陽。


「陽っ! 陽? よ……う……」


 雪希の知る陽に戻ってきてくれて一瞬喜ぶ雪希。


 しかし、その瞳の色は全ての光を飲み込む漆黒で――

 それは陽の深い絶望を表す色だった。



  * * * * *



 陽は握りつぶしてくしゃくしゃになった借用書を呆然と眺めて寂しげな表情を浮かべていた。


「雪希にこんなものを作らせて、醜い姿も見せて……俺は何をやってるんだろうな?」

「よぉ……」


「もっと早く別れるべきだったと後悔してる」


 そして、陽は泣き笑いした。


「築き上げてきた物を全てなかった事にして――この気持ちが二度と戻ってこない様に遥か遠くに捨てて――」


 くしゃくしゃの借用書を雪希の手に重ねて――


「雪希、彼氏としての命令だ。これを……俺達の想いごと捨ててくれ。そして、堂島からも、そして俺からも逃げて――幸せになって欲しい」


「彼氏としての……命令?」

「そうだ、命令だ。彼氏の命令は絶対なんだろう?」


 朱の涙が止めどなく彼の頬を伝った。

 雪希もまた涙が溢れて止まらなかった。


「陽は、そのために……そのために私の彼氏になってくれたの?」

「そうだな。実際に言葉にして、俺のこの感情を雪希に伝えたかった」


 本心を伝えたい――陽の彼氏関係になった目的は奇しくも雪希と同じだった。


「そのために……そのために私を止めたの?」

「そうだな。雪希に勝手に自己完結してほしくなかった」


「そのために……そのために私にチャンスを与えてくれたの?」

「そうだな。全てが――俺の気持ちを弔うためだ」


「そのために……ううん。陽は……陽は酷い人、だね。ふふふ」

「あぁ、我ながら酷い男だと思う。だから言っただろう? 俺も大馬鹿者だと」


 無理に笑う雪希に釣られて陽も力無く笑った。


「私は……」

(私はこんなにも陽を追い詰めてたんだ)


 独りよがりに償いの機会を求めて復讐を望んで――

 雪希は己の罪深さを恨んだ。

 

(でも――)


――それでも……


「それでも、私の罪深さは今更。自覚している。そして、自分が傷ついても、陽を傷つけても二度と離れない。だから、その借用書も受け取れない。だから、先程の命令も聞けない。それは彼氏()のための命令じゃないから」


 雪希は借用書を押しのけた。

 そして、陽を強く抱きしめて――


「陽から離れての幸せなんていらない。陽の傍にいれるなら不幸も本望」


――陽から離れるなんて絶対に嫌。


「私は復讐を受け入れる。とっくに受け入れている。だから、お願い。陽も復讐を受け入れて」


――負けないで。そして、私を守って。


「陽ならできる。私の愛する人だから」

「雪希……」


「だから、お願い――」


――この借用書を使って、今すぐ復讐して。


 雪希は彼の朱色の涙を(すく)い広げる借用書に指を落とした。


『一日千円 ユキはヨウのモノ』


「陽が復讐するための環境をご提供。私は借用書に従い80年は無抵抗に(なぶ)られる。ふふふ」


 今度は雪希が彼女の想いごと借用書を陽の胸に押し付けて――


「信用できないのであれば縛ればいい。裏切りを恐れるなら心に刻めばいい」


(モノとして扱ってほしい。そう、『お人形』――)


――陽の『人形』に成り下がる。

――陽の全てを愛するラブドールになる。


「私は陽の『お人形』。可愛がって」


 それはなんとも卑猥で嗜虐的な誓いだった。しかし、漸く辿り着いた雪希の本心からの贖罪だった。


「陽の異能で私を縛って。堂島がしたように付き従わせて。陽ならできるでしょう? 私は知ってる。幼馴染で親友だから――」


 雪希は陽の首に回す手に力を込めて――


「私を貶めて。復讐して。大丈夫、恨まない。だって――」


――地獄のその先に私達の未来があると信じてるから。


 陽は目を見開いて雪希を見た。


「大丈夫。もう、苦しくても辛くても……絶対に陽から離れないから」


 そして、雪希は――


「陽……私は陽無しではもう幸せになることは出来ない」


 雪希は涙を目尻に湛えて見惚れるほどの笑顔を陽に見せた。


「覚悟して♡」


「雪希……」


――お願い……




 次の瞬間、ざわりと粟立つ感情が陽が触れる先から這うように流れ込んでくる。

 それは先日も苛まれた凝縮された陽の憎悪だった。


「うぅ……うぅぅぅぅぅッ!! ああぁぁッッ!!」


 雪希は堪らず悲鳴をあげた。

 濁流のような憎悪――先日のそれよりも更にどす黒く、遠慮なく雪希の中に押し寄せてきて――


 しかし、雪希は必死に堪えた。

 そして、心の悲鳴を無視した。


「ああぁぁッッ!!」


 雄叫びの様な悲鳴を上げながらも耐え続けた。


 しかし一瞬、憎悪が緩む。

 陽が雪希の悲鳴に尻込みする。


「嫌っ!!」


 雪希はすぐに首を振った。


「絶対に嫌……うぅぅッッ……絶対に、やめないで」


 雪希は悪寒で身を震わせながら、優しすぎる陽の覚悟の揺らぎを拒否した。 


(この感情の正体が憎悪だけのものでないことは分かってる。ただ呑まれるだけではダメ)


 雪希は迫る憎悪を自ら飲み込んだ。


 そして、願って祈って望んで求めて――


(お願い!)


 その視線を通じて想いを注いで――


(伝わって!)


 やがて、二人の視線と想いが混じり合って――


(お願い!!)




 ……

 …………

 ………………


 そして、雪希は尋ねた。


「恋人関係、もう終わり?」

「あぁ、終わりだ」


「本当に?」

「本当だ。雪希の気持ち、伝わったから」


「私の気持ち、伝わった?」

「あぁ、伝わった」


「陽の想いも伝わった。『俺』のも『僕』のも――」


 触れた先から、その視線から再び陽からどす黒い感情が雪希の心に押し寄せてきた。それは二人の人格の陽から向けられた雪希への感情であって――


 それは――



 雪希を支配したい

 雪希を独占したい

 雪希を束縛したい


 雪希を侍らせたい

 雪希を貪りたい

 雪希を自分色に染め上げたい


 雪希の全てを奪いたい

 雪希の全てを我が物にしたい


 雪希の今も未来も――

 雪希の心も身体も――

 

 雪希の全ては俺のモノだ!

 雪希の全ては僕のモノだ!


 誰にも――

 誰にも――


 誰にも渡してたまるか!!

 


 プラトニックさだけでない。

 それらは愛慾も多分に混じり異性として雪希を求めていて――


 雪希は(あお)る様にそれらを飲み込んだ。

 それらは恍惚としたエクスタシーを(もたら)すもので――


「あァァ♡♡」


 雪希は堪らず嬌声を上げた。


「『僕』が雪希を愛してやるとは思えない。雪希だけを愛することはもっと無いと思う」

「あっ♡ うん♡」


「それでも傍にいて俺を待っていてくれるか?」

「あっ♡ 大丈夫♡ 待つ♡ 絶対♡ 絶対♡♡」


(だって……)

「ンンンぅ♡♡」


 雪希の艶っぽい吐息は止まらない。


「だって♡ 『僕』もちゃんと私を愛してくれているから♡♡」


――『僕』だって、やっぱり陽なんだ♡


 『僕』の復讐心は自分から離れていこうとする雪希への怒りだ。雪希が陽よりも友人や堂島を優先したことへの嫉妬だ。

 復讐だって雪希が間違わず陽との未来に導く為の道標(みちしるべ)だった。


「これだって――」


(これだって、とびっきりの愛だ♡)


「私♡ 私♡ こんなに愛されてる♡♡」


 雪希は嬉し涙を流した。


「よぉ♡ 私、陽に従属する♡ 陽の専用になる♡ 陽に媚び(へつら)う♡ どっちの陽からも絶対に離れない♡ 陽の色に染まった私を見てほしい♡♡」


「雪希――俺の『人形(ドール)』――」

「うん……うん……私、陽の『人形』♡ 私の全て、全部ぜんぶ陽のもの♡ 一方的に私の全てを、一生を奪って♡♡」


 雪希は陽の望むまま強く抱きついた。

 改めて陽の『人形』になることを宣言した雪希の中に、その宣言が浸透していき――


「私は『人形』♡」


 淫靡に笑う雪希の雪希の瞳にハートのハイライトが浮かび上がった。




 暫くして、気付けば雪希は凪いだ心に至っていた。

 それは雪希の心が陽に完全掌握されたことを意味する。そして、それは陽の前では自分の心さえ自分でコントロール出来ない程の強い隷属だった。


 壊れて『人形』になった雪希には陽との温かな幸せしか感じられなかった。


「陽……大好き、陽♡」


「ゆ……き……」


 一方で、力を出し尽くした『俺』は意識を朦朧とさせていた。

 『俺』はもうすぐ、彼の心の中で眠りについてしまうのだろう。だから雪希は――


――ちゅっ♡


 彼の唇にキスを落とした。

 それは紛れもない雪希のファーストキスだった。


またね(・・・)、『俺』の陽――」


 そして、彼女は暗がりに落ちていく『俺』と一時の別れを告げた。




「じゃあ、帰ろうか」

「分かった」


 雪希は腰にタオルを巻くと陽の背中に乗った。

 陽も素直に彼女をおんぶする。


 陽は既に『僕』の陽になっていた。


「僕から絶対に離れないでね」

「分かった。絶対に離れない」


 雪希は身体を更に密着させ――


「雪希の胸、柔らかいね」

「ふふふ♡ 陽、大好き♡」


 雪希は陽のセクハラ発言にも好意を寄せた。


「僕もやらなければならないことがあるけど、雪希も付き合ってくれるよね?」


 彼はニヤァと嗤った。


「勿論、何でもする」


 頷く雪希も嗤った。


 そして――


「何でもする」


 彼女はもう一度呟いた。



 雪希は『二度と陽から離れない』ことを固く誓っていた。


 それは『俺』の陽からの最後の命令だったから――


拙作を読んでいただき、ありがとうございます。

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作者の今後の執筆の励みになります。

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