660 帰 省 10
「あの、お水は要りませんか? 樽1個分で、小銀貨3枚か、それ相当の食べ物でもいいですよ」
「ん? 何だ、嬢ちゃん、魔術師か? そうだな、樽1個分で小銀貨3枚なら、安いな。
新鮮な水が飲めて、身体も拭けるとなりゃ、ありがたいな。
よし、カラになっている樽、全部頼むぜ!」
水の価値は、場所によって大きく変わる。
井戸の横で売れば、小銀貨1枚でも買う者はいないだろう。
しかし、砂漠のど真ん中であれば、金貨1枚でも買う者はいる。
町や村から離れており、水場のないこの場所であれば、樽1個分で小銀貨3枚……日本円だと、約300円相当……は、確かに安かった。
……勿論レーナは、相手に確実に食い付かせるために、そう不自然ではない範囲での、最低価格にしたのである。
魔法で水を出して売る、未成年のしおらしい少女を演じながら、商隊の者達に近付いたレーナ。
そして男達が、キョロキョロと辺りを見回す。
自分達と、この『かなりの量の水が出せて、見目の良い、高く売れそうな小娘』以外の者がいないことを確認するかのように……。
街道には、両方向とも、他の人影はなかった。
にやりと嗤う、男達。
そして、片方の馬車に積まれた水樽のうち、空になった2個に給水させた後、馬車から降りたレーナに向かって……。
「水だけじゃなくて、お前も買ってやるよ。
……まあ、買うと言っても、カネは払ってやらねぇけどな。水の分も、お前の分も……」
男達のうちのひとりが、そう言ってぎゃははと笑い、レーナの腕を掴み引き寄せた。
他の連中も、大笑いしているが……。
(まだね。今だと、まだ『ただの冗談だ』、『小娘をからかっただけだ』と言い逃れできる……)
レーナは、そのあたりのところを冷静に見極めていた。
「……冗談ですよね?」
怯えた振りをして、両手の拳を軽く握って胸元に当てる、レーナ。
ソロでハンターをやっていた時には、危機を乗り越えるためにこれくらいの芝居はやっていた。
もし『ワンダースリー』が見たなら、『誰ですか、この人!!』、マイルが見たなら、『役者やのぅ……』か『レーナさん、恐ろしい子!!』とか言いそうである。
「冗談なもんか。俺達は、攫ってきた違法奴隷の仲介屋だぜ。
まあ、村中の子供達を攫った後で村を焼き払って大人達は皆殺し、訴え出る者がいなくなるから自分達は安泰、とかいう酷い連中とは違って、俺達はただ孤児になった可哀想な子供達に就職先を紹介してやるという、善意のグループなんだぜ。
お前にも、いい働き口を紹介してやるよ。……給金は貰えないだろうけどな!」
そう言って、ぎゃはははは、と笑う、男達。
「よし、交戦規定クリア!」
この交戦規定というのも、マイル語のひとつである。
この世界では、そんなものを気にする者はいない。敵は殺す。ただ、それだけである。
しかし、マイルの影響を強く受けている『赤き誓い』は、一応、自己の正当性をある程度重視しているのであった。
……勿論、余裕がない時や、明らかに悪党である相手に対しては、省略する時もあるが……。
「ん? 何、ワケの分からんことを言ってる?
まあいい。おい、ふん縛って、売り物の馬車に積んどけ!」
「へい、分かりやした」
リーダーらしき者の指示に、そう返事してレーナの方に歩み寄った男であるが……。
「ぎゃああああぁ!」
レーナが手首を振り、その手の中に飛び出した刃物で、差し出された男の右手を切り裂いた。
縦に裂いたので、手首が落ちることはなく、太い血管も切断されなかったのか、大量の鮮血がほとばしることもなかった。かなり気を使って、サービスしたようである。
それでも、勿論かなりの血は出る。
……レーナ、文字通りの、出血大サービスである。
おそらく、治癒魔法が得意なマイルもポーリンもいないため、あまりやり過ぎると死人が出るかもしれないとでも考えたのであろう。
レーナも、治癒魔法が全く使えないというわけではない。
なので、これくらいであれば、止血と傷口を塞ぐことくらいはできる。
そして傷口を塞げれば、感染症の危険は大幅に下がる。
昔のレーナであれば、悪党の命など何とも思わなかったかもしれないが……。
レーナも、少しは成長したのであろうか……。
「なっ! てっ、テメェ……」
勿論、男達はレーナのそんな心遣いなど知らないし、たとえ知っていたとしても、お礼を言うことなどないであろうが……。
レーナは、さり気なくもうひとつの馬車、つまり商品が乗せてある方の馬車を背にしている。
攻撃魔法が外れて流れ弾が当たったりしないように。
……そして、人質が取られないように、である。
「小娘ひとりだ、やっちまえ!
魔術師とはいえ、水が出せる程度のひよっこだ。
しかも、攻撃手段が、魔法じゃなくて小さな刃物。
おまけに、魔術師なのに、相手にこんなに近付くような馬鹿だ、簡単なお仕事だぜ。
なるべく殺すなよ。俺達に刃向かったことを充分後悔させてやった後は、手足の腱を切って、水樽兼オモチャとして使い続けてやるからな!」
(よし、手加減してやる必要がなくなったわね。これで、やりやすくなるわ……)
レーナは、犯罪者に報いを与えることには躊躇しないが、それはあくまでも、犯した罪にふさわしいレベルで、という自分なりのルールを作っていた。
いくら犯罪者であっても、スリを殺す、というわけではない。
なので、この連中がただ違法な輸送役を引き受けているだけであれば、あまり怪我をさせずに捕らえるつもりであった。
しかしこの連中は今、自ら『手加減や配慮の必要はありません』と申告したわけである。
レーナとしては、非常に助かる。……非情に、かもしれないが……。
「フレイム……」
魔法名のみの、レーナの詠唱省略魔法。
……脳内ではちゃんと詠唱しているので、マイルや『ワンダースリー』が使う本物ではなく、実際には『なんちゃって詠唱省略魔法』であるが……。
相手が人間であるため、魔法名を唱えると攻撃方法がバレる。
しかし、この連中であればそれくらい何の問題もないし、却って威圧効果が高まるという利点もある。
……そして何より、その方がカッコいいから!
レーナ、少々余裕をカマし過ぎであった。
いくら弱者相手であっても、油断を衝かれるということもあれば、数の暴力というものもあるというのに……。
「「「「「「ぎゃあああああ〜〜!!」」」」」」
レーナが今使ったフレイムは、炎の温度はそこそこあるが、殺傷効果は低い。
それは、大きな炎が敵をほんの一瞬撫でるだけだからである。
いくら高温でも、一瞬であれば、焼け死んだり大火傷をしたりすることはない。
……そう、ダメージが少ない、脅しのための魔法なのであるが……。
頭髪、眉毛、睫毛は、そうではなかった。
体毛は全滅、そして露出していた素肌の部分がヒリヒリと痛む。
「ぐあぁ! こ、コイツ、火魔法が……。
ええい、殺せ! 詠唱もなしで攻撃魔法が使える魔術師なんか、危なくて飼えやしねえ!
殺せええぇっ!!」
「ファイアー・ボール……」
そして、レーナが複数の炎の塊を自分の周囲に浮かべた時……。
「……動くな! 攻撃の素振りを見せたら、コイツが死ぬことになるぜ!」
「え……」
積荷しかいないと思っていた荷馬車の、後部側の幌が捲られて、そこから幼い少女の首に前面からナイフを押し当てた男が姿を現していた。
「へへへ、俺を攻撃すれば、俺の意思とは関係なく、反動でコイツの首がスッパリ、ってこった。
お優しい正義の味方様は、子供の命は見捨てられねぇよな? ひっひっひ……」
「くっ……」
男達は全員、荷馬車から降りている。
勝手にそう思い込んでいたレーナの、痛恨のミスであった……。




