episode31 【昇降口】 孤高の王! (上)
わたくしは、本当は王になんてなりたくはなかった。けれど、生まれ育った環境がわたくしの意志とは無関係にそびえ立っていて、抗うことはできなかった。誰もが一瞥して離れていく。わたくしの意見を正面から異を唱えるだけの身分をもつ人間すら、この世にはいなくて、だから孤高になるのは必然で……。だからわたくしは、いつからか自ら王を名乗ることを決意した。
人影が視界の端に写ったので、バウンドさせていたバスケットボールを『常磐城美玖』と記載されてある自分の靴箱に急いで隠蔽する。来るべきこの日のために密かに練習を積み重ねていたのだけれど、誰かにそれを悟られたくはない。
「常磐城さん」
靴を取り出す挙動をして後ろの方をやり過ごそうとしていたが、声をかけられて後ろを驚きながら振り返る。
そこに立っていたのは生天目智恵理その人だった。
わたくしに会話を試みようとする人間なんて彼女以外に実在しないものだから、つい他人との接触を臆する傾向があるのは自認せざるを得ない。
「どうしましたの? 智恵理さん。気分が優れないようですわね?」
「ううん、そうじゃないよ。ただ、常磐城さんに言わなきゃいけないことがあるんだ」
昨日の件について更に掘り下げてくるのかと、不服ながら胸を高鳴らせる。
ただ、それはひと時のオアシスに過ぎなくて。
語り部のように滔々と語る彼女の突き刺さるような現実のせいで、そんな夢想は跡形もなく破砕されてしまった。
曰く、わたくしは自らが所属するクラスメイト達に見捨てられたという残酷な現実。
庶民如きにわたくしの大器は視界に収まることはなかったようですわね、といつものように去勢を張ることすらもできない。
聞いてくうちに、指の芯から冷え切っているように指先の感覚がなくなってきて、甲高い耳鳴りが頭蓋骨を割るかのようにうんざく。
「それで、あなたはいったいわたくしに何が仰りたいのですか?」
精々、絶望に膝を屈しない姿を見せつけることしかできない。無様な醜態を晒すぐらいなら、滑稽であっても裸の王様でありたい。
「常磐城さん……逃げてくれないかな?」
視界がぐらつく。
「なにを、おっしゃってますの?」
「だって、誰か一人に標的を絞って悪者に仕立て上げるなんてやっぱりどこかオカシイよっ。あの人達に正面から反論しても聞く耳を持ってくれない。だから、常磐城さんはどこかに行ってて。あとは智恵理がなんとかしておくから」
必死に言い募るのは、いったい誰のためですの?
常磐城美玖という人間は常に独りだった。常磐城の家の娘というだけで他者からは敬遠され、誰ひとりとして声をかけるくれる方はいなかった。友達と呼べる人間なんてひとりもいなかった。
王になれば、常磐城の人間にふさわしい振る舞いをすることができれば、きっと誰かに存在を認められるのだと信じていた。わたくしにはそうすることしかできなかったから。
だけど、まるでわたくしがそこにいないように、空気のようにみんな扱った。
どれだけがむしゃらに力を誇示しても、みなは知らんぷりを決め込んだ。
もう、本当に疲れきって。
頑張ることを止めてしまいそうになったその時、声をかけてくれた人がいた。
しんどくてこけそうになってよろめいた時、支えてくれた人がいた。
一人ぼっちでいることに苦痛を感じた時に、手をさし伸ばしてくれた人がいた。
「なにをおっしゃっていますの? この智恵理さんは、わたくしに逃げろと、そう仰るわけですのね? どうしてわたくしが敵前逃亡をしなくてはならないのですの? そんな安っぽい同情をするのなら、あなたこそどこかに行ってしまって構いません」
その人はいつも笑顔を携えていて、誰もが無視していたわたくしにいつだって気がついてくれた。
そして今、わたくしを守るために自らを贄として投じようとしている。
もしもわたくしがここで消えてしまったらのなら、吐き出しきれなくなったフラストレーションはきっと全て智恵理さんに降りかかる。
それだけは、それ……だけは――。
「わたくしに嫉妬する連中は、今までたくさんいましたわ。だからこんなこと慣れっこで、全然辛くありませんの。むしろ嬉しいぐらいですわね。こうして大勢でわたくしにかからないと、倒せないということを言外で示してくださっているのですから」
智恵理さんを、こんなことに巻き込みたくない。
こうやって心を痛めて忠告してくれる、わたくしにとって生まれて初めてできた友人に辛い想いをして欲しくない。
だから、早くどこかに行って欲しい。
「なんですのその顔は? そんなにわたくしは今惨めに見えますの? それならそれでいいですわ。やはりわたくしの王たる毅然な態度を、あなた程度の庶民に分かってほしいとは思いませんもの。やはり、庶民と王とでは相容れないのですわね」
お願いだから気づかないで欲しい。
こんなハリボテでしかないわたくしのちっぽけな矜持を。
安全地帯で優雅に玉座にふんぞり返るだけが、絶対的な王ではない。時には友人を傷つけないために矢面に立って、敵の攻撃すべてを独りで受けとめきる。それが上の立場の人間の義務であり、責務であり、なにより友人を助けるためには王としてだけでなく、ちっぽけな人間らしい行為だといえる。
「だから、王とは孤高でなくてはなりません」
自分の本心を吐露することはできなくて、このまま別離すればきっとわたくしはまた独りきりに戻ってしまう。もう一度関係性を構築しようにも、周囲の監視の目がそれを許してはくれないだろう。
それでも目の前の彼女を助けたい。わたくしにそんな素晴らしいことができるのだとしたら、どれだけ泥を被っても構わない。
自分なりの王とは何か、それは生き様で語りましょう。
「さようなら、智恵理さん」
友人だった智恵理さんに背中を向けて歩を進める先は、わたくしにとっての戦場への道。
覚悟はもとより、この一歩は最後の最後まで王らしくあるための歩み。




