episode29 【自室】 闇夜の来客者! (下)
ドアを開き、眼前に現れたのはクマだった。
ぴょこんと立派な二つの両耳と、全く鋭利ではない鉤爪。ズルズルと抱き枕を引き摺る姿には愛嬌があって、見上げてくる半眼には壮絶なる眠気が孕んでいる。
「……つばめ義姉さん、どうしてこんな夜更けに?」
幼児用のクマを模したパジャマは、少しばかりサイズがあっていないのかブカブカ。そのせいで、パジャマというよりは着ぐるみに近いそれは、熊の手部分がぶら下がっているように見受けられる。
「えっ……とね。すっごく今日暗いから、おねーちゃんはこうして馳せ参じたわけだよ」
「……今日じゃなくても、夜はいつも暗いと思うんだけど?」
う~ん、とクマは考えを巡らすようにほっそりとした小首を揺らす。
「あのねっ、ほら、今日は外がゴロゴロってカミナリが鳴ってるから、おねーちゃんは智恵理ちゃんが心配になったわけだよっ。もう~、クマった子だね~、智恵理ちゃんは」
「…………」
まともに相手取ることすら気怠いので、ドアでつばめ義姉さんをシャットダウンすると、ガチャガチャと素早く錠を掛ける。閉め切ったドアの前に立ちっぱなしでいると、一拍置かずに叩き上げる音が悲鳴のように鳴り出す。
「ちょっと、ごめん、ごめんなさい。おねーちゃん寂しいから一緒に寝て欲しいのっ! お願いだから、もうクマったとか言わないからっ!」
誰もが寝静まっているような夜中には響きするほどの、悲痛げな叫びには降参するしかない。忍に余計な気遣いをさせないためにも、つばめ義姉さんの突然の訪問を渋々といった風情で歓迎する。
再びドアを開いてみると、肉薄し過ぎていたのかゴツンという音がする。ぶつけた額に両手を当てながら頬を膨らませる彼女は、精一杯上目遣いで抗議をする。
「いいじゃんかー、ちょっとぐらいふざけただけじゃんよー」
えいえいっと振りかぶった手をぶつけてくるけれど、女児のような手首をむんずと掴んでそのまま招き入れる。
「うにゃー、離せぇー」と宣う体重なしに等しき彼女を、ひょいと放り投げるようにベッドに寝かせつける。ボスンとそのままシーツに収まると、フンガーと元気よくいきり立つ。
「おねーちゃんをそんな適当にあしらうなー」
「こんな夜更けに夜這いに来られたら、ぞんざいな態度にもなるよ」
転がってしまっていた抱き枕を投げると、パフンと顔面キャッチを成功せしめる。そのまま彼女はポンポンと隣をたたく。
「それじゃあ、一緒に寝ようか?」
「はいはい」
我が物顔で掛け布団に入り込んでいるつばめ義姉さんと同衾状態になると、彼女の元気指数はより一層上昇気流に乗る。邪気のない表情に眼が痛くて、自然と視覚に入らないような頭の位置になる。
「智恵理ちゃん、学園生活は不自由ない?」
「これといってないけど、突然どうしたのかな?」
「だって、やっぱり高等部から編入すると目立つからおねーちゃんちょっと気になって……。ほら、秋月ちゃん……? ……だって、相当問題起こしているせいもあって、おねーちゃんの耳にも入ってくるから」
中高一貫のエスカレート式というだけあって、外部から編入する生徒はどうしても際立つ。智恵理も例には漏れないはずだったのだけれど、秋月もみじという大きな存在の影響で埋没した。
噂によると上級生や教員にすら喧嘩を売る問題児でありながら、学園長のお気に入りである成績上位者らしい。
特にこれといって列挙できる特異さのない智恵理が霞むのは、自明の理だ。
「あの人ほど、智恵理は有名じゃないから杞憂だよっ。それに、学園生活は――そうだね、思っていたよりも面白いかも知れない」
「そうか……よかった! こうなったのもおねーちゃんの失言が原因だしね」
……失言、か。
「ううん、教えてもらってよかったし、入学したのも後悔してないよ。ねえ、つばめ義姉さん。やっぱり、ほんとうにそうなの?」
「ほんとうにって?」
「だから、その、智恵理の父親に仕事の紹介をしていたのは、常盤城さんの家ってこと」
「うん……間違いないよ」
男手ひとつで不器用なりにも、智恵理を育ててくれた父親。困窮していたなか、仕事の斡旋を申し出てくれたのは常盤城さんの父親だった。二人は旧知の仲だったらしく、困り果てていた父親を救済してくれていると、本気でそう思っていた。
「……常盤城さん以外だったら、誰でもよかったのにな」
「どうしちゃったの?」
抱き枕に頭を預けたまま、こちらを見やるつばめ義姉さん。ずっと孤独だった智恵理に唯一救いの手をさし伸ばしてくれた、大切な存在。だからこそ、適当な発言なんてできなかった。
「ううん、なんでもない。今度こそ寝ようか?」
智恵理がそう言うと、つばめ義姉さは懐に潜り込んで小さく丸まる。まるで彼女が抱き枕のようで、おかげで明日に備えて快眠できそうだった。




