⑫ 私の中に閉じ込めてあげる
御霊となった婚約者から、重く切ない心情を告白されたロイエは、意外にもあっけらかんとしていた。
『あのね。怒らないで聞いて』
ロイエ、何を?
もしかして、彼女は彼女で……。
『あなたがこの世を去ったと聞いて、私はどこか安心していた……』
え? ええっ??
『だって、これであなたの心は永遠に私のもの』
“……?”
ルーチェの顔も鳩が豆鉄砲をくらったような状態に。
『あなたの人生の最初から最後まで、恋した女は私だけでしょ?』
“うん。そうだよ”
『ずっと不安だったから。いつあなたが心変わりしてしまうのだろうって。男の人の飽き性も浮気も、世の常だもの』
……やっぱりそうなのかしら。男の人は、いつか心変わりしてしまうの?
『でもあなたがもういないってことは、誰かにその心を奪われる心配がない。あなたは私の心の中だけにいる。そんなふうに思う自分が怖かった』
彼女は腕を広げ、亡霊の彼を抱いた。
『あなたは私がつくった亡霊よ。後ろめたくて、こんな私いつか地獄に堕ちて、天国にいるあなたには永遠に会えないだろうって不安だったから、あなたの幻影をつくり出したの』
これは……ふたりともが暴発しそうで後ろ暗い、エゴイスティックな恋心を持て余していた、ということ。
ふたりともそれぞれに、実直でひたむきな、誇らしい人間性を内包していても、人の性って一辺倒ではないから……当然、ズルいところも滑稽なところも、浅はかな部分も併せ持つ。
でもね。それをさらけ出せば受け止めてくれる相手というのもまた、この世で見つけられる奇跡、なのだとしたら。
“そうか、君もそうだったんだ”
ルーチェは安心した笑顔を見せた。この瞬間から彼の実体が、徐々に薄くなってゆく。
『私たち、お互いに束縛したくて仕方なかったのね』
“ってことは僕たち、どこまでも両思いだね”
大丈夫よ。またいつか会える。
この世界は祈っても祈っても、別れと喪失の連続。だけどこの不条理な道のりで、奇跡的な出会いを得られたなら、きっと死してもなお──続いていく縁なのでしょう。
『なんだ、ユニは若さゆえの激情で混迷した夫婦仲を望んでいたのか?』
『え?』
私の顔を覗くダイン様が目をくりくり見開いている。そんなに羨ましそうな顔をしているのかしら、私。
『若さゆえって……』
あなたも若いですよ。混迷した夫婦って、私たちもヒトのこと言えないような?
『少しのあいださようならルーチェ。私を待っててくれるわね?』
“もちろんだよ。少しのあいださようならロイエ”
姿の薄まったルーチェは天に召し抱えられるかのごとく浮かんでいき、その手はロイエの手から離れた。
そしてとうとう幻の彼は瞬く星に溶け、私の瞳に今はただ、スクリーン上の星々が流れては消えていくのだった。
『邸宅に帰ろう』
ダイン様がそっと私を後ろから包むように抱きしめて、頬で頬にキスをする。今夜はこんなふうにずっと、この方と星空を眺めていたい……あっ。
『ダメですっ』
思いきり突き飛ばしてしまった。
『……また俺を拒絶するのか……』
暗がりだけどなぜか見える、彼の蒼白した顔色。
『違いますっ、今まだそこにロイエが……。シアルヴィもイリーナもいますからっ』
ヒソヒソ声で彼をたしなめた。
『むう……』
まったく、油断しすぎです。私に関してもし、生徒に手を出した新任教師…などと悪評が立ってしまったら、推薦したダイン様の沽券にも関わるでしょう。
でも……、流星がすべて去りゆき、落ち着いた小さな瞬きに囲まれる今、あなたとふたりきりだったら良かったなって、ほんとうは思います。
まだどうしても……うまく表すことのできない気持ちだけど。
***
「みんな、おはよう」
「「「おはようございます!」」」
「では出欠を取ります」
教室が静かなおかげで私の声もよく響く。
連休明けだが、みな、きびきびとした態度で朝のHRも滞りない。
「ロイエ・ディターレ」
「はい!」
壇上の私は、生徒名簿から、このはつらつとした返事の主へ目線を流した。
「……!」
一瞬息を飲んでしまったのだけど、彼女を目にしたクラスメートたちの反応も同じだった。
「おはようございます、みなさん」
にっこり笑った彼女。つやつやした頬、ぱっちり開いた目を縁取る上向きまつ毛に、醸す雰囲気も数日前とは打って変わり、瑞々しい魅力に溢れている。これが本来の彼女だったのか。
「……よし、全員出席ね」
さて、と。
一限目は職員室で授業準備にあたるため、静かに教室を出た。
『先生!』
『ロイエ?』
教室の後ろの扉から足早に追ってきた彼女が。
『これを……』
『ん?』
なにやら用紙を手渡された。これは、
『入部届……』
『私、天文部に入りたいです』
『!』
今日から行きます! と言わんばかりにキラキラした目で、彼女は私にみなぎる意欲をアピールする。
『大歓迎よ! シアルヴィもイリーナもとても喜ぶわ』
やったわ! これで部存続まであとひとり。期限は残り一月程度だけど……大丈夫、もうひとり、きっと見つかる。
私はひとまずの達成感と今後への期待で、こっそりガッツポーズをしていた。
その放課後。
ロイエを部室に案内したら、シアルヴィは鍛え甲斐のありそうな新入部員を前にして、頬を紅潮させた。
『よろしく。ロイエさん』
握手の手を差し出してもシアルヴィは微笑まない。やっぱりシンパシーを感じる。
『有能な女性は歓迎しますわ』
イリーナは実力を認めた人間には親しみを持って接する。ロイエのことはなかなか気に入った様子。
さぁ、私は隅で彼らの活動を見守りながら明日の準備を。
そんな時、唐突にロイエが私のすぐ隣に寄り添い、下から顔をのぞきこんできた。
「今後もよろしくご指導お願いします、お妃さま」
「……えっ?」
お妃って、今?




