悪夢
波の音が聞こえる。
海岸沿いにあるこの建物には見覚えがあった。いや、ありすぎていた。
事務所のプレゼントとして行った熱海の旅館。
私はなぜここにいるのだろう。
「私はなんでここに……」
首を傾げていると「おい」ときつめの声で呼ばれた気がした。美春の声だ。
私は振り返ると激情的な衣装を着た美春が鞭を持って立っている。なんですかその被虐心くすぐられる衣装は。
「はいなんでしょう」
「黙れ! 豚がしゃべるな!」
「はひっ! 私は卑しい豚でございます……」
くぅ……。
やべぇ。興奮してきた。なんだ? ここは夢か? 夢だとしたらいい夢だ。
美春は女王様の素質があるんだ。こんなきつめの口調で言われるのたまんねぇーーッ!
「ぶひぶひと鳴け!」
「ぶ、ぶひぃいいいい!」
「うるさい!」
と、鞭を振り上げた。
来る……! ご褒美がくる……!
が、美春は突然抱きしめてきた。
「ごめんね。叩くと痛いもんね。私が悪かったよ」
「ちょ、寸止めは……! お預けはダメ……!! 叩いて! ほら、私は卑しい豚だよ! 人間語喋ってる卑しい豚だよ!」
「ダメだよそんなこと言っちゃ……。自分を豚だなんて卑下しないで……」
なんでそんなこと言うんだよ……。なんで私にそんな優しくするの?
私に優しくしないでほしい。こんな下卑た豚なんかに……。
と、目が覚めた。
やはり夢だったようだ。悪夢だ……。寸止めされるなんて悪夢でしかないぜ……。
「あ、起きた」
「ここは……?」
私は起き上がると少し身体がダルい。し、頭も痛い。
「病院。遊びに行ったら倒れてたんだよ……」
「そ、そーなんだぁー……」
私はチラリと美春の方を見る。
普通の私服だ。あんな女王様みたいな服じゃない。それを見てため息をついてしまった。
「うなされてたけどなんか悪夢でも見た?」
「うん……」
「そうなんだ……。熱出してる時って悪夢見るよね」
「見る……」
寸止めされた……。
はぁ……。
「どんな夢?」
「美春がSM嬢の格好して豚だと罵ってきたけど急に優しくなって寸止めお預けプレイされる夢」
「それボクにとっての悪夢だったりする?」
ノーモーションでよくそんなつっこめるな。さすが芸能人。
「え、優しくしないでとか言ってたのそういう理由!? ボクてっきり昔なんかあってトラウマとかそんなのだと思ったよ!?」
「私は卑しい豚です……。お仕置きして構いません。叩いてください……」
「熱出しても変わんないよこの変態!?」
くそ、寸止めされちゃったら激ってくるじゃん。やめてよそんな期待させるの。
被虐心がゾクゾクしちゃう。
「んで、倒れてたところ病院に連れてきてくれたんだ。ありがとう」
「急に落ち着くな!」
「もっと怒鳴って……」
「ああ、もう話し進まないよ〜!?」
美春曰く、私が頭から血を流して倒れていたところを見つけたらしい。殺人事件かと疑われて救急車と警察が来たようだ。
警察が待機しているらしく、話を聞かせてほしいということ。
「倒れた理由は分かりましたが血を流していた理由は? 誰かに襲われましたか?」
「いや……熱で朦朧としててなんかしようとして足滑らせて扉の角に頭ぶっけた気がします……」
「そうですか……。事件性はなし、と……。すいません。ではあとはお二人で……」
「ほら警察の人どんびいてるよ!?」
「いやぁ、軽蔑される視線も堪りませんなぁ!」
「もーやだ……」
続いて医者の人が来て体温を測る。体温は少し下がってはいるがまだ38.5℃くらいあった。
なぜこんな熱出したんだろう。寝たから少し元気にはなったけど。
「熱出したのは何故ですか?」
「疲れで体の免疫力が弱り風邪を引いて拗らせてしまったのでしょう。頭の治療もあり少し入院をしていただきます」
「この際だから精神科行っておきなよ……。少しはそのマゾヒズム治るかもよ」
「バカは死ななきゃ治らないから無駄無駄。バカにつける薬はないんだよん。すいません、お手数おかけします」
医者の人がお大事にと言って出て行った。入れ替わりで瀬野がやってくる。
「倒れたと聞いたが」
「うん」
「元気そうだな」
「寝たからね。まだ熱はあるけど全然元気よ!」
「そうか。ならよかった。りんご買ってきたぞ」
そう言って丸々としたリンゴを渡してくる。
「すまないが僕はリンゴすら剥けないのだ。丸齧りか自分で剥いてくれ」
「りょ。ナイフくり〜」
「ボクが剥くから……」
美春はリンゴを受け取り皮を剥いていく。
私はその間時計を見ると3のところに短針があった。3時。PM午後3時。
重複してる。熱で朦朧としてるのかな?、
「ここ最近忙しかったから身体を壊してしまうのは仕方ないだろうな。いい教訓ができたろう」
「そうだね。これからは適度に休むよ……」
私としたことが熱でダウンとは……。
過去にトラウマなんてもんはじゅんぺーにはない。
優しくしないでというのは言葉通りだ。




