第八十話 なんか増えてる?!
まあそんなこんなで、お客さんが入港している間、特に問題が起きることはなかった。猫神達が甲板で昼寝をしている時も、お世話係と艦内神社の神様がしっかり仕事をしていたからだろう。
「特に問題もなく、無事に出港してくれてホッとしました」
タグボートにひかれて、岸壁を離れていく艦を見ながらつぶいた。
「どんな問題が起きると予想してたんだ?」
俺の横に立っていた山部一尉が質問をする。
「予想ってほどじゃないですよ。あっちの乗員が、夜中にみむろに忍び込んできたらどうようとか、そんな感じです」
「ずいぶんとお客に失礼な予想だな」
「そうですか? わりと本気で心配してましたけど、俺」
俺がそう答えると、一尉はゲラゲラ笑った。航海長はのんきに笑っているが、冗談でもなんでもないんだな。一昨日と昨日の晩に警備に立った先輩達は、わりと本気で心配していたって話なんだから。
「ってことは、伊勢あたりはワクワクしてたんじゃないか? たしか昨晩はあいつ、当直だったよな」
そう言われて、昨日の伊勢曹長の様子を思い起こす。
「言われてみれば、気持ち悪い笑みを浮かべながら、階段で懸垂してましたね」
「なにか期待していた連中には悪いが、何事も起きずで良かったな」
「まったくです」
俺達が見守る中、艦が岸壁から完全に離れた。煙突から黒い煙が立ち上がり、機関が動きだしたのがわかった。艦首甲板にいた猫神達が、シッポを振りながら一斉に鳴き声をあげる。いわゆる『帽振れ』だ。あっちの猫神も艦橋の上に出て、こちらに向けてシッポを振って声をあげている。
「沖で待機してる海保さんも、これでやっと帰れますね」
「お客さんの艦が公海に出るまでは、あっちの仕事は終わらんがな」
今回はお客さんとしての寄港とは言え、普段はいろいろとやらかすことも多い相手なので、海保としては最後の最後まで気が抜けないらしい。
―― あと、変なのが出てこなくて良かったよなあ…… ――
それこそ言葉の通じない何かが現われるのではと心配していたのだが、そんな話を耳にすることもなかった。ただこの二日間、なぜか護符体質の副長が遅くまで艦に残っていたから、それなりに警戒はしていたのかもしれない。
「それでも俺達はやれやれですね」
「まあな」
離れていく艦を見送る。しばらくして、見送るために艦橋横に出ていた大友一佐と藤原三佐が艦橋に戻った。
「何事も起きずに何よりでした」
「まったくだ。みんな、お疲れだった」
その一言で艦橋内の空気がゆるんだのを感じる。特に何かあったわけではなかったが、全員がそれなりに緊張していたということだ。甲板の猫神達も、それぞれの艦に戻っていくようで、あっという間に見える数が少なくなっていく。
―― 大佐もこれでやっとて落ち着けるな ――
二日酔いで寝ていた時間以外、不機嫌そうな顔をしてずっと艦長席に陣取っていたし。基本的に大佐は、群れるのが嫌いな猫らしい。
「今頃は撮影ポイントにマニアさん達が押し寄せてるだろうな」
「ネットで写真を見るのが楽しみだ」
そんなことを話しながら、全員が通常の業務に戻った。それまで艦長席に陣取っていた大佐は、大きくのびをすると椅子から窓の前へと飛び移る。そして下を見ながら後ろ足で耳後ろをかきむしった。
「おい、毛が飛び散るからやめろって」
ひそひそと注意をする。大佐はフンと言わんばかりの顔をして、そのまま外へと飛び出し姿を消した。それと入れ替わるように、候補生達が戻ってきた。そして俺の前に来ると、あれやこれやニャーニャーとしゃべりだす。
『波多野さん、僕たちのお仕事終わりました――!』
『大佐の代わりにお仕事しました――!』
『いっぱい歩いたからお腹すいた――!』
昨日と今日の二日間、候補生達は大活躍だったらしい。らしいというのは、実際に候補生達が仕事をしているところを見たわけでなく、あくまでも三匹から聞いた話だからだ。
『波多野さん、聞いてくださーい!』
『僕たちだけで見回りしました――!』
『偉い――?』
「はいはい、偉い偉い」
『ちゃんと聞いて――!』
『比良さんはちゃんとほめてくれました――!』
『ほめてほめて――!』
「だから俺はまだ仕事なんだよ」
まったく。比良が甘やかすから……。
『ほめてください――!』
『ちゃんとほめて――!』
『なでなでして――!』
「うぬぬぬぬ」
こっちの話、聞いちゃいない。
『なでなで――!』
『偉い偉いってなでなで――!』
『ごほうびのミルク――!!』
「ぬうぁぁぁぁぁぁぁ!! 仕事中は静かにしなさい!!」
止まらないニャーニャー攻撃に、思わず叫んでしまった。叫んでから我に返ったが、後の祭りってやつだ。顔を上げれば、先輩達が俺を遠巻きに見ている。
「大丈夫か、波多野?」
「さっきから独り言がすごかったぞ?」
「お客さんが来たせいで緊張しすぎてたのか?」
「リラックスしろリラックス。ひーひーふーひーひーふー、ほら、ひーひーふーて、してみろ?」
「……すみません。静かに仕事します」
すばやく三匹の頭をワシワシしながら返事をすると、そのまま何気ない風を装って視線を前に向けた。だが三匹はその場の空気を読むことをせず、まだ話し続けている。結局、俺は就業時間が終わるまで、三匹の自慢話を延々と聞かされるハメになった。
―― もうこれ、絶対に比良が甘やかしたせいだろ…… ――
前を向きながら、こっそりため息をついた。それだけで終わってくれれば、問題はなかったんだが、話はこれで終わらなかったのだ。
+++
就業時間が終わり帰路についても、候補生達のおしゃべりは止まらなかった。
「まったく、まだ話すことがあるのか?」
『いっぱいある――!』
『まだある――!』
ドアを開けて、その場で固まる。
「……なんで?」
そのまま玄関のドアを閉め、階段を駆けあがった。案の定、比良もドアを開けた状態で固まっている。
「大丈夫か? なんか部屋がとんでもないことになっていたんだけど」
「ですね。俺のところも、波多野さんの部屋と同じ状態だと思います」
比良の部屋をのぞいた。比良の部屋も俺の部屋と同じ状態だ。めちゃくちゃ猫がいる。
「いる……めっちゃいる」
「いますよね。もしかしなくても、他の艦の候補生さん達、ですよね」
「みたいだな。おい、どういうことか説明しろ」
比良の頭の上に乗っている候補生に説明を求める。
『僕たち、みんな、お仕事がんばりました!』
『みんなもほめてほしいって!』
『ごほうびのミルク、みんな飲みたいって!』
「いやほら、それぞれの艦でほめてもらえば良いだろ? なんで俺と比良のところに集まってくるんだよ」
『ほめてくれるけどミルクない!』
『ミルクあるの、波多野さんと比良さんのとこだけです!』
『ミルク! ミルク!』
部屋にいる候補生達が一斉にミルクミルクの大合唱だ。
「比良~~」
「しかたないですねえ」
「したかないのかよ!」
固まっていたのは一瞬で、比良はすぐにデレデレした顔になった。
「せっかく来たのに追い返すのは、かわいそうじゃないですか」
「かわいそうってさあ……」
「まあまあ。今夜は特別ってことで」
比良はすっかりその気になっている。ダメだこりゃ。
「いや、こいつらのことだ。絶対に今夜だけで終わらないと思うぞ?」
「そんなことないですよ。皆さん候補生さん達ですし、いい子達ですから。あ、波多野さんち、牛乳ありますか? ないなら俺のところの持って帰ります?」
「……いや、1パックあるから大丈夫だと思うけど」
その場で立ち尽くす俺を置いて、比良は自分の部屋にあがった。そして俺にめちゃくちゃ良い笑顔を向ける。
「じゃあ波多野さん、そっちの候補生さん達に、牛乳よろしくお願いします。お疲れさまでした。お休みなさい、また明日」
「お、おう……」
目の前でドアが閉まったので、俺もしかたなく自分の部屋に戻った。ドアを開ければ、候補生達が物欲しげな顔をして俺を見つめている。
「はぁぁぁぁ、まったく」
あるだけの皿を出し、そこに牛乳を注ぐと床に並べた。候補生達はあっという間に皿に集まり、牛乳を飲み始める。それをながめながらため息をついた。
「まったく。俺にこんなたくさんの猫を養う甲斐性はないんだからな? 毎日のように押しかけられても困るんだぞ?」
候補生達はこっちを見てニャーンと鳴く。まったく、わかってるのか? その場にしゃがみ込み、ピンと立った候補生達のシッポを指でつつく。
「ん?」
そしてあることに気づく。
「お前達、また大きくなったか?」
大きくなったのはみむろの候補生達だ。
『僕たち、成長しました!』
『ミルクをたくさん飲んだから!』
「大きくなったのは牛乳のせいじゃないだろ」
大佐の代理で艦を守ったことで経験値が上がり、また一人前の猫神に近づいたということだろう。
「こうやって牛乳を飲むのも、あとちょっとってことかな」
俺がそう言うと二匹が顔を上げた。
『そんなことないです! 僕たち、ずっと波多野さんと比良さんの護衛をします!』
『ここで牛乳もごはんも食べまーす!』
「一人前になっても来るつもりでいるのかよ……」
『来ます――! 僕たち、波多野さんと比良さんの護衛ですから!』
『護衛ですから――!』
二匹の宣言に、他の候補生達がニャーンと声をあげる。
「おい、お前達まで来る気じゃないよな?!」
とにかくその日は落ち着かなかった。風呂に入ればギャラリーが湯船の縁にずらりと並ぶし、布団に入れば全部の候補生達が中に潜り込んでくるし。次の日は寝不足で倒れそうだったが、顔をあわせた時の比良は、これ以上はないってぐらい上機嫌だった。おそるべし、比良。
「もう次からこういうことがあったら、全員、比良んとこで引き取ってくれよ」
「かまいませんよ、僕は大歓迎ですから」
「大歓迎なのかよ……」
そしてそんな比良と俺は、その日は一日中、大佐からネチネチと言われ続けたのは言うまでもない。




