第七十九話 警備犬も国際交流?
十時ごろになると、見学にやってくる人の数が増えてきた。だが甲板にいる猫神達はまったく気にしていないようで、あいかわらずゴロゴロしている。みむろには乗り込んでこないことはわかっているし、ほとんどの人には自分達の姿が見えないのだから当然と言えば当然だ。
―― 猫神はともかく、お世話係はうっかりすると、心霊写真みたいに写りそうだよな ――
カメラをみむろに向けている来訪者を見ながら、そんなことを考えた。しかし今日は平日だというのに、マニアさん達はどうやって、ここに来る時間をやりくりしているのだろう。全員が全員、自営業というわけでもないだろうし、まったくもって不思議だ。
「ま、誰も来ないよりは良いけど」
寄港した先で一般公開をしたのに誰も来なかったなんて、かなり悲しいと思う。あっちの乗員がどう思っているかはわからないが、少なくとも俺はそう感じる。準備に面倒なことはあっても、一般の人達が見学に来てくれるのはそれなりに嬉しいことだ。
「先輩、見学している人と乗員て、言葉通じませんよね?」
下をながめながら、運航日誌を書いていた紀野三曹に声をかけた。
「まあそうだな。あっちにコアな日本マニアでもいない限り、お互いの意思の疎通は難しいと思う。こっちにも、あっちの言葉がペラペラな見学者がいるとは思えないしな」
「ですよねー」
あっちの舷門に立っている乗員は、見学者が乗り込んでくるのを何とも言えない表情で見ている。
―― 日本人はおとなしいとわかっていても、言葉が通じないのは不安だよな ――
それを考えると、俺達はともかく米軍のフレンドリーさは尋常じゃないよなと感じる。そんなことを考えて浮かんだのは、ハワイで法被姿で俺達を見送ってくれたミムロ軍曹のチームだ。
―― ま、あの人達はもともと、ああいう気質なのかもしれないけどさ ――
引き続き艦橋から外を見ていると、警備犬をつれた陸警隊の隊員の姿が見えた。
「お、ゴロー二曹と壬生海曹じゃないか?」
普段は昼間に姿を見かけることは少ないが、今日は一般人が来るからということでのパトロールなんだろう。ゴローは、昨日の夜に猫神達が宴会をしていた場所に来ると、立ち止まってしきりに地面のにおいを嗅ぎまわる。
―― あ、やっぱりわかるのか。ま、昨晩のことだし、生きた野良猫のにおいも残ってるだろうからな ――
その場を念入りに確認をして、壬生海曹を見上げるとワンッと吠えた。どうやらゴローは、異常なしと判断したようだ。
「お、あそこにいるのは、お前の上官様の警備犬じゃないか。挨拶してきたらどうだ?」
「俺の上官て。ちなみにゴローは二曹なので、先輩より偉いんですが」
「言い方を改める。お前の上官様の警備犬様じゃないか」
「改めるのはそこかーい」
思わずツッコミを入れた。ゴローが近づくにつれ、気づいた猫神達がゴローのほうに顔を向けたり耳を向けたりしている。ゴローもただ事ではない空気を感じたのか立ち止まり、耳をぴんと立てみむろの様子をうかがいはじめた。
―― おいおい、また大騒ぎして壬生海曹を困らせるなよ、ゴロー ――
心配になって甲板の横に出た。だが、それが間違いだったようだ。ゴローは俺のにおいに気がついたらしく、こっちを見上げてシッポをぶんぶん振り回しはじめた。
「あちゃー、まったく、犬の嗅覚って一体どうなってるんだよ。俺、風呂に入ったし作業着は洗濯してあるし、におってないよな?」
腕や作業着を鼻に押し当てて確認する。洗剤以外のにおいはしていないはずだ。俺の後ろから、紀野先輩が顔を出した。
「お? お前の上官殿の警備犬様が、お前のこと呼んでるんじゃね? おりてきたらどうだ? しばらくの間なら、見なかったふりをしてやるぞ?」
「なに言ってるんすか。俺は今、勤務中です」
そう言って、双眼鏡をのぞきながら先輩のほうに顔を向けた。
「お~真面目か」
「あのですね、停泊中でもレーダー回してるんだし、それなりに緊張感もちませんか?」
「やっぱり真面目か」
「おい、波多野。下にお前の上官様が来てるぞ。ご機嫌うかがいに行かなくても良いのか?」
そんなことを言いながら、山部一尉が艦橋にあがってくる。
「航海長まで!」
「聞いてください航海長。波多野のやつ、ゴロー号の階級は俺より上だから、警備犬様と呼べと言うんですよ」
「いや、それ、先輩が言い出したことでしょ! 俺はなにも言ってないし!」
「警備犬様か。犬公方も真っ青だな。あ、ちなみに犬公方っていうのはだな、徳川五代将軍の……」
話が横道にそれすぎだ。
「そのぐらいなら俺も知ってますから、わざわざの解説はけっこうです」
「なんだ、つまらん」
「つまらんて」
腕時計を見る。間違いなく今はまだ就業時間中だ。
「じゃあしかたないな。波多野海士長、桟橋付近に異常はなかったか、警備犬をつれた隊員に確認をとってこい。ただしタラップからはおりるなよ? おりたら遊び相手認定されるからな、お前は」
「無線という文明の利器があるでしょ、うちにも」
「は? なんだって? 俺は一尉で航海長だ。お前は?」
「……了解しました、確認をとってきます」
これってパワハラじゃ?とぶつぶつと言いながら、艦橋に戻って階段のほうに向かう。
「なんだ、階段はイヤなのか? だったら艦橋の横からラペリングで降りても良いぞ? ここにロープはないけどな」
一尉が意地の悪い笑みを浮かべた。
「やっぱりそれパワハラだ~~艦長に言いつけてやる~~」
「まったく、この優しさが理解できんとは、お前の情緒はどうなんってるんだ?」
階段をおりる俺の耳にそんな言葉が聞こえてくる。何を失礼な。俺の情緒は正常だぞ!? ブツブツ言いながら階段を降り、舷門から外に出た。そこに立っていた先輩が、ニヤッと笑って指をさす。
「お待ちかねだぞ、二曹殿が」
「まったくもー、俺は犬猫の遊び相手じゃないっつーの!」
若干ぷりぷりしながらタラップを渡る。階段手前で立ち止まりそこにしゃがんだ。
「おはようございます、壬生海曹」
「おはようございます、波多野海士長」
壬生海曹が俺のことを堅苦しく階級付で呼んだのは、周囲に一般の人達がいるからだ。人間はそのへんの空気を読むが、犬の場合はかなりあやしい。ゴローのシッポは、振り回しすぎて今にもちぎれそうだ。
「航海長から、警備状況の確認をとってこいと言われましたので」
「今のところ異常はありません。普段の平日より人が多いのはしかたないですね。珍しい艦の一般公開があるとなれば、こういうのが好きな人は、仕事を休んででも見学したいでしょうし」
壬生海曹が報告している間も、ゴローはぐいぐいと近寄ってきてタラップの階段に前足をかけた。
「パトロール任務ご苦労様です、ゴロー二曹。今日も、元気なシッポっすね」
激しく振られるシッポを見て笑ってしまう。まあ頭をなでるぐらいは良いだろうと、こっちに身を乗り出しているゴローの頭をなでてやる。
「そう言えば、昨日は野良猫が集まっていたって本当ですか? 先輩から聞いたんですけど」
「そうなんですよ。さっき、ゴローがにおいを嗅いでた場所に集まってました。俺も猫会議ってやつ、初めて見ましたよ」
「そうなんですね。いいなあ、私も見たかったです」
その会議に参加した猫の半数以上は、まだみむろの艦首にいるんだけどな。俺に撫でられてご機嫌だったゴローが、急に耳をピンッと立てて振り返った。視線はお客人の艦に向けられている。そしてその先に、モフモフとしたシッポが現われ、あっちの猫神が姿を現わした。
―― あいかわらずデケー ――
ゴローがワンッと吠える。だがその声に驚いたのは人間だけで、猫神のほうはニャーンと一声鳴くと、すました顔をして艦首へと向かった。そして艦首の先で立ち止まり、大きなあくびをすると寝そべる。
―― 体もでかいけど、相変わらず態度もでかいな ――
「ゴロー、急に吠えてどうしたの。何もないのに吠えたらダメだよ?」
壬生海曹がゴローに注意をする。おそらくゴローはあの猫神に向かって吠えたんだろうが、見えてない人からすると、何もないところに向けて吠えたとしか思えないもんな。
「虫でも飛んでたんじゃないですかね。たまに大きなカガンボみたいなのが飛んでるの見ますし」
「それでもですよ。あっちこっちで吠えてたら、肝心な時に私が気づけなかったら困りますから。無駄吠えをしないように、いつも訓練してるんですけどね」
「なるほど~~。ゴロー二曹、あっちに向かって吠えるのはダメだってさ。怪しいヤツを見かけ時にこそ、しっかり吠えないとな」
わしわしとゴローの頭をなでる。
「俺は今のが無駄吠えじゃなかったことを知ってるけど、それはお前のハンドラーには内緒だからな?」
耳元で壬生海曹に聞こえないよう、素早くささやいた。ゴローは俺が言ったことを理解したらしく、誇らしげな顔をしてベロンと俺の鼻をなめた。
「おいおい、ゴロー二曹、それはダメだ、仕事中にやることじゃないぞ?」
笑いながらたしなめる。
「これ以上俺と一緒にいたら、ゴローはパトロール中だってこと忘れちゃうな。壬生海曹、報告たしかに受けました。以後もパトロール、よろしくお願いします」
「心得ました。さ、ゴロー、お仕事に戻るよ。では!」
お互いに敬礼をし、壬生海曹はゴローをつれて桟橋を歩いていき、俺は艦内に戻って階段を上がった。
「異常なしだそうです~~。ただしゴロー二曹はあっちの艦に向かって吠えました。ま、ゴローなりに挨拶をしたのかもしれませんけど」
誰にとは言わないが。
「ご苦労さん」
双眼鏡を手にすると一尉の横に立つ。
「しっかしあっちの猫神、めちゃくちゃ態度でかくて笑えますよ。ゴローが吠えてもまったく動じてないし」
どうせ猫神に関しての発言は何を言っても黙殺されるのだ。だから好きに言ってやる。
「しかも今日はあんな場所で寝るし」
艦首でまったりと寝ている猫神を観察する。時々、耳やシッポをパタパタと動かしているのは、こっちの猫神達とやり取りをしているのかもしれない。
「今日はいい天気で良かったな。撮影にはもってこいの天気で、見学に来れた人はラッキーだ」
一尉は、俺が言ったこととまったく関係ないことを口にする。
「ま、そこは同意します。俺達も見学させてもらえたら言うことないんですけどね」
「総監は昨日の夜、艦長主催の晩さん会に招待されたらしい。艦内を制限付きではあるが、見学できたということだ」
「そうなんですか? いいなあ、その点だけは幹部がうらやましい」
これは正真正銘、いつわらざる気持ちだった。




