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帝国海軍の猫大佐  作者: 鏡野ゆう
第六部 猫神様も国際交流

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第七十八話 モーニング艦長コーヒー

「ふぁぁぁぁ、おはようございます~~」

「おはようござまーす、ふぁ~~」


 大きなあくびが二人同時に出た。舷門(げんもん)当番に立っていた先輩海曹が、俺と比良のあくびに顔をしかめる。


「来て早々にあくびとか。いい根性してるな、波多野(はたの)比良(ひら)も」

「そうっすか? まだ就業時間じゃないので問題なしってことで」

「問題なしってことで」


 俺達のあくびの原因は、もちろん頭と肩に乗っている候補生達だ。帰ってからミルクだエサだとどんだけ騒がしかったことか。あの声が俺と比良にしか聞こえなくて良かったというのが、正直な気持ちだ。


「おはようさん。ふぁぁぁぁ」


 俺達の後ろを上がってきた山部(やまべ)一尉が、俺達以上に派手なあくびをした。俺達をあくびで叱責(しっせき)するなら、一尉のことも叱責(しっせき)しなきゃ不公平だ。先輩海曹を見つめると、やれやれと肩をすくめて見せた。


「航海長まで。今日はおかしいですよ。さっき副長もあくびしてたし」

「え、副長もう来てたのか。今日は絶対、俺のほうが早いと思ってたんだがな。残念! また朝の缶コーヒーをおごってもらいそこねた」


 一体この二人はなにを競り合っているのやら、だ。


「しかたない。ここは眠気覚ましに、艦長コーヒーをいただいてくるか」


 副長におごってもらう缶コーヒーより、絶対に艦長コーヒーのほうが格上だろうに、どうしてこっちが次点なのか。それはともかくとして、艦長コーヒーを好きに飲める幹部のことはうらやましく思う。


「いいなあ、航海長。俺、まだ艦長コーヒーをいただいたことないですよ」

「なら、今日は早めに神棚前に来い。残ってるようなら、お前達の分ももらってきてやるから。あ、これは内緒だからな?」


 一尉が先輩海曹に向けて、人差し指を立てた。


「はいはい、わかってます。とにかくラッパが鳴るまでに、お目々パッチリになっておいてくださいよ。もちろん、波多野と比良もな」

「「了解でーす」」


 候補生達が相波(あいば)大尉のもとへ走っていくのを見送り、自分の部屋に向かう。そして急いで着替えることにした。


「あ、舷門(げんもん)にいないと思ったら、ここで寝てたのかよ」


 いつもの場所にいないと思ったら、大佐は俺のベッドで寝ていた。しかも今朝はへそ天状態だ。


「その様子だと、宴会で遅くまで騒いでたんだろ? 飲み会後のおっさんと変わらないな、猫神様も」

『やかましい。さっさと仕事へ行け』


 へそ天状態のまま、大佐はうなるような声で言った。もしかして二日酔いの可能性もありか? のぞきこむと片目を開けて俺をにらんだ。


『今日は相波と候補生三匹だけで艦内の見守りをする。見かけても、声をかけて邪魔をするな』

「はいはい。わかりましたよ、教官殿。なあ、二日酔いならドリンク剤を買ってきてやろうか? あいにくとここには、迎え酒ができる酒はないからさ」

『やかましい、きゃんきゃんわめくな。さっさと仕事に行け。吾輩(わがはい)の昼寝の邪魔をするな』

「昼寝て。まだラッパ前の朝なんだけどな」


 これ以上なにか言うと、手加減なしの猫パンチが飛んできそうなので、ロッカーをそっと閉め、早々に部屋を出る。そして神棚へと向かった。途中で比良と合流したので大佐の様子を話して聞かせる。


「昨日のあれは、やっぱりお酒だったんですね」

「そうみたいだ。しかし意外だよな、神様が二日酔いになるなんてさ。元気になるまでは放置しておかないと、下手にかまうと猫パンチされそうな雰囲気だった」

「あー……なんとなくわかる気が」


 神棚の前に来ると、いつものように頭を下げてかしわ手を打つ。


「今日はサバトラ大佐が二日酔いなので、みむろを守るのは候補生達だけです!」

「大佐が復活するまで、みむろに変なのが入ってきませんように!」


 かしわ手を打ち、いつも以上に頭を深く下げた。頭を上げたところで、香ばしい匂いが漂っていることに気づく。


「お、この香りは?! まさかの!!」

「そうだ、まさかの艦長コーヒーだぞ」


 白い発泡スチロールのカップを三つ、器用に持って一尉がやってきた。


「眠気覚ましだから、砂糖もミルクも無しだからな」

「ごちになります!」

「ありがとうございます!」


 ありがたくコーヒーをちょうだいする。一口飲んだ。なかなか酸味のあるコーヒーだ。豆はどこ産を使っているのだろう。


「あれ? 前とちょっと味が違うような。豆を変えたんでしょうか」


 以前ハワイで飲んだことがある比良が、一口飲んで首をかしげた。


「あー、それは温め直したせいだな。そのせいでいつもより酸味が際立っているのかもしれん」

「なるほど。でも、これはこれでおいしいです。朝の眠気覚ましにはちょうど良い味ですね」

不味(まず)いなんて言わさんぞ? 艦長が手ずから()いた豆で()れたコーヒーなんだからな。温め直したらコナコーヒーに近い味になったと、艦長と副長が言っていたな。俺には味の違いはさっぱり分らんが。ああ、飲む前に神棚に挨拶をせんと」


 一尉はカップを横に置き、神棚の前で一礼するとかしわ手を打つ。


「今日は波多野と比良のせいで幹部二人が寝不足です。幹部二人がうっかり失敗しませんように! 波多野と比良が失敗するのはどうでも良いです!」


 そして、パンパンッとわざとらしく大きな音をたてて手を合わせた。


「ちょっと航海長、なんで俺達のせいなんですか」

「そうですよ。納得いかないです。しかも俺達はどうでも良いとか」


 聞き捨てならない言葉に、俺と比良は抗議する。


「だってそうだろ。昨日の夜、遅くまでうろうろするハメになったのは、お前達に猫会議を見せたせいなんだから」

「それを言うなら、俺達に猫会議を見せてやれと命令した、艦長のせいでは? 俺達のせいじゃないでしょ」


 まあ確かに猫宴会は見たいとは言ったが。


「艦長はいいんだよ艦長は。こうやって眠気覚ましのコーヒーをご馳走してくれたんだ、それでチャラだろ。だったらあとは、お前達のせいしか残らんだろうが」

「納得いかねー……」

「それって屁理屈(へりくつ)というやつでは?」


 一体どういう理屈なんだか。そんな俺達の抗議を無視し、一尉はカップを持つと口をつけた。


「はー、しみるねえ。艦長に感謝しろよ?」

「艦長には感謝いますが、航海長のさっきの言い草には納得できません。抗議します抗議」


 ブーブーとブーイングをする。だが一尉はどこ吹く風だ。


「艦長コーヒーをごちそうになって、まだもんくを言うのか」

「だから、もんくは艦長ではなく航海長にです」

「俺はお前達の分をこうやって運んできてやっただろ。幹部が海士長にコーヒーを持ってくるなんて、異常事態だぞ?」

「それはまあそうですけど」

「おい比良、そこで丸め込まれるな」


 俺が言うと一尉はチッと軽く舌打ちをする。


「まったく、ますます可愛げがなくなってきたよな、波多野」

「俺の可愛げなんてどうでも良いですよ。そんなものがあっても誰も喜ばないんですから」

「そうでもないと思うぞー?」


 誰も来ないことを良いことに、俺達は神棚の前でコーヒータイムを楽しんだ。


「ところで艦長、昨夜は当直だったんですよね」

「そうだ。深夜のお散歩の後にこの豆を挽いたらしい。深夜にゴリゴリ音が響くって、ちょっとした怪談だよな」


 ヒヒヒッと一尉が笑う。


「副長や航海長が当直の時にも、艦長コーヒーの差し入れはあるんですか?」

「そういえば艦長が帰る時、いつも幹部食堂に置いて帰ってるな。あまったから好きに飲めって」

「うらやましすぎる」


 うまいコーヒーを飲みながらの当直なんて、実にうらやましい。

 

「コーヒーの淹れ方を極めたいなら、給養員(きゅうよういん)として艦長付に一日入門をすると良い。しっかりと学べるからな。ああ、ちなみに紅茶の淹れ方は副長担当な」

「なんすか、それ」

「艦内部活みたいなもんだ。ほら、茶道部とか華道部とかあるじゃないか」


 納得できるようなできないような。


「実際のところ、ここの給養員(きゅうよういん)が淹れるコーヒーと紅茶の味は評判良いからな。勤務した艦艇の中では、ここが一番熱心だったって二人とも話していたし」


 一尉はコーヒーを飲み終えると、カップをゴミ箱に放り込む。


「あと五分だ。しっかり味わえよ」


 そう言うと、俺達を残してその場を離れた。


「なんか、自衛官とはまったく関係ない知識がどんどん増えていくよな、俺達」

「コーヒーもですけど、紅茶の淹れ方も気になりますね。俺のカノジョ、紅茶が好きだし。俺、副長に頼んでみようかな」

「まじか」


 ……本気なのか、比良?


 時計を見ながらコーヒーを飲み干し、カップをゴミ箱に入れると後甲板に向かう。ちょうど出たところで、スピーカーからブツッという雑音が聞こえた。


『十秒前』

『時間』


 ラッパの演奏とともに自衛艦旗が掲揚(けいよう)される。艦長の横に候補生達がチンマリと座っていた。今日は大佐の代理なわけだが、心なしか誇らしげだ。ミルクだキャットフードだと騒いでいるが、やはりあの三匹も猫神なんだなと思った。


 旗が掲揚(けいよう)されると、艦長の大友(おおとも)一佐が前に出た。


「今日はあちらの(ふね)の一般公開だ。平日ではあるが、それなりの人数の来訪者があると予想されている。人が集まる場所にはトラブルがつきものだ。警備に立つ者は普段以上に気を配るように。では藤原(ふじわら)、後はよろしく頼む」

「艦長は明後日の朝まで不在となる。みむろの出港予定は今のところ無し。各部署の長は、停泊中の通常業務にとりかかるように。以上だ。解散!」


 散らばる乗員を見送りながら一佐が肩を回す。


「さて、では明後日(あさって)まで留守を頼む」

「承知しました。ゆっくり休んでください」

「コーヒーは足りそうか?」

「なくなったら休業の札でも置いておきますよ」


 笑いながら二人は艦内へと戻っていった。


「俺達、飲めてラッキーだったかも」

「ですね」


 ひそひそと話しながらその後に続く。そして俺は艦橋へあがった。ガランとしている艦内を見てがっかりする。


―― 今日は猫カフェ状態じゃないのか ――


 気が散らないから助かると言えば助かるのだが、今朝は艦長席に居座る大佐もいないし、なんとなく寂しく感じるのも事実だ。


―― あ。前言撤回(ぜんげんてっかい)だ ――


 窓から下をのぞいて思わず口元がにやけた。艦首に猫神達が大集合している。どうやら今日は艦橋ではなく、あそこで客人の(ふね)をながめるらしい。単装砲(たんそうほう)の上は昨日と同じ、候補生達の場所のようだ。


―― 昨日より数が少ないな。チビ達の数は変わらないみたいだけど ――


 そう思ってから、ああそうかと納得する。うちの大佐と同じように、二日酔いで寝ている猫神もいるのかもしれない。


―― (ふね)を守る猫神が二日酔いで寝てるって、いいのかそれで ――


 そこにいる猫神達がいっせいに大きなあくびをした。二日酔いで寝ていない猫神も、それなりに寝不足らしかった。

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