第七十五話 いつもより静かな夜
「なあ」
『吾輩に聞くな』
大佐の返事は素っ気ない。
「もうちょっと詳しく説明してくれよ。あとで問いつめられるのは俺なんだぞ?」
きっとアパートにたどり着くまで、ずっとそのことを質問され続けるだろう。
『世の中には知らなくても良いことがある』
「あいつ、それで納得するかなあ……」
『さっき、そこのご老体が話したことがすべてだ。それが吾輩の答えでもある。誰に質問されようと、それ以上なにも言うことはない』
「……わかった」
大佐がそう言ったのだと伝えれば比良のことだ、納得してくれるだろう。多分。
それから終業時間まで、さらにあっちこっちの艦長やら偉い人が艦橋に上がってきた。これは大佐でなくても落ち着かない。一般開放時に大佐が不機嫌になる気持ちが、少しだけ分かった気がしないでもない。時折、艦橋に入ったとたんに変な咳をする幹部がいたが、きっと喉の調子が悪かったのだろう。ここは艦橋であって、猫カフェじゃないのだから。
「はぁぁぁぁ」
仕事を終え着替えてから桟橋におりると、比良がため息をついた。
「なんだよ比良。まだあきらめてないのか? 猫宴会への飛び入り参加。さっきも言ったけど、どうあがいても不可だと思うぞ?」
「そこはあきらめましたけど、今日は寂しいなって」
「ああ、そっちか」
今日の俺達の肩や頭の上には、いつもなら『対空監視』と称して乗っている候補生の姿がない。今夜は俺達と一緒には帰宅せず、猫会議だか猫宴会に参加するらしい。
「候補生さん達、未成年じゃないんですか。宴会に参加しても問題ないんですかね。しかも夜遅くまで」
「だから、あいつらは見た目は子猫でも、俺達よりずっと年上だと思うぞ?」
「そうなんですか? 見た目がすべてだと思うんですけどねー……」
ため息をつきながら後ろを振り返った。舷門当番をしている先輩の横では、いつものように猫大佐が座って、出入りする乗員のチェックをしている。そこに候補生達の姿はない。
「お見送りもないなんて」
「別に嫌われたわけじゃないんだからさ」
候補生達にとっても初めての猫宴会らしく、着替えている時にも随分とはしゃいでいた。多分いまごろは宴会とはどういうものなのかと、相波大尉を質問攻めにしているだろう。
「でも寂しすぎます。今夜のミルクだって、ちゃんと冷蔵庫に用意してあったのに」
「しかたないさ。人間と猫神じゃ、住んでいる世界が違うんだから」
「波多野さんは寂しくないんですか?」
比良がしょんぼり顔でこっちを見る。
「たまには静かな夜があっても良いと思うけどな、俺は。ここ最近、ずっと一緒なんだし」
「俺はもうロスですよ。寂しくて眠れそうにないです」
「そうか?」
少なくとも俺はぐっすり寝られそうだと思った。
+++
好奇心があふれ出ている候補生達は、飯の準備をしていてもテレビを見ていても、とにかく気になることがあると、自分達が納得できるまで俺を質問攻めにした。飯の用意をしていても風呂に入っていても、テレビを見て何かあるとすぐ飛んでくる。
だが今夜は、邪魔されることなく飯を食べ、のんびりとテレビを見つつスマホのチェック、そして風呂。
「……ふう」
湯船につかりながら、思いっきりのびをした。風呂場で二匹がうろつかない状態なのは、本当に久しぶりだ。比良によると、入ってこないまでもトイレや浴室の外で、飼い主が出てくるのを待つ猫もいるらしい。それがまた可愛いんだとか。
―― 俺はそこまで、猫好きな生活はできそうにないな ――
別に猫が嫌いなわけじゃない。候補生達のことも可愛いと思っている。ただ、もう少し自分のペースで暮らしたいというのが、正直な気持ちだ。
―― ま、そんな時期も短いって言うけど ――
成長が遅いと危ぶまれていた候補生達も、態度は相変わらずではあるものの、見た目はそれなりに大きくなった。俺や比良に甘えてまとわりつくのも、あと少しで終わりだろう。生活のリズムを乱されまくってイラつくこともあるが、あの三匹がいなくなるのも寂しい気がする。
「ん? これがロスってやつなのか?」
首をかしげた。風呂から出るとテレビをつけて、ニュースを見ながら寝る支度をする。そして冷蔵庫をあけて、無意識に牛乳パックに手をのばして苦笑いをした。
「なんだよ、俺もすっかり猫のいる生活に慣れちまってるじゃないか……」
牛乳ではなく炭酸水を取り出した。
「比良、大丈夫かな」
俺がこんな状態なのだ。比良はもっと重症に違ない。
「明日が休みなら、気晴らしできるように声をかけてやるんだけどなあ」
テレビの前に座り、ニュースに目を向けた。
「?」
それから三十分ほどして、テーブルの上のスマホがブルブルと震えた。遅い時間の電話というのは、たいていロクなことじゃない。
「こんな時間に珍しいな。もしかして緊急の呼び出し?」
スマホに表示されているのは『航海長』の文字。もしかしてマジか? 急いでスマホを手にする。
「はい!」
『出るのが遅いぞ、波多野~~』
「すみません! 緊急招集ですか?」
『そうとも言えるし、そうでないとも言える』
「は?」
こっちは慌てて出たのに、スマホの向こうの山部一尉は呑気な口調だ。
『お前と比良、同じアパートだよな。二人とも一時間後に桟橋に集合。ゲートの警備には話を通してある。私服でかまわないが、念のために身分証明書だけは持参しろ。来なくてもかまわんが、来なかったら後悔するぞ。じゃあ一時間後にな』
「え? あの?」
俺がなにか言う前に電話は切れた。
「えー……説明なしとか……」
来なくてもかまわないということは、任務ではないということだ。だが後悔するって一体どういうことなんだ?
「で、比良も来いってことだよな。一時間後? また中途半端な……」
とにかく直属の上官である一尉が来いと言うのだ、行かないという選択肢はなかった。急いで着替えると、スマホと自転車のカギを持って外に出る。そして階段を駆けおりた。比良の部屋に行き、インターホンを鳴らす。
「おーい比良~~起きてるか~~?」
しばらくしてドアが開き、比良が顔を出した。
「波多野さん、こんな時間にどうしたんですか」
「今さっき、航海長から電話があってさ。一時間後に桟橋に集合だそうだ」
「緊急招集ですか? 僕のほうには連絡きてないんですけど」
「招集じゃない。来なくてもかまわないが、来ないと後悔をするって」
比良は俺と同じように「は?」と言う。その気持ちはわかる。正直、今も俺の気分は「は?」だし。
「行かない選択肢はないですけど、俺、今から風呂に入ろうと思ってたんですが」
手にしたバスタオルを見下ろしながら困った顔をする比良。
「一時間後に桟橋だ。ここから桟橋まで、この時間なら自転車で十分程度。風呂に入っても間に合うと思うけど」
「急いで入ります。波多野さん、あがって待っててください。あ、冷蔵庫にいろいろ入ってるんで、テレビみながら適当に、飲み食いしてもらって良いですよ」
「サンキュー」
部屋にあがらせてもらう。波多野が風呂に入るバタバタ音を聞きながら、冷蔵庫をあけた。サイダーの横には牛乳パックがある。ていうか一人暮らしなのに、どう考えても牛乳のほうが本数が多い。
「自分も飲むにしても多すぎじゃね? あ、しかもウェットフードまであるじゃないか」
マヨネーズの横に並んでいるのは、個別包装されたウエットタイプの猫のエサだ。どんだけ候補生を甘やかしているんだよ、あいつ。もしかして俺が寝た後、うちにいる候補生達もこっちに来ていたんじゃ?
「そりゃ毎日のように、俺達についてきたがるはずだよなあ……」
まーた大佐に叱られる原因が増えたと、笑いながらコーヒー缶をちょうだいし、テレビの前に座る。
「比良、自転車あるよなー?」
「ありますー」
まあ最悪、俺の後ろに乗せて走れば良いかと思ったが、最近は夜間パトロールしているパトカーも多い。万が一、二人乗りで走っているところを見つかると厄介だ。
「けど、なんでこんな時間なんだろうな」
そろそろ夜のニュース番組が始まる時間。気まぐれで居酒屋に呼び出されるにしても、微妙な時間すぎる。それに砲雷科の比良も一緒というのが謎だ。
―― 副長も一緒なのか? でも、それなら航海長が前もって言うよな ――
行かなかったら後悔する? こんな時間に? まったくの謎だ。
「ま、行ってみたらはっきりするか」
そう自分を納得させると、コーヒーを飲みながらローカル局のチャンネルを選ぶ。地方のニュースならここが一番だ。そして案の定、入港したお客のことも紹介された。
「いきなりでマニアさん、今ごろは予定の変更で右往左往してそうだよなあ。しかも明日って平日じゃん」
俺達の艦が一般公開される時は、だいたい土日祝日と決まっている。たまに地方の港に寄港して平日になったりすることもあるが、そういう時は寄港する先の地本が事前にお知らせを出していた。今回のお客さんの寄港は、見たい人にとってはまさに不意打ちだ。
「お待たせしました!」
天気予報を見ていたら比良が風呂から出てきた。
「もうちょっとゆっくりでも良かったのに」
「いやいや。航海長からの呼び出しなんでしょ? 早めに行ったほうが良いですよ」
「でも私服オッケーなんだから、絶対に仕事以外のことだと思うんだけどな」
「それでもですよ」
まあそりゃ? 上官に呼び出されたら、それが仕事であろうと仕事でなかろうと、できるだけ早く行った方が良いに決まっている。
「真冬じゃなくて良かったよな。俺も風呂に入った後だし、二人して風邪でもひいたらシャレにならない」
「念のために厚着はしていきますよ。波多野さん、それで大丈夫ですか?」
俺が着ている薄手のジャンパーを指さした。
「これ、風を通さないやつだから大丈夫だと思う」
「なるほど。じゃあ、行きましょうか」
「オッケー。あ、コーヒー、ごちそうさま」
「流しに置いておいてください。あとで捨てておきますから」
外に出ると自転車を押してアパートの敷地を出る。
「波多野さんが先でお願いします」
「了解」
昼夜関係なく交通量はそう多くない道路だが、そのせいで信号も少ないし街灯の数も少ない。さらには途中にコンビニもなく、たまに自動販売機があるだけで暗い場所が多い。慎重に自転車を走らせる。
「あ、猫だ」
「え? あ、ほんとだ。お、あっちにもいる」
ところどころにあるブロック塀の上で、野良猫がまるくなって座っていた。俺達の自転車が近づくと、胡散臭げな顔をしてアクビをすると、ヒョイッと塀の向こう側へと消えていく。
「意外と野良猫さんが多いんですね、今まで気がつかなかったけど」
「耳もカットされてたな。てことは、このへんの地域猫ってやつなのか」
「明るい時に通ったら、たくさん猫の写真が撮れそうですね」
「先に言っておくけど、俺はネコ撮影には付き合わないからな。誘うならカノジョを誘えよな?」
俺がそう言うと、比良は笑った。




