第七十四話 お世話係にはまだ早い
「おーい、比良~~?」
「…………」
「比~~良~~?」
艦橋に上がってきてからの比良の目は、いわゆる漫画でいうところのハート型になっていた。そして魂は体から抜け出してどこかに行ってしまったらしく、現在進行形でまさに抜け殻状態。今は俺の横に立っているから良いようなものの、他の先輩達に気づかれたら一大事だ。ここにいられる時間が終わるる前に、こいつの魂がしっかり戻ってこれれば良いんだが。
「おーい」
「…………」
顔をのぞき込む。マジで目がハート型だ。
「おい、いい加減こっちに戻ってこいって。先輩にどやされるぞ?」
ささやきながら強めに小突く。すると比良は、目をパチパチされてこっちを見た。
「あ、波多野さん、おはようございます」
「おはようございますじゃないって。今は1510。お前がいるのは艦橋だ。思い出したか?」
「え、あ、はい。もちろんです」
そう返事をしたものの、実にあやしい。
「あと20分で艦橋から出なきゃいけないんだ。時間になる前に、あの猫の種類を教えてくれよ。そうでないと、俺が気になって仕事にならないじゃないか」
そう言いながら、前をこっそりと指でさす。もちろんさした先には、あっちの猫神様が寝そべっていた。
「ああ、あれですか。あれは間違いなく、ノルウェージャンフォレストキャットですね。温厚で物おじしない性格の猫が多いって話です」
「そのわりには偉そうだよな」
向かい側の艦橋にいる猫神をながめながらつぶやく。
「あくまでもそういう傾向だという、参考値みたいなものですよ。猫の性格もそれぞれですし、飼われている環境でも変わるって言いますから」
「あー、それは納得」
最初に顔を突き合せた、あっちの乗員の顔を思い出しながらうなづいた。めちゃくちゃ偉そうなドヤ顔だったもんな。長いこと一緒にいると、人も猫神も似たような性格になるんだろう。
「あと20分、ちゃんと堪能しろよ?」
「波多野さんがうらやましいですよ。こんな空間に終業までいられるなんて」
「ん~~、これも良し悪しなんだけどな」
こんな空間とは猫カフェ状態の艦橋のことだ。ここに所属している護衛艦の艦長が艦橋に上がってきた時、それぞれの猫神達は一緒について帰っていくかと思っていたんだが、猫神達はまったく戻る様子がなかった。そして現在進行形で艦橋内で昼寝中。比良によると、猫というのは一日のほとんどを寝てすごすんだそうだ。
「そんなことないでしょ、こんなの、良しの部分しかないじゃないですか」
「そうか? 見えるせいで色々と気をつかうから疲れるんだよ、これでも」
「交代してあげたいです」
「比良の場合、絶対に仕事にならないと思う」
「それは言えてるかも」
ため息まじりに笑う。本当なら艦橋内にいる猫神達もじっくりと見たいんだろうが、あいにくと今は見えない先輩達と一緒だ。だから視界内に入る猫神達しか見ることができないのだ。猫好きの比良にしてみれば、これは拷問に近いかもしれない。
「横須賀の時も思ったんですけど、けっこう色々な種類の猫がいるんですね」
「だよな。毛が長いのがいて驚いた」
俺の頭に飛び乗ってきた猫神のことだ。今はラッパの下で昼寝をしている。
「あの猫神様は、間違いなくメインクーンだと思います」
「メークイン?」
「メインクーンですよ。メークインはじゃがいもです」
「ややこしいな」
「そこは否定しません」
ヒソヒソと話していると、その白いモフモフした猫神の耳がピクピクと動いた。俺達が自分のことを話していると、気づいたんだろうか? 視界の隅っこで猫神は大きなアクビをすると、立ち上がり前足をのばしてのびをした。そして床に降り立つと、こちらにやってくる。
『お若いの、失礼するぞ。静粛にな』
比良を見上げてそう言うと、ひらりとジャンプして比良の頭の上にのぼった。
「!!」
ここで声を出さずに耐えた比良は偉い。俺だったら絶対に叫んでいただろう。
『可能であるならば、艦橋の外に出てほしいのだがな』
「……波多野さん?」
「外に出たほうが、お客さんの艦がよく見えるぞ」
「……お言葉に甘えて行ってきます」
比良は猫を頭の上に乗せたまま、艦橋の横から外に出た。
「すっげー、シュールな光景だな……」
外にいる比良は猫神の注文に、あっちを向いたりこっちを向いたりしている。
「……完全に下僕状態だよな」
ま、比良にとっては本望だろうが。
『まったくお前達ときたら。すっかり他の艦の猫神に、いいように使われているではないか』
艦長席で昼寝をしていた大佐が、片目を開けてこっちを見ると不機嫌そうに言う。
「比良は猫好きだからしかたないだろ。それと、俺は不意打ちされただけで、いいようには使われてないぞ」
『どうだかな』
大佐が鼻を鳴らした。
「だったら大佐から言えよ。うちの乗員を勝手に移動式の展望台代わりにするなって」
『……』
不機嫌そうな顔をして黙りこむ。
「珍しいよな、いつもは偉そうにあれこれ言うくせに、あの仙人みたいな猫神には文句を言わないなんてさ」
『本来ならば、あちらが礼儀をわきまえることだ』
『それはそれは、すまなかったな』
比良の頭の上に乗っている猫神とは別の猫神がやってきた。こちらは毛は長くないがヒゲがたれていて、いかにも爺様猫といった感じがする。大佐はますます不機嫌そうな顔つきになった。
『若造も厄介だが、年寄りも十分に厄介だぞ』
『年をとると細かいことは気にならなくなるのじゃよ』
そう言いながら艦長席に飛び乗った。そして大佐を押しのけるようにして自分の場所を確保する。
『ここは吾輩の場所だぞ。そんなに艦長席に座りたいなら、自分の艦に戻れば良いだろう、ご老体』
『じゃが、今夜はここで歓迎の宴をするのだろ? 行ったり来たりするのは、さすがに疲れるのでな』
―― 宴? 宴会があるのか? ――
「猫会議ってのがあるらしいってのは比良から聞いたことがあるけど、猫宴会ってのもあるのか?」
『そんなものはない』
『今回は特別じゃな。客人が来ているから』
つまり、あっちの猫神の歓迎会をするということなのだろう。
「アウェイ感が半端なくて居心地悪そうだけどな、あっちの猫神様」
自分だったら耐えられないなと、その様子を想像する。
『そんなことはないぞ? 人と神との世界では、線引きは別物じゃからな』
「なら良いんだけど」
「え、猫さんの宴会があるんですか? いいなあ、俺も参加したいです」
頭に仙人様を乗せたまま比良が戻ってきた。
「さすがに人間はダメだろ。人と猫神の世界は別物だって言ってるし」
「えー、残念だなあ……貴重な体験できそうなのに。あ、お世話係さんはどうなんですか?」
『彼らは自由参加じゃな。実際ここには来ておらんし、まあ参加するほうが少数じゃろ』
なるほどと納得する。猫神がこれだけいるのに、相波大尉のようなお世話係の姿がチラリとも見えないのは、隠れているわけでも大尉の存在が特別なわけでもなく、単に猫神に同行していなかっただけなのか。
「お世話係って他の艦にもいるんだな」
『もちろんじゃ。いろいろとやることは多いからのう。お若いのは会ったことがないのか? 猫神の世話係には』
「会ったことがあるのは、ここの相波大尉だけなので」
『なるほど。では機会があれば、わしの世話係を紹介しよう』
その言葉に大佐はあきらめたようなため息をつく。そして片目を開け、俺と比良をにらんだ。
『人とは違う者達との交流は、大概にしておかないと障りがあるのを忘れるな。悪意がなくとも、相波達が人でないことには違いないのだからな』
『お堅いのう』
『ご老体達が呑気すぎるのだろうが。この者達は生きた人間なのだぞ』
なんだかんだ言いつつも、大佐は俺達のことを考えてくれているんだな。そこは感謝しなければならないと思う。
「あ、そうだ。お世話係ってどうやったらなれるんですかね? もちろん今すぐってわけじゃないですけど」
いきなり比良がとんでもないことを言い出した。俺の顔を見てそれを察したのか、最後に一言を付け加える。
「天寿をまっとうしたらお世話係に再就職とか、できないですかね?」
「おいおい、比良。死んでからも海自に関わるつもりか?」
「別に海自じゃなくても良いですけどね。猫神様は色んな船にいるんだろうし。あ、輸出入に関わる貨物タンカーでも良いかな。それだと世界中を回れますよね。幽霊なったら船酔いの心配もなさそうじゃないですか」
いくらなんでもぶっ飛びすぎだろと、あきれて天井を見る。たぶん大佐も似たような気分なんだろう。なぜか急に毛づくろいを始めた。
「スカウトなんでしょうか? 募集制? それとも志願制?」
いやいやいや、そこを俺に聞くな。
「まずは俺達は、一人前の護衛艦乗りになるのが先だろ」
「でも、先のことを考えておくのも、大切だと思いますけど」
「いくらなんでも先すぎだろ。老後って話ならまだわかるけど、それ、さらにその先じゃないか。今の日本人の平均寿命を知ってるか?」
老後どころか死後だ。そのへんのこと、わかっているのか比良?
「そりゃまあ、ちょっと話が先走ってるのは認めますけど」
「ちょっとどころか、かなり先走ってると思うぞ?」
今の日本人の平均寿命は八十歳ぐらい。いったい何年先の話をしているんだって話だ。しかもその動機だが、どう考えても猫神の宴会に参加したいだけな気がするんだが。
「……で、実際のとこはどうなんだよ」
『結局はお前も知りたいのか』
大佐があきれたと言わんばかりの顔をした。
「そりゃ、話題になったからには知りたいじゃないか」
『まったく……人間の好奇心というのは困ったものだな』
スカウトなのか、募集制なのか、志願制なのか。スカウトなら拒否権はあるのか? 募集制ならなんらかのテストがあるのか? さらには任期はあるのか? 話に出たからには、その点は気になるところだ。
「ちなみに俺は、お世話係になりたいとは思ってないから」
今のところは、だが。
『その時々で違うのう。その者と猫神との縁、その時の流れというものが関係してくるのじゃ。特に決まりがあるわけではない』
比良の頭の上にいる仙人猫が言った。
『もとは人である存在じゃから、時間が経つとあの世に旅立っていく者もおる』
「それって成仏するってことなのか?」
『まあそんなところじゃな』
「じゃあ、今は定員を満たしていても、空きができる可能性もあるんですね。ってことは、僕にもチャンスが」
「だから先走りすぎだって、比良」
そんなことをヒソヒソと話しているうちに時間が来てしまった。比良としてはまだ聞きたいこと話したいことがあったようだが、そこは決まりなので諦めるしかない。
「波多野さん、続きを聞いておいてくださいね!」
そう言うと、名残惜しそうな顔をして艦橋を出ていった。
「……あいつ、本気なのか?」




