第七十二話 ギャラリーは人間だけではない
「結局は皆、見たいってことなんだろうな、あっちの艦を」
「おかげで艦橋が大混雑ですよ。いっそのこと見せてくれって、あっちに頼めば良いのに」
俺と紀野先輩はそんなことを話しながら、艦橋へと続く階段を上がった。
「おわっ?!」
そして艦橋の中が見える場所まで上がった時、目の前にとんでもない光景が広がっていたので、思わず動きを止めた。動きが急だったせいか、後から上がってきた先輩が俺に衝突する。そしてその先輩に、さらに後ろにいた先輩が衝突した。
「おい波多野、いきなり止まるな。玉突き事故が起きてるぞ? 後ろがつまっているんだから、さっさと前に進め。艦長にケツを向けたまま立ち止まるな」
「あ、すみません!」
最後尾にいる藤原三佐の声がしたので、あわてて階段を上りきった。
―― これ、比良が見たら、ニヤニヤしながら気絶するんじゃ……? ――
艦橋内は、ここは猫カフェか?!とツッコミを入れるほど、猫達があふれかえっていた。もちろんただの猫ではなく、この基地に所属している艦艇の猫神達だ。たまに見かけることはあったが、こんなふうに大集合しているのを見るのは初めてだった。
―― もしかして会議でもしてたのか? たしか猫って会議するんだよな? ――
最後に上がってきたと大友一佐と三佐は、その様子に驚いた顔もせず、それぞれの定位置に落ち着く。
―― えー……まったく無反応ってどうなんだよ……やっぱり猫神の定例会議でよくあることなのか? ――
一佐と三佐にとっては珍しくない光景なのか?と俺がモヤモヤしている前で、よその艦艇の猫神達は、それぞれ一佐と三佐に挨拶をし始めた。
『今日はしばらく、こちらにご厄介になるぞ』
『なにやら珍しい客人が来ると聞きましてな。吾輩らもサバトラ殿の許可を得て、見物させてもらいに来ましたぞ』
なるほど。客人が気になるのは人間だけでなく、猫神達もらしい。ということは、もしかしたら艦内神社の神様達も、どこかで見物しているかもしれない。一佐と三佐は他の乗員達がいるせいか無反応だったが、猫神達はそんなことは気にせず、次々と挨拶をしていった。
―― 航海長が言っていた静粛にって、こっちのせいだったりしてな ――
もっと猫神達を観察していたいが、今は勤務時間だ。双眼鏡を手にすると、猫達の邪魔にならない場所に立つ。下の甲板をのぞけば、単装砲の上に候補生達が陣取っていた。しかも、そこにいるのは三匹だけじゃない。
―― 小さいのがめっちゃいる…… ――
どうやら候補生がいるのは、みむろだけではなかったようだ。小さな候補生達を気にしつつ、海上の先に双眼鏡を向けた。湾へと続く海路上に、二隻の艦影が見えた。
「艦長、お客さんの艦ってあれでしょうか」
二隻のうちの一隻は海保の巡視船だ。その巡視船に先導されている見慣れない艦影。どうやらあれがお客さんらしい。俺の言葉に真っ先に反応したのは、艦長ではなく猫神達だった。あっという間に窓辺に集まると、尻尾を立てて大合唱を始めた。
―― 皆さん、静粛に! 静粛に――!! ――
興奮気味のニャーニャー大合唱に、思わずそう叫びそうになる。それでも一佐と三佐はどこ吹く風だ。大音量の大合唱なんてまるで聴こえていないかのように、涼しい顔をしている。さすが幹部。俺には真似できそうにない。
―― しかし比良のやつ、この状態の艦橋に来たら、気絶どころか昇天するんじゃね? ――
あいつが艦橋に上がってくるのは、昼飯を食べた後だ。きっと驚くだろうな。どんな反応をするか楽しみだ。そんなことを考えつつ、双眼鏡での監視を継続する。
「うっわー、めっちゃ重たそうな巡洋艦ですね。ここから見ても分かりますよ、対艦ミサイル、めっちゃ積んでるじゃないですか。まるでハリネズミみたいだ」
監視任務を最大限に利用して、相手の艦の観察をさせてもらう。
「昨今は対艦より対空が重視されがちだが、昔ながらの対艦装備を載せているのが、あの国の特徴だな。もちろん対空装備も、新しいものを搭載しているという話だが」
「まあ相手を威圧するには、見た目にもわかりやすい重装備のほうが、断然、効果がありますよね」
一佐と三佐が楽しそうに話している。
「威圧する相手って、もしかして俺達ですか?」
「まあそうとも言うな。しかしだ。いかにも戦う艦という感じはなかなか良いな」
「ですねえ。まさにあれは海軍ヲタのロマンの塊だと思いますよ」
二人とも、今が勤務中だということをすっかり忘れているようだ。
「あの、あまりジロジロ見ないほうが良いんじゃないですか?」
「我々はジロジロなんて見てないぞ。なあ、藤原?」
「ええ、軍艦なんて見ていません」
まったく説得力がない。そうこうしているうちにタグボートがお客さんを迎えに出た。
「あれはあれで緊張するだろうなあ……」
それはきっと、甲板に出ているあちらの乗員達にも言えることだろう。
―― あ…… ――
双眼鏡を艦橋に向けると、そこには人だけではなくモフモフした大きな猫が見えた。なんというか、こちらの猫神とサイズが違う。
―― でっけー……国土がでかいと、猫神も大きいのか? それとも艦が重装備になるほど、猫神も大きくなるのか? ――
あちらの猫神が尻尾を振っているのが見える。それと同時に、艦橋内にいる猫神達が鳴き声をあげた。これは歓迎しているのか、それとも威嚇しているのか。比良なら分かるんだろうが、猫歴が短い俺にはさっぱり分からない。
俺達と猫神達が見守る中、タグボートに押されたその艦は無事に接岸をした。艦から投げられた舫を、港で待機していた海自隊員が受け取りボラードに結びつける。しばらくして係留作業が完了した。
停泊した艦の前には、いつの間にか音楽隊と総監部の偉い人達が集まっていた。歓迎式典が行われるのだ。
「あー、あんなところに航海長が。艦長、当艦の航海長、山部一尉を発見」
俺の指摘に、一佐と三佐が下をのぞき込む。一尉は歓迎式典の一団とは少し離れた場所、無関係者とは言わないが、歓迎式典の一員ではないという、絶妙な場所に立っていた。俺達の視線に気がついたのか、こっちを見上げて軽く敬礼をする。
「なにをしてるんだ、あいつ。さっきまで半分寝ながら艦内を歩いてたのに」
「まあ気持ちは分らんでもないが」
俺達がこそこそと見下ろしている間、滞りなく歓迎式典は行われた。
「あの艦、他の港にも寄港するんですか?」
「いや。日本ではここだけだ。そのせいで、こっちの総監部は問い合わせが殺到して大変らしい」
「テレビの取材ってことですか?」
今も、取材をしているらしいカメラを担いだ人間が見える。恐らく地元のテレビ局だ。
「いや。どちらかというと各総監部からだな。見たいのはどこも同じってことだ」
一佐がおかしそうに笑った。
「まさか押しかけてくるってことはないですよね?」
「さて、どうだろうな。今のところ、そんな話は聞いていないが」
うちの乗員と基地所属艦艇の幹部、さらに総監部のお偉い人達。それだけでも大変なのに、さらに訪問者が増えるとか考えたくもない。まてよ? それって人間だけですむ話なのか? 下手したら全国の護衛艦の猫神達が、ここに押しかけてくる可能性もなきにしもあらず?
―― それはそれで比良が喜びそうだけど、カオスだよなあ……今の状態でも十分にカオスだけど ――
今の艦橋だって、見える人間からしたら十分に、猫カフェ状態なのだ。そのへんのことはあとで、お世話係の相波大尉にそれとなく確認しておこう。そんなことを考えつつ、双眼鏡を持ったまま艦橋の横から外に出る。
「!!」
後ろからいきなり、なにかが頭の上に飛んできた。
『おお、ここはまた良きながめ。良きかな良きかな』
チラリと視線だけを上に向けると、なにやら白いフサフサしたものがフラフラと動き、それが顔の前に移動して鼻をくすぐる。
「へーーっくしょい!!」
鼻がムズムズして特大のクシャミが出た。完全にノーガードだったため、周囲に俺のクシャミが響き渡る。下にいた人達がこっちを見上げた。
「うっわ、はずかしっ」
「「「波~多~野~~」」」
艦橋の先輩達もだが、きっと下の人達からも、空気の読めない隊員と思われたに違いない。クシャミが出たのは俺のせいじゃないのに。さりげなく、目の前でヒラヒラしている尻尾を横に払った。だが、尻尾はすぐに目の前に戻ってくる。
「猫神のくせに、船乗りの仕事の邪魔をするって一体どういうつもりだよ……」
ブツブツいいながら双眼鏡をかまえる。だが片方の視界は、完全に尻尾でふさがれていた。
「すっげー邪魔なんですけど!」
双眼鏡の片目をふさいでいる尻尾を払う。大佐の尻尾と違ってかなりの質量だ。しかも移動する気配がまったくない。俺がここに立っている間、ずっと頭の上に居座るつもりなのか?
―― まったくもー……猫神ってのは、俺達の邪魔をするのも仕事なのか? ――
心の中で愚痴りながら湾内を見渡す。客人の艦をエスコートした海保の巡視船は、つかずはなれずの距離を保ったまま沖で停泊している。どうやらあちらは客人が出港するまで、その場所で警備体制にはいるようだ。
「さて、東西南北、前後左右、異常なし!」
声をあげながら指さし確認をし終えると艦橋に戻る。
『なんじゃ、もう終わりか。つまらんのう。もっと外におれば良かろうに』
『そこもとが乗っているせいだと思いますぞ?』
『なんと。吾輩のせいだと申すか』
『それ以外の理由がありますかな?』
『それはすまんかったの、お若いの』
フサフサの主はそう言うと、足元に飛びおりる。真っ白で毛の長い猫だ。比良だったらきっと、なんという品種の猫か分かるんだろうが、俺にはまったく分からなかった。だがその長い毛と口調のせいで、なんとなく仙人のような雰囲気をかもしだしている。
―― 見た目は大佐よりもずっと神様っぽいな、この猫神。やってることは候補生達と同じだけど ――
ちらりと大佐のほうに視線を向ける。艦長席前の窓のところで、こっちに尻を向けて香箱座りをしている。普段なら、候補生達が同じことをすれば口うるさく指導する大佐なのに、今日は珍しく静かだ。静かというか、あえてこっちを見ていないというか。たまに耳がこっちを向くので、まったくの無視というわけでもないようなんだが。
―― あー……もしかしてこっちの猫神達は、大佐より年季がはいった猫神なのかな。さすがに年上の神様には大佐も頭があがらないのか…… ――
普段は俺や比良を相手に傍若無人にふるまっている大佐にも、同じ猫神に対しては、それなりに年功序列意識があるのかもしれない。




